2015年7月22日水曜日

俺はまじで、抵抗力があったほうだと思う

あの時、あの時……あの時。あの時、ヘビメタが鳴ってた。ヘビメタが……。ヘビメタが苦しかった。毎日、死にたかった。わずかばかりの……ほんとうにわずかばかりの……つくった可能性にしがみついて……生きていくしかなかった。つくった」というのは、そういうことしておくということだ。要するに、現実的なことは無視して、ともかく、可能性をつくっておくということだ。もちろん、自分で勝手につくるわけで、普通の意味での可能性じゃない。空想的な可能性……が一番近いか。

アニメやドラマを見るたびに、「あの子と付き合っておけばよかった」なんて、考える。あの時ですら、格好をつけて、あんまり関心がないふりをしてしまったけど、かなり、突き上げるものがあった。きちがいヘビメタがなければ……。きちがいヘビメタがなければ、普通にできたと思う。きちがいヘビメタで、みっともなくって、しかたがなかった。きちがいヘビメタ騒音で自信がないとか、そういう、レベルの話じゃない。本当に苦しかった。いま考えれば、「なんで俺は、付き合わなかったんだ?」と思うけど、あの時は、もう、そう、せざるを得ない。何回あの場面に遭遇しても、やはり、ああいう態度をとってしまうだろう。うちが、荒れて、死にそうなほどピンチなんだよ。常に、きちがい兄貴の騒音で……。僕の身の回りは……。僕の内側は。……けど、張本人のきちがい兄貴が、「気楽に」全部鳴らしまくる。どれだけ言ったって、絶対にやめてくれない。だから、困っているのに、全部の時間がめて、とって、それで、どでかい音で鳴らして、つもりがない」とか頭がおかしすぎる。で、全部が!本当に!!そういうしくみなんだよな。

ともかく、俺は、ピンチなんだよ。ピンチピンチ。ヘビメタ騒音で、いつも、うんこを漏らしそうなほど、ピンチなんだよ。気持ちが、やぶけている。ヘビメタ騒音で、やぶっけっぱなし。で、普通の人か、普通の人以上に、回復力があるから、やぶれたところが、再生されるんだけど、それでも、きちがいヘビメタで、傷つき、破ける速度のほうが速いから、けっきょく、やぶけっぱなしになる。これ、本当に、まるで、俺が弱いみたいに思われているかもしれないけど、俺は、普通の人より、再生力というか、復活力があった。それでも、毎日のヘビメタ騒音攻撃で、やぶけてしまう。いろいろなところが、やぶけてしまう。

あとは、こういう言い方をすると、ある種の人間は、ものすごく、反抗心というか、「なんだこんにゃろう」という気持ちが生じるんだよな。俺に対して。これも、ヘビメタ騒音の副産物だ。敵が増える。俺が書いてきたことを読んで、「なにいってんの!!!!」と思うやつも多いだろう。

毎日、七時間から一四時間、何年間もやられてみろ! なるから。俺はまじで、抵抗力があったほうだと思う。だめになるまで、時間がかかっている。けど、その俺でも、だめになってしまうんだよな。けっきょく。「俺はまじで、抵抗力があったほうだと思う」というところを読んだとき、「だったらいいだろう。ふんっ」みたいな気持ちになるやつが、少数いる。多数なのかな。「だったらいいじゃん」……良くないんだよね。良くない。

ともかく、どれだけ後悔しても、どうにもならない現実だけはある。ずっとそうだったしな。鳴っている最中もずっとそうだった。

ともかく、ヘビメタ騒音でつらい。いまもつらい。どうにもならない。

あの時、あの子と、付き合いたかったな。普通に付き合いたかった。その結果ダメになっても……別れたとしても、やっぱりあの時、付き合うべきだった。けど、なんていうのかな……ヘビメタ騒音圧力が並じゃないんだよ。突き上げるものがある。あの、不安や焦りや、どうしょうもなさは、本当にどうしょうもない。「どうしょうもなさ」って、……一切話が通じない。本当に、高くて厚い、きちがいの壁が立ってて、なにを言っても、響かないんだよね。響かずに、普段のとおりに、かならず、すべての時間、きちがいヘビメタで汚染しやがる。どれだけなにを言っても、「鳴らさない」という選択肢は、ないんだよ。きちがい兄貴にはない。こっちがどれだけあせっていたって、きちがい兄貴は、絶対に全部の時間、がめて、やめない。どうして、こっちが「あせっている」状態なのかというと、きちがいヘビメタが、その日まで、何年間も毎日続いたからなのだ。何千日も続いて、そして、昨日もやられた、今日、なのだ。明日もやられる……きちがい兄貴を殺さなければ……明日もやられるという予想が立つ。どれだけなにを言っても、騒いでも、怒鳴っても、物を投げても、一切合切、これっぽっちも、通じない。こっちが、基地外兄貴のヘビメタ騒音で困っているということが、通じない。きちがい兄貴だって、言葉の意味はわかるのだろうけど、通じない。ぜんぜん、通じない。反応がおかしい。言葉がまったく通じないのと同じ反応しか返さない。……そのまま、前の日と同じようにヘビメタをやり切るという反応しか返ってこない。しかも、前の日と同じように、どれだけもめても、こっちが困っているということを、まったく認めてない態度なのだ。

で、一〇時間鳴らせるなら、きっかり、全部一〇時間、鳴らしてくる。絶対に鳴らす。五分だってゆずらない。で、「五分だってゆずらない」と言えば、「じゃ、五分ゆずってやったら、どれだけ鳴らしてもいいんだな」というようなことを言う。これは、実際にきちがい兄貴が発言した通りの言葉ではないけど、意味的にはそういうことを言う。完全無効化、なんだよね。「時間を決めてやってくれ」と言われた場合だって、全部の可能な時間を、時間を決めてやる時間に指定してくる。だから、けっきょく、時間を決めたって、意味がない。無効化してくる。それで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」という気持ちだけ!!!は持てるんだよな。本当は、一日に一分だって、静かにしてやるつもりがない。まったくない。ないない。ぜんぜん、ない。けど、そういう気持ちには、(きちがい兄貴は)無頓着で、自分の気持に気がつかないまま、……あるいは、自分が出している内容には気がつかないまま、普段どおりに鳴らす。普段どおりに鳴らすとなると、マックスの音で、まっスクの時間鳴らすということになる。入試だから、静かにしろ」と言われても、態度としては、まったく同じで、顔を真赤にして無視して、鳴らし切る。それだけ意地を張っているのだから、自分がやっていることがわかりそうなのだけど、一〇〇%全部できるなら、……やってないのと同じぐらいに気楽なんだよ。本人だけは。一〇〇%できるならね。一%でも、本当にゆずらなければならなくなったとなったら、もう、顔を真赤にして怒り狂う。不満で不満で不満で不満で、しかたがない状態になる。で、「こんなのいやだ」「やってられない」という気持ちになる。それで、〇・九%我慢したあとは、一切合切ゆずらずにやる。だから、本当は、一分だって、我慢できない。全部、自分が好きなように鳴らしているから、「鳴らしてない」つもりでいられる。「鳴らしてないつもり」なのか「そんなに鳴らしてないつもり」なのかわからないけど、ともかく、「自分は言われなかった」「自分は注意されなかった」「弟はなにも言ってこなかった」という気持ちで、心ゆくまで、鳴らし切る。頑固に鳴らし切る。最初から、一%、だって我慢するつもりが、本当にまったくない。そういう態度なんだよ。で、何度も言うけど、そういう態度に鳴っているということには、まったくむとんちゃくなんだよ。だから、そういう無頓着さを成り立たせて、実際には、ゆずらないでやり切るという場対をつくりだしている。何度も言うけど、その時間にやったことは、全部ゼロなのである。やってないのと同じ。その時間にやったことは、「つもりがない」とか、「やってない」ということになってしまうのである。実際は、がめつく、やり切っているのに、やってないのと同じ気持でいることができる。さんざん、「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「静かにしろ」「静かにしろ」「静かにしろ」と何回も、怒鳴り込まれているのに、「なにも言われなかった」という気持ちが維持できる。そのくらいに、関心がない。「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「静かにしろ」「静かにしろ」「静かにしろ」と大声で怒鳴られても、一秒たてば、もう、「なにも言ってこなかった」ということになってしまう。事実、まったくなにも言われなかった場合と同じ気持になってしまうのである。だから、「つもりがない」とか「そんなつもりじゃなかった」とかそういうことが、真顔で言える。本当は、……一%だって中断して我慢するのが嫌だから、腹が立って腹が立ってしかたがないから、どでかい音で、その後もずっと鳴らし続けたのに、本人は、やっているそばから、「そんなことはやってないつもり」になってしまう。じゃ、本当に静かにしてくれるのかと言ったら、それは、もう、ぜぇぇぇぇっったいにない。




2015年7月20日月曜日

発狂しそうなほどうるさい!!自殺してしまいそうなほど、うるさい!!!

きちがいヘビメタで人生がない→もう死ぬか→いや、そのうち死ぬのだから、いま死ななくてもいいか→けど、つらすぎる→もう死ぬか→今死んだら、怨念が残る→けど、つらい→もう死ぬか

こういうのが、ずっと、エンドレスでまわってしまうときがある。横になっているとき、夜起きたとき、たまに自転車に乗っているとき……全部同じだ。ふと、思うんだよな。ずっと、苦しかった。一一歳以降、ずっとずっとずっと、苦しかった。破滅的な……はちきれんばかりの気持ちで、自転車、こいでた。きちがいヘビメタ騒音なかから、胸糞悪い気持ち、破綻的な気持ちで、出てきたとき、そう思っていた。そう思って自転車をこいでいた。全部つらい。二十歳の時も、「このままじゃ、僕の人生がなくなる」「このままじゃだめだ」「うるさいうるさいうるさい」「死にたい」という気持ちで、自転車をこいでいた。同じ……。もう、何十年毎日、ヘビメタのことで、死にたい気持ちになっているかわからない。

で、きちがい兄貴は、「なにもしたつもりがない」んだろうな。しかも、絶対に、どれだけなにを言われても、ゆずらない。ゆずらないで鳴らし切るけど、なにもしたつもりがない。どれだけ言われても、なにを言われても、自分がやっている、気持ちがしない。静かにしてやろうと思わない。静かにしてやろうと思っても、その「静かにする」というのが、きちがい兄貴にとって静かにするということだから、実際には、全然静かにならないまま、どかすか鳴っている。で、その、言いに行ったあとの、どかすかが、ものすごく嫌なんだよな。続いてしまうわけだから。続けて鳴らしているのだから、鳴らしているのに、本人は、静かにしてやったつもりに鳴っていた??????のだろうか。俺は、「それはないだろ」と思うけど、本当にそういうつもりだったのかもしれない。けど、それは、おかしい。いっくらなんでもおかしい。おかしすぎる。あれで、静かにしてやったつもりがあるとしたら、本物のきちがいだと思う。きちがい以外の形容のしようがない。どれだけ「静かにしてくれ」と言っても、「静かにする」ということの意味が、まるでわからない人間なんているだろうか。「あとから、あとから言ってくる」と言って怒っていたわけだから、「静かにする」ということの意味はわかっているんだろうな。けど、本当に、矛盾している。おかしい。頭がおかしい。

いま、夜の八時二五分だけど、夜の八時二五分に、どれだけ、何回、怒鳴りこんでも、絶対に、一分だって、静かにしてくれなかった。「静かにしろ」「静かにしてくれ」と言われたあと、五分間、スイッチを切って静かにしたことがないのである。五分間、ヘッドホンをしてくれたことがないのである。だから、静かにしてないのに、……あいつはぁぁぁぁぁぁぁ!!あいつはぁぁぁぁ!!あいつは!!!!!あいつは!!!!

ゆるせない。

俺も、自分の人生を何とかしようと、つきつって!!!がんばっていたときがあるんだよ。毎日、ひきつって!!がんばっていた。けど、それが、今の状態を作り出している。その時の、無駄な努力が、いまの状態を作り出している。いまの、やる気がどうしても出ない状態、……いまの、いつもしんどい状態……いまの、いつも腹が立っている状態……いまの、いつも憂鬱な状態……こういった状態ができあがったのは、あの時の、努力の結果なんだよな。もう、エネルギーでないよ。だから、冒頭の「死にたい」→「今死んだら怨霊になってしまう」の繰り返しになる。ゆるせないわけだから。ゆるせないんだよ。きちがい兄貴、知らんぷりして、午後八時二五分に、どかすか鳴らしていた、一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日。おまえ、きちがい兄貴、どうやって、責任を取るの? 一日目に、やめられるんだよ。一日目の午後八時二五分にに静かにすることができる。それを、きちがい兄貴が意地を張って、静かにしなかった。

静かにしなかったのは、きちがい兄貴の……気持ちの問題なんだよな。本人は、まるで気にしないし、問題だと思ってないけど。まるで!!気にしないで、どれだけなにを言われても、鳴らし続ける。そして、本人は、「静かにしてやった」と思っている。あるいは、「静かにしてやった」かどうかが、問題になることがない。意識にのぼることがない。そのくらい!気にしてない。どれだけ、「宿題をやるから静かにしてくれ」自分が、うるさくして、俺の勉強の邪魔をしているつもりが、生じない。まったく生じない。一日何十回、怒鳴り込まれても、その都度、追い返すだけで、まるで、自分の騒音と、弟の勉強のことが、むすびつかない。むすびつかなければ、「やってない」のと同じなのである。だから、全部が全部、そういうやり方なんだよ。じゃ、自分がスイッチを切ってゆずらなければならなくなったということを、考えたことがあるか? それは、想像することだって、いやなことなのである。そもそも、考え付かない。どれだけ言われたって、それは、想像することすらできない。だから、うるさくし続けたのに、きちがい兄貴は、むすびつかなければ、やったつもりがまったく生じないのである。だから、学校から家に帰ってきたあと、ずっと、無条件で、鳴らし続けているのに、一分も鳴らしたつもりが生じない。本当は、一分も静かにしてやらなかったのに、一日中、静かにしてやったつもりしか生じない。自分が、スイッチを切って静かにすることや、ヘッドホンをして静かにすることは、どれだけなにを言われても、思いつかない。そんなことをするのは、死んだっていやなのである。だから、そういう意地を通して鳴らしたのに、本人は、「そんなに鳴らしてない」「静かにしてやった」と思っているような状態なの……だろう。知らないけど。けど、そうだよ。そんな感じで、顔を真赤にして、目を三角にして、頑固に、鳴らしてた。自分が、ちょっとでも、静かにしてやらなければならないようなことになったら、顔を真赤にして、目を三角にして、頑固に、鳴らし続ける。一日中鳴らしたら、さんざん、怒鳴り込まれたのに、それを無視して、ガンガン鳴らした……と、認識しなければならないのに、さんざん怒鳴り込まれたのに、それを無視して、一日中、一分も本当にはゆずらずに、鳴らし続けたのに、……本人だけは、一日中、ゆずってやったのと同じつもりなのである。こんなの、頭がおかしい。けど、本当に、そういうやり方なんだよな。このきちがいの意地と、この問題にまったく関係がない人の「お兄さんに、やめてっていえばいいじゃない。言えば静かにしてくれるよ」といった感覚の、乖離といったらない。で、その乖離で、傷つくのは俺なんだよ。嫌な気持ちになるのは、俺なんだよ。どうしょうもない破滅的な気文になるのは俺なんだよ。あいつはまったく知らないまま、頑固に、鳴らし続ける。三六五日、三六五〇日……もっともっと、それ以上。毎日同じように、どでかい音で鳴らし続ける。

それで、くずれた。こわれた。けど、これも、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を一度も、一日も経験したことがないやつらに、馬鹿にされ、見下される、理由になる。わかったようなことを言われる理由になる。これは、くやしい。しかし、鳴っている。鳴っていた。それで、「やめろ」「静かにしろ」「べ供するから静かにしろ」「試験だから静かにしろ」「宿題、やるから静かにしろ」「遅刻しちゃうから、静かにしろ」「忘れ物をしちゃうから静かにしろ」「ものをそろえるから、その間静かにしろ」「これから、行くから、行く用意をするから静かにしろ」と、一日に何度も何度も怒鳴りこむ。けど、絶対に静かにしない。どでかい音で鳴らし続ける。

そういうことを、一五年間やって、……それで、「つもりがない」「そんなつもりじゃない」「静かにしてやった」だからな。こんなの、殺したって、気が済むわけがないだろ! で、これも、殺すとか言うと、俺が、変な人のように聞こえる。ヤバい人のように聞こえる。きちがい兄貴が、一日目に、静かにしてくれれば、……その後もずっと、静かにしてくれれば、なかった。なかったことだ。もう、こういうことで、疲れ果てた。あいつは、鳴らしっぱなしだからな。こっちが、どれだけ、困ってたって、鳴らしっぱなしだ。それで、「静かにしてやった」と思ってやがる。頭にくる! 俺がどうして困っているかというと、きちがい兄貴の騒音が、何年間も続いたから、その日困っているんだよ。ヘビメタ騒音が六年間ずっと毎日続いたから、六年目の入学試験で、困っているんだよ。それで、言いに行っても、一日に七時間、休みなら一二時間鳴らしまくるという状態が、変わらない。一分だって、本当には静かにしてくれない。そういう意地を通した。実際には、一分だって静かにしてないのに、本人が五分間、一%静かにしてやれば、一日中静かにしてやったつもりになる。その五分間も、身悶えるほど、うるさい!! 発狂しそうなほどうるさい!!自殺してしまいそうなほど、うるさい!!!





2015年7月18日土曜日

「人のせい」かどうかは、ケースバイケースで違う。

この人の文章はおもしろいしわりと読んでいる。

---引用開始
「俺がこうなってしまったのはお前らのせいだ!」
と家族を責めていたところでした。
ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方を見かけますが・・・・・・。
やはりこういう物の考え方をする方は、ほぼ壊れかけのようです。
---引用終了
時給一両 「THE説得」をみて
http://kanimiso.syoyu.net/%E7%84%A1%E8%81%B7%E3%80%81%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E6%80%9D%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8/%E3%80%8Cthe%E8%AA%AC%E5%BE%97%E3%80%8D%E3%82%92%E3%81%BF%E3%81%A6


この「ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方」というのが、私のことを指しているばあいがあるので、一応自分が考えたことを述べておく。けど、別に、特別深く、議論したいわけではない。また、彼の発言(ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方を見かけますが)が、私を念頭に置いたものだとしても、彼の発言は、発言として受け止めておきたい。で、まあ、たいしたことじゃないのだけど、一応自分の立場というのは説明したいと思う。別に強く批判したいとかそういうことではない。返事も、特に必要がない。ただの感想を書いておく。別に、敵にしたいわけじゃないから。

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「ご飯が食べられない」といっても、二週間も続けて、ごはんを食べることができなかったら、死んでしまうわけだから、「ご飯が食べられない」と言っても、生きている以上、この世に存在が可能なレベルでは、食べることができたわけだよ。あとは、学校に通うことができたかどうかに関しては、ヘビメタ騒音の連続よりも、小さな問題だ。俺が学校に行かないなら、ヘビメタ騒音が鳴り止むというのであれば、俺は、学校に行かなかった。これは、行かなかったということだけど、行けなかったということだ。学校に行けない状態で、毎日ヘビメタ騒音が鳴ってないほうが、俺の人生にとっては、完全にプラスなのだ。やり直すことができた。体力的にも精神的にも。高校まで、学校に通ってなくても、高検を受ければいいわけだから。「ご飯が食べられない」といっても、生存レベルでは、食べられたということだから……。それに関しても、生存可能なレベルでしかご飯が食えない状態と、毎日ヘビメタが鳴っている状態のどっちを選ぶかということになったら、「ご飯が食えない状態」を選ぶ。実際、俺は、数ヶ月だが、生存可能なレベルでしかご飯が食えない状態で生きていたことがある。ヘビメタ騒音のせいでそうなった。

どのみち、自分が絶叫する声よりもでかい音で、週に四四時間から八四時間以上、毎日ヘビメタが鳴っている状態というのを、経験したことがないから、そんなことが言えるわけで、経験すれば、そんなことは言えないと思う。要するに、経験不足でわかってないだけの話だ。

「ご飯が食べられない状態」ではなく、また、学校に通える状態であれば、すべては、自己責任だという話なんだけど、それは違うと思う。だいたい、このふたつの条件というのは、重要だけど、決定的な絶対条件ではない。

ヘビメタ騒音を「消す」かわりに、学校には通えないということになったら、私は、スキップして喜んだ。実際、ヘビメタ騒音が鳴っているにもかかわらず、がんばって、七年間、学校に通ってしまったから、八年目から、通勤通学が、どれだけがんばっても事実上できない状態になっているのだ。ヘビメタ問題は死活問題だった。ほかのことと置き換えられるなら、俺は、置き換えて欲しかった。だいたい、世の中には、学校に通ったからこそ、自殺してしまう人間もいる。そんな人間に対して、学校に通うことができたのだから、学校に通えない人よりも、しあわせだということができるのだろうか? 「しあわせ」と書いたけど、「つらくない」でもいい。ほかにもいっぱい、つらいことがあるので、学校に通える状態かどうかは、絶対条件ではないのだ。まあ、俺は、自殺しないで生きたけどね。けど、これは、微妙なバランスの上に成り立っていた。いじめが原因で自殺した人は、いじめが死ぬほどつらいことだということを、証明してみせた、のだろう。

たぶん、この人のなかでは、生存可能なレベルでしかご飯が食えないことと学校に通うことができないこと(通わせてもらえないこと)が、一番つらいこととして想定されているのだろう。どっちも、本人が経験したことではないので、「一応、考えると」ということだ。想像のレベルで、このふたつが一番つらいことだと思っているのだろう。だから、このふたつを満たしている人が、「だれだれのせい」というのであれば、それは間違っていないが、このふたつを満たしていない人が「だれだれのせい」というのであれば、それは間違っていると考えているのだろう。けど、何度も言うけど、このふたつは、重要な事ではあるけど、絶対の条件ではない。ほかにも重要な事がいっぱいある。勝手に、この人が、このふたつ以外のことは、(決定的には)重要なことではないと決めつけただけなのである。

時間は、確かに、生きている限りは、平等だろう。寿命というものを考えると、時間も不平等だけどな。で、時間は、生きている限りは平等なのだけど、使える時間は平等じゃない。たとえば、人が絶叫する声よりでかい音で、この世で一番、嫌いな音が、一日に七時間以上、どかすか鳴っている状態だと、その時間は、勉強することができない。勉強だけではなく、好きな本を読むことも、眠ることもできない。また、普通の気分でテレビを視ることすらできない。トイレに入っても、その音がどかすか鳴っている状態なので、安心して小便もできない。毎日続くと、構えてから、小便が出るまでに時間がかかるようになるし、頻尿になる。普通の気分で風呂に入ることもできない状態になる。なので、鳴っている時間は、使えないわけだから、平等ではない。

あとは、「親」といった単語の問題がある。これは、「続柄」を示す単語なんだけど、ただ単に続柄を示すということ以上の意味を持ってしまう単語なのだ。

あと、ちょっといっておくけど、私はかねてから「父親のハンディだけなら、まともな職業について働いていた」と言っているわけで、通勤して働けないのは父親のせいだとは言ってない。通勤して働けないのは「兄」のせいだとは言っている。で、「兄」は「父親」なのかというと、当然、そうでない。で、これは、別に、兄が、他人であったとしても、同じだ。たとえば、兄が、基地外野郎という名前の持ち主なら、基地外さんのせいで、通勤して働くことができなくなったと言う。どうしてなら、それは、真実だからだ。兄は「家族」なので、「家族のせいで」ということになるけど、それは、兄が他人であったばあいも同じだ。家族か他人かで違うということはない。

むしろ、家族だからこそ、警察には連絡できないというような悩みが生じてしまう。むしろ、家の問題だからこそ、他人が介入しないという問題が生じてしまう。たとえば、続柄「兄」に強姦された、続柄「妹」は、他人が他人を強姦する場合よりも、難しい立場に置かれてしまう。また、親が子どもに暴力をふるう場合は、他人が他人に暴力をふるう場合よりも、肯定される。だいたい、「家」の問題は、社会の構成メンバーには、隠されがちなのである。

あと、実際は「人のせい」ではないのだが、「人のせい」にしないと、精神が崩れてしまうばあいがあるので、精神が崩れてしまう人は、そうしてもよいのではないかということが書かれているけど、これは、前半部分が間違った決めつけだと思う。

何度も言うが、「人のせい」かどうかは、ケースバイケースで違う。一括には論じられないことなのだ。この人は、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件で、線引をして、ふたつの条件を満たしている人が「人のせい」にするのは許せるが、ふたつの条件を満たしていない人の場合は、「人のせい」だということ自体が間違っていると思っていると思う。線引はそれだから。だから、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていない場合は、すべての場合において、「実際は人のせいではない」のに「人のせいにしている」ということになる。その、「実際は人のせいではない」のに「人のせいにしている」人が、そう思うのは、自我を保つためにしかたがない場合があるので、肯定されるということになる。けど、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていないばあいでも、実際にその人が言っていることが正しい場合があると私は思う。つまり、本当に「人のせい」である場合だ。

兄による強姦について書いたけど、これは実際にあったケースで、この場合も、妹のほうは「「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていない。けど、妹のほうが、男性と付き合う、あるいは、結婚して家族をつくるということに関して問題を抱えたことは事実なのである。兄がやったのだから、兄のせいなのである。しかし、ふたつの条件を満たしていないから、「家族のせいで(不感症になった)」とか「家族のせいで、異性と付き合うことができなくなった」と思うのは、間違いだということになるのだろうか。私の意見では、これは、兄がやったことなのであるから、兄に責任があるのであり、妹は、されたことについて、責任を追及していいし、「兄のせいで、・・できなくなった」ということを言っても良いのではないかと思う。
まあ、この妹さんは、兄の結婚式に出た後、自殺してしまうんだけどね。こういう場合もあるのだから、実際に「その人のせいであるばあい」はその人がたとえ「家族」「親」「兄弟」であったとしても、「その人のせいで・・できなくなった」ということを言っても、間違いではないだろう。

(注)訴えにくいというのは、家族から犯罪者が出るのは問題だから、親が妹を説得していた。


「こういう物の考え方をする方は、ほぼ壊れかけ」……これに関しては、私はそのテレビ番組を視てないから、わからないけど、順番が逆なケースもあるのではないかと思う。私が「ほぼ壊れかけ」なのは、否定しない。「ほぼ壊れかけ」が実際にはなにを意味しているかわからないが……。言葉を濁したいところだから、濁したのであろう。他の人の例を出して言うと、問題が生じるかもしれないので、自分のことだとして言っておこう。

実際に、壊れるようなことをされたので、「○○のせいだ」と言っているのではないか。そういう可能性もある。また、「○○のせいだ」という考え方をするので、ほぼ壊れかけになったと考えているような印象を受けるけど、やはり、順番が逆なのではないかなと思う。
まあ、「実際は○○のせい」ではないのに、「○○のせいだ」と、言う人、あるいは、そう考えがちな人はいる。そういう妄想を持っている人もいる。そういう人は、たしかに問題を抱えている。だから、ケースバイケースだと最初から言っているわけで、「実際は○○のせい」ではないのに、「○○のせいだ」と言う人がこの世にいるということは、否定しない。それは、それで、また別の問題なんだよね。

被害妄想がある人、他罰的な人というのは、いろいろなところで、誤解して「○○のせいだ」と考えがちなので、他の人とうまくいかなくなるのである。もちろん、親とも、他の家族ともうまくいかないだろう。会社や学校でも、「そういう感覚」で他の人とぶつかることが日常茶飯事だと思う。これはこれで、別の問題。









人のせいにするな について。

人のせいにするな について。

これ、けっこう問題なんだよな。僕の考えを最初に述べておく。人のせいである場合もあるし、人のせいではないばあいもある。ケースバイケースだ。AさんとBさんとCさんがいたとする。AさんがBさんに、なんらかのことをして、Bさんの人生を台無しにしたとする。その場合は、Bさんのせいで、Aさんの人生が台無しになったのだから、Bさんは、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」ということができると思う。しかし、世の中には、なんでも、一括方式で考えたい人(Cさん)がいて、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」というような発言を聞くと、「Bさんは、人のせいにしている」「Bさんが、そうなったのは、Bさんせいだ」「人のせいにするな」「自己責任自己責任」と言いたくなる人がいる。そういう人も、一定数いる。

もうひとつ、別のケースを考えてみよう。AさんがBさんに、なんらかのことをせずに、Bさんの人生を台無しにしたわけではないのに、Bさんが、脳みその病気で、「Aさんのせいで、自分がこうなった」と思っているケースだ。この場合は、Aさんは、Bさんの人生を台無しにするようなことはしてないので、Bさんの言っていることは、間違っているということになる。その場合、一括方式で考えたい人(Cさん)がいて、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」というような発言を聞くと、「Bさんは、人のせいにしている」「Bさんが、そうなったのは、Bさんせいだ」「人のせいにするな」「自己責任自己責任」と言う人は、一応、正しいことを言っているということになる。

だから、Cさんの発言は、正しい時もあるし、間違っている時もある。けど、このCさんのパーソナリティーにも、問題がありそうな気がする。自分がよく知らないことについて、ともかく、「だれだれのせいだ」という発言に反応して、「自己責任自己責任」と言いたくなる人は、やはり、「だれだれのせい問題」に関して、ある種の精神的な問題を抱えている可能性が高い。たとえば、本当は、「だれだれのせいだ」と言いたい気持ちがあるのだけど、そういうふうには言いたくなくない別の考え方があって、言いたい気持ちと別の考え方の間で葛藤しているというようなことが考えられる。

さらに問題なのは、「本人だけは別」という考え方が、ごく自然に成り立っている場合だ。「人のせいにするのはけしからんが、自分の場合は別」という無意識が成り立っているばあいがある。自分以外の人が「だれだれのせいで、こうなった」というのは、とてつもなく頭にくるので、すぐに「人のせいにするな」と反論したくなる。個別のケースについて、考えようとする、時間的な余裕や、精神的な余裕がない。「なんであれ、人のせいにするのはけしからん」という考え方なので、すぐに、「だれだれのせいで……」と言っている人を攻撃したくなる。まるで、自分が好きな宗教指導者をバカにされた時のように、「人のせいにするな」と批判したくなる。

「すべては自己責任」と考えているがいるとしよう。とりあえず、Dさんということにしておく。「すべては自己責任」なので、どんな事柄が発生したとしても、それは自己責任だと考えているのである。たとえば、交通ルールを守って道を歩いていたのに、車がぶつかってきて、下半身付随になったとしよう。この場合も、自己責任なのである。その時間に、その道路を、歩いていた自分が悪いのである。だから、車を運転していたEさんのせいではないのである。だから、Dさんは「自分がこうなったのは、Eさんのせいだ」とは言わない。こういう人は、一応、矛盾がない。

Dさんのような人が、実際にいたら、たぶん、ほかの人のことについてはあんまり言わないのではないかと思う。なおさら、自分がよく知らないことについては、発言を控えるのではないかと思う。「すべては自己責任」の範囲を、自分に限定しているからだ。どんなことが発生しても、人のせいにはしないという、価値観には、決意がある。そして、自分がした決意についてよく知っている。完全に、意識化されている。すべては自己責任なので、自分の発言から生じたことも、また自分に責任があると考えるだろう。そのような考えを持っている人が、むやみやたらに人を攻撃するわけがない。

実際には、Dさんのような人は少なくて、自分が言ったことにも責任が持てない人のほうが多いのではないかと思う。普段自己責任自己責任と言っている人の中には、自分だけは例外、他人の場合は自己責任と思っている人が多いのではないかと思う。

注 小説の三角さんが他人には「自己責任自己責任」という割には、自分のことになると、とたんに「○○のせい」と言い出す人のモデルです。ほかの人のことを言ったのではありません。






2015年7月17日金曜日

初詣に行けなかったわけ

これは、今朝起きて、……今朝というか、夜中だ……夜中……今日の夜中に起きたとき……ちょろっと思い出したことだから、そんなに、記憶がはっきりしているわけではない。

中学三年のとき、初詣に行こうと数人の友達からさそわれた。けど、ヘビメタ騒音対応で「それどころじゃなかった」ので、行かなかった。一分だって欲しい。一秒だって欲しい。他の人は、普通に勉強した時に勉強できるわけで、「たまには息抜きに」「メリハリを付けるために」「気分転換に」初詣に行くこともできる。実際、良い気分転換になると思う。

けど、俺は違う。きちがいヘビメタを静かにさせるために、そのとき、闘っていた。闘っているとき、きちがい兄貴は、普段どおりに、全部の時間、きちがい的なでかい音でヘビメタを鳴らす。入学試験一ヶ月前だから、しずかにしてくれたとかそういうことは、一切合切ない。……だから、静かにしてないと言っているのに、きちがい兄貴は、「静かにしてやった」とか「そんなつもりじゃなかった」と言っているのである。

で、これ、鳴らしているさいちゅうにどれだけ、どれだけ、どれだけ、「あと一ヶ月で入試だから、静かにしてくれ」「年が明けたら入試だから、静かにしてくれ」と言っても、一日中鳴らし続ける。冬休みで、一日中、家にいるなら、朝の九時一五分から、夜の一一時一〇分まで、頑固に、全部の時間、鳴らし続ける。もちろん、本人が、風呂にはいる時間、本人がごはんを食べる時間は、抜かしてだけど、きちがい兄貴は、カラスの行水で風呂には一〇分ぐらいしか入ってないし、ご飯も一食、一〇分ぐらいで食べてしまう。

あとは、全部、鳴らしている状態だ。風呂から出たら、もう、すぐに鳴り始める。着替える前に鳴り始める。きちがい兄貴が、部屋に入った途端に鳴り始める。たぶん、きちがいヘビメタを、どでかい音で聞きながら、着替えているのだろう。で、いつものことだからね。たまたま、一日、……一〇年間で一日だけ、風呂から出たら、すぐにヘビメタが始まったってことじゃないんだよ。全部毎日同じだから。俺は、「時間を決めて静かにしてくれ」とずっと言っているのに、きちがい兄貴が、それを聞いて、時間を決めて、静かにしてくれたことが、一日もないんだよ。一〇年間で一日もない。だから、「静かにしてくれなかった」といっているのに、きちがい兄貴は、きちがい感覚で「静かにしてやった」と言っているのである。頭がおかしい。

そういうやり方で、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間と鳴らしていく。既成事実を作り上げる。途中、何回注意しても、本当に中断して静かにしてくれことは、絶対にないまま、八時間、九時間、一〇時間、一一時間、一二時間、一三時間、一四時間と鳴らす。……それで、……入学試験前の一二月に、そういうことをやって、「静かにしてやった」というつもりが持てる、きちがいなんだよ。まるで、悪いと感じないわけだから。

俺が、静かにしてくれというのを聞かないで、10分鳴らしたら、一〇分鳴らしたということなんだよ。きちがい兄貴は、俺の言うことを聞かないで、一〇分、ゴリ押しで、頑固に、絶対虫の境地で鳴らして、それで、「静かにしてやった」「十分静かにしてやった」「できるだけ静かにしてやった」と思い込むことができる……けたたましい音で鳴らしながら「静かにしてやった」と思える……きちがいなんだよ。こんなのきちがいとしか言いようがないだろ。カオ君もびっくりの「どでかい」音で鳴らしているわけだから。そういう、普通の人が聞いたら……「わーーーっうるさっっさい。なんだこの音。こんな音で鳴らしてるの??」と思ってしまうような音で鳴らしているのに、きちがい兄貴は、「できるだけ静かにしてやった」と思えるようなきちがい野郎なんだよ。本当に!全部、そういうモードで一四年間鳴らしてきたんだからな。

一日に一四時間鳴らしてたって、俺に注意されたとき、五分間、一デシベル下げてやれば、それで「じゅうぶん静かにしてやった」「できるかぎり静かにしてやった」ということになる。その、五分間の音も、何度も言うけど、普通の人がびっくりしてしまうほどでかい音なんだよ。じゃ、「おばあちゃん」のうちで、きちがい兄貴が、静かにしたつもりの音で、鳴らしてみろ。「なんだこれは!!」「うるさい!!」ってなるよ。それこそ、五分ですら、そういうことになる。

一分でも、「そんなでかい音で鳴らさなくたっていいだろ」ってことになる。多分だけど、おばあちゃんとか、親戚の人、あれだけのでかい音で、音楽を聞いたことがないと思う。あれだけのでかい音で、ヘビメタを聞いたら、もう、ひっくり返っちゃうよ。そういう音なんだよ。そういう音で、一四時間鳴らしても、「静かにしてやった」だ。「静かにしてやったのに、あとからあとか、なんだ!!」って腹を立てて、鳴らしてた。

静かにしてないから、その五分間、のあとも、僕が、「静かにしてくれ」と言いに行く必要が出てくる。きちがい兄貴は、最大限静かにしてやったつもりなんだろうけど、実際には静かになってないから……ずっとうるさい状態が続くから……「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言いに行かなければならない。ほんとうに鳴ってない状態で静かに鳴っていたら、一度注意した後、言いに行かなくてもすむ。

……それを、きちがい兄貴は、「あとからあとから、がたがた言ってくるな」「ガタガタ言ってくると、もっと鳴らすぞ」なんて、腹を立てて言ってたんだからな。どこに、いいぶんがあるんだよ??どこに?? だれが、どれだけ静かにしたんだよ。いいぶんがあるなら言ってみろ。きちがい兄貴が、静かにするわけがないだろ。一デシベルゆずるのだって、いやでいやでしかたがなくて、恩着せがましい態度になるわけだから。

こういうふうに、困ることをし続けて、「やってやったやってやった」ってなるんだよな。きちがい兄貴ときちがい親父は!!!! 嫁さんに言っておく、きちがい兄貴が「静かにしてやった」とか言っても、それは、きちがい親父の嘘と同じ嘘だから。本人が、本当は、どでかい音で鳴らし続けながら、「できるだけ静かにしてやった」と思っているだけ。「できるだけ静かにしてやった」と思いながら、普通の人がびっくりするようなでかい音で鳴らし続けて……何時間も何時間もずっとずっと、一日中鳴らし続けて……平気な人なんだよ。

そういう感覚なの。そういう感覚の持ち主。もう、まったく、きちがい親父と同じ。本当に、親戚の家で、あのでかい音で鳴らしてみろっていうんだ。それで、「こんなの静かですよね」って言ってみろ。もちろん、普通の声で言ったって、聞こえないけどな。大声で「こんなの静かですよね」って怒鳴ったって、言葉がちゃんと聞き取れるかどうかわからない……そういう音のでかさで鳴らして、「しずかにしてやった」と思うことができる……そういうきちがいなんだよ。

で、これが、一度セットされたら、態度が変わらないんだ。一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、一四年間、態度が変わらない。本当に、きちがい兄貴が「静かにした」量なんて、本当に微々たるもの。というか、……どでかい音で鳴らしている。どでかい音で鳴らしながら「最大限静かにしてやった」と恩着せがましく思うことができるのが、きちがい兄貴。で、本当に、一度そうなったら、どれだけ、なにを言っても……どれだけもめても、そのままなんだよ。

毎日、十数年間、そういう態度なんだよ。そういう感覚なんだよ。だから、どれだけこっちが真剣に「やめてくれ」「やめてくれ」と入学試験前に怒鳴っても、やめずに、一〇時間も、ドカスカ鳴らっぱなしで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思えるわけだ。本当に頭にくる。こーーいう、感覚だから。全面的にすべて、こういう感覚だから……。こういう感覚だから、本当に、スイッチを切って、一時間、二時間我慢するということがない。

ヘッドホンだって、ヘッドホンをしようと思えばいくらだってヘッドホンをすることができたのに、一時間、……どころか三〇分だって、二〇分だって一〇分だって、ヘッドホンをして静かにしてくれるということがなかった。入学試験、一ヶ月前だって、頑固に全部、鳴らすという状態だ。そんーーな人が、普段の日に静かにしてくれるわけがないでしょ。それなのに、きちがい兄貴は、しずかにしてやった」と思っている。迷惑をかけてないと思っている。俺の勉強の邪魔をしてないと思ってている。

どれだけ、「勉強の邪魔だからやめろ」「勉強するからやめろ」「勉強するから静かにしろ」と怒鳴り込まれても、静かにしない。怒鳴り込まれた時だけ、腹を立てて、むすーーーーーっとした顔になっておしまい。で、そのとき、きちがい親父は、ほったからかだったんだよ。これ、絶対に注意してないから。なおさら、きちがい親父が、自発的に注意したことなんて一度もない。きちがい兄貴は、頑固に無視して、ドカスカ、どでかい音で鳴らす……きちがい親父は、頑固に無視して関わらない……というのが、毎年毎年、毎日毎日、ずっと続いてんだから。

そういう、家、なんだから。これ……俺が言っていることがおかしいと思うだろ。けど、ほんとうに毎日、毎年、そういう状態。そうでない日が、一日もない状態だよ。俺が騒いで、「家族会議家族会議」と言って、やつらを交渉のテーブルにつけようとするまでは、ほんとうに毎日、全く変わりなく、そういう状態が、普通に続く……。もう、いやだな。あー、いやだいやだ。……それで、鳴らしたということが、「外部」にバレて、居心地が悪くなったら「静かにしてやった」「できるだけ静かにしてやった」「そんなつもりじゃない」「そんなの知らなかった」だからな。

長くなってしまったけど……これだけ、書くあいだ……ずっと鳴ってたら、本当に苦しいんだよ。きちがい兄貴が静かにしてやった、つもりの、どでかい音で、これを書くあいだずっと鳴ってたら、苦しい。二〇分でも、三〇分でもずっと苦しい。連続的に苦しい。それが、一日に一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、続いたら、どーーーーんな、気持ちになると思っているんだよ???

長くなってしまったけど……本当にたくさんの友達から、さそわれたんだけど、ヘビメタ騒音で「それどころじゃないから」行けなかった。もちろん、クリスマスも、大晦日も、正月三が日も、フルの音で、フルの時間……きちがい兄貴がヘビメタを鳴らせるすべての時間……ヘビメタが鳴っていた。で、まあ、おちまくるわけだけどさ。

で、「エイリもなぁ……」ってことになる。「一緒に初詣に行って、合格祈願してたら、受かってたかもしれないのに……こないからぁ」なんて思われる。合格祈願は、関係がない。ヘビメタしか関係がない。それに、試験期間中だけやられたわけではなくて、……大晦日正月だけやられたわけではなくて、小学六年生の時から、やられて、中学三年間、フルに、全部やられている。やっと勝ち取った、最初の高校入試の前日以外は、すべて、きちがい兄貴が、フルの音で、フルの時間……可能な時間すべて……鳴らしている。そういう、三年間なんだよ。

友達と一緒に初詣、合格祈願に行かなかったというのは、ほんの一例なんだ。小さいことだと思う。けど、こういうことが、毎日積み重なっていく。一〇〇〇日鳴らされれば一〇〇〇日積み重なっていく。三〇〇〇日鳴らされれば、三〇〇〇日積み重なっていく。そして、体のだるさと、睡眠障害が積み重なっていく。その結果、引きこもりがちになる。友達とも、うまくいかなくなる。

何度も言うけど、毎日なんだよ。毎日、少しずつ積み重なっていく。「一〇年と一日目には、もうだめだ」ということになっている。ヘビメタ騒音で疲れたと言っても、一日目の疲れと、一〇年と一日目の疲れは、比べ物にならない。もちろん、一〇年と一日目の疲れのほうが、ひどくて、深刻だ。

ともかく、きちがい兄貴は、五分間一デシベル静かにしてやれば、「静かにしてやった」「ゆずってやった」という気持ちになる。それで、入学試験前の日曜日に一二時間鳴らしていても、まったく、迷惑をかけたと思ってない。その日に、一〇回、二〇回、やめろやめろと怒鳴りこんでも、意地になって鳴らすだけで、なにも感じない。自分が迷惑かけているとか、入学試験の邪魔をしているとか、勉強の邪魔をしているという気持ちになれない。なおさら、人生を破壊しているつもりなんてない。友達付き合いを破壊しているつもりはない。つもりはないけど、やることは同じだ。フルの時間、フルの音で鳴らし切る。怒鳴り込まれたとき、五分間、一デシベル下げるときはある。けど、その一デシベル下げた音が、猛烈な騒音なんだよ。きちがい兄貴は、「静かにした」と思ってしまうのだけど、きちがい兄貴が「静かにした」つもりで鳴らしている時の音は、客観的に言って、ものすごい騒音なのである。だから、そういう感覚自体が狂っている。だから、入学試験の前に、一日中、ドカスカ鳴らしても、なにも感じない。年が明ければ受験だという、冬休み期間中に、一日に一四時間鳴らしても、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思っているようなところがある。こっちは、鳴らされて困っているだけなのに。

で、どれだけ言っても、何回、言っても、つ・う・じ・な・い・んだよ。で、通じなければ、どれだけやったって、やったことにならないんだよ。「つもりがない」「そんなんじゃない」「静かにした」ってことになる。時間がたてばな。鳴らしている最中は、どでかい音で鳴らしているということを、頑固に認めないまま、頑固に、全部の時間、自分が満足できるデカイ音で鳴らし続ける。それでいいと思っている。それで、まったく迷惑をかけてないと思っている。

そういう、一〇年なんだよ。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、騒音を鳴らしている一〇年というのは。その一〇年間のあいだに、どれだけのことが積み重なったと思っているんだということだ。きちがい兄貴に言いたいのは、そういうことだ。「つもりがない」「静かにしてやった」……こういう態度で、頑固に全部の可能な時間、きちがい的にうるさい音で、鳴らし続ける。これが、きちがい兄貴が、この世で本当にやったことだから。

勝手に言い換えてんじゃない! 勝手に、脳みそで変換するなよ!! 自分が思いっきり、やりきれるなら……好きな時間やれるなら……脳内変換なんて、おちゃのこさいさいだよ。やりたいことを優先して、現実認知を捻じ曲げる。現実認知をねじ曲げれば、できることであるなら、現実認知をねじ曲げて、強引にやり切る。どれだけ言われたって、なにもしてないつもりで、血相を変えて、頑固に全部、やり切る。これが、きちがい兄貴が、この世で、一四年間にわたってやったことだよ。足掛けで計算すると一五年間だ。

一五年間、血相を変えて、毎日やったことでも、「つもりがなかった」「そんなつもりじゃなかった」「静かにした」「ゆずった」「そんなに鳴らしてない」だからな。

初詣だけではなくて、成人式にも行ってない。同窓会にも行ってない。おまえ、どれだけ!! どれだけ、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が、俺のそういう選択に影響与えていると思っているんだよ。浪人中で、成人式なんて、格好悪くていけるか。で、二十歳の時の大学受験でも、ずっと毎日、ヘビメタが鳴っていて、当然入試の前もヘビメタが鳴っているという状態なんだよ。中学三年の時と変わらない。何千回、何万回、「やめろ」「静かにしろ」といったと思っているんだよ。一日に一〇分だって、ヘッドホンをしなかったんだよ。一日に一〇分ですら、絶対に静かにしてくれなかった。これが、きちがい兄貴がやったことだ。「静かにしなかった」と「静かにした」じゃ、正反対の内容だろ。きちがい兄貴の認知のずれがあると、正反対の内容を言うようになる。で、きちがい兄貴のやり方があまりにも「きちがい的」だから、他の人は、俺が言っていることより、きちがい兄貴が言っていることを信じたくなる。「そんな、ひといない」「そんなことはない」だからな。

普通に毎日、そうやって、俺の人生を破壊し続けてきたんだよ。きちがい兄貴。「つもりがない」まま、……どれだけ、何回言われても、どれだけ何回怒鳴り込まれても「つもり」が生じないまま、全部の可能な時間、がめて、どでかい音で鳴らし続ける。それが、きちがい兄貴がこの世でやってきたことだ。それ以外にない。それ以外に形容することができない。それ以外に説明することができない。きちがい兄貴よ。おまえ、生きているあいだ、ずっと嘘をつくのか?

一〇代の日が、毎日ヘビメタ騒音だったから、死にたい。

おさえつけて鳴らして、無視して鳴らした。一日に一分だって、静かにしてもらってない。


2015年7月15日水曜日

これからやりたいこと、リスト。





これからやりたいこと、リスト。

ものすごくかわいい、女の子と付き合う。
ものすごくかわいい、女の子と共同生活をする。
一年間共同生活をして、うまくいくなら、結婚してもいい。
(結婚には、こだわらない)。
(ものすごくかわいいというのは、僕にとってものすごくかわいいということだから、僕の趣味が激しく投影される)

中型バイクの免許を取る
中型バイクで、ツーリング?をする。

全国を旅して、写真を撮る。
写真を売る。写真を加工して売る。

全世界とは言わないが、世界を旅して、写真を撮る。

(恋愛感情はないけど)
ものすごくかわいい人の写真をとって、加工して売る。
(これは、WEB素材ということです)

哲学思想に関して、ものすごく話し合える人と話をして、本にして売る。
心理学について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。
経済学について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。
教育学について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。
「底辺」の問題、経済的な不平等の問題について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。

ヘビメタ騒音について、小説を書いて、本にして売る。
(電子出版でもかまわない)。
(本にして売るといった場合、電子出版でも構いません)。

自分が満足できる抽象画を描く


と、まあ、発表できるリストはこんな感じか。

難易度に関しては、いろいろ頭のなかで考えた。文章にするべきか迷う。
「ものすごくかわいい、女の子」というところでもう無理なんだよな。

あとは、「つまらない」感情がつきまとう。たとえば、
中型バイクの免許を取る
中型バイクで、ツーリング?をする。
は、ちょっとはやってみたいことなんだけど、ものすごくやりたいことではない。
だから、優先順位が低い。抽象画も言ってみただけみたいなところがある。頭のなかの混沌をなんとか表現してみたいとは思っているんだけど。

まあ、頭がモヤモヤしいる状態で、バイクはまずいだろ。

あとは、放射能汚染されてない魚を使った寿司を食べたい。なんか有名な寿司屋で、ちゃんとした寿司を食べてみたいな。

フランス料理も、食べたことが一回もないので、生きているうちに、一回ぐらいは食べておきたい。

けっきょく、僕がやりたかったことというのは、学問なんだよな。女の子のことをのぞけば。あとは、デザインとか絵の関係か。一応、ここだけの定義だけど、学問というのは、まだ解決してない問題について議論することだ。突き詰めて議論をしたいんだよな。僕は。

けど、もう、なんというか、「抜けてしまっている」ところもある。








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「つまらない」って感情が。「つまらない」って感情がどうしてもあるんだよな。普段から、どうしてもある。ヘビメタ騒音以降、ずっと、引きつって……。引きつって努力して、動かないからだを動かそうとして、失敗して果てたという感情がある。ヘビメタ騒音が鳴っている時の、俺の「引きつり」といったらない。本当に苦しかった。鳴っている時だけではなくて、鳴ったあと、学校に行って、普通に活動するというのが、ものすごく苦しかった。鳴っている期間中、苦しかったし、鳴っている期間が終わった後も、けっきょく、苦しかった。ヘビメタ騒音が一五年目に終わったんだけど、そうしたら、ヘビメタ騒音一四年と数が月の影響がなくなったかといったら、そうじゃないんだよ。体がダルイし、人生の大切な時期をうしなったというのは、かわらない。特に、体が元に戻らない。これ、あんまり言いたくないけど、やっぱり、脳みそとか神経とかやられている感じがする。まあ、その一五年間、もっと、厳密に言えば、最初の六年間で、うしなったものが多すぎる。あれはない。最初の六年間、……いや、七年間、普通に暮らせたらな。小学六年、中学一年、二年、三年。高校一年、二年、三年のすべての日を、ヘビメタ騒音に関係がなく、すごせたら、ぼく、本当に違ってたと思うんだよな。でかいんだよな。他の人には、「そんな、過去の騒音なんてどうでもいいじゃない」「いまのことを考えようよ」と言われそうなんだけど。あの六年で、全部うしなった。本当にでかい。死にたい。まあ、前にも書いたけど、ぼくにとって「死にたい」というのは「より良く生きたい」ということだから、気にしないで。心配をしてくれる人がいたら……。まあ、死にたいと書くのは良いことではない。すまないと、あやまっておく。


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このあと、いろいろと考えたんだけど、書けなかった。





2015年7月14日火曜日

兄への手紙 答えろ(5)

これも、今になれば、今の家族に対して、まるで、「静かにしてやった」ようなことを言ってるんだろ。きちがい兄貴が静かにしてくれたことなんて、一日しかないから。その一日で懲りたのか、そのあと絶対に、一日だって静かにしてくれてないから。毎日、三〇分静かにしてくれたことがあるか? そんなのあるわけがないだろ。だから静かにしてないんだよ。きちがい兄貴が鳴らしているのに、中断して一分間、静かにしてくれたことがないんだよ。そういう日が、一日もないんだよ。きちがい親父と同じで、い・ま・に・な・れ・ば、「静かにしたぁ!静かにしたぁ!静かにしたぁ!静かにしたぁ!十分静かにした!!できるだけ静かにした!!」絶叫、なんだろうけど、静かにしているわけがないだろ。その静かにしたというのは、カオ君が一分間、聞いただけで、「こんな音で鳴らしてて、だいじょうぶなの?」と疑問を持つような、どでかい音なんだよ。きちがい兄貴が、静かにしたというのは、きちがい兄貴が静かにしたつもりで、カオ君が驚くような音で鳴らし続けるということだから。客観的には、全然、静かになってない。

「カオのことなんて、よく覚えているなぁ」ぐらいの感想しかないんだろう。あとは、嫁さんや、嫁さんの家族の前で、いいわけしているだけなんだろ。兄貴と親父は、そっくりだ。今になれば、親父は「注意した注意した」、今になれば、兄貴は「静かにした静かにした」だ。嘘だね。これ、なんなんだよ。きちがい兄貴なんて、たぶんだけど、「あのころは、そんなんだったのかなぁ」ぐらいの気持ちしかない。あとは、弟が言うように静かにしないで、頑固に鳴らし続けたということが……あるいは、そうしたということを認めることが、都合がわるいことだから、「静かにしてやった」「静かにしてやった」といいわけしているだけだろ。きちがい兄貴が、普段の日!一分間だって、中断して静かにしてくれたことがない。毎日そういう状態だった。何年間も何年間も。例外なく毎日、そういう状態だった。何年間も何年間も。静かにしてないから。入学試験、一ヶ月前だって、二週間前だって、三日前だって、二日前だって、一日前だって、ヘビメタ騒音対策に追われて、全然、勉強ができなかった。鳴っているから!! おまえ、きちがい兄貴、おまえが、部屋にいて、鳴らせるのに、鳴らさないで、我慢してくれたことなんて、一日しかないんだよ。それ以外の日は、一分だって、中断しないで、全部の可能な時間、鳴らしている。入学試験シーズンだって、入学試験前日だって、きちがいヘビメタ対策で、ひきつってたよ。どういう気分で、一時間、二時間、三時間って、蹂躙されていくかわかるか??? 鳴らされたまま、時間がたっていくって、わかるか? 過去、数年間にわたって、毎日、蹂躙された音に、その日も!!!蹂躙されたまま、一分、二分たっていくという時の、一分、二分の、気持ちがわかるか!!! おまえ、きちがい兄貴、ヘビメタ以外音で、音源で、きちがいヘビメタを鳴らしていた時の音と同じ大きさで、なにかを鳴らした時があるのかよ?? 俺は、やれと言ったぞ。言ったというよりも、書いた。何回も書いて送っているからな。きちがい兄貴が、ヘビメタの音を、フォークギターぐらいの音だと思っていたら、大間違いだからな。そういうのだって、やっている当時一五年間に渡って、認めないわけだろ。俺は、兄貴がヘビメタの音を、フォークギターぐらいの音だと思っているとは思ってなかったので、(きちがい兄貴が家で鳴らしている間)そういう言を聞いたことはなかったけどね。

ともかく、親父が「何回も注意した」と言ってるんだよ。
で、きちがい兄貴は、親父に、直接注意されたことがあると思っているのか、ないと思っているのか、答えろ。自分のことじゃなくて、きちがい親父のことだから、正直に答えられるだろ。

で、あると思っている場合(あると認識にしている場合)それは、何回か、答えろ。
人生のなかで、何回、親父に、ヘビメタ騒音のことを注意されたか、答えろ。これ、何回、面と向かって注意された事があるかどうか、ということだからな。直接だよ。直接。自分のことじゃなくて、きちがい親父のことだから、正直に答えられるだろ。

それから、きちがい親父に直接注意されたあと、ヘビメタ騒音を中断して静かにしたことがあるのかないのか、答えろ。ある場合は、何分ぐらい、(持続して)静かにした(鳴らさずに、静かにした、もしくは、ヘッドホンをして静かにした)か答えろ。これは、自分に関係たことだから、正直に答えることはできないか???

きちがい親父も、きちがい兄貴も、同じなんだよね。こういう状態なんだよ。こういうことなんだよ。したのかいで、俺と親父が、ヘビメタ騒音のことをめぐって、どれだけ、喧嘩してたって、絶叫して言い合いをしていたって、きちがい兄貴は、シランプリで、二回でドカスカ鳴らしているというのが、うちの、ノーマルな状態だから。きちがい親父がいたということは、俺が二十歳ぐらいの時の話だ。俺が小学六年生から中学三年の入試直前で、「いたことすらない」のだから。高校一年生から高校三年生の入試直前まで、「いたことすらない」のだから。親父が、うちにいたことがない。きちがい兄貴が鳴らしているあいだ、いたことがないんだよ。毎日、注意、しなかった。いたことがないから。きちがい兄貴が起きる前に、きちがい親父は、家を出て、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らし終わったあとに、帰ってくるんだから。この、ヘビメタを鳴らし終わったあとに帰ってくるというのは、三六五日中、三六五日、成立している。一日の、例外もない。俺が小学六年生から中学三年の入試直前まで、と、高校一年生から高校三年生の入試直前までのあいだ、一日の例外もなく、きちがい兄貴が鳴らし終わったあと帰ってくる。例外はないから。で、日曜日の午前中だけ、きちがい兄貴が鳴らしている時に、親父がいる。で、親父が「何回も何回も注意した」というのは、たとえば、日曜日は毎回、注意したということではないんだよ。逆に、入学シーズンをのぞいて、日曜日ですら、毎週、かならず、注意しなかったんだよ。これ!! これ!! 第三者が、親父が「何回も何回も注意した」と言っているところに出くわしたら、「そんなに鳴っているんだったら、日曜日は、注意したんだろうなぁ」って思っちゃうだろ。これが、嘘なんだよ。嘘のつもりがないんだよね。

で、「日曜日の午前中、毎回、毎週、注意しなかった」と俺が言うと、「そんなのは知らないけど、気がついた時は、注意した」って言うんだよね。あとは、「じゃ、どうしろってんだぁ!!!!!」だけどね。こういうの、「心外」なんだよね。「日曜日の午前中、毎回、毎週、注意しなかった」のなんて、当たり前のことで、親父が知らないはずがないんだよね。中学三年間、高校三年間、日曜日の午前中、親父が、自発的に、兄貴の部屋に行って、直接兄貴に、注意したことなんて、絶対にない。自発的にじゃなくて、俺日中してくれと言われて、しぶしぶ、注意しに行ったこともない。それで、兄貴が、日曜日の午前中、五分間で、鳴らさないで、静かにしてくれたことなんて、ない。そんな日曜日は、絶対にありえない。あるはずがない。

お母さん。きちがい親父もきちがい兄貴も、「いまになれば」こんな状態だよ。兄貴は、静かにしなかったのに、……親父は、注意しなかったのに、兄貴は、静かにした、親父は注意したと、真顔で言っているような状態だよ。鳴らしている時も、こういうふうに鳴らしてたんだよ。お母さんだけなんだから。あとは、都合が悪くなれば、勝手に自分の記憶を書き換えちゃうようなやつなんだから。やっているそばから、そうだよ。やっているときはやっているときで、絶対の意地でやって、認めないんだよ。こまったな~~~。本当に。全部これ。

2015年7月10日金曜日

お金はありがとうの量だという考え方について。


これは、ある意味正しい。運んでくれた人に、運賃を払うのは、正しい。運んでくれた人に運賃を払わないのは、正しくない。ものが生産される過程で、いろいろな人が関わっている。関わっている人たちが、いろいろなことを、してくれている。

だから、ものにお金を払うのは、正しい。それから、ものを作ってくれた人に、感謝の気持で、お金を払うというのは、正しいことだろうと思う。
けど、ここで、倒錯してしまってはいけない。倒錯というのは、だいたい、こうこうことだ。お金がある人は、「ありがとう」をいっぱい受け取っている。お金がない人は、「ありがとう」をちょっとしか受け取ってない。という考え方におちいってしまうことだ。

行為の回数と、お金が正比例しているわけではないのだ。付加価値とか、地位というものが影響している。実際に、苦しい作業をする人よりも、仕事を右から左に移しているだけの人のほうが、はるかに多くのお金をもらっているということが、普通にある。また、競争の世界だから、前は、一行為に付き一〇〇円もらえていたものが、今では一行為に付き一銭しかもらえないということが発生する。

そうすると、一行為に付き一銭しかももらえない人は、一日中、どれだけがんばって働いても、貧乏なままになる。お金がない人になる。一行為に付き一〇〇円もらえる時代なら、お金持ちとはいえないまでも、中流の中ぐらいのお金は持てる。貧乏ではない状態でいられる。
行為数とありがとうの数が、固定相場で決まっているなら、こんなことにはならない。行為数と関係があるのは、その行為、一行為あたりの、お金(賃金)である。

払うほうが、「ありがとう」という気持ちを込めて払うのはいいけど、「お金がない人は、ありがとうと思われる回数が少ないから、お金がないんだ」と思うのは、間違っている。

あとは、原発の現場作業員より、住民を置いて逃げてしまった、原子力保安院検査官のほうが、ずっと給料が高いという問題がある。この事、一つをとってみても、「給料の高さ(収入の高さ)とありがとうの数」が一致しないということがわかるだろう。

お金がない人は、感謝される量が少ないから、お金がないのだというのは、倒錯した思考だというのがわかるだろう。あくまでも、自分が、他の人に対して、あるいは、他の人がしてくれたことに対して、感謝の気持を持つということが大切なのだ。感謝の気持として、お金を払うというのは、悪いことじゃない。





2015年7月9日木曜日

兄への手紙 答えろ(3)

きちがい親父の記憶だと、何回も何回もあるらしい。頭がおかしいだろ。こういうことを、嘘でなく言えてしまうんだから。「注意した注意した」って、「注意しなかった」と言っている俺に、怒れるんだから。年をとったからボケたんじゃなくて、むかしっから、まったく同じ。というか、昔のほうが、そういうスレがひどいよ。ありゃ、ひどかったね。いまは、年をとって、まるくなっているよ。あれでも、本当に、当時にくらべたら、まるくなってまるくなってまるくなっている。当時は、ちょっとでも、自分にとって都合がわるいことを言われたら、発狂発狂発狂、で、本当に、顔を真赤にして、怒り狂っていた。今だから、ある程度、話を前に進めることができる。きちがい親父が、きちがい兄貴に注意したということについて、どういう認識を持っているのか、粘り強く、聞くことができる。もちろん、こっちも、絶叫しているけどね。むかしは、一歩目で、親父が怒り狂って、ふて寝してしまうので、それ以上、話が進まなかった。たとえば、兄貴の騒音のこととか。兄貴の騒音のこととか。兄貴の騒音のこととか。兄貴の騒音のこととか。兄貴の騒音のこととか。……きちがい親父が、とりあえず(相手が言うことを)否定して、怒り狂って、おしまいなんだから。その都度。その都度。その都度。その都度。その都度。その都度。それが、俺が小学六年生、中学一年生、中学二年生、中学三年生のときのきちがい親父の普通の態度だから。一〇〇回聞けば、一〇〇回怒り狂うということになっている。一〇〇%の確率で、わけがわからないことを言って、怒り狂う。話にならなかったんだから。今だって、その時の痕跡のようなものがあるけど、今は、俺のほうが体がでかいし、親父が暇で家にいるから、話が続く。けど、本当に、当時なんて、もう、話すらできなかったわけだから。当時って、きちがい兄貴が鳴らしていた「当時」と、同じ期間だ。まあ、親父は、その前から、狂っているけどな。

で、親父が兄貴に注意した時、兄貴は、静かにしたのかどうか、聞いたら、「静かにしたんだろ」って答えている。これは、どうも、「静かにしてやれ」といった時に、きちがい兄貴が、一時的に、話をするために、ヘビメタの音を下げたことを意味しているらしい。俺が聞いているのは、「静かにしてやれ」と兄貴の部屋に言いに行ったあと、持続して一〇分ぐらいは、鳴ってない状態になったのかどうか?ということだ。一〇分間、鳴ってない状態になったのなら、「一〇分間、静かにした」ということを認めてやる。ありえないことだけどね。一〇分間も持続して、兄貴が、ヘビメタを鳴らさなかった!!!!!こんな、特筆するべきことがあるはずがない。そんなのは、奇跡だ。奇跡の一〇分、奇跡の日と呼んでもいい。親父に注意されて、兄貴が一〇分間、ヘビメタを鳴らさずに、我慢した……そんなことは、絶対にありえない。
で、まあ、きちがいおやじに聞いたら、それは知らないだってさ。注意した時、相手がなにを言っているのか聞くために、兄貴がヘビメタの音を下げることはある。それは、人間だからな。けど、注目しなければならないのは、ヘビメタの音を下げなければ、兄貴の部屋で、普通の声で会話することができない状態になっているということだ。きちがい兄貴は、嫁さんに、静かにしてやったと言っているみたいけど、きちがい兄貴が静かにして鳴らしている?時は、人が言っていることが聞き取れないような音で鳴らしているわけだからな。

で、聞き取るために、五秒間静かにしたら、そのあと、四時間、連続して鳴らしていても、静かにしたことに鳴るのか? 四時間って、控えめな数字だからな。四時間のあと、ご飯を食って、そのあと、五時間鳴らせるのであれば、五時間鳴らしているんだよ。で、合計、一日に九時間鳴らしている時、五秒間、静かにしたから、静かにしてやったということになるのか? 

きちがい親父が、数段落前で、注意したと言っているだろ。で、その、注意した時、兄貴は、静かにしたのかどうか聞いたら、「わからない」だって。だから、きちがい親父の場合は、注意したら、注意したで、そこで、関心が切れちゃっているんだよ。自分が注意したあと、三〇分間、本当に静かにしなったのかどうか、まるで関心がない。そんなやつが、「注意した!注意した!」って絶叫してもな……。わらえる。ちゃんと、自発的に注意しているのであれば、それは、絶対に、忘れるようなことじゃないんだよ。自分が注意したあと、きちがい兄貴が静かにしたかどうかというのは、絶対に関心があることなんだよ。だから、自発的に注意したことがないだろ」って言っているわけ。で、「自発的に注意したことがない」と言われると、「自発的に、ちゃんと注意した!!注意した!!」ってなるんだよな。こいつは……。本当にそういうことの繰り返し。



2015年7月3日金曜日

俺は、本当に、他の人から、誤解を受けている

すべての時間を使って、俺の人生を破壊しようとしてきたのに、「つもり」がないんだよね。つねに、つもりだけがない。そして、つもりがなければ、やってないということになってしまう。一四年間にわたって、毎日、すべての可能な時間を使って、人の足を引っ張ってきたのに、……俺の人生の邪魔をしてきたのに、本人は、つもりがないんだよね。静かにしようと思えば、完全に、静かにできたのに、静かにしたくないから、静かにしなかった。完全に、つもりがあるだろ。毎日、注意されているのに……毎日、何回も「やめろやめろ」「静かにしろ静かにしろ」と怒鳴り込まれているのに、「そんなになっているとは知らなかった」だからな。こういう、しくみでずっと鳴らしてきたんだよ。これ、もう、言い様がない。「うちでは」鳴らすのがあたりまえだから、鳴らしているという感じだ。感じなんてものじゃいないな。「うちでは」鳴らすのがあたりまえだから鳴らす……「ガタガタ言ってくるな!」……こういう態度だ。毎日、変わらずに、すべての時間、こういう態度だ。こういう態度で、鳴らした。どでかい音で鳴らした。だから、鳴らしたと言っているのに、毎日、どでかい音で鳴らしたことが不都合な事になれば……「そんなつもりじゃない」「静かにした!静かにした!」だ。親父とまったく同じ。本当にそっくり。じゃ、静かにしてくれるのかといえば、真っ赤な顔をして、黙りこくって静かにしてくれない。試験期間中だろうが、一分だって静かにしてくれない。そういうやつが、一日に、何時間も静かにするわけがないでしょ。俺は、本当に、他の人から、誤解を受けている。も、う、いやでいやでたまらない。

「お兄さんに静かにしてって言えばいいでしょ」って発言をする人と、どれだけ、感覚が離れているか。どれだけ、世界が離れているか。もう、いやだ。いやでいやでたまらない。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。