2016年9月30日金曜日

一五年間かけて……弟の進学と就職を邪魔したことは……破壊したことは、まったく気にしてないからな

けっきょく、体調がすべてに優先する。体調が悪いと人付き合いもできない。勉強もできない。仕事もできない。ヘビメタ騒音で「削られた」生活体力がでかいな。体調には、その日の体調と人生の体調というべきものがあって、人生の体調の上にその日の体調が成り立っている。基本的な部分を削られると、やはりだめなんだよな。

削られていなければ、たとえば、八〇から一〇〇の間で変動しているものが、削られてしまったあとは、〇から二〇の間で変動しているようなものだ。普通の人にとって体調が悪いときが八〇なのに俺にとっては、体調の良いときですら二〇でしかないというような状態になってしまった。これが、かなりでかい。ヘビメタ騒音で失ったものはいっぱいあるけど、そのなかで、いくつかの大きなものがある。

体調……普通の体調は、二番目か三番目あたりだ。キチガイ兄貴は、ヘビメタを鳴らすけど、鳴らしている最中は鳴らしてないのと同じだという気持ちがある。というか、そういう認識で、実際に鳴らす。鳴らしてきた。そういう態度が、腹立たしい。中学一年生のときだけを考えても、どれだけ、「注意した」と思っているんだよ。「知らない」「知らなかった」わけがないだろ。全部こういう調子だからな。

嫁さんとの結婚式には、総額六〇〇万から八〇〇万ぐらいは使っているんだよ。嫁さんの親が数百万出したわけだけど。自分が弟の人生を破壊しておいて、弟に払う慰謝料は〇円で、結婚式に数百万使っている。何百万出したのか知らないけど、数百万の単位であることは確かだ。本当に自分が一五年間かけて、……毎日毎日……一五年間かけて……弟の進学と就職を邪魔したことは……破壊したことは、まったく気にしてないからな。「そんなの知らなかった」の一言で済ます。じゃ、あ、試験前に静かにしてくれたのかと言ったら、どれだけ言っても、静かにしてくれなかった。試験前の冬休みなんて、一日に一四時間鳴らしている状態だ。

昨日も書いたけど、本当に、午後四時から午後六時までの二時間でもつらい。つらすぎる。発狂状態になって、一日の体力を使ってしまう。これは、午後四時から、午後六時までの二時間でヘビメタが終わったということではない。その後も続いている。けど、二時間でお・し・ま・い、ということ。


他の人は「うち」のなかのことは、わからない

いまは、だるくて、こんな状態だけどそのうち元気になるさ。
そうしたら、やれなかったことをやろう。けど、本当に気持ちが曇っている。朝起きて感じることがヘビメタ騒音でつらかったということだ。昼起きて感じることが、ヘビメタ騒音でだるかったということだ。夜起きて感じることが、ヘビメタ騒音で死にたいということだ。深夜、「あの感覚はいいようがない」と絶叫したくなる。夕方「いま鳴ってたんだぞ!!」と絶叫する!

午後四時から午後六時までの二時間だけでも、つらかった。あの空間はいいようがない。本当に、きちがい騒音空間だ。だから、「鳴らすな」「静かにしろ」とさんざん、怒鳴り込んだだろ。怒鳴り込んだのにまったくわかってない状態なんだからな。あれは本当におかしい。自分にとって不都合なことをいわれたら、むかっときて、腹を立てて、頑固に、その「やるな」といわれたことをする。していれば、当然していることになるのに、本人は、「してない」つもりになるらしい。頭がおかしい。で、これ、親父がやり始めたんだよな。午後五時台とか、お母さんの部屋というか、親父とお母さんの寝室??で、鏡台の端に腰をかけて、「きちがいヘビメタで困った」とお母さんに、ずっと愚痴っていた。相談していた。お母さんは、病気で横になっている状態よ。まあ、いつも元気がないんだよね。その頃は、なんとか起きて、料理を作ってたんだな。中学の時は、まだ、お母さんが料理を作ってたんだよな。あのときは小学六年生の時よりも症状が軽いのか? リュウマチだからな。小学四年生から小学六年生頃までは、薬の副作用がひどかったんだよな。(これは、母さんの話)。

何度も言うけど、うちは、アパート形式になっている。昔、貸してた。六畳間プラス三畳間(台所?)で一セットという感じで、三セット貸していた。その家賃で、土地と家のローンを払っていた。だから、一軒家としては、作りがおかしいんだよね。親父が土地を買った頃は、まだ、土地が安かったんだよね。これがあだになるとは。マンションとかだったら、絶対に兄貴は鳴らせない!! 四時台、五時台、六時台、七時台、八時台、九時台、一〇時台の音で鳴らせない。わりと家の敷地が大きなところなんだよな。昔、ひとつの家だったところに、三軒建っているからな。これは、お隣じゃなくて、道路を出たところだけど。まわりの家は、わりと一軒ずつの敷地が大きい。いまの感覚でいうと……。親父の収入だと、普通は家なんて買えないんだけど、人に部屋を貸すことで、ローンを払ったんだよ。だから、収入と家の大きさはつりあってない。

兄貴の部屋を考えた場合、ちょうど、空間があいているんだよな。


あ~、朝の日ざしがさしてきた。この日ざし。

本当にきつかったな。一番眠りが深いときに起こされて、めちゃくちゃにしんどい状態で、着替えて、髪の毛もとかさず、飯も食わないで、外に出た。で、へろへろな状態なんだけど、バス停まで走った。僕は全力疾走しているつもりなんだけど、普通の人から見れば、のたのた、マラソンをしているような状態にしか見えないんだろうな。要するに、そんなに早く走ろうとしてない状態に見える。腹が痛くて、意識がもうろうとしてつらかった。きちがいヘビメタに「昨日の晩」やられてつらかった。午後四時から、午後一一時まで強制的にヘビメタを聞かされたので、夜眠れなくてつらかった。死にたかった。中学一年生時から、こうだ!! ともかく、苦しい状態で、ひきつって走っている状態なんだよな。それなのに、人に「遅い」といわれたり「遅刻すんな」といわれたり、「ちゃんと宿題をやってこい」「もっとちゃんと走って」といわれる状態なんだよ。ヘビメタ騒音にやられながら、学校に通うというのはそういう状態なんだよ。

で、きちがい兄貴は、どれだけ、俺が「やめろ」「静かにしろ」と怒鳴り込んでも、絶対にやめない状態だ。これ、ここで書くか迷うけど……なんていうのかな? 本当にきちがいなんだよな。
「やめろ」「静かにしろ」と注意されると、怒って、鳴らし続ける。自分にとって不都合なことをいわれたら、催眠術にかかったように、むきになって、頑固に無視して頑固に、やり続ける。これ、親父とおなじなんだよな。……昨日考えたんだけど、やっぱり、いわれた途端に、「やってないこと」になっているんだな。そのあと一〇〇%自分の意地を通して、絶対にゆずらないで、全部の時間、どでかい音で鳴らしているのに、本人は、「まったく鳴らさなかった」のとおなじ気持ちなんだよね。同時に、「なにも言われなかった」というような認知が成り立っている。言われた途端に、怒って無視する。もう、顔を真っ赤にして、目を三角にして怒るんだよ。自分にとって不都合なことを言われた」というのが、発狂するほど腹が立つことなんだよ。兄貴と親父はそう。基本的に、全部自分が鳴らしたいように鳴らしたいという欲求がある。その欲求は、きちがい兄貴には自覚されないことなんだけど、すべての認知を押しのけて、成立する。言われたらやばいこと、は、どれだけ言われても、無視した瞬間に、いわれてないことになっているんだよな。けど、本当は伝わっている。これ、親父や兄貴のこういう状態見たことがない人は、「そんなひといるかな」なんていうけど、ものすごい、意地なんだぞ。本当に顔を真っ赤にして、怒り狂って、不退転の決意で、やる。兄貴の場合は、からだをこわばらせて、あぶらあせをかいてというのはないけど、顔が真っ赤になる、目が三角になるというのはおなじだ。強烈な意地でやろうとする。で、その時に、こっち側の言い分を通そうとすると、やっぱり、殺さなければならなくなる。そんくらい、強烈な意地なんだよ。からだをこわばらせてというのはないけど、なんて言うかな、それに近い部分はあるよ。動いているけど、明らかにむきになってやっている状態になるから。動きに余計な力が入る。どれだけ、邪魔されたって、絶対にやってやるぞという気持ちになって、頑固にやる。むきむきになってやる。だから、そういうスイッチが入ってしまうのだから、言われたことがわかるんだよ。わかっている。わかってなければ、ごく自然に動いているわけだから……。動きが不自然。全身に力が入って、むきになって、やる。あぶらあせはないけど、親父とおなじなんだよな。顔だけじゃなくて、たぶん、からだもマッカッカになっている。首も赤いからな。

だから、そういうふうにむきになってやったことなら、「やったつもり」があると思うだろ。けど、むきになってやったことは、「まったくやってない」という認知が成り立ってしまうのだ。本当に「やったってやってない」ことなのである。で、「やったって」の部分がとれて「やってない!!やってない!!」ってなる。本人は、つもりがない。しかも、言われたということも忘れてしまう。忘れてしまうというよりも、「やめろ」と言われて無視した途端に、「そんなの言われてない」ということになってしまう。そういうしくみなんだよな。だから、それを何十万回、何億回と繰り返していても、いつも、「つもりがない」状態なのである。無視してやり続けたという部分が完全に抜け落ちてしまう。それは、兄貴にとって都合がいいことで、僕にとって都合が悪いことなのである。で、こういうのが普通に成り立つのが「うち」なんだよ。他の人は「うち」のなかのことは、わからない。

兄貴は、兄貴にとってだけ都合がいいこの認知システムを、「うちにいるかぎりは」なげなかった。「うちにいるかぎりは」ずっとそうしていた。だから、「そんなの知らなかった」とか「静かにしてやった」とか言うことになる。自分がやったことを知っていれば絶対にそんなこと言えないのに、そういうことを、平気で言う。頭がおかしい嘘をつく。頭の作りが当時とおなじで、過去のことに関しては、当時やったように、自分にとってだけ都合がいい認知が成り立っているんだよ。

無視した途端に、言われなかったことになって、
無視した途端に、どれだけやったって、やってないことになる。


「そういうふうにむきになってやったことなら、「やったつもり」があると思うだろ」って書いたけど、こういうの、主語がわからないから、意味が通じないってことがあるのかな?
むきになってやったのは兄貴だ。ここでは、兄貴がヘビメタを鳴らして、エレキギターを弾くということだ。で、兄貴がやっていることなのだから、当然兄貴は、そうしているという自覚……確かに自分がヘビメタを鳴らし、エレキギターを弾いているという自覚……があるはずだと、「僕」が思うわけ。「兄貴がそういうふうにむきになってやったことなのだから、兄貴にはやったつもりがあると、僕が(こっちが)思って当然だろ」ということになるんだけど、無理矢理主語を入れると、やっぱり、ところどころ修正しないと日本語としては不自然になる。


2016年9月29日木曜日

今日は気分が「秋葉原系」だから、パソコンの本でも書こうかな

なんか今日は気分が「秋葉原系」だから、パソコンの本でも書こうかな。
なんか、秋葉原行こうかな。行ってもしかたがないんだけどな。昔は、マザーボードを見るのが好きでよく行ってたよ。

俺の人生、本当に、どうなってしまうのだろうか???

今日はもう、二回、外に出てきたので、あとはなにもしなくてもいいや。

なにをやっていてもヘビメタ騒音でつらいというのはかわりがない。もう、何十年もそうだ。毎日、そうだ。そうでない日が一日もなかった。そういう影響をきちがい兄貴は俺に与えている。けど、きちがい兄貴は、自分が五〇〇〇日以上にわたってやったことを、まるで、憶えてないという感じだ。憶えてないというか、やっているときから、俺にとって困ることだという認識がないのである。


だから、「どれだけやったっていいことをやっている」というような気持ちしかない。どれだけ、「困るからやめろ」「勉強するからやめろ」「明日テストだからやめろ」「宿題をするからやめろ」と言っても、自分がやりたい分だけはかならずやって、ゆずらない。

自分がやりたい分というのは、「全部!!!」なんだよ。

頑固に精密に几帳面に全部!!

一分だって本当に我慢するのはいやなんだから。ニセの我慢ならいい。本当はまったく我慢しない、ニセの我慢なら、ちょっとだけやってやる。けど、本当の我慢は、たとえ、一秒だろうがやってやらない。

こういう態度だ。


どうしてやってやらないかというと、やりたくないからやってやらないということなのだろう。で、一切合切「本当には」ゆずらないでやったのに、やったつもりがまったくないんだよな。

そういうマジックだ。そういうきちがいだ。

きちがい的な意地でやったことは、全部やってないのとおなじなのである。やっているときからそう。一秒ずつ、そう。一ピコ秒ずつそう。だから、ずーーーーーっとやっているのに、ぜんぜんやったつもりがしょうじないのである。だから、逆に「悪いとも思ってない」のである。だから、逆に、「悪いと思わずに全部やりきる」のである。そうやって、回転する。うちにいるあいだは、ずっとそうなのである。

だから、「うち」でやったことに関してはまったく悪いと思ってない。まったく関わったと思ってないんだよな。兄貴がやっていることで、こっちが困っているのに。そして、兄貴がやったことというのは、よそでは、一日に一分だってできないようなひどいことなのに……。きちがい兄貴は、自分が意地を張ってやったことがまったくわかってない。いま住んでいるところで、当時と同じように、最大限ゆずって鳴らせば、どういうことだかすぐわかるよ。譲歩しているつもりで鳴らしていた音は、普通の基準でいえば、爆音で、非常に!うるさい音だということがわかるよ。

けっきょく、そういう音では、あまりにも迷惑すぎて、一日に一分だって鳴らせないんだよ。嫁さんの親がこわくてできない。隣の部屋の人がこわくてできない。そういう常識外れなことは、できない。うちは、離れていたからな。幼稚園の敷地と、うちの敷地と、隣の家の敷地で、距離がある。だから、やれた。同じことを兄貴がいま住んでいるマンションでやってみろ。自分がどれだけ迷惑をかけていたかわかるから。

これ、兄貴は親父にやられたから、自分がやってもいいという無意識を持っている。そういう「踏み台」があるんだよ。だから、うちでやったことは、いまだに悪いことだと思えないのである。そうやって、俺の人生を破壊して、まったく破壊したつもりがない。つもりがなければ、どれだけやったってやってないのとおなじなのである。……これ、親父が兄貴にたたきつけたことなんだよ。俺にもたたきつけているけどな。

じゃ、親父は、そういうことを「たたきつけた」つもりがあるかというと、これまた、まったくないんだよ。そんなのは、知らない。じゃあ、普通に押し付けてきたときに……たたきつけてきたときに、やめてくれるかというとそれはぁ!!!ないんだよ!! これが、他の人にはわからないんだろうな。あとは、※強烈な催眠術※を自分にかけているから、本人は、他の人以上にわからない。やられたやつだけが、わかるというしくみが成り立っている。こんなの、ほんとうにない。ふつうの家じゃ、こんなのはない。本当に、こだわってこだわって頑固にやったことは、全部「やったってやってないこと」だからな。外見上、普通の頭がついているのにそういう認知だ。

きちがい親父が「おしつけてきたこと」というのは、相手にとって屈辱的なことなんだよ。ずるをして、人をいじめるようなものだ。

で、ずるをして、それを認めない。で、やってないことになっている。けど、それは、やっているときは、「あたりまえ」なんだよ。絶対にやめない。いつまでも、親のことをせめてないで、なんとかなんとかと言う人がいるでしょ。そういう人だって、俺に、そういうことをちょっとでもやられたら、「なんだぁ、おまえはぁ!!」と言って、ずっと怒っているよ。ずっと怒るよ。

親父がやったこと、一回分の、一万分の一でも、俺が他の人にやったら、他の人は怒る。怒って当然なのである。やられた方にしてみれば、屈辱的なことだからだ。だいたい、「やったってやってない」というのが、頭にくることなのである。そういう親父側のきちがい認知は、やられた方にしてみれば、許しがたいことなのである。

だから、「親をゆるしましょう」などと言っている人も、なんらかのことをやられれば、「なんだあいつは!!」って怒って、ゆるさない。で、そういう人は、家族じゃないから、絶交して関わりを持たないようにすれば、そういう「害」から身を守ることができる。

それに、やられたところで、一回ぐらいだろ。「親」という単語に惑わされている。これ、本当に、前も説明したけど、違う。「ひきこもり」とか「親」というような集合的な単語を使ったらダメだよ。個別の人間が重要だから。これ、つねに理論的な誤謬がある。で、理論的な誤謬について説明すると、いやな顔をするから、しないけど、理論的な誤謬がある。

個別の人間と集合名詞が、おなじレベルで使われている。内容が違う。本当は内容が違う。


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占いだけど、僕の占いは「言いがたい家族」と「休日のような一生」というのがキーワードになるんだよ。休日のようにすごしてやる!!!

2016年9月27日火曜日

兄貴には絶対に注意しないで、顔を真っ赤にして「チカシツ!!!チカシツ!!!」って言うんだよ

このまま歳をとって死んでいくのかなぁ~~~
力が出ない。

これどれだけ言ってもしかたがないんだけど、三年続いた時点で、すべてが終わっている。たとえば、高校入試の結果とか大学入試の結果などというのは、気にする必要がないという意見を持っている人もいるだろう。で、その人が言いたいことはわかる。けど、「結果」というよりも、高校入試までの三年間ずっと毎日、ヘビメタを普通に鳴らされ続けたということがでかすぎる。

これ、違うんだよな。

三年間、きちがいヘビメタ騒音に毎日邪魔されずに、入試に失敗した場合とは、違う。これ、本当、毎日というのがでかすぎる。マインドセットがどうしても鬱になる。ヘビメタ騒音生活というのがつらすぎる。どうしても、鬱になる。鬱というか、……なんていうのかな……ともかく、苦しい。先が見えない苦しさもあるけど、そういうことを全部抜いたとしても、一日に約七時間やられる平日は苦しすぎる。一日に一二時間やられる……普通にやられる……普通に鳴らされ続ける休日は苦しすぎる。どーーしても、どれだけ希望を持っても、……希望を持とうとしても……無理なんだよね。ふにゃけた感じになる。好きなことも嫌いになってしまう。ヘビメタ騒音のなかで、好きなことをやると、嫌いになってしまうんだよ。頭がこんがらがるし。

いまの季節、幼稚園が運動会の練習をしている。で、これは、けっこうでかい音が出ている。けど、幼稚園ぐらいの騒音だったら、なんとかなったのにな。俺が騒音に敏感だと思っている人は、ちょっと、でかい幼稚園とか小学校の真横に住んだ方がいいよ。かなりうるさい。で、俺はそういう騒音に絶えられる人間なのだから、普通の意味で騒音に弱いとは言えない。本当にヘビメタ騒音が破格だった。あんなの、ない。きちがい兄貴だって、目の前がでかい幼稚園で、隣の家と離れているような状態でなければ、あの音のでかさでならすことなんて、一日に一分だってできないことなんだよ。


けど、うち、は、幼稚園の敷地と、自分の家の敷地と、道路と、隣の家の敷地の都合上、離れていた。隣の家とけっこう距離があるんだよ。で、隣の家の、兄貴のスピーカーから、一番と奥の部屋に入った場合どのくらいの音で聞こえるのか、ぼくはわからない。


けど、それは、きちがい兄貴の騒音が、小さかったということではないんだよ。これ、わからないのかもしれないけど。ともかく、距離がでかい。音のでかさは距離の二乗に反比例しているから。二乗。思った以上に距離が演じている役割がでかいんじゃないかなと思う。そんな音で鳴っているのに、隣の人が文句を言わないのはおかしいと思う人がいるんだけど、隣の家が離れている。

あとは、目の前にでかい幼稚園の敷地がある。この敷地は、本当にけっこうでかい。隣の家の人は、隣の家の人が庭に出ていたとき、塀越しに「あの音がうるさい!!」と言ったことがあるんだよ……親父に聞こえるように。で、親父は「せっかく、人の息子が鳴らしているのになんだ」というようなことをつぶやいて、顔を真っ赤にして、ゴミ燃やしだよ。そういうところがあるんだよ……。親父は一つ一つのものの感じ方が、根本的におかしい。

騒音に関する法律というのは、実は、条例しかない。条例というのは、市が制定する法律だ。で、また、騒音に関する項目があいまいなんだよね。そうなる理由はある。そうしておかないと、工事などができなくなる恐れがあるからだ。たとえば、昼間八〇デシベル以上の音を出してはいけないという法律を作ると、工事などができなくなってしまうのだ。


で、八〇デシベルと定めた場合、それなら、七九デシベルでずっと鳴らすのはよいということになってしまう。八〇デシベルと七九デシベル、大差はない。条例に決まりがない場合、刑法じゃなくて民法の世界になる。で、民法というのは拘束力が弱い。しかも、「家族の構成員が出している騒音」というのが、ものすごくやっかいな問題になる。これ、いまは、「そんなことないんじゃないの」という話になると思うけど、昔は、「家のことは家で解決してください」というスタンスが一般的だった。家族の構成員による暴力と、まったく関係がない他人による暴力は、感覚的に扱いが違っていた。

まあ、ともかく、きちがい兄貴の騒音というのは、二〇メートル離れれば、家の外壁二枚、部屋の壁数枚を隔てて離れれば、そんなに気になるような音ではないのかもしれない。けど、それは、壁の後ろにきちがい兄貴のスピーカーがあるような僕の部屋では、まったく、成り立たない。話が違う。これ、なんて言うのかな、そんなでかい音で鳴っているなら、二〇メートル離れていても問題になるだろうと思うかもしれないけど、違うんだよね。二〇メートル離れているところでもんだにならないような音なのであれば、たいした音ではないのだから、三〇センチ横で鳴っていてもたいした音ではないということが言えるかというと言えない。まあ、二〇メートル離れていれば、問題にならない音のでかさなのかもしれないと僕が言ってしまうと、それなら、そんなにでかくない音なんだろうと思うかもしれないけど、違う。これ、本当に距離でぜんぜん違う。聞こえるけど、作業ができないほどの音ではないというレベルまで減衰するのに、一五メートル、必要じゃないのかもしれない。

まあ、ともかく、よそのうちでは一分だって鳴らせない音で、毎日鳴らしてあたりまえだと思って、きちがい兄貴は、一五歳から三〇歳まで暮らしていたわけで、それが僕に与えた影響というのがでかすぎる。ともかく、兄貴がいま住んでいるところでならせないほどでかい音なのは確かなんだよ。兄貴に言っておく。かつて自分が自分の部屋で鳴らしていた音が普通の音だ(そんなにうるさくない音だというのであれば)いま住んでいるところで鳴らしても問題はないわけだから、鳴らしてみろ!!! 一日に三〇分でいいから鳴らしてみろ。横の部屋の人から、絶対に文句が出る。

で、おなじ階の一五メートル離れた部屋の人から文句が出るかどうかはわからない。おなじマンションのおなじ階であったとしても、二〇メートル離れれば、たぶん文句は出ないと思う。けど、じゃ、隣の部屋の人にとってそれが騒音でないかというと違う。

ともかく、兄貴はいま住んでいるマンションで、当時「あたりまえ」だと思っていた音で、鳴らしてみろ!!と言いたい。そうすれば、僕の言っていることが正しくて、兄貴の騒音に関する……あるいは音のでかさに関する感覚が間違っているということが、明らかになるから。すくなくても、兄貴のマンションの住民には明らかになるから。で、別のところに住んでいる人にも明らかになるかというと、それは違うんだよね。そりゃ、一キロ離れているところに住んでいる人は、兄貴の騒音がどういうものかわからない。

ともかく、兄貴は「よそ」じゃ、一日に一〇分だって鳴らせないようなでかい音で、一日中、鳴らしてたんだよ。で、「うち」の人がどれだけなにを言っても、聞かなかった。それは、親父譲りなのである。親父とまったくおなじ。「うちでなら、このくらいの音で鳴らしていい」という決めつけがあって、どれだけなにを言われても、一分だって、鳴らさないで静かにしてやるつもりにはなれなかったのである。だから、一四時間鳴らせるなら、自動的に一四時間鳴らして、どれだけなにを言われても、ゆずらなかった。これが兄貴のしてきたことで、同じことを、よそでできるのか?と言ったらできない。兄貴には都合がいいズレがあるから、自分でぜんぜん気がつかないだけ。うちでは、自分が思ったとおりの音で鳴らせて、あたりまえだという、思い込みがあって、その思い込みに反することは、意地でも認めなかった。そして、認めなかったということも認めてない状態なのである。こういう、状態。これは、誰が「うち」でやり始めたことかというと、親父がやり始めたことだ。

で、親父がやったことを、兄貴がヘビメタでやっているだけ。やり方は全部おなじだから。そこで成り立っている「やっていい」「やってあたりまえだ」という感覚がおなじ。自分が認めるとなると不都合なことになる場合は、まったく認めなくていいいという感覚がまったくおなじ。どれだけなにを言われても……「うち」のひとにどれだけなにを言われても、自分がひどいことをしているという感覚がない。自分が非常識なことをしているという感覚がない。自分はあたりまえのことをしているまでだという感覚のまま、やりきる。

で、「やった」と言われると「やってないやってない」となる。これ、本当、ビョーーーキだから。頭の病気に近い。けど、使い分けができるのだから、器質的な病気じゃないんだよな。これ、どういうことかというと、たとえば、認知症の症状が出ている場合、「うち」と「よそ」を使い分けて、「よそ」では、認知症の症状が出ないようにするということができない。脳の機能障害の場合は、「うち」と「よそ」を使い分けて、症状を出すということができないのである。うちでもよそでも同じことをするから、よその人にわかりやすいのである。

一方、脳の器質的な障害ではない場合は、使い分けができる。「うちでは」こう。「よそでは」こう。うちの人には、これであたりまえ」「よその人には、これであたりまえ」というような使い分けができる。使い分けができるということは、どんなに器質的な異常に見えても、けっきょく、ソフトウエアの異常なんだろうなと思う。けど、ソフトウエアの異常だからどうにかなるかというと、ならないんだよね。「うち」にいる限り、どうにもならない。



兄貴が、あそこの廊下で、「鳴らしたっていいだろ」という感じで、振り向いて、自分の部屋に入ろうとして歩いているときの、破滅感といったらない。俺、体調が悪いとき、いつも、そのシーンを思い出す。本当に殺して静かにさせたかった。警察官が帰ってしまったら、いつものように鳴らすのだろうけど、それでも、警官を呼べばよかった。家族で話し合ってください」って、親父は、兄貴の味方をして、絶対に注意しないという状態だ。それから、頭がおかしいから、どれだけ、でかい音で鳴っているといっても、自分で確かめるために帰ってこない。きちがい親父は、日曜の午前中の音しか知らない。日曜の午後は、それよりも、音がでかいのである。で、これまた、一四年間ずっと言い続けても、そこのところが、「通じない」という状態なんだよ。頭がおかしいから!! 

こんなの本当に、よその人にはわからない。「お兄さんと相談すればいい」「家族で話し合えばいい」「親はなんていっているの?」「親がなにもいわないんだったらたいした音じゃないんじゃないの」とこうだよ。死にたい。お母さんは、まったく頼りにならないし、親父はむしろ妨害する。親父が関わったら、ちゃんとまとまるものもまとまらないということになる。これは一〇〇%そうなる。で、もともと、まとまらないものだと、なんていうのかな? もっとひどい目に遭わされるんだよ。

きちがい兄貴のことで精一杯なのに、余計なことをされて、面倒が増える。俺のピンチをさらに、ピンチにするようなことしかしない。で、そういうことだって、親父としては、「助けてやる」つもりでやるんだよ。意識上は。けど、違うんだよね。ここでも、こっちが頼んでいることは、絶対にやらないで、きちがい親父が思いついたことしかしない。

で、きちがい親父が思いついたことというのは、「このハンダゴテを持っていけ」みたいに無意味で腹立たしいことなんだよ。で、一回言い出したら、聞かない。こっちを困らせているのに、……親父の提案?でこっちが困るのに、困るということを、どれだけ説明しても、認めないんだよ。

で、いったんそっちの方向に向かって、エンジンがかかると、きちがい的な意地で余計なことをやろうとする。だから、ただでも、きちがい兄貴の騒音で困っているのに、親父のきちがい的な提案の「火を消す」ということをしなければならなくなる。これが、もう、本当に、死にたい気持ちになる。火事で、焼き出されて、ボロボロになって歩いていると、盗賊がやってきて、身ぐるみはがれて、困りまくるというような状態になる。

親父は、一〇〇%の確率でこっちが困ることしかしない。親父の提案というのが、「それじゃぜんぜん解決しない」ということなんだよ。大学入試の時だって、「地下室を作る」とか言い出して、「地下室を作ることに」こだわりまくる。もう、入試一週間前
で、そんなことしている暇なんてないのに、「地下室を作る!地下室を作る」「地下室!!地下室!!」って言いまくる。

(こっちが)兄貴に注意してくれと言うと、兄貴には絶対に注意しないで、顔を真っ赤にして「チカシツ!!!チカシツ!!!」って言うんだよ。これは、兄貴に注意するが嫌だから、そういう風なことを思いついて、そういうふうに言い出す。こっちが注意してくれと言ったら、「チカシツチカシツ」と言えば、もう、注意しなくてもいいことになる。注意をする代わりに、地下室を作ってやるということだから、注意してくれ」と言われたら「チカシツ!チカシツ!!」って言えば、それで、言い逃れることができる。

「注意してくれ」という要求をはねのけることができる。そういうことをして、実は、兄貴に注意をしなかった。そうやって、大学入試の前に、注意してくれなかったのに……いま、「注意してくれなかった」と(こっちが)言うと顔を真っ赤にして「チュウイシタ!!チュウイシタ!!」って言う。

おなじ!! まったくおなじなんだよな。

やっていることが!!!

親父は兄貴に「鳴らさないで静かにしてやれ」「一日中鳴らさないで我慢しろ」ということを一切合切言ったことがない。俺が設けた、家族会議の場で、兄貴の顔を見ないで、「静かにしてやれ」とぼそっとヒトコト言っただけだ。

高校入試の時に一回、大学入試の時に一回、計二回しか言ってない。それから、兄貴は、あれで、「静かにしてやったつもり」だから、「静かにしてやれ」だと、まったく意味がないんだよ。鳴らさないで!!とか、ヘッドホンをつけて静かにしてやれということじゃないと意味がない。きちがい兄貴の基準だと、一日に五分間、一万分の一音を下げてやればそれで「静かにした」ことになるので、「静かにしろ」じゃまったく意味がない。実際に、家族会議のあと、二階に上がって、その日も、一分だって、鳴らさないで静かにしてくれなかった。

どでかい音で鳴らして、きちがい兄貴が「静かにしてやった」と思うだけだ。そういうことになって、何千日経過していると思っているんだよ? これ、本当に、きちがい親父に関わると、全部そういうことになる。きちがい兄貴のやり方が、きちがい親父とおなじだから、きちがい親父は、浄化することができない。で、きちがい兄貴をきちがい兄貴にした、元のやり方で、俺を困らせることしかできない。地下室を作ったとしても、きちがい兄貴が全部の時間、鳴らさないで静かにしないと困るんだよ。地下室を作るのに、いくらかかると思っているんだよ。もう、家が建っているのに、そういうことを言い出す。

きちがい兄貴が、一日中ヘッドホンをして我慢すれば、それでおしまいなのに……問題解決なのに、きちがい兄貴が一日中ヘッドホンをつけて我慢するというのは、可能性としても、考えれることがなかったのである。それがうちの家族会議の中身だ。親父と兄貴が、「兄貴が少なくても入試が終わるまでは、一日中ヘッドホンをして静かにする」ということについて、可能性すら考えない……これが、家族会議の結果だ。ヘッドホンをすることなんてできるのに、絶対にできないこととして考えられている。

で、それは、親父も兄貴もおなじなのである。親父は、その家族会議では、言わなかったけど、「一日中静かにしろと言ったら(兄貴が)かわいそうだぁ」なんてことを言ってたのである。それはどうしてかというと、「絶対に、兄貴に注意したくないから」なんだよ。「兄貴に注意したくない」ということに一旦なると、もう、絶対にそうしない。無意識的な要求が「兄貴に注意しない」ということになると、頭がおかしい理由をつけて、注意しないのである。

で、これまた、本当はそういうふうに意地を張って、なんだろうが注意してないのに、注意する必要がなくなったら……(兄貴がうちを出て、よその人になったら)……「チュウイシタ!!!チュウイシタ」の一点張りになる。おなじなんだよ!!! 「注意してくれなかった」というと「注意した注意した」って始まる!! 兄貴も、本当は、静かにしてくれなかったのに、……入試だろうがなんだろうが、一日一分だって「本当には」静かにしてくれなかったのに、「静かにしてくれなかった」というと、「静かにした静かにした」って始まる。どっちも、嘘をついているつもりがない。じゃあ、あの意地はなんなんだと言うことになるんだけど、意地を張ってやっていることに関しては、本人は、つもりがないことになってしまうのである。一度つもりがないということになってしまうと、「やってない」ということになってしまう。これもおなじなんだよね。そういうことで、俺がどれだけ困ったか!!!! そういうことで困らされている最中、入学試験に行ったんだよ。

前日も、普通の日と同じように、可能な時間は、全部きちがい兄貴が、ぜんぜん我慢しないで鳴らしまくる。試験から帰ってきたきも、ヘビメタが鳴っている。次の週にもうひとつ別の大学入試がひかえているというのに、一分だって「本当には」静かにしてくれない。

きちがい兄貴の静かにしたというのは、本人がまったく我慢しないで、思いっきり鳴らして、静かにしてやったということだから、静かにしてない。これ、本当に、よその人は信じないかもしれないけど、五分間、一億分の一音を下げてやれば、一日に一四時間、どでかい音で鳴らしていても、本人のなかでは「一日中静かにしてやった」ということになってしまうのである。

だから、そういう「静かにする」ではなくて……兄貴が思いっきり鳴らしたい音で鳴らして静かにするとかそういうことではなくて、「鳴らさないで静かにする」ということが、一分も、一秒も成り立たない。きちがい兄貴の頭の中でだけ、静かにしたということになっていて、実際には、きちがい兄貴が……ヘビメタが好きなカオ君も驚くようなでかい音で!……ずっと一日中鳴らしまくるということになってしまう。。そういうきちがいじみたことが平気で行われる。きちがいの意地が一〇〇%成り立って、困らされている人の意地が〇%しか成り立たない。まったく、無視されて、おなじように「や・ら・れ・て・い・る」状態になってしまうのである。そういう一日だ。どれだけ、もめたって、そういう一日になる。



2016年9月24日土曜日

元の刺激がなくなれば、元に戻る地点というのを、こえてしまった

俺は、いま!!ヘビメタ騒音でからだがつらいんだよ。いま!!かつて一四年間と数ヶ月続いたヘビメタ騒音で、からだがつらい。「いまは鳴ってないのだから、影響はないだろ」ということではないのだ。そうだといいのだけど、実際にそうじゃない。

これは、閾値があるんだと思う。リターン可能な状態とリターン不可能な状態というのがあると思う。続きすぎて、リターン可能な状態をこえてしまったんじゃないかなと思う。

リターン可能な状態というのは、元の刺激がなくなれば、元に戻るという状態だ。元の刺激がなくなれば、元に戻る地点というのを、こえてしまった。これは、地点じゃなくて、時間でもよいわけだけど、ともかく、リターン可能なポイントというのがあって、そのリターン可能なポイントをこえてしまったら、騒音障害の場合は、ダメなんじゃないかと思う。

昔は、チェーンソーを長く使っていた人は、チェーンソーを使うのをやめたあとも、手が震えるという症状に悩まされていた。職業病というのだろうか。いまは、どうだか知らない。チェーンソーが改善されたかもしれないし、一日に使う時間を制限されているかもしれない。あまり、いまはそういう話しは聞かない。

あまりにも長い期間(毎日)騒音にさらされ続けると、はっきり言うと、「虚弱体質」みたいになるんじゃないかなと思う。あとは、あまりにも長い期間、毎日、ある一定の時間の長さ、ある一定の音量の騒音にさらされ続けると、「睡眠回路」が壊れるのではないかと思う。

で、その睡眠回路の異常というのは、元の刺激(ヘビメタ騒音)がなくなっても続くんじゃないかなと思う。からだのしんどさとか、他の人にはわからないけど、ぼくにはわかる。で、これ、ヘビメタ騒音のしんどさだから。ヘビメタ騒音が鳴っていた期間に感じたのと同種類のしんどさだから。だから、ヘビメタ騒音がこのしんどさと深い関係があると思う。


   *     *     *


本当に、なんでこんなに通じないんだろう。きちがい兄貴にも、よその人にも。もう、つかれた。わかる人は一発でわかるのに、どうしてわからない人は、どれだけ説明してもわからないのだろう。おかしい。まあ、「全部読め」とは言わないけど……。たとえば、ヘビメタ騒音が鳴っていた期間に関しては、そのまま、さっき書いたままの設定(事実)で説明しているから、矛盾が生じるということはないはずなんだけどな。説明がたりないか。

それにても、レビューがひどいな。半々であるはずなんだけど、肯定的な人がぜんぜんレビューを書かない。否定的な人ばかりレビューを書く。僕が生きてきたなかで、複数の人がいるところで、ヘビメタ騒音のことを説明すると、だいたい半々に割れたんだけどな。なんで、肯定的な人はレビューを書かないのか。そもそも、読んでないのかもしれないけど。

おまえ、足かけ一五年間(一四年と数ヶ月)毎日やられてみな。わかるから。まるで俺が、ひとりでこだわっているように思うかもしれないけど、きちがい兄貴がこだわりつくして、一四年と数ヶ月、毎日、可能な時間はすべて使って、鳴らしたんだ。それが影響しないわけないでしょ。俺の人生は俺の人生で他の人の人生じゃない。他の人にとって僕の人生はどうでもいいことかもしれない。僕の人生がどうでもいいという人から見れば、僕が、きちがい的にヘビメタ騒音にこだわっているように見えるのだろうけど、それ、違うよ。

一〇代の九年(これ、一一歳から一九歳までの九年でという意味で九年)ヘビメタを鳴らされていたら、人生全部に影響があるよ。で、九年と言って、一四年と数ヶ月と言わないのは、一〇代にこだわった言い方だからそうなる。

これ、一四年間鳴っていたのか、九年間しか鳴ってなかったのか、疑問に思う? 「年数が違う」のは、そういうことだから。試しによく読んでみな。ちゃんと、そういうふうに書いてあるから。

それから、柳荘(まるまる荘)に出る前と、出たあとを、わけて書いているときがあるんだよ。まるまる荘ってアパート。(まるまる荘に出たのは二一歳の時)(で、まるまる荘を借りたんだから、いいじゃないかということになりそうなんだけど、そうじゃないんだよ。

風呂と夜ご飯のために家に帰っていた。これ食費を浮かすため。だいたい、一日に一食しか食べない時期もあったんだよな。柳荘時代。で、家に帰って、僕がご飯を食べたあと風呂に入るわけだけど、その三〇分間、きちがい兄貴がヘビメタをやめてくれない。その三〇分やめてくれれば、ぼくは、一日中ヘビメタから解放されることになるんだけど、飯を食っているあいだ、風呂に入っている間、ヘビメタ騒音にたたられることになる。

で、そのヘビメタ騒音というのは、二一歳まで苦しんだヘビメタ騒音そのものなんだよ。たぶん、曲もおなじなんじゃないかな。きちがい兄貴は本当にこだわりつくしておなじ曲を何回も何回も、何万回も聞きやがって。どうして、一日にたった、三〇分なのに、それも俺がいるあいだの三〇分なのに、その三〇分ですら、一分たりとしてやめてくれないのか。「鳴らしてたっていいだろ」というおなじ理屈で鳴らしている。

もう、二一歳の時に、(三浪で)人生がぶっ壊れていた。どうして、三浪しなければならなくなったかというと、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が、小学六年生の時から鳴ってたからだ。中学三年間と、高校三年間ずっと毎日、鳴らされている。休みの日なんて、ヘビメタの時間が長くなってしまう。中間期末試験中もずっと鳴らされた。早帰りでかち合うと、鳴ってるんだよね。まあ、かち合わなくても、きちがい兄貴が五時に、家に帰ってきたら、五時から、容赦なくヘビメタが鳴ってしまうわけで、つらかった。

五時から、どれだけ何回文句を言いに行っても、一分もやめてくれなかった。それが、きちがい兄貴の態度だ。で、この六年間のことを「六年間」と言っているのであって、矛盾してない。ちゃんと、「中学三年間と高校三年間、合計六年間ずっと毎日鳴ってた」と書いたでしょ。これは、六年しか鳴ってないというわけではなくて、中学高校の六年間毎日鳴ってたということを言いたいわけ。だから、「一四年と言ったり、六年と言ったり、矛盾している」というわけではない。実際には、最初の高校入試前日だけ、静かにしたから、六年マイナス一日なんだけど、そういうことも、ちゃんと書いてある。繰り返しになるけど、「六年と言ったり、一四年と言ったり矛盾している」というわけではないんだよ。

僕がこだわりつくしているように見えるんだろうけど
やられれば、わかるよ。やられれば。同じようにこだわると思うよ。

人生の一番大切な時間を、時期を、つぶされた。いまだにくるしい。こだわらないという方がおかしいのではないか。もっとも、他人は他人で、他人事は他人事だから、わからないのだろうけど。たとえば、僕のしんどさが、その人に直(ジカ)に伝わるわけじゃないから。これ、直(じか)に伝わったらわかるよ。「この人がこだわるには理由があるんだな」「不自然なことじゃないんだな」とわかるよ。もっとも、僕のいま現在のだるさが、他の人に直に伝わることがないから、わからないのだろうけど。


直に伝わらなくても、だいたい、半年間やられて、その半年間、学校に通っていたら、わかる。これ、もうリターン可能地点をすぎたあとだから、あんまり、違いがわからなくなっているのだけど、ヘビメタ騒音をおなじ時間帯におなじ時間の長さやられて、なおかつ、「通っていたら」わかる。通っているのと通っていないのとでは、違うんだよね。通っているときのつらさかが半端じゃない。朝のつらさが半端じゃない。日頃のつかれが半端じゃない。日頃の切迫感、不安が半端じゃない。どうしても、絶対にやめない兄に対するいらだちが半端じゃない。これ、本当に鳴らされているときだけ、うるさくてつらいというのではなくて、通って行った先で、つらい思いをする。学校でつらい思いをする。別に学校じゃなくてもいい。職場でもいいんだけど、ともかく、「通っている」場合と「通っていない」場合は違う。

六年間と半年、足かけ七年間、通っていたから!!通えないからだになってしまったというわけ。「七年と言ったり、一四年と言ったり、矛盾している」というわけじゃないんだよ。


   *     *     *

いま、ヘビメタ騒音にこだわっているのは、異常なことじゃない。直に僕のだるさが伝わるのなら、いまこだわってい理由がわかる。自分が本当に、ヘビメタ騒音を一四年間もやられて、仕事ができない状態になれば、いま!!!こだわる理由がわかる。いまこだわる理由がわからなかったり、いまこだわっている僕が「異常」に見えるのは、君と僕が、違う個体だからだと思う。直に僕の苦しみが伝わらないからだと思う。かつての苦しみじゃなくて、「いま」の苦しみね。人生なんていくつからでもやり直せるとか言う人がいるけど、いま!僕はくるしいんだよ。いまでも、どこかに時間通りに行かなければならなくなるとなると、ものすごくくるしい。


いま、睡眠回路の異常で困っている。いま!!いま!!! 現在進行形で困っているわけだから、そりゃ、「こだわる」でしょ。いまの問題なのだから。どこかに時間通りに行かなければならなくなったときの朝の状態が直に伝わるなら、その人だってわかるよ。ヘビメタ騒音生活が、七年間続く前は、朝がつらいと言っても、つらいのつらいが違うんだよ。

七年間と言っているのは、七年間持続したあとは、おなじだという意味。ヘビメタ騒音生活が七年間しか続かなかったというわけではなくて、七年間続いたら、そういう状態になるという意味。鳴っていたのは一四年間と数ヶ月だけど、遅くても七年目には、だめになるという意味。それ以降治ることがない異質な朝のつらさを経験することになるという意味。

七年目以降は、どれだけがんばってもだめ。だめになる。だから、ヘビメタ騒音が七年間しか鳴ってなかったという意味ではない。わかるかな? ちゃんと、全部使い分けているから。そういう視点を持って読み直して!!

ヘビメタ騒音は、合計で一四年と六ヶ月だ。きちがい兄貴の意地って、本当に、他の人にわからないから!!!!!

ヘビメタ騒音は、合計で一四年と六ヶ月だ。
六年とか七年と言っているのは、ヘビメタ騒音が鳴っていて、なおかつ、「俺」が学校に通わなければならなかった期間だ。一〇年と言っているのは、「俺」がまるまる荘に出るまでだ。なにも矛盾してない。
それから、家の前がでかい幼稚園(小学校ぐらいの敷地がある)で、道路や敷地の関係から言って、(隣の)家が離れている。(ちなみに、西の隣の家に関しては、西の隣の家の人が絶叫しても僕には聞こえません)。北はちょっと違うんだよね。けど、当時は、北の家も離れていた。いまの北の家は、違うけど。南はずーーっと幼稚園の敷地で、きちがい兄貴は子供たちや職員がいない時間に鳴らしている。日曜日は幼稚園は休みで誰もいなかった。東は、当時空き地。(僕が高校三年生になるまで空き地。いまは違う。)なにも矛盾してない。全部読めばわかる。矛盾してないんだよ。これ、本当に、なんていうのかな? 家の外壁と空気がある空間(なにもない空間)があると、だいぶ違うんだよね。俺の部屋のすぐ横に、スピーカーが設置してあるような感じだから。外壁があると、だいぶ違うんだよね。床が「地続き」なのと、外壁がある場合は、音の伝わり方、でかさがぜんぜん違う。兄貴の部屋の床と俺の部屋の床は、つながっているから。


ヘビメタ騒音のことを説明しなければ説明しないで、「俺」が勝手にサボっているように思われるわけだからな。まあ、説明したって半信半疑である人が、半数ぐらいいると思う。その人たちは、しあわせな家に育ったのだろう。

「そんなでかい音で鳴っていたら、いっくらなんでも、問題になる」と思う人がいるかもしれないけど、そうじゃないんだよ。音の伝わり方というのがわかってない。居酒屋に入ればわかるだろ。一号室でものすごい音で鳴っているとする。それが、一三号室では、たいして聞こえないだろ。じゃあ、一号室の室内や、となりの二号室でものすごい音じゃないかと言えば、ものすごい音なんだよ。

居酒屋じゃなくてアパートで考えてもいい。一号室で鳴っている音は、二号室で聞くのと、一三号室で聞くのはぜんぜん違う音なんだよ。広域放送が遠いところでも聞こえるのは、高いところにスピーカーがあるからです。真横で、二つの部屋の位置関係が平行である場合とは違います。(一三号室でも聞こえるかもしれないけど、そんなに問題にならない音になっている)

いずれにせよ、「兄」はいま住んでいるところで、ヘビメタを鳴らせない。うちで鳴らしていたようには鳴らせない。どうしてかというと、ものすごくでかい音だからだ。「兄」の部屋から外を見ると、でかい幼稚園の敷地と、その後ろにある林が見える。だから、本当に場所的には、横の部屋のことさえ考えなければ、鳴らせる。(当時の横の人から証言は得ている。けど、巻き込まないでくれとも言われている)

もし、マンションだったら、絶対に、うちで鳴らしていたような音では鳴らせない。当時の「兄」でも鳴らせない。実際、いま、どれだけ「俺」が(「兄」に)「鳴らせ」「ならせるなら鳴らしてみろ」と言っても、鳴らさない。鳴らせない。いま兄が住んでいるマンションでは、一分だって、うちで鳴らしていた音では鳴らせないのである。文句が出るからな。

「うち」の文句は、親父のように腹を立てて、握りつぶしていたのである。「よそ」の人に対する態度と「うち」の人に対する態度が違うと言っているだろ。本当に、催眠術にかかったように違うんだよ。本当に「よそ」の人たちは、わかってないな。だから、証言を集めただろ。本当に「うちでの」親父の態度と兄貴の態度は、「よそ」の人に説明しても、わかってくれない。

警察に相談しなかったのは、僕の失敗だけど、兄貴は、「よそ」の人が帰ってしまったら、そのまま鳴らす。ずっと、監視してくれるわけではないので、警官が帰ったら普通に(でかい音で)鳴らしていたのではないかと思う。当時は、「うち」のことは、「うち」で解決してくださいという風潮があった。DVも認められてなかった。(警察が)そのうち、こなくなってしまうのではないかという恐れがあった。けど、電話をするべきだったと思っている。(親父とお母さんの態度というのは、ベクトルはまったく違うけど、警察には相談しない。親父は、まったくわかってない状態だからね。兄貴のようにまったくわかってない。兄貴がでかくなったら、文句を言えない状態になってしまって、それからは、一切合切無視だよ。お母さんは、当時も病気で(リュウマチ・膠原病・薬の副作用)、俺の話を聞いて、困っているだけだった。たぶん、元気でも警察に相談するとかそういうことに関しては、まったく力になってくれないと思う。)

もう、死ぬかな。この警察に関してだけは、本当に、そのうちこなくなるにしろ、何回も相談するべきだったと思う。親父を無視して、相談するべきだった。で、法律を調べたら、騒音に関しては条例でしか決まってなくて、まるまる市の騒音に関する条例が非常にあいまいなもので、あんまり頼りにはならなかった。当時の僕は、まず物理的な「音量」の測量が必要だと考えてしまった。

本当に死のうかな。なにもあんなに意地になって鳴らさなくてもいいのに。
親父にやられたことを、全部俺にやり返している。親父がやったのとおなじやり方で、やり返している。本当につらい。


きちがい兄貴の意地って、本当に、他の人にわからないから!!!!!

   *     *     *



今週は、ずっと、風邪気味で、寝てたんだけど、その時に去来することが、……。本当にくるしかった。ともかく、死にたいな。これ、本当にそんなにわかりにくいことかな? いやだな。俺が当時六年間、普通の友達にはヘビメタ騒音の愚痴を言わないで、誤解されたまま耐えてたんだよな。親友にはずっと言ってたけど。それに、親友は僕の部屋に入って、どのくらいの音で鳴っているか知っているから。で、俺、薬局の前で、兄貴が将来すっとぼけたことを言ったら証言してくれと、頼んだから。あのときに、ぼくはもう、兄貴の将来のすっとぼけた態度を予言してたんだな。


本当に、俺が悪く言われる。死にたい。どっちにしろ、俺が悪く言われるんだよな。兄貴の「うちでの」感覚が異常だから。これ、本当に、平日も休日も、騒音でつらい……。うちの前がでかい幼稚園だということや、家が離れているということが、ものすごく影響を与えている。これが本当に、マンションだったら。絶対に、兄貴は、うちで鳴らしていたような音では、一分も鳴らせない。午後一〇台の音だって、家が離れていたから、鳴らせていたわけで、家が近かったら絶対に鳴らせない。午後一〇時台の音は、九時台の音よりは下げている。けど、それだって、気分が乗っていたら、下げないわけだよ。じゃ、きちがい兄貴よ、当時の一〇時台の音で、いま住んでいるマンションで鳴らしてみろ。一日でいいから鳴らしてみろ。鳴らせないだろ。一〇台の音も、うるさいからね。普通の感覚で言えば、じゅうぶんうるさい音なんだよ。当時の兄貴にはこれがわかってない。それから、「うち」でやったことに関しては、絶対に悪いと思わないんだよ。そういう感覚の持ち主だ。いま現在、他の人には、一分だってできないことでも、うちでは、一日中やって平気だった。俺とお母さんなら、まったく気にしなかった。そういうことだ。

もう、本当に死にたい。これが、兄貴のヘビメタ騒音を実際に聞いたことがない人には、わからない。わかりにくいことなんだよな。騒音って、本当に音の伝わり方で、違うんだよ。でかい音は、同じようにでかい音だというような感覚があるけど、位置によってぜんぜん違う。

兄貴が、普通の感覚だったら、うちでも、一日に一分だって、そういう音では鳴らせない音なんだよ。「うち」では、やってもいいとふんでやったから、まったく悪いと思ってないだけで……。壁のすぐ後ろにあるスピーカーから出ている音というのは、外壁を挟んで離れた家で聞いている音とは違う。

で、他の人は、当時の俺には影響があったかもしれないけど、いまの俺には影響がないと思うんだよね。「いま鳴っているわけじゃないんだから」と。けど、これも違うんだよな。一四年間鳴らされて、人生を破壊され、生活体力をうばわれ、睡眠回路を破壊され、すぐに疲れるような体にされ……。これ、本当に、他の人にはわからないんだろうな。俺がいま感じているだるさ、つかれやすさというのがわからない。一四年……まるまる荘に出たあとも含めて……だるくてだるくてしかたがない。それで、けっきょく大学には通えず、アルバイトもできず、就職もできず、……。もう、通うということ自体が、ヘビメタを七年間やられたあとは、ダメなんだよ。ここで、七年間というと、一四年間じゃないじゃないかと言われるけど、七年でダメなんだよ。からだがだめになるまでの時間というのは、一四年間じゃなくて七年間。一応俺のなかでは、わけて書いているから、他の人にはわかりにくくなっているか。通勤通学ができないからだになるまでの期間が七年間。小学六年生から高校三年生までの七年間。死にものぐるいで通学していた七年間。(六年と半年)足かけで七年間。六年と半年死にものぐるいで通っていたから、通えないからだになってしまった。そういう話しだ。矛盾してない。

幼稚園の子供が絶叫しても、勉強ができないということはない。聞こえるは聞こえるけど、うるさくて勉強できないという感じではない。どうしてかというと、離れているから。幼稚園とうちでは、うちの庭と幼稚園の園庭のぶんだけ離れている。けど、幼稚園の校舎は、かなり境界線に近い位置にある。それでも、幼稚園生が絶叫しているからといって、奇声をあげているからといって、勉強できないほどではないんだよ。この距離ですら、そうなんだよ。実際、僕は、幼稚園生の声には、元気をもらっている。別にうるさいと思わない。実際音量的にも、ヘビメタ騒音とは比べものにならないほど、静かだから。けど、それは、距離の問題でそうなっている。耳元で幼稚園生が毎分毎秒、絶叫していたら(奇声をあげていたら)うるさいと思うのである。勉強できないほどうるさいと思うのである。ヘビメタ騒音の音のでかさが、幼稚園の園舎の中でどのくらい聞こえるのかわからないけど、僕の位置を中心にして考えると、ものすごく大きな違いがある。たとえ、幼稚園生の絶叫が、耳元では騒音であったとしても、庭の分だけ離れているから、そんなに聞こえない。別に、邪魔だとは思わない。幼稚園生が絶叫する声の音が、物理的におなじだったとしても、距離で聞こえ方がぜんぜん違う。幼稚園の園舎の方が、当時の隣の家よりも、近いんだよね。どの隣の家よりも近い。どの隣の家といっても、二軒しかないけど。
いま、複数の幼稚園生が園舎の中で、同時に絶叫していたとしても、「元気があるな」ぐらいにしか感じないけど、耳元で(毎分毎秒続けて絶叫されたら)やっぱり、腹が立つと思う。そういう違いがある。うちのヘビメタ騒音に関しても、そういう違いがある。兄貴が鳴らしている時間、園舎には人がいない状態だったけど、園舎の中にいるのであれば、兄貴のヘビメタ騒音はそれほど気にならない音なのかもしれない。離れているから。「聞こえはするけど、うるさくて勉強ができない」というような音ではないのだろう。園舎の中にいれば……。兄貴がうちでヘビメタを鳴らしていて、その時僕が、幼稚園の園舎の中で勉強できるなら、それほど問題にはならなかったんだろうな。兄貴のヘビメタは、耳元で絶叫されているとおなじだから。距離の問題なんだよ。それに幼稚園だって、つねにうるさくしているわけだから、幼稚園が、うちを騒音で訴えるということはないんだよ。兄貴の部屋でならしているヘビメタが、園舎なかでどのくらいの音で聞こえるのかわからない。けど、園舎の中で絶叫している子供の声を考えると、そんなにでかい音では、聞こえないんじゃないかなと思う。ともかく、よそのうちで聞こえるヘビメタ騒音と、俺の部屋で聞こえるヘビメタ騒音は、違うと思う。幼稚園と僕の部屋の距離というのは、わからないけど、一〇メートルぐらいだ。一〇メートルでこの違いだ。


……そりゃ、夏休みだって冬休みだって、普通に休みだからな……

全部、嘘。ホネガラミの嘘

俺はこのまま年老いて死んでいくしかないのか? あ~~。
この一週間、風邪でひどかった。睡眠時間がずれる病気にかかっているので、昼間に寝て、夜に起きるということがあるんだけど、この時期は、昼間は暑いけど夜になると急に寒くなるという日がある。この間、そういう日に風邪を引いてしまった。

だから、なんか、今週は、いきなり土曜日になったような気がする。まだ感覚としては、月曜なんだよね。で、薬を買いに行く元気がないので、ビタミン剤などを飲んで横になってたんだけど、ヘビメタ騒音の記憶ばかりがよみがえってくる。くるしい。一〇年、毎日、つもったときのあの感じはない。あの感じはないなどと言っても、人類のなかで、あの一〇年間を経験したのは、僕だけなので、他の人にはまったくわからないという問題がある。

これが、公害とか、基地の騒音問題だったら、わかる人がいるのにな。俺だけなんだよな。音のでかさは、距離の二乗に反比例するから、至近距離か二〇メートルぐらい離れているかで、ぜんぜん違う。広域放送の音がよく聞こえるのは、スピーカーが高いところにあるからね。俺の部屋と兄貴の部屋の床は、つながっているんだよ。で、至近距離だからほとんど、兄貴の部屋で聞いているのとおなじ音で聞こえる。畳の上に布団を引いて寝ていたので、頭に響く。

一度、というか何回も、学校から帰ったらまず寝てしまって、そのあと、午前四時ぐらいに起きて、勉強しようとしたときがあるんだけど、頭にガンガンヘビメタが響いて、眠れなかった。

一度、実はあまりにもつかれていたので、寝たときがあるんだけど、起きたあとのだるさが並みじゃない。本当にはきそうなぐらいつらい。なんていうのかな、あのだるさも、また、説明できない。説明したって、わからないだろ。眠っているときに、強制的にあの音をガンガン聞かされている状態で、目を覚ましたときの、気持ち悪さというのがない。で、その時は、午後一〇時ぐらいだったので、まだ鳴ってたんだよね。で、「やめろ!!やめろぉ!!!鳴らすな!!!鳴らすな!!!」って発狂して怒鳴り込んだ。けど、きちがい兄貴がキチガイなので、一分だってやめてくれなかったよ。その場で殺さなければ絶対の意地で鳴らし切る。で、鳴らし切って良いと思っているだよな。鳴らし切って当然だと思ってる。そういう兄貴なんだよ。そういう、「家」なんだよ。

「家」というのは、きちがい親父がそうやって、きちがい親父の意地を通してきたから、「家」ではそうしていいというのが、影の伝統(無意識的な伝統)として成り立っていた。しかも、やったやつは「やってないやってない」となる。これも、影の伝統で、頑固にきちがい的な主張を通す。自分がやってたことを認めない。自分がやってきたことを、絶対に認めない。認めるのが都合が悪くなったら、絶対になんだろうが認めないのだ。

で、そういう時の認めない態度が、なにかをやっているときの態度とおなじなんだよ。「うち」のひとに、「やめてくれ」と言われることをやっているときの態度が、そういう態度。だから、さかいめなく、つねにそういう状態なんだよね。

こんなの、教師をやっているような人にはわからない。教師をやっているような人の家というのは、普通の常識がなりたっいてるところだから。キチガイが、キチガイの意地を通せば、キチガイ本人は、やってないと思うような家じゃないんだよ。

で、これは、教師以外のひとでも普通の人には通じない。「そんなことないんじゃないの」と言われてしまう。けど、うちでは、そうじゃないんだよ。キチガイがきちがい的な意地でやったことは、(あとになれば)やってないことになってしまう。どれだけの意地で、どれだけのこだわりでやったと思っているんだよ!!」とこれまた、一〇〇〇回、一〇〇〇〇〇回言ったって、当の本人は、しらんぷりなんだから。この、シランプリ(黙って無視)(目を三角にして顔を真っ赤にしてあぶら汗をかいて、腹を立てて無視)というのは、やっているときもそうなんだよ。だから、全部が全部、態度がおなじなんだよな。

これ、普通の人、わからないだろ。で、普通の人以上に、当の本人が、わからないんだよ。あれだけ意地になって、「やめてくれ」と言われているのに頑固にやったことを、「やってない」なんて言い出す。全部、嘘。ホネガラミの嘘。頭がおかしいから、嘘を嘘だと思わない。つねにそういう認知の差があるんだよな。つねに、そういう意地になったところで、なんていうのかな、認知症ではない認知症のような症状がある。自分にとって都合よく、誤解しているんだよな。で、そういう嘘を通せば!!やりきれる。だから、影の目標は「やりきる」ということなんだよ。

だから、どうしても、やりたいことは、そういう態度でやりきる。で、そういう態度でやりきったことは、何万回やっていようが、何万時間やっていようが、「やってない」ことになっているらしいんだよな。頭がおかしいから。……これ、頭がおかしい、以外にどうやって、説明するんだよ?? で、自分がそうやって押し通したことに関しては、まったく、悪いと感じないんだよね。最初からあたりまえで、一〇年間毎日そうしてもあたりまえで、二〇年間毎日そうしてもあたりまえなんだよ。だったら、やっているわけで、やっているのに、「やった」と言われると、「そんなんじゃな!!そんなんじゃない!!」って始まる。

一〇年間、二〇年間毎日やってたことでも、そうなる。いや、一〇年間二〇年間、他の家族の思いを踏みにじってやったことなら、一〇〇%そうなる。そうならざるを得ない。問題にならないことは、やったって文句を言われないわけだから。「やるな」と文句を言われることについて、そうなる。かならず、そういう態度でやりきる。

で、かならず、キチガイ認知構造を使って、「やってない」と言い出す。全部こういう毎日なんだぞ。他の人がわかるわけがない。こんなうちの「常識」なんて他の人がわかるはずがない。だから、こういうことに関する記述はまるでうけない。なまくらな「引き寄せ」とか「鏡の法則」とかそういう話しがうける。けど、これ、違うんだよね。これ、宗教だから、違うもくそもないんだけど、違う。

さらに、「そういううちに生まれてきたのは、おまえが選んだからだ」というような理論をいう人まで出てくる。これは、人間が人間に言ってしまってはいけないことなんだぞ。まあ、個人にむけた話しではなくて、一般論として言うのはいいけどさ。宗教なんだから。けど、この世の人が、この世の人に向かっていう言葉じゃないんだよ。……いま、これだけ言って、わかる人とわからない人が出てくると思うけど、わからない人は、ぜんぜんスピリチュアルじゃない。これも、リトマス試験紙のように使えるな。

ワカッテナイノハオマエラダって言いたくなるな。まあ、それは、この世でさんざん言っておこう。


2016年9月22日木曜日

「使えないハンダゴテ」=「きちがい兄貴の基準で静かにした音」


きちがい兄貴がやったことが以上だということがわかるよ。

ハンダゴテ事件で、親父が使えないハンダゴテを渡したんだけど、それと同じなんだよな。きちがい兄貴の『静かにした』というのは、それとまったく同じ。まったく変化がない程度静かにしたわけで、ぜんぜん静かになってない。親父に対して、そのハンダゴテじゃダメなんだ、使えないんだということをどれだけ言っても、認めない。認めなかった。それと同じで、そういう『偽の静かにした』じゃ、ぜんぜん意味がないということを言っても、ぜんぜん認めない。同じなんだよな。

全部が!

きちがい兄貴!!ハンダゴテのことですら、めちゃくちゃに腹を立てたのに、……サイコパスオヤジの、そういった「つたわらない態度」に腹を立てたのに、同じことを俺に何千回も、何万回も、一四年間にわたって毎日毎日やりやがって!!!

つたわらない態度でやりきる。自分の意地を押し通す。
そして、自分の意地を押し通したということを認めない。
やったという事実そのものを認めない!!!

そして、何回言っても同じ態度で同じ反応が返ってくる……ってこれ、ハンダゴテ事件の時と同じなんだけど。はんだごて事件は、一回だけだ。おまえ、一日中腹を立てていたけど、ハンダゴテ事件は一回だけだ。しかも、一週間以内にお母さんがハンダゴテを買ってくれたので(金を渡したので)解決している。それなのに、あんだけ腹を立てて、「もう、親父とは絶交だ」『無視する』と鼻息を荒くしてたよな。目を三角にして怒ってたよな。一度だけだぞ。
使えないクソハンダゴテを学校に持っていて、恥をかいた」というのは、「


きちがいが意地を通したら、通ってしまうのがきちがい家だ。


これがわかってない。他の大勢の人には、これがわかってない。

他の大勢の人にとっては「ないことになっている」。だから、「そんなことは……」「そんなのは……」「人のせいにするな」『親兄弟のせいにするな」『自己責任自己責任』「ともかく、やらなきゃだめでしょ……」『過去のことはいいから……」『過去は買えられない……」『過去に関する認識を変えればいい・・」『他人はかえられない……自分がかわるしかない……」ということになる。本当に、どれだけ……。きちがい兄貴の認知構造、頭の構造を変えられなかったのは俺だけど、それは、本当に俺のせいなのか?

「そんなことは、お兄さんに言えばいい」と言った教師だって、実際にどのくらいの音で鳴っているか、うちに確かめにきてくれて、ものすごい音で鳴っているのを確認したら、兄貴に注意して、それでも兄貴が無視して鳴らしているなら、羽交い締めにして静かにさせてくれるというわけではないだろ。

そこまで、介入して関わってくれるか?

しかも、自分(教師)が帰ってしまったら、きちがい兄貴が普通に(普段通りのでかい音で鳴らす)から、泊まり込みで、きちがい兄貴を監視して、ずっと静かにさせるということをしてくれる人がいるか? 外部の人がいるときだけ静かになってもしかたがない。

一日中、鳴っているということが問題。きちがい兄貴の場合、外部の人に注意されたら、その人がいる間は、静かにするかもしれないけど、その人が帰ってまったら、普段のモードになって、普段通りの音で鳴らすわけだから、その人が一日中いないと、意味がないんだよ。

そういう人がいるあいだは静かにするけど、そういう人が帰ってしまったら、普通モードに戻って、普通に鳴らす……けど、この場合、モードの切換している「つもり」はないんだよね。だから、普段の音(クソうるさい音で)鳴らすことには問題があるとまったく思ってない状態なんだよ。どれだけでかい音で鳴らしていても、きちがい兄貴が「こんなの普通の音だ」「こんな音、たいしてでかくない」と感じたら、兄貴にとっては、「普通の音」で「たいしてでかくない音」なんだよ。こういう、あ・た・ま!! こういう頭が治らない。どれだけ言っても、あいつの頭は、あいつの頭のままなんだよ。親父の頭がそうであったように……。



『使えないハンダゴテ』=「きちがい兄貴の基準で静かにした音」なんだよね。

あんなでかい音で鳴らして『静かにしてやった』と思える精神構造がおかしい。本当に、どれだけ、どけちなんだよ。『静かにした音』が人が絶叫するのよりもずっとずっとでかい音だ。ピアノよりずっとずっとでかい音だ。何倍もでかい音だ。物理的な音で言えば、何十倍もでかい音だ。ふざけるな。きちがい兄貴よ、俺が言っていることが嘘だと思うなら、きちがい兄貴が『静かにした音』で、いま住んでいるうちで鳴らしてみろ。それがどれだけうるさい音か、わかるから。一緒に住んでいる嫁さんにも、どれだけうるさい音で鳴らして「静かにしてやったつもりでいたか」わかるから。

『そんな音で鳴らして、静かにしてやったとか、信じられない』と嫁さんは思うだろうから。きちがい兄貴は、キチガイ秋だから、『そんなにたいした音で鳴らしてない』とか思っているんだろうけど、それが、おかしいって言っているんだよ。何十年も。一緒に住んでいるは、兄貴は、『でかい音で鳴らしている』という自覚、認識があるものだと思っていた。

そりゃ、ギャグじゃなければ、あれだけ物理的にでかい音で鳴らして、『たいした音じゃない』と思っていると言うことは、あり得ないからな。ヘビメタじゃなくて、メトロノームの音をあの音のでかさに増幅して、聞いてみろ。五分で、頭がおかしくなる。

きちがい兄貴だって、「くそうるさい音だ」と思うはずだぞ。そういう音で鳴らしているやつに『静かにしろ』と言ったら「こんなのたいした音じゃないだろ」と言ってきた場合の、腹立たしさを経験してみろ。きちがい兄貴の場合は、黙りこくって、そういうつもりで鳴らして、鳴らしてないと思っているという、もっと複雑な状態だけどな。顔を真っ赤にして、目を三角にして、黙りこくって、鳴らし続けるやつが横の部屋にいたら、どう思うよ?

きちがい兄貴が、「静かにしてやった」と言っているそうだけど、そうじゃない。これが通じないというのがおかしい。そういう認知構造だから、兄貴は一日中鳴らしてなにも感じなかったんだろ。たとえば、「宿題をやるから静かにしてくれ」と言われた後、一時間、二時間、三時間、ヘッドホンをして静かにしてくれたことが一日でもあるか? 鳴らさないで静かにしてくれたことが一日でもあるか? そんな日は一日もない。だから、ずっと「うるさくしている」。なのに、「静かにしてやった」と思えるきちがい兄貴の頭はなんなんだと言っているんだよ!

親父の頭と同じ。オヤジアタマ。父親にやられて、悔しくて悔しくて悔しくて、しかたがなかったことを、俺に毎日毎日、毎秒毎秒や・り・か・え・し・て・い・る。で、きちがい親父と同じように「つもりがない」ままだ。一度、「つもりがない」回路ができあがると、どれだけ続けてやっていても、「つもりがないまま」になっている。こういう、しくみ!

こんなの、普通の家で生まれ育った人にはわからないことだ。だから、共感されることがなく、ただ単に「お兄さんに言えばいいのに、わたし(相談相手)に愚痴言っている」と思われる。俺が兄貴のヘビメタ騒音について相談するとそうなる。毎日、三時間はヘッドホンをして静かにしてくれたなら、俺はちゃんと「一日に三時間は静かにしてくれたけど、他の時間はでかい音で鳴らしていた」と書く。かならず「「一日に三時間は静かにしてくれた」ということについて言及する。

そういう言及がないのは、実際にきちがい兄貴が、一分も静かにしないままやり通したからだ。毎日! 毎日のことが大切なんだよ。人生にとって、毎日ことが大切なんだよ。一〇代の毎日が大切なんだよ。一〇代の毎日を、ヘビメタ騒音にやられ続けて、いいわけがないだろ! そんなんじゃ、どれだけ才能がある人だって、うもれて、育たないよ。

そういうことをして、熱心に人生の邪魔をしているのに、本人は「まったくやったつもりがない」という主観を維持したままなんだからな。これ、ここに書いてあることをどれだけ送っても、本人は(きちがい兄貴は)そ・の・ま・ま、なんだよ。いま住んでいるところで一日中鳴らすのはやばいから、やらないのだけど、そういうことをしなかったということは、まるで後悔してないんだよ。そういうあたりまえのことを「うち」ではまったくやってやらなかった……自分が好きなように全部の時間!!不退転の決意で「知っているのに」「苦情が出ているのに」鳴らし切った……ということについて、ぜんぜん悪いと思ってない!!! そのままなんだよ。当時のままなんだよ。感覚が!! どれだけ言われたって!! そういう感覚で、入試のときだって、鳴らしてるんだよ!! なにも、わかってない!!

2016年9月20日火曜日

ロボット化の波と生活保護(感想断片)……もしphaさんが生活保護をもらっていたら

えーっと、以下

貧BPの人生オワタ\(^o^)/旅  というサイトの

まだ武士やってるの?~問題なのはレールに乗っかる生き方が本当に「オワコン」なのかどうかだ

http://etrip.blog.fc2.com/blog-entry-1406.html

という記事
を読んだときの感想です。トラックバックが使えないので、こういう旧式のやり方になります。



たぶんだけど、そんなに早くはロボットがやってくれる状態にはならない。まあ、50年後を考えれば、ロボットがかなりのことをやってくれる状態になるとは思うけど。

世界のことを考えると富は均一ではないから、ロボット化の波も速度に違いがあると思う。
ぶっちゃけ言ってしまうと、生きている間は、「生活保護などを受けずに働くべき」というような考えを持っている人が、攻撃してくる状態は、変わらないんじゃないかと思う。そういう意味では。けど、本人の年齢が、80才90才になったらそういうことを言う人は、必然的に減るだろうから、本人から見れば同じ状態になる。

ロボット化の波の話は、「社会の荷物になるな。働け」と言ってくる人たち向けの話なのだと思うけど……。まあ、時間の問題で、単純作業と知識集約的な作業は、ロボットがやってくれるようにはなると思う。けど、まだまだ、時間がかかる。たぶんだけど、ぼくらが生きているうちは、そういう仕事はロボットがやるから、人間はやらなくていいということにはならないんじゃないかな。
そうなる前に、たとえば、90才になっているから、言われなくて済むよ。

たとえば、phaさんが自活してなかったら(経済的に自立してなかったら)phaさんを支持している人たちだって、phaさんを支持しなくなるだろという話と、ここで話されていることは、同じわけでしょ。phaさんが生活保護をもらいながら、ああいう本を書いていたら、批判されるだろうという話と根っこは同じ話だよね。
これに関しては、いまの日本という、条件がそのまま反映されていると思うよ。いまの日本の労働観が問題なのだから。いま(時代的条件)の日本(地理的条件)という条件が成り立っていなければ、そもそも、問題にもならない。


   *     *     *

まだ武士やってるの?~問題なのはレールに乗っかる生き方が本当に「オワコン」なのかどうかだ
これを読んだだけでは、上の話はわからないと思うけど、貧BPの人生オワタ\(^o^)/旅  というサイトの記事を50%ぐらい読めば、どうして上のような話しをするかわかる。


   *     *     *


あーー、それにしてもヘビメタ騒音が鳴ってたな。この時間は~~~。つらい~~。
この雰囲気!!!

2016年9月18日日曜日

妄想的な勝手な不満の場合は親のせいではない

けど、俺は学んだ。親が健常者なのにこどもが普通におかしくなる場合がある。これは、脳の機能障害だからしかたがない。別に、子供が不満を持ったならば、親が悪いと言っているわけではないんだよ。色々なタイプがあるからね。普通におかしくなるというのは、時間の経過とともにおかしくなるということだ。こういう場合もある。
その子供が持ってる不満というのは、妄想的な勝手な不満だから、親のせいではない。こういう場合は、どれだけ不満をちゃん記述しても、いいことにはならない。親の方にずれがあって(認知のずれがあって)子供が神経症になっている場合は、子供の方は、不満を抱えるわけだけど、子の不満は、(認知のズレをもとにしているから)神経症的な症状としてあらわれるしかないのである。


2016年9月17日土曜日

特殊不満理論 サイコパスのもとに生まれた子供は、基本的に、不満を抱えることになる

自分にとって不満なことが生じた場合、不満を言うと、その人は不満の塊になってしまう。不満の塊になった人を、人は避けようとするので、ますます不満がたまるようになる。

不満なことが生じても、不満を言わずに感謝の言葉を述べると、事態が好転して、人からも好かれるようになる。



よくある、不満に関する考え方です。まあ、スピ系のことや宗教系のことが好きな人は、こういう考え方を聞いたことがあると思います。感謝理論ですね。で、これは、正しいようでいて無慈悲なところがあります。

こういうひとが設定しているのは、一般的な話しなんです。しかも、例外がないという話になっている。例外があるなら、例外があると最初に述べておかなければならない。けど、例外があるとは述べない。だから、一般法則の話になります。一般法則においては、例外がないので、本当に苦しんでいる人を追い詰める話になります。

こういう人たちが言う「不満」というのは、普通の不満なのである。普通の人によってもたらされる「不満」なのだ。しかし、世の中にはサイコパスがいるように、サイコパスからもたらされる「不満」というのがある。しかも、サイコパスが親になる場合があるので、サイコパスのもとに生まれた子供は、基本的に、不満を抱えることになる。その場合の不満というのは、一般的な不満とは違うので、不満を言う権利がある。

サイコパスの親の元に生まれた子供が、「不満を言うべきではないという一般理論」におかされたばあいは、もっともっともっと、悲惨なことになってしまうのである。不満を言葉にできた方が、その子供は、精神的な安定を得られるのである。一般理論だと「不満を言うべきではない」ということになるのだけど、特殊理論だと、「不満を言うべきではないという※べき※の暴君にやれる※べき※ではない」ということになる。「べきべき」になるわけだけどさ。

一般理論は、一般人を相手にした場合の話しだ。家の中にサイコパスがいる場合は、まったく違う。ここが、わかってない。こういうことを言う人たちは、まったくそういう気持ちがないのだろうけど、実は、サイコパス的な親にやられて、苦しんでいる子供を、もっと不幸にしてしまうという問題がある。

サイコパスは、かわらない。

だから、不満を述べてもかわらない。相手に不満を言ってもかわらない。サイコパスはサイコパスの人格構造を通してサイコパス的な行動をしてサイコパス的なことを言うわけだから。そのサイコパス的な行動のなかには、当然、サイコパス的な攻撃が含まれている。

※このサイコパス的な攻撃に対して、不満を持つなと言うのが間違っているのである※。もし、サイコパスにやられている子供が、そういうことにこだわった場合どうなるかというと、神経症になってしまう。これがわかってない。サイコパスにやられているこどもが、「不満を言うべきではない」というような一般理論を学んだ場合、神経症になってしまうのである。まじめに、そういう言葉を実行すればするほど、深刻な、根の深い神経症になってしまう。

一般人が感じる「不満」と、特殊な環境にいる人が感じる「不満」は違う。そもそも、質が異なる。なので、一緒にしてはいけない。これ、わかるかな? たいていの人は、一般理論でとまってしまう。一般理論は、例外がないという状態で流布される。

けど、本当は、その一般理論で傷つく人間がいる。そういう一般理論を信じたがゆえに、神経症になってしまう人間が一定数いる。一般理論を実行しようとすると神経症になってしまう人というのは、特殊な人間にやられている人間なのである。

サイコパス的な親の元に生まれた子供と、一般的な親の元に生まれた子供だと、不幸の量が最初から違う。対処不能なサイコパスが親だったらどういうことになるか、たいていの人は、まるでわかってない。これは、経験を通して学ぶことなので、そう言う経験がない人はわからない。人は誰でもゆがんだところがあるので、理想の親はいない。しかし、健常者と精神異常者の違いがあるように、一般的な親とサイコパス的な親の違いはある。そういう違いを無視して、「不満を言うべきではない」「不満を言うともっと不幸になるぞ」とおどしをかけるべきではない。

あっ、おどしと言ってしまった。こういうスピ的なことを言う人は、別におどしをか.けているつもりはないのだろう。けど、努力目標になってしまうと、奇妙な現象が生じてしまうのである。奇妙な現象というのは、その子供が、神経症になってしまうということだ。一般理論の存在は、神経症発生に関して、まったく影響がないように思われているけど、実は、影響がある。一般理論というのは、この場合は、「きれいごと」だ。よくある、スピ的なきれい事だ。たとえば、「不満を口にするべきではない」とか。「どんなにひどいことが起こっても、感謝するべきだ」というような一般に流布されているきれい事のことだ。

ひどい状態というのがあって、そのひどい状態は、相手の感覚のズレによって引き起こされる。そして、相手は、それに気がつかない。あたりまえのように、その感覚のズレを押し付ける。サイコパスが、認識してない、サイコパス側の理論、理屈というのがある。サイコパス側はつねにその理論に従って行動しているのだけど、「そういう理論に従って、あることをなした」ということを認めないという状態になっている。で、この「認めない」ということも、実は、その理論に従っている。なので、これは、切りがない状態になっている。



   *     *     *

じゃあ、どうすればいいのかというと、サイコパス的な親にやられたことはしっかりと記述した方がいい。サイコパス的な親にやられたことから生じる「不満」に関しては、口に出した方がいい。一般人にやられたことから生じる「不満」に関しては、不満を口にしない方がいい。一般人と、サイコパス的な親をわける。サイコパス的な親に育てられた場合、兄弟がいる場合は、兄弟とももめることになる。ローシナジーが発生するからだ。父親が長男をいじめて、長男がおなじやり方で次男をいじめるということが生じてしまう。三男がいれば、次男が三男をいじめるということになる。なので、となりあえず、サイコパス的な親にやられたことは記述した方がいいと言ったけど、これは、別に親に限ったことではない。家族にやられたことは、記述した方がいい。不満を言った方がいい。不満をうまく言えないと、神経症になる。しかも、理論療法、認知療法、認知行動療法などは基本的に、「きれいごと」で成り立っているので、不満の部分は無視される傾向がある。というか、きれい事が支配する世界なのである。一般不満理論と特殊不満理論を区別せずに、きれい事を押し付けてくる。神経症が発生するには、サイコパス的な親が押し付けてくる異常なルールの他に、きれい事に基づいたルールが必要なんだよ。これがわかってない人が多い。だから、サイコパス的な親にやられて神経症になっている人は、認知療法に近づかない方がいい。認知療法は、一般的な不満を相手にした、一般理論で成り立っている。特殊理論は、ない。



2016年9月16日金曜日

毎日毎日、毎分毎秒、きちがい的な意地でやったことも、「やってないこと」になっている

やっぱり、なんだかんだ言ってつらいな。
いま、強烈にからだがだるい。で、このだるさが、ヘビメタ騒音が鳴っていて、鳴り終わったときのだるさと同じなんだよな。何千日もヘビメタ騒音が鳴っていて、その日のヘビメタ騒音が鳴り終わったときのだるさと同じだ。「鳴り終わったからいいんじゃないの」と普通の人は思うかもしれないけど、そうじゃない。あのだるさはない。そして、このだるさも、ない。「ない」というのは、この世にはないはずのものだという感じで使っている。「ない」というのは、「ほかにはない」という意味で使っている。こんなのは、あるべきではないのだけど、ある。ヘビメタ騒音疲労以外にはないけど、ヘビメタ騒音をやられたあとは、このだるさがある。というわけで、つかれる。

このだるさが、他の人には伝わらないわけだろ。まあ、伝わったところでしかたがないのだけど……。けど、だるい。で、まあ、「だるいだるい」「しんどいしんどい」と言っている人は……いつも言っている人は、そ・れ・な・り・に、嫌われる。あまりよく思われない。相手の立場はわかる。感じ方もわかる。けど、ヘビメタ騒音疲労でだるい。

こういうのが、人付き合いに深くて大きな影響を与える。「ヘビメタ騒音」と「孤独」はあんまり関係がないように思われるかもしれないけど、実際にはそうじゃない。生活のすべてだから……。ヘビメタ騒音が生活のすべてになってしまう。ヘビメタ騒音が、生活のすべてに、不可避的に、影響を与えてしまう。その影響のでかさがすごい。これも、実際に、何百日、何千日とヘビメタ騒音か、それに類する騒音が続いた人じゃないとわからない。

それに類する騒音というのは、いくつかの条件を満たさなければならない。
まず第一に、その人にとってその音が苦手な音であること、第二に人が絶叫した声よりもずっとでかい音で鳴っていること(ピアノよりもでかい音で鳴っていること)、第三に至近距離で鳴っていること(音源の位置が一メートル以内とか)、第三に、その音を鳴らしている人間がサイコパスであること(なにを言ってもつたわらないし、一億分の一でも静かにしてやったら、一億分の一億静かにしてやったと信じ込んでしまう性格であること)を満たした場合、その騒音は、僕が言う「それに類する騒音」ということになる。

まあ、こんなこと言っても、だるいのはかわらない。どうすっかな? ほんと?? どうすんだよ?? この夜! いつもこんな感じだからな。こういう感じが嫌だから、俺は、まるまる荘で、最大限の努力をしていた。最大限の努力をしようとしていたということか。もう、まるまる荘時代は、ヘビメタ騒音が一〇年積み重なったあとで……一〇年毎日積み重なったあとで……横になって寝ているだけで、つかれた。この、疲労感がやっぱり並みじゃないのである。で、じゃ、まるまる荘時代に、心療内科に行って薬を飲んだらよくなったかというと、たぶん良くならなかったんじゃないかなと思う。一〇年間毎日あの生活を続けた時点で、僕は終わっている。そういう破壊力がある。そういうことを……人の一生を台無しにすることを……家族なのに……しっかりやりきって、なにも感じないのがきちがい兄貴だ。一切合切なにも感じない。「こういうふうに迷惑をかけた」「鳴らしていた」と言われたら、真っ赤な顔をして、無視するだけなのである。だいたい、まるまる荘時代は、僕は食費節約のために、夜は帰ってご飯を食べていた。その夜、僕がご飯を食べる三〇分のあいだですら、絶対に一秒も静かにしてくれなかったのがきちがい兄貴だ。これ、きちがい兄貴は、静かにしてやったつもりなのかよ? 「飯食うんだからいいだろ」と言って、無慈悲に、俺を廃人まで追い込んだ、きちがいヘビメタを、一分も譲らないで鳴らしてたよ。そういう態度なんだよ。俺が二一歳の時ですら。きちがい兄貴よ。これがきちがい兄貴がこの世でやった、本当のことだ。これ、きちがい兄貴にしてみれば、「そんなのは知らない」「あいつが勝手に言っているだけ」「そんなに鳴らしてない」「そんなんじゃない」と言い訳したくなるようなことなのである。で、兄貴の嫁さんの前で、ずっと何十年も毎日そういう言い訳をしている。反省なんてしているわけがないだろ。で、これがまるで、「じゅうぶん静かにしてやった」「できる限り静かにしてやった」というような恩着せがましい態度なのである。頭にくる。そういうことだから、毎日一〇年、一一年と困っているわけだろ。本当に、み・と・め・な・い。やっている最中はやっている最中で、絶対に譲らないんだけどね。絶対に譲らないけど、絶対に譲らなかったことは絶対に譲らないということになっている。もう、はじめっから、そういうふうに「なっている」。で、必ず、自分がやりたい時間は、自分が鳴らしたいでかい音で鳴らす。譲歩なんてしてない!! 一分でも譲歩しようとしたら、一分間腹が立って腹が立って、「どうして、俺がそんなこと、してやんなきゃいけないんだ!!」と爆発するような気分なのである。だから、「そんなことしてやるか」ということになって、ガンガン鳴らす。それなのに、「静かにしてやった」つもりでいる。恩着せがましい態度で、絶対に譲らない。これは、親父がやったことだけど、兄貴もやっている。そっくりなんだよ。全部、同じ。で、きちがい兄貴は、親父にやられたことだけはわかってるんだよな。そういう態度がどれだけ腹立たしいものか、自分の体験を通してわかっている。けど、自分が弟にそういう態度で接した。親父と同じ態度で、自分の言い分を通して、やってやらなかったにもかかわらず、やってやったつもりでいるということは、まったくわかってないんだよ。親父と同じでまったくわかってない。普通なら、これ、絶対にわかることなんだぞ。普通の人だったら絶対に、嘘をつく必要がないほど、わかることなんだよ。本当に親父と同じで、ま・っ・た・く・わかってない。その「わからない」度がすごい。人間のそれじゃない。まあ、普通の人のそれじゃない。だれだって、そうやってしらばっくれたいことはあるけど、そうじゃないんだよ。普通の人の場合は、やったことは、どれだけ本人が嘘をついても「知っている」。きちがい兄貴ときちがい親父は、知らない。それで、都合が悪いことに関しては「いつもいつも」そうなのである。毎日毎日、毎分毎秒、そうなのである。だから、毎日毎日、毎分毎秒、きちがい的な意地でやったことも、「やってないこと」になっている。で、自分はそんなことは一回もやってない」というような認知が成立している。だから、こっちにしてみれば「ゆるせないこと」を平気で言う!! もう、そればかりになる。それで、一〇年二〇年通しても……毎日そうしても、本当に毎日やってないのと同じことになっているのである。そういう認知!! そういう態度!! 頭にくる。頭にきて、死にそうなほど頭にくるよ!!

2016年9月14日水曜日

騒音で人生がないという話し11





騒音で人生がないという話し11。
だるいけど、がんばって出した~~


作風が暗すぎてあんまり宣伝できない。

みんな詐欺師みたいな人の言うことには賛成して、ゼミに行って、3万円も4万円もみつぐのに。
まあ、騒音サイコパスは、お得情報はないけどさ。

しかし、お得情報を求めている人は、本当に喜んで騙されに行くからな。

まあ、哲学系人間学系の話はあんまり、うけないよな。
自己実現、気付き、SNSのうまい使い方(もうけかた・ビジネス)といった感じのところには、金を出すのにね。けど、その人達が言っていることというのは、0円で落ちている。メンターとかマインドセットとか虚業のキーワード。しかし、本当に、そこでビジネスをするしかないようなところがあるな。

けっきょく、後発組の自営業が飯を食っていくには、そこらへんで儲けるしかないのかな。

人気云々を考えても、なんていうのかな、出し惜しみする人が、最初から騙すつもりで、話を作っている場合のほうが、だんぜんうけるんだよね。おかしいだろ。マインドセットって、騙すマインドセットだったりする。けど、やっぱり、そっちのほうが、旗色がいい。人気が出る。おかしい。

まあ、今日感じたのは、そんなところ。

あと、何万時間もやられたから、やっぱり、だるい。
もう、そういう点で、人気がある方には行けない。
そりゃ、明るくて、やる気がある人のほうがモテるからな。
これは、本当にそうだよ。


2016年9月13日火曜日

「譲歩した」とか頭がおかしいだろ!

横になっているとき、「兄貴、どうしてくれるんだよ?」という気持ちになる。これ、鳴らされているときから、ずっと保っていた気持ちなんだよな。で、それをガンガンぶつけたわけだけど、キチガイ認知の壁があって、まったく通じなかった。通じてなかったんだな。やっぱり、キチガイとしか言いようがないと思うけど。あれだけ言われてなにも感じないとか、やっぱりおかしい。あれだけでかい音で鳴らしていて、「そんなにでかい音で鳴らしたつもりがない」とかいまだに思っているんだろ。

そうやって、兄貴の嫁さんの前で言い訳してるんだろ。

じゃ、どれだけでかい音で鳴らしたら、「でかい音で鳴らした」ということになるんだ? きちがい的にデカい音で鳴らしても、きちがい兄貴の基準からすれば、「こんなのはたいしたことがない」ということになって、「たいした音で鳴らしてない」ということになるんだろう。それも、これも、全部、自分が実は、でかい音で鳴らしたいという気持ちから出ていることなんだよ。だから、自分が満足できるでかい音で鳴らしたい以上、自分が満足できるでかい音というのは、物理的にどれだけでかい音でも、「たいしたことがない音」「そんなにでかくない音」になってしまうのである。他の人が聞けば一発でわかることが、一五年間、どれだけ言われても、わからない……そういうしくみなんだよな。

だから、別に、「悪い」と思ってないんだよ。物理的に、どでかい音で鳴らしていると思ってないわけだから。普通の家でならしたらいけない音で鳴らしているつもりがないわけだから。で、きちがい兄貴は、「(弟が)そんなふうになっているなんて知らなかった」みたいなことも言っているんだけど、俺は、兄貴の騒音で、ものすごくくるしい思いをしたので、きちがい兄貴が鳴らしているとき、何回も何回も言ったからな。一四年間のトータルでいえば、本当に、何万回直接言ったかわからない。これも、もし認めてしまったら、自分が「本当に!」……嘘の情報じゃなくて、本当に譲歩しなければならないという、基本的な認知があるんだよ。無意識的な認知がある。だから、どれだけ言われても、きちがい親父のように無視して、一切合切気にしなかった。親父がやったことと同じだから。きちがい兄貴は、これまたわかってないから、「自分が親父みたいなことをしたなんて信じられない」みたいなことを言うんだろうけど、そっくりだよ!! 同じ!!! 態度が同じ!! 言っていることが同じ!! 認識が同じ!! 全部、やりきって……本人がやりたいように一〇〇%やりきって……「やったつもり」がまったく生じない。これも、もし認めてしまったら、自分がそんをするカタチで譲らなければならないからだ。自分がまったく損をしないカタチで、譲って、それで、「最大限ゆずってやった」と思っているのである。で、そういう認知のしかた自体がおかしい! 認知のしかた自体がおかしいと言われても、本人は、「やれるときは、全部やりきる」のである。一切合切認めない。困るんだよ。きちがい兄貴だって、親父の態度で困ってきただろ。親父の反応で困ってきただろ。それは、お金に換算するといくらだ? 暴力はあったか? お金に換算すれば、一番もめた金額だって二万円のことだろ。いま、二万円で、あれだけ支配されて、あれだけいちゃもんをつけられて、あれだけ我慢させられたどうなんだよ? きちがい親父が金で支配していたと言っても、社会的な視点で見れば、たいした額じゃないだろ。大人になってみればたいした額じゃないだろ。じゃ、それが、いまの金銭感覚で二万円のことだから、たいしたことじゃないと言えるのか? 当時、やられたことが、腹が立つことではないと言えるのか? そんなに重要な問題じゃなかったと言えるのか? 暴力の数だって、二回か三回だろ。それも、きちがい親父は、暴力を振るったということだけは、気にするんだよ。これも、頭がおかしい。暴力親父ったら、どれだけ話しが楽か。他の人がわかってくれるか。一発でわかるか? きちがい親父のやり方というのは、他の人に絶対わからない。しかも、親父自身がそういうことをしているつもりがないのである。じゃあ、それが、どうでもいいことかというと、違う。これ、違うんだよ。屈辱的なコードが、いっぱい盛り込まれている。それこそ、なぐられた方がどれだけ楽か。腹が立たないか。他の人にわかりやすくて、救済の手がさしのべられるか? 他の人にはまったくわからないかたちで、狂っているからものすごいことになる。で、一番問題なのは、本人は、つもりがないということだ。本人は、「やったってやってない」だからな。で、たとえば、一〇円二〇円のことでもめたにしろ、そこには、人間としてやっちゃ行けないことが含まれているので、一〇円二〇円の問題じゃないのである。これ、きちがい兄貴にしたって、こどものときに自分の言い分を通そうとしたら、親父をその場で、殺さなきゃならないんだよ。そういうことを、押し付けてきたんだよ。で、殺せないから、親父の言い分が通った。けど、これが、やった方は、自分の言い分が通ったと思ってないんだよ。これが、この問題のやっかいなところで、本当に人に屈辱的なことをして、自分の言い分を通しているのに、相手に譲ってやったと思っている。最大限ゆずってやったと思っている。これも、親父と兄貴で一緒だろ。同じだろ。同じ態度だろ。同じ言い分だろ。本当に腐っている。兄貴は、親父そっくり!! 親父がやったことを、そのまま、弟にやり返している。もちろん、つもりはない。「あたりまえのつもり」なのである。どれだけ言われたって、気がつかない。絶対の意地でやりきる。絶対の意地でやりきったのに、毎日毎日そういう制度を押し付けてきたのに、本人は、押し付けたつもりがまったくないのである。まったくまったくなにもない。だから、「こうだった」ということを言われると「そんなんじゃない!そんなんじゃない!!」となる。その時はその時で、もう、言われたことに関しては、我慢する必要がないのである。要するに、本人にとってやりたいことではないので、やろうと思ってない。だから、相手に「やるな」と言われる可能性が一〇〇%ないことなのである。そのこと!!自体!!!に関してはな。けど、「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と認めない態度が、当時の認めない態度と同じなんだよ。それで、「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」怒って、おしまい。自分が怒ったら、おしまい。そのあとなにを言われても、「やった」と思わない。そういう状態なんだよな。三六五日中、三六五日、まったく同じ態度。一〇年でも二〇年でも三〇年でも四〇年でも、まったく同じ。そういうしくみ自体は、ぜんぜん変わらない。だから、問題がふくれあがる。けど、本人は、まったくわかってないのである。自分が関わっている感じすらない。本人は、本当に「ゆずってやった」「できる限りゆずってやった」と思っているのである。実際には、一〇〇%譲らなかったんだけどね。

きちがい兄貴、きちがい兄貴にわかるように言うと……わからないんだろうけど、うちではヘビメタを鳴らさない……一日に一分も鳴らさないというのが、できる限りゆずったときの量だ。分数だ。できる限りゆずったら、一日に一分も鳴らせないんだよ。ぜんぜんわかってないんだろうけど。きちがい兄貴が、趣味で鳴らしていることだからな。できる限り譲ったら、一日に鳴らせる時間は〇分だ。一日中、まったく鳴らさないで譲ってくれた日数は何日だ? 一日ある。その日以外は、一四年間、一日も、譲ってくれてないから。できる限り譲るなんて、あり得ないんだよ。譲るというのは、鳴らさないで譲るということだ。僕のほうが譲歩してやって「ヘッドホンをつけていれば」いいよということにしておいてやっても良い。一日中、ヘッドホンをつけて鳴らして、それで、やっと、一日だけ、譲歩したということに鳴るんだよ。一日中、あんな音で鳴らし続けて、「譲歩した」とか「できるだけ譲歩した」とか頭がおかしいだろ!

2016年9月10日土曜日

「すっとぼけるのも、いい加減にしろ」と言いたくなるようなことばかり言う

俺もうつかれた。つかれた。ほんとーーーに、つかれた。いつもつかれているんだよな。これは、いまの問題だから。昔の問題じゃないから。ヘビメタ騒音を鳴らされていたとき、めちゃくちゃにつかれたけど、いまは鳴ってないのでつかれていないということじゃない。一五年……成長期の七年、八年、九年が与える影響がでかすぎる。本当にヘビメタ騒音をやられてから……ヘビメタ騒音生活七年目から……ずっと、つかれがとれない。

これも俺のせいにされるわけだけど、つらい。これも、俺ががんばればどうにかなる問題にされるわけだけど、どれだけがんばっても、やっぱり、つかれる。持続的につかれているわけで、どっかでよくなるということはないんだよな。本当に脳みそのどこかがやられていると思う。「騒音金属疲労」みたいな感じで、やられていると思う。睡眠回路がやられたのがでかい。休んでないから、くるしいのではなくて、休んでもくるしい。休んでないから疲れているのではなくて、どれだけ休んでも、つかれている状態だ。

これ、何回も言っているけど、普通の人が、朝起きたときのだるさをそのまま、一日中背負っているような状態だ。座ったまま姿勢を維持しようとしても、維持できないときがある。だから、横になるしかない。で、横になっていれば普通はつかれがとれるのだけど、とれない。つねに、終電のサラリーマン状態なんだよ。残業して終電に乗らざるを得ないような状態の人がいると思う。

で、それは、ただ、一日だけそうなのではなくて、何ヶ月、場合によっては何年も続いていると思う。その、五年目あたりの状態なんだよ。つねに、そういう状態。もう、ぼろぼろになって、回復能力がなくなっている……状態。だから、どれだけ休んでも、回復しない。

けど、他の人からみれば……。まあ、他の人からみても、「たるんでいる」「元気がない」「ぼーっとしている」状態にみえるわけだけど、しんどさはみえない。まあ、つかれているのはわかると思うけど。けど、それは、つかれているから休んでいいということではなくて、つかれていても、ぼやっとしないで、てきぱき、動いて欲しいということだから、意味がない。

まあ、調子がよいときに、出て行って、張り詰めて明るくみせれば、そんなに深刻な状態には見えないのだろうなと思う。けど、それは、睡眠リズムが、普通の人と合致しているときに、出て行って、がんばればということだから。一日だけだけどね。一日しか持たない。

二日目はだめだ。明らかに、やっていることに関心がないような(だらけた態度)になってしまう。これで、評判が落ちるんだよ。もう、本当、くるしいんだ。普通の人だと、二〇時間ぐらい起きている状態で、ちゃんとしようと思っても、ちゃんとできないような状態。まあ、二〇時間ぐらい起きているときでも、「ハイ」になる時はある。

こういうときは、「失敗」が多くなるから注意だ。だから、ハイになって空元気を出して動いているようなときも、本当は、元気じゃない。本当にこういうときは、不注意ミスが増える。前の日、眠らないで試験を受けているような状態だ。ものすごく、重要な試験。人生の左右してしまうような、重要な試験……。

そういう試験を受ける前、きちがい兄貴は、一二時間鳴らせなるら、絶対に一二時間鳴らして、一秒も譲ってくなかった。あれで、「静かにしてやったつもり」なのかよ。そーーいうのが、おかしいんだよ。で、きちがい兄貴もきちがい親父も、一度そういうモードになったら、こっちが、なにを、何万回言っても、そのままなんだよね。この「そのまま」度がひどいんだよ。

何万回、何十万回「静かにしろ」「鳴らすな」と怒鳴っても、本人は、まったくなにも感じないわけだから。これは、続けて、感じないということだ。言われたときだけ、怒っておしまいなのである。だから、「明日、入学試験だからやめろ」と怒鳴り込まれたあと、一〇時間、き○がい的にでかい音で鳴らしても、まーーった、く、平気なんだよ。本人は、一〇時間静かにしてやったつもりでいる。恩着せがましく静かにしてやったつもりでいる。本当は、五分間だけ、一〇〇分の一の音量だけ下げて九九の音で鳴らして、あとの一一時間五五分は一〇〇の音で鳴らしている状態。入学試験だろうがなんだろうが、そうなんだよ。一度こうなったら、何十年でも、毎日そうなんだよ。「うち」ではそうなんだよ。

本人がまったく問題を感じない。本人がまったく問題だとは思わない。自分は権利があって鳴らしている、がたがた言ってくる方がおかしい。静かにしてやったのになんだ!!後から後から言ってきやがって!!こういう気分にしかならない。こっちがどれだけ、真剣に頼んでも、こういう気持ちになって、ものすごくでかい音で鳴らす。

きちがい兄貴が、静かにしてやったつもりの音も、でかいから。

これも、どれだけ、言っても、通じないんだよな。きちがい親父のように、認めたくないことは、どれだけもめても、もめても、もめても、もめても、認めない。普通なら、絶対に、ひとことでわかりそうなことでも、わからないのである。どれだけ、何万回強く、言われても、まったくなにも言われなかったのと同じ状態を維持する。そういう認知構造。そういう神経! だから、まったく気にしないで、その日のヘビメタを、まったく譲らないで頑固に何時間も何時間も鳴らし続けることができる。

それなら、意地になって鳴らした……相手が言ってきたけど、相手のことは押さえつけて鳴らした……という認識があってよさそうなものなのに、そういう認識がまったくない。実際には、まったく静かにしないで鳴らし続けたのに、本人は、「じゅうぶんに静かにしてやった」「一日中静かにしてやった」と思っている状態なのである。だから、本当に、どれだけ、騒音のことで怒鳴り込まれても、まったくなにもやらなかったのと同じ気分でいる。その時も、そうだし、それを毎日一〇年間と一日続けても、一〇年と一日目には、まったく、なにもしてないつもりのままなのである。

だから、認知がおかしくなる。一〇年と一日、頑固に全部の時間、本当には譲らないで、兄貴の友達が驚くような音で鳴らしているのに、本人は、一〇年と一日、全部毎日、全部の時間静かにしてやったと思い込んでいる状態なのである。その一〇年と一日目に、どれだけもめても、そういう、認識システムが崩れないので、その日も、「じゅうぶん静かにしてやった」と思っている状態なのである。その日、七時間鳴らせるなら、七時間、こだわってこだわって、何回文句を言われても、何回怒鳴り込まれても、けっきょく、自分の意地を通して、自分が満足できるどでかい音で鳴らしたのに、まったくならしてない状態と同じなのである。

本人は、「全部ゆずってやった」と思っている状態で、鳴らす!! 頭がおかしい!! あれだけ、でかい音で鳴らして、そういうふうに思っているとしたら、本当に頭がおかしいと思うけど、「ごく自然に」「うちでは」「そういう状態」なのである。だから、まーーったく、疑問に思わない。本人が、疑問に思わない。で、ヘビメタが好きな兄貴の友達が「こんな音で鳴らして、うちのひとはなんか言わないの?」と兄貴に言ったその日も、そういうでかい音で鳴らして、なんとも思わないのである。その日だって、俺は、兄貴の友達が帰ったあと、さんざん「鳴らすな」「静かにしろ」とさんざん言ったからな。よその人は「一分で、普通の家で鳴らす音にしてはうるさすぎる」ということを理解しているのに、きちがい兄貴は、言われたにもかかわらず、ぜんぜん理解しないのである。

「だいじょうぶだいじょうぶ」と友達に言ってそれでおしまい。兄貴は、本当に「うちのひとは、だいじょうぶ」だと思っている。兄貴の友達が来るまで、何千日、俺がきちがい兄貴のヘビメタ騒音に文句を言っていると思っているんだよ。そういうのだって、おかしいだろ。他の人が一分間で理解することを、十数年間という長い時間鳴らして、まったく理解しない。兄貴が結婚したあとの時間を含めれば、何十年と理解してないのである。他の人が一分間で「普通の家で鳴らすには、でかすぎる」と思う音で鳴らしているのに、何十年経っても、「そんなにでかい音で鳴らしてない」とまじで思っているようなき○がいなのである。

で、そういうのが、徹底しているんだよね。「はじき」度がすごい。「認めない」度がすごい。骨がらみ。全部の認知がそうなっているんだよ。だから、本人は、普通にすごしているだけなんだよ。本当は、異常なことを、以上に長い時間繰り返してやっているのに、本人は、まったくなにもしてないのと「同じ気持ち」でいる。

だから、(兄貴は)俺に対して、特にうらみがない。自分(きちがい兄貴本人)も俺(弟)に対してそんなにひどいことをやったつもりがない。人生に影響を与えるようなことを、やったつもりがない。※やったつもりがないとなったら、「相手からどれだけ、何年間、何十年間言われても」ぜんぜんやったないつもりのままなんだよ※。だから、相手がなんで怒っているのか、ぜんぜんわからない。自分がやったことじゃないと思っている。自分はまったくうるさくしてないのに、相手が文句を言ってくる……ぐらいにしか感じない。で、鳴らしている一五年間毎日も、そういう状態なんだよ。どれだけ、激しく言われても、そういう認知が、ひっくりかえらない。ふつーーに、時間がすぎていく。ふつーーになにもしてないつもりで、時間がすぎていく。

本当は、き○がい的にでかい音で、き○がい的な意地で鳴らしているのに、そして、さんざん文句を言われているのに、相手に迷惑をかけるようなことは一切していないという気分が成り立っている。頭がおかしい。そういう程度に、排除している。だから、本当に、言われた一瞬だけ腹を立てて、頑固に鳴らして、それで、おしまいなんだよ。言われなかったことになってしまう。言われなかったことに鳴ってしまうのは、自分が、本当に静かにしてやる必要がないからだ。本当に、静かにしなければならないとなったら、本当に静かにしなければならない時間、ずっと、腹を立てている状態になる。腹が立ってしかたがない状態になる。弟が、静かにしてくれと言ってきたから、一時間静かにしてやるとなったら、一時間、ずっと腹が立つ状態ですごすことになる。

実際には、一時間我慢して静かにしてやったことなんてないから、そういう気持ちがあるということにすら、気がつかない。本当に静かにしてやらなければならなくなるのは、死んでもいやなんだよ。きちがい兄貴が、気がついているのか気がついていないのかわからないけど。三分間、本当に我慢させられたら、三分間、腹が立って腹が立ってしかたがない状態になる。

三分ですら「こんなのやってられるか」「なんで我慢しなきゃらないんだ?」という気持ちになって、鳴らしまくる。感情的に爆発して、絶対に鳴らそうとする。一分だってそうなんだよ。本当に静かにさせられたら、それはそれは、もう、発狂がとまらない状態になる。「なんだ!!!」と怒り狂って、鳴らし始めてしまう。

そうしたら、そのあとはどれだけ鳴らしてたって、鳴らしてないのと同じ認識で、鳴らす。ガンガンどでかい音で鳴らしているんだけど、発狂したあとやっていることは、「ノー感じ」なのである。やっているつもりがない。やっているのに!! で、本当は毎日毎時間毎分毎秒、そうなんだよ。禁止されれば、そうなる。鳴らしたいのに、鳴らせないとなったら、そうなる。

そういう気持ちがわかなかったのは、本当に静かにしてやる時間というのが、一日に一秒もなかったから。本当に静かにしてやる時間がなかったから、そういう感情にならなくてすんだだけなのである。きちがい兄貴が静かにしてやったつもりの時間も、兄貴の友達が驚くようなでかい音で鳴らしているから。で、これ、耳が正常なら絶対にわかることなのに、わからないままなのである。

だから、いまだに、ふざけたことが言える。

家族の前で「よく言うよ」というような言い訳をすることができる。この場合の家族というのは、いまの兄貴の家族ということだ。兄貴の嫁さんと嫁さんの親の前で、「弟が言っていることは嘘だ」という言い訳をする。事情を知っている人間からすれば「すっとぼけるのも、いい加減にしろ」と言いたくなるようなことばかり言う。親父おんなじ。まったく同じ。親父もそうなんだよ。親父がやってきたことを知っている人間が聞けば「すっとぼけるのも、いい加減にしろ」と怒鳴りたくなるようことしか言わない。こんなのと、話ができるわけがないだろ。こんなやつらと、「は・な・し・あ・い」ができるわけがないだろ。本当に、こういうことがわかってないから、よその人に「うちのこと」を相談しても無駄なんだよ。よその人は「家族で話し合えば良い」「お兄さんに言えばいい」とアドバイスをくれるだけだから。

これ、いま書いたことを読んだ人ですら、「そんな人はいない」というような考えにこだわるなら、俺の言っていることが、変なことのように思えるわけだよ。俺の記述こそが嘘だと思うわけだよ。「そんな人はいない」わけだから。で、「そんな人はいない」と思っている人は、俺の文章を読んで怒る。怒りを感じるんだよね。どうしてかというと、「そんな人はいない」と思っている人の平和な世界を壊したから。その人の世界というのは、「そんな人はいない」という認識の上に成り立っているんだよ。

だから、「いる」という俺の言葉を聞けば、「そんな人はいない」認識の上に成り立っている平和な世界が、壊れる。これは、完全に壊れてしまうわけではなくて、おどしを受けるということだ。ショックを受けるということだ。いままで、地震がなかったのに、ぐらっとしたわけだ。「そういうことがある」ということを言っている人が目の前に現れるわけだから。まあ、少なくても言葉は現前するからね。それは、その人の自我に一撃を与えるのである。それが、「不愉快」「怒り」という反応をうむ。「そんなんじゃない」だけだから……。俺は「そういうこともあり得る」ということを言うわけだから……。この差なんだよ。

だから、「そんな人はいない」と思っている自我を持っている人は、俺の言葉に腹を立てる。「そんな人もいるだろう」と思っている人は、そういう自我を持ってないので、「あなたの、お兄さんとお父さんはそうなんだろうな」と思うだけだ。「そういう人もいる」と思っている人の自我は、別に傷つかない。最初からいると思っているわけだから、不安にもならない。「そんな人はいない」と思っている人は、不安になって怒る。そして、否定する。

   *     *     *

本当に、俺が二一歳の時ですら、どれだけどれだけもめても、一分も静かにしてくれなかった。これが、きちがい兄貴がこの世で本当にやったことだ。毎日毎日、あたりまえのこととしてやっていたことだ。それが、「やってない」とか「静かにしてやった」とか……。本当に!!!そういうことだから、一秒も静かにしないで、静かにしてやったつもりでいられるんだろ。で、この鳴っている一日というのが、耐えがたい一日なんだ。これは、誰に言ってもわからないと思うけど、僕のなかでは、いまでも同じ風が吹いている。いまでも同じ空気を吸っている。いまで同じ知覚のままだ。

だから、くるしい。毎日、毎分毎秒、くるしい。こんなの、クリスを飲んでも解決しない!! きちがい兄貴が、一日目に普通に静かにしてくれることが、絶対に必要だった!!!

事実は、十数年間にわたって、シランプリで鳴らしまくった。一日に一秒も静かにしないで鳴らしまくった。……そういう人生だ。で、これ、いま書いているけど、一一歳の時には、書けたわけだからな。うまく説明できるとは思えないけど……。本当に聞き手が、俺みたいな経験をした人じゃないと、一一歳の俺が、どれだけ説明してもわかってくれないんだよな。それから、うちにきて、兄貴を羽交い締めにして、静かにさせてくれるわけでもない。監視をするために、うちにとまってくれるわけでもない。けど、きちがい兄貴が、一日に一分だって静かにしないわけだから、そういう人がいなければ静かにならない。まあ、外部の人がいても、静かにするかどうかわからないけどね。その外部の人だって、「うち」にずっといるなら、「うちの人」になってしまうわけだから。「うちの人」の言うことは、絶対に聞かない。これが、親父が作った、うちの伝統だ。で、こんなの、ほかのひとにはわからないだろ!!

2016年9月6日火曜日

そういう「あたま」は、こっちがどれだけなにを言っても、どれだけ激しく喧嘩しても、言い合いをしても、まったく変わらないんだよ

兄貴!本当に、あれだけ頑固にしつこく鳴らし続けて、「鳴らしたつもり」がないのかよ? 鳴らしている当時、あれだけ頑固にしつこく鳴らし続けて、「鳴らしたつもりが」ないのであれば、そりゃ、いまどれだけ言われたって、「やった気」がしないよな。

だれか、他の人がやったことのように感じるよな。あるいは、自分はやってないのに、やったと言われる」と感じるわけだ。これ、おかしいよ。これ、本当、きちがい兄貴は普通に無視して、鳴らしてたけど、普通の家だったら、一日でもひ・ど・い・こ・とだから。

こんなの、中間試験期間中に鳴らしてたら、普通の家だったら、一喝されておしまいなんだよな。一喝されて、一日中鳴らさないで!静かにするしかなくなる。実際、よその家……「うち」以外の家じゃ、普段の日だって鳴らせないわけだろ。一分だって!! これ、おかしい。本当に、きちがい兄貴が自己催眠で、たいしたことじゃないことにしてしまったんだよな。で、それは、親父と同じなんだよな。本当に親父のやり方で無視して、親父やり方でこだわって、親父のやり方で頑固に、全部やりきる。で、親父のやり方で、「まったくやってない」と思っている。「譲らなかった」と言われたら「ゆずったゆずった」。

「静かにしてくれなかった」と言われたら「静かにした静かにした」だ。一〇年後、二〇年後三〇年後の態度がまったく同じ。きちがい親父は、一五年間で二回しか注意してないのに、「注意した注意した」だよ。小学六年生から、中学三年生の入試前日まで、一度も注意してない。だから、小学六年生から、中学三年生の入試前日まで、一度も注意してないと、親父に言ったんだけど、そうしたら「注意した!注意した」って言いやがった。

病気なんだよな。頭の病気。

これ、嘘をついているつもりがないんだからな。その、鳴らし始めてから、三年と数ヶ月後に、一回だけ注意したときだって、俺が!「家族会議!!!家族会議」と騒いでやっと、実現した家族会議の席で、きちがい兄貴のほうをみないで「静かにしてやれ」と、ぼそっと言っただけなんだよ。小学六年、中学一年、中学二年、中学三年の入試直前まで、どれだけ何回言っても、「なっちゃったらしかたがない」と言って、注意しなかった。俺に、怒ってたんだからな。「裁判するから、測量の金を出してくれ」と言ったときだって、「そんなのできるわけないだろ!!」「裁判なんてできるわけがないだろ!!」と言って、怒って、お・し・ま・い・だ。

注意できるときに、どれだけ言っても、言うたびにそんな調子だったんだぞ。毎日そういう調子だ。だから、三年間と数ヶ月、一回も注意したことがないのに、「注意したことがない」と言うと、「いっぱい注意した!!いっぱい注意した!!」と興奮して言う。かわらないんだよね。あそういう頭が!!! ぜんぜんわからない。だ!!!か!!!ら!!!!困っているんだよ。兄貴も同じ。兄貴のヘビメタで困っているのに、どれだけ何回言われても、自分はまったく関係がないつもりでいる。

これも、兄貴の頭だと、そうなんだよ。で、どれだけ何回言っても、そういう構造がわからない。だから、それと似たような感じ方で、実際にやっているときは、押し切る!! これ、本当に、お・し・き・る。親父のように押し切る。「試験だから困る。だからやめてくれ」と言われても、自分が精一杯、でかい音で鳴らしたい以上、絶対に、でかい音で鳴らすのである。で、それは、一分だってゆずらないということになっている。

これはもう、そうなっているから、そうなっているというような頑固さで、絶対にどんなことがあっても、どんなことを言われても、譲らない。だから譲ってないのに、本人は、「ゆずってやった」「ゆずってやった」「静かにしてやった」「静かにしてやった」と言って、ゆずらないことになるのである。譲らないんだよ。これもまた。

で、親父と同じで、自分がそういうふうに言って「切れちゃったら」それで、お・し・ま・い・なんだよ。どれだけもめてたって、それでおしまい。兄貴は、むすーーっとした顔をして、二階に行って鳴らす。普段通りに、ばかでかい音で鳴らす。だから、鳴らしているのに、……入学試験の前だって、中間期末試験中だって鳴らしているのに、「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」って!!なる!!!! じゃあ、ヘッドホンをして静かにしてくれるのか、鳴らさないで静かにしてくれるのかというと、それは、一秒だろうが絶対にない!!

そういう毎日だ。で、本人が思う存分、好きなだけ、鳴らすことができるなら、一秒も我慢しないで、普段のでかい音で鳴らし続けることができるなら、「そんなのやってない」「静かにした」「静かにした」ということになる。で、そういう「あたま」は、こっちがどれだけなにを言っても、どれだけ激しく喧嘩しても、言い合いをしても、まったく変わらないんだよ。

一〇年、二〇年、三〇年、ずっと、毎日そういう「あたま」だ。毎日毎日、そういう「あたま」ですごしていて、まったくなにも変わらない。「やめてくれ!うるさい!!静かにしろ!!」と怒鳴り込んだ最初の日から、一四年と六〇日目まで、まーーーったくなにもわからない。

だから、一四年と六〇日間やっているのに……どかどか非常識なでかい音で鳴らしているのに、一四年と六〇日間どかどか非常識なでかい音で鳴らしたと言われると、「そんなんじゃない」「静かにしてやった」とむすーっとした不機嫌な顔で言うことができるのである。ぜんぜん、悪いと思ってないんだよ。こういうしくみがズーーーっと成り立っている。毎日毎日ずーーーーっと成り立っている。

こまるーーーー。ほんとうにそっくり。無視すれば、どうにかなることじゃなかったんだよ。無視しているあいだも、きちがいヘビメタが俺の体をむしばんだ。そして、むしばまれた結果、生まれたあれやこれやに関して、俺が、だめ出しをされる。責任追及される。「最初からそんなものだ」と思われる。「ヘビメタ騒音?がなくたって、そんなものだ」と思われる。こんな屈辱のなかで、生きていけるわけがないだろ。けど、これも、僕とは違う個体にとっては、どうでもいいことなんだよ。本当にどうでもいいことであるわけ。


2016年9月4日日曜日

これと、朝のしんどい状態がある以上、だめだな

いまさっきまでやばい状態で寝てた。昨日の夜、眠って、普通に朝起きたんだけど、途中で座ってられなくなって横になったら眠ってしまった……ようだ。からだがくるしいんだよね……おもに……おもに……。

なんか、野菜が欠乏している感じがする。ビタミン剤は飲んでいるんだけど、効かないのかな? いや、そういう問題じゃないか。ヘビメタ騒音騒音問題に絡んだ意欲の問題なんだよな。だって、からだの調子が、「騒音で疲労ピーク状態」と同じだから。この雰囲気、この雰囲気……。

「もうやっぱ、だめか」と思う。もう何回も思っているんだよな。小便に起きたとき、思った。小便をしようと思って、体が動かないので横になっているとき、そう思った。本当に地面にたたきつけられているようなしんどさがある。くるしいんだなぁ~~。

ダイヤ、同じだよ。ヘビメタ騒音……。
あのときと同じだよ……。しんどい。死にたい。つかれた。

本当、つかれたな。このつかれは、どうにかなんないのかぁ??

これと、朝のしんどい状態がある以上、だめだな。これ、本当、言いようがないんだよな。ヘビメタ騒音生活五年目あたりからの、ひどい疲労が……積み重なっている。累積赤字。日に日に良くなっているんじゃなくて、日に日に累積赤字がたまっていく状態なんだよな。

もう、回復機能がフル回転して、それで、ヘビメタ騒音五年目あたりに、こわれちゃったんじゃないかな。そんな感じがしてならない。で、この疲労とか、朝のだるさと言っても、他の人にはわからないんだよね。そりゃ、多少の騒音を経験したことはあるだろうし、だれだって、通勤に二時間かかるようなところに通っていたら、累積疲労がたまってくるわけだけどさ。けど、そういう人でさえ、きちがいヘビメタ騒音に、ずっとさらされているわけじゃないんだよな。何年間もずっとさらされていたわけじゃないんだよな。帰れば、ちゃんと眠れるんだよな。ひどい残業常態は抜かして。

だいたい、きちがいヘビメタが、日曜日と土曜日に、増えてしまうというのが問題だ。これが、地味に問題だ。一番問題だ。き・れ・め・な・く、続いているわけだからな。休みの日が、休みにならない。休みの日に、きちがいヘビメタ騒音を浴びて、狂ってしまう。つかれてしまう。きーーってなっている状態だ。ヘビメタ騒音も、高音のキーーーーという音があるけど、こっちの気持ちがキーーーってなるんだよ。なりっぱなしなんだよ。なっているあいだずっと……。くるしいんだよ。鳴っているだけでくるしいんだよ。

あれ、きちがい兄貴は、「鳴らしてないつもり」だったのか? 俺は、夏休みもそのあとも、一日に、何回も何回も怒鳴り込んで、さんざん言ったからな!!! こういう、マジック。一日に何回も何回も、言われているのに、本人は「知らなかった」「そんなの知らなかった」とまじめに言える。頭がおかしいから。

どれだけの意地で鳴らしたと思っているんだよ。どれだけの意地で排除してきたと思っているんだよ。これ、親父の態度と、ほんとうに~~~に、同じなんだよな。自分にとって不都合なことを言われたときの態度と同じ。自分がやっていることを、やめてくれと言われたときの態度と同じ。血相を変えて、顔を真っ赤にして、目を三角にしてして、黙りこくって、やるんだよ。

それで、「やったつもりがない」。「やった」と言われると、「やってないやってない」ってなる。頭がおかしい。本当に、頭がおかしい。そういう態度で、やりきる。その時、こっちが意地を通して、やめさせるとしたら、殺さなきゃだめなんだよ。問答無用で……。

だいたい、相手は、発狂して、一切合切口を利かないで、やりきるわけだから……それで、「やってやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」だからな。これ、親父がやり始めたことなんだよな。些細なことで、全部、そうする。きちがい的な維持がかかっている。どんな些細なことでも、きちがい的な意地がかかっている。絶対におれない。

きちがい的ないいわけをして、やりきる。……やっている最中は、口を利かないけど……都合が悪いから口を利かないけど……前後の会話かある……場合がある。電球事件だって、自転車事件だって、ハンダゴテ事件だって、そりゃ、前後の会話がある。か・い・わ?? 会話とは言えないものなんだけど、やりとりはある。で、それがまた、頭がおかしい前提があるんだよな。自分が認めたくないものは、どれだけ明らかなことでも、やったことでも、やってないことになっている前提というのがあって、本人は、嘘をついているつもりがない。

けど、それは、いっくらなんでもおかしいという前提なんだよな。けど、そういう前提があるということは、本人よって、明言されない。隠された前提なんだよね。で、その隠された前提というのは、普通に、自分がやったことを認知できるのであれば、おかしいことなんだよ。けど、ぜんぜん、おかしくないと思っている。で、話がずれる。頭がおかしいから。頭がおかしい人の、隠された前提っていうのは、知覚・認知システムを無視している。おりまげている。

本当に、「やったってやってない」が成り立っている。頭がおかしい。強烈に自分にとって都合がいい前提で、現実を無視する。もちろん、現実を無視しているということは、本人にはわからない。だから、本人は、矛盾に気がつくことが永遠にないんだよね。……そういうやり方なんだけど……親父がやりはじめて、きちがい兄貴が、ヘビメタ騒音に応用した。※ヘビメタ騒音をやっているときの態度というのが、親父の態度と同じなんだよ※。ヘビメタ騒音を鳴らしているときに、「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言われたら、親父と同じ態度で、対応してくる。

対応してこないといった方が良いのか? ともかく、些細なことに関する親父の態度は、ヘビメタ騒音に関するきちがい兄貴の態度とまったく同じ。で、本人がまったく気がついてないというのもまったく同じ。こういう態度でやったことは、本当に「やったってやってない」が成り立っていて、自分がやったことじゃないのである。じゃあ、やめてくれるのかというと、それは、絶対にないという困った態度なんだよな。


そりゃ、そういう人間が家族にいない人にとってみれば、「そんなのどうでもいいじゃない」「無視すればいいじゃない」ということになるんだろうけど、そうはいかない。きちがい兄貴は、きちがい親父のことは、ものすごい意地で無視したんだよ。それこそ「無視すればいいじゃない」というような助言を実行したわけ。「無視しなければ」、本当に自分の心が壊れてしまう。

これ、本当に、こわれる。

尋常なシステムが成り立ってないわけだから。しかも、相手は、親という特権的な立場を持っている人間なのだから。そして、こどもと親の年齢差がある。こども側の人間が小さいときのこの年齢差は圧倒的だ。で、親父の一番「みにくい部分」が、小さいこどもの上に、のしかかる。暴力がともわなくても、暴力的なんだよ。発狂状態なんだから。

きちがい親父にとっては、絶対の意地で通したいことなんだから。この、絶対の意地で通したいことというのが、むちゃくちゃなんだよね。これ、絶対、普通の人にはわからないんだよな。一〇〇〇〇分の一でも、当時の親父にやられたら、わかるんだけどね。「なんだ!!あいつはぁ!!!」と発狂して、ゆるせない状態になる。普通の人だってゆるせることじゃないのである。

けど、そういうことを何万回、何億回、何兆回とやられた人間に、「親をゆるせ」ということをいってくる場合があるんだよな。「親をゆるせ」と強要してくる場合がある。本当にぜんぜんわかってないんだからな。だから、エセスピ系(似非スピリチュアリズム系)の人は……。嫌なんだよな。本当にわかってないから。似非じゃなくて、スピリチュアリズム系の人はわかっている。わかっている人は、わかってるんだよな。だから、似ているようでも、言っていることが一八〇度違うということになる。

2016年9月1日木曜日

自我は感知してない。自我の記憶には残らない。

本当に、音の質が違うんだよ。音のでかさが違う。隣の人がバイオリンを弾いたり、ピアノを弾いたり、三味線を弾いたりしているけど、違うんだよね。確かに聞こえる。けど、それとは違う!! ヘビメタ騒音は別次元のうるささなんだよね。実際に、兄貴の鳴らしていた音は、ピアノよりも、ずっとずっとずっと、でかい音だ。

「なにも、あんなでかい音で鳴らすことないだろ」と誰もが思うような音で、鳴らしている。そして、それに、こだわりつくした。そういうでかい音で鳴らさないと感じが出ないらしく、普通の音で鳴らすということがなかった。

これは、一分もない。鳴らすなら!「本人が静かにしてやったと思う時間も含めて」……でかい音で鳴らさなければならないという気持ちになっていた。

で、その気持ちは、何十年間も変わることがないのである。実際には、一五年間しか鳴らさなかったけど、その一五年間、絶対の意地で、その『音のでかさ』にこだわって鳴らした。『自分が鳴らしたい音』……にこだわりつくして鳴らした。だから、兄貴が鳴らしているのに、『普通の音』で鳴らすということがないのである。ピアノやバイオリンぐらいの音で鳴らすということが、絶対にない。

意地でも、自分が満足できる音で鳴らしていた。その兄貴が満足できる音というのが、「ありえない」ぐらいにでかい音なのである。普通の人からすれば「ありえない」ぐらいにでかい音なのである。ヘビメタが好きな人が聞いても、「こんな音で鳴らして平気なの?」と思ってしまうようなでかい音なのである。物理的にでかい音なのである。

これを、俺が、これだけ書いているのに、まるで無視するやつらがいるんだよな。そういうやつらは、まるで、ヘビメタが『普通の音』だったのに、俺がこだわっているから悪いんだみたいなことを言ってくる。これが、まさしく、きちがい兄貴の言い分なのである。

自分は、絶対にゆずらない。きちがい兄貴は、こういう感覚で、『どでかい音』だということを認めずに、静かにしないのである。もう、これは、決まっていて、絶対にゆずらない。自分が満足できない音まで、物理的な音をさげるということは、絶対にない。

これは、もう、鳴らし始めたときに決めているわけで、それが、最後の最後まで、成り立っている。

だから、あとは、どうやって、自分が本当は、『どでかい音』で鳴らしているということを無視するか、相手が言ってくることを(弟が言ってくることを)無視するかということになる。無視のしかたは、うちの親父と同じなのである。無視しているつもりがないまま、実力行使で、押し切るということだ。

で、押し切っても……何千回、何万回、何億回、押し切っても、自己催眠をかけているから、押し切ったことになってないのである。これが、親父や兄貴の、きたないーーいところで、この自己催眠が完璧なんだよね。

絶対に、破られることがない。どれだけなにを言われても、その自己催眠は、完璧で、本当は矛盾があることを、押し通す。しかも、本人は、矛盾があることを押し通したつもりがない……完璧にない。だから、相手にしてみれば、こういう態度は、頭にくるものなのだけど、本人は、もちろん、相手をそういう態度で、いらだたせているつもりはない。

で、そのまったく関知しない態度が、また頭にくるんだよな。そういうことになっている。で、こういうことが、サイコパス頭の中で一度成立したら、絶対に、ひっくり返らない。もともと、本当に静かにするのは絶対に嫌だから、そういう自己催眠をかけているわけで、もとの目的は、(しらんぷりのまま)押し通すのである。

で、うちの兄貴は、その自己催眠が、完璧なんだよな。だから、まったく「つもり」がない。どれだけ言われても、……言われたときは、腹を立てて頑固に鳴らすけど……まったく気がつかない状態なんだよな。

全部、毎日、毎時間、毎分、毎秒、そういう状態なのだから、どれだけ言っても、きちがい親父のように、「はねのけるだけ」なのである。で、「はねのけるだけ」なので、鳴らし切っているのだけど、本人は、「ゆずってやった」と思っている状態なのである。要するに、「問題はない」と思っているわけで、自分が鳴らしていることが問題だ、自分が鳴らしている音が問題だとは、つゆとも思わないのである。だから、まったく悪いことをしたと思わない。

本当は、本人が一日でも、別の音で!やられれば、腹が立って腹が立ってしかたがないことなのに、自分がヘビメタでやっているぶんには、どれだけやたっって、相手の迷惑には鳴らないのである。それは、相手がどれだけ言ってきても、相手の迷惑にはならないと思っている状態がずーーっと続くと言うことなのである。

だから、静かにしない。静かにしないようにがんばっている。静かにしないように、一切合切を無視して、鳴らし切る。だから、それは、自分の行為なのだけど、自分の行為ではないのである。だから、「そんなつもりじゃなかった」ということになる。この「そんなつもりじゃなかった」という気持ちになるまでには、一六年以上の歳月が必要なのである。一六年目に、「うちで」鳴らす、気持ちがなくなった。「うちで」鳴らす必要がなくなった。

だから、それまでの一五年間のことは、自分(うちの兄貴)にとってまったく「知らないこと」なのである。「そんなつもりじゃなかった」ことになってしまうのである。まだ、「うちで」鳴らさなければばならないうちは、絶対に、「そんなつもりじゃなかった」などと言って認めることがないのである。「そんなつもりじゃなかった」と言ってしまったら、次の日から、あるいは、その時点以降、自分が思ったとおりの音で鳴らせなくなってしまう。

で、自分が思ったとおりの音で鳴らせなくなるというのが、たとえ、一日に一時間であろうが、一日に一分であろうが、ぜーーーーーーったいに嫌だから、そういう状態を成立させているのである。で、自己催眠と同じことなんだけど、そういう状態を成立させていることに関しては、まったく、関知しないのである。自我とは切り離された無意識的な部分で成立させているので、どれだけ言われたって(不機嫌になって怒るだけで)(顔を真っ赤にして怒るだけで)認めないのである。自我は感知してない。自我の記憶には残らない。

もし、認めてしまったら、自分が普通に静かにしなければならなくなる。それは、命にかえても絶対に嫌なのである。だから、全部毎日、そうやって、親父的なやり方で、やり通してなにも感じない。どうして、なにも感じないかというと、自分が鳴らしたい音で鳴らしているからだ。

だから、兄貴が譲ったと言っても、全然譲ってない状態が成立する。全然譲らないで、鳴らしているのだけど、本人はゆずってやったと思っている状態なのである。きちがい兄貴にそういう構造が成り立っている以上、きちがい兄貴と話しても、無駄なのだ。

けど、それが他人にはわからない。だから、俺がヘビメタ騒音について他人に相談すると、他人は「お兄さんと話し合えばいい」というようなことを言う。いまですら、ヘビメタ騒音のことを相談すると、そういうふうに言われる。これが屈辱なんだよな。まあ、他人としてはあたりまえの反応なので、怒りはしないけど、なんていうのかな、距離を感じる。壁を感じる。相手のなかでは、「お兄さんは普通の人間」なのである。俺が、ヘビメタ騒音の長さと、でかさについて説明しているのに……。普通の人間じゃないから無理なんだということが、根本的にわかってない。

まあ、「おまえだって人にアドバイスをされて、怒ってじゃないか」と思うかもしれないけど、それはちょっと、しくみが違うんだよ。相手……問題の相手がサイコパスかどうかということで違ってくる。問題の相手が、サイコパスではないのに、いまの大学をやめるべきなのか、続けるべきなのか、というのとはぜんぜん違う。友だちができないので今の大学をやめたいというのとは、ぜんぜん違う。友達候補が全員サイコパスだから、サイコパス的なことにこだわって不退転の決意で自分をいじめてくるというの場合は、同じだけどさ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。