2015年2月19日木曜日

つまらない一生。つまらない人生。もう、いい。疲れた。疲れた。疲れた。

もう、本当に疲れた。ほんとーーに疲れた。もう、いい。疲れた。疲れた。疲れた。

疲れたら、寝ればいいだろ~~
今起きて、飯を食べたところだ。普通なら、元気になっている頃だ。けど、もう、起きて、飯を食うだけで、疲れている。死にたいほど疲れている。もう、こんなんばっかりだ。もう、いいよ。ずっと、こうだった。ずっと疲れている。途中で良くなるということがないんだよな。俺、本当、何年間、何十年間、こんな暮らししているんだよ? きちがい兄貴が、きちがいすぎて、俺が、誤解を受ける。他の人からみると、俺が怠けているようにみえる。俺が、きちがいにみえる。俺が、へんなことにこだわっているようにみえる。もう、いいよ。本当に疲れた。どこまでもどこまでも、誤解を受ける。それは、ヘビメタが鳴り始めた、小学六年生の頃から同じだ。ずっーーと、誤解を受けてきた。本当に、第三者の目から見ればそういうふうに見えるよなというような、発言で、傷つく。言いようのない怒りを感じる。どれだけ俺が、「汚水」をかぶってきたと思っているんだよ。こんなもの、汚水だ。どれだけ、不名誉な思いをして生きてきたと思っているんだ。どれだけ、居心地の悪い思いをしてきたと思っているんだ。



つまんないな。人生、ほんとう、つまらない。つまらなすぎる。
つまらない一生。つまらない人生。つまらない時間。つまらない人間。
つまらないね。つまらない。


2015年2月17日火曜日

自分が変わるような努力をしたか?

12)相手が変わるような努力をしたか? ちゃんと言ったか?

相手が変わるような努力をした。ちゃんと言った。何千回も何万回も、ちゃんと言った。

13)自分が変わるような努力をしたか? 

した。さんざん、した。
きちがいヘビメタ騒音を気にしないように、どれだけ努力したと思っているんだ。ヘビメタ騒音対策……ヘビメタ騒音がなっているにもかかわらず、……ヘビメタ騒音があの音のでかさで、あの時間の長さなっているにもかかわらず、その効果をなるべく和らげるべく、いろいろな工夫をした。しかし、至近距離で、あの音のでかさで、一〇分だって、静かにしてくれない状態だと、どれだけ工夫しても、寄る眠れない状態が続いた。鳴っているあいだ勉強が出来ない状態が続いた。毎日続いた。
さらに、ヘビメタを好きになる?べく、ロック系の、まったく受け付けない曲ではない曲を聞いたりした。けど、ヘビメタは、無理だった。からだが拒んでいる。それに、本当に、普通の感覚で言って、あの音のでかさで鳴らすのは、いけないことなので、おれが、頑張って好きになるというのはおかしいと思う。ともかく、どれだけ努力しても、心底、嫌いな音でどうにもならなかった。

だいたい、自分が変われば、相手も変わるというのは、これまた、成り立つときもあるけど成り立たない時もあると思う。自分が変われば、かならず、相手が変わるわけでもないだろ。「かならず」ね。しかし、「自分が変われば、相手も変わる」と言っている人は、どういう根拠があるのかしらないけど、例外なく「自分が変われば、相手も変わる」と言っている。そういうふうに言っている人から見て、「俺」は自分が変わろうと努力してない人なのである。どうしてかというと、相手(兄)が変わらなかったからだ。相手がわからないなら、自分が変わるように努力した人ではないのだ。
なんで、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしている時、居合わせたわけでもないのに、そういうふうに決め付けるのか。きちがい兄貴と俺のやりとりを聞いたわけでもないのに、どうして、そういうふうに決め付けることができるのか。根拠は、たぶん、事実変わらなかったたということなのだろうけど、それは、理論的に間違っている。


14)ヘビメタ騒音なんてものが、そんなに重要なことなのか?

重要な事だ。



2015年2月14日土曜日

その場合は、たしかに、「だれだれのせい」ではない。それは、いえる。

たとえば、統合失調症は脳の機能障害なので、「だれだれのせい」ではなく、なってしまう場合がある。その場合は、たしかに、「だれだれのせい」ではない。それは、いえる。


たとえば、いじめられるだけで、統合失調症になるかというと、ならない。母親の態度に問題があるから、統合失調症になるかというと、母親の態度に問題があったとしても、統合失調症になる場合とならない場合がある。むかし、ダブルバインド説というのがあったんだけど、ダブルバインドされるだけでは、統合失調症にはならない。まあ、問題のある母親の態度と、脳の機能障害は、排他的ではないので、両方の理由が重なる場合もある。

なにかを「きっかけ」にして統合失調症になることがあるということになっているけど、そのきっかけとなる事件が生じる前に、すでに、脳の機能障害が生じていたのではないかと思う。これは、僕が勝手にそう思っているだけ。脳の機能障害が生じていたから、きっかけとなる他人との交流が生じたのではないかと思う。

いずれにせよ、母親の態度だけが問題で、統合失調症になるということはない。もっとも、母親の態度だけの問題で、ほかのまあ、障害が生じる場合はある。たとえば、強迫性障害になる場合はある。摂食障害になる場合がある。

(だから、統合失調症の人が、自分が統合失調症になったのは、母親のせいではない(あるいは、だけのせいではない)とかんがえるのは、正しい。あってる。けど、すべての事柄について、そういうことが成り立つかというと、それは違う。


たとえば、人間は老化する。AさんもBさんも老化する。老化すれば、さまざまな障害を抱えることがある。その障害について、誰のせいにしてもしかたがないという点はある。実際、誰のせいでもないから。Aさんが老化するのは、誰のせいでもない。Aさんのせいですらないだろう。Aさんが、自分が老化するのは自分のせいだと考えても、なにもいいことはないだろう。Aさんが、「自分が老化するのはBさんのせいだ」と考えていたとしたら、Bさんは「そんなんじゃないのに、迷惑だな」
と思うだろう。実際、Aさんが老化するのは、Bさんのせいじゃない。

たとえば、認知症になる人がいる。で、これも、その人のせいじゃないし、ほかの人のせいでもない。Aさんが、認知症になったとして、自分が認知症になったのは、Bさんのせいだと考えても、なにもいいことはないだろう。あるいは、自分が認知症になったのは、自分のせいだと考えても、なにもいいことはない。実際、自分が認知症になったのは、自分のせいとはいえない部分があるからだ。で、たとえば、認知症のAさんが、「自分が認知症になった責任の一端は、自分にある」と考えたとしても、これまた、なにもいいことがない。「自分のせいで認知症になった」と考えたとしても、認知症に良い影響を与えるか? 「自分のせいで認知症になった」と考えることで、「現実と向かい合った」ということになるか? 「自分が認知症になった責任の一端は、自分にある」と考えないことは、現実逃避だと言えるか? そんなこと、言えるはずがないだろ。





一〇年前に考えていた、一〇年後の俺の姿……こんなんじゃない。

起きた。あーあ。起きた。……一〇年後を考える。……どうなっちゃってるんだろう? 一〇年後。……五年後を考える。どうなっている? かわらない? なにもかわらない? どうなっているんだろう? 一〇年前を考える。……あれが一〇年前? ありえない。あれが、一〇年前。信じられない。ついこの間のような気がするが……。二〇年前……あれが二〇年前……うそだろ。ありえない。ありえない。あれが、三三年前……ありえない。ありえない。まったく、かわってない。気持ちはかわってない。あー、なんかおかしいな。空虚のなかを生きているみたいだ。信じられない。一〇年前に考えていた、一〇年後の俺の姿……こんなんじゃない。こんなんじゃない。
いや、こんなものなのか? ありえん。ありえん。




2015年2月12日木曜日

「例外なく引きこもりの人すべて」「例外なく無職の人すべて」と言っているのと同じ

AさんとBさんとCさんがいて、Aさんが「Bさんは甘えている」といったとしよう。その場合、Cさんが「自分のことを言われた」と思うのは、間違いだ。誤解だ。間違っている。けど、Aさんが「いじめは、いじめられた方も悪い」と言った場合であって、なおかつ、Cさんが「自分はいじめられた」と考えている場合は、「Aさんは、自分のことも言っている」「Aさんが言ったいじめられた方の中には、自分も含まれている」と思うのは、誤解ではない。

同じように、Aさんが「うつ病は甘え」といった場合であって、なおかつ、Cさんが、うつ病にかかっている場合(うつ病患者の場合は)、Cさんが「Aさんは、自分のことも言っている」「Aさんの発言のなかの、うつ病には、うつ病になった自分のことも、含まれている」と考えるのは、誤解ではない。

以降、「無職は、甘え」「無職は、自業自得」なども、同じことが成り立つ。いじめに関しては、いじめられたとCさんが思っているだけなのか、実際に、いじめがあったのかというのは、重要なことだ。ちゃんと対応した事実がある場合と、一種の被害妄想は区別して考えなければならない。しかし、本当のことを言ってしまうと、「主観」「客観」問題は、ものすごく、根の深い厄介な問題なのである。というわけで、「対応した事実がある場合と、一種の被害妄想は区別して考えなければならない」ということをちょろっと指摘しだけで済ませたい。

で、「引きこもり」とか「無職」とか、人の属性を主語にして言う場合は、「例外なく引きこもりの人すべて」「例外なく無職の人すべて」と言っているのと同じなのだとということは、理解しておくべきだ。「まるまる病の人はなになに」という場合、まるまる病にかかっている人、すべてが含まれる。まるまる病でない人は、事前に除外されているからだ。特に、「すべて」とか「例外なく」という言葉が入っているわけではないのだけど、「まるまる病の人はなになに」と言うのは「まるまる病の人はすべてなになにだ」「まるまる病のひとは例外なくなになにだ」と言っているのと意味的に等価なのだということは、本当に、理解しておいた方がいい。



2015年2月10日火曜日

殺されたら、殺された方にも、責任があるというのは、全部、結果論だ

殺されたら、殺された方にも、責任があるというのは、全部、結果論だ。殺された、という結果が出たあとに、「理由」を探している。レイプされたら、レイプされた方にも、責任がある……ということになってしまう。もちろん、責任がある場合もある。しかし、責任がない場合もある。「なになに・されたら」「されたほうにも責任がある」というのは、「場合分け」をしていない。「すべて」「例外なく」の世界なのである。どうして、「すべて」になってしまうかというと、結果が出ているからだ。結果が出ていて、あとから、「すべての場合において」、責任があるということを言っている。

生じてしまったら、個別具体的なことを、論じることなく、かならず、「責任がある」と決まっているのである。なんでなら、「生じたから」だ。

ある日、毒ガスをまかれて、下半身不随になったら、毒ガスをまかれたほうにも責任があるということになってしまう。ある出来事があって、その結果、障害を背負ったとしたら、障害を背負った方にも、責任があるということになってしまう。全部、「結果論」だ。生じたあとに、「生じたのだから、理由がある」「生じたのだから(その人にも)責任がある」と言っている。



6)障害を背負ったとしても、どんな出来事があったにしろ、それは、あなたが望んでいたから起こったことだ

「霊界」を持ち出すか、持ち出さないかの違いがあるが、こういうふうに考える人がいる。その人が、自分の世界に生じたことについて話しているのならいい。一般論として、すべての場合に成り立つこととして、話すから、問題が生じる。自分の分だけ、話していればいい。
まあ、無意識とか、出してくるんだろうけど、傲慢だ。「霊界」を出すか、「無意識」を出すか、その違いはあるのだけど、言い方は同じだ。そして、原理も同じだ。
結果が出たあとに、「それは、あなたが、無意識的に望んでいたからそうなったのだ」という。当然、この世で生じなかったことには、それは成り立たない。「だから」生じなかったとでも言いたいのだろう。けど、これは、結果論だ。結果論的な世界観を(貴方自身が)持つのは、かまわないが、それは、あなたが持っている結果論的な世界観から導き出された、結論なので、人には「真実」として言わないほうが良いのではないかと思う。何度も言うけど、本人が、自分の世界に生じたことに関して、「そう思う」のは勝手だ。

7)苦しいことは、学びだ。人間はそれを学ぶために、生まれてきた。
8)すべての出来事は、「たましいの学び」のために、必要なことだ。

こういうことばも、言っている方は、いいことを言っているような気分になるのかもしれないけど、犯罪被害者などを平気で傷つけている言葉だと思う。「一般論」としていっているので、「すべて」「例外なく」そうだと言っていることに、たぶん、言っている本人は、気がついていないのではないかと思う。
自分がなんらかの犯罪被害者で、自分が背負った障害について、どう考えるかは問題ではない。ようするに、自分が背負った障害は、自分の学びのためにあると考えてもいい。自分の分だ、そういうふうに考えるのはいい。しかし、「一般論」として言えば、ほかの人の人生そのものにも言及しているのと同じなので、ほかの人の人生についても言及しているという自覚は持った方がいい。事情も知らない人に、勝手に決めつけられて、不愉快な思いをする人がかならず出てくる。まあ、本に書いたりブログに書いたりするのは、自由だ。しかし、個別具体的な人に対して、そういうふうに言う場合は、本当に気をつけたほうがいいと思う。ただが、掲示板でそういうことをいう人がいる。たいていそういう人は、わかってない。なにがわかってないかというと、自分が言っていることがわかってない。本当にはわかってない。だから、掲示板などで、そういうことをいう人は(具体的な個人対してそういうことをいう人は)、実際に自分が困った立場になると、ぎゃーぎゃーわめきだす。本当に、そいつに責任があることでも、人のせいにして怒り狂う。病気になったらなったで、「どうして、自分がこんな病気にならなければならないのか」となげく。
自分が他人に言った言葉「すべての出来事は、「たましいの学び」のために、必要なことだ」ということを忘れてしまったのだろうか。俺は、そんなひどいことは、言わないけど、あんたは、他の人が苦しんでいる時に、そういう言葉を投げかけたではないか。あれはなんだったのか?と言いたくなる。

繰り返すけど、僕は「すべての出来事は、「たましいの学び」のために、必要なことだ」とは考えないから、他の人が病気の時、他の人が苦しんでいる時、そんな言葉を投げかけたりしない。

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事柄が生じた原因と、それにどう対処していくかは、別のことだ。
これの区別がついてない人がいるのかも知れない。
この世の出来事だから、一方が一方的に悪い場合もある。一方が一方的に悪くはない場合もある。ようするに、「やられた方」に責任がある場合と、責任がない場合がある。これと、「やられた方」が背負ってしまった障害に対して、どう対処していくのか、は、べつの問題だ。まあ、殺されてしまったら、どう対処するかなんてことは、そもそも、この世では問題にはならないが。




もっとひどい人がいるということは、相手(加害者)をゆるす理由にはならない 2

ちっとしつこいようだが、この間言ったことについて、考えてみる。

Aさん。Bさん。Cさんがいて、Aさんは、強姦された人。Bさんは、両手を切られた人。Cさんは、Aさんの事件とも、Bさんの事件とも関係がない人だとする。そうした場合、Cさんが、「AさんとBさんをくらべると、Bさんのほうがひどい目にあっているので、Cさんは、相手(加害者)を、ゆるすべきだ」と言ったとする。その場合、Aさんはどう感じるだろうか? 自分だったら「ふざけるな。勝手に決め付けるな」と感じる。さらに「Bさんのほうがひどい目にあっているとして、どうして、(それが)自分が相手をゆるす理由になるのか?」と思う。

で、DさんとEさんがいて、Dさんは、両手、両足を切られた人。Eさんは、両手両足を切られて、耳をそがれた人だとする。そうした場合、「Bさんより、Dさんのほうがひどいことをされている。だから、Bさんは、あいてをゆるすべきだ」と言うのだろうか? あるいは、「Bさんより、Dさんのほうがひどいことをされているから、もっとひどいことをされている人がいるということを考えて、自分がされたことについては、きらめるべきだ。いつまでも気にするべきではない」とCさんがBさんに言ったとする。そうしたら、Bさんはどう感じるだろうか。

で、「DさんとEさんをくらべると、Eさんのほうが、ひどいことさをれている。だから、Dさんは、両手両足を切られたことについては、あきらめるべきだ。相手(加害者)を恨んでいてもなにもいいことはない」と、CさんがDさんに言ったとする。Dさんはなにを思うだろうか。


Cさんは何様なんだろうと僕は思う。「もっとひどい人がいるということは、相手(加害者)をゆるす理由にはならない」と僕は思う。


さらに、もう一度しつこく言っておく。
人間界の出来事だから、人間同士のことだから、「一方が一方的に悪いということはない」ということはない。「一方が一方的に悪いということはない」というのは、ようするに、やられた人と、やった人がいたとすると、やった人が一方的に悪いということはなくて、やられた人にも責任の一端がある」という考え方だ。ようするに、「スキがあるからわるいんだ」とか、そういう考え方だ。そして、結果論だ。事件が生じたら、やられた方にも、かならず、責任の一端があるという考え方だ。これは、「かならず」だ。すべての事件において、かならず、やられた方に「責任の一端」があることになるのである。
で、はっきり言う。「やられた人にも責任の一端がある」場合はある。しかし、それがすべてではない。「やられた人には、責任の一端もない」場合もある。なぜ、事柄、あるいは事件が生じたら、……つまり「やられた」「やった」という関係が生じたら、「やられた」ほうに、かならず、責任の一端があると考えるのか? その根拠はなにか? 「かならず」「すべての場合において」やられた方にも責任があると考える根拠はなんだ?

人間関係が生じたから? 人間界の出来事だから? 相手がいる話だから? 人間同士の話だから? 

どうして、人間関係が生じたから、「かならず」「すべての場合において」やられた方にも責任があると考えるのか? 俺にはさっぱりわからない。






2015年2月8日日曜日

いじめは、いじめられた方も悪いというのは間違っている

だめだ。はげしくいかれてる。
あー。こりゃ、だめだ。むなしすぎる。
本当、俺がどれだけ虚しい思いをしきたと思っているんだよ。くそ兄貴。
おまえ、絶対静かにしてくれなかったじゃいか。どれだけ、言っても、そのまま、鳴らし続けた。ちゃんと、静になることがない。騒音で、本当に、人間づきあいが、全部ダメになる。連鎖的にだめになるんだよな。あー死にたい。俺がどれだけ……。俺は本当は、もとはいいんだよ。きちがいヘビメタが鳴る前は、人間関係上の問題だってなかった。友だち関係とか、そういうのね。親父とは、あった。

以降、空想問答。

ある程度、人の気持ちを逆なでする意見についても、答えておこうと思う。

4)人間関係が生じたら、一方が一方的に悪いということはない。(だから、お兄さんが一方的に悪いということはなくて、あなた(俺)も悪い。

これは、なにがなんだかわからない。人間関係が生じたら、一方が一方的に悪いということはないというのが、まったくわからない。どうして、人間関係が生じたら、一方が一方的に悪いということがないのか、説明してくれ。一方が一方的に悪い場合も、あると思うが。一方が一方的に悪い場合がないとかんがえる根拠はなんなのか?

街を歩いてたら、刺されて殺されてしまった人……の場合。刺した人と、刺された人とのあいだに、人間同士の?人間関係があるから、刺した人が一方的に悪いのではなくて、刺された人にも、責任の一端がある。あるいは、刺された人も悪い……そんなことが成り立つか?

飛び降り自殺の巻き添えになった人もいる。自殺する人は、「そんなつもりはなかった」のだろうけど、下を歩いている人に、自分の頭をぶつけてしまった。で、両方とも死んだ。こういう場合も、人間関係があるから、「一方が一方的に悪いということはない」なんて言えるのか?
正直いって、……。いいや、やめておこう。

いずれにせよ、人間関係がある、あるいは、人間関係が生じた?「から」一方が一方的に悪いということはないということはいえない。人間界のことは、人間同士のもめごと……人間関係がある場合は「一方が一方的に悪いということはない」。なにを言っているんですか?

まあ、自殺のケースは、殺そうとする意図はないけどね。世の中には、頭がおかしい人というのがいて、その頭がおかしいが、一方的に悪いことをする場合がある。どうして、「一方が一方的に悪いということはない」ということの理由が、人間関係があるということなのですか? さっぱりわかりません。

世の中には頭がおかしい人がいるということがわかってないのでは?

4)のような変な意見の変形として、「いじめは、いじめられた方も悪い」というのがある。

5)いじめは、いじめられた方も悪い

いじめられたほうが悪いという場合もあるけど、いじめたほうが、一方的に悪いという場合もある。ようするに、「一方が一方的に悪いということはない」ということは言えない。




2015年2月6日金曜日

他者の壁

まあ、知恵袋とか読んでると暗い気持ちになるわなぁ。どうして、知恵袋に行ってしまったかというと、40代無職などのキーワードで検索をしていたからなのだ。

ところで、わりと、むかつく感じの感想を想定して、俺がどういうふうに答えるか、シミュレーションしておこう。

1)相手があやまっているのに、ゆるさないのはおかしい。
あやまったと言っても、手紙で一回だけだ。それも、嫁さんがいるから、そうしただけで、嫁さんがなければ、そういうこともしていないと思う。問題なのは、鳴らすのをやめようと思えば鳴らすをやめることができた期間が十五年間もあるのにやめなかったということだ。毎日、注意されていたのにやめなかった。このことがでかい。一瞬の迷いとか、事故という問題ではないのである。また、業務上どうしても、音がでしまうということではなかった。ヘッドホンをしようと思えば、いくらだってヘッドホンをすることができた。それなのに「なまの音」にこだわって、入試期間中だろうが、一日に、七時間から一四時間鳴らし続けた。これがゆるせないのである。

それなら、俺も、「あなた」の手足を切って、耳と鼻をそいで、その後に、ひとこと、あやまろう。そうしたら、時間が経てば、自動的に許すんだよな。……と言っておきたい。相手があやまっているのにゆるさないのはおかしいというのは、まさしく、おかしい。

2)昔のことにこだわるのはおかしい。

昔のことではなくて、いまのことなんだよ。いま、俺が苦しいんだよ。
これに関しても、俺があなたの、手足を切って、耳と鼻をそいだというような場合について考えて見ればわかる。そいだ途端に、それは、「過去」の事になる。「過去のことだから」こだわるのはおかしいというのは、おかしい。実際それで、それ以降、障害者になって生きるのであれば、その障害について、不自由を感じるはずだ。手足を切られたら、手足を切られた瞬間だけではなくて、その後も、手足が生えない限り、手足がないという状態が続くのである。あなたが、「手足を切られ、鼻と耳を削がれた」として、「昔のことにこだわるのはおかしい」などと言えるのか?
たしかに、私は、手足を切られて、鼻と耳を削がれたわけではない。しかし、ヘビメタ騒音のせいで、いくつかの障害を背負った。それは、あなたには関係がないことだから、関係がないことだ。しかし、私には、関係があることだ。

3)あなたは、ましだ。もっと、ひどい目にあった人がいる。下を見ればきりがない。だから、………。(ゆるしてやれ。あきらめろ。こだわるな。)

たしかに、いま死にそうな人だっている。いま、死んだ人だっているだろう。その人達に比べれば、私は状況的に「上」なのだろう。しかし、どうして、それが、兄貴を許さなければならない理由になるのか? 苦しんでいる人たちは、それぞれ、苦しんでいるのだろう。私は、苦しんでいる人に向かって「あなたは、ましだ。もっと、ひどい目にあった人がいる。下を見ればきりがない」などとは言わない。どうしてかというと、他者である自分が、その人の苦しみを、推し量って、(あなたより苦しんでいる人達がいるから……)というのは、その人に対する冒涜だと思うからだ。私は、その人達ではないので、その人達の苦しみが、どれほどのものであるのか、本質的にはわからない。推し量るだけだ。だからこそ、外から見れることや、言葉から、苦しみを推し量って、その人の苦しみが、だれか他人よりも、ましだから、ゆるしてやれなんてことは言わない。(自分が推し量った苦しみと)イコールではないと思うからだ。外から見れることや言葉から(私)が判断した苦しみよりも、もっと重い苦しみを背負っているかもしれないからだ。




2015年2月5日木曜日

ヘビメタで、体調が悪くて、風邪を引いてしまった時の感覚だ。

つまらん。なんか、寝込みそうな感じだ。というか、寝込んでいる。
卵がけご飯を、食べている。風邪を引いて、おかゆを食べている時と同じ雰囲気だ。普段から、調子が良くないけど、この感じはわりと、なかったな。寝てても苦しいし。悪い状態の中で、調子がいい時と悪いときがあるな。比較的調子がいい時も、やっぱり、苦しい。ヘビメタやられてから、ずっとこんな状態だ。「やられてから」というか、「やられ始めてから」か? ともかく、長すぎる。期間が長過ぎる。本当に長丁場だ。きちがいヘビメタが鳴る前の体調に戻りたい。ヘビメタがなる前の感覚に戻りたい。長すぎる。毎日、一四年と六ヶ月とか、長すぎる。死にたい。本当、苦しかったな。三年でもう、おしまいだったな。そうだ、これ。ヘビメタで、体調が悪くて、風邪を引いてしまった時の感覚だ。

絶対に、きかなかったんだよな。どれだけ言っても、きかなかった。もちろん、知っているはずだ。けど、入学試験前も鳴らして、……全力で、すべての時間鳴らして……なんとも思わない。思う感覚をなくしている。だから、「つもりがない」。「つもりがないまま」全部の時間、本人にとって都合がいいように……自分の鳴らしたい気持ちが傷つかないように……我慢しないで鳴らし切る。けど、「つもり」がない。そういう変な状態なんだよな。入学試験前ですら、意地を張って鳴らしていた状態なのだから、普段の日、どれだけなにを言っても、聞くわけがない。あれ、全部の時間、どでかい音で鳴らし続けて、なんとも思ってない。

そんなの、約一五年間も毎日やられて、ゆるせるわけがないだろ。



いちおう、蛇足だけど言っておく。

2015年2月1日日曜日

きちがい兄貴のせいで、腹も膀胱もめちゃくちゃ

こっちがきちがい兄貴のヘビメタ騒音で、どれだけ憂鬱な気持ちになっていても、どれだけ、ピンチでも、……本当に、一〇分もゆずってれない。一分間ですら、絶対にゆずってくれない。

いま、実は、雪が降っているのだけど、きちがいヘビメタにやられていた受験シーズンのことを思い出す。きちがいヘビメタにやられて、眠れないままむかえてしまった午前六時三〇分の、朝の雰囲気を思い出す。というか、そのままだ。こんな感じだった。きちがい兄貴の騒音で、からだに、蕁麻疹ができているのに、どれだけ何回、怒鳴りこんでも、絶対に、静かにしてくれない。ヘッドホンで一時間聞くとか、一時間はスイッチを切って鳴らさないようにして、静かにしてくれるということが、ない。それは、本当に入試前日だろうが、絶対に、一分間も静かにしてくれない。入試前日に静かにしないやつが、普段の日に、静かにするわけないだろ。本当に、寝言は寝て言え。嫁さんの前で、「出来る限り静かにしてやった」とか、ウソを付くのはやめろよな。おまえ、きちがい兄貴の「出来る限り静かにしてやった」というのは、一分もゆずらないで、全部の時間、無視して鳴らしきったということじゃないか。本当に、一〇分ですら、ヘッドホンをしようとかそういうことを考えなかった。全部、普段通りに鳴らした。時間としては、本当に、全部の時間鳴らしたのである。時分が鳴らせる全部の時間、鳴らした。これが、試験前の、きちがい兄貴の態度だ。入試の前日ですらそうなのだから、普段、静かにするわけがないでしょ。本当に、ふざけている。ちゃんと、鳴らさないで静かにするというのが、一分もない。それで、「できる限り静かした」と思っている。そう思いながら、ドカスカ、ドカスカものすごくうるさい音で鳴らす。いま住んでいるところでは、鳴らせない音で鳴らす。本当に、こっちのことは、なにも考えてない。一デシベルでもゆずってやったら、それは、ゆずってやったということになるのである。一〇三デシベルで鳴らしていたら、普通に言ってうるさい。それを、一〇二デシベルにしても、うるさい。けど、きちがいあにきしてみれば、五分間のあいだ、一デシベルでもゆずってやったら、ゆずってやったゆずってやったということになる。「出来る限り静かにしてやった」ということになる。ぜんぜん静かにしてもらってない。試験前の、ヘビメタ騒音の連続が、こたえるんだ。もう、気分的にハチャメチャ。本当に、めしを食っている時ですら、どかすかどかすかものすごい音で鳴っている。腹の中が、くちゃくちゃだ。はちゃめちゃだ。もう、本当に、食べ物と、怒りで、グッチャグチャになっている。それで、こっちが腹が痛くなっても、なんというのかな、「自業自得」「健康管理ができてない」ということになってしまう。も、う、本当、おまえ、きちがい兄貴のせいで、腹も膀胱もめちゃくちゃ。おまえ、きちがい兄貴、試験の前、体じゅうに蕁麻疹ができている時も、容赦なく、ずっとでかい音で鳴らしきったんだからな。「そんなのしらねぇ~~」って感じで、絶対に、ねばりきって、全部の時間、鳴らす。我慢するなんてことは、ありえない。それは、一〇分でも、一分でも、ありえない。だから、静かにしてない。嘘を言うな。これ、本当に、しらばっくれているのか、本当にそう思っているのか良くわからないけど、……ほんとーーーーに、そういう、しらばっくれた態度で鳴らしてた。どれだけ言っても、通じない。試験は大切なことなんだ、ということが通じない。きちがい兄貴のヘビメタの音が、普通に言って騒音なんだということが通じない。きちがい兄貴のヘビメタの音が普通に言って、非常識なほどでかい音なのだということを認めない。認めなければ、どれだけ、(実際にそうであったとしても)そうではないのである。「知らないの」である。「知らなかった」のである。知らないわけがないだろ。これ、なんというか、弟が時分の騒音をうるさいと思っているということを知らなかったから、鳴らしてしまったみたいな、態度なのである。一日中ならしている時から、一日中、そういう態度だ。じゃ、実際に、指を止めてやめてくれるのかというと、それはもう、絶対にない。指を止めてというのは、きちがい兄貴は、きちがい敵でかい音でヘビメタのレコードを鳴らして、その音に合わせて、普通のうちじゃ絶対に鳴らせないほどでかい音で、エレキギターを弾いていたの。あんな、六畳間に、……あんなでかい、スピーカを三つも入れやがって!!  それがもう、おかしい。あんなの絶対に、和室六畳間で鳴らすようなスピーカーじゃないのである。完全防音室で鳴らせ。どっか、本当に、スタジオかなんか借りて、鳴らしてくればいいだろ。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。