2016年5月31日火曜日

三分鳴らされたら、三分間、感情的にめちゃくちゃにされる

もーいいや、つかれた。もーーう、いいや。ももももーーーーいい。どうでもいい。どうでもいいです。こんなにくそまじめに生きてきて、なーーんもいいことなかった。ヘビメタ騒音が始まってから、苦しくて苦しくて、苦しくてしかたがない。毎日がずっと苦しかった。いまもたいして変わらないんだよ。これが~~。これが、変わらない。だから、苦しい。いまも苦しい。おなじぐらいに苦しい。やられて一二年経ったある日の状態が、ずっと続いている。どれだけまじめにやろうとしても、ヘビメタ騒音でできない。ヘビメタ騒音の累積疲労でできない。けど、他の人は、ヘビメタ騒音の累積疲労なんて認めない。そこに行ったらそこでやるようにやらなければならない。けど、からだが重い。こころが苦しい。ヘビメタ騒音で苦しい。他のことで苦しいわけじゃない。きちがい兄貴は、ゼロだと思っているけど、俺の人生全部だよ。俺の人生全部の重さの分だけ、邪魔した。おまえが、邪魔をして砕いた。きちがい兄貴よ。おまえがやった。毎日やった。どれだけやるなと言っても、毎日やった。本人は、やっているそばから、やってないつもりだったらしい。そんな子供じみたというか、きちがいじみた言い訳成り立つわけがないだろ。きちがい兄貴、おまえは知っていたのに、自分の意地を通してやった。静かにしたくなかったから、静かにしなかった。なんだろうが、自分が完全に静かにしてやるのは、一秒だろうがゆるせなかったので、一秒だろうが譲らないで鳴らし切った。それがすべてだ。で、それがぼくの人生のすべてだ。これ、本当に、どーーーーしても、できないんだよ。すべてに影響を与える。すべてに、莫大な影響を与える。可と不可なら、不可になってしまうのだ。可になることがてない。合格と不合格なら、不合格になってしまうのだ。ともかく、きつい。イチニチジュウ二四時間、苦しいよ。本当に、きちがいヘビメタが鳴り始めた一一歳のあの日から、二四時間中二四時間ずっと苦しい。一日も解放されたことがない。ぼくが、動いているときどういう気持ちでいると思っているんだ?? きちがい兄貴。ぼくが、他の人と行動を共にしているとき、どういう気持ちでいると思う? ぼくが他の人と行動を共にしているとき、感じることは、「ヘビメタでくるしい」ということだ。他の人と歩いているときだって、……ヘビメタ騒音で元気がないから他の人の後ろを歩きがちだけど……ヘビメタ騒音で破滅的につかれたから横になっていたのだけど無理矢理に他の人とあわせて行動しているとき、ぼくがどういう気持ちでいると思うんだ? 「ヘビメタ騒音で苦しい」という気持ちだ。なにをしているときも、どんなときも、ヘビメタ騒音で、苦しかった。からだもこころも、重い。「ヘビメタをやめさせないと、ひどいことになってしまう」「このままじゃおしまいだ」という気持ちがものすごく強い。ともかく、苦しいのである。いまになれば、「わかったわかった」などと軽くいうかもしれないけど、その言葉を発すれば、実際に自分が鳴らさないで静かにしなければならないときは、絶対にそんなことは言わなかったんだよ。おまえ、もう、鳴らさなくてもいいから、「そんなんだったのかな」とか「(苦しかったということについて)わかったわかった」とかいうんだろ。けど、おまえ、きちがい兄貴、わからなさが異常。き○がい。他の言葉がない。サイコパスというより、本当にき○がいなんだよな。わからなさがおかしい。通じなさがおかしい。あんなの、ひとことで、通じる内容なんだよ。あんな音で鳴らしているのに、「うるさいから、静かにしてくれ」「鳴らさないでくれ」と言われて、相手が「うるさいから、静かにしてくれ」「鳴らさないでくれ」と思っているということが通じないなんてことがあるか? そも、一四年間ずっと毎日。頭がおかしいだろ!! こんなの、実際に静かにしてやるのが、絶対に嫌だったから、わからないことにして、ずっとエレキギターを弾いていた……ステレオをどでかい音で鳴らしていたということだけだろ。本当は!!! 本当はわかっているけど、本当に静かにしてやるのは、たとえ一日一分だろうが、やってやりたくないし、静かにしてしまう?自分がゆるせないのだろ。なんでかというと、全部鳴らせて、あたりまえだからだ。一分だって、本当にゆずって、静かにするということは、きちがい兄貴の辞書にはないのである。だから、どれだけ言われても、革新的な部分はわからないことにして、それで、むかっときたり、へらへらしながら、鳴らしている。鳴らし続ける。何回言ったと思っているんだ。一日に何回言ったと思っているんだ? 試験期間中だって、一日に何十回言われたって、一分だって本当には静かにしてやらなかったんだよ!! そういう意地になって、やること、やったことを、本人がやったと認めない。これが、きちがい親父とおなじ性格だ。きちがい親父と同じことをしやがって。本当にゆるせない。しかも、親父の場合は親父を無視すれば、かなり軽減できるけど、きちがい兄貴の場合は、ガンガンガンガンもっっっのっっっすっっごごい音で鳴っているんだから、無視できないだろ。存在をアピールしているだろ。きちがい的な音で鳴らすと言うことで、問題を作っている。これ、きちがい親父の場合は、血相を変えて、こっちが言うことをまるで聞かないでやりきるけど、そのこと自体では、問題を作れないんだよ。騒音じゃないから。きちがい親父の場合は、きちがい的なこだわりで、わけのわからないことをやって、発狂していただけだから、なんていうのかな?自分に関係がないことなら、どうでもいいんだよ。無視できる。けど、きちがいヘビメタ騒音は、そのものが問題だから、鳴らされているのに無視するということはできない。そりゃ、きちがい親父のやり方だと、関わっているのならば、感情的にめちゃくちゃにされるけど、それ自体の問題じゃないんだよ。きちがい兄貴のは、騒音で、それ自体が問題なんだよ。きちがい兄貴が意地を張って、将棋のこまを動かしていたなら、ぜんぜん関係がないことなんだよ。わかるか、おまえ!!きちがい兄貴!!! おまえの騒音は、きちがい親父にやられたのよりも、ずっと腹が立つよ。三分鳴らされたら、三分間、感情的にめちゃくちゃにされる。一二時間鳴らされたら、一二時間、へちゃむくれだよ。これ、本当に一日に一二時間って、ものすごくつらいからな。そういう一日だって、きちがい兄貴は、普通の日としてカウントしていて、特にやったつもりがないんだろ。その日俺が二〇回、二一回「やめろやめろ」と怒鳴り込んでも、最終的には全部やって、最終的には、戦前期にしてない状態なんだろ。イチニチジュウ!! やっている一二時間だって、むきになって怒ったりするけど、俺このとは、ぜんぜん気にしてないわけだろ。そういう一二時間なんだよ。そういう日が四〇日間続いたって、一日も鳴らしてないのとおなじ気分でいられる! これがどういうことだかわかるか? きちがい兄貴!! おまえは犯罪者だ。死んでくれ。俺の人生を返してくれ!! カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!カエセ!!!!!

2016年5月30日月曜日

●「いらない子がきた」

付け足した部分を再度投稿。あとで消去するべき。



●自分はぶっ飛ばされて、おんだされた

こどもというのは、感情の人間サンドバックで、自分の怒りをぶつけるようなものなのである。頑固親父にとって、小さいこどもというのは、そういうもなのである。だから、「居合わせれば」何かと理由をつけて、爆発する。二〇分一緒にいれば、何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も、爆発して怒りくる。よくそんだけ、わけのわからないことで「発狂」「激怒」できるなと思うほど、わけがわからないことで怒る。

ただ単に、機嫌が悪くなって怒るという感じではなくて、本当に、一つ一つが「爆発」なんだよ。あとは、金に関しては……金で、意地悪をしていじめるんだよ。本人はまったくそういうつもりがないんだけど、いつもそうなる。

だから、頑固兄貴の金に対するこだわりが、尋常じゃないのである。金でいじめられたから。金を持っているほうの!考えが!勝つわけだから……。こどもの時は、買ってもらうしかないわけだから……。

で、親父は、普通に買ってやるということが、どうしても、できない人なんだよな。親父になにかを買ってもらうとなると、かならず!!!ひどい目に遭わされるのである。これは、認知療法家が考えるような非合理的な思考ではなくて、本当に、かならず!!! ひどい目に遭わされる。そういうことを、なんの根拠もなく、「すべてではないのだから、かならず、ということは成り立たない」などと、涼しい顔をしていうのが、非合理でひどいことなんだよ。間違っているからな。本当に、サイコパスのしくみがわかってない。構造的に、絶対に、相手の思い通りには動きたくないという気持ちがあるんだよ。

だから、自分が金を出して相手になにかを買ってやるとなると、かならず、相手にとって役に立たないものじゃないとだめだということになる。相手が、喜んでしまったらダメなんだよ。自分が買ってやることで、相手が喜んだり、助かったりしてしまっては、「立つ瀬がない」んだよ。我慢ならないんだよ。そんなことはあってはならないんだよ。一回だって、絶対にあってはならないことなんだよ。もし、そんなことが成り立つなら、自分はどうだったんだ!??ということが、問題になる。

「自分はぶっ飛ばされて、おんだされた」のである。

で、これに、親父がこだわってないから、無意識的な力として暴れてしまうのではないか。親父が、自分と「育ての親」のあいだにあったことを、ちゃんと認識していれば、なんで自分がそんなにも腹が立つのかわかるんだよ。腹が立つということが認識できる。

けど、親父は、「自分は過去のことは水に流した」と思っている。かつて自分の育ての親がやったことは、しかたがなかったことだと思っている。だから、「しかたがない!しかたがない!!」と怒鳴ったり、「水に流した水に流した」と怒鳴ったりするんだよ。「オンダサレタ!オンダサレタ!!なんだなんだなんだ!!!」と怒り狂う。

これは、意識の上では、「水に流したことになっているから」しょうじるやっかいなことなんだよ。きちがい親父が、きちがい的な理由で怒ったとするだろ。これは、もう、いちゃもんで、こどもがちゃんと座っているのに「なんだ!その足は!!」と怒り狂う。

で、怒っているときは、別に、理不尽なことをしているつもりが一切合切ない。怒っているときは、自分が本当にひどい目に遭って怒っているつもりなのである。

相手が、ひどいことをしたから怒っているつもりなのである。だから「ダレダッテオコル!!ダレダッテ、オコル!!」とものすごい目つきになって怒るわけで、自分が、取るに足らない小さなことで怒っているという認識がない。気持ちがない。「そのとき」は、怒り狂っているし、その時は、怒り狂って当然だと思っているんだよ。相手が、たとえば、座っていることで……その足の形で座っていることで、ものすごい目に遭った気持ちがしているわけだよ。

だから、「そういうことで怒らないで」と(妻から)言われても、逆上がとまらない。あっちこっち、理由を探して怒り狂う。

で、それは、当然なのである。やって当然。やって当然なんだけど、理由がないことで怒ったということは、まるで認知されてないんだよ。その時その時で、切れちゃっているわけ。つながってない。だらか、「そういうことで怒った」ということを言われると、今度は「そんなこと、してない」「ナンダナンダナンダ!!」と怒鳴って本気で怒り狂う。

その時はその時で、「自分はそんなことはしてないのに、そういうことで怒ったと言われて、どれだけ傷ついたかぁ!!」ということで、発狂する。で、その発狂のしかたが、最初、足の形で怒った時と同じなんだよ。

これ、本当に理由がない。普通に座っているだけなんだけど、怒り狂う。兄貴が、赤ん坊の頃、病気で寝ていたということで、怒り狂っている。理由なんてないんだよ。まあ、この場合は理由がある。

それは、妻が、こどもの看病をしているのが気に食わないという理由だ。自分が帰ってきたら、すぐさま、自分の世話をしろという気持ちがものすごく強い。だから、病気のこどもなんて、邪魔で邪魔でしかたがない。

そういう気持ちがあるんだけど……妻を独占したい、あるいは妻の行為を独占したい……自分のことだけやってほしいという強烈な気持ちがあるんだけど、……その気持に気がつかない。だから、病気で寝ているこどもは、邪魔で邪魔でしかたがないのである。そりゃ、こどもの方に、リソースをとられたいやなわけだから。こどもの世話をする分だけ、自分が待たされたら、いやなんだから。だから、怒る。一秒でも待たされたら、「ナンダ!ナンダ!!」と発狂する。

けど、別に、そういう理由で怒ったという気持ちがないんだよね。認識がない。だから、「ナンダ!ソンナトコロニ、ネテ!!!」と絶叫して怒り狂う。親父にしてみれば、ひどいことなのである。自分が帰ってきた時、こどもが病気で寝ているということは、ひどいことなのである。だから、なじって、発狂して、怒鳴ってということになる。けど、本人は、そういうことでナンクセをつけて怒っているという気持ちが、ない。

あたりまえなのである。その時はあたりまえで、相手が(こどもが)そんなところに寝ているから、自分が腹を立ててあたりまえだという気持ちなのである。だから「ソンナトコロニネテ!!」と怒り狂う。じゃ、どんなところに寝ていればよいのかというと、それは、ない。ないんだよ。そんな場所はこの世に存在しない。サイコパス親父が!満足できる!こどもの寝場所なんてというのはない。その時!そこで!!寝ているということが、気に喰わないわけだから。(目に入ったから、怒り狂うわけで、目に入らなかったら、そのことでは怒り狂わない。他の「わけがわからないこと」で、お母さんが、怒り狂われることになる。)





●無意識の領域に抑圧したからこそ、わけのわからない小さなことで爆発する

本当、認知療法家とかその流れをくんだ人たちは、「しかたがないことは諦めましょう」というような考え方をする。他の人達も「どうしょうもないかのことは、諦めましょうと」いうようなことを言う。

で、意識の上では、親父もそうやって、水に流したつもりなのだ。だから、……だからこそ、右記のような、爆発が生まれる。無意識のレベルでは、許してないので、(自分が自分の感情を出せる場所で)怒り狂うということになってしまう。相手が小さくて弱いので、自分の感情の「ふた」が取れてしまうのである。親父にとっては、「うち」というのは、そういう場所なのである。

意識の上では、水に流したつもりの怒りを、こどもたちにぶつけまくる。親父が怒っているのは、こどもが寝ていて、妻のリソースがこどもにさかれるから、いやだということもあるんだけど、それは、本当の理由ではない。心的エネルギーの強さに対応した本当の理由ではない。

そこで蕩尽されている心的エネルギーは、かつての自分が育ての親に感じた怒りなのである。言いたいのは、スカラーの問題なんだよ。心理的な力動の問題。心理的なエネルギーの強さの問題なんだよ。その場所に充当されているのだけど、エネルギーの強さは、かつて親代わりに、やられた時の感情の強さなのである。

かつて、自分が養子で文句を言えない立場だったのだけど、自分が虐待されてつらかった……怒ったけど、怒りを感じたけど、怒りをぶつけても親代わりに打ちのめされるだけで、どうすることもできなかったということが……爆発してしまう本当の原因なのである。そこで蕩尽される心的エネルギーの大きさは、実は目の前の不愉快な出来事(こどもが病気で寝ているから、妻のリソースがさかれる)……ということに対応しているわではなくて、自分が小さな時、育ての親が自分を虐待したのに文句を言えなかった……文句を言ったらなぐられたということに対応している。

だから、ベクトルとスカラーの問題で、本当の場所じゃないところに、強大な心的なエネルギーをぶつけているのである。本来の場所は、当時の育ての親なのである。対象が違う。怒りをむける対象が違う。だから、どれだけ「怒っても」「怒っても」対象が違うから、根本的な解決にならないのである。なので、常に爆発寸前のボイラーのような状態なのである。だから、理由がないことで、怒り狂うことができる。(帰ってきたら、こどもが病気で寝てたというのは、一応、怒る理由があることなんだけど、本当に、まったく怒る理由がないところで怒ることができる。それが、こどもの歩き方とか、髪型とか、足の形とか、特に理由がないところで怒ることができる本当の理由だ。)

で、それは、感情的にイーブンなのである。その親代わりに向けられるのであれば、理由と感情が釣り合っている。しかし、水に流したことになっているから、場所がないのである。そういう感情を向ける場所がない。

で、些細な、どうでもいいところに「むかって」怒るわけなのである。だから、些細なところ向けて怒っているのだけど、そこで消費されている心的エネルギーは莫大なものになってしまうのである。だから、本気で爆発して怒りが収まらないのである。そこで蕩尽されている心的なエネルギーの源(みなもと)は、自分にいじわるをして虐待した育ての親に対して持った復讐心、憎悪、怒りなのである。





●「いらない子がきた」

「やられたらやりかえす」ということになっているけど、きちがい親父は、育ての親に、やりかえすことができないまま成人しちゃったのである。もっとも、「すてられて」、浮浪していたわけだけど。親父はだいたい九歳ぐらいのときに浮浪児になっている。これは、うまいことだまされて、本当に家を「おんだされた」のである。親父の親父はもともとは、けっこう裕福なところに生まれた人なんだよ。ボンボンなんだよね。駆け落ちして、勘当されて、親子の関係・親戚関係が全部切れているんだよね。親父のお母さんも、勘当されて、親子関係・親戚関係が切れている。

駆け落ちした頃はまだ、金があったのだろう。写真館で撮ったと思われる赤ん坊の頃の親父の写真がある。けっこう、金がかかってそうな写真館で撮った写真がある。たぶん、写真館だと思う。家じゃないと思うな。

まあ、それで、生活できなくなって、親父の父親が自殺してしまう。だから、関係が切れた親戚に、「いらない子」として引き取られることになるんだよ。そこで、ものすごい虐待を受ける。で、養子縁組の話などもあったんだけど、あんまりうまくいかない。引き取ってくれるところに行ったときに、寝小便をしているんだよね。

で、「こんな子おいてられない」と言われて、話がなくなったというようなことがあったらしい。たぶんだけど、幼い親父の夢遊病みたいなものは、不安が作り出していたと思うんだよ。寝小便もそう。(たぶん、不安で小便をしてしまったんだろうけど、ひょっとしたら、「この人は大丈夫なのか」寝小便で調べたのかもしれない。まあ、意識してやれることじゃないんだけどね。)

で、親戚の家に戻ったりしているんだけど、親戚の家はいくつかある。いくつかあるんだけど、どれも、もう親戚関係が切れていて、なおかつ物資がない時代だから、その家の人達も食べ物に困っているような状態なんだよ。そこに、「いらない子がきた」ってことで、さんざんいじめられる。で、いくつかの親戚をたらいまわしにされたりしてたんだけど、やっと、養子縁組で良い人にめぐりあったんだよ。そうしたら、その良い人が、割とすぐに死んでしまう。だからまたそこで振り出しに戻って、いやでいやでしかたがない親戚の家に行かなきゃならなくなる。そういう状態なんだよね。

で、ともかく、親父の場合自分が相手になにかをやってやらなければならなくなった……ということ自体が、怒り狂いの種なのである。さらに、自分が「相手の言うとおりに」金を出してやるということは、絶対にやってやりたくないことなのである。発狂しちゃう。

だから、話自体(はなしじたい)をぶちこわして、「金を払わない」ということを、現実化する。で、その腹が立つやりとりというのは、頑固親父のほうでも、不愉快なことなんだよ。けど、爆発して、「なかったこと」にしちゃうと、とりあえず、その場はしのげるわけで、その場がしのげれば、「なんにもなかった」ことになっちゃうんだよ。わかりますかね? こういうの。どれだけ、世界が違うか。認知療法家や常識的な人が住んでいる世界とどれだけ違うか? わからないから、俺が変なことを言っているように、聞こえるだけだろ。

そうすると、たとえば、「家族で話し合えばいいというすごくいいアドバイスに、俺が興味を示さなかった。だから、だめなんだ」というふうに思ってしまうのである。まあ、認知療法家はさすがに抜かしておくけど、常識的な人はそうだ。「人のアドバイスをなんだ」と思ってしまうわけだよ。家にサイコパスがいて、サイコパスを相手にしていると、「よそ」の人から、誤解を受けるんだよな。



   *   *   *



とは、言え、どうしたものかな?

時間は過ぎていく。


   *   *   *



時間は過ぎていくわけだけど、本当に腹が立つ。どうにもできない。頑固親父の金に対する態度と、頑固兄貴のヘビメタ騒音に対する態度がおなじなんだよ。うり二つ。まったくおなじ。コピーみたいなもの。複製。意味がなくても、やってやったら、ものすごくやってやったつもりになる。本当は「やってやらなかった」ということなのに、本人は、ものすごくやってやったつもりになる。

本当は、やってやらずに、いじめた、あるいは、自分の意地を通して困らせたのに、自分はじゅうぶんにやってやったと思う。頭がおかしいからそう思える。「役立たず」なんだよ。一円というのは、自分の中の比喩で、実際に親父がやったことではない。けど、態度としてはそうだ。……一円でもあげたら、ものすごいこと。一円あげた。やってやった。「やってやったのになんだ!!」と発狂する。

一〇円のものを買うのに、一円しかくれなかったら、九円足りないから、買うことができないんだよ。買うことができないという現実がある以上は、助けてくれたわけじゃないんだよ。

じゅうぶんな金を出してくれたわけではないんだよ。自転車事件の時だって、ハンダゴテ事件の時だって、電球事件の時だって、電池事件の時だって、便所事件の時だって、トオセンボ事件の時だって、机事件の時だって全部おなじだ。自転車事件、ハンダゴテ事件、電球事件、電池事件、便所事件、トオセンボ事件、机事件は実際にあったことだけどな。親父が関わると全部、空中分解で、頑固親父が発狂して終わる。

ぶちこわし!! 全部!ぶちこわし!! あいつが関わって、うまく行ったことがないだから。サイコパス兄貴? 兄貴のは、一デシベルでも静かにしてやったら「静かにしやった!!静かにしてやった!!」だよ。親父は一円で、兄貴は、一デシベル。一デシベルでも静かにしてやったら、どれだけでかい音で鳴らしていても、「静かにしてやった」「じゅうぶん静かにしてやった」ということになってしまうのである。

相手にとってまったく効果がないのに、「やってやったやってやった」って騒ぐ。普通なら、意地悪をしてやるつもりでやることなのに、心底、「静かにしてやった」と思っている。あんなでかい音で鳴らしていて、「静かにした」というのは、本当にギャグで悪意があるとしか、思えないのだけど本人は、本当に「静かにしてやったつもり」なのである。

だから、「静かにしてやったのに!なんだ!!がたがた言ってきやがって!!がたがた言うならもっと鳴らすぞ!!」みたいなことを言って、執着して執着して、そのまま、エレキギターを爆音でかき鳴らすのである。それで、何時間やっても、……その数時間の間、何回文句を言われても……まったく相手に悪いことをしたと思わないのである。

思わない日々なのである。思わない毎日なのである。

思わない毎日一〇年間、なのである。



だから、その調子で、入学試験前にずっと一〇時間鳴らしていても、ぜんぜん悪いと思わない。本人は、一デシベルでも静かにしてやったら、それがどれだけうるさい音でも、静かにしてやったつもりになるから、「静かにしてやった」という気持ちのままなのである。「静かにしてやった」という気持ちで、兄貴の友達が「こんな音で鳴らしていて、家の人、文句を言わないの?」と思わず聴いてくるような音でやっても、でかい音で鳴らした……相手がやめてくれと言ってくるのに、それを聞かずにでかい音で鳴らした……相手が自分の音をいやがっていることを知っているのにでかい音で鳴らしたという……つもりが一切合切わかない。

一切合切わかない日々だから、そういう日を五〇〇〇日以上繰り返しても、まったく、つもりがないまま」なんだよ。俺がこういうことを書いて、兄貴の、いま住んでいるうちに送るだろ。そうすると兄貴の嫁さんが見るわけだよ。

でっ、「ここに書いてあることは本当なの?」と聞くわけだよ。そうすると、「嘘だ」って答える。「自分は、ゆずってやった」「あいつが勝手に言っているだけ」「静かにしてやった静かにしてやった」と答える。親父とまったくおなじ。

全部おなじ。

こいつらは、死にものぐるいで、頑固にやりきったことは、全部やってないことになっている。毎日毎日、しつこくしつこく、執着して執着して、有効な範囲では絶対にびた一分間ゆずらなかったのに、「ゆずってやったゆずってやった」ということになる。本当に、親父のすべてのことに対する態度とおなじ。自分がやりたいように逆上して、やって、それで、「つもりがない」とか「やってない」とか、よく言えるな!!

毎日!何時間も何時間も、相手がどれだけやめてくれと言っても、無視して、頑固に頑固にやりきったことは、全部やってないことになっているのである。相手が言っていることは嘘で「そんなんじゃない」と言い出すことなのである。じゃあ、あの踏ん張りはなんなんだよ??

じゃあ、一日に一時間でも、時間を決めて鳴らさないで、静かにしてくれたとでもいうのかよ? サイコパスのサイコパスたるゆえんは、本当に、嘘をついているつもりがないというところなのである。じゃ、午後五時から午後五時一〇分までは、日曜日を含めて、鳴らさないで静かにしてやるという約束をしたのか? そんな約束をするわけがないだろ。どうしてかというと、自分が一〇分間、鳴らさないで我慢するなんてことは、耐えられなかったからだ。

一分間だって、自分が負けて、本当に静かにしてやらなければならないとなったら、ふくれてふくれて、ふくれてふくれて、怒って怒って、発狂して、絶対にゆずらないで頑固に鳴らす。で、頑固に一四時間鳴らしても、……一日で一四時間だぞ!!……一日に一四時間鳴らしても、本人は、まったく鳴らしてないつもりなのである。

同時に、「じゅうぶんにゆずってやったつもりのまま」なのである。試験前の冬休みに一日に一四時間近く鳴らしても、本人は「そんなつもりがないまま」なのである。じゃ、こっちが言わなかったかというと、そうじゃないんだよ。一日に何回も何回も怒鳴り込んでも、どれだけ理由を言っても、頑固に鳴らしてたんだよ。それなのに、まるで「知らなかったから、鳴らした」みたいなことを言っているんだよ。嫁さんの前で……。

本当に、どれだけ言ったと思っているんだよ!!!

そういう態度が、どれだけ俺を傷つけると思っているんだよ。

いまだに、そういう態度で俺を傷つけている!!! 認めればいいだろ。実際に自分が、やったことなんだから。じゃ、試験前の冬休みは、一日に何時間、鳴らさないで静かにしてくれたんだ? 答えてみろ!! ゼロ時間だろ。一分だって鳴らさないで静かにしてくれなかっただろ。試験前の冬休みは、毎日、一分間は、ヘッドホンをして静かにしてやったとでもいうのか? 一分間ですら、ヘッドホンをして静かにしてくれなかっただろ。

「おまえ、本当になに言っているの??」と言いたくなる。いまは、よその家に住んでいて、その家で鳴らしてないから、……よその人の前で、自分がやってたことを認めるが、いやなんだよ。そういう悪いことをしていたというのを認めるのがいやなんだよ。だから、黙りこくっているか、親父のように、反射的に正反対の嘘を言うということで乗り切っている。反射的に正反対の嘘を言うというのは、「やった」と言われたら「やってないやってない」と答えることだ。「やってくれなかった」と言われたら「やってやった、やってやった」と正反対のことを、反射的に言うということだ。

これ、本当に、本人は、そういうふうにいって怒って、それで、おしまいなんだからね。何回繰り返しても、おなじなんだよ。このしくみがわかる人って少ないと思う。そういう人がいるんだということが、他の人には理解しずらい。

だから、他の人は「家族で話し合えばいい」「お兄さんに相談すればいい」などと言ってくる。

ど・れ・だ・け!!!本当に、どれだけ!!!!

正反対の嘘を言って、その場を切り抜けることができれば、それで、まったくなにも考えないんだよ。「あれ? 自分は本当にそんなことをしたのかな?」とか「たしかに、時間を決めて、毎日静かにしてやったなんてことはなかったな」とかそういうことは、考えない。自分が「やってないやってない」「静かにしてやった静かにしてやった」と答えれば、それで、済んじゃっている。

どこまで、親父とおなじなんだ!! もう、本当にそういうところがそっくり!!! そっくり!!! いまは、うちに住んでないから、嘘を言って終わりなんだけど……ふくれて自分の部屋か、自分の寝床に行けば、それで、相手はそれ以上追及してこないから、それでおしまいなんだけど、うちに住んでいるときは、どうかというと、二階に上がって、普通にどでかい音でがんがん鳴らす。



●なにもしてないつもりのまま、日曜日は一二時間ずっと鳴らす

やっぱり、ヘビメタ騒音でぼくの人生がない。


どうして、ちゃんと普通に、静かにしてくれなかったんだ! できたぞ! 毎日、普通に静かにすることができた!! できたのに、しなかった! しなかったのは、サイコパス頑固兄貴だ。頑固にもほどがある。頑固兄貴の騒音のせいで、俺がどういう生活をしていたと思っているんだ? 絶対にわかるぞ! 普通に普通の感覚を持っていれば、一回聞けば「わかる」ことだからな。おまえ、頑固兄貴のせいで、冬も夏も苦しかった。春も秋もずっとずっと、苦しかった。生きていること自体が苦しかった。いまも、苦しい。ぜんぜん変わってない。

一一歳から二一歳まで一〇年間毎日、あれだけの音でドカスカ鳴らされると、も、う、人生がない!! 人生がない。二二歳、二三歳、二四歳と続くけど、もう、カスみたいなものだ。十代という人生にとってもっとも大切な時期、ずっと、九年間ヘビメタにやられて、人生がないよ!! これ、本当に、「なにもしてないつもり」なんだよな。それは、三〇年経ったいまもおなじなんだよ。

なにもしてないつもりのまま、日曜日は一二時間ずっと鳴らす。土曜日は九時間か。平日は六時間四五分だ。これが、変わったことがない。たとえば、小学六年生の日曜日は、朝の一〇時三〇分から、夜の一一時一一分まで爆音ヘビメタが鳴っていて、それから一〇年経った二二歳の日曜日も、朝の一〇時三〇分から、夜の一一時一一分まで爆音ヘビメタが鳴っているという状態だ。不変なのである。本当に! そういう頑固さは親父以上だよ。もう、「きめたら」そうなんだよな。どれだけなにを言っても、絶対にやる!!

絶対にやると決めているから絶対にやる。ヘッドホンはしたくないからしないと決めているから、一日に一分だって絶対にしない。ヘッドホンをすると「感じが出なくなる」とかそういう、サイコパス的な些細な理由だ。そういうことにこだわって、こだわって、入試の前の日曜日に一二時間ドカスカ鳴らして、なにも感じないんだよな。

本人が、五分間でも、ちょっと音を下げてやれば、「じゅうぶんにゆずってやった」「じゅうぶんに静かにしてやった」という気持ちになって、それ以降、絶対に、ゆずらないでドカスカ鳴らしきる。その時、どういう気分なんだよ?




●スピーカーから音を出して聞く以上は、爆音なのである

頑固兄貴は、なにも感じてないんだろうけど、俺は、めちゃくちゃだったよ。で、そういうことが、兄弟なのに、おなじうちに住んでいるのに、まったく!!!まったく!!つたわらないんだよ。どれだけ言ってもつたわらない。最初に決めたとおりに、全部の時間、ヘッドホンをしないでスピーカーから、音を出して聞く。で、スピーカーから音を出して聞く以上は、爆音なのである。普通の感覚でいえば、爆音なのである。

サイコパス的にでかい音なのである。頭がおかしくなければ、一分間だって鳴らせるような音じゃないのである。非常識な音なのである。

「よそ」じゃ一分間だって鳴らせないようなでかい音なのである。

けど、当時の頑固兄貴は、そういう音で鳴らしていても、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思うことができる。「こんなのは、たいした音じゃない」「フォークギターの音とおなじ」などと考えることができるのだ。

ぼくは、兄貴がフォークギターを鳴らしていた三年間毎日、文句を言ってないんだよ。それは、フォークギターの音は普通の音だからだ。フォークギターで、頑固兄貴のエレキギターに対抗できるような音は出せない。フォークギター一二〇〇本集めても、出せない。そういう爆音なんだよ。

親父に邪魔されて測量できなかったけど、スピーカーの前で計れば一〇〇デシベルを超えるだろう。ともかく、普通の音じゃないんだよ。頑固兄貴が、音を下げてくれた?時、フォークギターの音のでかさまで下げてくれたことが一秒もない。一五年間毎日で一秒もない。頑固兄貴が音を下げてくれたとき、テレビの音ぐらいまで下げてくれたことが一秒もない。頑固兄貴が音を下げたときは、そのまま、爆音で鳴っている。

本当に、おばあちゃんのうちで、「静かにしてやったとき」の音のでかさで鳴らすことができるのかよ? 鳴らして、「こんなの普通の音だから、ここまでしか静かにしてやんね」と言って、朝から、夜まで一日一二時間鳴らしたら、も・の・す・ご・い騒ぎだぞ。ものすごいことだぞ!! 一日だって、絶対にそんなこと、させないからな。一日だって!!! そのおばあちゃんの家だったら、一日だって鳴らせないような音で、「普通にまったく気にしないで」「こんなのフォークギターの音とまったく変わらない」と思って、何年間も何年間も毎日毎日、頑固に頑固に鳴らし続けた。それが、頑固兄貴なんだよ。

けど、本当は、フォークギターの音のでかさと、爆音ヘビメタの音のでかさの違いを知っている。どうしてなら、実際に嫁さんの「うち」に行ったら、一日に一分だって、爆音ヘビメタの音で鳴らしてないからだ。頑固兄貴が鳴らせるのは、「うち」だけなのである。で、「うち」だったら、一〇〇のうち一〇〇鳴らしてあたりまえで、絶対に、九九にしてやらないのである。

で、一日でも九九にしてやったら、それはもう、すっごいことで、「一日九九にしてやったんだから、あとは、もうずっと鳴らしていいな」と思えるほど、譲歩してやったことになってしまうのである。感情的にそうなる。だ

から、よそのうちでは一分だって鳴らせないようなでかい音で、一日中鳴らしていても、まるで!!まるで!!!!悪いと思わない。これっぽっちも悪いと思わないんだよな。頭がおかしいから。うちでは、一〇〇のうち一〇〇鳴らしてあたりまえという気持ちが、頑固に成り立っていて、なにを言われても、それが崩れることがない。親父とおなじ。サイコパス行為を、意地なにってやっているときの親父とまったくおなじ!!!

だから、どれだやったって、迷惑をかけているとは思わないのである。一〇〇のうち一ゆずって、九九にしてやったということだけで、大威張りだ。「やってやったやってやった!!!!」「静かにしてやった!!!静かにしてやった!!!静かにしてやった!!!」「静かにしてやったのに!!!なんだ!!!後から後から言ってきやがって」「そんなにしつこく言うと、もっと鳴らすぞ!!」「がたがた、言ってくるな!!」……こういう気持ちになって、頑固に頑固に、執着して執着して、一〇〇のうち一〇〇やりきる。

で、その日一〇〇のうち一〇〇やったら、「自分は、静かにしてやった」と思って、なにも気にしないんだよな。そういう毎日だ。

で、親父の性格!!のように、そういうやり方が、一四年間、毎日ずっと、かわらない。言えば、気分のいいときだけ、九九の音で鳴らして、全部ゆずってやった気持ちになって、けっきょくは、全部鳴らす。やれる時間を一〇〇だとすると、一〇〇のうち一〇〇の時間鳴らす。頑固兄貴が静かにした時間というのは、本当はない。

頑固兄貴が静かにしてやっているつもりの時間も、おばあちゃんちでも、いま住んでいるうちでも、一日に一分間だろうが鳴らせないような爆音だ。うちでなら、どうだっていいのである。うりでなら、自分が、一〇〇のうち、一〇〇やってあたりまえで、ゆずってやるとしたら、自分がゆずってやりたい時間、自分がゆずってやりたい分だけ譲ればいいという考え方が消えない。

で、自分がゆずってやれる分というのは、「人を馬鹿にするのも、いいかげんにしろ」と怒鳴りたくなるような、分、なんだよ。ほこりのような量でもゆずってやったら、ゆずってやったということになる。ほんのちょっとでもゆずってやったんだから、もうゆずらなくていい」という気持ちになって、爆音で鳴らしきる。で、そういうことを、入試の前にやっても、なにも感じないんだよな。だから、なにも感じないで、弟の入試を邪魔することができる。普通、入試の前に「明日入試で困るから、鳴らさないでくれ」と言われたら、その意味がわかるよな。けど、頑固に全部の時間、爆音で鳴らして、なにも感じない。

兄貴は、俺からすべてをうばった。けど、まったくなにも気にしてない!! これが現実だ。

眠る時間がばらばらなんだよな。普段は、必ず一時間後ろにずれる。けど、これが、他の人の騒音で、起きてしまう場合があって、そういうことがあると、半日ぐらいズレてしまう。そうなると、なんて言うか時間の感覚がおかしくなって精神的にかなりの影響がある。……もう、こんなの何回繰り返しているんだよ? と思う。

前回公開した文章の校正をしようと思って、読んでいたのだけど、付け足しの文章を書きたくなったので、書いたら、なんだかまとまりがないものになった。というか、書き足した文章にさらに書き足さなければならなくなったのだけど、それが、内容的にきついのだ。いまの精神状態で書くのはきつい。

もう、これ本当に終わらない。頑固兄貴は本当に習慣として、爆音ヘビメタをばかでかい音でずっと一日中聴いていたわけで、そうじゃない日がないんだよ。けど、サイコパスなので、自分がそうしてたつもりがない。けど、本当にそうしていたつもりがないのかというとではなくて、要するに、「認めるとまずいことになる」場合は、平気で嘘をつく。けど、本人は嘘をついているつもりがないんだよな。

ともかく、そういうことで、イチニチジュウ鳴っていた。これ、サイコパス兄貴が家にいて、起きている時間は、全部鳴ってたということだから。帰ってきたら、鳴らしてた。もうそれに相違がないのである。「そんなにやってない」とか「ゆずってやった」とか、頭がおかしい。これは、本当に親父とおなじなんだよな。「つもりがないまま、全部やりきる」というのが親父とおなじだ。親父のやり方を、そのまま、「ヘビメタ」に応用したのが、頑固兄貴なんだよな。

だから、それは、「うち」ではなじみことで、なにもおかしくない。だから、平気なんだよ。どれだけ言われたって、やりきる。なにも悪いことをしているつもりがない。どれだけでかい音で、何時間も何時間も鳴らしても「うちでは!!!!」あたりまえなんだよ。むしろ、我慢して、一時間鳴らさないようにしたということがあったとしたら、それが奇蹟なんだよ。あり得ないことなんだよ。

実際、頑固兄貴が、我慢して、一時間鳴らさないようにしたことは、一日もない。ないからない。それなのに、頑固兄貴の感覚としては「静かにしてやった」「そんなんじゃない」「いいぶんがある」だよ。これが、鳴らしているときもそのまま成り立つ。鳴らしていながら「そんなんじゃない」つもりなのである。ばかでかい音で、一時間も静かにしないまま、ドカスカ鳴らして続けて「静かにしてやったつもり」なのである。で、そういうことが、本当に文字通り、普通に成り立つ。




これが、「うち」なんだよ。だから、ぼくは死にたい。





親友のことだって、ヘビメタ騒音が直接の原因だ。頑固兄貴は、俺からすべてをうばった。けど、まったくなにも気にしてない!! これが現実だ。

本人にしてみれば、毎日全部鳴らしたことだって「そんなんだったのかなぁーー」ぐらいことなんだよ。どうしてかというと、全部鳴らせたから。これが、一日に三〇分でも、スイッチを切って静かにしけなればならないとなったら、すごい騒ぎだ。絶対に、二日間、三〇分、静かにしてやっただけでも、記憶に残る。三〇分、本当に静かにさせられるというのが、頑固兄貴にとってひどいことで、納得できないことなんだよ。

「本当に」というのは、「本当に」ということだ。鳴らさないで静かにするとか、ヘッドホンをして静かにするということだ。頑固兄貴にとって「静かにする」というのは、「自分が静かにしてやりたい分だけ静かにしてやる」ということでしかない。

どれだけ考えても、鳴らさないで静かにするということは、頭に浮かばない。何万回言われようとも、本当に静かにすることは、可能な候補としても、頭に浮かばない。兄貴にとって「静かにする」と言ったら、自分が満足できるでかい音で鳴らしたまま静かにすることでしかない。

で、それであたりまえだと思っている。最初から、スイッチを切って静かにするということやヘッドホンをして静かにするということや、テレビぐらいの音までさげて静かにするということは、考えのなかにない。どれだけ言われても、兄貴にとっては「静かにする」というのは、自分が静かにしてやりたい分だけ静かにすることしか意味しない……のである。何度も言うけど、そういうことに、まるで気づいてない。頑固兄貴自身がまるで気がついてない。一日一〇分でも、本当に静かにすることは、可能性としても考えることさえできないことなのである。静かにすると言ったら、〇・一デシベル音をさげてやることで、それ以外じゃないのだ。

2016年5月28日土曜日

構造的に、絶対に、相手の思い通りには動きたくないという気持ち

あ~~あ、意味ないな~~。あ~~、意味ない。生きていても、意味がないか? これ、爆音ヘビメタが鳴っていた空間だ。

ヘビメタ騒音が鳴っていた空間とおなじだ。日曜日の午後五時三〇分は、爆音ヘビメタが鳴っていた。どれだけ、「やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!」と怒鳴り込んでも、ふつーーーーに、鳴らしてた。

本当に頑固兄貴が、「やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!」と怒鳴られて、一分間、鳴らさないで静かにしたことがない。そのまま、ふつーーーに鳴らしている。怒って、鳴らしている。

ただ単に、自分が言われたから、頭にくる。自分が怒鳴られたから頭にくるという気持ちだけだ。静かにしてやるつもりなんて、さらさらない。一切合切ない。

で、頑固に鳴らしていたわけで、本当に、一分間だって、静かにしてくれたことがない。それは、一〇年間毎日そうなのである。一〇年目も、まるで、悪いと思わないまま……つまり、鳴らせてあたりまえ……という態度で鳴らしてた。「言われたから」「注意されたから」一時間鳴らさないで我慢してやる……そんなことは、毎日毎日一〇年間も一一年間も鳴らしていて、一日もない。

それが、本当に、この世での、頑固兄貴の、姿だ。

「静かにしてやった」とか言っているみたいだけど、それは、どういう空想の世界なんだ? そんな世界であるわけがないだろ。一分も、静かにしてないのに、「静かにしてやった」と思える……心底嘘でなく、思える、サイコパス思考なんだよ。だから、そのサイコパス思考のそのまま押し通して、がんがん、鳴らしてたんだよ。

親父は、日曜日の午後五時三〇分であろうが、六時三〇分であろうが、七時三〇分であろうが、八時三〇分であろうが、九時三〇分であろうが、一〇時三〇分であろうが、「うち」にいたときがないんだよ。

だから、俺がどれだけ親父に「鳴っている」「ものすごい音で鳴っている」と言っても、そういう時間にどれだけの音で鳴っているか「知らない」んだよ。こういう世界があるんだよ。他の人は、そういうことは、想像すらできないだろ。

おなじ家に住んでいて、一〇年間も一四年間も、頑固兄貴が本格的に鳴らしている時間に、いない。しかも、本格的に鳴らしている時間が、一日に……七時間から一四時間なのである。日曜日は、一二時間、本格的な音で、ドカッスカ鳴らしているのである。毎週日曜日は、この時間、……午後五時三〇分に、本格的な音で、爆音ヘビメタが爆音で鳴っているのである。

それなのに、それなのに、毎週毎週一〇年間も、一四年間も、父親が……一緒に住んでいる父親が……鳴らしている時間にいたことがない。これが、作為でなくてなんだ? 頑固兄貴が本格的な意地で、本格的な音で鳴らしているときは、「うち」に近寄らなかったのである。だから、本人は、「知らない」んだよ。

で、知らなくても、「ものすごい音で鳴っている」ということは、言えばわかるのに、小学六年生の時から、言っているのに「つたわらない」んだよ。こういう親なんだよ。こういう家族なんだよ。……本当にどれだけ、そのことひとつをとっても、世間の基準から離れているか?? こんな家族ない。こんなのあるはずがない。はずがないのに、うちでは、一〇年間、一五年間、あったりまえのように、毎日毎日そうなんだよ。

毎日毎日ふつーーにそういう状態が成り立っている。よその人は、俺がヘビメタ騒音のことについて言えば「家族で話し合えばいい」ということを言うけど、こういうことがわかってない。根本的にわかってない。

頑固兄貴なんて、俺がせいいっぱい怒鳴る声よりで、何倍ものでかい音で鳴らしているのに、「こんなの普通の音だ」と思っているのである。

で、そう思ったら、もう、どれだけなにを言っても変わらない。頑固親父とおなじなのである。意地を張っている頑固親父とおなじなのである。一切合切、何万回言っても、何万回ぶつかっても、ぜんぜんつたわらない。二万回三万回言われても、「一回も言われたことがないから知らない」という態度なのである。そういう態度が! そういう認識が!!ふつーーーーーに成り立つ。成り立っているから、どれだけ言っても通じない。

だいたい、「静かにする」ということ自体に、ズレがある。頑固兄貴の「静かにする」というのは、俺が精一杯怒鳴る声の何倍もでかい音で鳴らすことだ。人が怒鳴る声より何倍もでかい音でドカスカ鳴らし続けることだ。そういう音で鳴らしていても、本人が一デシベル音を弱めてやれば、「静かにしてやった」ということになってしまうのである。

頑固兄貴が静かにしてやった時間……一日のなかで、最大で一〇分間ぐらいだけど……一日のなかで最大限静かにしてやった音が、俺がせーーーいっぱい怒鳴り声を上げる声よりでかい! だから、ぜんぜん静かにならない。普通に、普段からそういう音で鳴らしていて、最大限静かにしてやった音というのが、そういう音だ。

で、これ、「鳴らさないで静かにしろ」「ヘッドホンをして静かにしろ」と言っても、本人は、まったくそういうことをやるつもりがないのである。一日に、一分間だろうが三〇秒だろうが一秒だろうが、鳴らさないで静かにするとか、ヘッドホンをして静かにしてやるつもりがない。

静かにするというのは、自分がおもっいっっっっっきり鳴らして、静かにしてやるということなのである。ものすごくどでかい音で鳴らして!!それで!!!静かにしてやるということなのである。一分間でも、思いっきり鳴らしたまま静かにしてやれば? それで、もう、大威張りだ。

「静かにしてやった」「静かにしてやった」「静かにしてやった」「静かにしてやった」「なんだなんだ」「なんだなんだ」「なんだなんだ」「なんだなんだ」「後から後から、静かにしろって言ってきやがって」「なんだなんだ!せっかく静かにしてやったのに!!」「なんだなんだ!せっかく静かにしてやったのに!!」と怒ってしまうのである。

で、その態度が、理不尽なことをやりきるときの態度とおなじなんだよ。親父が理不尽なことをやりきるときの態度とおなじなんだよ。そういうやり方で、一分もゆずらずに鳴らしきって、それで、本人は「じゅうぶん静かにしてやった」「最大限静かにしてやった」と、嘘でなく思うことができるというサイコパス構造が成り立っている。そういう毎日だ。どれだけ言ったって、静かにしない。頑固兄貴がふつーーーに、ちゃんと一分間我慢して、静かにしてくれたことがないんだからな。

それで、いまになれば、嫁さんの家族という「外部」があるから、外部の人に「弟さんが言っていることは本当なのか?」と聞かれると、これまた、ふつーーに、「静かにしてやった」「あいつががたがた言っているだけだ」というような嘘をつけるんだよね。鳴らしている時も同じなんだよ。そういう感覚で!そういうやり方で!毎日!一分もゆずらないで、俺の生活を握りつぶしてきた。

これ、本当に、頑固兄貴だけがわかってないだけで、本当は、ひどいことなんだよ。一日でも、本当はひどいことなんだよ。親父もわかってないけどな。一緒に住んでいて長男が、サイコパス的な意地で何時間も何時間も、よその家じゃあり得ないような音でヘビメタを鳴らし出したら、……一切、文句を言えない。頑固兄貴が小さかったときは、頑固兄貴が悪いことをしてなくても、普通に座っていても、一日に何十回も逆上してたんだから。

本当に、頑固親父のうちでの態度というのが、「発狂してぶち当たる」「わけがわからないことで、切れて、怒り狂う」という態度なんだよ。これも、普通の人はそんな人はいないと思っているから、俺がそうだったと言っても、信じなかったりするんだよな。そういう「うち」の常識と、世間の普通の常識が、どれだけ離れているか?

「そんなに鳴らしてたのに、どうして親は注意しないんだ?」おかしいじゃないかとか、思うんだよな。そういうふうに言ってきた人もいる。その人が、たとえば、「親父がうちにいるときは、怒り狂っていた」という話を聞けば、なおさら、「そんなのはおかしい」と思うわけだよ。「そんなに怒りっぽい人だったら、そんなにうるさくしたら怒っているだろ」と思う。

けど、親父が怒っていたのは、頑固兄貴が小さいときなんだよ。言ってるだろ!! これも、本当に、話が通じないな~~~。兄貴のからだか大きくなって、自分でアルバイトをして金を稼げるようになったら、一切合切、文句を言わなくなったんだよ。これは、考えがあることではないんだよ。ただ単に、自分よりからだがでかくなったから、言えなくなっちゃっただけ。考えがあるわけじゃない。


●自分はぶっ飛ばされて、おんだされた

こどもというのは、感情の人間サンドバックで、自分の怒りをぶつけるようなものなのである。頑固親父にとって、小さいこどもというのは、そういうもなのである。だから、「居合わせれば」何かと理由をつけて、爆発する。二〇分一緒にいれば、何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も、爆発して怒りくる。よくそんだけ、わけのわからないことで「発狂」「激怒」できるなと思うほど、わけがわからないことで怒る。

ただ単に、機嫌が悪くなって怒るという感じではなくて、本当に、一つ一つが「爆発」なんだよ。あとは、金に関しては、金で、意地悪をしていじめるんだよ。本人はまったくそういうつもりがないんだけど、いつもそうなる。

だから、頑固兄貴の金に対するこだわりが、尋常じゃないのである。金でいじめられたから。金を持っているほうの、考えが、勝つわけだから。こどもの時は、買ってもらうしかないわけだから。

で、親父は、普通に買ってやるということが、どうしても、できない人なんだよな。親父になにかを買ってもらうとなると、かならず!!!ひどい目に遭わされるのである。これは、認知療法家が考えるような非合理的な思考ではなくて、本当に、かならず!!! ひどい目に遭わされる。そういうことを、なんの根拠もなく、「すべてではないのだから、かならず、ということは成り立たない」などと、涼しい顔をしていうのが、非合理でひどいことなんだよ。間違っているからな。本当に、サイコパスのしくみがわかってない。構造的に、絶対に、相手の思い通りには動きたくないという気持ちがあるんだよ。

だから、自分が金を出して相手になにかを買ってやるとなると、かならず、相手にとって役に立たないものじゃないとだめだということになる。相手が、喜んでしまったらダメなんだよ。自分が買ってやることで、相手が喜んだり、助かったりしてしまっては、「立つ瀬がない」んだよ。我慢ならないんだよ。そんなことはあってはならないんだよ。一回だって、絶対にあってはならないことなんだよ。もし、そんなことが成り立つなら、自分はどうだったんだ!??ということが、問題になる。

「自分はぶっ飛ばされて、おんだされた」のである。

で、これに、親父がこだわってないから、無意識的な力として暴れてしまうのではないか。親父が、自分と「育ての親」のあいだにあったことを、ちゃんと認識していれば、なんで自分がそんなにも腹が立つのかわかるんだよ。腹が立つということが認識できる。

けど、親父は、「自分は過去のことは水に流した」と思っている。かつて自分の育ての親がやったことは、しかたがなかったことだと思っている。だから、「しかたがない!しかたがない!!」と怒鳴ったり、「水に流した水に流した」と怒鳴ったりするんだよ。「オンダサレタ!オンダサレタ!!なんだなんだなんだ!!!」と怒り狂う。

これは、意識の上では、「水に流したことになっているから」しょうじるやっかいなことなんだよ。きちがい親父が、きちがい的な理由で怒ったとするだろ。これは、もう、いちゃもんで、こどもがちゃんと座っているのに「なんだ!その足は!!」と怒り狂う。

で、怒っているときは、別に、理不尽なことをしているつもりが一切合切ない。怒っているときは、自分が本当にひどい目に遭って怒っているつもりなのである。

相手が、ひどいことをしたから怒っているつもりなのである。だから「ダレダッテオコル!!ダレダッテ、オコル!!」とものすごい目つきになって怒るわけで、自分が、取るに足らない小さなことで怒っているという認識がない。気持ちがない。「そのとき」は、怒り狂っているし、その時は、怒り狂って当然だと思っているんだよ。相手が、たとえば、座っていることで……その足の形で座っていることで、ものすごい目に遭った気持ちがしているわけだよ。

だから、「そういうことで怒らないで」と(妻から)言われても、逆上がとまらない。あっちこっち、理由を探して怒り狂う。

で、それは、当然なのである。やって当然。やって当然なんだけど、理由がないことで怒ったということは、まるで認知されてないんだよ。その時その時で、切れちゃっているわけ。つながってない。だらか、「そういうことで怒った」ということを言われると、今度は「そんなこと、してない」「ナンダナンダナンダ!!」と怒鳴って本気で怒り狂う。

その時はその時で、「自分はそんなことはしてないのに、そういうことで怒ったと言われて、どれだけ傷ついたかぁ!!」ということで、発狂する。で、その発狂のしかたが、最初、足の形で怒った時と同じなんだよ。

これ、本当に理由がない。普通に座っているだけなんだけど、怒り狂う。兄貴が、赤ん坊の頃、病気で寝ていたということで、怒り狂っている。理由なんてないんだよ。まあ、この場合は理由がある。

それは、妻が、こどもの看病をしているのが気に食わないという理由だ。自分が帰ってきたら、すぐさま、自分の世話をしろという気持ちがものすごく強い。だから、病気のこどもなんて、邪魔で邪魔でしかたがない。

そういう気持ちがあるんだけど……妻を独占したい、あるいは妻の行為を独占したい……自分のことだけやってほしいという強烈な気持ちがあるんだけど、……その気持に気がつかない。だから、病気で寝ているこどもは、邪魔で邪魔でしかたがないのである。そりゃ、こどもの方に、リソースをとられたいやなわけだから。こどもの世話をする分だけ、自分が待たされたら、いやなんだから。だから、怒る。一秒でも待たされたら、「ナンダ!ナンダ!!」と発狂する。

けど、別に、そういう理由で怒ったという気持ちがないんだよね。認識がない。だから、「ナンダ!ソンナトコロニ、ネテ!!!」と絶叫して怒り狂う。親父にしてみれば、ひどいことなのである。自分が帰ってきた時、こどもが病気で寝ているということは、ひどいことなのである。だから、なじって、発狂して、怒鳴ってということになる。けど、本人は、そういうことでナンクセをつけて怒っているという気持ちが、ない。

あたりまえなのである。その時はあたりまえで、相手が(こどもが)そんなところに寝ているから、自分が腹を立ててあたりまえだという気持ちなのである。だから「ソンナトコロニネテ!!」と怒り狂う。じゃ、どんなところに寝ていればよいのかというと、それは、ない。ないんだよ。そんな場所はこの世に存在しない。サイコパス親父が!満足できる!こどもの寝場所なんてというのはない。その時!そこで!!寝ているということが、気に喰わないわけだから。(目に入ったから、怒り狂うわけで、目に入らなかったら、そのことでは怒り狂わない。他の「わけがわからないこと」で、お母さんが、怒り狂われることになる。)





●無意識の領域に抑圧したからこそ、わけのわからない小さなことで爆発する

本当、認知療法家とかその流れをくんだ人たちは、「しかたがないことは諦めましょう」というような考え方をする。他の人達も「どうしょうもないかのことは、諦めましょうと」いうようなことを言う。

で、意識の上では、親父もそうやって、水に流したつもりなのだ。だから、……だからこそ、右記のような、爆発が生まれる。無意識のレベルでは、許してないので、(自分が自分の感情を出せる場所で)怒り狂うということになってしまう。相手が小さくて弱いので、自分の感情の「ふた」が取れてしまうのである。親父にとっては、「うち」というのは、そういう場所なのである。

意識の上では、水に流したつもりの怒りを、子どもたちにぶつけまくる。親父が怒っているのは、こどもが寝ていて、妻のリソースがこどもにさかれるから、いやだということもあるんだけど、それは、本当はたいしたことじゃないのである。

そこで蕩尽されている心的エネルギーは、かつての自分が育ての親に感じた怒りなのである。言いたいのは、スカラーの問題なんだよ。心理的な力動の問題。心理的なエネルギーの強さの問題なんだよ。その場所に充当されているのだけど、エネルギーの強さは、かつて親代わりに、やられた時の感情の強さなのである。

かつて、自分が養子で文句を言えない立場だったのだけど、自分が虐待されてつらかった……怒ったけど、怒りを感じたけど、怒りをぶつけても親代わりに打ちのめされるだけで、どうすることもできなかったということが……爆発してしまう本当の原因なのである。そこで蕩尽される心的エネルギーの大きさは、実は目の前の不愉快な出来事(こどもが病気で寝ているから、妻のリソースがさかれる)……ということに対応しているわではなくて、自分が小さな時、育ての親が自分を虐待したのに文句を言えなかった……文句を言ったらなぐられたということに対応している。

だから、ベクトルとスカラーの問題で、本当の場所じゃないところに、強大な心的なエネルギーをぶつけているのである。本来の場所は、当時の育ての親なのである。対象が違う。怒りをむける対象が違う。だから、どれだけ「怒っても」「怒っても」対象が違うから、根本的な解決にならないのである。なので、常に爆発寸前のボイラーのような状態なのである。だから、理由がないことで、怒り狂うことができる。(帰ってきたら、こどもが病気で寝てたというのは、一応、怒る理由があることなんだけど、本当に、まったく怒る理由がないところで怒ることができる。それが、こどもの歩き方とか、髪型とか、足の形とか、特に理由がないところで怒ることができる本当の理由だ。)

で、それは、感情的にイーブンなのである。その親代わりに向けられるのであれば、理由と感情が釣り合っている。しかし、水に流したことになっているから、場所がないのである。そういう感情を向ける場所がない。

で、些細な、どうでもいいところに「むかって」怒るわけなのである。だから、些細なところ向けて怒っているのだけど、そこで消費されている心的エネルギーは莫大なものになってしまうのである。だから、本気で爆発して怒りが収まらないのである。そこで蕩尽されている心的なエネルギーの源(みなもと)は、自分にいじわるをして虐待した育ての親に対して持った復讐心、憎悪、怒りなのである。





●「いらない子がきた」

「やられたらやりかえす」ということになっているけど、きちがい親父は、育ての親に、やりかえすことができないまま成人しちゃったのである。もっとも、「すてられて」、浮浪していたわけだけど。親父はだいたい九歳ぐらいのときに浮浪児になっている。これは、うまいことだまされて、本当に家を「おんだされた」のである。親父の親父はもともとは、けっこう裕福なところに生まれた人なんだよ。ボンボンなんだよね。駆け落ちして、勘当されて、親子の関係・親戚関係が全部切れているんだよね。親父のお母さんも、勘当されて、親子関係・親戚関係が切れている。

駆け落ちした頃はまだ、金があったのだろう。写真館で撮ったと思われる赤ん坊の頃の親父の写真がある。けっこう、金がかかってそうな写真館で撮った写真がある。たぶん、写真館だと思う。家じゃないと思うな。

まあ、それで、生活できなくなって、親父の父親が自殺してしまう。だから、関係が切れた親戚に、「いらない子」として引き取られることになるんだよ。そこで、ものすごい虐待を受ける。で、養子縁組の話などもあったんだけど、あんまりうまくいかない。引き取ってくれるところに行ったときに、寝小便をしているんだよね。

で、「こんな子おいてられない」と言われて、話がなくなったというようなことがあったらしい。たぶんだけど、幼い親父の夢遊病みたいなものは、不安が作り出していたと思うんだよ。寝小便もそう。(たぶん、不安で小便をしてしまったんだろうけど、ひょっとしたら、「この人は大丈夫なのか」寝小便で調べたのかもしれない。まあ、意識してやれることじゃないんだけどね。)

で、親戚の家に戻ったりしているんだけど、親戚の家はいくつかある。いくつかあるんだけど、どれも、もう親戚関係が切れていて、なおかつ物資がない時代だから、その家の人達も食べ物に困っているような状態なんだよ。そこに、「いらない子がきた」ってことで、さんざんいじめられる。で、いくつかの親戚をたらいまわしにされたりしてたんだけど、やっと、養子縁組で良い人にめぐりあったんだよ。そうしたら、その良い人が、割とすぐに死んでしまう。だからまたそこで振り出しに戻って、いやでいやでしかたがない親戚の家に行かなきゃならなくなる。そういう状態なんだよね。

で、ともかく、親父の場合自分が相手になにかをやってやらなければならなくなった……ということ自体が、怒り狂いの種なのである。さらに、自分が「相手の言うとおりに」金を出してやるということは、絶対にやってやりたくないことなのである。発狂しちゃう。

だから、話自体(はなしじたい)をぶちこわして、「金を払わない」ということを、現実化する。で、その腹が立つやりとりというのは、頑固親父のほうでも、不愉快なことなんだよ。けど、爆発して、「なかったこと」にしちゃうと、とりあえず、その場はしのげるわけで、その場がしのげれば、「なんにもなかった」ことになっちゃうんだよ。わかりますかね? こういうの。どれだけ、世界が違うか。認知療法家や常識的な人が住んでいる世界とどれだけ違うか? わからないから、俺が変なことを言っているように、聞こえるだけだろ。

そうすると、たとえば、「家族で話し合えばいい」というすごくいいアドバイスに、俺が興味を示さなかった。だから、だめなんだというふうに思ってしまうのである。まあ、認知療法家はさすがに抜かしておくけど、常識的な人はそうだ。「人のアドバイスをなんだ」と思ってしまうわけだよ。家にサイコパスがいて、サイコパスを相手にしていると、「よそ」の人から、誤解を受けるんだよな。



   *   *   *



とは、言え、どうしたものかな?

時間は過ぎていく。


   *   *   *



時間は過ぎていくわけだけど、本当に腹が立つ。どうにもできない。頑固親父の金に対する態度と、頑固兄貴のヘビメタ騒音に対する態度がおなじなんだよ。うり二つ。まったくおなじ。コピーみたいなもの。複製。意味がなくても、やってやったら、ものすごくやってやったつもりになる。本当は「やってやらなかった」ということなのに、本人は、ものすごくやってやったつもりになる。

本当は、やってやらずに、いじめた、あるいは、自分の意地を通して困らせたのに、自分はじゅうぶんにやってやったと思う。頭がおかしいからそう思える。「役立たず」なんだよ。一円というのは、自分の中の比喩で、実際に親父がやったことではない。けど、態度としてはそうだ。……一円でもあげたら、ものすごいこと。一円あげた。やってやった。「やってやったのになんだ!!」と発狂する。

一〇円のものを買うのに、一円しかくれなかったら、九円足りないから、買うことができないんだよ。買うことができないという現実がある以上は、助けてくれたわけじゃないんだよ。

じゅうぶんな金を出してくれたわけではないんだよ。自転車事件の時だって、ハンダゴテ事件の時だって、電球事件の時だって、電池事件の時だって、便所事件の時だって、トオセンボ事件の時だって、机事件の時だって全部おなじだ。自転車事件、ハンダゴテ事件、電球事件、電池事件、便所事件、トオセンボ事件、机事件は実際にあったことだけどな。親父が関わると全部、空中分解で、頑固親父が発狂して終わる。

ぶちこわし!! 全部!ぶちこわし!! あいつが関わって、うまく行ったことがないだから。サイコパス兄貴? 兄貴のは、一デシベルでも静かにしてやったら「静かにしやった!!静かにしてやった!!」だよ。親父は一円で、兄貴は、一デシベル。一デシベルでも静かにしてやったら、どれだけでかい音で鳴らしていても、「静かにしてやった」「じゅうぶん静かにしてやった」ということになってしまうのである。だから、二回目に「宿題をやるから静かにしてくれ」「鳴らすな!!」と言いに行くと、「

相手のやったことがまるで、効果がないのに、やってやったやってやった」って騒ぐ。普通なら、意地悪をしてやるつもりでやることなのに、心底、「静かにしてやった」と思っている。あんなでかい音で鳴らしていて、「静かにした」というのは、本当にギャグで悪意があるとしか、思えないのだけど本人は、本当に「静かにしてやったつもり」なのである。

だから、「静かにしてやったのに!なんだ!!がたがた言ってきやがって!!がたがた言うならもっと鳴らすぞ!!」みたいなことを言って、執着して執着して、そのまま、エレキギターを爆音でかき鳴らすのである。それで、何時間やっても、……その数時間の間、何回文句を言われても……まったく相手に悪いことをしたと思わないのである。

思わない日々なのである。思わない毎日なのである。

思わない毎日一〇年間、なのである。



だから、その調子で、入学試験前にずっと一〇時間鳴らしていても、ぜんぜん悪いと思わない。本人は、一デシベルでも静かにしてやったら、それがどれだけうるさい音でも、静かにしてやったつもりになるから、「静かにしてやった」という気持ちのままなのである。「静かにしてやった」という気持ちで、兄貴の友達が「こんな音で鳴らしていて、家の人、文句を言わないの?」と思わず聴いてくるような音でやっても、でかい音で鳴らした……相手がやめてくれと言ってくるのに、それを聞かずにでかい音で鳴らした……相手が自分の音をいやがっていることを知っているのにでかい音で鳴らしたという……つもりが一切合切沸かない。

一切合切沸かない日々だから、そういう日を五〇〇〇日以上繰り返しても、まったく、つもりがないまま」なんだよ。俺がこういうことを書いて、兄貴の、いま住んでいるうちに送るだろ。そうすると兄貴の嫁さんが見るわけだよ。

でっ、「ここに書いてあることは本当なの?」と聞くわけだよ。そうすると、「嘘だ」って答える。「自分は、ゆずってやった」「あいつが勝手に言っているだけ」「静かにしてやった静かにしてやった」と答える。親父とまったくおなじ。

全部おなじ。

こいつらは、死にものぐるいで、頑固にやりきったことは、全部やってないことになっている。毎日毎日、しつこくしつこく、執着して執着して、有効な範囲では絶対にびた一分間ゆずらなかったのに、「ゆずってやったゆずってやった」ということになる。本当に、親父のすべてのことに対する態度とおなじ。自分がやりたいように逆上して、やって、それで、「つもりがない」とか「やってない」とか、よく言えるな!!

毎日!何時間も何時間も、相手がどれだけやめてくれと言っても、無視して、頑固に頑固にやりきったことは、全部やってないことになっているのである。相手が言っていることは嘘で「そんなんじゃない」と言い出すことなのである。じゃあ、あの踏ん張りはなんなんだよ??

じゃあ、一日に一時間でも、時間を決めて鳴らさないで、静かにしてくれたとでもいうのかよ? サイコパスのサイコパスたるゆえんは、本当に、嘘をついているつもりがないというところなのである。じゃ、午後五時から午後五時一〇分までは、日曜日を含めて、鳴らさないで静かにしてやるという約束をしたのか? そんな約束をするわけがないだろ。どうしてかというと、自分が一〇分間、鳴らさないで我慢するなんてことは、耐えられなかったからだ。

一分間だって、自分が負けて、本当に静かにしてやらなければならないとなったら、ふくれてふくれて、ふくれてふくれて、怒って怒って、発狂して、絶対にゆずらないで頑固に鳴らす。で、頑固に一四時間鳴らしても、……一日で一四時間だぞ!!……一日に一四時間鳴らしても、本人は、まったく鳴らしてないつもりなのである。

同時に、「じゅうぶんにゆずってやったつもりのまま」なのである。試験前の冬休みに一日に一四時間近く鳴らしても、本人は「そんなつもりがないまま」なのである。じゃ、こっちが言わなかったかというと、そうじゃないんだよ。一日に何回も何回も怒鳴り込んでも、どれだけ理由を言っても、頑固に鳴らしてたんだよ。それなのに、まるで「知らなかったから、鳴らした」みたいなことを言っているんだよ。嫁さんの前で……。

本当に、どれだけ言ったと思っているんだよ!!!

そういう態度が、どれだけ俺を傷つけると思っているんだよ。

いまだに、そういう態度で俺を傷つけている!!! 認めればいいだろ。実際に自分が、やったことなんだから。じゃ、試験前の冬休みは、一日に何時間、鳴らさないで静かにしてくれたんだ? 答えてみろ!! ゼロ時間だろ。一分だって鳴らさないで静かにしてくれなかっただろ。試験前の冬休みは、毎日、一分間は、ヘッドホンをして静かにしてやったとでもいうのか? 一分間ですら、ヘッドホンをして静かにしてくれなかっただろ。

「おまえ、本当になに言っているの??」と言いたくなる。いまは、よその家に住んでいて、その家で鳴らしてないから、……よその人の前で、自分がやってたことを認めるが、いやなんだよ。そういう悪いことをしていたというのを認めるのがいやなんだよ。だから、黙りこくっているか、親父のように、反射的に正反対の嘘を言うということで乗り切っている。反射的に正反対の嘘を言うというのは、「やった」と言われたら「やってないやってない」と答えることだ。「やってくれなかった」と言われたら「やってやった、やってやった」と正反対のことを、反射的に言うということだ。

これ、本当に、本人は、そういうふうにいって怒って、それで、おしまいなんだからね。何回繰り返しても、おなじなんだよ。このしくみがわかる人って少ないと思う。そういう人がいるんだということが、他の人には理解しずらい。

だから、他の人は「家族で話し合えばいい」「お兄さんに相談すればいい」などと言ってくる。

ど・れ・だ・け!!!本当に、どれだけ!!!!

正反対の嘘を言って、その場を切り抜けることができれば、それで、まったくなにも考えないんだよ。「あれ? 自分は本当にそんなことをしたのかな?」とか「たしかに、時間を決めて、毎日静かにしてやったなんてことはなかったな」とかそういうことは、考えない。自分が「やってないやってない」「静かにしてやった静かにしてやった」と答えれば、それで、済んじゃっている。

どこまで、親父とおなじなんだ!! もう、本当にそういうところがそっくり!!! そっくり!!! いまは、うちに住んでないから、嘘を言って終わりなんだけど……ふくれて自分の部屋か、自分の寝床に行けば、それで、相手はそれ以上追及してこないから、それでおしまいなんだけど、うちに住んでいるときは、どうかというと、二階に上がって、普通にどでかい音でがんがん鳴らす。



●なにもしてないつもりのまま、日曜日は一二時間ずっと鳴らす

やっぱり、ヘビメタ騒音でぼくの人生がない。
どうして、ちゃんと普通に、静かにしてくれなかったんだ! できたぞ! 毎日、普通に静かにすることができた!! できたのに、しなかった! しなかったのは、サイコパス頑固兄貴だ。頑固にもほどがある。頑固兄貴の騒音のせいで、俺がどういう生活をしていたと思っているんだ? 絶対にわかるぞ! 普通に普通の感覚を持っていれば、一回聞けば「わかる」ことだからな。おまえ、頑固兄貴のせいで、冬も夏も苦しかった。春も秋もずっとずっと、苦しかった。生きていること自体が苦しかった。いまも、苦しい。ぜんぜん変わってない。

一一歳から二一歳まで一〇年間毎日、あれだけの音でドカスカ鳴らされると、も、う、人生がない!! 人生がない。二二歳、二三歳、二四歳と続くけど、もう、カスみたいなものだ。十代という人生にとってもっとも大切な時期、ずっと、九年間ヘビメタにやられて、人生がないよ!! これ、本当に、「なにもしてないつもり」なんだよな。それは、三〇年経ったいまもおなじなんだよ。

なにもしてないつもりのまま、日曜日は一二時間ずっと鳴らす。土曜日は九時間か。平日は六時間四五分だ。これが、変わったことがない。たとえば、小学六年生の日曜日は、朝の一〇時三〇分から、夜の一一時一一分まで爆音ヘビメタが鳴っていて、それから一〇年経った二二歳の日曜日も、朝の一〇時三〇分から、夜の一一時一一分まで爆音ヘビメタが鳴っているという状態だ。不変なのである。本当に! そういう頑固さは親父以上だよ。もう、「きめたら」そうなんだよな。どれだけなにを言っても、絶対にやる!!

絶対にやると決めているから絶対にやる。ヘッドホンはしたくないからしないと決めているから、一日に一分だって絶対にしない。ヘッドホンをすると「感じが出なくなる」とかそういう、サイコパス的な些細な理由だ。そういうことにこだわって、こだわって、入試の前の日曜日に一二時間ドカスカ鳴らして、なにも感じないんだよな。

本人が、五分間でも、ちょっと音を下げてやれば、「じゅうぶんにゆずってやった」「じゅうぶんに静かにしてやった」という気持ちになって、それ以降、絶対に、ゆずらないでドカスカ鳴らしきる。その時、どういう気分なんだよ?

●スピーカーから音を出して聞く以上は、爆音なのである

頑固兄貴は、なにも感じてないんだろうけど、俺は、めちゃくちゃだったよ。で、そういうことが、兄弟なのに、おなじうちに住んでいるのに、まったく!!!まったく!!つたわらないんだよ。どれだけ言ってもつたわらない。最初に決めたとおりに、全部の時間、ヘッドホンをしないでスピーカーから、音を出して聞く。で、スピーカーから音を出して聞く以上は、爆音なのである。普通の感覚でいえば、爆音なのである。

サイコパス的にでかい音なのである。頭がおかしくなければ、一分間だって鳴らせるような音じゃないのである。非常識な音なのである。

「よそ」じゃ一分間だって鳴らせないようなでかい音なのである。

けど、当時の頑固兄貴は、そういう音で鳴らしていても、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思うことができる。「こんなのは、たいした音じゃない」「フォークギターの音とおなじ」などと考えることができるのだ。

ぼくは、兄貴がフォークギターを鳴らしていた三年間毎日、文句を言ってないんだよ。それは、フォークギターの音は普通の音だからだ。フォークギターで、頑固兄貴のエレキギターに対抗できるような音は出せない。フォークギター一二〇〇本集めても、出せない。そういう爆音なんだよ。

親父に邪魔されて測量できなかったけど、スピーカーの前で計れば一〇〇デシベルを超えるだろう。ともかく、普通の音じゃないんだよ。頑固兄貴が、音を下げてくれた?時、フォークギターの音のでかさまで下げてくれたことが一秒もない。一五年間毎日で一秒もない。頑固兄貴が音を下げてくれたとき、テレビの音ぐらいまで下げてくれたことが一秒もない。頑固兄貴が音を下げたときは、そのまま、爆音で鳴っている。

本当に、おばあちゃんのうちで、「静かにしてやったとき」の音のでかさで鳴らすことができるのかよ? 鳴らして、「こんなの普通の音だから、ここまでしか静かにしてやんね」と言って、朝から、夜まで一日一二時間鳴らしたら、も・の・す・ご・い騒ぎだぞ。ものすごいことだぞ!! 一日だって、絶対にそんなこと、させないからな。一日だって!!! そのおばあちゃんの家だったら、一日だって鳴らせないような音で、「普通にまったく気にしないで」「こんなのフォークギターの音とまったく変わらない」と思って、何年間も何年間も毎日毎日、頑固に頑固に鳴らし続けた。それが、頑固兄貴なんだよ。

けど、本当は、フォークギターの音のでかさと、爆音ヘビメタの音のでかさの違いを知っている。どうしてなら、実際に嫁さんの「うち」に行ったら、一日に一分だって、爆音ヘビメタの音で鳴らしてないからだ。頑固兄貴が鳴らせるのは、「うち」だけなのである。で、「うち」だったら、一〇〇のうち一〇〇鳴らしてあたりまえで、絶対に、九九にしてやらないのである。

で、一日でも九九にしてやったら、それはもう、すっごいことで、「一日九九にしてやったんだから、あとは、もうずっと鳴らしていいな」と思えるほど、譲歩してやったことになってしまうのである。感情的にそうなる。だ

から、よそのうちでは一分だって鳴らせないようなでかい音で、一日中鳴らしていても、まるで!!まるで!!!!悪いと思わない。これっぽっちも悪いと思わないんだよな。頭がおかしいから。うちでは、一〇〇のうち一〇〇鳴らしてあたりまえという気持ちが、頑固に成り立っていて、なにを言われても、それが崩れることがない。親父とおなじ。サイコパス行為を、意地なにってやっているときの親父とまったくおなじ!!!

だから、どれだやったって、迷惑をかけているとは思わないのである。一〇〇のうち一ゆずって、九九にしてやったということだけで、大威張りだ。「やってやったやってやった!!!!」「静かにしてやった!!!静かにしてやった!!!静かにしてやった!!!」「静かにしてやったのに!!!なんだ!!!後から後から言ってきやがって」「そんなにしつこく言うと、もっと鳴らすぞ!!」「がたがた、言ってくるな!!」……こういう気持ちになって、頑固に頑固に、執着して執着して、一〇〇のうち一〇〇やりきる。

で、その日一〇〇のうち一〇〇やったら、「自分は、静かにしてやった」と思って、なにも気にしないんだよな。そういう毎日だ。

で、親父の性格!!のように、そういうやり方が、一四年間、毎日ずっと、かわらない。言えば、気分のいいときだけ、九九の音で鳴らして、全部ゆずってやった気持ちになって、けっきょくは、全部鳴らす。やれる時間を一〇〇だとすると、一〇〇のうち一〇〇の時間鳴らす。頑固兄貴が静かにした時間というのは、本当はない。

頑固兄貴が静かにしてやっているつもりの時間も、おばあちゃんちでも、いま住んでいるうちでも、一日に一分間だろうが鳴らせないような爆音だ。うちでなら、どうだっていいのである。うりでなら、自分が、一〇〇のうち、一〇〇やってあたりまえで、ゆずってやるとしたら、自分がゆずってやりたい時間、自分がゆずってやりたい分だけ譲ればいいという考え方が消えない。

で、自分がゆずってやれる分というのは、「人を馬鹿にするのも、いいかげんにしろ」と怒鳴りたくなるような、分、なんだよ。ほこりのような量でもゆずってやったら、ゆずってやったということになる。ほんのちょっとでもゆずってやったんだから、もうゆずらなくていい」という気持ちになって、爆音で鳴らしきる。で、そういうことを、入試の前にやっても、なにも感じないんだよな。だから、なにも感じないで、弟の入試を邪魔することができる。普通、入試の前に「明日入試で困るから、鳴らさないでくれ」と言われたら、その意味がわかるよな。けど、頑固に全部の時間、爆音で鳴らして、なにも感じない。

2016年5月25日水曜日

孤独な中年フリーターというのは、誰もが「保証人問題」に直面してしまうのである

こんな状態でも、その日によって状態は違う。今日は、かなりいい状態だ。かなりいい状態と言っても、やはり、きちがいヘビメタ騒音のことで腹を立てているのであり、将来のことについていろいろと心配しているのであ~~る。たとえば、九時のニュースのあとに、「クロ現+」という番組が始まったので、思わず視てしまった。

クロゲンというのは、クローズアップ現代の略で、不祥事を起こしたので「クローズアップ現代」を一度やめたので、「クロ現+」ということになっているのだろう。で、クロ現+でなにをやっているかというと、「保証人の問題」をやっている。日本の社会だと賃貸住宅を借りるときに保証人がいないと、借りられないといった問題がある。これは、賃貸住宅に限らず、病院に入院するときや、老人ホームなどの施設に入居するときにも必要になる。で、これ、問題なんだよ。お母さんが入院したときは、なんとかなった。

けど、俺の場合はどうなるのかな?と思って注意深く視ていた。けど、なんとなくなんだけど、視ているのが嫌になったので、録画している。あとで視る。きちがい兄貴の世話になるのは嫌だなというのがある。きちがい兄貴のせいで、俺は、結婚もできず仕事もできず孤独な人生を歩んでいる。孤独な高齢者とか、孤独な中年フリーターというのは、誰もが「保証人問題」に直面してしまうのである。

もちろん、時間の問題はある。人によって直面するまでの時間が違う。けど、やがては直面しそうなのである。家族がいる人はいい。まあ、離婚したり死に別れたりすると、独身高齢者とおなじ問題に直面してしまうのだが……。だからまあ、そんなに特別な問題ではないのだけど、きちがいヘビメタ騒音にずっとやられて人生がないまま、生きている俺にとっては、かなり身近な問題なのである。

お母さんが入院するときに、生計を異にする連絡先が二カ所必要だった。これ、なんとかなったけど、お母さんの時だからなんとかなったわけで、俺の時はどうなるかわからない。というか、きちがい兄貴を連絡先の一つにしないと、連絡先がゼロになる可能性がすごく高い。きちがい兄貴よ……おまえがきちがいヘビメタを思いっきり鳴らすことにこだわらなければ、ぼくは結婚していて、なおかつ、かなりの貯蓄もあり、押しも押されもしない社会的な地位を得ることができたと思う。

そっちは、まるで破壊したつもりがないんだろうけど、毎日毎日、きちがいヘビメタを毎時間毎時間、絶対に譲らないで、キチガイ的にでかい音でな鳴らすということが、ぼくの人生を破壊したんだよ。それは、長い長い時間がかかっている。一日目に、全面的にやめてくれたら、こんなことになってない。それを拒否して、一四年間も鳴らしてきたのだから、それ相応の報いを受けるべきだと思う。これ、きちがい兄貴の主観としては、一日もやってないつもりなんだよ。一日も邪魔してないつもりなんだよ。

じゃ、一日中ヘビメタを鳴らさないで静かにしてくれたかというと、そういう日は、一日しかない。一四年と数ヶ月間で一日だけだ。一四年と数ヶ月間うるさくしないで我慢してくれて、それで、一日だけ一四時間鳴らしました……勉強の邪魔をしましたということではないんだからな。いつでも、やめられた。毎日きちがい兄貴が自分の意地を通して絶対にやめてくれなかった。この、本当は、いつでもやめられたというのが、でかい。これ、なんかの難病とか、なんかの事故でずっと、後遺症があるという状態ではないのである。毎日、すぐにでも、ヘッドホンをすることができた。毎日、いつでも、今日からやめると言って、鳴らさないということができた。

できたんだよ。きちがい兄貴は、キチガイ的な意地でこだわって鳴らしているから、一分間ですら、やめて静かにするということに死にものぐるいの抵抗をしたけど、きちがい兄貴が好きで鳴らしているのだから、きちがい兄貴が「その気になれば」いつでも!!!……一四年間と数ヶ月のあいだいつでも、その日から、一分も鳴らさないようにすることができた。

その日から一日中ヘッドホンをして聞くことができた。実際、いま住んでいるところで、そうしているのだから、そうできないという理由はない。きちがい兄貴がこだわっていたから、やらなかっただけだ!!! できなかったわけじゃない。これ、きちがい兄貴、が、「静かにしてやった」とか言っているけど、半分の時間、鳴らさないで我慢して、それでやっと「半分」静かにしたということになるんだぞ。きちがい兄貴が、好きなだけ、全部の時間を取って!鳴らして!それで、「静かにしてやった」と思っているだけじゃないか。

きちがい兄貴にとって、半分の時間、ヘッドホンをして静かにしてやるということが、どれだけハードルの高いことだと思っているんだよ。きちがい兄貴は、平日は、午後四時から、午後一一時一〇分まで、自分が部屋にない時間以外は、全部鳴らしていた。かりに午後四時から、午後七時三〇分までを前半三時間三〇分として、午後七時三一分から午後一一時一一分までを後半と呼ぶことにしよう。きちがい兄貴が、午後四時から、午後七時三〇分まで、鳴らさないで我慢してくれたことがあるか? 

きちがい兄貴が午後四時から、午後七時三〇分まで、ヘッドホンをして我慢してくれたことが一日でもあるか? そんな日は、一日もない!! きちがい兄貴よ! 午後四時から、午後七時三〇分まで、鳴らさないで我慢するつもりがあったか? かけらもないだろ。午後四時から、午後七時三〇分まで、鳴らさないで我慢して、それを、一四年間続けて、やっと!!!やっと!!!半分は静かにしてやったと言える状態なんだぞ。一日も、半分の時間静かにしないでそれで「静かにしてやった」と言っている……思っている、いまの状態はなんだ? キチガイか? そういう感覚で鳴らしたんだよ。

半分だって静かにしてくれなかったよ。きちがい兄貴にとって、鳴らせるのに、半分の時間続けて静かにするなんてことが、どういうことだかわかっているのか? きちがい兄貴よ!! 当時の自分にとって、半分静かにしてやるということが、どういうことだかわかっているのか? そんなの、さらさら、やってやるつもりがなかったことだ。おぼえてないのかよ!! あるわけがなだろ。おまえ、家に帰ってきて鳴らせるのに、弟と約束をしたから、午後四時から午後七時三〇分まで、三時間三〇分、鳴らさないで我慢するなんて、そんなことをするわけがないだろ!!

 一日だって、そんなことをしてくれたことがない。普段の日、そうやって、三時間三〇分にわたって、静かにしてくれた日が一日もないんだよ。これを、どう考えるんだよ??? おまえ、きちがい兄貴、それをわかって言っているのか? 「静かにしてやった」とかそれをわかって言っているのか?? 嘘だから、各類得ることなんだろ!! 当時の自分にとってそれがどれだけ屈辱的なことか、わかっているのかよ? そんなの、絶対にやってやりたくないからやってやらなかったことだということがわかってないのか? 

お母さんが、もし、「午後四時から、午後七時三〇分まで、静かにしてあげて」と言ったら、どれだけ不愉快な気持ちになるか、わかってるのか? 「午後四時から、午後七時三〇分まで、鳴らさないで我慢する」可能性なんて、これっぽっちも考えなかっだろう。そんなのは、一日だって絶対に絶対に絶対に、嫌だから、絶対にやってやらなかった。……こういうことだ。午後四時から、午後七時三〇分まで、一日に三時間三〇分我慢させられる提案に、首を縦に振るわけがないだろ。黙りこくって、むすっとした顔で、二階に上がって、がんがん鳴らすよ。普段通りの爆音でがんがん鳴らすよ。

そのあと、鳴らしているあいだ、鳴らしてないと思っているのか? 鳴らしているあいだ、こっちが、何とも思ってないと思っているのか? それが!!人を馬鹿にしているって言っているんだよ。しかも、半分の三時間三〇分だって、静かにしてくれなかったのに、「静かにしてやった」と思っている。そういうところが、親父そっくりだよ。おまえにとってのヘビメタ騒音の日々というのは何なんだ? おまえが鳴らしているあいだ、ずっと俺は苦しかった。きちがい兄貴が言われた後、なにも感じないで、七時間鳴らしてたら、七時間苦しいんだよ!!

それも毎日だ。平日月曜日から金曜日までの五日間、どれだけ苦しいと思っているんだよ? 平日月曜日から金曜日まで、毎日ずっと、「午後四時から、午後七時三〇分まで、鳴らさないで我慢」してくれたことがあったか? 一週間ですら、そんなことは絶対にないね。中間期末試験の時、俺はそうして欲しかったんだよ。半分だけじゃなくて、そのあともずっと静かにして欲しかったけど、きちがい兄貴が「譲歩」しないで、どれだけ注意しても、一日も午後四時から、午後七時三〇分まで、鳴らさないで我慢してくれかなったというのが、事実じゃないか。それで、「静かにしてやった」とか言ってるんだもんなーー。本当に精神異常者。どこまで、けちなんだよ。どこまで、貪欲なんだよ。どこまで、自分がやったことを書き換えているんだよ。自分がやったことに関する記憶を書き換えている。その時!言い訳ができれば、それで、いいんだろ!!

今更言ってもしかたがないとこれを読んでいる人は感じるかもしれない。きちがい兄貴もそう思っているだろう。けど、俺はさんざん言った。何万回言ったかわからないぐらいちゃんと言いました。聞こえる声で、怒鳴って言いました。自分が一分でも「本当に」静かにしなければならなくなったと言うことを感じたら、感じただけで、きちがい親父のように、むくれて怒ってたんだよ。頭から湯気を出して怒ってたんだよ。

「じゃ、一時間ぐらいは鳴らさないで静かにしてやろう」……こんなことは思うわけがないだろ。何万回言われても、一回だって、そう思ったことがないんだよ。こういうレベルだ。それなのに、そういう態度で鳴らし続けた本人が、まるで!!!……まるで!!知らなかったという態度なんだよな。で、やっているそばからそうだよ。「鳴らすな」と言われて、腹が立って鳴らしているとき……頑固に無視して鳴らしているとき……ぜんぜん鳴らしているつもりがないというサイコパスっぷり。しかも、何千日、十数年毎日繰り返しても、ぜんぜん疑問に思わない。一時間は鳴らさないで静かにしてやろうとも思わない。鳴らしっぱなしで、静かにしてやったつもりなのである。そういう毎日だ。どれだけ言ったと思っているんだよ!!! そういうふざけた態度で、毎日毎日、爆音ですべての時間鳴らし続けやがって。それで! まったくつもりがないという状態なんだからな。そういうやり方なんだよ。

これ、他の人にはわかりにくい。俺がゆるせないのは、他人がわからないことじゃない。血相を変えて、きちがい親父のように怒って、頑固にやり切ったきちがい兄貴が、他人以上に、わかってないことだ。俺がゆるせないのは!!そういうきちがい兄貴の態度だ。

けど、これが、そういうやつだから、何十年も毎日、嫁さんの家族前で嘘を言って、嘘を言っているつもりがないんだよな。中間テストの日、俺がどういう気持ちでいたと思っているんだよ。あれだけ人の勉強の邪魔をして、まったく勉強の邪魔をしたつもりが生じないというのが、きちがい親父的に、おかしい。

きちがい兄貴のいつもの態度というのは、きちがい親父が自転車事件の時に怒った態度とおなじだ。絶対の意地で、くそ意地悪なことをやりきるけど、本人は、最大限!助けてやったと思っている……そういう態度だ。きちがい兄貴、おまえがやっていることなんだよ!! おまえが!! 本当に、何年間毎日頑固に繰り返していたって、「やったつもりがなければ」ぜんぜんやってないのとおなじなのである。本人が、感じなかったら、それまでなんだよ。何万回言われようが、毎日毎日、しつこくしつこく言われたって、ゼロたすゼロはゼロで、ゼロなんだよ。


   *   *   *



2016年5月22日日曜日

引きこもりはエコロジー・引きこもりこそ省エネ節約賢者

昨日、以下のような文章を書いた。

引きこもりの原因と対策・無職は悪くない・無職こそが成仏する・働かなくてもそこそこしあわせに生きられる社会を、みんなでつくろうではないか!・働かざる者も飢えてはいけない・もう食い物自体はある・問題なのはどう分配するかだ・楽な農業・楽な仕事と生態系を考えよう・生態系としての経済学・オイコノミアが必要だ・働くというということのハードルをあげすぎている・ぎすぎすしない良好な関係を目指すべき・学問はそのためにある・市場経済社会の本質についてもう一度真剣に考えるべき・引きこもりはエコロジー・引きこもりこそ省エネ節約賢者

これは、別に二つの本の内容ではない。しかし、ぼくが言いたかったことのいくつかだ。確かに、引きこもりは、エコロジカルで、省エネ生活をしているのである。引きこもりはエコロジーと、引きこもりはエコロジカルだとまあ、意味が違うわけよね。けど、まあ、そこはあんまり考えないで、簡単に考えるとやはり、引きこもりはエコロジカルだ。車を持ってないと言うことだけでも、相当に環境維持に貢献している。俺なんて、滅多に外に出ないし、外に出るときは、徒歩か自転車なので、そういった点では、まったくガソリンを使わない。けど、電車に乗れば、もちろん、電力を使う。電力を作り出すために、原子力や石油などが使われている。だから、まあ、電車に乗る場合は、エコロジカルとは言えないわけだけど、医者に行くときだけ年に数回だ。まあ、俺が乗らなくても電車は走っているわけだしな。車の維持費というのはけっこう財布に影響を与えるようだ。だから、節約になる。もっとも、買い物などで相当に有利なところに住んでいるのでそういうことができるのだけど。あとは、通販か。通販は、店で買うよりもわずかにエコロジカルではない。商品が店まで運ばれる場合と、うちまで運ばれる場合のガソリンの量はそれほど違わないと思うが、多少は、うちまで届ける方が、ガソリンを使っていると思う。ともかく、引きこもりはエコロジカルなわけよ。そして、引きこもりは存在としてエコロジーなわけ。

経済に対する貢献というのは、いろいろと考えなければならないところがある。たとえば、害虫が大量発生した場合のことを考えればわかる。害虫が大量発生すると、害虫退治用の薬品が売れる。そして、害虫駆除会社が儲かる。その分、金が動くわけで、経済に貢献していると言える。しかし、本当に「経済が発展した」と言えるのかどうかという問題だ。まあ、たしかに、薬品や薬品を使って害虫を駆除する業者は、人間の悩みを解決しているので、経済的な意味ではなくても、人に貢献していると言える。しかし、元がマイナスなんだよな。じゃ、害虫がいまよりももっともっと、増えれば経済が発達することになるか?

これは難しい問題で、ならないとははっきり言えない。なるともはっきり言えない。これは、ケンケンガクガクの議論をして欲しいところだ。この問題について深く考えている経済学者同士の議論というのを是非聞きたい。ぼくは討論とか議論とか好きだから。

資本主義というのは欲望を開発してしまうところがある。本当は、そんなことはぜんぜん必要がないのだけど、どうしてもやりたいことにしてしまう。たとえば、むかし、ウォークマンというのがあった。別に、歩きながら音楽を聴かなくてもぜんぜん困らないわけなんだけど、歩きながら音楽を聴くとか、外にいるとき音楽を聴くというような、欲望を開発するわけ。欲望を開発された人は、その商品を買うわけよ。
いまは、(ぼくの知る限りでは)ウォークマンはなくなって、MP3プレーヤーやiphone、スマホみたいなものになっているわけだ。じゃ本当に、電車の中で音楽を聴くことが本当に人間にとって必要なのかというと、そうではないでしょ。食べなければ、死んでしまうけど、別に外で音楽を聴かなくても、人間は死なない。うちにいるとき、聞けば良いというような話になる。けど、「外で」歩いているとき聞きたいんだ……電車を待っているときに聞きたいんだ……休み時間にお店で聞きたいんだという気持ちになっている人には、まさに、「それ」が必要なものになっている。

その場合、本当はなくてはならないものではないけど、なくてはならないものとして認知されていると言うことになる。だから、そういうものを作って売るというのは、正当な経済行為で、内部不経済の問題なんてないみたいなのだけど、……けど、それは欲望を開発したからで、本質的には害虫駆除とたいして変わらない側面がある。

そういうふうに考えていくと、本当に必要ものを作っているところは、むしろ少ない。本当に必要なものですら、付加価値が重要なものになる。それからちょっと方向性が違うのだけど、女の人の化粧品なども、本当は必要とは言えないものなのだけど、必要なものとして認知されている。本当は、化粧品などはつけない方が肌年齢を若く保てる。どんなに高い基礎化粧品も本当は、肌に有害だ。シャンプーとおなじで使わない方が良いのである。

まあ、口紅とかアイシャドーと言った、基本的に色をつけるものは、使う目的と効果が一致している。けど、化粧って本当に必要ですか? 生きていくのに必要ですかということになると、生きていくのにどうしても必要というものではないということがわかる。

もし、化粧品が生きていくのにどうしても必要なものなら、化粧品をつけてないこどもは死んでしまう。化粧品は本来生きていくには必要がないものだ。だから、害虫駆除用の薬品のように本来は、必要じゃないものなのである。

けど、イメージというものがあって、あたかも必要なものになってしまうのである。だから、本当のところは、経済の発展とかそういうものは、そういう人間にとってどうしても必要なものではないものに大きく依存しているのである。化粧品の原価というものを考えると、まあ、五%ぐらいになると思う。もっと少ない場合もある。あとは全部、イメージ料なのである。きれいな女優さんをシーエムに使って、「ああいいな」「きれいだな」と思わせるということが非常に重要なのである。

たばこは、いまは、かっこう悪いイメージがつきまとっているけど、むかしは、映画などで主人公などが吸って、「たばこは格好いい」「あの吸い方は格好いい」などというイメージを作っていたのである。映画を視た人たちがまねをして、吸ってくれるように格好良く映していた。これも、まあ、文化なんだよな。最初の話に戻して、たばこも、害虫駆除用の薬品と同じようなところがあって、元はマイナスなのである。まあ、吸ってもすぐには死なない。ずっとずっと吸いまくると、やっぱり病気になる可能性が上がる。これは、エビデンス、あるよ。で、まあ、それはいいのだけど、ようは、たばこを吸う人が増えて、たばこが売れた場合、経済が発展したと言えるのかどうかだ。もちろん、普通に考えれば経済が発達したと言える。

たばこの製造販売に関わっている人は、

(・・つづく かもしれない)






2016年5月18日水曜日

他の四〇代無職の人たちは、なにを支えにして生きているのだろう?

しかし何度シミュレーションしても、暗いな~~。他の人たちのこころは鋼鉄でできているのだろうか。不安じゃないのか? 不安だろ。他の四〇代引きこもり無職の人たちは、なにを支えにして生きているのだろう? まあ、死ねないから生きているのかな? 無職やほぼ無職の人って、さびしくないのかな? さびしいだろ。普通、さびしいと思うけどな。もう、悟りきって、さびしく感じないのだろうか?

まあ、楽しみたいという気持ちはあるのだけど、それが、まるで蜃気楼のようなもので、人ごとなのだ。ヘビメタ騒音を一〇年間やられた俺には、もう、楽しむ能力がない。欠如している。だから、「想像すると」楽しそうなことでも、実際に「自分がやる」となると楽しくない……かもれない。というか、ここ三〇年間で、「楽しい」という記憶がないのだ。きちがいヘビメタ騒音毎日一五年間というのは、そういうしろものなのだ。人をして、そういう気持ちさせてしまうものなのだ。で、きちがい兄貴が、「こだわってこだわってこだわって」鳴らしたわけで、ぼくが、こだわっているわけではない。そりゃ、一五年間も毎日やられたら、こだわりもできる。けど、それは、人間としてあたりまえのこだわりなのではないかと思う。ぼくの他のに、きちがいヘビメタ騒音を一五年間経験した人がいないから、同意を求めてもしかたがないのだけど、事実そうだと思う。

(1)きちがい兄貴がこだわったのであって、俺がこだわったわけじゃない。
(2)けど、毎日何年間も何年間も鳴らされていると、普通の人にはわからないこだわりができる。

これ、本当に言いようがないな。どのみち、「過去は変えられない」「人は変えられない」というようなことを言う人はヘビメタ騒音毎日一五年間生活を経験してない。ヘビメタ騒音から派生する、いろいろなことを経験してない。だから、その人たちから見れば、俺が「こだわっている」ように見えてしまうのだ。実際、俺は「こだわっている」しな。そのこだわりというのは、ヘビメタ騒音から派生したものから生じたものだ。もちろん、ヘビメタ騒音自体も苦しいけど、派生したもののしんどさと言ったらない。鳴らされている現実というのは、苦しすぎる。「いっくら鳴ってたと言ってもそんなに鳴ってたわけじゃないんだろ」とか「騒音なんて誰だってちょっとは経験している」とか「ヘビメタ騒音は過去のことなのだから、いまはどうにかなるんじゃないの」というようなことをいってられる世界とは、世界が違うんだよな。どうしょうもなさがある。本当に違うんだよな。あそこで切れて終わってる。まあ、終わらなかったから、そのあと、何回も切れてしまったのだけど。きちがい兄貴の意地がおかしい。日頃常に鳴っているというのは、想像する以上に、「すべて」がだめになる。……過去のようで、過去じゃないんだよな。影響がずっと続いている。

まあ、過去は変わると言う人もいる。過去の出来事に対する解釈が違えば、過去が違って見えるという考え方だ。出来事は、中立的に発生しているのかもしれないが、解釈をする人がいて、はじめて、解釈をする人のなかで、出来事の記憶として残ることになる。残っているのは記憶なんだよね。しかし、人格を離れた解釈というのが存在するだろうかという問題がある。案外体験したことは、そのものずばりの解釈をしていて、その解釈を、あとで作り替えようとするのは無理があるんじゃないかなと思う。そのあとの解釈というのは、いまの自我にとって都合がいい解釈なのだけど、その都合がいい解釈が、しっくりくるかどうかの問題だ。「こういう解釈をすれば、いまの自分にとって都合がいいので、こういう解釈をしよう」と思った場合、本当にそれを受け入れることができるか? それは、「効率」を問題にしているだけだろ。効率が悪い解釈は捨てて、効率がいい解釈に書き換える。それが合理的だ。……むむむっ、しかし、本人の無意識的な部分が本当のことを知っている場合、それは、無意識的な部分からかなり、反撃を受けることになると思うけどな。


2016年5月16日月曜日

きちがいヘビメタがなければぼくは、引きこもらなかった。引きこもらずに済んだ

このまま死んだらやっぱりむくわれないな。ヘビメタ騒音でずっとくるしかった。ヘビメタ騒音でずっとつらかった。……それだけなんだよね。それだけ。本当に、それだけ。ヘビメタ騒音が始まってから、ヘビメタ騒音でつらい以外の感情がない。本当につらいだけ。

常に、ヘビメタ騒音で死にたい。猛烈に、死にたい。常にヘビメタ騒音で憂鬱で暗い。常にヘビメタ騒音でつかれている。どうにもならない。

これーー。こ、れ、わからんのだろうな。ずっと鳴っていたらそうなる。毎日ずっと鳴ってたらそうなる。「毎日鳴っている」ということが、どれだけの重石だと思っているんだよ? きちがい兄貴が、シランプリで鳴らす。絶対の意地で鳴らすけど、本人は、鳴らしたつもりがないという態度。どれだけ言っても、つたわらない。けっきょく鳴らして、……一日中すべての時間、鳴らして……それで、シランプリだ。

本人は、譲ってやったつもりで、そんなに鳴らしてないつもりでいる……らしい。ありえない! これ、本当にきちがい兄貴の「いまの」いいわけを信じるとそういうことになるけど、絶対に、つもりがあったよ。あれだけ意地になって、起きているときに、頑固に鳴らして「つもりがない」とか本物のキチガイ。キチガイ以外の何物でもない。

けど、きちがい兄貴は、きちがい兄貴だということで得をしている。きちがい兄貴がやりたいことを全部やった。こっちは、こっちがやりたいことを全部やってない。きちがいヘビメタ騒音に妨害されて、全部できなかった! いまもそうだ。ずっと、つらい。

部屋に引きこもっている。外に出ても、意味がない。そりゃ、意味がないだろ。……いや、あるかもしれないけど、外に出るというのが文字通り「外に出る」ということで、買い物に行くということなのだから。きちがいヘビメタがなかった場合の、職業人生とか、結婚生活とか、そういうことは関係がないわけだから。きちがいヘビメタがなければぼくは、引きこもらなかった。引きこもらずに済んだ。そういうことだ。

あの意地はない。「静かにしてやった」というのであれば、試験期間中ぐらいは、一日中鳴らさないで静かにするべきだろ。試験期間なんて、数ヶ月に一度なのだから。数ヶ月に一度の試験期間ですら、一分だろうが静かにしてないのだから……鳴らさないで静かにしてないのだから、ヘッドホンをして静かにしてないのだから……静かにしてない。全部の時間、下のテレビの音が聞こえないような音で鳴らして、それで、「静かにしてやった」と思える、狂人ぶりはなんなんだ?という話だ。

普通に毎日狂ってるんだからな。普通に毎日狂って、よそじゃ一〇分だって鳴らせないようなでかい音で、ドカスカ鳴らして、それで、なにもしてないつもりなんだからな。どれだけ言われたって「なにもしてないつもり」のままなんだからな。どういう、狂人だよ。

同い年の芸能人のスキャンダルとか結婚生活の話とか聞いても、なんとも言えない気分になるね。むなしい。俺の場合、ヘビメタ騒音だけだった。入試も、結婚も、彼女も、仕事も、全部、きちがいヘビメタでない。

こういうむなしい気分で、なにかを食いに行っても、楽しいわけがないだろ。

俺の人生はなんだったんだという話になる。終わってないんだよね。ヘビメタ騒音が……。いつまで経っても終わらない。終わるわけがない。終わらない。若いとき、全部、鳴らされて、いいわけがない。で、これ、「若いとき、全部、鳴らされた」ということ以外の部分が大きいのである。「若いとき、全部、鳴らされた」と言えば、文字の部分はつたわるんだけど、生活の部分がつたわらない。実際の生活のなかで、きちがいヘビメタ騒音が「ぼくにとって」どれだけでかいことだったか、つたわらない。「若いとき、全部、鳴らされた」と言えば、たしかに、その通りなんだけど、実際にされた場合のすべての時間の重さがつたわらない。ぼくじゃないし、ぼくの経験を持っている人じゃないから。生活のなかでどういう意味を持つのかわからない。鳴らされたという情報だけはつたわるけど、本当に言いたいのは、そういうことじゃない。そういうことでもあるけど、それ以外のことのほうがでかい。

2016年5月13日金曜日

いま二〇歳だと思い込むゲーム

やっぱりつまらないな。どうてもいいかぁ。つまんないな。あーあ、こんな一生になっちゃったよ。これ、まるまる荘時代とおなじだよ。どうすんだよ。こんなの、ないよ。

いま二〇歳だと思い込むゲームでもやろうかな。いま二〇歳ならなにをやる? なにをやる?

けっきょく、なにも変わらないか。

いまも頭がモヤモヤだ。今日は一日中モヤモヤだった。体調はだいたいマイナス七〇点ぐらいかな。マイナス一〇〇点で死。はやく、〇ぐらいには戻らないと。気持ちが冷めちゃっているわけだけど、気持ちが上がるにはまず、体調が上がらないとだめだ。気持ちは、冷めちゃっているから、なんていうの? かりに、ものすごく可愛い子とデートする予定があったとしても、ぜんぜん気持ちが上がらない。むしろマイナスになってしまう。気を遣うだろ。金、ねーし。一緒にいる人が、しずんでいたら、あんまりいい気持ちじゃないだろ。最後の友達ともそんな感じだったな。きちがいヘビメタ騒音がこういうところにもでかいでかい影響を与えている。俺が、無職で風来坊?になってしまったのは、きちがいヘビメタ騒音のせいだから。一〇〇%。きちがいヘビメタ騒音がなければ、ぼくの人生は一〇〇%違ってた。ぜんぜん違う。俺は、やらなかったのではなくて、やれなかった。ヘビメタ騒音でどうしてもできなかった。ぜんぜん違う。好きなことをやっていたから、勉強をしなかったとかそういうことではないのだ。自己責任とか、自業自得とか思う人がいるかもしれないけど、それは違う。どんだけ、あの騒音のなかでがんばったか、ぜんぜんわかってない。あんな騒音のなかで「いきている」と言うことだけでも、すごいことだ。死なずに、視察せずに生きたということだけでも、すごいことだ。けど、そんなのは他の人にはまるで見えない。なに言ってんの? なに、言い訳してんの? と言ったところだろう。騒音が毎日続いて、全部そういうことを俺が背負ってしまったんだよな。これ、他の人にはほーーんーーーとーーーにわからないと思う。わかるわけがない。実際にやられてみろ。どうやって働くんだよ? どうやって勉強するんだよ。どうやって朝起きるんだよ? 七年間、がんばったから、つぶれてしまったんだよ。毎日毎日、七年間がんばり通したから、つぶれてしまったんだよ。


2016年5月12日木曜日

毎日毎日、誤解されまくりなら、誤解が真実になる。どういう、罰ゲームだよ

うーーー、つかれた。やっと、普通に文字が打てるようになった。文字が打てるようになるまで、時間がかかる。起きてからここまでが長い。かりに小説を出したとしてもまったく売れないんじゃしかたがないなぁと思う。まあ、ぼくの場合自分人生はこうだった、自分の人生の中でこういうことが起こったということは、絶対に表現しておかないと、死ねないので、なんとか終わらすしかない。どこかでブレイクしたいとは思うけどな。飢餓陣営の人たちは読むべきだな。

しかし、自分の昔の文章がない。どこに行っちゃったんだというのがいっぱいある。困ったな。

なんか頭がモヤモヤしている時間が本当に長い。あとは、モヤモヤで疲れ果てているのだけど眠れないという時間も長い。そういう時間は横たわっているしかない。なにもできない。で、そういう時のからだの状態や気分が、きちがいヘビメタが鳴っていた日々の夜の体の状態や気分!そのものなんだよな。

いま、幼稚園生がぎゃーぎゃーわめいているけど、そういうのは別にいいんだよ。ヘビメタの破壊的な音は、別だ。これ本当に、違うんだよね。普通にうるさいというのと違う。次元が違う。ああいうきちがい的にうるさい音を鳴らして、それで、本人は「譲ったつもりで」「静かにしたつもり」とか頭がおかしい。頭がおかしすぎる。で、そういう手口でずっと何万時間も何千日もやってきたんだよ。当然、普通だったら、一回言われれば気がつくことなんだけど、何万回言われても「気がつかないまま」なんだよ。その間は、心置きなく……どれだけ何回文句を言われても怒鳴られても、「気がつくことなく」「気兼ねせずに」きちがいヘビメタを爆音で聞けるわけだからな。爆音で聞いている時間も「静かにしてやった」と恩着せがましい気持ちでいられる。で、きちがい兄貴は耳か頭がおかしいけど、ほーーんとーーにひどい音。で、それが他の人にはわからないから、俺がいろいろなところで誤解を受けるわけで、本当に誤解だらけの人生だった。誤解されまくりの人生だった。毎日毎日、誤解されまくりなら、誤解が真実になる。どういう、罰ゲームだよ。きちがい親父のうちに生まれたということでも……それだけでも、かなりのハンディがあるのに、きちがい兄貴が、……頼みもしないのに……ヘビメタに夢中になって、親父とおなじやり方で鳴らす。親父のやり方というのは、発狂して、万力を締め上げるような意地で、やるというやり方だ。で、途中で「やめてくれ」「迷惑だからやめてくれ」といわれたら、脂汗をかいて、顔を真っ赤にして、やりきろうとする。で、やってしまえば……自分がやれれば……それで、やったことになってないのである。ぜんぜん気にしてない。相手がやめてくれと言ったのに、それを押し切ってやったという気持ちがまるで生じない。「やめてくれ」といった相手に「うまいだろ!!どうだどうだ!!」「ほめろほめろ!!」ってこうだぜ。こういう態度、顔を真っ赤にして、相手が言っていることを無視してやったことで、相手がほめるわけがないだろ。そういうのが、まったく!!!わからないんだよね。空気読めない」とか、そんななまやさしいものじゃないんだよ。本当に頭がおかしい。で、いつも!!!そうなんだよ。あいつに関わると!!!いつも!!!!!そうなんだよ。こういうのを、「誰でも機嫌が悪いときはある」とか「自分のことに夢中になってわからないときはある」というふうに理解すると、ダメなんだよ。そういうふうに理解すると……理解しようとすると……強迫神経症になってしまうのだ。これがわかってない。だから、(そういうしくみで)強迫神経症になっている人に、「誰でも機嫌が悪いときはある」「たまたま、そうだっただけではないのか」みたいなことを言うことは、逆効果なんだよね。けど、さも、それが合理的で正しいと思っている。こんなのは、バカだ。だから、たいていの認知療法家はバカだ。そういうことでは相対化できない出来事があったから、強迫神経症になっているわけだから。ここがわかる人とわからない人の差はでかい。わからない人のほうが多い。実際、わからない人は、強迫神経症者のことを、(理由もないのに)変なことにこだわるバカな人だと思っている。認知療法家の理論だと、強迫神経症になってしまう理屈がわからないのである。だから、ただたんに、認知がおかしい人ということになる。そういう気持ちにならなくてもいいのに、そういう気持ちになるバカな人ということになる。本当にバカなのは、どちらか? もちろん、認知療法家なのである。せっかく、フロイトが発見したことを、ゴミのように捨てて「原因なんてどうでもいいんです」と言う。原因がどうでもいい場合もあるけど、原因がどうでもいい場合ばかりではないのである。

きちがい兄貴なんて、「ほめろ」というような態度の親父とおなじで、自分が迷惑をかけたつもりがまったく生じないのである。自分は常に、悪いことをしているつもりではないのである。迷惑行為をしているつもりではないのである。一五年間毎日、どれだけ何回、何万回文句を言われても、相手が困っているということを認めない。自分のやっていることが、相手に迷惑をかけていると言うことを認めない。自分がやっていることが相手にとって迷惑なことだから、相手が「やめてくれ」「静かにしてくれ」「明日、テストだからやめてくれ」と言ってくるということが、わからない。
い・わ・れ・た・ら……むきになってやるだけなのである。その時!!! 譲るわけにはいかないから、腹を立てて、頑固にやり切る。やりきろうとする。やれない」のは困るのである。きちがい兄貴が望んでいることではないのである。だから、どれだけ相手が「困るからやめてくれ」と言っても自分のヘビメタ騒音で「困る」ということを認めない。認めたら、静かにしてやらなければならなくなるわけだけど、それは、死んだって、殺されたって絶対に絶対に、いやなことだから、やってやらないのである。ムキになる。むきになってるんだよ。それなのに、きちがい親父とおなじで、目を三角にして、顔を真っ赤にして、ヘビメタ道具に執着して、いま鳴らしているでかい音に執着して、頑固に頑固にやり切るのである。その場で、殺さなければ、どれだけ言っても、一分間ですらぜっぇぇぇたいぜーーーったいにやめない。自分が「せっかく」鳴らしているのに、我慢してやらなければならなくなった、となったら、それは、くやしくてくやしくて、頭にきて頭にきて、頭にきて頭にきて頭にくることだから、たとえ、一分だろうが絶対に、相手の思い通りにはやってやらないのである。相手が思っているようには、絶対にどんなことがあっても、入試だろうがなんだろうが、一分だってやってやらないのである。だから、「やってやらなかった」ということは、知っているはずなんだけど、親父とおなじで、知らないことになっているのである。そういうことが、何万回あっても、一回もそんなことはなかったつもりでいるのである。頭がおかしい。……それで、「そんなつもりじゃなかった」「静かにしやった」とか嫁さんの前で、嘘でなく言える。嘘をついているつもりがない。じゃ、一六年後以降にそういうしらばっくれたことを言うのであれば、その時!鳴らしていたとき!!やめてくれるのかと言ったら、それは、絶対にないんだよな。だから、そういうところで矛盾しているのだけど、その矛盾が、ものすごく奥底に入った矛盾で、矛盾しているとは思えないんだよね。本人が、矛盾していると思えない。「えーっそんなことだったのかなぁ」と、これまた、まるで自分ではない人間がやったような態度だ。認知だ。頭がおかしい。で、そういうでたらめなことを「うち」では、一五年間毎日、繰り返してきたんだよ。途中で、やめてくれると言うことがないのだから。俺にとっての一五年間がどういう一五年間だと思っているんだよ。きちがい兄貴、この世に生きているあいだに言っておくけど、おまえの!!!ヘビメタで、俺は人生がない。


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言っておくけど、こどものわめき声や足音が気になる場合もあると思います。そんなのはたいした音じゃないということを言いたいわけではないんです。そりゃ、気に入らない家族の騒音は本当に響きますよね。それはわかる。ぼくの場合は、幼稚園の音は気にならないということです。太鼓と笛は別。そりゃ、腹立つときは腹立つし、破滅的な気分になるときは、破滅的な気分になりますよね。……騒音で。ヘビメタとこどもの奇声は違うと言うことをいっているけど、それは、こどもの奇声は誰にとっても、気にならない音であるということをいっているわけではありません。

2016年5月10日火曜日

せっかくゆずってやったのに!なんだぁ!!!!!!

あれ、キチガイだから親父と同じように「まったくつもりがないまま」なんだよな。どれだけ言っても鳴り止まない……そういうことが過去二ヶ月間続いているとき……どういう気持ちになると思っているんだよ。二年間、毎日鳴り止まない状態が続いているときどういう気持ちになると思っているんだよ。きちがい兄貴は、すっとぼけているけど、やめようと思えばいくらでもやめられたんだからな。それから、俺は毎日、何回も何回も、「やめろ」「静かにしろ」「やめろ」と言っていたわけで……きちがい兄貴の部屋の前で言っていたわけで、「知らない」なんてことはないんだよ。これも、「知らない」ということにしたいのだろうけど、「知らない」と言うよりも、どれだけ何回、しつこくしつこく、言われても、「怒って無視した」だけなのである。知らないんじゃなくて、頑固に、親父と同じように「無視」した。で、親父と同じように「無視した」ということを、無視する。要するに、毎回毎回、一万回繰り返しても、その都度無視して、その都度無視したことは、忘れてしまうので、本人のなかでは「知らなかった」ということになっているだけなのである。で、無視したことを忘れたということも、無視しているので、全体としては、何万回も言われたのに「知らなかった」「そんなつもりじゃなかった」と言える。この構造!!この構造が問題なんだ。本人は、何万回言われたって、無頓着なんだから。言われたら!!言われたときだけ!!腹を立てておしまい。そのあと、一〇時間鳴らしたら、一〇時間、こっちはくるしいんだよ。そういうことが、まったくわかってない。「鳴らすな」「明日試験だから静かにしてくれ」と言われた後、一〇時間鳴らしても、なんとも思わないんだぞ。ヘッドホンをして静かにしてくれたというのであれば、「協力してやった」というのがわかるけど、ヘッドホンをして静かにするなんてことは一分ですらないんだからな。もちろん、鳴らさないで我慢して静かにしてやったなんてことも、一分ですらない。そういう毎日なんだよ。そういう日常なんだよ。そういう五千数百日なんだよ。そういう、一五年間なんだよ。ふざけるな!! これ、いまだに、「静かにしてやった」とか「知らなかった」とか「そんなつもりじゃなかった」とか「言い分がある」なんてことを言っている。一日に半分の時間、我慢してヘッドホンをしてくれたか? 一日中、カオ君がびっくりするような音で鳴らしてただけじゃないか。兄貴が静かにしたつもりの音というのは、カオ君が来て、「こんな音で鳴らしていて大丈夫なの?」と心配した音だ。音のでかさだ。これがわかってないのである。きちがい兄貴が、一分でも、静かにしてやったつもりになったら、……本当はその時間もきちがい的にデカい音で鳴らしているのに……鳴らし続けているのに……「静かにしてやった」「協力してやった」「言い分がある」というつもりになっている。本当は、試験の前でも、一二時間鳴らせるなら一二時間、鳴らし続けて一分も、ヘッドホンをして静かにしてくれなかった。入学試験前の冬休みだって、一四日間、一日に……どれだけどれだけ言っても……一四時間鳴らして……どでかい音でがんがん鳴らして……一分だってヘッドホンをして静かにしてくれなかった。これが現実なのである。一分だって、ヘッドホンをして静かにしないのに……ずっと普段音で鳴らしているのに……「静かにしてやった」「協力してやった」と思っているキチガイ。キチガイ!!! 全部、同じだからな。毎日毎日。入学試験前、中間期末試験中ですら、一分だってヘッドホンをして静かにしてくれないやつが、普段の日、静かにするわけがないだろ。なのに、しらばっくれて……「静かにしてやった」「そんなに鳴らしてない」「知らなかった」「言い分がある」って言っている状態なんだぞ!! ぜんぜん反省してないだろ!! こいつは、本当に親父とまったく同じ人種なんだよ。一切話が通じない。けど、「よそ」じゃ一分だって「普段うちで鳴らしていた音」で鳴らさないんだよ。どうしてかというと、一分間でも、うるさすぎるからだ。知ってるんだよな。だから、本当は、自分がゆずってやらなかったことも知っているはずだ。兄貴が最大限「静かにしてやって」……その状態で……爆音なんだよ。頭がおかしい。きちがい兄貴が最大限静かにしてやったときの音が、普通にみんなが耐えられる音だというのなら、いま住んでいるところで、そういう音で鳴らし続けているわけだろ。問題がないわけだから。けど、問題があるから、一分だって、三〇秒だって鳴らさないわけだ。よその人にはそうなんだよ。うちのひとには、一分だってゆずってやらなかった。うちのひとが、何万回頼んでも、一分もゆずってやらなかった。試験前に、何十回も「やめてくれ」と弟が……うちの人が頼んだのに……一分も静かにしてやらなかった!!! これが、キチガイ兄貴の感覚なんだよ。で、そういうふうにずっと鳴らして、まったく悪いことをしたというつもりにならない。まったく!!!まったく!!!まったく!!!!悪いことをしたつもりになることができない。それは、「うち」では、あたりまえなのである。悪いことじゃないのである。自分が思い通りに全部の時間、フルの音で鳴らせて、あたりまえなのである。一分間だろうが、ぜんぜん譲歩をしてない譲歩をしてやっただけで、相手は、感謝するべきなのである。ものすごくゆずってやったのである。普通だったら、まったくゆずってやらなくていいのに、自分は五分間ちょっと音を下げてゆずってやったのである。それでだけでありがたく思え。それだけじゅうぶんだ。それ以上、静かにしろというのは、おまえがおかしい!! がたがた言ってくるな!! せっかく静かにしてやったのに、なんだぁぁぁ……がたがた言ってくるともとっならすぞぉ!!!!……こういう気持ちにしならない。二回目以降、どれだけ言われたって、それ以上静かにしないのである。当然、鳴らさないで一分間静かにしてやるとか、ヘッドホンをして静かにしてやると言うつもりはない。一分間だろうがそういうふうに、自分の鳴らしたい気持ちが制限される状態で、鳴らすのは、絶対にどれだけ頼まれても、弟が入試だろうがなんだろが絶対にやってやらないのである。絶対に、いやだからやってやらない!!! それであたりまえだ。がたがた、文句を言ってくる方がおかしい。せっかく人が五分間、静かにしてやったのになんだ!と腹を立てている状態なのである。で、いまは、そう書くしかなかったからそう書いたけど、「せっかく人が五分間、静かにしてやったのに」と思っているだけで、実は、静かにしてない。制限されてない音で鳴らしてた。きちがい兄貴が、たとえば、いまにあるテレビの音ぐらいにしてくれるなんてことはないのである。ゆずったと言っても、きちがい兄貴のなかでゆずったと言うことであって、本当は静かにしてない。〇・一デシベルでもゆずってやったら……ゆずってやったことになってしまうのである。最大限ゆずってやったことになってしまうのである。〇・一デシベル下げてやったというのが、ものすごい最大限の譲歩なのである。だから、そういうものすごい譲歩をしてやったのに、相手ががたがた、後から後から言ってくるのは気にくわないのである。で、ずっと鳴らす。だから、ゆずってないのに、ゆずってやったと思うことができる。きちがい兄貴が、最大限ゆずってやったつもりの音というのは、よそのうちでやったら「うるさい!!!静かにしろ」って一分間で怒鳴られるような音なのである。二階で鳴らしているのに、一階の玄関で普通に話ができなくなるほどやかましい音なのである。あーーそれなのにそれなのに、本人が、静かにしてやったと思ったら、もうそれで、一日中静かにしてやったと思ってしまうのである。本人が、静かにしてやったと思ったら、たとえ、爆音で一四時間鳴らしていても「静にしてやった!!静かにしてやった!!」「静かにしてやったのになんだ!!!!」と腹を立ててしまうような状態なのである。こういう毎日だから、どれだけなにを言っても、騒音が鳴り止まない。

キチガイ兄貴は可能性さえ考えてないけど、一日中、ヘッドホンをして鳴らすということもできた。なのに、しなかった。どれだけ言ったと思っているんだよ。よそのうちでできないことは、うちでもするな!!!

2016年5月8日日曜日

どのみち死んでしまうとしたら、今日のこの気分は何なんだろうな?

どのみち死んでしまうとしたら、今日のこの気分は何なんだろうな?
わりとたえて生きているんだけどな。

おもしろきことも無き世をおもしろく

面白くなったらよかったんだけどな。ヘビメタ騒音以降、どーーしても、だめだ。くらい。苦しい。

体が重い。楽しめない。おもしろくない。

今日はなんか、着替えの夢を見たよ。これも、時々見るんだけど、学生服っぽいものに着替えなきゃいけないんだけど、着替えの学生服がないんだよ。ないけど、まだ(他の人には)発覚してない。本人が気がついているだけ。たとえば、五分後に、学生服を着て、講堂のようなところに集まらなきゃいけないのに、学生服がない。みんな、着替えている。俺のだけないんだよね。で、しゃべってないで、探さなきゃいけないんだけど、ヘビメタ騒音でもやもやーーっとしていて、着替えている友達になんか話しかけている。割と明るい話題というか、ふざけた話題を話している。けど、着替えないとやばいなというのはある。で、ない。学生服がない。これ、学生服と言ったけど、学生服じゃなくて隊員風リクルートスーツみたいなものか。

昨日のヘビメタ騒音で頭がもやもやで、なんも用意してない……というのが、バレてしまうような不安。不安を抑えて(用意をしている)友達に明るく話しかけるわけだけど、時間の制限があるから、不安がでかくなる。モヤモヤ、不安、無理なはしゃぎ?みたいのがある。

まあ、こう書くとたいしたことがない話なんだけど、「昨日のヘビメタ騒音」「それまで続いてきたヘビメタ騒音の累積」で、なんていうのかな……この世がこの世でないような感じというのがあるんだ。実は。

ヘコヘコ明るくしているんたけど、「昨日のヘビメタ騒音」と「昨日まで続いてきたヘビメタ騒音の累積」があって、鉛のように重い気持ちなんだ。なるべく気にしないように盛りあげてている?のだけど、……明るくふざけた会話をもやもやした頭でしているだけで、誰よりも不安に感じている。ヘビメタ騒音が重い。外から見れば、真剣にやらなきゃいけないときに、ふざけて、ヘラヘラしててなんなの?って話になる。けど、ヘビメタ騒音の連続でどうしてもそうなる。


2016年5月7日土曜日

サイコパスとは、精神病質者のことを言うのだ + 「とうちゃんは、野球きちがいだ!」が正しい

サイコパスとは、精神病質者という意味なのだ。じゃ、精神病質者ってなに?って話になる。精神病質者というのは、健常者と精神病者のあいだあたりにいる者をさすんだよ。一応健常者として生活をしているのだけど、精神病に片足を突っ込んでいる人のことだ。犯罪心理学者がサイコパスのイメージを変えてしまったのだけど、もともとの意味は、いま説明したとおりだ。健常者から精神病者までのスペクトラムを考えた場合、中間あたりにいる人たちのことを、サイコパスと言っていた。

だから、日本語のきちがい(気違い)に一番近い。日本語のきちがいというのは、精神病者(精神異常者)のことだけを意味しているわけではない。たとえば、野球に夢中になっている人のことを、野球きちがいと言っていた。かの星飛雄馬も、星一徹にたいして「とうちゃんは、野球きちがいだ!」と言っていた。これが、「とうちゃんは、野球マニアだ!」になってしまったら、意味が通らないだろ。違う意味になってしまうだろ。星飛雄馬の発言には、「きちがい」の重みがあるんだよ。それが、ただ単に、「マニア」になってしまったら、なんの重みもない。

星飛雄馬は星一徹が「野球きちがい」だからひどい目に遭わされてきた。ひどい目に遭わされてきたからこそ、「きちがい」という言葉を使っているのだ。「きちがい」という言葉には抗議の気持ちが込められている。それがわからんのか?? 「兄貴はヘビメタきちがいだ」と俺が言うときも、抗議の気持ちが込められているんだよ。兄貴がヘビメタきちがいだから、俺がひどい目に遭ってきた……そういう歴史があるんだよ。その恨みが俺をして「きちがい」と言わせしめるのだ。「兄貴はヘビメタマニアだ」じゃ、ぜんぜん意味がつたわらないんだよ。わかるか??


2016年5月6日金曜日

きちがいをどう変換するか考え中

きちがい兄貴というような表現をどうしようか迷っている。サイコパス兄貴と言い換えたのだけど、自分でも読みずらなくなった。本当に、「きちがい」という言葉が多い。「きちがい」で通るのだろうか。一括変換だと、いろいろと問題があるんだよな。そのために、ぼくは、「きちがい」と「キチガイ」を使い分けているけど、それでも、通して読まないと変なことになる。

サイコで、サイコパスという意味があるのだけど、というよりも、サイコのほうがクレージーみたいな意味でよく使われる。けど、それはアメリカの話だ。ここは日本、さらにカタカナ。サイコ兄貴だと、サイキック兄貴みたいで逆にかっこよくなってしまう。最高と音が似ているしな。サイコパスに変換すると、あまりにも多くて読みにくくなる。困った。

ちなみに、精神科医はシュリンプだよ。エビ。それも、小さいエビ。あれ、どうしてなのかなって思ってたけど、背中が丸まっているイメージがあるんだな。

サイコパス一括変換で通すか。サイコパス親父サイコパス兄貴が連続するから、かなりーー読みにくくなる。読みやすくなるなら、「頑固兄貴」「頑固親父」なんだけど、頑固ヘビメタとか、意味が通らなくなる。きちがいヘビメタだと、意味が通るだろ。

なんで俺がこんなことを気にしなければならないんだ。あいつ(きちがい兄貴)が俺になにをしたと思っているんだ? あいつは本当に全部の時間を利用して俺の人生を台無しにした。他の人には関係がないから、「そんなのはいいわけだ」と言うことになると思うけど、違うんだよね。一日中すべての時間、やって良いという構えで鳴らして、絶対に一分もゆずってくれない。本当、帰ってきてから六時間四五分は最低でも続くきちがいヘビメタ騒音が、どれだけ邪魔か。本当に、勉強とか体力というのは、日々の積み重ねなんだよ。毎日がダメなら、だめなんだよ。毎日、どれだけがんばっても、マイナスになるという状態なら、毎日どれだけがんばってもマイナスになるんだよ。マイナスが積み重なっていくんだよ。積み重なったら、その日のヘビメタ騒音はその日のヘビメタ騒音だけじゃなくて、その日までの総ヘビメタ騒音と、その日のヘビメタ騒音の合計なんだよ。休みの日なんて、最低でも一二時間やられるような状態だ。一二時間やれるなら、一二時間やって絶対に、一一時間五九分になることがない。そういう状態で、俺が自分の部屋で、ヘビメタ騒音を聞きながらどれだけ努力しても、マイナスが積み重なるだけで、害にしかならない。で、そういう状態が他の人にはわからないから、俺がサボっているように見える。


   *   *   *

そういえば、前の記事で四〇代 職歴なし無職に対する世間の反応みたいなものを書いたけど、あそこにはもうひとつ別の言葉が付け加わる。

自業自得だ。

(1)生活保護をもらって社会のお荷物になるんだろ
(2)あなたも親もいったい今まで何をしていたのでしょう?
(3)介護、便所掃除、警備などの仕事を、やればいい。
(4)(3)のような仕事も無理。(なんとかんとか自殺しろ)
(5)中年無職は実際に●●で●●だけど、自殺教唆罪にあたるのでは?)
(6)50代でも60代でも、年下上司に怒鳴られながら、みんな働いているよ
(7)そんなの自業自得。なにを今更悩んでいるんだ?(●●、●●自殺しろ) 

ちなみに、(5)は、「●●で●●」ということを、強く言いたいんだよ。もっといろいろな言葉でののしっているんだけどね。自殺教唆罪にあたるのではというのは、飾りで、本当は、ののしりたいだけ。それを肴にしてののしりたいだけ。

まあ、そういうふうに言っている人たちだって、いつ病気になって、働けない体になるかわからない。どれだけ健康管理をしてたって、なりたくない病気になるときはある。自暴自棄になって暴飲暴食など、自分に理由がある場合ばかりじゃないんだよ。ともかく、自業自得ではなくても、病気になることはある。

(ぼくの考えでは、暴飲暴食の場合も、そういう気持ちになったということは、じゅうぶんに同情するに値することだけどな。ようするに、たしかに暴飲暴食は良くないけど、自己責任とか自業自得なんて言うつもりまったくない。その人にはその人なりの、理由があったんだろうと思う。ぼくが言いたいのは、(自業自得と言っている人たちは)きちんと健康管理していれば、病気にならなような前提でものを言っているけど、それは違うんじゃないかということだ。どれだけ健康管理に気を遣っていたって、病気になることはあると思うぞ。その場合、その病気は、自業自得と言えるかどうかと言うと、言えないと思う。)

もし、(1)から(7)までを言う人がいたとしよう。その人がなんらかの病気になって働けなくなったとしよう。そうしたら、その人のベッドの横で(1)から(7)までを言ってやりたいね。本人が言ってたことなのだから、本人が言われてもしかたがないよな。まあ、本当は、そういう機会はなくて、たとえ、機会があったとしても、弱っている人にそんなことは言わないけどね。


2016年5月4日水曜日

中年無職 職歴なし あるいは 中年フリーター に対する世間の反応について

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=2&qid=1436608309


↑今年42歳。男。職歴無し。一体どうすれば

というような相談に対する世間の反応なんだけど、まあ、ひどいね。
まあ、たとえば、「今年42歳。男。職歴無し」と言っても、今まで何をしてきたかというようなことは書いてないからね。意見をまとめるとだいたいこんな感じだな。
(1)生活保護をもらって社会のお荷物になるんだろ
(2)あなたも親もいったい今まで何をしていたのでしょう?
(3)介護、便所掃除、警備などの仕事を、やればいい。
(4)(3)のような仕事も無理。(なんとかんとか自●しろ)
(5)中年無職は実際に●●で●●だけど、自●教唆罪にあたるのでは?)
(6)50代でも60代でも、年下上司に怒鳴られながら、みんな働いているよ

とか、そういう感じなるみたいだな。


45才、職歴なし、資格なしの男性でも正社員で働……

ともかく、「中年 フリーター」「40代 フリーター」「40代 無職」うんぬんで検索すると、上記サイトのそういうキーワード含む投稿が上位に来てしまうんだよね。

ともかく、きちがい兄貴がゆるせん。本当に弟の人生を奪っておいて「何も感じてない」。あれだけ鳴らしておいて、まだ自分にも言い分があるようなことを言っている。そういうやつ。どれだけ長い時間をかけて、つぶしたと思っているんだよ。ひとごとだと思って、……。ひとごとだと思って、世間の人みたいなことを言っている。おまえ、きちがい兄貴、おまえのせいで俺がどれだけ恥をかいて生きてきたと思っているんだよ?

ヘビメタ騒音で体を壊して、上流にも底辺にも行けなかった。これ、本当、小学六年生の時から二〇歳までずっと毎日ヘビメタが鳴っている状態であって、なおかつ、どれだけ言っても、まだ鳴らしている状態で将来あと何年間そういう暮らしが続くのかわからないという状態なんだぞ。それで、二一歳の時も一日に一分もヘッドホンをして静かにしなかったのに、「そんなにならしてない」とか「静かにしてやった」とかどういうつもりで言っているんだよ? 鳴らしている最中、全部、そういうモードで、鳴らしたんじゃないか。

本当にきちがい兄貴が気にしなかっただけで、一分もゆずらないで、すべての時間鳴らしてた。すべての時間、下の玄関で会話ができないようなでかい音で鳴らしてた。それで、世間の人から、ああいうことを言われるような状態に追い込んで、何も感じてないんだからな。本当に全部が全部そういうやつ。いま、ゴールデンウィーク期間中の午後三時四三分だけど、ゴールデンウィーク期間中の午後三時四三分にどれだけ「鳴らすな」「静かにしろ」「模試があるから、鳴らすな」と言っても、ずーーーーっと夜まで鳴らしてたんだからな。

本当に一分だって、静かにしてくない。一分間鳴らさないで静かにする、一分間ヘッドホンをして静かにするということが、毎日絶対にない状態なんだよ。「知らなかった」どころの話じゃない。どうして、そうやって、親父みたいな嘘を付くかな???? 毎日、何回も何回も、最初の日からずっと言っている。何千日も、ずっと言っているわけで、「知らなかった」なんてことはない。頭がおかしい。そういうモードで無視して、絶対に聞いてやらなかったということなのである。本当に全部同じだよ。


   *   *   *

俺はともかく普通には働けない。通勤ができない。一定の時間に起きるということがどうしてもできない。ので、もう、通勤が必要なことはやるつもりが一切合切ない。

なので、これからは、自由にやりたいと思う。まあ、いままでも自由にやってきたけど、これからも自由にやっていこう。けど、いままではいろいろと自粛していたこともあるから、それを、解除しようかと思う。収入云々を気にして、女の人つきあわないようにしてきたけど、それもやめよう。あとは、旅行も金を減らさないために行かないようにしていたけど、行くかな。(けど、たぶん行かない。金もあるけど、短い時間で小便がしたくなるわけだし、なんか憂鬱でだめだ。)それにしても、本当に、ヘビメタ騒音がこたえた。

ちなみに、ヘビメタ騒音のことを前面に出すと(自己紹介で言ってしまうと)そのあとのつきあいというのは、あんまり良くない場合が多い。だいたい半数の人が、「そんなのへんだ」と感じるらしい。「自己紹介で長らく無職だよ」ということを言うと、半数の人はものすごく反感を持つみたいなんだよな。「あんただってヘビメタを一五年間も毎日、至近距離でドカスカ鳴らされたら働けなくなるんだよ」といってやりたい気持ちにもなる。

で、そういうふうに思っていることが、なんとなくつたわるみたいなのである。本当、同じことをされたら、絶対に働けなくなると思う。俺と同じように、睡眠障害と易疲労性を抱えて働けなくなると思う。けど、世の中には、専業主婦のように本当は自分も無職なのに、男性無職に対して大変な偏見を持っているものもいるのであんまり、言わない方がいいんだよね。まあ、俺の場合は、アルバイトをのぞいて職歴なしの無職だよと言ってしまうので、よっぽどヘンな人に思われる。きちがい兄貴よ、おまえがやったことがわかるか? こういう無念さがわかるか? 働けなかったにしろ、変なコンプレックスがある。

本当にごく普通に全部の可能な時間、鳴らしやがって。いったん鳴らし始めたら、こっちがどれだ言っても一分だって静かにしてくれなかった。一分だってやめてくれなかった。一分だってヘッドホンをしてくれなかった。そういう一五年間だ。これに相違がないのである。いったい、きちがい兄貴、おまえは、「いつ」静かにしたというのだ? 一日に何分!!鳴らさないで静かにしたというのだ? 〇分だろ。だから、静かにしてない!!!

こういうことが、一切合切わからない状態なんだからな。で、ふつーーーに、ドカスカ、きちがい的にデカい音で鳴らしている。あまりにもデカイ音だから、うち以外のところで鳴らせないような音だろ!! そういうの、さっさと認めた方がいいよ。いったい嫁さんの家族の前で、いつまで、嘘をつき続けるのか。で、嘘をツイってないつもりがあるとしたら、本当にきちがいだ。知っているはずだ。本当は知っているはずだ。絶対にゆずってやらなかったということを知っているはずだ。

きちがい兄貴、おまえがゆずるわけがないだろ。鳴らさないで静かにするなんて、一分だってなかった。それが、全部本当の話だ。いったい、いつ?静かにしたんだよ?? 頭がおかしいな。で、どれだけ言っても通じないんだよな。自分がやったんじゃないような気持ちでいる。本当は、こだわってこだわって、一分もゆずらずに、毎日毎日、ずっと一五年間やったことなのに!!! 試験の前だろうが、一分も静かにしてくれなかった!!! これが、きちがい兄貴がこの世でやったことだ。頑固に頑固に絶対にゆずらないでやったことだ。

だから!!!!!!困っているんだよ。この「だから、困っている」というのが、入試の前にどれだけ言っても、通じないんだよね。で、通じないからどれだやってもやってないのと同じだということになってしまう。で、俺は、用意ができないまま試験会場に行くことになる。

やっぱ、もう死ぬか!! めんどくせ!! めんどくせぇ!!!


「そんなつもりはなかった」って、本人が無視してまるで気にしないで鳴らしたということだから

ようするにあそこのところを見るわけだけどさ、そういうすると、きちがいヘビメタにやられていた頃の感覚がものすごく鮮やかに蘇ってしまうわけ。あそこのところって、門だよ。うちの門。二階のドアから門が見えるんだよ。うちはむかし人に部屋を貸していたのでドアから門が見えるということで正しい。で、あそこの門をくぐっていた俺がいる。門の前の道の部分とか、門の後ろのうちの敷地の部分とか、まあ、ずっと変わらないわけだよ。道は、舗装されたりしたけどね。舗装するとき音は出るけど、それは、終わるでしょ。けど、ヘビメタ騒音は終わらない。こういう違いがある。で、この違いがでかいことでかいこと。もう、本当、も・の・す・ご・い・違いだ。死にたくなる。いま、一五歳の頃の雑誌とか集めている。集めていると言っても、そんなに金がないので、たいしたものじゃないのだけど、買ってる。で、それは、見たいから買っているんだけど、むなしいんだよね。むなしい。あのこの門をくぐってる俺がいた。あのとき……ヘビメタが鳴り止んでくれたら。きっぱり、一日中鳴ってない状態になってくれたら……。どれだけ……。たとえ、中学三年間はずっと鳴っていたにしろ、高校三年間は、ずっと毎日、ヘビメタが鳴ってない状態だったら……って思う。この思いはすごいものがあって、きちがい兄貴が無視して、今も、まったく何も感じてないんだろうけど……ヘビメタ騒音はぼくの人生「全部」だ。きちがい兄貴のやつわかってない。だいたい、そんなに気にしてないことなのであれば、言われたら、ずっと鳴らさないで静かにすればいいだろ。言われたあと、一分だって静かにしてくれなかったのに、「知らなかった」とか……そういうやり方で、毎日ゴリ押しで鳴らしたんだ。何回言っても、一分だって静かにしてくれなかったね。そういう態度、そういう意地なんだよ。で、そういう意地で鳴らしてたといこうとは、絶対の意地で無視している。頑固に認めない。頭がおかしい。全部、矛盾している。きちがい親父と同じ!!!!静かにしてくれと言われたあと、一日中鳴らさないで静かにしてくれたらな。これ、当たり前だからな。いま住んでいるところで一〇分間鳴らして、「うるさいから静かにして」と言われたあと、何時間静かにするんだよ? ずっと静かにしてあたりまえだろ。三分間静かにしてやったから、一〇時間鳴らしてもあたりまえという気持ちで、そのあと一〇時間鳴らすのか? おまえがやったことは、全部そういうことだ。静かにするの静かにするが、まず違う。きちがい兄貴の「静かにする」というのは、ほぼ同じ音でずっと鳴らし続けるということだから、意味がない。で、意味がないから、何回も、「やめくれ」「宿題をするからやめてくれ」と怒鳴りこんでいるのに、その都度、無視して、鳴らしやがって……それで、「そんなつもりじゃなかった」「知らなかった」だからな。親父だって、「なっちゃったら、そんなのしかたがない」のひとことで済ませて絶対に注意してくれかなったんだよ。これ、事実だから。一〇年、二〇年の真実だから。あいつは本当に、ひどい発達障害よりもひどいやつで、言っていることが、伝わったことがない。こっちがやめてくれということは、キレテやるし、こっちがやってくれということは、キレテ、絶対にやってやらないという態度で、やってやらないんだよ。結果的に、絶対にやろうとしないしやらない。きちがい親父が、兄貴に積極的に注意したなんてことは、ないんだよ。逃げまくってた。一切合切顔を合わせないように、最大限気を使って、一切合切顔を合わせてなかった。毎日三六五日中三六五日、そういう状態だよ。どうして、「注意した!!注意した!!積極的注意した!!積極的注意した!!」なんて言えるんだよ。これ、自分が毎日やってやらなかったことをやってやったと言っているんだぞ。しかも、嘘を付いているつもりがない。で、そういうやり方で、注意しなきゃいけない時は、絶対に注意しなかったんだよ。「しかたがない!!しかたがない!!」と顔を真赤にして怒鳴って、注意してくれなかった。これが事実だ。こっちが、唖然とするようなわかったようなことを言うんだよな。本当に、キチガイ。そういう嘘ばかり。頭がおかしい。意地になってやったことは、「やってない」「やってない」と言うことになる。どんだけ、無視してたんだよ? きちかい兄貴に、注意するのが嫌で嫌でしかたがなかったから、一切合切注意してくれなかった。で、これが、同じなんだよな。兄貴の認識、兄貴のやり方と同じ。こんなの、普通の人、絶対わからないんだよな。普通の人が絶対にわからない異常なことが、毎日普通に成り立ち続ける「うち」だ。しかも、きちがい的な意地でやっている方は、常に「やっているつもりがない」状態なのである。一日一〇時間やったとしても、「やってない」「やってない」と言えるような状態なのである。「鳴らしてた」ということが都合が悪いことになると、そういう嘘をつく。で、本人はまったく嘘を付いているつもりがない。で、じゃ、やめてくれるのかというのは、それは、絶対にない状態なんだよ。時間的に一六年ずれるけど……ヨソノヒトがいる時は、……ヨソノヒトの前では「やってない」「やってない」と嘘をついて、平気。で、帰ったら、頑固に鳴らすけど、別に何も矛盾してないと思っている……そういう状態だ。きちがい兄貴、言っておく。本当におまえは、きちがい親父そっくりだ!!!!きちがい兄貴がやったことは、きちがい親父がやったこと、そのままだ。いまだって同じだよ。自分の罪を認めずに、自分のやったことを認めずに、まだ「言い分がある」みたいな事を言っている。で、「違うだろ」と言われたら「むっ」として不機嫌になる。いまは、「よそのいえ」に住んでいるから、むっとしたあと、自分の部屋に入って鳴らすということはないのだろうけど、「うち」だったら、自分の部屋に入って鳴らし始めて、そのあとどれだけ何を言っても、自分がやるつもりでいる時間までは絶対にやるんだよ。ヘッドホンを付けて鳴らすなんてことはない。ヘッドホンを付けて鳴らしてくれれば、それで問題解決なのに、「気分が出ないから嫌だ」というようなきちがい的な理由で絶対に、ヘッドホンを付けてくれたなかった。これが、すべてを言い表している。

「そんなつもりはなかった」って、本人が無視してまるで気にしないで鳴らしたということだから。まるで気にしないというのは、記憶的にはそうなんだけど、気分的には、言われた時、怒っている状態だ。言われたら怒って鳴らしてた。で、鳴らしているあいだに?なんというか、「そんなつもりはなかった」つもりになるのだろう。注意されたという記憶がなくなってしまうのだろう。自分は、何も注意されずに弾いている、鳴らしているという状態になってしまうのだろう。で、一時間ぐらい鳴っていると、我慢の限界だからまた、言いに行く。そうするとまったく同じことになる。言われたら、むかっときて無視して鳴らすわけで、ヘッドホンをしてやろうなんて気持ちはない。一度だけ、ヘッドホンを一〇分ぐらいしてくれた時があるけど、その時以降、一分だって、ヘッドホンを付けてくれてないから。入試だろうがなんだろうが一分間だろうがヘッドホンを付けずに、そのままの音で鳴らし続けたのきちがい兄貴だ。きちがい兄貴よ!なんか言ってみろ?? 俺が言っていることは、事実ではないのか? なにが「そんなつもりはなかった」だ。全部!!そういうこと!! 全部が全部そういうこと。

重い。死にたい。

2016年5月3日火曜日

強迫神経症などという「不可解で非合理的な」症状が発生してしまう理由

本当に気分が「地に落ちている」。どうにもならない。あがらない。どうやって、あげようとしても、あがらない。つまらない。落ち込んでいる。つまらない。これーーー。これなんだよな。きちがいヘビメタ騒音が一〇〇日以上続いたときから、いつも、こんな気分だ。死にたい。普通の人の普通のレベルにあがらない。ヘビメタ騒音前の普通のレベルにあがらない。普通の人の落ち込んでいるときのレベルにまで、あがらない。普通の人が、なにかいやなことに遭遇して、落ち込んでいるときの気分のほうが、俺の普通の気分よりも、高い。いまの俺の気分よりも、普通の人がひどく落ち込んでいる気分のほうが高い。ひどく落ち込んでいるときの気分……がノーマルな気分になってしまったんだよな。どーにもならない。どーにもできない。
これ、ヘビメタ騒音の朝と同じだ。ヘビメタ騒音で眠れなかったときの、ひどい朝と同じだ。これで、どこかに行く用事があったら、死ぬ、という気分だ。行くか、死ぬかみたいな気分になってしまう。朝の気分が同じなんだよな。最近、昔の本を集めている。昔のアイドル雑誌とかパソコン雑誌を集めている。それを見て、つくづく思う。「俺には青春がなかった。人としての人生がなかった。全部、きちがいヘビメタ騒音にくわれてしまった」と。

これ、同じなんだよな。どれだけこころを鼓舞しても同じなんだよな。あのときずっと、こころを鼓舞して、無理矢理がんばっていた。けど、何十日も、何百日も、何千日も続いて、はてた。どうにもできない。生きているけど、ぬけがらだ。

正常な感情がないんだよな。生きていて行動しているとき、正常な感情がない。疲れ果てた死にたい気分しかない。ひどく落ち込んでいるときの精神状態しかない。

他の人にとってはどうでもいいことだけど、俺にとっては非常に重大なことだ。で、昨日も勉強ができなかったというなさけなさや、ふがいなさがある。なんとも言えない気分だ。

本当に、きちがい兄貴が、俺の邪魔をするつもりで一〇〇%の時間、ヘビメタを鳴らしたというのであれば、まだ、ゆるせる。あいつは、どれだけ言っても、何万回言っても、俺の邪魔をしているつもりが生じない。そういう、きちがい的なやり方なんだよな。で、そういうきちがい的なやり方で、自分の意地を一〇〇%通して、一〇〇%時間、なんだろうが鳴らしている……事実鳴らしているということを、認めない。一〇〇%認めない。そういう毎日なんだよな。こっちがどれだけ、つかれるか。こっちがどれだけ、そういう態度で傷つくか。こっちがどれだけ、兄貴のそういう態度で、事態が変わらないことに、ふがいなさを感じるか。他の人にとってみれば、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」ということだ。きちがいでなければ、それで済んだ。きちがいでなければ、少なくても、言われた後は、邪魔をするつもりでならすことになるだろう。邪魔をしているということを、認めなければならないだろう。けど、それが、何万回繰り返しても、まったくないのだ。数千日、何万時間ない。何十万時間か? 鳴らしたあとも、含めれば何万時間ではなくて、何十万時間か? そういうしくみなんだよな。困る。困るけど、あいつはまるで困らずに、まるで気にしないで、静かにしてやったつもりで、一〇〇%時間、九九・九%の音のでかさか、一〇〇%の音のでかさで鳴らし続ける。なので、困る。で、「困るからやめろ」「勉強するからやめろ」「明日まるまるがあるからやめろ」「明日の用意をするからやめろ」「宿題をするからやめろ」とどれだけ言っても、怒鳴り込んでも、……一日に一〇回二〇回怒鳴り込んでも、……毎日毎日怒鳴り込んでも……ぜーーーーーぇぇーーーったいにやめてくれないんだよな。で、本人は、やめてやったつもりで、ゆずってやったつもりで、邪魔をしてないつもりで、きちがい的にデカい音で鳴らし続ける。そうなると、俺の人間関係がめちゃくちゃになるわけだけど、めちゃくちゃになったあと、「ヘビメタ騒音が……」と言っても、ダメなんだよ。そういうところでは、理想論が成り立たない。まったくというほど理想論が成り立たない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音が鳴っているという日常が続いて、はてる。ごり押しで、そういう状態が続いて……「いいわけのまま」になってしまう。俺はいいわけではなくて真実を言っているのだけど、相手にとっては、もうすでに、俺が腹の立つ相手になっているのだから、そういう気持ちになる。

全部が全部、毎年毎年、そういう状態だ。きちがい兄貴のせいで毎年毎年、毎日毎日、連続的に、絶えることなく、そういう状態だ。……だから!!!つかれる!!!! まったく関係がないつもりなんだろうけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音と、きちがい兄貴の態度で、つかれているんだよ。きちがい兄貴は、絶対にゆずらないで一〇〇%、頑固に全部やり切るけど……自分が満足できる、よそでは五分も鳴らせないようなどデカイ音で、一〇〇%の時間鳴らし切るけど……つもりがないんだよな。「つもり」だけは、絶対に「わかない」のである。どれだけ何回言われても、自分が関わっている感じがしない。それとは別に、鳴らしているという感じで、まったく、くっついてない。鳴らしている自分は、関係がない自分なのである。その割には、言われたときは、頑固に、認めないんだけどな。で、こういう態度が親父と同じなんだよな。親父とまったく同じ。親父がきちがい行為をやるときと、まったく同じ。親父が、こっちがやって欲しくない迷惑行為をやるときか、まったく同じ。くりそつ。そっくり。生き写し。きちがいが乗り移っているとしか思えない。きちがい親父型きちがいそのままの状態なんだよな。きちがい親父型のきちがいと同じ思考、おなじ感じ方なんだよな。きちがい親父がその気になって、「こっちがやめてくれ」ということを、「やってやるやってやる」と言ってやるときとまったく同じ。「迷惑だからやめてくれ」と本当に、喉がかれるような声で、何回も何回も怒鳴っても、けっきょく、「やってやるやってやる」と言ってやってしまうんだよな。「迷惑だからやめてくれ」と発狂して怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って、怒鳴っても、やってしまう。これ、俺が怒鳴っているところだけ聞いたら、俺がきちがいみたいに思われるけど、違うんだよな。ああいうときの親父の「無視」と言ったらない。他の人は信じない。で、きちがい親父も、わかってないんだよな。わかってなさが、異常なのである。で、きちがい兄貴は、きちがい親父のこういう態度については、他の人よりわかっているんだよ。さんざんやられたからな。本当に、催眠術にかかっているように、脂汗をかいて、顔を真っ赤にして「やってやるやってやる」ってことになって、こっちがどれだけ「やめろ!!!」と怒鳴り続けても、やってしまう。で、自分としては、「やってやったから、えらい」としか感じてないんだよ。相手が「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」と怒鳴りまくっていることをやって、「やってやった」「やってやった」ということになる。「やってやったからえらい」「だからほめて」ということを言うんだよ。そういう気持ちしかない。「どんなものだ」。「なおしてやった」「手伝ってやった」……こういう気持ちしかない。頭がおかしい。相手が、「やめろ!!!!!」「迷惑だからやめろ!!!!!」と何十回も絶叫したことは、記憶にないんだよ。何十秒も経ってないのだけど、記憶にない状態なんだよな。で、「やめてくれ」「やらなくていい」「迷惑だからやるな!!」「さわるな」「(おまえは)やらなくていいからひっこんでろ!!!」と絶叫したくなることしか、しないんだよ。これが……。こっちがやって欲しいことは、これまた、やってくれない。てこでも動かないという状態になってやってくれない。で、いまのこの「やってやる」と言ってやったことや、こっちがどれだけ頼んでも「やってやらないこと」というのは、実に、小さなことなわけ。日常茶飯事の小さなことなわけ。重要なことじゃないわけ。「なら、いいんじゃねぇ」と他人は言うかもしれない。けど、これが、ハカイダーなんだよ。これが、精神のハカイダーなんだよ。その気になれば、絶対にやめられる小さなことを、絶対にやめない……その気になれば絶対にやることができる小さな小さなことを、絶対にやってやらない……こういうことが、響く。なんか、考えがあって、「できない」「やらない」「やってやらない」というようなことではなくて、きちがいスイッチが、勝手に入って「すでにそうなっている状態」なんだよ。で、こっちがどれだけ言っても、

これ、どうでもないことに思われるかもしれないけど、こういう「融通が利かない状態」「融通の利かなさ」は、相手の強迫神経症の原因になる。こういう、わけのわからない「融通の利かなさ」がたとえ、「小さなこと」に発揮されているにしろ、実は、ものすごくデカイ問題を含んでいるわけで、看過することはできない。けど、普通の考えだと、「やったってやらなくたっていいような」小さな問題なのだから、「やったってやらなくたって気にするな」ということになる。けど、そこで投入されている「感情の総量」は、発狂して殺人をするときの「感情の総量」と同等なのである。小さなことなんだけど、「感情の総量」は莫大なのである。人生の大問題、人生を変えてしまうような行為をするときと同じなのである。怒り狂って、人を殺した場合、それは、大問題だろ。「小さな問題だから気にするな」とは言えないだろ。心的エネルギーとしては常にそういうものが供給されている。心的な世界では、それは、絶対にゆずれない「大問題」なのである。小さな問題なのに、そこに投入される精神的なエネルギーが莫大だというフバランスさ……これも、別の次元で精神病を発生させるぐらいに重要な問題なのである。たとえ、きちがい親父側が(聞かずに)意地を通したにしろ、「小さな問題だからいい」ということにはならない。あとは、「他人は、自分が思ったとおりに動かないのだから、(親父がそういうふうに動いたとしても)しかたがない」といったような理屈は成立しない。やられた、時点で、そういうのは成立しない。そういうのを成立させると、逆に精神病になってしまうのである。わかる? ここのところ? そうやって、わかったようなことを考えると、逆に、強迫神経症になってしまうのである。このきれい事と、実際にやられたという事実。きちがいと一緒に住んでいる……こっちがつねにやられているという動かしがたい事実……こういうものが、無意識的なレベルで、人を苦しめるから、強迫神経症などという「不可解で非合理的な」症状が発生してしまうのだ。わかる? ここのところ?? これ、心理学を勉強した人でも、「こころの専門家」でもわかってないやつ多いと思う。「そんなの、おまえが勝手にいっているだけだろ」と感じてしまう人は、まったく才能がないと言っていい。けど、認知療法家としては、イイ線行っていると思うよ。あれは、こういうとを無視して成り立っている療法だから。

これ、よっぽど才能がある人しかわからないと思う。岸田秀や小浜逸郎にはわかるけど某精神科医にはわからないと思う。


2016年5月2日月曜日

これも、わかるやつが少ないんだろうな。

近代の行動様式を「押し付けること」が学校制度の重要な役目である……ということでさえ、どれだけの人が理解しているのだろうか。こういうことの重要さがわかって、なおかつ、このページを読んでいる人がどれだけいるだろうか?

あーー、けど、やっぱり、ヘビメタ騒音の雰囲気がするな。休みの日の午後五時はきちがいヘビメタ騒音の雰囲気がする。いままで、ずっと六時間鳴らしてきたから、あとの六時間は鳴らさないで我慢するなんてことは、なかったわけだから……一度もなかったわけだから、静かにしてないんだよ。半分ですら……。きちがい親父も同じで、なんて言うのかな、本当にきちがい的な意地を押し通して、頑固に全部やったことは、全部やってないことになっているんだよな。認識としては……。そういう便利なキチガイ回路を搭載していて、自分がやったことに関する責任感が生じない。「やったってやってないこと」なのである。こういう回路。じゃ、やっているときにやめてくれるのかと言ったら、それはもう、絶対にない。絶望的にない。発狂して頑固に、全部やり切ることにこだわって、ほんのちょっとでもゆずらない。ゆずると言ったって、……きちがい兄貴やきちがい親父にとってゆずるということは……そのままやり切ることなのである。簡単に言うと……。きちがい兄貴や、きちがい親父の「譲歩」というのは譲歩になってない。「こいつなめてんのか?」と思うほど、わずかな量しかゆずらない。で、そのわずかな量がわずかすぎて、ゆずったことになってないんだよね。意味がない。相手にとっては、まったく意味がない量だけゆずる。どけてくれなければ通れないのに、「〇・一ミリどけた」「だから、どけた」「だからいい」というような考え方なんだよ。それじゃ意味がないだろ!!!!って言いたくなる。で、それじゃ意味がないんだと言うことを言っても、通じない。きちがい的な意地でやり切る。だから、どけない。まったく無意味なレベルだけ、ゆずってやると言うことで、それは、別の言葉で言うと、「そのままやり切る」ということなのだ。しかし、本人は、たとえ、一兆分の一でも、一不可思議分の一でも、「ゆずってやったら、ゆずってやった」という気持ちになる。そのゆずった分だけ、戻すことだってできるわけだから、本当は、ゆずってない。時間的には、ゆずってない。一時間、鳴らさないで静かにしてやるとか、三〇秒だけちゃんと通れるようにゆずってやると言うことがない。一時間鳴らさないで静かにされても、そのあと、一〇時間鳴っていたら困る。けど、一時間鳴らさないで静かにすると言うことでさえ、毎日、何千日も、絶対にやってやらなかったことなんだよ。だから、一日に一時間も静かにしてくれなかったのに、「静かにしてやった」「じゅうぶん静かにしてやった」「言えば、静かにしてやった」と本人は思っている状態なんだよね。そういう状態で、鳴らし続ける。一日に、何十回言ったって、同じなんだよ。親父に「そのハンダゴテじゃダメなんだ」ということを、説明しているときと同じ。何十回説明しても、きちがい的に興奮して、怒り狂って、認めない。けど、認めなかったということも、同じしくみで、認めないんだよ。そりゃ、認めてしまったら、自分が本当に我慢しなければならない場合は、どれだけ明確なことでも、実際にやったことでも、頑固に認めない。で、何万回何十万回、言ったって、同じなんだよ。一回目と、一万一回目が同じなんだよね。反応が……。だから、そういうやり方で、十年間も十数年間もやり切る。そりゃ、そうでない日がないのだから、連続してやり切るんだよ。けど、そうやって、十数年間にわたって毎日やったことでも、認めることが都合の悪いことになれば、「やってない!!やってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」って始まる。けど、そうやって、むくれて、怒り狂ったあと、その当の行為をしても、まったく気にしないんだよね。そういうきちがいだ。どれだけのことが、積み重なっていると思っているんだよ。だから、なんというか、いつも同じなんだよね。で、そういうことをしている、そういうことを押し付けている……毎回そういうふうにして、相手がいやがることをしているということを認めない。だから、人間関係がめちゃくちゃになる。けど、本人は、まったくやってないのと同じ感情のままなんだよ。こういうことが、毎日毎日、何千日も何万日も、同じように繰り返される。そりゃ、しくみがかわらないわけだから、どこかで、良くなると言うことがない。「うち」にいる限り、変わらない。根っこのところがそうなんだよ。これ、わかるかな? これも、わかるやつが少ないんだろうな。


つまらないならつまらないで、なにか楽しくすればいいじゃな~~い

ホント、むなしくて、つまらないわけなんだがぁぁぁぁ~~~どうしようもない。どうしょうもない。どうしたらいいんだ? やっぱり、なんだかんだ言って、苦しいんだよな。つまらないんだよな。なんかさぁ、「つまらないならつまらないで、なにか楽しくすればいいじゃな~~い」って意見があるでしょ。……。あるんだよ。誰がなんと言おうがある!! で、まあ、家族とどこかに行くということができないのであれば、友達とどっかに行けばいいじゃないということになる。で、なぁ、ぼくの言いたいのは、……ヘビメタ騒音にやられている最中(一五年間)とそれ以降は、友達とどこかに行ってもつまらない状態になっているんだよね。一緒に行動してくれた友達には悪いんだけど……。きちがいヘビメタで「どーーーにもならない」。まあ、そうなると勝手にしろという話になる。わざわざ、元気づけてやろうと思っていろいろなところに連れて行ってあげなくても良かったな……とか、思うわけだろ。で、これ、本当にヘビメタ騒音をやられたあとは、なんていうのかな? ものすごくこころが曇っている。ものすごく……。不安と怒りと、なんとも言えない不快な感情がずっと続く。これは、自分では制御できない。これを、ヘビメタ騒音一五年生活を経験したことがない人が、あたかも、制御できるように言うのは、なんか頭にくるんだよね。それも、ヘビメタ騒音一五年生活という、現実が生み出したもので、ぼくにはどうにもできない。で、自分で制御できる……自分は制御した……似たような感情だったけど自分は制御した……といっている人たちは、ともかく、ヘビメタ騒音一五年生活は経験してないんだよね。似たような感情……やる気のなさ、楽しめない状態……不安、失望、怒り、その他の不快感は……まあ、似たようなもの?なのだろう。それだけ抜き出せば。けど、その人はヘビメタ騒音一五年生活は経験してない。ヘビメタ騒音生活がなかったとしても、普通に暮らしていれば、不安、失望、怒り、その他の不快感は、かなりあるんだよ。けど、ヘビメタ騒音がベースになって、不安、失望、怒り、その他の不快感などがしょうじる出来事に遭遇している場合とは、違うと思う。ヘビメタ騒音は、単なる騒音ではなくて、そういう負の体験を最大限まで増やしてしまうのである。ヘビメタ騒音がない普通の生活だって、そりゃ、そういう負の体験はある。けど、それは、普通の量なのではないかと思うんだよな。で、普通の量であれば、もちろん、「制御することは可能」だと思う。思いようによって制御することは、ある程度可能だと思う。けど、ヘビメタ騒音が一日に七時間から一四時間、続く状態を、毎日毎日繰り返している場合とは、違うんだよね。絶対違うと思う。ベースが違うんだよね。違いすぎる。そうじゃないと思う。まあ、その人が経験したことは、ぼくにはわからない。似たようなことは、ヘビメタ騒音が鳴ってなかったときもあるので、似たようなことから類推して考えることはできるけど、しょせんは違う人間が感じた違うことだ。

で、まあ、学歴獲得を邪魔したということもデカイのだけど、実際には、こういう「楽しめない状態」「あがらない気持ち」という呪い(ベース作り)もデカイ。でかすぎる。おまえ、きちがい兄貴、毎日やってたんだからな。どれだけやめろと言っても、毎日、やってたんだからな。使える時間のすべてを使って、毎日やってたんだからな。使える時間のうち一〇分だろうが五分だろうが、ゆずらなかったんだからな。

ヘビメタ騒音の害悪というのは、デカイ。で、勉強の邪魔とか、うるさいと言ったことは、誰でもすぐにわかることなんだけど、こういう日常的な感情(どうしても楽しめない気持ち)のほうは、あんまり理解されない。そういうことをいうと、「人のせいにしている」ということになってしまう。しかし、これ、ヘビメタ騒音が実際に五〇〇〇日以上、鳴っていたということが原因なんだよ。きちがい兄貴が、ああいう態度で、こだわってこだわって、細部までこだわって絶対にゆずらないで鳴らしたということが原因なんだよ。まあ、他人には、「そんなのどうだっていいこと」だけどさ。

「つまらないつまらない」というと単に「つまらないつまらないと嘆く人」になっちゃうんだよね。

それもつらい。それも、いたい。

けど、そういうふうに他の人には嘆かないで、我慢して我慢して暮らしてきたのが、きちがいヘビメタの七年間なんだよね。その七年間で、こころがこわれた。からだがこわれた。とくに、睡眠回路、小便回路、疲労回路?がこわれた。常に、本当にくるしい。疲労が抜けないんだよね。「おちた」ところで暮らしている。「気持ち」も「からだ」もあがらないままだ。とても、くるしい。かけ声ではどうにもならないんだよな。だから、くるしいのに……。かけ声は、切羽詰まった気分をあげるだけだ。で、おれがどれだけ自分にかけ声をかけて、きちがいヘビメタ騒音のなかで、暮らしてきたか? なんだよ。かけ声に関する助言や正論は、なんていうのかな……より疲労させて、より切羽詰まった状態にさせる。で、どこかできれて、こなごなになってしまう。くるしい気持ちのまま、騒音のなかでただようことになる。きちがいヘビメタが鳴っている、一分二分、どれだけの破滅だったか。その一二〇秒、どれだけのものだと思っているんだよ? きちがい兄貴。その一二〇秒だけでも、殺していいと思う。殺人に値すると思う。あ・れ・は・な・い。あれはない。そういうことを、意地になって、どれだけ頼んでも、頑固にやり切る。きちがい兄貴の実際の態度というのは、いつもいつもそうだから。まるで、「知っていたら」静かにしてやったみたいな印象を与えようとするな。本当に、きちがい兄貴は、親父のように!!!!!!!!!!わかってない。親父と同じなんだよな。あいつはぁ!!!!!!!!!!!あいつは!!!!!




2016年5月1日日曜日

近代の学校は近代の行動様式を押し付けるためにある

近代の学校は近代の行動様式を押し付けるためにある

「高齢引きこもり」というサイトを運営されている二条さんの
「学校はなんのためにあるのか。」という記事に対する感想として、書いたものです。

http://www.futoko.info/zzblogd/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%80%82/


学校はただ単に、知識を教える場所ではなくて、行動様式を身につけさせる場所なんですね。まあ、価値観で染め上げるわけですよ。で、それは、近代学校制度の宿命みたいなもので、最初から、そうだったわけです。近代の学校というのは、近代の行動様式を(おしつける)ためのものなのです。

近代の行動様式というのは、主に軍隊と工場に適応したものだから、適応できない人が一定数出てくる。「人間」というのは、わりと無理をしないと、近代の行動様式に適応できない。普通の人でもわりと無理をしているところがある。だから、近代的な学校のなかで、「個性」とか言うのは、滑稽なんですけどね。一応、没個性的な個性は常に求められるわけです。それは、イデア、理想として求められているわけで、本当に求められているわけではないのですよね。

軍隊と工場において、個性を発揮されてしまったら、困るわけだから。常にそういう軋轢はある。寺子屋なんかでは、わりと個別指導でこどもの理解度に合ったものをその都度与えていくわけです。一斉授業じゃないので、寺子屋のなかにいるこどもが「同じこと」を学んでいるわけではありません。だいたい、年齢が違うからね。

で、まあ年長のこどもが小さなこどものめんどうをみるようなところもある。カリキュラムが決まっているわけではないので、「親の手伝いがあるので帰ります」というようなことにも、柔軟に対応できる。カリキュラムがあるようなでかい寺子屋もあるにはあるけど、それは、かなり特殊な寺子屋で一般的な寺子屋じゃないんだね。いずれにせよカリキュラムを決めて、同じ内容を同じ速度で勉強するというのは、近代的な学校の特徴のひとつだ。非人間的なところがあるので、わりと無理をしている。

近代の行動様式というのは、軍隊、工場、その他の職場での行動様式ということになります。寺子屋の行動様式と、近代学校制度のなかの学校における行動様式というのは、違ってあたりまえなのです。だから、寺子屋の行動様式になじんでいたものは、近代の学校にはなじめなかったという例もあります。寺子屋に限らず、武士の行動様式と、近代的な軍隊の行動様式は違います。

で、この近代の行動様式に一斉に切り替えたわけですが、そこにはいろいろな齟齬がありました。いまですら、近代の行動様式になじめないものが、いるわけですからね。まあ、ぼくも近代の行動様式になじめなかったタイプなんですけどね。

学校教育というのは、近代の行動様式を身につけるさせる場所なので、近代の行動様式になじまない人は、あんまりうまくいかないようにできてます。まあ、大学あたりで解放されるんですけどね。(一度は)。バイトをしなければ。ぼくの感じでいってしまうと、親が凸型の神経症者の場合、こどもは近代の行動様式を身につけにくくなると思います。家での行動様式と、学校で求められる行動様式が違うから。おや自体の行動様式が、めちゃくちゃだからね。こういうのは、見えないハンディになる可能性がある。

親が凸型の神経症者で、本人が凹型の神経症者になっている場合と発達障害者とでは、違うと思う。まあ、もっとも、親が凸型の発達障害者の場合、こどもが凹型の神経症者になる可能性がある。発達障害的な傾向を持っていなくても、(世間からみれば)発達障害的な傾向があると判断されるようになると思います。発達障害というコンセプトがはやっているから、ちょっとでも不適応行動があると発達障害と判断されがちなのだけど、神経症と発達障害は違うんだよね。



参考文献

試験の社会史―近代日本の試験・教育・社会 単行本 – 1983/10



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。