2015年1月25日日曜日

●四〇代の男性は、実際にフリーターとして働いていても、「無職性」が問われる。無職の現象学

どこかに一度書いたんだけど、どこに書いたか忘れてしまったので、もう一度、書いておく。それは、「無職かどうか」というようなことよりも、「ちゃんとしているかどうか」ということのほうが、実は重要なのだということだ。

実は、「無職」というのは、人によって、定義が違う言葉だ。アルバイトをしている人は、働いているので、無職ではないのだが、アルバイトをしている人の中には、自分は「無職だ」と思っている人がいる。アルバイターは、働いているので、無職ではない。

続きは、「無職の現象学」で・・・・・・





2015年1月22日木曜日

誰と一緒にいても、どこに行っても、暗い気持ちのままだ。

おもしろくないんだよな。全部、きちがいヘビメタ騒音で、気分が落ちている。で、それは、何十年も毎日続いている。もう、やっぱり、俺、きちがいヘビメタ騒音がなり始めた時に、人生が終わっているな。もう、どうやっても、暗い気持ちだ。……この感じは、言い様がないな。きちがいヘビメタ騒音が、三〇〇〇日、積み重なった時の気分だよ。かりに、いま、元気を出して、外に出たとしても、こころのなかに、木枯らしが吹いている。「もう、あれやだよ」「もう、いやだ」「もう、すべて、いやだ」というキューッとした気分だ。キューっと腹が痛くなるような気分で、言い様がない。

きちがい兄貴は、わからなかったのだろうけど、つらい。で、ああいう音のでかさで、ヘビメタが鳴ってたら困るだろ、というのが、一切合切通じなかった。どれだけ言っても、通じなかった。最初から、通じないようにできている。もし、「わかってしまったら」鳴らすことができくなるようなことは、どれだけ明らかなことでも、一切合切認めない。で、認めないというつもりがない。けど、認めないという状態になっていて、認めない。だから、本当に、きちがいおやじの態度と同じなんだよな。そうやって、自分の言い分を通す。けど、自分の、勝手な言い分を通して、やっているということを、認めない。認めなくてもすむ、(精神)システムなのだ。だから、主観的には、つもりがない」。どれだけ、何万時間やっても、「つもり」が生じない。やめてくれと言われているのに自分の意地を押し通して、相手の言い分を少しも認めずにやり切ったという気持ちが、一切合切しょうがない。それこそ、「知らなかったから鳴らした」と言えるような精神状態なのだ。なら、「いえば」やめてくれとるかというと、それは、ない。血相をかえて、ない。一分だって、絶対に、自分が静かにするというのは、嫌だ。嫌だから、絶対にやってやらない。やってやらないとしても、当然だ。……というような態度なのだ。態度はいつもそうだよ。だから、「知らないまま」やり付けることができる。一日に、何十回も文句を言われても、「知らないまま」鳴らし続ける。絶対に、ゆずって静かにしてやらない。知らないから、静かにしてやれなかったのではなくて、知っているのに、静かにしてやりたくないから、……自分の意地を通して、自分が思ったとおりに、全部の時間、鳴らしたいから、鳴らす。けど、「そんなつもりじゃなかった」ということになる。けど、これは、いまになれば、「そんなつもりじゃなかった」というけど、むかしは……ならしている間一五年間は、言わなかった。一切合切、黙りこくって、頑固にやりきる。絶対に、首を縦に振らない。無視してやりきる。一五年間毎日、口を利かないでやり切る……という形でやり切っている。すこしでも「そんなつもりじゃない」ということを言ってしまったら、自分が静かにしなければな楽なるからだ。そんなのは、天地がひっくり返っても、嫌なのだ。五分だって、自分が本当に、鳴らせない形で我慢するというのは、耐えられない。一分だって、断固してやらないことなのだ。だから、一分だって、本当には我慢しないで、頑固に全部鳴らしていた……どれだけなにを言われても、鳴らしていたというのが、きちがい兄貴の真の姿だ。毎日の姿だ。

本人は、鳴らすだけ鳴らして、それに気がつかないのである。あるいは、気がつかないふりをしているので。こだわっているのは、誰か? きちがい兄貴だ。全部の時間、自分が思った通りのでかい音で、鳴らし切るということに、こだわり尽くしている。一分だって、一秒だって、本当には、絶対に譲りたくない。……で、ゆずらないという意地を毎日、一五年間にわたって、通した。けど、今になれば……一六年目以降になれば……知らんぷりだ。もともと、知らんぷりで鳴らしてたんだけどね。どれだけなにを言われても、知らんぷりで鳴らしていた。自分のヘビメタ騒音のことを言われているのに、自分のヘビメタ騒音のことを言われているという気分にならなかった。どれだけ、自分の騒音のことについて言われていても、自分の騒音について言われているという気分を認めない。それで、知らんぷりでやりきる。ぜんぜん、罪の意識なんてない。迷惑行為をしているつもりなんてない。全部、自分ができたら、それで良いのである。自分が一分でもできなくなったら、さわいでさわいでさわいで、発狂して、頑固にやりきるのである。五分でもとめられたら、発狂して、絶対の意地でやりきる。その時に、僕がきちがい兄貴を殺すことができなかったら……殺してやめせさることができなかったら……全部、その後の時間、やりきるのである。それで、やり切ったつもりが生じない。相手が、困るからやめてくれと言っているのに、それを無視して、自分の意地を通して、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間、一〇時間、一一時間と、ずっと、執着してずっとやりきる。その間、何回、「困るからやめてくれ」「うるさいからやめてくれ」と注意されても、そりゃ、目を三角にして、聞かない。頑固に無視して鳴らし切る。で、一一時間鳴らしきったら、「なにもしたつもりがない」という心理状態が成り立つ。発生する。「つもりがない」「つもりがない」ということになる。

この「つもりがない」「つもりがない」というのは、親父がやり切ったことなんだよ。本当、「うち」では、これが当たり前だった。誰かさんが、「つもりがない」「つもりがない」と言って、頑固にやりきれば、その誰かさんは、やったつもりが生じないということが、うちでは、ノーマルだった。こんなの、まともな家で育った人には、わからないでしょ。絶対に、わからない。だから、逆に、「そんなのはおかしい」から、「あなた」が誤解しているのではないか?というような考えに取り憑かれてしまうのである。で、一回そう思った人に、それは、誤解なんだということを言っても、なかなか信じてくれない。こういうのも、嫌なんだよな。きちがいがやり切っている、ときの、意地なんて、……態度なんて、きちがいを間近で見たことがない人にはわからない。感覚してわからない。

しかも、「そんなのは変だ」「そんなのは変だからありえない」と言って、俺に腹をたてる奴がいるんだよな。その人はその人で、そう思う、心理的な理由があるのだとは思うけど。けど、きちがいが意地を通すと、そういうふうに、いろいろなところに波及する。











2015年1月17日土曜日

記述することが自分の人生にとって大切なことだから記述している

僕がここにこういう文章を書いているのは、こういうことがありましたということを記述するのが、僕の使命だと思っているからだ。ここは、きちがい兄貴に対する公開手紙置き場でもある。

事実この世で、こういうことがありましたということを、記述しておかないと、死ぬに死ねないのである。きちがい兄貴が、「なかったこと」にしてしまうからな。嫁さんの前で、どれだけ、嘘のいいわけをしているか?

いま、入試シーズンだけど、入試シーズンも含めて、きちがい兄貴が静かにしてくれたことなんない。一日だけ、例外があるけど、それ以外は本当に静かにしてない。いま、午後六時だけど、明日、大学入試験当日だとしても、絶対に、静かにしてくれない。午後四時、午後五時、午後六時と、どれだけ、何回、怒鳴りこんでも、絶対に、一分も静かにしてくれなかった。頑固に、目を三角にして、鳴らし続けた。こっちの都合をまったく考えてくれなかった。これが、きちがい兄貴が毎日、一五年間やり切ったことだ。嘘偽りなく、、そういう状態だった。かならず、どでかい音で鳴らしていた。そして、鳴らしていたら、途中でやめてくれるということがなかった。一分だろうが、一時間だろうが、やめてくれなかった。だから、怒鳴り込んだあと、注意したあとも、ずっと、ちんたらとなっている状態が続く。で、「ちんたら」という言葉だと、そんなにでかい音でならしている感じがしないけど、非常識な音で鳴らしていた。人が怒鳴る声よりもでかい音で鳴らしていた。きちがい兄貴の友達が、「こんな音で鳴らして、家の人とか、大丈夫なの?」と不安に思うようなでかい音で鳴らしていた。きちがい兄貴なかでは、「だいじょぶ、だいじょぶ」なのである。俺が、何回怒鳴りこんでも、「だいじょう、だいじょうぶ」という気持ちがわからない。そもそも、どれだけ、「入試だから静かにしてくれ」と言われても、関心がない。ともかく、自分が静かにしするのは嫌だから、絶対に静かにしてやらないまま、鳴らし続けた。それが、毎日の、きちがい兄貴の、普通の態度なのである。普通の態度以外の日というは、一日しかない。

いま、きちがい兄貴が、嫁さんに嘘を言っている。だから、記述しなければならないのである。実際こうだったと記述しなければならない。そうでなければ、きちがい兄貴が、しなかったことになってしまう。それは、おかしい。記述することになんの意味があるかというと、この世で実際にこういうことが起こったということを、記述しておかなければ、あったのかどうかわからないことになってしまうからだ。実際にこういうことが起こったということは、僕の中の妄想ではなくて、事実なのだ。証人も、四人ぐらいいる。お母さんが死んでしまったので、ひとり証言をしてくれる人が減ってしまったけど。客観的な事実なのか、それとも、「この人がそう思っているだけなのか」というのは、決定的に大事なことだ。これがわかってない人がいる。

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けど、きちがいとか、「死にたい」「殺したい」という表現が入っている文章なので、フィクションにしなければならなくなるかもしれない。それはまた、別の話だ。


2015年1月16日金曜日

思い出すというよりも、「感覚」に近い。

と、まあ、いつも、「きちがいヘビメタ騒音でつらかった」「きちがいヘビメタ騒音で俺の人生がない」ということを書いているんだけど、今日はちょっと違ったことを書こう……と思ったけど、やっぱり、それに関係があることしか書けない感じがする。

書きたいことというのは、「つまらない」ということだ。本当に、つまらない気持ちで、暮らしているのである。つまらない気持ちで、ひきこもって暮らしている。この生活は苦しいのだが、ほかの生活は……ない。いまの生活が、苦しいけど俺に出来る最善の暮らしなのだ。希望がないのだが、しかたがない。

朝起きた時、というか、夜起きた時、破滅的な気分になる。起きた時点で破滅的な気分になる。それはもう、毎日毎日、何年間も何年間も続いていることなので、……なんというのかな……これも、「心の持ちよう」で変わるとは思えない。ヘビメタ騒音と、地続きなのだ。ヘビメタ騒音生活の「朝」と同じだ。これは、「朝」で間違いがない。けど、ヘビメタ騒音生活をしていた時の、午後八時も悲惨だった。だから、「朝」だけ苦しいというわけではない。「朝」だけ、不安だというわけではない。

起きて飯を食うまでが、わりと大変だ。どういうふうに大変かというと、「動きたくない」のである。しんどいのである。だから、飯を食うまでに、ある程度の時間ががかる。基本的には、かなり疲れた体で、パソコンのスイッチを入れて、椅子に座り、お湯を飲む。夏は、水だけど、冬はお湯だ。お湯はけっこう簡単に作れる。電気ケトルというものすごい武器があるからだ。これは、本当に、すぐにお湯がわく。しかし、熱いお湯を飲むのは嫌だから、お湯の温度調整をして、飲む。お湯の温度調整は、水を入れることによって行う。というわけで、ちょうどいい温度のお湯を、飲みながら、「今日一日、どうしよう」などということをボーっと考える。

けど、大抵の場合は、……本当のことをいうと……そうではない。かならず、小便に行くという動作が入る。この小便に行くというのが、けっこう大変なのだ。これがまた、大変なのだ。どろどろの体力状態だと、トイレにいくということが、一大事業になってしまう。冬は寒いしね。僕が住んでいる「二階」には、トイレがないので、下のトイレにいくことになるのだけど、けっこう大変なのだ。

小便をしに行くとき、かならず、きちがい兄貴の部屋の前を通るので、激しい不安や、激しい怒りに襲われたする。当時の感覚が蘇ってしまう。完全によみがえる。よみがえるというか、たとえば、ご飯を口に入れたら、ご飯を口に入れたという感覚があるだろ……口の中にご飯があると感じるだろ。そういうレベルで、知覚する。認識する。……思い出す。思い出すというよりも、「感覚」に近い。



2015年1月13日火曜日

小さな音で、ヘビメタを鳴らすわけがないだろ

いろいろなことで朝から迷いまくりなんだよな。どれも、これも小さいことなんだけど、わりと迷っている。で、それ自体は問題はないのだけど、いちいち、きちがいヘビメタ騒音の雰囲気が復活するので、不愉快な感じになる。起きたあと、強烈に不安だったりする。特に冬は、きちがいヘビメタ騒音プラス入試シーズン、プラス、成人式などがあるから、当時の暗い気持ちが、一気によみがえる。だから、日常の、つまらない、些細な、迷い事の他に、きちがいヘビメタ騒音のとてつもなく、破綻的な、暗い気持ちが、平行して存在することになる。

どの記憶も、きちがいヘビメタ騒音で真っ暗なんだよ。で、俺はあの時、真剣に「やめてくれ」「ヘビメタを鳴らさないでくれ」「静かにしてくれ」と散々いったからな。きちがい兄貴は、いまになれば「しらなかった」なんて、嫁さんあたりに言っている。嘘だね。知ってるよ。当然、知っててやったんだよ。けど、きちがい兄貴の、きちがいたる所以なんだけど、本人が無視すれば、知らなかったことになる。で、そういう状態そのもので、鳴らし切る。だから、頑固に鳴らしているあいだ、どれだけ何回、言われても……静かにしろと言われても、気・分・と・し・て・は、「知らない」のとまったく同じなのである。本人が、無視すると事前に決めたことに関しては、どれだけ、なにを、言われても、言われていないのと同じ感情が存在する。感じることができない。普通に、「ああ、うるさいんだ」「やめてほしいんだ」と思って、全面的に鳴らさないで静かにするという感情がまったくない。どこで言い換えるかというと、一%、五分間静かにしてやれば、一日に一四時間鳴らしていても、……他所の家で鳴らしたら五分でがみがみ文句を言われるような、でかい音で鳴らしても……「静かにしてやった」と感じることができるのだ。一三時間五五分、一〇〇%の音で鳴っていて、五分間九九%の音で鳴らせば、それで、「できるだけ静かにしてやった」という気持ちになる。一三時間五五分、一%の音で鳴らすとか、〇%の音にするということは、「絶対にできないこと」なのである。そもそも、そういう発想自体がない。絶対に、いつもの通りの、どでかい音で鳴らすというのは、決まっているのである。その中で、一%ぐらい、本当に短い時間「静かにしてやる」ということになる。それ以外にきちがい兄貴の中には、「静かにする」という考えがない。静かにしてやるのであれば、かならず、でかい音のまま、一%だけ、静かにしてやるということになる。相手が望むとおりに、ちゃんと静かにしてやるということは、絶対にない。絶対にないのだけど、本人は、それに気がつかない。自分の中で、静かにしてやれば……静かにしてやったということになる……ということになってしまっている。自分の中で、静かにしてやるというのは、かならずしも、ちゃんと、スイッチを切って静かにしてやる必要はなくて、自分が、主観的に、ほんのちょっとだけ、静かにしてやれば、それで、「最大限」静かにしてやったということになる。そういう気持ちになる。だから、試験前の冬休みに、一日一四時間鳴らしていても、なにも悪いと思わない。実際には、五分間、一%しか静かにしていないのに、五分間、一%静かにしてやれば、一日中、スイッチを切って静かにしてやったのと同じ気分になる。同じ心理状態になる。だから、やっているそばから、やってないのと同じ状態、同じ気分を、維持できる。で、全部の時間、自分が満足できるどでかい音で鳴らし切る。自分が満足できない、小さな音で鳴らしたことなんて、一分だってない。鳴らすなら、かならず、自分が満足できるどでかい音で鳴らしているわけで、「ゆずってやった」時間も含めて、かならず、自分が満足できるどでかい音で鳴らしている。きちがい兄貴が、自分が満足できない小さな音で、ヘビメタを鳴らすわけがないだろ。そんなの、五分だって一分だって、絶対に嫌だから、絶対にやってやらなかったというのが本当なのに、脳内で言い換えて、静かにしてやったことにしてしまう。最初から最後まで頭がおかしい。




2015年1月11日日曜日

一分、一〇分……六六〇分……七二〇分……と連続してしまう

本当、知らんぷりのまま、ドカスカドカスカ鳴らして、……ドカスカ鳴らして、絶対にどんなことがあってもゆずらない。今、大味噌の午後五時なんだけど、大味噌の午後五時

鳴っているあいだじゅう、鳴っている状態が続く。俺の怒りが、止まらない。俺の苦しみが止まらない。けど、まあ、他の人にとってみれば「それがどうした?」「だからなんだ?」というようなことであり、……ようするに関係がないことであり、僕の悩みは、僕の悩みなのである。僕の苦しみは僕の苦しみなのである。僕の、言い切れない気持ちは、僕の言い切れない気持ちなのである。だから、まあ、悩みや、苦しい状態などというのは、共有できない。なんとっても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で苦しんでいるのは、地球上で、僕だけなのだから。

で、きちがい兄貴のヘビメタ騒音の連続は、きちがい兄貴が考えるように、どうでもいいとじゃない。鳴っているあいだ、本当に苦しくて、発狂状態なのである。何千日も続いているヘビメタ騒音で、疲れ果てているのに、強制的に、きちがいヘビメタ騒音で発狂する……発狂してしまうスイッチが入って、発狂し続けてしまうのである。ヘビメタが一分しか鳴らないのであれば、一分間で、発狂状態が、おさまる。けど、一分、二分、三分、四分……一二〇分、三六〇分、……六〇〇分、六六〇分……七二〇分……と連続してしまう。連続しているあいだ、僕の怒りはおさまらない。僕が、怒り狂っている状態で、数学の勉強が出来ない状態が続く。本当にね……あの騒音の中だと、一桁の掛け算もあやしくなる。短期記憶が必要な物は、全部ダメだ。発狂していて、もどかしさを感じる。書いて計算しても、あってないような感じがしてしまうのである。普通だったら、そこら辺は暗算でやって、短期記憶に入れて、それで、繰り上げの足し算などをやるのだけど、そういうことができなくなる。鳴っていると、そうなる。きちがいヘビメタが鳴っていると、簡単な計算もできなくなる。学校で覚えたことすら、ヘビメタ騒音なかでやると、忘れてしまう。記憶が、あやしくなる。だから、数学や理科のような計算が必要な科目でなくても、ヘビメタ騒音が鳴っていると、勉強できない。本当に、たとえば、社会などの暗記科目で、なにかの用語を覚えたとするだろ。で、覚えたんだけど、ヘビメタ騒音の中で、復習すると、腹立たしい、パニックのような気持ちの中で、なんだか、記憶がおぼつかない状態になってしまうのである。完全に覚えたことでもこういう状態になってしまう。ともかく、ヘビメタがっていると、苦しくて苦しくてしかたがない。苦しくて苦しくてしかたがない。一分でも苦しい。

鳴らすのは鳴らすと決まっていて、それで、鳴らすんだけど、一切合切、関係性を認めないという状態なのだ。鳴らすのは鳴らすと決まっているから鳴らすけど、「だからなんだ」というような気持ちなのである。どれだけ、「鳴らされるとうるさいからやめろ」「鳴らされると勉強が出来ないからやめろ」と言われても、……何万回言われても、自分のやっている音が、俺の言っているとことと関係があるということを、根本の根本から認めない。無視する。そういうやり方で、何千日も、何万時間も、きちがい兄貴にとって大切なヘビメタを鳴らしてきたのである。きちがい兄貴にとっては、「自分が思った通りの音で」「自分が思ったように鳴らす」ということが、ものすごく大切なことなんだよ。そのためだったら、弟が死のうが、入試に落ちようが、そんなことは、一切合切関係がないんだよ。そういう、スタイル。そういう気持ち。そういう構え。だから、どれだけなにを言っても、自分の音が、迷惑をかけている」ということが「わからない」。だから、「つもりがない」のである。今になってみれば、「そんなつもりじゃなかった」とか言っているけど、……これ、言葉がおかしく聞こえるかもしれないけど、「自然に、そんなつもりじゃなく」鳴らし切る。どれだけ、なにを言われても、明確に、きちがい兄貴のヘビメタ騒音……いまならしているヘビメタ騒音で、勉強が出来ないから困るということを言われても、本人のなかでは、まったく結びつかないのである。だから、まるで「悪気がないまま」、試験前だろうがなんだろうが、やり続けることができる。やっている最中に、「鳴らすな」「試験だからやめてくれ」「

あいつのやりかたがきちがい親父そっくりで、きちがい的なしくみを維持すれば、どれだけなにを言われても、「なにもしてないつもり」のまま、ずっと鳴らし切ることができる。鳴らし切るということを第一目標に据えて、それに抵触するようことは、一切合切認めないというやり方なのである。どれだけ明確に言われても、何千回、何万回言われようが、けっきょく、「理解しないまま」やり切るのである。やり切れれば、それで良いのである。……「そんなつもりじゃなかった」「そんなのしらなかたっ」ということになる。やり切れれば、やったつもりがなのである。本当に頭がおかしい。そういうしくみ。そういう仕組が成り立っていて、バカの壁が出来上がっていて、なにを言っても、聞かない。こっちにとって、大切なことを言っているということを、認めない。自分の騒音で相手が困っているということ自体を、認めない。軽い気持ちなのである。どでかい音で鳴らしていても、鳴らしてないのと同じ気持ちなのである。どれだけなにを言われても、鳴らしていないのと同じ気分なのである。だから、今になれば「そんなつもりじゃなかった」なんてことになる。「そんなの知らなかった」なんてことになる。嘘だね。いや、本当か? どれだけ言われても、どれだけ怒鳴り込まれても、「そんなの知らないまま」頑固に全部、鳴らし切ることができるのである。年が明ければすぐに入学試験だというような冬休期間中……ずっと、どれだけもめても、一に日一四時間鳴らす。それで、「やってないつもり」だ。それで、「鳴らしてないのと同じ気分」なのである。気分だけは、そうなんだろう。けど、頑固に全部、俺が絶叫した声より、ずっとでかい音でヘビメタを一日中鳴らし切るけどな。鳴らしている時にどれだけ言っても、聞かないだろ。入試期間中だろうが、絶対に聞かないで、一分も(本当に静かにすることなく)頑固に、全部の時間フルの音で鳴らしきっているのに、本当に、本人は、軽い気持ちで、なにも悪いことをしているつもりが、生じないのである。根本のところで生じない。じゃ、実際に、しこともできたんだろという状態になる。



2015年1月4日日曜日

「二週間後に入学試験だから、やめてくれ!!!!!!!」と怒鳴りこんでも

だから、鳴らし続けるわけだけど、自分は、一切合切関係がない人なのである。どれだけなにを言っても、ここに書いてあることを、すべて、何十回ぶつけても、自分は関係がないと、思ってる。根本のところで、関係がある気持ちがない……関係が有る気がどうしても、しないという状態なのである。あるいは、そういう「人格」なのである。今、きちがいヘビメタが鳴っている時間だ。一月三日の、午後一〇時。きちがいヘビメタが鳴っている。朝からずっと基地外ヘビメタが鳴っていて、その間、何回もなんかも何回も、「二週間後に入学試験だから、やめてくれ!!!!!!!」と怒鳴りこんでも、なんにも感じないで、頑固に、全部の時間……細かく細かく全部の時間、鳴らし続ける。けど、そうやって、入学試験二週間前に、一日一二時間以上、頑固に、鳴らし続けても、「なんも感じない」。関係ない人なのである。どれだけ、時分のヘビメタ騒音……時分がいまならしているヘビメタ騒音のことで文句を言われても、なんにも感じない。ちゃんと、鳴らさないで静かにする……スイッチを切って静かにしてやるという気持ちは、一切合切ない。たとえ、五分間だろうが一分間だろうが、入試前日だろうが、一分間だって、こっちが言うように、「ちゃんと」静かにしてやるつもりは、一切合切ない。どれだけ言われても、一切合切ない。だから、静かにしなかった。けど、きちがい兄貴はきちがいだから、ほんのちょっとでも、静かにしてやれば、それで静かにしたんだということになってしまう。そういうふうに、脳内で置き換えてしまう。きちがい兄貴の「静かにする」というのは、〇・一デシベル下げて、どでかい音で鳴らし続けるということだから、ぜんぜん静かにしならない。きちがい兄貴がどでかい音で鳴らしている時と、きちがい兄貴が「静かにしたつもりの音」のでかさが、変わらないので、こっちにしてみれば、じゃ、実際、何分、静かにしたつもりでたのか、まったくわからない。ほとんど、変わらない音で……音のでかさで鳴らし続けるということが、きちがい兄貴にとって「静かにしてやった」ということなのである。だから、こっちは、静かにされないまま、……ドカっすか、「よその家」なら五分だって鳴らし続けることができないようなでかい音で鳴らす。「うち」だから、頑固に無視して、鳴らし続けた。「それでいい」と思っていた。本当、「おやじが作った家だから」頑固に鳴らしていたのである。そりゃ、うちの庭、隣のうちの庭、ガレージ、道路、幼稚園の敷地などで、うまい具合に横の家が離れていたから、鳴らせたという点もあるのだけど……。一番近い隣の家の部屋の中で、どの程度のでかさで、ヘビメタ騒音が聞こえたのか、わからない。けど、俺の部屋は、むちゃくちゃだったよ。横横、斜め前のうちでは、ほとんど聞こえなかったと思う。けど、それは、俺の部屋で、どでかい音で鳴っていたというのとは関係がないから。外壁一枚で、体部違う感じがする。それは、うちのドアを開けた時の、感じでわかる。本当に、開けた途端に、ヘビメタ騒音が雪崩のように落ちて来る。横のうちの人も、横のうちの庭に出ていれば、「うっさいなぁぁぁぁぁぁ」と思うような音だよ。これも、いま言えば、「巻き込まないでくれ」と言われそうだけどな。まあ、両方とも、家を建て替えているので、鳴っていた当時の家じゃないんだよな。いまはね。幼稚園の敷地がドバーッと広がっているというのが、案外でかいんだよな。本当、当時の隣の家で、どの程度聞こえていたのかわからない。隣の人が一回しか、「うさるい」って言ってこなかったということを考えると、たいしたおじゃないんじゃないかと思うかもしれないけど、そうじゃないんだよ。本当は!どう思っていたのかしらないけど。あれ、引っ越した人は、きちがい兄貴のヘビメタがうるさかったけど、言えないので、引っ越しちゃったんじゃないかとちょっと思う。あれ、すぐ言ってくる人と、ずっと我慢しちゃう人がいるんだよな。「言いにくい」というのはあるよな。


頑固に鳴らし続けたあいだ、本人は「つもりがない」のである。「静かにしてやったつもり」なのである。……もっとも、俺は、お母さんが死んで、嫁さんに会うまで、「静かにしてやったつもり」は言っくらなんでもないんだろうなと思っていた。俺の感想だと、……きちがい兄貴は、「静かにしてやらなかった」ことは、知っているはずなのである。今でもそう思っている。そりゃ、そうだろ。あんな音で、鳴らしてつもりがないはずがない。どれだけ何回、もめたと思っているんだよ。小学六年生の時から、二〇歳の時まで、……実際にはそれ以降もだけど……何回もめたと思っているんだよ。入試のたびに、何回もなんかも頼み込んで、「もめた」よ。あれ、全部、「知らないこと」になっているのかよ? なっているのかもしれないな。けど、なってたとしたら、本当に頭がおかしい。で、頭がおかしいから許されるかというと、許されない。これも、頭がおかしいなら、許してやるべきだ」とかんがえる奴がいるんだよな。そういう奴は、そういう奴も、許さない。ゆるせるわけないだろ。どうして、頭がおかしいやつだと、人の一生を台無しにしてもいいんだよ。おかしいだろ。そんなの。あれ、本当に、部分的に狂っているんだよな。「うちでなら」きちがい的な言い分、きちがい的な意地を通して良いと、心の底で、思っていた。踏んでいた。だから、どれだけ何回言っても、まったく、本当に通じない。通じなれけば、しかたがない、ってことだからな。殺さなきゃ、俺の言い分が成り立たない。きちがい兄貴に鳴らすな、といって、きちがい兄貴が、鳴らし続けた場合、殺して、排除するしかない。それで、そういうことを、けっきょく、できないまま、何年も何年もずっと時間が経ってしまった。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。