2014年11月30日日曜日

これも、親父そっくりなんだけど、「やったってやってない」の世界だ

やっぱり、朝から、気分が悪いんだわ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音のことで気分が悪い。ところで、「の」の繰り返しは良くないと言われるのだけど、わざわざ、書き換えるつもりはない。たとえば、「東京の道路の上」という表現を、「東京の路上」と書き換えるつもりはない。もうひとつ、例を出すと、「きちがい兄貴のヘビメタ騒音のこと」を「きちがい兄貴によるヘビメタ騒音のこと」と書き換えるつもりもない。「の」の繰り返しは、二回までなら、良いとする。俺のルール。

実際、「東京の道路の上」と表現しているときは、「東京の道路の上」でしかないんだよ。「東京の路上」じゃない。その時に、そう出てきたのだから、その時の感情に、一番あっている表現なんだよ。替えるつもりはない。

まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、ともかく、朝から気分が悪いわけ。朝からめちゃくちゃに憂鬱なわけ。で、きちがい兄貴は、……なんだろうが毎日、自分が満足できるように、めちゃくちゃにでかい音で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、ヘビメタを鳴らしきったきちがい兄貴は……憂鬱じゃないんだろうな。自分が思ったことを、青春時代に、こころおきなくできて、普通に暮らしているから、普通の朝なんだろうな。そういうことを考えると、これまた、めちゃくちゃに、腹が立つ。腹が立つというよりも、なんというか、あの時からずっとそうだったと思って、これまた、ものすごく憂鬱な、やりきれない気分になる。

あれ、本当に、なにもわかってないからな。あれ、本当に、「その時」はね返してしまえば、まったく、気にならないんだよな。〇秒で、忘れる。まったく気にしないで鳴らせる状態になる。何度も言うけど、ヘビメタが好きな、兄貴の友達が、「こんな音で鳴らして大丈夫なの?」と不安になるような音で、鳴らしてたんだよ。きちがい兄貴の音は、そのぐらいにうるさいんだよ。これ、きちがい兄貴が絶対に認めないところで、絶対に、「感覚的に」わからないところだ。感覚的に、わからないことにしてしまっている。で、そうしたら……一旦、感覚的にわからないことにしてしまったら、どれだけ明らかなことでも、「そうじゃない」んだよ。感覚的に、そうじゃない。客観的には、ものすごくでかい音なのに、普通の家で鳴らしてたら、その家の人に怒られて当たり前の音なのに、主観的には、「このくらいの音は大丈夫」と思っていて、そのまま、絶対に、鳴らし切る。なにを言ったって、通じない。で、やったことが、やったことになってない。これも、親父そっくりなんだけど、「やったってやってない」の世界だ。もう、ここらへんからして、他の人に話が通じないんだよな。





2014年11月23日日曜日

普通の家の人って、「きちがいのふんばり」を知らない。

昨日言いたかったことは、俺は、「立ち直ってきたんだ」ということだ。さんざん、立ち直ってきた。毎日、立ち直っていた!とも言える。しかし、立ち直る回数より、きちがいヘビメタが鳴ってる回数のほうが多かった。どこまでも、どこまでも、やるせない状態が続いた。昨日のヘビメタ騒音で、……本当は、疲れきってズタボロなんだけど、そうは言ってられないので、無理やり元気を出して立ち直る。

けど、帰ると、また、きちがいヘビメタが鳴っている。きちがい兄貴は、鉄板の意志で、頑固に、無視してヘビメタを鳴らし続ける。どれだけ、「やめろ」「静かにしろ」と怒鳴りこんでも、絶対にやめてくれなかった。こちらの要求は、全部無視した。

無視したけど、……頑固に無視したけど……あまりにも無視が完璧すぎて?……無視したことになってないらしい。本当に頭がおかしいと思う。頭がおかしいのは勝手だけど、横の部屋で、ドカスカヘビメタを鳴らすなって言うの。言ったんだよ。さんざん。さんざん言った。けど、きちがい兄貴が、(弟のことは無視して、なにがなんだろうがヘビメタを鳴らそう)と思っていた時は、絶対に、一日に一〇分だって、ゆずらなかった。

それでまた、驚いことに、きちがい兄貴が嫁さんに言ったことを信じるとすると、「そんなつもりはない」らしい。本当に、人を馬鹿にしている。おまえが無視して鳴らしてたのは、明らかだろ。絶対に首を縦に振らなかった。こっちが大学入試の時だって、どれだけ、頼み込んでも絶対に、一日に一〇分だって、ちゃんと静かにすることがなかった。いつものように、全部の時間……可能な全部の時間を使って……ヘビメタを普通にドカスカ鳴らしていた。

本当に、きちがい兄貴が静かにしたと思っている?レベルで鳴らしていた時も、くっそうるさかった。これは、俺が敏感とかそううことじゃない。いま住んでいるところで、「静かにしたつもり」で、どかすか鳴らしてみろ。一〇分で、嫁さんが、怒鳴りこんでくる。そういう音だ。本当に、きちがい兄貴が静かにして鳴らしている???つもりの時も、何回でも、……何万回でも、警察を呼べばよかったと思っている。

騒音に関する法律が、市レベルの条例だろうがなんだろうが、呼べばよかった。家族だろうがなんだろうが呼べばよかった。まあ、当時は、DV(ドメスティックバイオレンス)なども、「家で解決してください」といわれるたおな問題だったけどね。そういうところで、意識のちがいはある。騒音に関する法律が、条例レベルでしかないということについて、調べる前に、警察を呼んでおくんだったな。

もっとも、警察が来ても、警察が来た時だけ、スイッチを切って静かにして、警察が帰ってしまったら、鳴らし始めるとは思う。警察が帰って、もうこないな……と思ったら、鳴らし始めると思う。その間三分か五分ぐらいだと思う。で、三分後に、また同じことで警察を呼んで、来てくれるかどうか? それほど警察は暇か? たぶん、いそがしいと思う。

けど、本当に、あのレベルの音で、アパートなどの集合住宅で、ヘビメタを鳴らしていたら、そりゃ、一〇分で、警察を呼ばれるだろう。実際、きちがい兄貴は、嫁さんと一緒にマンションに住んでから、きちがいヘビメタを、当時「ゆずった音のでかさ」ですら鳴らしてない。いま住んでいるところで、我慢できるなら、うちに住んでいた時も、我慢出来たはずだ。

けど、「うち」に住んでいた時は、絶対に我慢するのが嫌だから!我慢しなかった。弟が高校入試だろうが、大学入試だろうが、我慢しなかった。一分だって、自分が鳴らせる時間に、我慢してやめるということは、できないことだったのだ。もちろん、きちがい兄貴がそう思って、しなかっただけのことで、やろうと思えば、「うち」でもできた。けど、当時のきちがい兄貴にとってみれば、それは、「不可能なこと」なのである。そのくらいに、やりたくないことだ。で、絶対に、ゆずらない。

で……けっきょくは、一分だって絶対にゆずらないで、鳴らしきった。毎日、例外なく、鳴らしきった。ただ、例外なく鳴らしきったと思うことが、嫌なので、本当は、ぜんぜんゆずってないのだけど、ゆずったことにしてしまった。そりゃ、一日に一四時間鳴らしてたって、自分が一分間、〇・一デシベル下げてやれば、ゆずってやったということになる。

できるだけゆずってやったということになる。ゆずってやったのに、あとからあとから文句を言ってくると思うことができる。本当は、ゆずらずに、自分が鳴らせる時間は全部使って、鳴らした。弟のために、一日中、……鳴らせるのに、我慢して鳴らさない……なんて、そんなことは、耐えられるはずがない。そんなのは、絶対に、一日だって嫌だ……そういう気持ちがあった。そういう気持ちというよりも、なんというか、無意識的な「絶対の意地」があったのである。だから、絶対に静かにしてやらなかった。やらなかったんだけど、そういうふうに思うのが嫌だから、ちょっと、エレキギターの手を休めただけで、ものすごく静かにしてやったと思い込むことに成功した。これも、本当に無恣意的な暗示?なのかもしれないけど、ともかく、本当は、静かにしてないのに、静かにしてやったことにしてしまう。だから、きちがい兄貴は、いつも、気楽だ。こっちは、吉が兄貴のヘビメタ騒音が七時間から一四時間、どれだけこっちがいそがしい時も、疲れている時も鳴っているから、気持ちも体力もボロボロになっている。

今になったら、当時自分がゆずらないで頑固に全部の時間ヘビメタを、自分が思った通りのどでかい音で鳴らしていたということが、他の人に知られるとまずいから、適当に嘘をついて、ごまかしている。当時は、そういうふうに、自分が鳴らしているということを知られるとまずい人が「いえ」にいなかったので、徹底的に、全部の時間鳴らしきったのである。で、それで、当たり前だった。なんにも、悪いことをしているつもりがないのである。ぜんぜん、迷惑をかけていると思ってない。ぜんぜん非常識な音だと思っていない。どでかい音で、入試の日もなにがなんだろうが、全部、鳴らし切るけど、悪気がないのである。じゃ、「やめてくれ」と言われてやめることができるかというと、それは、もう、一分だって、嫌で嫌で嫌で、しかたがないから、できない。で、どでかい音で鳴らしたまま、「静かにしてやった」ということにしてしまう。で、一日中鳴らしても、なんとも思わない。そういうことの連続だったよ。おまえ、きちがい兄貴、いま、嫁さんや嫁さんの家族に、嘘を言っている気持ちは気持ちはないのか? 嘘を言っている気持ちぐらいあるよな。まさか、嘘を言っているつもりがないのか? もし、嘘を言っているつもりがないとしたら、本物のきちがいだと思う。おまえの認知はおかしい。

きちがい兄貴は、きちがい兄貴の理由で、鳴らしていいことにして鳴らしてた。これが本当の話だ。きちがい兄貴の理由というのは、「自分はさんざんきちがい親父にやられてきた。だから、やってもいい」というものだ。きちがい親父が、きちがい的な意地できちがい的なことをやってきたんだから、自分だってやっていい。もし、自分がやることがまずいなら、……自分の意地を通すことができないなら……きちがい親父も(あの時)自分の意地を通さずに折れるべきだった。(普通の行動するべきだった。我慢するべきだった。……しかし、きちがい親父が折れることはなく、我慢することはなく、きちがい意地を通した。(どうしてくれるんだ)。だから、じぶんばやっていい。……こういう気持ちが成り立っていたんだろうと思う。だから、「おやじのうち」……「おやじがつくったうち」なら、なにがなんだろうが、自分が好きな様にやっていい、のである。それで、当たり前、なのである。……というような気持ちが、たぶんだけど成り立っていたのではないかと思う。これ、「頭を押さえつける」というような表現を使うと、もうちょっとわかりやすくなるか。きちがい親父が、自分の頭を押さえつけて、きちがい的な意地を通したので、今度は、おれ(きちがい兄貴)の番だ!ということだ。あいつ(きちがい親父)が、なんだろうがの意地で、きちがい的な意地を通したので、今度は、自分がきちがい的な意地を通す番だということだ。

普通の家の人って、「きちがいのふんばり」を知らない。「きちがいの意地」を知らない。だから、「そんなのはない」とか思ってしまう。「そんな人いるのかな?」と思ってしまう。俺が、きちがい兄貴のヘビメタ騒音に関して話している時も、「そんな人いるのか?」と聞いてくる人がいる。その人は、幸せな家で過ごしたのだろう。「きちがいのふんばり」を知らない。きちがいのふんばりなんて、本当に「問答無用」「認知無用」なんだからな。そういう意地でやったことを、「やってない」「そんなんじゃない」といって平気なんだからな。平気というよりも、「やったといわれて、自分が傷ついた」「どれだけ傷ついたかぁ」という気持ちしかない。やったことなのに……。で、じゃ、「やったといわれて、どれだけ傷ついたかぁ」ということで、もめたあと、やめてくれるのかというとそうじゃないんだよな。そういうところで、「くるってる」。けど、本当に、そういうことは、普通の家で過ごした人にはわからない。きちがいの意地がわかってない。




2014年11月20日木曜日

早く立ち直ってくださいね

本当に、全部がめちゃくちゃだったな。きちがい兄貴は、「軽い」気持ちでやったのかもしれない。まるで、意識してなかったのかもしれない。……これは、言われなかったから、意識できなかったということではなくて、どれだけ言われても、意識できなかったということで、普通の意識できなかったとは、ちょっと意味が違う。いいや、ぜんぜん意味が違う。

ともかく、鳴ってたんだよ。警察を呼ぶべきレベルで鳴ってた。ここに嘘偽りはない。きちがい兄貴が、そうであることを、認め難くなったので、なんというのかな、自分だってゆずってやったとかそういうことをいっているだけ。本当は、一分だって、自分が折れて、ちゃんとゆずってやることはなかった。ちゃんと静かにする。普通のレベルでちゃんと静かにしてやるということは、絶対にやりたくないことだったから、絶対にやってやらなかった。それが、ここに住んでいたあいだの、一五年間毎日の、真実だ。真実のきちがい兄貴の姿だ。だから、やっているそばから、「これはたいしたことじゃない」「がたがたいってくるほうが、悪い」という気持ちがあって、そういう気持ちのまま、頑固に無視して、自分がやりたい音で……やりたい音のデカさで、ヘビメタを鳴らし続けた。いま住んでいるところでは、一時間はおろか、一〇分だって、鳴らすことができないような音のでかさで、きちがいヘビメタを鳴らし続けた。

で、そういう一五年間の出来事は、言われると、都合がわるいことだ。だから、「ゆずってやった」と「嘘」を言っているだけ。けど、ここで肝心なのは、ひょっとしたら、嘘をついているつもりがまったくないのかもしれないということだ。で、その「つもり」で、頑固に鳴らして、頑固に、鳴らしてないことにした。本当は、入試前日だろうが、一二時間鳴らせるのであれば一二時間、自分が思ったとおりに鳴らしたという気持ちがあって、それを制限されるのが、嫌で嫌でしかたがなかった。だから、一分もゆずらなかった。これが本当の話だ。

隣の家の人がどう思っていたのかは知らない。けど、俺の部屋は、普通に騒音の渦だ。あんな音で鳴らしていいわけがない。何度も言うけど、たとえば、アパートで、隣の部屋の人が、きちがい兄貴のヘビメタ騒音と同じレベルの音量で、なんかの音楽を鳴らしていたら、絶対に気なる。うるさいと思うはずだ。テレビぐらいの音量だからいいや……というような音量ではない。こういうところを、きちがい兄貴は、言い換えている。自分が、やりたい音でやるということに、命がかかっているわけで、それは、鐚一文、譲れないことなのである。だから、ゆずらずに鳴らしきった。けど、それだとまずいことをしていることになる。それで、「こんな音はたいした音ではない」ということに、してしまった。脳内変換で言い換えてしまった。そうしたら、どれだけなにを言っても、認めない。認めないということも認めない。そういう状態で、「無視して」鳴らした。もちろん、「鳴らした」つもりなんてないのである。無視して鳴らしたつもりなんてない。一秒もない。けど、「無視して鳴らす」ということを、全部の時間貫いた。毎日全部の可能な時間、貫いた。で、「やってない」ことになっている。そういうしくみだ。

一切合切、口を利かないというやり方で、自分がやっていこるとは、認めなかった。だから、きちがい兄貴が、自分の騒音について、どう考えているのかも、俺には、正直いってわからない。あれだけやっていれば……あれだけ鳴らしていれば、「つもりはあったんだろうな」と思うしかない。で、俺は、鳴らされている最中……たとえば、中学一年生の時とか、「つもりがある」と思っていた。「つもりがない」なんて、そんなの、認知症でなければ、ありえない。そういうレベルの言い換えだ。けど、嫁さんの話を総合して考えると、きちがい兄貴は、「つもりがなかった」のかもしれないと思える時もある。けど、やっぱり、ものすごくでかい音で鳴らして、本人は、テレビぐらいの音だと思っていたというところなのだろう。けど、こっちは、その音のせいで、ずっとつらかったよ。本当につらかった。こんなの、言葉で言い合わすことはできない。そりゃ、話としては、「つらかったんだな」というのが伝わるかもしれないけど、それは、あくまでも言葉としてだ。本当の部分は伝わらない。おまえ、きちがい兄貴、俺が、部活から帰ってきて、どれだけ苦しい気持ちで、暮らしていたと思っているんだ。俺は、さんざん言ったぞ。一日に、何回も何回も注意した。「気がつかない」とか「つもりがない」なんて、ちゃんちゃらおかしい。もし、本当にそういうことなら、本当に頭がおかしいとしか言い様がない。

きちがい兄貴も、わからないのだけど、他の人にもわからないんだよな。あまりにも常識はずれだから。あまりにも常識はずれの、音。あまりにも常識はずれの態度。あまりにも常識はずれの長さ。長すぎる。そんなのはない。問題が解決しないまま、何年経ったと思っているんだよ。

「早く立ち直ってくださいね」なんて、言われて立ち直れるようなものじゃないのである。それなら、三日以内に、鳴り止むべきだ。一日に、一時間もならないようにするべきだ。そういうことが、成り立たなければならない。もし、「早く立ち直ってくださいね」なんて言い草が成り立つなら、俺の悩みは、三日以内に解決されなければならない。そういうことが成り立たなかったのだから、「早く立ち直ってくださいね」なんて言い草も成り立たない。わかるか? 絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、どれだけ頼んでも、一日も、一時間も、静かにしてれなかった。毎日、きちがい兄貴が一時間、ヘビメタを鳴らさずに我慢する……そんなことは、ありえるわけがない。どれだけの意地で鳴らしたか。どれだけ、長い間、首を縦に振らなかったか。おまえが鳴らしているあいだ、本当にずっと苦しかった。ずっと、立ち直りたかったよ。鳴ってなきゃ、立ち直れた。そりゃそうだろ。鳴らしたままの生活を一五年間もやって、それで、「早く立ち直ってくださいね」か? ふざけるな!死ね!! 俺も、きちがい兄貴をころした後に、「早く立ち直ってくださいね」なんて言ってみたい。

いいや。殺しちゃダメか。ともかく、じゃ、動けないようにして、植物状態の人間にして、それで、「早く立ち直ってくださいね」なんて言ってやりたい。きちがいヘビメタ騒音は、やめようと思えば、いくらでもやめることができたことだ。一日や二日のことではなくて、なおさら、一年や二年の弧度はなくて、一一年、一二年、一三年、一四年間のことだぞ。おまえ、その間、良くも無視して鳴らしたな。で、なんというか、本当に、この問題に関係ない人にとっては、俺の騒音の問題というのは、関係がないことなのである。だから、「早く立ち直ってくださいね」なんて軽く、言える。おまえ、どれだけの長さ鳴らされていると思っているんだ!!!!って怒り狂いたくなる。もちろん、この問題に関係がない人が、俺をなぐさめるつもりで、「早く立ち直ってくださいね」と言ったなら、俺が、怒り狂う理由はない。けど、一五年間の経験から言って、俺は、怒り狂う。怒りがこみ上げてくる。怒鳴りたくなる。ゆるせない!!!!!!!!!!!

けど、たとえば、「早く立ち直ってくださいね」と言った人に対して、……兄貴ではなくて、全く関係ない人に対して、俺が怒鳴り散らすと……それは俺が悪いことになる。もちろん、感情的には、怒鳴ったってあたりまえのことだと思うけど、やられたほう」としてはそうではないだろう。感じが悪い」と思うだろう。どうして、自分が怒鳴られなければならないんだ?と不愉快に思うだろう。そして、怒鳴った俺を、異常なやつだと思うだろう。けど、俺は怒る。当たり前だ。どれだけ長い時間やられてきたと思っているんだ。その時間の、全部の感情が、一気に沸き上がってくる。ゆるせん。そんな、くだらないことを言う奴はゆるせん。そりゃ、三日でやめさせることができるなら、それでいいけどね。三日でやめさせて、それで、「早く立ち直ってくださいね」というなら、ゆるせる。止めてくれたのだから、当然、感謝する。一五年、やられた人間に対して言うことじゃない。敬意がない。ゆるせない。俺がどれだけ、「そういうこと」と戦ってきたと思っているんだと言いたくなる。本当、親友だろうが、母親だろうがなんだろうがゆるさない。



2014年11月18日火曜日

昨日書いていて、「感極まって」書けなくなった

終わらない。どうしても、終わらない。この時間になると、「この時間も鳴ってた」というような感じがする。いま、夜の一一時。あと、一〇分鳴るんだよな。その一〇分が苦しい。あと一〇分でおしまいだという希望と、いままでのあいだ、やろうと思っても勉強ができなかったという押しつぶされるような気持ちでいっぱいだった。「希望」と書いたけど、なんというのかな、「希望」自体が「破綻した希望」だ。もう、やる気がないというか、もう、疲れ果てている希望だ。なんというか、ズタボロ。ここに来るまでに、もう、ズタボロ。本当に、きちがい兄貴、何万時間鳴らしたと思っているんだよ。三万時間じゃきかねえよ。本当に、きちがいやろう。一分だっていいわけがない。その、一分だっていいわけがないヘビメタ騒音が、数万時間鳴っている。計算出来ない。ともかく、三万時間以上は鳴っている。

昨日書いていて、「感極まって」書けなくなった。いつもそうだ。だから、本当は、僕の文章というのは、尻切れトンボだ。終わりまで行ってない。終わりまで行く前に、滅びてしまう。手が動かなくなってしまうから。こころに思う文章……心のなかに沸き上がってくる言葉のほうが速くて、なおかつ感極まった状態になって、書けない。途中で書くのをやめてしまう。

今の時間……夜の一一時一一分……ふらふら、絶望の中で、不安になっているという状態だった。……鳴り終わったあとも、なんていうのかな……やっぱり、ふらふらだった。もう、本当に、あらしが過ぎ去ったあとのような感じで、崩壊している。焼け野原。ボロボロ。身も心もボロボロ。そんな感じだ。けど、鳴ってないからわずかばかりの安心感がある。けど、それは、いつわりの安心感で、中身はボロボロ。で、きちがい兄貴がそんなつもりがなかったとすると、やめてくれたはずなんだよ。いま住んでいる家と同じように、一日に一分も鳴らさないで、静かにしたはずなんだよ。けど、きちがい兄貴は、俺が入試の時だって、絶対に一分も、スイッチを切って静かにしてくれなかった。ちゃんと静かにしてくれたことがない。きちがい兄貴の、どかすか鳴らしたい気持ちが、傷つかない程度に静かにしてやるということだから、どでかい音で鳴りっぱなしだ。だから、静かにしてない。で、こういうことが、何万回言われたってわからない状態なんだよな。「わからない状態」であれば、どれだけやったって、やったことにならないのである。だから、本人は気楽だ。一分もゆずらずに、我慢せずに、鳴らし切ることができたので!本人は気楽だ。鳴らし切ることができれば、やってないのと同じなのである。こういう感覚は、他の人にはわからないだろうけど、うちでは、これが当たり前だった。きちがい親父が、やり始めたことだ。で、きちがい兄貴は、いつも、頭を押さえつけられていた。俺もそうだ。で、頭を押さえつけられている時、かならず、自分が好きな様にやってやる……と思っていたはずなのである。絶対に、自分が好きな様にやる。……そう思っていたはずだ。だから、きちがい兄貴が騒音でやったことは、親父が変なことでやったことなんだよ。すべてのことでやったことなんだよ。で、もちろん、親父は「やったつもり」なんてない。だから、そういうのも、そのまま、受け継いでいる。

あれ、本当に、きちがい親父に対する復讐心で、きちがいヘビメタを意地になって鳴らしていたところがある。だから、やり方が、おやじのやり方そっくり。あれ、本当に、きちがい親父がやり始めたことなんだよな。血相を変えて、頑固にやり切って、本人は、まったくやってないと思っているというようなことは、きちがい親父がやり始めたこと。「つもりがない」のであれば、「やめてくれ」といえば、「やめてくれそうなもの」なんだけど、そうは問屋がおろさない。きちがい親父が降ろさない。きちがい的な意地でやりきる。けど、本人は、つもりがない。……こういうきちがい空間の酷さが、わかる奴なんて、そんなにはいない。もしわかる人がいたとしたら、そのひとも、相当に不幸な人だ。たぶん、最低でも神経症になっている。で、そういう家では、ローシナジーが発生するから、色々なことでハンディが生じやすい。ローシナジーというのは、簡単にいえば、たとえば、父親が長男をぶっ飛ばすと、長男が次男をぶっ飛ばすというようなしくみのことだ。

本当に、悪気だけはない状態なんだよな。で、なにを言われても、絶対にやりきる。こっちがどれだけ困っていても、絶対に一分もゆずらずに、やりきる。

いま、起きてきたんだけど、むなしい。さみしくて、さみしくて、たまらない。こんな夜をあと何回繰り返せばいいんだ? 本当、人生ない。俺がどれだけ、さみしいおもいをしてきたと思っているんだ。俺がどれだけ、言い切れない気持ちを抱えて生きてきたと思っているんだ。先行き暗いだろ。さみしいんだよ。本当に普通に働いて、普通に結婚したかった。けっこういい女子と、結婚できたと思う。そういうチャンスは何回かあった。あー、むなしい。俺がやせ我慢の連続。薄ら寒い気持ちで、体じゅうがかゆくなる。




2014年11月17日月曜日

俺だけの問題になってから久しい

俺だけの問題になってから久しい。これ、本当、俺だけの問題になってしまっている。こんな苦しいことはない。本当に、いまも苦しい。全部、人生がなかった。寝る前、も、苦しいし、起きてから、も、苦しい。

2014年11月16日日曜日

本人とって都合が悪いことになると、「言われてない」と言い出す

やっぱり、なにかやっていると、気持ちが落ち着かないところがある。情報の交通整理ができない状態になってしまう。情報の交通整理というよりも、じつは、やはり、気持ちの交通整理なのではないかと思う。気持ちが、あっちこっちに、動く。

もともと、僕はこういう状態じゃなかったんだけど、こういう状態になってしまったな。「有益」「無益」という価値基準が、いちいち、こころをゆるがす。いろいろ思いついたことは、書き残しておきたいんだけどな。すべてが箴言になってしまう。もともと、アフォリズムは好きだった。アフォリズムバンザイ!! ははっ、懐かしい。

なっつかしいなぁ。

犬、うっせ。犬が吠えまくっている。しばらくはとまらないだろう。

あーーあ、けど、どうしたものかな。この先、どうする? 「この先どうする?」という気持ちで、真っ暗闇だった。そして、きちがいヘビメタが鳴っていた。どれだけ、注意しても、絶対にやめてくれなかった。あれ、一分でも、耐えられないから。で、そういうハンディが、「俺」だけなんだよね。だれだって、「騒音はある」なんてものじゃないから、そういうのとは、同じではない。程度問題がある。俺はほんの少しの、短い騒音で、がたがた言っているわけじゃない。もっとも、きちがいヘビメタを一五年間毎日やられて、騒音に対する「耐性」がなくなった、弱くなったというのは、いえる。

あれだけ、(こっちの)感情を無視して、鳴らすやつがいれば、そういう事にもなるだろう。本当に、宇宙人のごとく、ことばが伝わらない。俺は、さんざん言ったぞ……きちがい兄貴! 俺がさんざんいった……きちがい兄貴がさんざん言われたということが、本人とって都合が悪いことになると、「言われてない」とか「そんなに言われてない」とか言い出すんだよな。そういうのも、きちがい親父と同じだ。どれだけ、がんこに鳴らしたと思っているんだよ!!!!

さんざんいった。毎日毎日、さんざんいった。テスト前に、もめてもめてもめてもめてもめた。がんこに無視して鳴らしてただけだろ。本当に、きちがいやろう。自分が本当にゆずらなきゃならないことは、どれだけ明確なことでも、一切……一切合切、認めない。頑固に全部やり切る。一分もゆずらずにやり切る。それで、「しらなかった」「こんなになるとは思わなかった」……だ。誰がどう考えても、あんなふうに毎日やられた、こうなるよ。だから、俺は、さんざん言ってたんだろ。さんざん、言ってたからな。しつこくしつこく、毎日毎日、さんざん、言ってたからな!!!何年間も、毎日、さんざん、言ってたからな。

言い切れない評価の低さがある。俺、本当、きちがいヘビメタがなければ、できてたから。できたから。けど、どれだけ、「ヘビメタがなければできた」と言っても、関係がない人には、「なにそれ?」ってことになる。で、そういう現実をつきつけられていたから、毎日、自分の人生のことを考えて、自分の生活のことを考えて、真剣に、怒鳴りこんでいた!!! 何回も、何回も怒鳴りこんでいた。きちがいが、……きちがい兄貴が、勝手に決めて、一切合切ゆずらずに、鳴らしてただけだろ。こっちに落ち度はない。きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で無視して、絶対の意地で鳴らしてた。殺さないとやめさせることができない。常にそういうことを、つきつけられてきたよ。俺の人生は、そういう人生だ。殺さなければ、きちがいの意地が通る。きちがいは、きちがいだから、「やりきれば」やったことになってない。それが毎日続いて、「そんなのしらなかった」なんてことになる。毎日、どかすか鳴らされていたから、毎日、何回も、怒鳴りこんだよ。「やめてくれ」「静かにしてくれ」と怒鳴り込んだ。本当、きちがい兄貴が、きちがい的な無視をして、ゆずらなかっただけじゃないか。

他の人にとっては、「そんなの、どれだけ気にしたって、どうにもならないから、気にしないほうがいいんじゃない」というようなこと!なんだろうけど、それは、その人が、僕じゃないからだ。ヘビメタ騒音を、ずっとやられていないからだ。あの音の、持続……そういうことを毎日経験してないからだ。ひとごとだったら、なんとだって言える。俺だって、他の人のことであれば、なんとだって言える。本当に、引きちぎられる。鳴っているあいだじゅうずっと、引きちぎられる。持続する。鳴っているあいだ、ずっと持続する。

たとえば、「そんなの、どれだけ気にしたって、どうにもならないから、気にしないほうがいいんじゃない」という気持ちと、「鳴ってて苦しい」という気持ちのあいだで引き裂かれる。





2014年11月10日月曜日

この現実はなんだ?

俺はもう、さんざんかぶってきた。もう、かぶりたくない。どれだけ……。きちがい兄貴のせいで、俺がどれだけ、無実の罪をかぶってきたかわからない。


この現実はなんだ?







2014年11月9日日曜日

……「それじゃ、だめじゃん」。 ……「まあ、そういうことだ」。

このまま、ここで、ふけて死んでいくわけか。昨日、「俺は、日時を決められると、そこには行けなくなる」という文章を書いたんだけど、今日は、気分が変わっている。昨日は、「もう、シャバには出て行かなくてもいいかな」と思ったんだけど、今日は、「それもさみしいかな」と思っている。

身体的にふけていくと嫌だよな。記憶が一九歳の頃で止まっているので、精神的には「一九歳固定」なのだが、身体的には「一九歳固定」というわけにはいかない。

最近、昼型で、昼に起きている。動画サイトなどを視て、すごしている。このまま、さみしいまま、年を取るのか。けど、社交の場に出て行くのは、面倒くさい。日時を決められると、動けないので、そういうのは無理だ。まあ、出て行くとしたら、金を稼げる可能性がある社交の場じゃないと無理だ。金が減るだけになるとまずい。けど、やっぱり、体力的に責任が持てないというところがある。

……「それじゃ、だめじゃん」。

……「まあ、そういうことだ」。





2014年11月8日土曜日

きちがい的な意地でやり切ったことは、やってないことなのかよ?

きちがい的な意地でやり切ったことは、やってないことなのかよ?

この、朝の雰囲気。これだよ……僕が、何千日も感じてきたものは。本当に、ヘビメタ騒音で苦しかった。毎日毎日、毎朝毎朝、とてつもなく苦しかった。起きた時に感じる破綻がある。きちがい兄貴は、その破綻の一万分の一もわからないだろう。きちがい兄貴が……きちがい兄貴の騒音が、この、死にたい気持ちを作っている……この朝の雰囲気を作っているということには、まったく気がつかないのだろう。気がつかないまま、ずっとずっとずっとずっと、何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も、毎日毎日、ヘビメタを鳴らしてきたのだろう。

ゆるせるかっていうの? ゆるせるわけないだろ。

どれだけしつこく鳴らしたと思っているんだよ。そういうのが、まったくない。鳴らしている、そばから、まったくなにも感じない。迷惑をかけている、と思わない。騒音を出していると、思わない。やれて当然のことを、やっているとしか思わない。どれだけい文句を言われても、迷惑をけていると、本当に思うことがない。どれだけ言われても、なにもわからない。わからずにやりきる。けど、本人は、やったつもりがない。……そういう、きちがい構造を維持したまま、なにも気しないで、ガンガン毎日、七時間から十四時間、やれるすべての時間を使ってやりきる。

あとは、入試だろうが、中間期末試験だろうが一切合切関係ない。自分が、ゆずらずに、すべての時間やりきることしか、感心がない。自分のことを言われているのに、自分のことを言われた気持ちがしない。どれだけ、文句を言われても、自分がやっていることについて文句を言われている気がしない。そういう態度で、やりきる。で、当然、なにも感じてない。

いま住んでいるところで、鳴らせば、わかるだろうけど、おまえ、きちがい兄貴、それ、たった一日だけでも、すごいことだから。もめてもめてもめてもめまくることだから。きちがい兄貴がうるさくしている時、きちがい親父は、これまた、一切合切関わらなかった。これも変な話なんだけど、うちでは、当たり前の話だ。なるべくしてそうなったということだ。しかし、これもまた、変な話なんだけど、きちがい親父自体は、そういうことに、まったく無頓着なのだ。この、無頓着さは、普通の人には理解できないと思う。ごく自然に無視して、一切合切関わらない。で、きちがい親父にも、きちがい兄貴のヘビメタ騒音の問題というのが、一切合切、通じない。きちがい兄貴と同じように、問題であるということが一切合切通じない。母親は、知っていたけど、……理解していたけど、……母親は、俺と同じように、力がなかった。ともかく、怒って、きちがい兄貴をやめさせるということができない。実際にやめなかった。けど、母親に言われたほうが、きくんだよな。けど、けっきょく、自分のやりたい気持ちが、少しでも、ほんの少しでも、傷つくのが嫌だから、……静かにしてやらない……わけなんだけどな。けど、これが、静かにしてやらなかったということにはなってないんだよな。五分間、〇・一一デシベルでも静かにしてやったら、それは、ものすごく静かにしてやったことになる。自分が我慢できる範囲で我慢しているのだから、けっきょく、ゆずらない。本人は、ものすごくでかい音で鳴らしたいわけだよ。だから、でかい音で鳴らす。でかい音で鳴らすということを維持した中で、「出来る限りゆずってやる」ということだから、実際には、ゆずらない。きちがい兄貴が、ゆずった音で、いま住んでいるところで、鳴らしたら、そりゃ、一〇分でも、「うるさい。やめて」と言われるだろう。そういう音のでかさだ。

ヘビメタはおもいっきり鳴らしたいと思っている。で、おもいっきり鳴らすということを維持したまま、その中で、できるかぎりゆずったということだから、ゆずってない。しかも、きちがい兄貴は、これまた、記憶補正をするのだろうけど、きちがい兄貴が、静かにしてくれたことなんてない。ないというか、いま言っている、ドケチぶりを発揮した、静かにした」ということだけど、これだって、三年間で一〇日間ぐらいだ。五分間ゆずってやっつもりになるという、ことだって、三年間で一〇日ぐらいだ。一分だって、静かにしないままずっと鳴らしてた。これが、普通の日の普通の出来事だ。普通の態度だ。だから、本当に、中学一年生の時なんて、どれだけなにを言っても、「ニセの五分間」ですら、静かにしなかった。三六五日中、三六五日、夏休みだろうが冬休みだろうが、春休みだろうが、中間期末試験前だろうが、中間期末試験中だろうが、体育祭だろうが、マラソン大会だろうが、プールの日だろうが、遠足だろうが、絶対に、一分も静かにしてくれなかった。「ニセの静かにする」というのですら、ない。

きちがい兄貴が、最大限、ゆずってゆずってゆずって、静かにするというのが、実際にはまったく静かにしないで鳴らし切ることだというのが、……いうのが、おかしい。おかしいというか、腹が立つ所だ。腹が立つんだよな。そりゃそうだろ。静かにしてないのに、静かにしてやったと思い込むわけだからな。静かにしてやったと思っているあいだ、きちがい的なでかい音でなっているわけだからな。こっちは、試験で大変な思いをしているのに、そうやって、足を引っ張って、なにもしてないつもりでいる。そういう、人間関係だったね。で、一五年間毎日、そういう状態がかわらない。きちがい兄貴が静かにしたのは、普通に静かにしたのは、きちがい兄貴が結婚して、うちを出てからだ。「うち」にいる間は、自分が五分だろうが、一分だろうが、静かにしてやるというのは、絶対に、嫌だったのである。で、絶対に嫌だったから、適当に理由をつけて、静かにしてやらなかったというのが、本当の話なのである。で、頑固に一五年間毎日、そういう態度で暮らしてきたのに、本人は、それが都合の悪いことになったら、「そうじゃないそうじゃない」と思ってしまうのである。これも、きちがい親父そっくり。頭がおかしい。本当に、俺がいっている通りではないと、きちがい兄貴が、いまも思っているなら、それは本当に、頭がおかしい。そういう態度だ。そういう矛盾が常にある。

「うち」にいる間は、自分が五分だろうが、一分だろうが、なんだろうが、静かにしてやらなかった……静かにしてやるのが、嫌で嫌でたまらないから、毎日、クソうるさい音で……いま住んでいるところでは、五分間ですら鳴らせないような大音響で……ずっと鳴らしていたというのが、この世における、きちがい兄貴の普通の態度だ。
これに、相違がないのである。嫁さんの前で、「できるだけ静かにしてやった」とか言っていたとしたら、本当に頭がおかしい。きちがい中のきちがい。弁護の余地なし。知っているはずなんだよな。

自分が、「うち」にいる間は、自分が五分だろうが、一分だろうが、なんだろうが、静かにしてやらなかった、ということを知っているはずだ。そりゃ、意地をかけて、やったことだからな。強烈な意地で、絶対に譲らないでやり切ったことだからな。知っているはずだ。認知症ではないのだから、知っているはずだ。おまえ、きちがい兄貴、正直に言えば、ゆずってやりたくなかったから、全部なしら切ったということは、理解しているんだろな。……これ、本当にバカらしいところがある。

こんなので、毎日非常識な音に、耐えなきゃいけなかったなんて。あんなの本当におかしい。普通の家だったら、絶対に有り得ないこと。きちがい的な意地でやり切ったことは、やってないことなのかよ? ほんとうに頭がおかしい。で、そういう「頭のおかしさ」を維持して、やりたいようにやったんだよな。これがほんとうのところだと思う。




2014年11月7日金曜日

なにもできてないという意味で、悔いが残りそうだな。

むなしい。外にでる前に、自分の姿を鏡に映したら……「俺もふけたな」って思った。ついにきたか。ついに。まあまあ、若い感じで通ってたんだけどな。あー、こりゃ、だめだわ。俺が若かった時、「しぶかった」人は、もう、半分ぐらいは死んでるかもしれない。

けど、俺も、なんというか、このまま消えてしまったら……なにもできてないという意味で、悔いが残りそうだな。本当、俺の三〇年ってなんだったんだろうね。

ヘビメタ騒音と、ヘビメタ騒音に対する怒り、だけだったよ。いいや、もちろん、ヘビメタ騒音の不安もある。ヘビメタが鳴ってることで、いろいろな不安があった。狂いそうな不安があった。狂いそうな不安があった俺が、まるで、人生を考えてないように言われるわけだが、本当は、そうじゃない。違う。きちがいヘビメタ騒音で、サボっているよう見えてだけ。ヘビメタ騒音で、人生のことを真剣に考えてないように見えただけ。俺は、本当に、いろいろなところで、いろいろな人に、誤解されている。ヘビメタ騒音という特殊な条件のせいで、いろいろなところで、下に見られてきた。いろいろなところで、誤解されてきた。

あれは、本当にない。けど、やり切ったきちがい兄貴は、たいしてつもりがないことなんだよな。それも、頭にくる。人生的に頭にくる。ヘビメタ騒音が、俺の人生のすべてになってしまったよ。




2014年11月6日木曜日

採用する方は、「職歴がない」ということにこだわるだろう

他の人にとってはどでもいいことだけど、成長期に何年も何年もやられた俺にとっては、重要な事だ。いまでも一日中考えている。で、ヘビメタ騒音のことは、終わったわけではない。俺のいのちが続く限り続く。そういうハンディだ。俺が、過去のことはどうでもいいとっても、どうでもいいことにはならない。たとえば、職歴がないというのは、これからもし就職するとすると、ものすごいハンディになる。俺が、「そんなの、どうでもいいでしょ」「過去のことは、考えるのはよしましょう」と言っても、採用する方は、「職歴がない」ということにこだわるだろう。そういった意味で、履歴は関係がある。だから、ヘビメタ騒音のことは、関係がある。過去のことじゃなくて、現在の「属性」として関係があることになってしまう。

きちがい兄貴がヘビメタに興味を持たなかった場合の世界というものを、さっき考えていた。どうして、本当に、よりによって、きちがいヘビメタに興味をもったんだろう。しかも、大音響で鳴らさないと気がすまない状態になっているなんて。あんなのはない。実際、いま住んでいるところで、一〇〇%我慢出来ているのだから



(*注 僕は、縦書にすることを考えて、数字は漢数字で表しています。だから、一二時間といった場合、これは、いちにちじかん、じゃなくて、じゅうにじかんを意味してます。四五時間は、よんじゅうごじかんです。)


週に四五時間、どでかい音で、きちがいヘビメタを鳴らされたら、人生狂うよ。しかも、本人は、ならしたつもりがない」と思っているかのような状態なんだから。ぜんぜんゆずってないのに、できるだけゆずってやったと思っているような状態なのだから。で、これも、ぜんぜんこだわってなくて、いまになれば、嫁さんの前で、自分の立場が悪くなるから、そういうことを言ってるだけ。「そう思いもしない」世界なんだよ。これ、本当に、どれだけなにを言われても、気にしない。気にするということがどういうことなのかわからないといった感じで気にしない。じゃ、ゆずるのかということになったら、それは、本当にゆずるのは一分だって、こころが張り裂けてしまうほど嫌だ。だから、実際には一分だって絶対にゆずらない。一分間、ゆずらなければならない、ということを想起しただけで、発狂してしまう。「むっ」と来る。そんなの絶対に、死んでも嫌だ!!!」という気持ちになる。だから、静かにしない。静かにしないで、やりきれれば、そんなのは、言われたことすら忘れてしまう。「静かにしろ」と言われたことすら、忘れてしまう。自分が、一分間ゆずらなければならないということを、想起したという、ことすら忘れてしまう。「できるから」。できれば、そんなのは、問題じゃない。で、問題じゃないということにしてやりきる。



2014年11月5日水曜日

「わかってない」のはどっちか?

なんかさ、俺が、あることをわかってないから、ダメなんだというような考え方があるんだよ。あることというのは、たとえば、このまま、ひきこもっていてもしかたがないということだったり、あるいは、ヘビメタ騒音のことをどれだけせめてもしたがないということだったりする。で、「わかってないから」ダメなんだ。こだわっているからダメなんだというようなもの考え方がある。で、俺の立場からすると、どれだけいっても無駄だろうけど、そんなの一日目から知っている。で、僕は、知っていて、なおかつ、それを乗り越えて暮らしてきたんだって言いたい。乗り越えて暮らしてきた、あとの状態が、これなんだよ。

憂鬱に対する対処とか、人生の失敗に対する対処と言うとが問題になると、こだわっているひとは「わかってないひとだ」と言われる。しかし、本当にそれはそうなのかというと、そうではない。受け止め方の問題だというのもあるかもしれないけど、それもちょっと違う気がする。たとえば、同じヘビメタの音でも、きちがい兄貴にとっては、快感をもたらすもので、俺にとっては、不愉快なものだ。100デシベルでヘビメタが鳴っていたとして、その音のでかさに対する、感じ方が違う。だから、それと同じように、感じ方の問題であって、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のことを「そんなに気にすることはない」というような方便というか、説明のしかたがある。けど、それも違うと思う。きちがい兄貴は、平気だったけど、普通の人は平気じゃない。俺の部屋に、一〇〇人きたら、一〇〇人が、「うるさい音で鳴っている」と感じると思う。あの音で鳴っていて、「これはいいね」と思う人間は、よっぽど、ヘビメタが好きな人間で、自分でも鳴らしている人間だと思う。

物理的な刺激に対して、普通の人の、普通の反応があるから、それを、好き嫌いで、「すべて」相対化することはできないと思う。あとは、条件によって違うと思う。たとえば、ヘビメタ騒音と同じ音量で鳴らすけど、それが実験であって、実際の生活を脅かさないということがはっきりしていれば、違う感情が生じる。たとえば、一〇〇デシベルのヘビメタの音のなかで、実験的に一〇分間、だけ、計算問題を解いてもらうということをした場合、それは、実験であって、自分の生活を脅かすものではないので、頑張って、一〇分間、なるべく計算に集中して、問題を解くと思う。その時の「感情」は、いつ鳴り止むとも知れない、きちがいヘビメタ騒音がずっと鳴っているときに感じる感情とは違うと思う。さらに、たとえば、注意したのに、鳴らしている人間が鳴らしている一〇〇デシベルと、一回、注意したら、その時は、やめてくれた人が鳴らしている一〇〇デシベルでは、感じ方が違うと思う。俺の場合、きちがい兄貴に対する「怒り」が生じていた。そりゃ、何回言ってもやめてくれないからな。端的に言えば、恨みがたまっているにくい奴が鳴らしている音と、特に恨みがない人が鳴らしている音では、音のでかさが同じであったとしても、感じ方が違う。

自分の生活をおかされない状態で、実験室で一〇分間、騒音にさらされる……そういうことであれば、「うるさいな」とは思うけど、その音で「生活自体がめちゃくちゃに鳴っている」わけではないので、それほど気にせず、あるいは、逆に頑張って、計算問題を解けると思う。けど、それは、実際に自分の生活がその騒音によって、おかされている場合とは、ぜんぜん違う感情が支配している空間だ。状態が違えば感じたが違う。それじゃ、たとえば、実際に、きちがいヘビメタが自分の生活を妨害しているのに、これは、実験室の計算と同じなんだと思うことができるかというと、それはできないと思う。どうしてかというと、実際に、生活がおかされているからだ。

ヘビメタ騒音で、次の日の朝起きるのがつらいのである。ヘビメタ騒音で、勉強することができないのである。実験室の場合は、一〇分で終わるということが、約束されている。だから、いい。けど、きちがいヘビメタは一〇分では終わらない。だからだめだ。かりに、きちがい兄貴が、午後四時から、午後四時一〇分までは、絶対に鳴らすけど、それ以外は、絶対に鳴らさないということであれば、その時間、外に出て、ヘビメタ騒音を避けるということで対処可能だったはずだから、ヘビメタ騒音は、僕の生活を脅かすものではなかったと思う。

最初の話なんだけど……最初の話は、あんまり、二番目の話と関係がないのだけど……最初の話は、よくあることだと思う。実際に経験してない人が正論を吐く。頭にくる。実際に、一一歳から二五歳まで、週に四五時間以上、容赦なく鳴っている、きちがい騒音を経験してから、俺にものを言えと言いたくなる。「わかっている」とか「わかってないな」という問題ではないのである。それこそ、きちがいヘビメタが連続している時間について、そういう毎日が続く時間の長さについて、わかってないんじゃないのと言いたくなる。




2014年11月3日月曜日

もう散々やったんだから、やめろ!やめろ!!!やめろ!!!やめろぉぉ!!!!

ヘビメタ騒音対抗で本当に疲れた。俺が朝、「ヘビメタが鳴っている」と書いてから、今の今まで、ずっと鳴っているわけだろ。これはひどいわ。夏休み期間中のことも、思い出したけど、これは、ひどい。普通の日もひどい。日曜祭日もひどい。本当に、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしていい権利なんてないんだけどな。あんなでかい音で、非常識な音で、鳴らしていいという権利なんてない。けど、きちがい兄貴は、あたかも、「うち」でなら、どでかい音で鳴らしていいという権利を持ってるというつもりなのだ。だから、こっち」がなにを言っても、聞かない。一切合切、聞かない。「なんだこんにゃろう」ぐらいにしか思わない。「なんだこんにゃろう。人がせっかく鳴らしているのに、がたがた、言ってきやがって」ぐらいにしか思わない。言われた時そう思って、はねのければ、……つまり、無視して鳴らし続ければ、それで、「なにもしてないつもりになれる」。あとは、それの繰り返しだ。だいたい一時間おきに、一〇回言われても、ぜんぜんこたえないし、だいたい三〇分おきに二〇回言われても、まったくなにも感じない。悪いとは感じない。「うっせえな」とは感じるんだろうけど。きちがい的な音で鳴らしておいて、注意が「うっさい」って、感覚だ。全部、毎日、そうやって、殺されずに、押し切ってきた。で、何年間であろうが、何千日であろうが、そうやって押し切ったら、それは、もう、「やってないこと」に鳴ってしまう。「そんなつもりじゃなかった」ということになってしまう。じゃ、言われた時、注意された時、「聞いて」やめてくれるかというと、そんなことは、絶対にない。頑固にやりきる。そういう毎日の繰り返しで、きちがい兄貴は、きちがい的にうるさい騒音を出してきた。

で、これ、俺が二十歳の時も、同じことが成立していた。一一歳の時も、同じことが成立していた。で、一〇年間、まったくかわらないのである。一切合切かわらない。きちがい兄貴がヘビメタをやり始めた、最初の日から、一〇年間毎日やり切って、一〇年目と一日目まで、まったく態度がかわらない。こっちは、ずっと、毎日、ヘビメタ騒音汚染のままなんだよ。どれだけぬぐってもぬぐっても、きちがいヘビメタの音が「せめてくる」状態がかわらない。本当に、殺さなければ、一分も鳴り止まない。そういう、究極の、切羽詰まった状態だ。本当に、ストレスで、脳内物質がドバっと出ている。怒りをこらえて、なにもできないまま、……プラスのことはなにもできないまま、発狂的に興奮して、怒っている。起こり続けている。プラスのことはなにもできないままというのは、ようするに、本を読むとか、趣味のエレクトロニクス工作をするとか、あるいは、勉強をするということができない。クラスでなんか、やらなきゃならないことがあるとするだろ。それで、俺は責任が生じることを引き受けるのが嫌だった。きちがいヘビメタ騒音の中で、やることができないからだ。それでも、学級新聞みたいなものを押しつけられて、きちがいヘビメタ騒音の中で作っていた。けど、そういう作業が、ちゃんとできない。いつも、後悔が残るものになってしまう。きちがいヘビメタが鳴っているというのは、手足、頭を縛られて、身動きが出ない状態なんだよ。まともなことを、ちゃんと考えようとすると、「考えようとする負荷」がかかる。そして、「考えようとする負荷」にリソースの九九%をとられてしまうという状態になる。その対象に関わる思考に割り当てることができるリソースが一%とかそういう状態になってしまう。きちがい兄貴のヘビメタの中で、なんとかちゃんと作業ををしようとすることは、水の中で、動くのより負荷がかかる。いちいち、身動きができないような抵抗を感じる。同じ所で、思考が足踏みしてしまう。腹がたったまま、計算問題をとくような……ものすごく困った状態になってしまう。整理がつかない。頭がまわらない。ヘビメタ騒音のきちがい音素にやられて、いちいち、思考が邪魔されてるような状態になってしまう。ようなというか、邪魔されている。

ともかく、苦しい。いま、日曜日の午後九時五四分。朝からずっと鳴っている。朝の一〇時三〇分からずっと鳴っている。で、今、午後九時五四分に、「もう散々やったんだから、やめろ!やめろ!!!やめろ!!!やめろぉぉ!!!!」っと、きちがい兄貴の部屋に行って、怒鳴っても、絶対にやめてくれない。一分だって、中断しない。「別にいいだろ」というような「気楽な」態度で、鳴らし切る。一切、伝わらない。で、そういう気持ちで、……殺すわけにはいかないから、自分の部屋に帰るだろ。けど、鳴っているんだよ。鳴ってる。毎日、そういうことの繰り返しだったよ。きちがい兄貴に、言い分なんてない。あるわけ、ないだろ。きちがい兄貴の嫁さんによると、きちがい兄貴は、まだ、言い分があるそうだ。全部、俺が言っていることが本当の話で、きちがい兄貴は、嘘を言っている。はっきり言えば、「そういう態度で」鳴らし続けたんだよ。日曜日も、入試前日も、模擬試験の日も。

これ、二十歳の時に、ぶつけても、同じ態度で、全部の時間、鳴らし切るという状態だったんだぞ。頭がおかしい。ぜんぜんなにも考えてない。伝わってない。だから、そういうことだから、頑固に全部、やり切ったんだろ。本当に、頭がおかしいやつだな。で、頭がおかしいことで得をしている。全部の時間、きちがいヘビメタを好きなように鳴らし切ることができた。頭がおかしいという、その特性を活かして、自分がやりたいようにやりやがった。本当、死のうかな。全部、きちがいヘビメタの怪音波でめちゃくちゃだった。友達の関係も、進学も就職も、全部めちゃくちゃだった。毎日が、めちゃくちゃでいいわけがないだろ。いま、住んでいるところで、きちがい兄貴が「ゆずった音」で鳴らせるのかよ。絶対鳴らせない。きちがい兄貴は、自分が気が済むように鳴らして、静かにしなかった。自分の気が済む範囲で、気分が乗ったら、静かにしてやるということであって、自分の気が済む範囲の音は、めちゃくちゃにでかい。いま住んでいるところでは、五分も、「自分の気が済む範囲でゆずってやった音」で鳴らすことすらできない。自分は、ドカスカほかの人のことは気にないで、どでかい音で鳴らしたい。自分のおもいっきり鳴らしたいという気持ちが、傷つかない範囲で静かにしてやるということだったから、本当には静かにしてない。きちがい兄貴の「静かにする」というのは、まったく無意味な「静かにする」で、その静かにしたつもりの、どでかい音で鳴らされ続けると、困るんだ。で、この「困る」というのが、一切合切、伝わらない。絶対に、自分が鳴らしたいと音で鳴らすという部分については、ゆずらなかった。だから、ゆずってない。頭がおかしくなければわかることなんだけど、頭がおかしいから、一五年間毎日、言ったって、毎日、もめたって、わからない。最初から最後まで、その「モード」で鳴らす。で、「いいだろ」というような態度なのだ。「よくないんだって」。本当に、きちがいだから、ぜんぜんわからない。全部の時間、ゆずらずに、鳴らし切ること、に、本当は、命がかかってた。絶対に、ゆずってやりたくないぶぶなのである。一分だって、本当にゆずらなければならないということになったら、悔しくて、悔しくて、悔しくて、腹が立って腹が立って腹が立って、しかたがないこと。一分だって、そういう不愉快な気持ちになる。腹が立つ。そんなの、一時間とか、やるわけがないだろ。一分だって、絶対に、嫌なことなんだから。で、おまえ、きちがい兄貴、おまえは、本当にそういう自分の気持に気がついた方がいい。これも、絶対に、自分のそういう気持ちには、気が付かないことになっていて、どれだけなにを言われても、気がつかない。で、そういう態度が、殺したいほど、頭をかち割ってやりたいほど、包丁で腹を何千回もさしてやりたいほど、腹立たしいよ。で、きちがい兄貴は、いまも本当は変わってない。俺に対する態度は変わってない。ぜんぜんわかってない状態のままなのである。で、嫁さんや嫁さんの家族に、のらりくらりと、嘘をついている。言い訳して、嘘をついている。きちがい兄貴がなにを言っているのか詳しくは知らないけど、全部、嘘だ。断言できる。で、そういうモードで鳴らしてたんだよ。一五年間。毎日「気にしないから」、それを入試の時期を含めて一五年間やったって、気にしないままだ。どれだけもめたと思っているの??? 俺が、まるまる荘に出なきゃいけなかったのだって、きちがい兄貴が、一分もゆずらずに、全部鳴らしてたからだよ。それに、きちがい兄貴が就職したあとだって、日曜日は、朝の一〇時三〇分ぐらいから、夜の一一時一一分まで鳴らしてたからな。

本当に、殺してやりたい。二浪の時の、殺してやりたい気持ちがそのまま残っている。一四歳の時の、殺してやりたい気持ちがそのまま残っている。で、そういうことだと、ようするに、自分の心が、いかりや復讐心で汚れていることになってしまう。人に言えば、人は、「なんかこわい」とか「なんか嫌だな」と感じるだろう。それは、怒りを「内臓」している人間が目の前にいると、やはり、不安になるんだよ。怒りを内蔵している人間とは、一緒にいたくないという気持ちが生じるんだよ。それは、当然のことだ。じゃ、俺がきちがい兄貴に対する怒りをないことにできるかというと、できない。それは、もう、本当に、小学六年生の時からずっと試みてきたけど、無理だった。やはり、怒りがある。そりゃ、そうだろ。自分の人生、生活を、毎日、全部の時間を使って、破壊し続けるんだからな。しかも、本人は、どれだけやっても、いいと思っている。さらに、本人は、どれだけやっても、やってないのと同じだと思っている。はっきり言えば、どれだけやったって、「つもりがない」のである。で、じゃ、言えば通じるのかというと、それは、鉄壁の防御で通じない。だから、主観としては、全部やりきるのだけど、全部やってないのと同じなのである。悪意もないつもりなのである。ああいう態度で鳴らしていたら、悪意がありそうなもんなんだけど、悪意がないのと同じつもりなのである。もちろん、こっちが、どれだけ言っても、絶対に鳴らし切るのだから、悪意がある。本当は、悪意がある。けど、なんというのかな、「自分は鳴らすだけ」だと思っている。それも、怪しいんだけど、どれだけ鳴らしても鳴らしてないのと同じだからな。けど、ここで言いたいのは、そうじゃなくて、弟の人生を破壊してやろうと思って、きちがい的な騒音を出しているわけではないということだ。けど、実際には、悪意があって鳴らしている。静かにしてくれと散々言われたあとも、くっそうるさい音で鳴らしているのだから、悪意がある。悪意に気がつかないだけだ。





2014年11月2日日曜日

親友の俺に対する態度は、かわらなかった。

やっぱり、朝っぱらから、気分が悪いんだよ。きちがいヘビメタのことで、気分が悪い。この、日曜日の朝の雰囲気は、きちがいヘビメタ騒音の雰囲気だ。これ、俺がどこに行っても変わらない。常にやられた。……家から、最寄りの駅に行って、東京の方に出たとするだろ。で、秋葉原あたりを歩いたとするだろ。新宿でも、渋谷でもいいけど。それで、歩いている時の俺の気分は、どうかというと、やはり、ヘビメタにやられて、重たい気持ちなんだよ。小学生、中学生の頃から、そうだ。絶望的なのである。絶望的な気分で歩いている。

歩いている時、たしかに、きちがいヘビメタは鳴っていない。家に帰れば、どのみち、鳴っているのだけど、東京の道路の上を歩いている時も、ヘビメタ騒音で、ベタベタ、ボロボロ、な気分だ。ものすごく憂鬱な気分なのである。リフレッシュにならない。で、若い時、全部毎日やられた。成長期に、全部毎日やられたということが、でかすぎる。抜けない。この世の、この雰囲気は、僕がどこにいても、ヘビメタ騒音にやられた日々と同じ雰囲気なのである。

いま日曜日の、午前一一時。午前一一時は、かならず、ヘビメタが鳴っていた。どの日曜日も、ヘビメタが鳴っていた。何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も、ずっと、日曜日は、午前一一時に、ヘビメタが鳴っていたのである。だから、日曜日の午前一一時の雰囲気は、きちがいヘビメタの雰囲気なのである。これから、外に出て、帰ってきたとしても、きちがいヘビメタにやられた雰囲気が変わらないのである。さっき、秋葉原に行ったようなことを言ったけど、日曜日は、業者の模擬試験の日であることが多く、友達と模擬試験を受けに行ったことがある。中学の時の記憶だけど。で、それも、ヘビメタ騒音なんだ。模擬試験を東京の会場で受けるとすると、家を早く出なければならない。しかし、土曜日の夜も、当然、きちがいヘビメタが鳴っている。「明日、模擬試験だから静かにしろ」と昼の一時ぐらいから、夜の一一時ぐらいまで、怒鳴っても、絶対に、その間一分も、本当には静かにしない。どでかい音で鳴らし続ける。ゆずったつもりのどでかい音と、ゆずったつもりもないどでかい音で、一〇時間ちょっと鳴らし続ける。そうすると、一〇時間ヘビメタ騒音を浴びてしまっているので、眠れない。不安になる。不安になるともっと眠れない。どれだけ逆上して、怒鳴りこんでも、けっきょく、きちがい兄貴が、(殺されず)に鳴らし切るという状態に対する、怒りがある。怒りが体の中を回り続ける。それだけではなく、純粋にヘビメタの毒にやられて、からだが、むなしくも、怒りに満ちている。交感神経が逆立っている。一〇時間、きちがい音の攻撃を受けているので、脳内神経伝達物質のバランスが崩れている。さみしいような、気持ちと、不安、怒りなどが、渦巻いた状態になる。そういう状態で眠れない。

親友と、模擬試験を受けに行く約束をしてたいので、約束の時間に遅れて迷惑をかける訳にはいかない。けど、眠れない。けっきょく、その日も、親友に迷惑をかけた。俺は、遅れた。で、代々木に行くはずだったんだけど、代々木上原方面に行ってしまった。遅れていなければ、そういう事にはならなかったと思う。親友が、「やっぱりおかしいよ」といって電車を降りた。その後、まあ、急いで会場に行ったわけだけど、途中で、でかい道を横切った。でかい道には、交通整理をしているおまわりさんがいて、中学生が、二人、信号を無視してでかい道を横切ったので、「おまえ、そこ、なんやってんだ」と言っていた。とりあえず、無視して、先に進んだ。あの時から、やっぱり、親友には、迷惑をかけているな。そういうことも、あったんだけど、親友の俺に対する態度は、かわらなかった。事情を知っていたから。その親友とも、ヘビメタ騒音が始まってから一二年目辺りにおかしくなる。きちがい兄貴は、かならず、起きていれば、きちがいヘビメタを鳴らしていたので、一二年目も、一年目と同じぐいに鳴らしている。確かに、社会人になって、夜七時ぐらいに帰ってくるようになったのだけど、週休二日制で、土曜日と日曜日だけで、合計二五時間近く鳴らす状態だったので、やはり、週に四四時間以上鳴らしている状態は、変わらない。本当に、自分の部屋にいて、起きているあいだは、全部きちがいヘビメタを、どでかい音で鳴らしていた。


自分が折れて、一分でも本当に静かにしなければならなくなった……そういうところに、追い込まれたということになれば、もう、顔真っ赤にしてからだを硬直させて、目を三角にして怒る。むっとする。で、そんなのは、耐えられないので、一分も静かにしないで、鳴らす。これが、きちがい兄貴の本当の反応だ。で、一五年間毎日、二四時間、そういう状態だったのである。一分間、本当に静かにするのは、死んでも嫌なのだ。で、死んでも嫌だという自分の気持に気がついてない。どうして、気がつかなかったかというと、「追い込まれなかった」からだ。また、追い込まれた時も、実際には、静かにしないで「やりきったから」だ。やりきることができれば、本人の怒りを自覚することがないわけだ。だから、そのまま、どかすか鳴らした。これが、一五年間のきちがい兄貴の態度で、俺が入試だろうがなんだろうが、どれだけなにを言っても、絶対に、本当には静かにしなかった。実は、一日だけ、例外あるのだけど、それ以外は、本当に、一時間も、「ちゃんと」静かにしてない。鳴らさないで静かにするということがない。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。