2017年2月26日日曜日

「ゆ・ず・る」なんてことがあるわけがないだろ

いま、なんとか復活してかける状態になったけど、今日の昼間はひどかった。普通の人が働いたり、行楽に出かけたりしている時間……ぼくは寝床で横たわっている。寝床で横たわっているのは、楽そうだけど、苦しい。どーーしても、納得がいかないんだよな。あいつのやり方に納得がいかない。兄貴はあれだけこだわってすべての時間!鳴らしたのに、たいして鳴らしてないつもりだ。鳴らしているときはそういうやり方で鳴らすんだよ。本当に一秒だってゆずらない。きちがい的に意地になってやったことは、全部やってないことと「おなじ」なんだよな。うちのやつらは。兄貴と親父は!! だから、これまた、他のひとには話が通じないというとになる。うちでは、意地になってやっている人たちが、よその人の前だと、「やっている」ということを認めない。で、本人だけは!!……本人たちだけは、嘘をついているつもりがないんだよな。全部毎日、こういう構造でやりきるようにできている。「ゆ・ず・る」なんてことがあるわけがないだろ。きちがい的な通じなさで、やりきって、本人はまったく関係がない人のつもりで居るだけだよ。これ、「張本人」がまっーーたく、関係ない人のつもりでいるんだよな。「あなたがこだわってやったから!!!問題が生じている」「こっちが、やめてくれと言ったときに、やめてくれたらこまってない」ということが、どこまでもわからないんだよな。実際にやるときは、絶対の意地でやりきって、やり終わってしまえば、やってないつもりになる。まったく関係がない人のつもりになる。

このしらばっくれ方が強烈なんだよ。本当に頭の病気。脳みその機能障害。脳みその機能障害なら、無罪放免になるかというと、ならないと思う。けど、こういうことだって、俺が世間の人ともめることになる。「脳みその機能障害ならしかたがない」という意見を持っている人が案外多い。それじゃ、やられたほうはどうなんなるんだよ?? と問いたい。問いたい!!!

血相を変えて、絶対の意地でやったことは、「やってないことになっている」ってそんなことがあるわけがないだろということになるんだけど、あるんだよ。「やってないのとおなじ」なんだよ。「やってないことになっている」か「やってないのとおなじだということになっている」。ともかく、うちでは!!!強烈に意地になってやったことは、全部!!!!やってないのとおなじことなんだよ。精神的には、おなじこと。兄貴の場合は記憶はあるんだろうけど、いろいろなところを言い換えて無効化する。いろいろなところを言い換えて無効化するというのは、やっているときから、やっていることだ。(成立している)。




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2017年2月24日金曜日

あー、いまが一番若いのか。これはなんの罰ゲームだ?

まあはっきり言うと、きちがい兄貴が鳴らさなければよかったんだよ。それだけだ。ポジティブシンキング、認知療法、認知行動療法、行動主義心理学、開運方法うんぬんに関して言うと、ぼくのほうがどうも旗色が悪い。実際、ぼくは苦しいわけだし悩んでいる。もう、そこで、勝負がついている感じもする。けど、ぼくが言っていることはアンチテーゼとして正しいと思う。問題はあるわけだからさ。「そんなんじゃない」世界があるんだよな。だから、そんなんじゃない世界にいた人間としてはどうしても、言わなければならないことが出てくる。そういうことなんだよ。だいたい、ぼくが言っていることをよく読めば、「そんなのだめだ」という意味で否定してない。「すべてではない」ということを言っているだけだ。

ともかく、きちがいヘビメタ騒音という体験がでかすぎる。で、それは普通の人にはない。ぼく以外のひとにはないことだ。で、たとえば、うちでの「兄貴の態度」やうちでの「親父の態度」というものは、他のひとにはわからないことだ。けど、それがベースになっている。「やったってやってない」ときちがいが騒げば、きちがいの中では、「やってない」ことになってしまうというような、普通の人には信じられないことがあたりまえに発生する「家」の状態なんて、わかるはずがない。そこでの人間関係なんてわかるはずがない。だから、「そんなのはない」という前提でものを言ってくる。それで、ぼくが板挟みになる。きちがい兄貴は、その人たちが言うように、注意しても、鳴らすわけだからさ。鳴らすとなったら、自分が使えるすべての時間を使って鳴らすわけだから。一分だって一秒だって、ゆずらない。けど、ゆずらない、あるいは、ゆずっていないということが、特殊な考え方の持ち主だからわからない。本当に、そうやって、毎日こだわりつくしてやっているのに、「やってないつもり」のままなのだ。どれだけ、言ったってむだだ。何万回、何十万回言ったって、むだだ。その構造が変わらない限り、うちではやり抜くし、やってないつもりでいられる。これは、ぼくの文章が矛盾しているのではなくて、兄貴の意識が矛盾しているだけだ。これも、他のひとにはある程度不愉快なことなんだろうなと思う。つまり、そういうことを聞くこと自体が、ある種の他のひとにとっては不愉快なことなのである。

本当にこの世は地獄だよな。きちがいがやり勝ちして、それでおしまいだ。責任なんてとりゃしない。やっているときは、意地になってやって、やっていると言うことを認めない。頑固にやり切るけど、……絶対にやめないけど……特にやっているつもりがないという状態が成り立っている。こんな卑怯な話があるか? ある。うちでは、あたりまえだ。うちでは!!!それであたりまえで、きちがいがやり勝ちする。やり勝ちしたきちがいは、まったくやったつもりがないままでいられる。こんな話があるか? ある。あるからある。
本当に、本人はやったつもりがないのだろうけど、やっているときの意地はなんだ?? なんか、やったつもりのなさと、やっているときの意地は正比例するんだよ。反比例じゃなくて、正比例する。意地になって意地になって、頑固にやったことこそが、「特につもりのないこと」なのだ。どれだけ、こだわってこだわって、執着してやったと思っているんだよ??? きちがい兄貴!!!

執着して、頑固にやったことは、「とくにつもりがないこと」なのである。いつもいつもそうだ。執着してやったことというのは、自分が折れてしまったら、やめさせられるようなことなのである。相手がやめてくれと何回も何回もいってくることなのである。だから、相手が言ってきたということを知ってはいるんだよ。けど、それは、普通意味で知っているというのとは、ちょっとちがってくるんだよな。きちがい兄貴がシランプリでやることは、相手が何回も何回もやめてくれと言ってくるようなことなのである。ちゃんと言われている。一日に何十回も言われている。トータルでは何万回も何十万回も言われている。けど、本人は「そんなの知らなかった」と真顔で言えることなのである。嘘をついているつもりがない。そういう言い訳をするとき、嘘をついているつもりがないんだよ。言い訳をするときというのは、「よその人」に対する言い訳をするときで、「うち」の人に対する言い訳をする時じゃない。「うちの人」に対する態度と「よその人」に対する態度が一八〇度ちがう。「よそ」でやってはいけないことでも、「うち」ではやってあたりまえで文句を言ってくる方がおかしいのである。そういう感じ方で、やりきるのに、やりきってしまえば、やったということを認めない。「そんなのやったうちに入らない」のである。自分が好きなように一〇〇%やれたから!! 事実やれたから、やったことにならないのである。だから、「そんなこと知らなかった」と嘘でなくいうことができる。

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本当に地獄だったよ。毎日が地獄だった。

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あー、いまが一番若いのか。これからの人生の中で、いまが一番若いのか。これは、なんの罰ゲームだ。こんなのはない。ともかく、苦しい。

ずっと苦しかった。本当にヘビメタに焼き出されて、不安な気持ちで自転車を漕いでいるときとおなじ気分だ。怒りと不安がごっちゃになって、自分でもなんだかわからない気分で、自転車を漕いでいたときがある。あのつぶされそうな気持ちはない。あんなの表現できない。

あれ、どこを歩いているときもおなじなんだよな。なんでこんなにおなじことの繰り返しなんだ。これはおかしい。どう考えてもおかしい。



2017年2月23日木曜日

どうしても納得がいかない


どう考えてもぼくが悪く言われるのはおかしい。ここに書いてあることを含めて、ぼくが悪く言われるのはおかしい。本当にどれだけのしつこさで、鳴らしたと思ってるんだよ。ほんとーーに、一分だろうが一秒だろうが静かにしてやるつもりがなかったから、それを実行した。毎日実行した。例外なく毎日実行した。だから、こだわりつくして鳴らしたのはきちがい兄貴だ。まず、これをおさえなければならない。

本当にきちがい兄貴のことを性格に描写している俺が悪く言われるのは、納得がいない。どうしても納得がいかない。きちがい兄貴のことを言えば言うほど、一部の人からは、悪く思われるんだよ。まるで俺が悪い人間みたいに考えるやつがいる。その人は、たまたま、ヘビメタ騒音にやられることがなかったから、普通に暮らしているだけなのに、いま引きこもって暮らしている俺のことを悪く言う。俺がヘビメタ関して正確に記述しているのに、まるで、しつこく言っているおまえが悪いみたいに考えるやつがいる。ヘビメタ騒音とちがって、ここは、見ないようにすれば、見ずにすむところだ。

むりやり、「見せさせられる」ということではない。無理矢理聞かされているヘビメタ騒音とはちがう。選択権はその人にある。俺には選択権がなかった。きちがい兄貴がヘッドホンをせずにこだわりの音で鳴らせば、どうしても俺の部屋で、きちがい兄貴の部屋とほぼ同じ大きさの音で聞こえた。耳栓をしたって、手で強く耳を押さえたって、あの音の前では無力だ。そういう工夫でどうにか鳴る音のでかさじゃなかった。

これも、何回も言っているのにわからないやつがいるな。それから、ぼくがここに日記?を書き始めてから、まだ四年しか経ってない。四年目に、きちがいヘビメタが鳴り終わったか? 鳴り終わらなかった。そのと後もずっとずっと続いた。だから、こまっている。

「いつまでも言ってろばか」とか思っているやつもいるんだろうな。そういうやつが出てくること自体、納得がいかない。きちがいヘビメタが一〇年以上毎日鳴ることがなければ、こういうことになってない。そもそも、こういうことになってない。異常なこだわりで、鳴らしつくしたのは、兄貴だ。兄貴の矛盾している態度、あるいは、認識にしたって、別に俺が悪いわけじゃないのに、悪く言われる。「ちゃんといえばいいのに、言わないから悪いんだ」みたいな認識をするやつが出てくる。

あるいは、「ヘビメタ騒音なんて関係がない。ちゃんとしろ」みたいに言ってくるやつが出てくる。これ、中学の時だってそうだからな。けど、そういうことを言ったやつは、家に帰ったらずっと寝るまでヘビメタ騒音が鳴っている状態というのを経験してない。休みの日は一日中ヘビメタが鳴っている状態というのを経験してない。どれだけ、「やめてくれ」「静かにしてくれ」と怒鳴り込んでも……一日に何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も怒鳴り込んでも、けっきょく、やられてしまう状態……鳴りっぱなしの状態というのを経験してない。

一年間でいいから、経験してみろ。できなくなるんだ。宿題をすることも、できなくなる。どーーしてもできなくなる。どうしても、十数回に一回は遅刻することになる。どれだけ頑張っても遅刻してしまう。「どうして遅刻したんだ?」と聞いてくるから、「ヘビメタ騒音が鳴っていて、夜眠れなかった」と言っているのに、「そんなの、お兄さんにいえばいい」などと返してくる。

で、この夜眠れなかった、だけど、ヘビメタ騒音が一一時一一分には終わっているのだから、そのあと、眠れそうなものなんだよね。けど、午後四時から、午後一一時一一分まで、きちがい兄貴が飯を食って、風呂に入る時間を除いて、約七時間鳴らされると、眠れなくなるんだよな。……それも、俺のせいだというのか? 土曜日は約一〇時間に増える。日曜日は約一二時間に増える。毎週、毎日それだけ鳴らされていると、鳴り終わったあと、神経がたかぶって、眠れなくなる。

これも、実験すればわかると思うけど、人間は、だれもが不可避的にそうなる。一週間だけじゃなくて、何ヶ月も、何年も続いているんだぞ。最初の八週間無遅刻無欠席で頑張っても、九週間後、五六週間後、九〇週間後、苦しくなって穴が開く。(遅刻することになる)。

で、一回でも穴が開くと、「どうして、遅刻した」とせめられる。「だから、ヘビメタ騒音で眠れないと言っているだろ」と言いたくなる。怒りたいのはこっちだ。そりゃ、管理者側や連帯責任を負わされる方は、「そんなのしったことかぁ」と思うのだろうけど、ぼくの立場はちがう。ヘビメタ騒音が鳴っている限り……あの程度で、あの音量で、あの時間の長さずっと、同じようにヘビメタが鳴っている限り、「できない」というのがぼくの意見だ。これ、俺しか経験してないから、他のやつらがわからないだけで、ほんとうにめちゃくちゃなんだからな。どれだけ、絶望的な気分になると思っているんだよ。どれだけ、真剣に言っても、どれだけ怒鳴り込んでも、きちがい兄貴は、ここに書いてあるようなきちがい的な対応しかしない。〇・一デシベルだけ、五分間静かにしてやって……すべての時間静かにしてやったと思うような態度で、鳴らし続ける。無視して鳴らし続けた。一秒も、ちゃんと静かにしてくれなかった。ヘッドホンをして静かにしてくれるということが一秒もなかった。鳴らさないで静かにしてくれるということが一秒もなかった。

きちがい兄貴が、静かにしてやったつもりの音は、爆音なのである。爆音で鳴らしていても、「静かにしてやった」と思うことができる、きちがいなのである。「言えばわかる」「家族で相談すればいい」……そういうことが成り立たないから!!こまっているんだよ!!!

なら、そう言えばいいと思ったやつがいるかもしれない。これ、言ったって、だめなんだよ。相手は、「言えばわかる」「家族で相談すればいい」という意見を変えない。きちがい兄貴みたいな人間がいるということが、根本のところでわかってない。そういうやつが、言ってくる。いまでもそうだ。

この遅刻して、他の人にせめられるというのが、基本パターンなんだよな。いろいろなバリエーションはあるけど、パターンはおなじだ。ヘビメタ騒音がはじまって以来、こういうパターンが多すぎる。

で、きちがい兄貴は、まったく知らないわけだろ。どれだけ言ったって、認めずに鳴らすわけだから。普通、試験前に、「そんなにヘビメタが鳴っているとこまるからやめてくれ」と言われたら、わかるよな。自分の騒音が邪魔だからやめてくれと相手が言っていると言うことがわかるよな。

けど、きちがい兄貴はわからない。そういうところを、根本的に無視する。親父とおなじなんだよな。で、親父のようにこだわりつくして、ビタイチモンゆずらないという態度でやりきる。

けど、やりきったのに、やりきったつもりがない。つもりだけがないのだ。どれだけ言われたって、つもりがしょうじない。しょうじなければ、どれだけやったって、……一日に一四時間、何十回も「やめろ!!!!!」「静かにしろ!!!!!」と言われているのに、鳴らし続けるということをしても、一日に〇時間しか鳴らしてない!!!つもりでいられる。まったく迷惑をかけたつもりがない。迷惑をかけたつもりがとことんしょうじない。

それどころか、「静かにしてやったのに、なんだ」と恩着せがましい気持で怒る。本当は、静かにしてやってないのに、しずかにしてやったと思っている。そういうところの修正がその場で、できない。これは、絶望的にできない。

うちでは鳴らしていいからならしているという態度で、全部の時間鳴らしているのに、本人がまったく無意味な譲歩をすると、それで、全部譲歩してやって鳴らさなかったというような「気持」になってしまう。もちろん、そういう気持ちになるだけで、本当は、全部の時間鳴らしている。とてつもなくでかい音で鳴らしている。きちがい兄貴が「静かにしてやった」と思っている時間も含めて、どでかい音で鳴らしている。〇・一デシベルでも静かにしてやったら、鳴らさないで静かにしてやったのとおなじだというきちがい思考がある。そういうものの感じ方がある。

だから、その時間も含めて鳴らしているのに、「鳴らすな」と言われると、「人がせっかく鳴らしているのになんだぁ!!」という気持と「さっき死すがにしてやったのになんだぁ!!あとからあとから、何回も言ってきて!!」と爆音で鳴らしたまま感じてしまう。で、本人がそう感じたら、本人にとってはそうなんだよ。兄貴の部屋に入った人が一分で理解することを絶対に、いのちをかけて、理解しない。

で、理解してないということも理解してない状態で、鳴らし続ける。だから、鳴らしているのに……鳴らし続けているのに、本人は、ゆずってやったつもりでいるのである。鳴らしているのに!! そういう、きちがい的な感じ方がある。で、このきちがい的な感じ方が、支配的なんだよ。根本のところから、そう感じて、まったく疑問に思わない。どれだけもめても、そういう感じ方で、自分の都合を押し通して鳴らすんだけど、まったく、問題だと感じない。相手がとめるのを無視してやり続けたと感じない。それで、矛盾も感じない。

本人が主張してこだわりきって鳴らしているのに、その時点手「鳴らしてないのとおなじつもり」でいる。だから、「悪気なんてない」ということになる。「悪気がない」というのは、そういう意味だ。だから、相手にとっては、屈辱的な言葉なのである。

で、そういうことは、うちではあたりまえのことだ。うちではずっと、そういうことが成り立ってきた。きちがい兄貴の中には……根底には……底の底には……「うちではそれであたりまえ」という気持ちが、ある。根っこのところでものすごく強い気持ちとして、ある。兄貴は感じてないのだけど、兄貴の態度はそういう態度だ。



2017年2月21日火曜日

最初の日から俺は言っている

兄貴が絶叫するよりもでかい音で鳴っていた。この時間、鳴っていた。土曜日の午後四時四八分は、毎週毎週、一〇年以上、かならず、ヘビメタが鳴っていた。これ、本当、兄貴が機械を使わずに、自分の声でわめき散らすという方がよかった。それなら、いっくらなんでも、一日に一〇分間わめき続ければ、喉がかれて、一ヶ月以内にわめきづけることができなくなるわけだから。電気を使った道具を使っているから、そういうでかい音が出る。で、きちがい兄貴は、本当に自分が鳴らしたい音」にこだわったんだよ。このこだわり方は、親父のこだわり方をはるかに凌駕するこだわり方だ。で、そういうふうに自分がこだわりつくしているということがわからないというのも、親父とおなじだ。そして、これも、より深いところでわかってないのである。わからない程度も、きちがい親父を凌駕するほどの程度だ。こだわりつくした音で鳴らしているということを、絶対に認めない。それから、きちがい兄貴の基本的な態度は、「このくらいの音で鳴らしたっていいだろ」というものだ。だから、どれだけ言われても、「このくらいの音で」鳴らし続ける。入試だろうが中間期末試験だろうが体育祭だろうがマラソン対高いだろうがなんだろうが鳴らし続ける。基本的にならしていい音で鳴らしているという気持しかない。で、これは、本当に、人が絶叫する声よりもでかい音で鳴らしていても、そう思っているわけで、ぜんぜん悪いことをしていると思わない。どれだけでかい音で鳴らしていても、きちがい兄貴が「静かにしてやった」と思えば、それは「静かな音」なのである。だから、きちがい兄貴が「静かにしてやる」ということはそういうことだから、実際にはまったく意味がない。で、十数年間毎日、鳴らしているから、毎日、「でかすぎる」「うるさい」「鳴らすな」と言われても、一切合切認めずに鳴らす。きちがい兄貴にしてみれば、鳴らしていい音で鳴らしているのに、がたがた言ってくる方が悪い」みたいな気持でいるんだよ。「静かにしてやるとしたら自分が静かにしてやりたい分だけ静かにしてやればそれでいい」ということになっている。だから、〇・一デシベルでも静かにしてやれば、それで「じゅうぶん静かにしてやった」ということになる。けど、その「じゅうぶん静かにしてやった音」は普通の人がうちにきたら、おどろいてしまうような音だ。「こんなけたたましい音でいつも鳴っているの?」と疑問に思うような音だ。「いつも鳴っている」と答えると、「はぁー、信じられない。よくそれで俺よりもいい点数とれるな」と思うような音だ。きちがい兄貴は、なんて言うのかな、そういういじわるなことを、本当に意地悪な気持がないまま、ごく普通に、平然とやりきる。「あたりまえ」だから。きちがい兄貴にとって、自分が満足できるどでかい音で鳴らすことはあたりまえのことで、悪い行為じゃないのである。自分がせっかく気持ちよく鳴らしているのに、「でかすぎるから、静かにしろ」「やめろ」と言ってくるほうが悪いとごく自然にずっと思い続けることができるような行為だ。だから、どれだけ言われても、反省して、やめるということがない。相手が困っているということを認めて、ちゃんと静かにしてやるということは、絶対にしない。一日に一分だろうが一秒だろうが、絶対にしてやらないんだよ。だから、そこには意志が介在しているのに、きちがい兄貴は、これまた同時に「まったく知らなかった」というような態度なんだよ。相手が「でかすぎるから、静かにしろ」「やめろ」と言ってきたことなんて一度もないという態度だ。「知らなかったんだからしかたがない」と兄貴の嫁さんの前で、言ったりする。毎日、何十回も「やめろ」「静かにしろ」と怒鳴られているのに、知らないなんてことはあり得ないんだよ。最初の日から俺は言っている。で、また、嫁さんの前でそういう嘘をついているのに、嘘をついているつもりがないと思う。で、鳴らしているときは、そういう態度で、まったく気にしないで鳴らしてた。


がっつかないとだめ人間に認定されるようなところはある。



……精一杯の声でヘビメタの音を再現するように頑張るだけなら


2017年2月20日月曜日

パソコンをいじっていたとしてもこの感覚が襲ってくる

目が疲れたので、「もうパソコンなんかいじるか!」と昨日の夜 思ったんだけど、けっきょくいじってるよな。けっきょく、いじってる。というか、起きたら、パソコン。

でも、いじっているときに、ヘビメタ騒音問題のことが頭に浮かぶ。なので、全然休めない。休めないというか、この感じはひどい。わからないとは思うけど……。わかるわけがないよな。ないない。

けっきょく、パソコンをいじっていたとしてもこの感覚が襲ってくるわけだから、もうだめだろ。歩いていても、走っていても、ただ単に突っ立っていても、この感覚が襲ってくる。襲ってくるんだよ。これ、長いんだよな。長すぎる。これ、つらい。ヤッパリつらいな。どうすっかな。どうする?どうする?どうする?

2017年2月18日土曜日

虫歯になったあと、一生懸命歯磨きをしてもむだだろ

虫歯になったあと、一生懸命歯磨きをしてもむだだろ。
ヘビメタ騒音に一四年やられた後、頑張るというのは、そういうことだ。やられている時点でおしまいなんだよ。そんなに長くやられている時点でおしまいだ。きちがい兄貴のやつ、八年目だって九年目だって、一分も静かにしてくれなかった。一日の中で、鳴らさない時間というのをつくってくれなかった。鳴らしっぱなしなのに、「静かにしてやった」と思っている。そういうカタチで、続く。そうすると、復活するとか、やり直すというのが、虫歯になったあと、一生懸命歯磨きをしているような状態になる。で、きちがい兄貴は、たとえば八年目に、全部の時間静かにすることもできた。ヘッドホンをして、鳴らすということにすればよかったわけだから。一日の中で、一二時間ヘビメタを鳴らしたいときは、一二時間ヘッドホンをして鳴らすということが、あたりまえなんだよ。きちがい兄貴は、うちにいた頃は、一二時間ヘビメタを鳴らしたいときは、一分だってヘッドホンをしないで、そのまま一二時間こだわりつくした音で鳴らしていた。だから、どれだけ言っても改善がなかった。改善がまったくない状態なのに、きちがい兄貴は、「静かしてやった」と思っている状態だったんだな。俺は、信じられなかったけど。あいつの態度を考えると、そうだ。信じられないけどそうだ。本当に、きちがい的にふざけている。だれがどう考えたって、でかい音で何時間も鳴らしている状態なのに、そういう状態を保っている本人が、「静かにしてやった」と思っている。これが、信じられない。けど、あいつの態度とあいつが発した短い言葉を考えるとそうだったんだろうと思う。

ヘビメタ騒音を一四年間やられた後のからだは、虫歯とおなじなんだよ。立ち直るとかそういうのは、虫歯になった歯を一生懸命磨くようなもの。他の人は、ちがう。ヘビメタ騒音をやられなかった引きこもりさんは、ちがう。

ともかく、やり始めて一日目に、全面的に静かにしろ。一日中ヘッドホンをして静かにしろ。何年間も毎日やられた後に、どうのこうのというのは、無理だ。きちがい兄貴は、一日目に反省して、二日目からうちでヘビメタを鳴らすときはかならずヘッドホンをしようと思うことができた。それが、「静かにする」ってことなんだよ。きちがい兄貴!! きちがい兄貴が、好きなように鳴らして「静かにした」とかなんだ!!!!! 頭にくる。

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よし、俺はしあわせになるぞ~~~
残りの人生をもやしきるのだ~~~
ファ、フアイヤ~~


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本当にめちゃくちゃだったな。絶対、に、やめてくれなかった。本当に絶対に、どんなことがあっても、やめてくれなかった。何回、怒鳴り込んでもやめてくれなかった。普通に、いつも鳴っている。いまの時間も鳴っている。この夕方の明るさから、だんだん暗くなって、夜の暗さになるとき、ずっと鳴ってた。空気が鳴っている。どんなに言っても、一分もやめてくれなかった。そういう毎日が、俺のこころを壊していく。あれは、ない。

「あれは、ない」などと、いくら言っても、関係がない人には関係がないわけで、経験としてわからない。本当に全部から疎外される。そりゃ、日中、ぼやーっとするようになるよな。俺のことを、「ほやーーっとしている」とせめたやつ。見下ろしたやつ。おまえだってやられれば、そうなる。俺は我慢して、頑張って、そこにいたんだ。

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「そんなんじゃ、だれともつきあえなくなっちゃうぞ」
「うっせ、ヘビメタ騒音のことを知っているだろ。本当に全部の時間鳴っている。つかれた」

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もう、まじめも、いい人もやめた。ヘビメタ騒音で、不真面目な人だと思われる。そりゃ、無職歴が積み重なればな。ぎちぎちに我慢して暮らしてきて、まったくいいことがない。ヘビメタという要素がなければ、俺は、まじめでいい人でいられた。能力があるできる人でいられた。働いているので、無職だということで、下に見られることもなければ、なじられることもなければ、説教をされることもなかった。「あまい」とか「あまえている」などと言われることはなかった。無職引きこもりなどという看板を掲げる必要もなかった。これ、本当に、ものすごいマイナスだからな。偏見とかそういうことを無視しても、なんて言うのかな?? 最初に、情報として見下される。第一印象というのはものすごく大切。第一印象の研究をしたかった。

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まあ、「虫歯」というのは「だめになったからだ」の比喩だ。「だめになったからと言って磨かなかったら、もっとだめになる」とか「とりあえず、全部根本的に治療して、そのあとよく磨くようにすればいい」とかいう話しではない。

ともかく、「時間」というのがでかい。本当、ぼくがどれだけ。どれだけ、「一般論」にこだわって、「べき論」にこだわって、ヘビメタ騒音で動かないからだを無理矢理動かしてきたか。無理矢理動かして、だめになってしまったか。からだ全体が虫歯みたいなもんなんだよ。

本当にやられて、うまくいかない。ヘビメタ騒音に足を引っぱられて、どーーーしても、うまくいかない。そういう時期が長すぎた。そういう時間が長すぎた。きちがい兄貴は、「なにもしてないつもり」なんだけどな。どれだけ言っても「なにもしてないつもり」で、大きな大きな音で鳴らしまくる。きちがい兄貴が、本当に静かにしてくれたことなんてない。一日に一分だって、静かにしてくれなかったのがきちがい兄貴だ。それなのに、「静かにしてやった」と思っている。そういうやりかたで、ともかく、言うことを聞かないで、自分の意地通して……一秒もゆずらないで自分の意地を押し通して押し通して、毎日、暮らしてきたんだよ。だから、その積み重ねがある。この「積み重ね」というのがでかい。毎日の積み重ねってでかいんだよ。べき論じゃ、解決がつかない。「こころのもちかたで」どうにかなるとか言うと、どうにもならない。この「こころのもちかたでどうにかなるとか言うと、どうにもならない」みたいなことを言うと、ものすごく、評判が悪くなる。けど、毎日経験してきたことがちがうのだから、しかたがない。どういう積み重ねだと思っているんだ?と言いたくなる。




2017年2月17日金曜日

常に、ヘビメタ騒音期間中の「不快、不愉快」が映し出される

カネか。本当にどうしたもんなんだろうな。起きているとき、いろいろなことを思うよ。精神活動はある。けど、その精神活動はプラス向きのことじゃない。きちがいヘビメタ騒音に関する精神活動で、ここに書いているようなことが思い浮かぶだけだ。もちろん、「小便をしなければ」とか「腹が減ったな。そろそろ飯を食うべきか」というようなことは考える。けど、そういう生理的な事に関する思考を抜かせば、ヘビメタ騒音と居間の不安に関することばかりだ。生理的なことに関しても実はヘビメタ騒音のことが関わっていて、生理的なことを考えているときはヘビメタ騒音のことを考えていないというわけではない。生理的なことを考えているときも、不可避的にヘビメタ騒音のことを考えていることになる。純粋に生理的なことを考えているわけじゃない。たとえば、腹が痛いとする。その場合、ヘビメタ騒音で腹が痛かったことが思い浮かんでくる……あるいは、ヘビメタ騒音で腹が痛かったときの雰囲気が二重に映し出される。不快、不愉快ということに関して、常に、ヘビメタ騒音期間中の「不快、不愉快」が映し出される。不快なとき、不愉快なときは、ヘビメタ騒音期間中の「不快、不愉快」を再体験してしまう。同じなのである。「感じ」として同じだ。やられている期間が長すぎた。一体化している。だいたい、どの時期に腹痛を感じたとしても、腹痛の感じはおなじだろ。おなじ種類の腹痛なら。で、おなじ種類の腹痛なんだよな。で、あの頃のことが思い浮かんでくる。思い浮かんでくると言うか……おなじだ。一体化している。感覚がおなじだ。この世の雰囲気がおなじだ。かゆいなからかゆいで、かゆさがおなじなら、(過去の)かゆい感じを再体験しているようなものだ。まあ、痛さやかゆさのことはいいか。そういう「たとえ」を使うと、感覚として、他の人にはわからないかもしれないから。かゆさはともかく、不快、不愉快、痛さ(特に腹痛)はおなじだな。


2017年2月16日木曜日

ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータを買おうかな けど、転売屋が……

どうてしてもつまらない。
気分が落ちてる。

むなしい。

不安。

金は入ってきた。

はいる~~はいる~~はいる~~
(↑自己暗示)

ヤフオクで初代ファミコンでも買おうかなと思っている。けど、どうでもいいか。ともかく、美少女が必要だな。

(本当はニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータというのが欲しかったんだけど、転売ヤーが活躍していて、定価で買えない。いま、ネットだと定価プラス二〇〇〇円から三〇〇〇円といったところで取引されているみたいで、ちょっと高い。リアル店舗に行けば定価で手に入るらしいけど、リアル店舗に行くのがめんどうくさい。で、互換機というのを調べたんだけど、安いやつはあんまりよくない。レトロフリークは高い。レトロフリークの作動品一覧表を見たけど、なんて言うのかな? 純正品を買った方がいいかなと思った。けど、中古本体がきたないのはともかくとして、コントローラーがきたないのはちょっと耐えられない。そこで、出だしに戻ってニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータを買おうかなと思ったりする。値段が落ち着けばいいわけだから。あんまりいじりたくないけど接点復活器みたいなものが売ってるんだな。まあ、生きているうちに昔はやっていた?らしいゲームでもやろうかなと思ってさ。パッケージの表紙は見たことがあるけど、やったことがないというのがありすぎる。その当時、ぼくは、ゲームをやらなかったんだよ。本当はPC版のほうがいいんだけど、中古のゲームがPC版のほうが高い。おなじタイトルだとPC版のほうがたいてい高い。そして、PC版もWindows XPあたりなんだよね。まあ、世間ではやっていてぼくがまったくやったことがないやつを、やってみようかなと思っているわけ。けど、初代ファミコンはモニターのほうがめんどうなんだよね。)

あと、ぼくは引きこもっているひとには、ぜんぜん文句がない。もと引きこもりのひとにも文句はない。ただ、もと引きこもりだろうが社員だろうが、わかったようなことを言うのはやめろと言いたくなる。とくに、もと引きこもりが「根性論」や「精神論」を言い出すとやっかいだ。あるいは、もと引きこもりがかつての自分を否定して、もと引きこもりが引きこもりを否定し始めると厄介だ。「自分もこうだった」「けど、それは間違っていた」……こういうスタイルで根性論的なものを言う場合、けっこう厄介なんだよな。(ヘビメタ騒音は)そんなもんじゃないから。そんなことで片がつくなら、とっくに片がついている。「自分もそうだったけ。けど、引きこもりは甘えだ」というようなこといい始めるわけ。で、「自分もそうだった」というのは、自分も引きこもりだったけどという意味だ。けど、その人はヘビメタ騒音を十数年間浴びてない。ヘビメタ騒音に関しては「じぶんもそう」じゃないのである。けど、引きこもりに関しては「じぶんもそう」と言える立場だ。だからこそ、厄介。で、説教が好きなもと引きこもりが言うことというのは、引きこもった経験がまったくない説教が好きなサラリーマンが言うことと同じなわけ。たしかに、あなたの場合はそうだったんだろうけど、違う理由で引きこもっている人がいるわだから、もと引きこもりという立場を使ってものをいうのは、あんまりいいことじゃない。

けど、もと引きこもりという言葉を使うと、ぼくが想定している人じゃない人が、自分のことを言われたと思ってしまうらしく、とても、不都合だ。もと引きこもりとか関係なく、「根性論」を言う人が、好きじゃないという話しだ。ぼくが(そこで)言いたいのは。けど、もと引きこもりの人に、なんか、あんまりよくない影響を与えてしまうみたいなんだよな。問題なのは、「根性論」「精神論」のほうだから、もと引きこもりかどうかはあまり関係がない。(まあ、もと引きこもりがかつての自分を否定して、精神論を言い出すと、ぼくはちょっと「根性論」じゃダメなんだと言いたくなる。で、それをちょっと前の記事で書いてしまったんだけど、……やっぱり、ぼくが想定している人たちではない人たち(引きこもり、半引きこもり、もと引きこもり)を傷つけてしまうみたいで、あんまりいい結果にはならない。

理由を聞きたいと言ったのは、もと引きこもりで根性論に傾倒している人が、過去において引きこもったのはどういう理由だったんだという意味で、根性論に傾倒してなければ、……理由を聞いてみたいとはそんなには思わない。(たいてい、理由がある人は、書いてあるけど)。

   *     *     *

うーん。げーむなんてどうだっていいや。生きているうちにちょっとひっかかっていることはやっておいた方がいい感じがしたが、どうでもいいや。

お金ははいってる。はいるぞはいるぞ。

転売屋は、一生懸命カネを儲けようとして、定価で買って、二〇〇〇円ぐらい上乗せして売ってるんだよな。

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なんかもう、ヘビメタ騒音にやられた自分の人生そのものが、いやだ。どうにもなんない。きちがい兄貴、あれで静かにしたつもりなのかよ?? 兄貴は本当に、親父だ。あれで毎日静かにしてやったつもりでいたなんて、おかしい。


*     *     *

まあ、他の人には関係がないわけだけど、正論や根性論を出されてもな。ヘビメタ騒音を最低でも毎日一〇年間経験してない人が、正論を言っても、ぜんぜんこころに響かない。関係ないけどさ。実際にやられなかった人には、……兄貴にやられなかった人には関係がない話なんだけどさ……。関係がない話なんだけど、正論を言うことで、関係ができてしまう。「うち」で、毎日、正論をぶっ壊されて、暮らしてみろ。正論がまったく成り立たない状態で暮らしてみろ。自分だけやられまくっていて、それで、よそでは人に合わせなければならなくなる。ヘビメタが鳴ってなければ合わせるのは簡単だけど、ヘビメタが毎日何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴っている状態だと、合わせられなくなる。そういう溝がずっとある。鳴らされているときからずっとある。もし、家でも正論が成り立つなら、兄貴は、即座にやめなければならないんだよ。即座に中断してやめて、その後はずっと静かにしてなきゃならないんだよ。そういうことが成り立たなければならない。いつも毎日、そういうことが成り立ってないのに、俺がよそで、正論に合わせることが求められる。ヘビメタ騒音を鳴らさたことがないやつの言う根性論なんて、まるで、心に響かない。

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やっぱり、これはおかしい。美少女が必要。俺がどんな思いをして暮らしてきたと思っているんだよ。兄貴よ!! あの頑固さはなんだ!!!!! 一日に、一分も静かにしてくれなかった。鳴らしているあいだ常に正論を踏みにじっている。俺の根性を踏みにじっている。限界がある。人には限界があるんだよ。……本当に親父と同じで、きちがい的な頑固さを発揮して、絶対にゆずらないでやったことは、「やってないこと」なんだよな。全部、普通にやってたじゃないか。こっちがどれだけ言っても、ちゃんと静かにしてくれることが一分もなかったじゃないか。あれで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思っているのかよ? そういうきちがい的な認識で、ずっと鳴らしまくった。

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やっぱりつまらないなぁ。つまらない。

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ゲームなんてどうでもいいや。俺はなにを言ってたんだ?





2017年2月15日水曜日

「どけたら、死ぬ!!」みたいな切迫感がある(2)



鍋のことだけど、けっきょく、どかさなかったみたいだな。親父にはかかわりたくないけど、ストーブの上に載せた鍋から、煙が出てたら、かかわらないわけにはいかないよな。で、俺は、いじりたくないんだよ。言って注意するということしかない。どうしてかというと、かならず、嫌な目に遭わされるからだ。なからず不幸な思い、不運な思いをするからだ。

これ、たとえば、「煙が出てるから、どけた方がいい」というかわりに、自分が、鍋の取っ手をとって、どかせばいいと思う人がいるだろ。けど、嫌なんだよ。どうしてかというと、俺が鍋の取っ手をとって、どかそうとしたときに、やけどをする可能性があるから。

あれ、火がついているストーブの真上にのせてあるわけで、取っ手が熱い可能性がある。で、取っ手をつかんで、やけどをしたり、取っ手をつかんで、熱いから鍋を下に落としてしまったりということがあり得る。

これは、神経症的な思考なんだけど、いままで、さんざん、そういう嫌な事故が発生したので、嫌だ。きちがい親父に関わって、普通ならヒトコト言えば住むことでも、親父が動こうとしないから、こっちが動くと、かならず!!!!嫌な目に遭わされる。嫌な思いをすることになっている。

取っ手が熱くって鍋を落とすことがあると考えるのは神経症的なことかもしれないけど……嫌なんだよ!!! 本当に、きちがい親父に関わると、思いもよらないところで、ひどい目に遭わされるというのが、たびたびあるんだよ。全回そうだと言ってもいいほど、たたられている。

これ、強迫神経症の「もと」みたいなもんなんだよ。これも、普通の人はわからないのだろうけど。だから、今回は、注意だけして、二階に上がってきた。けど、ちょっと二階までにおいがあがってきたので……つまり、くさくなったので……さすがに心配になって、一階に降りて行った。

で、親父はもう、寝床に入っていて、ストーブの火も消されていた。で、「煙が二階まできた」と言ったら、「煙なんてない」と煙っぽい部屋の中で言うんだよ。霧ぐらいには、煙が見えているはずなんだけどな。もう、嫌だ。

俺の足音を聞いて、ストーブを消して、寝床に入ったのかもしれない。そういうねずみみたいなところがあるんだよ。気にしなくていいことは、気にする。これも、実は、いろいろとあって、……なんて言うのかな、きちがい親父が先に、こどもをどかしまくってたんだよ。

このどかしまくりは、きちがい的な意地でどかしまくるわけで、ふつうのどかしまくるとはちょっと違うんだよね。

トイレも、融通が利かないんだよな。「そういうことじゃないのに!!」って言いたくなるようなことしかない。で、発狂だからな。ゆずらないで発狂する。しかも、融通を利かせてちょっと開けてくれればいいときだって、そういう時に限って四〇分もたてこもるんだよ。

これ、たとえば、よその家に行く前、親父がトイレに入ってしまったとするだろ。で、普通なら、代でも一〇分ぐらいだろ。けど、親父は四〇分とか五〇分とか立てこもる。で、お母さんが……まだ若いときなんだけど……親父がトイレには行った後、トイレに行きたくなったんだよ。で、一〇分ぐらいがマンしている。で、ちょっと我慢できなくなって、「ちょっとでいいから、かわってくれ」と言ったんだよ。そうたら、親父が、発狂して、頑固に立てこもるんだよ。自分がどかされるというのが、発狂的に頭にくることらしくて、ちょっとゆずるとか、ちょっとかわってやるということが、できないんだよ。

で、自分がどかされそうになったら、もう、顔を真っ赤にして発狂する。怒りまくる。「なんだなんだ!」と怒り狂う。で、どけてやらないんだよ。いっくらなんでも、出続けているわけじゃないんだから、ちょっと、どけてやればいいのに、ちょっと変わってやればいいのにそういうことはしないんだよね。

いのちがけで、便座を死守する。「かわってくれ」「どけてくれ」と言われたら、発狂してゆずらない。下痢でもなんでもないときなんだよ。で、二〇分とか、三〇分とか、何回言われても、待たせる。で、四〇分ぐらいして出てきて、「どうして、かわってくれなかったの」と言われたら、もう、「えきべんだ。えきべんだ」って言ってキレる。この、エキベンというのは、駅のトイレで用を足すことなんだけど、要するに、自分はこれから、駅のトイレで用をたす」ということを言い出す。

そういうことじゃないのに、そういうことを言い出す。相手が言っていることは、そういうことじゃないんだよ。相手が要求していることはそういうことじゃない。だれも、用を足すときは、駅のトイレを使えと言っているわけじゃないんだよ。「ちょっと、折り合いをつけて、どけられるようになったらどけて欲しい。そのあと、またはいってもいいから」ということなんだよ。

お母さんがちょっとかわってほしい、あけてほしいと言ったのは、そういうことなんだよ。けど、まるで、トイレを使うなと言われたように受け取ってしまう。一生このトイレを使うなと言われたように、受け取ってしまう。だから、自分は「エキベン」なのである。「エキベンにする!!エキベンにする!!」「なんだなんだ!!なんだなんだ!!なんだなんだ!!」と発狂してしまう。四〇分も我慢させて、出てきて言う言葉がこれなんだよ。融通が利かないうえに、相手が言っていることを誤解している。まるで、「おまえは、このトイレを使うな」と言われたみたいに感じ取ってしまう。「どうして、どけてくれなかったの」「いっくらなんでも、一〇分ぐらいで、(だしおわって)おりあいがつくときがあるから、そのときに、かわってくれればいいのに」ということを言っただけなのに、「便器を一生使うな!!!!」と言われたみたいに誤解する。

だから、ひどいことをいわれた気持ちになって、「エキベンだ」「エキベンだ」「今度から、エキベンにする!!」と騒ぐ。発狂する。ほんのちょっとかわってやればいいのに、いつもそういうことになるんだよ。これは、いつも、だから。トイレのことだけじゃなくて、いつもそうなんだよ。融通が利かない。いっくら代のほうでも、けりつけられるだろう。出っぱなしと言うことはないんだから。しかも、相手は、自分がちょっと使ったあとにあけるから、使っていいという前提でものを言っているわけだから。そういうふうに言って、ちょっとの間だけ、どけてくれといっているわけだから。

けど、どけて欲しい」みたいなことを言われると、発狂して、どけてやらないぞという態度になるんだよ。で、どうして、どけてくれなかったんだ?」と言われると、発狂して、「エキベンにする」とか言い出す。エキベンという言い方があるのかどうか知らないけど、そういう意味でエキベンという言葉を使っていた。当時の駅の構造だと、改札を通らずに、駅のトイレをつかえたんだよ。いまはそんな駅ないけど。トイレでも、親父が工事をしていて、門の前をふさいでいるときも、「どけてほしい」ということを言われたら、発狂する。で、真っ赤な顔をして、あぶらあせをかいて「絶対にどけないぞ」という感じでがんばる(どけない)。自分の都合を押し通す。で、これも、時間が経ってしまえば、「そんなんじゃない!!!そんなんじゃない!!!なんだなんだ!!」ということになってしまうのである。

これ、たとえば、教師とか常識的な人だと「どけてって言えば良いじゃない」みたいなことを言うんだよ。そういうふうに言わなかったから、だめなんでしょという前提でものを言う。そういう前提でものを言う人に、ぼくが「普通にどけてくれといったら、どけてくれなかった」「普通にどけてくれと言ったら、親父が怒り狂ってどけてくれなかった」言っても、不満そうな顔をして認めなかったりする。そういう前提でものを言う人は「そんな親いない」「そんな人いない」「特別に機嫌が悪かったから怒ったのではないか」「言い方がまずかったから怒ったのではないか」というようなことを言ってくる。

「ちゃんと言わなかったから悪いんだ」「言えばどけてくれる」というのが、普通のうちで成り立つことなんだろう。けど、うちは、違うんだよ。「どけてくれ」という意味のことを言ったら、どれだけ、丁寧な言葉を使っていってもだめなんだよ。発狂する。言われた方が発狂する。言われた方が発狂して、「どけてやらないモード」になる。もう、これ、どけてやるかどけてやらないかにいのちがかかっているような状態なんだよ。

「どけたら、死ぬ!!」みたいな切迫感がある。そういう状態じゃないのに、まるで、崖っぷちに立っていて、どけたら、落ちて死んでしまうというような切迫感があるんだよ。意地を踏査鳴ければならない理由が、きちがい親父の中にはある。それがどんなことなのかわからないのだけど……本人にもわからないのだけど……反応としてはそういう反応なんだよ。まるで、「そこで、ゆずったら、いのちをとられる」みたいな気持ちで、ゆずらない。
たぶん、よその家でそうだったんだろう。おさない親父がよその家で虐待されたとき、そういう切羽詰まった気分になってたのだろう。そして、自分は(親父は)つねにどかされていたんだろう。暴力的どかされていたんだろう。ぶっ飛ばされてたんだろう。そういうことを考えないとあの態度はおかしいと思える態度で、どかない。

で、どかないのだけど、「どかなかった」つもりがないんだよ。それが、こどもが小さいときの親父の態度だ。普通の態度で、たまたま、じゃないんだよ。これ、たまたま機嫌が悪かったから、そういう反応が返ってきたというわけじゃなくて、いつもそういう反応が返ってくる。どかされるようなことをいわれたら、どけてやらなければならないようなことをいわれたら、一〇〇%、いま説明したような反応が返ってくる。

これも、認知療法家は、「たまたま、きげんがわるかったから」そうなんだというような前提に立ってものを言うときがあるんだけど、そうじゃないんだよ。たまたま、生じたことを一般化しているからだめなんだというのが認知療法家の理論だから。

けど、たまたまじゃない。で、さすがに、認知療法家だと、「へんなひといる」ということを認めるけど、認知療法家の本を何冊か読んだというレベルの人だと、「へんなひとがいる」と言うことを認めない場合があるんだよな。

だから、「たまたまじゃなくて、構造的にそうなっている」といこうとを認めない。認知療法家もどきは認めない。神経症者が出てくるような家の場合、認知療法家が言ってることが間違っていることがある。認知療法家のほうが行き過ぎた一般化をしている。

ともかく、親父は融通が利かない。で、こどもがでかくなっちゃったら、こそこそ逃げるようなところがある。足音が聞こえただけで、大便をしている最中でも、むりやりきりあげて、トイレから出てしまうようなところがある。だから、そういう場合は、(絶対にどけないで、エキベンエキベンと騒いでいた頃とは)一八〇度態度が変わったと言えるのだけど、中身は変わってないんだよ。これも、言いがたい。親父の中身はおなじなわけ。

エキベン!!エキベン!!と言っていたころは、攻撃側(凸側)で絶対にどけない。で、「ちょっとだけどけてくれ」と言った相手を、発狂してなじる。で、「これからは、エキベンにする」というようなことを言う。相手はそんなことを言っているわけじゃない。足音だけで、どけてしまう状態の時は、守備側(凹側)で、相手がどけて欲しいといっているわけではないのに、先回りして、どけようとする。これも、切羽詰まっているんだよ。相手が言っていることを、誤解している。ただ単に、凸側と凹側がひっくり返っただけなんだよ。で、凸側の時は、絶対にどけない。

兄貴のヘビメタ騒音もおなじ。どけるとか、どけないということは、ゆずるとかゆずらないということとおなじだから。凸側の時は、絶対にゆずらない。で、ゆずらなかったということが、悪いと思ってない。悪いのは、「ゆずってくれ」「静かにしてくれ」と言ってきた相手なんだよ。親父だって、トイレに入っているときに、「ちょっとだけゆずって欲しい」と言われたら、エンジンがかかって、絶対にゆずってやらないモードになったわけだけど……なんて言うのかな……すべてがすべて、うちではそうだ。すべてがすべて、どんな些細なことにも、この「どけろ」「どけない」問題、「ゆずれ」「ゆずらない」問題が関わっている。ゆずってやらないで、ゆずらないがちしたほうは、「ゆずってやらなかった」とは思ってないんだよ。それは、何万回繰り返してもそう。「ゆずってくれ」と言われた時点で発狂して、ゆずらないモードになる。一旦ゆずらないモードになったら、その日は、絶対にゆずらない。一日ずつ切れているけど、その日は絶対にゆずらない。で、ゆずらない「その日」が何十年も毎日続くわけ。で、何十年続いても、本人は、「ゆずらなかった」「怒ってゆずらなかった」という気持がない。数十年毎日やったあと「ゆずってくれなかった」と言われとると、「ゆずってやったゆずってやった」と言うようになる。これ、俺の説明が間違っているわけじゃないからな。おんなじなんだよな。親父と兄貴は、おなじ。親父と兄貴はとことんおなじ。親父の便所に対する態度と兄貴のヘビメタに対する態度がまったくおなじ!!

   *     *     *



2017年2月14日火曜日

うむ~

どうして、もと引きこもりさんは、引きこもりが嫌いなタイプの底辺サラリーマンとおなじことを主張し出すようになるのだろう。昔の自分を否定し出す。 まあ、いいや。自分が引きこもった理由がまったく書いてないというのは、なんか気になる。もと引きこもりってちゃんと働いている人ね。ちゃんと。週に五日ぐらい通勤してフルタイムで働いている人。病気を持ってない人。

だから、皮膚病やうつ病、なんとか障害、いじめなどの理由がなくて、それで、もと引きこもりの人は、どうして引きこもったんだろうって気になるんだよね。まあ、いろいろと理由はあると思うけど、自分が引きこもった理由について、まったく書いてないんだもな。ちょっと気になるよね。

どうだっていいや。




2017年2月13日月曜日

「罪を憎んで人を憎まず」とかしがみついていたときがあるけど、無理だった

ちょっとだけ、階段を拭いた。なるべくむせないように頑張って拭いたぞ。
さて、これからどうするかな? なんかいろいろやる気がないんだよね。本当、こまった。ここで嘆いているだけか? あ~~あ。本当、こんなんじゃなかったのにな。俺、ちがうんだよ。騒音がはじまる前と、後では。なにをやるのもめんどうになってしまった。階段の掃除だって、途中で終わりだから。途中、途中。普通なら一週間に一度は?苦もなくやることなんだよな。俺は、数ヶ月放置してあるけど。普通の人は一日に一回やっているのかな?

風呂に入るかどうか迷うな。風呂がけっこうつかれる。土曜日に入ったからいいか? 階段をちょっと?拭いただけで、もう、なんか、ほこりを吸った感じになっている。ほこりが舞い散るところを見たけど、息はしてなかったから、大丈夫だ。

他の人はどうだか知らないけど、風呂はけっこう大変だ。気持ちいいと言えば、気持ちいい。

今日はゴミを捨てたしな。あんまり外に出たくなかったけど。

ゴミを捨てに行くときもちゃんと外行き用のズボンを履くことにしているからめんどうだ。トレーナー系ズボン(パンツ)で行ってもいいかな。

もやもやと考えていることはいろいろあるよ。心配事とか、めんどうなこととか……。この先のことを考えるとやはり不安になるね。

一回目のご飯を食べた後、必ず腹が痛くなる。ここ一ヵ月間ぐらいはそんな感じだな。なんか、いろいろめんどうくさい。掃除しているときも「あの野郎、ここでがたがたならしやがって!! どんな音で鳴らしてたと思っているんだよ? 普通の音だというのなら、いま住んでいるところで鳴らしてみろ!!」というようなことを思っている。これ、もう、自動思考。この家の中は、ヘビメタ騒音にやられた頃の記憶で満ちているからな。階段は、「きちがいヘビメタ騒音付き」だよ。玄関も「ヘビメタ騒音付き」だよ。

ところで、俺は、なにと戦っているんだ?と自分の文章の修正をしながら思った。きちがい兄貴と戦っているのか? きちがい兄貴が鳴らした騒音だけを切り離して、騒音とだけ戦っているのか? 無職、引きこもりに対して偏見がある人と戦っているのか? わからない。まあ、全部だな。「罪を憎んで人を憎まず」とかしがみついていたときがあるけど、無理だった。七年間やられた時点で、そんなことを、発狂した状態で考えていた。無理無理。「罪を憎んで人を憎まず」なんて、無理だよ。

やられっぱなしで良いわけがない。何万時間やったと思っているんだよ? 兄貴!! おまえ、うちにいるあいだ、頑固にヘビメタを鳴らして、ゆずってくれなかっただろ!! ふざけるな!!! ゆずってやったとか、ふざけんな!!! どんだけのことが積み重なっていると思っているんだ? 「どれだけ鳴らしたって、つもりがなければまったく鳴らしてないのとおなじ」とかきちがい思考が成り立っている。そういう思考スタイルで、どれだけ言われても、気にしないで、自分がやりたい分はかならずすべて、やったんだよ。言われたら……「鳴らすな」と言われたら、腹を立てて、しがみついて、絶対の意地で鳴らしてた。一秒もゆずってくれなかった。これ、悪いことをやっているやつが、腹を立てる。悪いことをやっているから、「やめろ」と言われるのに、「やめろ」と言われると、腹を立てる。そんなやつが、本当にゆずるわけがないだろ。一秒だろうが、本当にゆずるのはいやなんだよ。だから、ゆずらなかった。自分がゆずってやりたい分だけゆずるというやりかたでゆずった?のだろうけど、それは、ゆずったつもりになっただけで、よそのうちでは一分だって鳴らせないようなでかい音で鳴らしているから、ゆずってない。全部が全部、嘘つきなんだよな。全部が全部ふざけている。あんなでかい音で鳴らして、「ゆずった」とか思っていると言うこと自体が、ほかのところでやったら「ふざけんな、この野郎」と言われるようなことなんだよ。そして、それがわかっているから「他のところ」ではやらない。けど、「うち」では、大まじめにそうする。本当にゆずってやった気分になる。本当にゆずってやった気分になれる。傲慢だろ。きちがいだろ。きちがいが、意地を通している。「うち」では、それがあたりまえだったからな。親父が、ずっとそうやっている。きちがい兄貴がずっと、そうされてきたことだ。だから、うちでは、それであたりまえなのである。で、あまりにもあたりまえすぎて、本人がそうしているということに、まったく気がつかない。どれだけなにを言われても、気がつかないんだよな。それも、親父が何十年も毎日やったことだ。こういう人間関係しか成り立ってない。「うち」ではこういう人間関係しか成り立ってない。頑固に無視して、やりきって……つまり自分の意地を通して……まったくやってないつもりでいる……というのが、あたりまえのことだ。まったくやってないつもりでいると書いたけど、これは、実際にまったくやってないということとイコールなのである。これも、俺が矛盾した文章を書いているように思う人がいるかもしれないけど、そうじゃない。矛盾しているのは俺の文章じゃなくて、兄貴や親父の態度だ。あるいは、それらの認識だ。


「罪を憎んで人を憎まず」などというキレイゴトにやられている状態でしがみついてる。そう思い込もうとしている。けど、そういうのは、やられまくってたら、無理だ。何千日も続いたら無理だ。本当にまったく反省してないわけだから。相手は、その時、現在形で、やり続けているわけだから。

日本は、……日本じゃなくてもいいけど……特に日本は、新卒カードをうまく使えなかっただけで、底辺街道を歩き続けることになる。俺なんて、新卒カードを使う立場にすら、たどり着けなかった。それも、別に勉強が嫌いなわけじゃない。あのヘビメタ騒音の空間は、ない。

いいわけがないんだよ。毎日、そんなことをされて、いいわけがない。

2017年2月12日日曜日

まあ、そりゃ、つきあう相手が

まあ、そりゃ、つきあう相手がしんどくなさそうなほうがいいというのはわかるけどさ。つきあう相手は、元気で明るくて健康そうなのがいいよな。それはわかる。つきあうというのは別に、男女の交際のことを言っているのではない。ただ単に仕事上のつきあいをするにしても、相手が元気なほうがいいという話だ。それは、わからないではない。

けど、元気にできないんだよね。もう、つかれた。

   *     *     *
もう、どうにかしようとするのをやめよう。

お金に関しては、「dbox計画」を進めているが、ここには書かない。アンチがいるからいやだ。dboxは(ぼくのなかの)コードネームで、ぐぐっても意味がない。

一日一個法は、有効だ。体調が悪いときは、一日一個法にするしかない。最近、むせてばっかり。うどんが特にやばい。さっきも、うどんでむせちゃった。

そのあと、横になった。

他人の経験はぼくの経験じゃないし、ぼくの経験は他人の経験じゃない

つまんない。なんか、見るものを変えなければならないと思う。やることも変えなければならないと思う。全部がつまらない。「なんとかしなきゃな」と思うけど、そういう気持はうすい。超絶、うすい。つまらないんだよな。すべてが。……そして、なんて言うのかな、やる気がうすい。プラス向きの感じはうすいんだよね。

Twitterでもやるか。あれ、何回かやって、だれをフォローしてもなんかおもしろくなくてやめちゃったんだよな。全部気持ちを変えて、原理を変えて、やらないとだめな感じがする。他の人はなにを求めてTwitterやっているのだろう。もちろん、商売道具というひともいると思う。

まあ、他人の経験はぼくの経験じゃないし、ぼくの経験は他人の経験じゃない。だからぁ???? だから、ぼくが楽しまなきゃだめなのさ。

現実というゲームはつまらない。しんどい。これは、「運」なのか? よくわからないけど、ともかく「運」らしきもので、かなりちがってしまう。手札なんて軽いものじゃないよ。身体があるからね。ダメージを与えられて、数字には換算できない「うぎょうぎょ」が埋め込まれてしまう。この「うぎょうぎょ」はそれ自体が、数字には換算できないものだけど、「うぎょうぎょ」が生じたことによって、さらに数値には換算できない「別の」ものに影響を与える。ともかく、実際の身体が身体である以上、騒音攻撃が身体の隅々に影響を与えてしまうということがある。平等じゃないんだよな。ともかく……平等じゃない。

脳みその感じが本当にちがうんだよ。脳みそが「見る」現実が本当にちがう。ヘビメタ騒音前と、ヘビメタ騒音後では、全然気持がちがう。見え方がちがう。はっきりとちがうんだよ。ヘビメタ騒音後は本当に、気力がぬけている状態で、終電のサラリーマンのようにつかれている。つかれるとすべてのものに興味をなくすけど、それが「普通の状態」になってしまった。終電のサラリーマンだって、朝は元気に動いていたわけだ。けど、俺には、そういう時間がない。ヘビメタ騒音以降は、一日二四時間ずっと、終電のサラリーマン状態だ。ゾンビのようなしんどいからだを引きずって歩いている。まあ、本当は、一旦椅子に座ったら、立ち上がることすらめんどうなのだけど。そのめんどうをおして、いわば、必死になって歩くわけだけど、……身体のすべての気力を振り絞って歩くわけだけど……つらい身体を引きずって、ゾンビのようにのたのた歩くということになってしまう。

ヘビメタ騒音期間が長すぎる。本当につらかった。すべてが、できないことになってしまう。鳴ってなければ、簡単にできることが、できない状態になってしまう。これ、能力値じゃなくて本当にやれない状態になってしまうんだよな。足を引っぱられすぎだ。どうしても、憂鬱だ。どうしても社会的に不満を抱えざるを得ない。そして、しんどい。

2017年2月11日土曜日

空は、変わってないけど、ぼくは年をとってしまったよ。

ずーっと昨日の夜から考えている。ヘビメタ騒音なしで生きたかった。どうしても、ゆるせない。あの日々はなんだったんだ。どうしてもゆるせない。それにしても時間がたったな。それにしても、ゆるせない。どうしてもゆるせない。

いま、日までつまらない。

この時間も鳴ってたな。どれだけ言ってもやめてくれなかった。いま明るいけど、暗くなるまで鳴って、暗くなってからも、ずっと五、六時間ぐらい鳴っている。ぜっーーったいに、やめくてれない。いつ、言いに行っても、やめてくれない。どれだけ言ってもやめてくれない。ヘッドホンをすればいいだろ。一日中、鳴らしているときはヘッドホンをしてくれればいいだろ。一分だって、「うちでは」ヘッドホンをしてくれなかったけどな。そういう違いについて、きちがい兄貴はどれだけ意識しているのか? 「うちでは」どれだけやったってかまわないんだよ。いっそうのこと、うちがアパートかマンションだったら良かったんだよ。目の前が広大?な幼稚園の敷地で、隣の家が離れている。あーあ、死にたい。このあいだ、道を歩いているとき気がついたけど、家のまわりは、家に二軒ぶんで一軒しか建ってない。道を出たところにある家の人が引っ越したんだけど、その跡地に三軒の家が建っている。マンションだったら、きちがい兄貴は、あんな音でやれるはずがない。けっきょく、俺がずっと直撃を受けていたわけで、くるしい。本当に音の伝わり方というのは、いろいろで、外壁一枚でだいぶ違う。あとは、スピーカーの向きと高さが問題なんだろうと思う。高さって、地面からの高さ。玄関のところはものすごくうるさいけど、ドアを締めただけでだいぶ違うんだよな。逆に、ドアを開けるのが憂鬱でしかたがなかった。雪崩のように、上からヘビメタ騒音が落ちてくる。あれ、本当、ドアを開けるのがどれだけ憂鬱だったか。

ともかく、いま住んでいるところで静かにするように、ちゃんと静かにすることができないなんてことはないんだよ。「うちでは」絶対に一秒たりとてゆずらなかったんだけど。で、ゆずらなかった」ということは、おぼえていても良さそうなのに、きちがい兄貴は、「うち」でやったことはぜんぜん気にしてないんだよな。無法地帯でやったことは、ぜんぜん気にしてない。悪いと思ってない。きちがい兄貴のせいで俺がどれだけ、ひどい目にあってきたか。本当に、ゆるせない。

近くのコンビニに行くとき、通る道が同じなんだよ。駅に行く道と同じ。小学生の時に見た空とおなじ。もちろん、詳細な部分では違うのだろうけど、おなじような空だ。空は、変わってないけど、ぼくは年をとってしまったよ。

そんなことより、いまある技術でなんか金になるものをガンガン作った方がいいんじゃねぇ?

なんか最近、3DCG系の本が読みたい。けど、そっちの本は高い。これ、もう何回も言っていいるけど、高いんだよ。3DCGソフト自体は無料だけど、参考書にお金がかかるんだよな。で、なんとなく、読んでおこうという気持ちになっているだけの本で、実際にソフトをインストールしてやるかどうかは別なんだよな。昔は、もちろん、ソフトをインストールして本に書いてあることを実行して確かめるということが好きだったんだけど、いまは、そこまでの気力がない。やる気がない。けど、なんとなくぼやーーっとしている時間があるので、その時間にそういう本を「読むだけでも読んでおけば」やる気になったときに役に立つかなと思っている。だから、買って読めばいいんだけど、お金がかかる。で、お金がかかるということがブレーキになっていて、なかなか買えない。そういう状態でC#の入門書でも読んでみるかなというような気持ちになっている。Unityというソフトで物理シミュレーションができるのだけど、その手のことも、やってみたくなっている。というか、Unity5とかすごいよな。ゲームに興味はないんだけどさ。Unity5+ジョーカースクリプトで恋愛シミュレーションゲームなども制作できる。すごい時代になったな。
まあ、ただ単にいじってみたいということだけで、それが金儲けにつながるかどうかはわからない。「そんなことより、いまある技術でなんか金になるものをガンガン作った方がいいんじゃねぇ?」という思いもある。あちらこちらに興味が分散していて、その力があんまり強くない。暇な時間に読んでおいて、多少の踏み台に使えるかなという感じ。インストールするエネルギーがないというのがそもそも問題なんだよな。だから、そういうインストールするかどうかわからないようなソフトの使い方にお金をかけていいのか?という問題もある。けど、一通り読みたいときに読んでおけば、力にはなるんだよな。いざやり始めたときに操作の全体性が見えているから、たぶんスムーズに進むことができる。

2017年2月10日金曜日

「苦しいと言っているからダメなんだ」再考

自分にいいメッセージを与え続けることはいいことだと思うよ。ぼくはそれを否定しない。ドンドンやるべきだと思う。それじゃ、ぼくがスピリチュアル・開運関係について書いてきたことはなんなんだ?と思う人もいるだろう。ぼくがスピリチュアル・開運関係について書いてきたことは正しい。そして、「自分にいいメッセージを与え続けることはいいことだ」というのも正しい。これは、スピリチュアル・開運関係について書いてきたことを読んでみればわかると思う。要は、「すべて」なのか「すべて」ではないのかということだ。生まれの差とか、その後の環境の差とか、その後の出来事の差があるので、「すべて」ではないということだ。なにも悪いことをしてないのに、有機水銀を摂取して水俣病になってしまう人がいる。で、その人は、からだが苦しいので、苦しいと言う。その場合、有機水銀のことをどうにかしないと、苦しみは減らない。だから、「苦しくない苦しくない苦しくない」「楽だ楽だ楽だ楽だ楽だ楽だ」「楽しい楽しい楽しい楽しい」と繰り返し言い続けることでは、苦しさは解決できない。しかし、すべてのことがそれで解決できると思っている人は、こういうことを無視する。「すべて」ではないということを認めてしまった方がよいのではないかと思う。彼らにとっては、「すべて」なのである。だから、たとえ、どんな原因があろうとも、プラスのメッセージを与え続けることによって、事態は改善し、どんな病気も治るのである。そういう無意識的な前提があるので、実際に苦しんでいる人に「苦しいと言っているからダメなんだ」「楽だ楽だ楽だ楽だ楽だ楽だと言えば楽になる」と言ってしまう。で、これは、言い行為なのかどうかというと悪いこうだと思う。さらに、「いま、あなたが苦しんでいるのは、あなたが悪い状態を呼び込んだからだ」というようなことを言ってしまう。それは、逆に、思いやりのない悪い言葉だと思う。時系列系のことがわかってないんだよな。たとえば、水俣病の場合、苦しみのほうが先なんだよ。物理的に、生物的に苦しくなる理由があって、苦しいと思っているわけなんだよ。水銀を摂取する前に「苦しい苦しい」と言っていたから、実際に苦しくなったのではない。ただ、観察者?要は赤の他人で、観察者が、視たときは、苦しいと言っているから、その観察者は「苦しいと言っているから苦しくなったんだ」と感じてしまうことが多い。長期間からだの苦しみ感じている人はいるから、なんて言うのかな……その時点で苦しいと言っていると、その人に会った人、あるいは(テレビでそういうところを)視た人は、ずっと苦しいと言っているように思ってしまう。で、原因が生じた時点と、結果が生じた時点のことを考えないでものを言ってしまう。症状が出て、苦しいと言い始める前に、原因がある(原因となることが生じていた)ということがわかってない。時系列的なことがわかってないだけなんだよな。じゃ、わかりやすく言っておこう。たとえば、Aさんが二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて毒を摂取したとしよう。そして、二〇〇二年から症状があらわれたとしよう。そして、二〇〇二年以降二〇四〇年まで症状が消えず苦しんだとしよう。そして、Bさんが二〇一二年に、「Aという人がもう一〇年も苦しいと言っている」ということを小耳にはさんだとしよう。その場合、Bさんには時系列的なことがわからないから、「Aさんは苦しいと言っているからダメなんだ」「Aさんも楽だ楽だ楽だ楽だ楽だ楽だと言えば楽になる」と思ってしまうところがある。「すべて」という思考にとりつかれていると、そう思ってしまう。けど、Aさんは症状があらわれる前の二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて「苦しい」と言ってない。だから、「苦しい」と言ったということが原因ではない。苦しいと言い始めたのは、二〇〇二年以降だから。……まあ、こういう話しだ。
言霊っぽい考え方をしている人は、やはり「すべてそうだ」と言いたくなるところがある。だから、それに反することは、あんまり認めたくないという無意識的な判断があるのではないかと思う。言霊っぽい考えにとらわれている人は「なんでも……と言ったから」と考えがちだ。けど、それは、間違っている場合がある。そして、他人が他人に対してたとえば、「苦しいと言っているからダメなんだ」言うのは、よいことなのか悪いことなのかというと、あんまりいいことじゃないだろうと思う。理由は、いままで述べてきたように、事実そうではない場合があるからだ。

けど、じゃあ、たとえば、Aさんが自分の治癒力を信じて、「よくなるよくなる」と言うことは、よいことなのか悪いことなのかというと、よいことだと思う。実際に効果がある場合もある。だから、自分が自分に対してはっぱをかけるのはいいと思うよ。どんどんよいメッセージを自分に送り込んで欲しい。すべての場合においてよくなるとは言えないけど、逆に、すべての場合において効果がないとは言えない。

問題なのは、自分に対してよい言葉をかけてやることではない。そうじゃなくて、「苦しいと言っているからダメなんだ」と他人を責めることだ。

2017年2月9日木曜日

卵形バーチャルコンソールのなかで生き生きと活躍(これも、ショートショートにしておいたほうがいいか)これは断片的小説です

こんな生活をしていて、楽しいはずがない。そりゃ、そうだろう。こんなことの繰り返し。いったいなんの意味があるのか。現実世界においてぼくがはたそうとしてきたことは、すべて、失敗した。どうにもならない。つまんないよな。そりゃ、つまんない。全部、空想するだけだったら、……だけだったら……だけだったら……むなしくなるにきまっている。そして、そのむなしさのシカバネを、何十、何百、何千、何万、何十万と乗り越えてきたわけだからさ。シカバネにも慣れるだろう。

そういえば、現実世界においていい思いをするエリートと、仮想世界でしかいい思いができない失敗作(敗者)に別れるとか言ってたな。誰かが言ってた。二極分化が起こる。卵形のバーチャルコンソールに入って、一生夢を見て、死ぬんだよ。卵形のバーチャルコンソールは言ってみれは、ひつぎだ。

2017年2月6日月曜日

かなりだるい。つまらない。

かなりだるい。つまらない。
あたまがもやもやする。

どうるすかなぁ~~ ぼくは~~は!

……だるいと言ってもしかたがない。
……そりゃ、わかる。けど、だるい。

なんとかなんないかな? このからだ~~
あ~、めんどい。

俺、このまま、ここで、死ぬ、のかな?
ここで、いままでと同じように歳をとって死ぬのかな?
ヘビメタ騒音がはじまってから、くるしくてくるしくて、しかたがない。
本当にからだがつねにだるくて、かちかち山だ。背中がこげているけど、もう、走れない。

つかれたなぁ。ほんとーー、つかれたーー。
本当に、どれだけ頑張ってもどうにもならなかった。
本当に、どれだけきちがい兄貴に言ったと思っているんだよ? きちがい兄貴は?
ともかく、兄貴のヘビメタ騒音で、小学六年生以降、ずっとくるしい。きえない。
くるしさがきえない。

思い返すと、くるしいし一生だったな。
ヘビメタ騒音で普通の人に普通に誤解される。能力一〇分の一ぐらいで生きている感じだ。そして、「底辺研究室の夢」じゃないけど、だるいからだで、力を振り絞って生きているのに、めんどうなことが次々と発生する。めんどうくさすぎるだろ!

いままで横になってたけど、これから、横になる。じゃあ。

2017年2月5日日曜日

底辺研究所の夢 (ショートショート 超短編小説)

夢を見たんだが、不愉快な夢だ。こういう不愉快な夢ばかり見てるよ。今日の夢は、なんか、研究所のようなところでぼくが働いているのだけど、その研究所のようなところは、底辺工場のようなところでもあるのだ。みんな白衣を着ているのだけど、人間の質は低そうな感じなんだよな。

で、いやーーなやつが、高圧的に「このボードを運べ」と命令してくる。こいつは、どうやら現場の責任者らしく、そういうふうに命令する権利があるようであった。で、そのボードというのが、くせ者で、炭疽菌のようなあぶない菌の粉がついている。粉と言っても、大きさが均一な粉ではなくて、顆粒状の粉から、本当にものすごく細かい粒までついている。だから、ちょっと、風が吹くとその細かい粉のほうが吹き上がりそうなのだ。

で、いやーーな上司が、「あぶない菌がいっぱいついているから注意をして運べ」という。いや、「注意して運べと言っても、こんなむき出しの状態で、注意して運べもないだろ」「細菌の粉が風でまったらあとあとめんどうなことになるでしょう」というようなことをもっと丁寧な言葉で言ったんだけど、全然聞き入れずに「さっさと運べ」と言う。

そのボードは、横六〇センチぐらい、縦二〇〇センチぐらい、厚みはわずか五ミリぐらいのベニヤ版のようなのボードなのだ。「こんなボードで、そんなあぶない細菌がついているやつを、むき出しのまま運ぶなんて、おかしいだろ」と思ったんだけど、俺は、そのいやーな上司の命令を聞かなければならないらしく、しかたがなく、運ぶことにした。

だいたい、手でつかむところもそういう最近の粉がついているかもしれないので、本当に触りたくなかった。一応、目に見えるような粉はついてないのだけど、一五センチ先ぐらいから、細かい粉と顆粒状の粉がいっぱいついている。

そういうのを、普通にムキだしのまま、運ぶように命令するのっておかしくないか?と思っているのだけど、あまりにもあたりまえのように、あまりにも高圧的に命令されたので、「ここではそういうふうにやるのかな?」と疑問を持ちながら、運んだ。

で、そこには、でかいテーブルがいくつも置いてあって、通り道は、碁盤の目のようになっている。だから、十字路みたいになっている地点がいくつもある。で、最初、直進して、九〇度左に曲がって、進んだ。で、九〇度左に曲がったときに、ふたつ離れたテーブルの横で話している二人組の男がいた。

で、そのうちのひとりが、これまた、上司とは違った意味でいやなやつで、なんて言うのかな、多動系のいやなやつなんだよ。こいつは、話しに夢中になっていて、どういう動きをするのかわからない。研究室みたいなところで、そいつも白衣を着ているのに、落ち着きがないんだよ。

で、昨日見たテレビの話をしているんだよ。で、ジェスチャーが大げさなやつなんだよ。で、こいつが、後ろを向いたまま、手を前にやって、前屈のようなかっこうをして、それで、後ろを見ないで、がたがたがたがたという感じで、足を動かして、テーブルの十字路のほうに来そうな感じがした。(夢の中で、そういうビジョンが浮かんだ)。

これ、そういうことをする可能性があるやつで、注意しないと、本当になにをやるのかわからないようなところがあるので、「あぶないものを持って後ろを通るから、注意してね」とそいつに聞こえるように言ったんだよ。

けど、そいつは、夢中になって話していて、全然、聞こえないみたいなんだよ。だから、でかい声で「あぶないものを持って後ろを通るから、注意してね」と言ったんだよ。そうしたら、そいつが、怒鳴られたと思って、「なんだとぉ」と言って、こっちに突進してくる。

だから!! そういう事態を避けるために言ったのに!!と思った。そいつは、俺に近寄ろうとしていたんだけど、俺に近づくということはボードに近づくということなんだよ。けっきょく、そいつが、ボードにぶちあたったんだよ。で、ほこりが舞った。……そういう夢。

これ、話しに夢中になっている多動系のバカの顔は、見覚えがないものだった。けど、あいつに似てるなぁと思った。それから、いやーな上司だけど、これも、別のあいつに似ているなと思った。まあ、モデルはいるのかな? 初めて見る顔だったけど。

この、多動系のいやなやつだけど、こいつは、話し終わったら、くるっと後ろを向いて、走り出すようなやつだ。だから、そういう可能性もあるんだよ。で、ボードを持ったまま、一応、通れるのだけど、俺が十字路のところを通っているときに、そいつが後ろを確認しないで走り出すと、ぶつかる。

そいつは、昨日見たコントの話しをしている可能性がある。で、コントの中で、たとえば、がたがたがたがたと足を動かして、後ろに歩くという動作をしていたら、それを、まねして再現するようなやつなんだよ。で、その時「後ろを確認する」というような行為は、絶対にしない。

それから、なんかの調子に自分の用事を思い出したり、自分の話が終わったら、後ろを確認しないで、いきなり走り出すように進むようなところがある。だから、注意したのに、顔を真っ赤にして怒って「なんだとぉ」と言って向かってくる。勢いよく突進してくる。それが、要するに、突然の行動なんだよな。相手がなにを持っているかとか、そういうことは、気にしない。

くるって、方向を変えて、走り出すようなところがある。まわりを確認するということがないんだよ。自分が話し終わったら、もう、話し終わったわけで、話していたやつになにも言わないで、くるっと後ろを向いて、走り出す。走り出すのは自分が別のことを思いついたからで、特に走ろうとする意思があるわけじゃないんだけど、なんて言うのかな、そういう行動が突然なんだよね。

だから、そいつが、突然後ろを向いて走り出したり、ダンスのまねをして、後ろを向いたまま、足をばたばたさせて、後ろに進むということが、あり得る。このあり得るというのは、「可能性!!!」なんだよ。だから、別にそいつが、実際に悪いことをしたというわけではない。

けど、安全のために、注意しておかなかったら、そういう可能性があるわけだから、こっちは、注意せざるを得ない。で、そいつは、自分が突然大声で注意された?というのが気にくわないわけ。俺は、最初、普通の声で言ったけど、聞こえないみたいだったから、大声を出しただけ。けど、そいつは自分が怒鳴られたと思って、たぶん、怒ったのだろう。けっきょく、ボードにぶつかって、ほこりが舞った。このほこりは、やばいほこりなんだよ。「だから、そういうふうにならないように注意したのに!!」と思った……ところで目が覚めた。

人生こういう、いやなことばかりなんだよ。人生こういう、いやなことばかりなんだよ。人生こういう、いやなことばかりなんだよ。


2017年2月4日土曜日

催眠術のショーでアヒルになったAさんは、アヒルになったわけではない(なになになるとというのと、なになにのふりをするというのは違う)

なれる」といった場合の「なれる」の意味が違うということについて、説明しておこう。ジョセフ・マーフィーが「人間はなりたいものになれる」といった場合、第一義的には、催眠下での行動について言っているのである。

どういうことかというと、たとえば、Aさん、Bさん、Cさんを催眠術にかけるとする。で、Aさんには、アヒルになりましたと暗示を与える。Bさんには豚になりましたと暗示を与える。Cさんにはストリップのダンサーになりましたと暗示を与える。そうすると、Aさんは、アヒルになるし、Bさんは豚になるし、Cさんはストリップのダンサーになるということになる。実際には、もちろん、Aさんは、アヒルになったのではない。アヒルのふりをしているだけだ。Aさんの中にあるアヒルのイメージを行動を通して表現しているだけだ。

別に、「アヒル」そのものになったわけじゃないのである。けど、「Aさんがアヒルになったのだから、あなたもなりたいものになれます」と話しをつなげてしまう。ジョゼフ・マーフィーが言う「人間はなりたいものになれる」というのは、こういうことなのだ。アヒルそのものになったわけではないというのは、あたりまえすぎて、それがなんなんだという話になるけど、大切なことだ。アヒルと違って、ストリップのダンサーの場合は、人間がなれるものだ。実際になることができるものだ。だから、ストリップのダンサーのまねをしている人を指さして、「人間はなりたいものになれます」と言った場合は、不自然さは軽減される。

けど、この場合も、Cさんの中にあるストリップのダンサーのイメージを表現しているだけだということになる。要するに、演じているにすぎない。実際に、Cさんはストリップのダンサーじゃなくて、ストリップのダンサーのまねをしているだけだ。Cさんに「あなたはアイドルです」と暗示をかければ、アイドルのふりをするだろう。しかし、それは、アイドルになったわけではないのだ。けど、ジョゼフ・マーフィー流の説明では、「アイドルのふりをしている」ということと「アイドルになった」ということを区別しない。だから、アイドルのふりをしている人も、アイドルなのだ。

だから、「人間は好きなものになれます」「なににだってなれます」と、催眠下の演技を例にして説明することができる。実際には、「なってない」にもかかわらず「なることができる」とつなげることができるのだ。

だから、これは、一種の間違った演繹(トリック)なのだ。本当は違うことを言っているのだけど、おなじことを言っているように見える。あんまり注意をして聞かない人だと、「そんなものかな」「そうなんだろうな」と思ってしまう。ジョゼフ・マーフィーはアイドルについて語ってないけど、彼が話していることはそういうことだから、この説明で問題はない。

ところで、このことは、もうひとつ重要なことを示唆している。知らないものの演技はできないということだ。たとえば、「あなたはアジョヘールです」と言われても、「アジョヘール」がなにを意味しているかわからない人には、「アジョヘール」の演技すらできない。「アジョヘール」を知らないと、催眠下でも、「アジョヘール」に※なれない※のだ。アジョヘールというのは、人の名前でもなく、動物の種類を表すの集合的な名詞でもない。いま、ぼくが勝手に作り出したものだ。だから、アジョヘールがなんなのかぼくも知らない。

アヒルになれる人……アヒルの演技をすることができる人というのは……アヒルがなんであるのか知っている。Aさんがアヒルになることができるのは、Aさんの中にアヒルのイメージがあるからだ。そして、アヒルのイメージが「観客」の持っているアヒルのイメージとだいたいおなじだから、「Aさんは、アヒルのまねをしている」と観客が思うことができる。ジョゼフ・マーフィーの場合「Aさんは、アヒルのまねをしています」ではなくて、「Aさんはアヒルになりました」という説明をするのだけど。

これは、逆に「なににだってなれる」というわけではないということを意味している。まず、それがなんであるのか知ってなければ、なることができないのである。あたりまえの話しだけど、確認しておいた方が良いと思うので確認しておいた。人間は、それがなんなのかよくわからないものにはなれない。まねをすることさえできない。

そういう態度で、頑固に無視して、やったのに!!!

ご飯を食べたあと、だるくなる。このだるさは眠気を伴うだるさで、ともかく横になりたくなる。たいてい、椅子に座っているから、椅子に座ってられなくなって、寝床に倒れ込むように、横になる。で、だるさは、消えない。で、このだるさなんだけど、きちがいヘビメタ騒音のときのだるさとおなじなんだよね。だから、ヘビメタ騒音経由のだるさで、糖尿病などは関係がないと思っている。ともかく、たしかに、眠りたくなって、だるくなる。いや、だるくなって眠りたくなる。座ってられない、立ってられない、という状態で、横になりたくなる。で、その時に感じていることが、やはりヘビメタ騒音のことなんだよ。これ……この感じ……ヘビメタ騒音にたたられて寝床でうなだれていた二十歳の時とおなじだ……と思う。ともかく、つらい。きちがい兄貴はひどきずる。自分だまし?」が完璧なんだよ。だから、こだわりつくして、やったことを、やってないことにしてしまう。やっているそばから、「つもりがない」というきちがい頭なんだよ。こだわりつくして、やれる時間はすべて使ってやったのに、本人は、全然やってないつもりだ。全然やってないのとおなじつもりなんだよ。あいつの態度を考えてみたら、やっぱり、そういうふうに考えているとしか思えないような態度だった。「ぜんぜん鳴らしてない」「全部ゆずってやった」と心底思っている態度なんだよ。実際には、「すべての時間、こだわりのでかい音で鳴らして、すべての時間、ゆずってやらなかった」のに、「すべての時間ゆずってやった」と思っている態度だ。発言もそうだ。実際にあいつが俺に言ったことは、少ない。一四年間で、あいつが俺に言った言葉は一四個ぐらいだ。一四年間で、あいつが俺になにかを言った回数は、一四回ぐらいだ。そういう発言の量なんだよ。年にひとことも口を利かない状態がノーマルな状態だ。兄貴は、親父とも口を利かなかった。実は、お母さんともあまり口を利いてない。すべての時間、自分の部屋に閉じこもって、ヘビメタを鳴らしていた。大音響でヘビメタを鳴らしていた。お母さんに言うのは「風呂」「めし」のフタコトだけだ。あとは、全然口を利いてない。それが、普通だった、それが異常な状態だとは絶対に思ってない。「うち」では、それがノーマルな状態だった。一年だけじゃなくて、十数年間そういう状態だ。普通の人がそういう話を聞けば、それはおかしいと思うだろ。けど、「うち」では、そういう状態は、あまりにもあたりまえすぎて、だれもへんだとは思わない。きちがい兄貴は、本当に、思いやりがないんだよ。お母さんが言ってたけどな。けど、「思いやり」とかそんなものじゃないと思う。思いやりがない」とかそんなことで、語れることじゃないと思う。あいつの態度は明らかにおかしい。「よそ」の人におなじ態度で接してみろ! いまの家族におなじ態度で接してみろ!! 全部、「うちだから」通したことだろ!! きちがい兄貴!!! おまえ、ちょっとは、そういうことを考えた方がいいよ。これも、自分の態度なのに、あまりにもあたりまえすぎて、まったく考えないんだよな。「そんなんじゃない」つもりのままなのである。「よそ」の人……新しい家族に対する態度と、生まれた家の家族に対する態度の違いを考えてみろ。どれだけ、病的にゆがんでいるか、わかるから。きちがい兄貴の態度なんて、きちがい親父の態度よりもおかしい。まあ、きちがい親父にさんざんいじめられたから、意固地になってしまったのだろうけど、……どう考えてもおかしい。そして、あれだけ頑固にやっておきながら、自分の態度がおかしいと考えないところも、おかしい。いまだに、「うちのこと」に関しては、ぜんぜん悪いと思ってないんだからな。兄貴の嫁さんに言ったように「自分にだって言い分がある」という気持でいる。あれだけ、自分が思ったように鳴らし続けたのに、まだ「自分にだって言い分がある」なんてきちがい的なことを考えているのかよ?? それがおかしい!!! きちがい兄貴は、うちのことに関しては!!あのときのままなんだよ。ぜんぜん反省してない。やったとも思ってない。親父とおなじなんだよな。自分が意地になって一〇年以上やったことでも、「やってない!やってない!」「そんなんじゃない!なんなんじゃない」とフタコト言えば、それで、全然関係がない人のつもりになれる。そういう態度で、頑固に無視して、やったのに!!!

きちがい兄貴に、言い分なんてない。全部やりきったわけだから。一日に、半分の時間は、鳴らさないで静かにしてやったというのであれば、「言い分がある」とか発言してもいいけど、半分の時間鳴らさないでゆずってくれた日は一日もない。どれだけ、言っても「半分の時間」鳴らさないでゆずってくれたことも、「半分の時間」ヘッドホンをしてゆずってくれたことも、ない!!! 全部の時間、カオ君が「こんな音で鳴らして大丈夫なの」と不安になるような音で鳴らしているのに、「ゆずった」とか、あり得ない。「ゆずってやった」と思っているところがおかしいんだよ。












2017年2月1日水曜日

ゆずってやった!!ゆずってやった!!!

むなしい~~。重い~~。これがぼくの人生なのか? 重いな~~。あ~、起きても変わらないしな。起きたって、かわらないよ。とりあえず、喉が渇くので、水を飲んだ。そのあと、お湯を飲んだ。けど、喉の渇きがとれない。しょーーがない。起きたときにつらいんだよな。本当、ヘビメタ騒音に六年間たたられて、昨日もたたられて、それで、起きて入試に行くときの「朝の感じ」が、持続している。

とりあえず、ご飯を食べることにする。ご飯は、だいぶ釜の中でひからびている。保温のままだから。まあ、いいや……ともかく、茶碗半分ぐらいのご飯をよそって、食べることにした。茶碗半分ぐらいしかない。茶碗じゃなくて、皿に載せて食べることにした。そして、自分がつくって冷凍しておいた味噌汁をあっためる。これは、大根の味噌汁で、具が多い。けっきょく、ご飯と味噌汁だけで食べることにした。それでも、用意をするのがめんどうくさい。

苦痛なんだよな。不安なんだよな。「このさき、どうなっちゃうんだ」という不安がつねにある。ヘビメタをやられたときから……小学六年生のあの日から、ずっと、「このさき、どうなっちゃうんだ」という不安にさいなまれている。希望があんまりないからな。

これ、くるしいんだよな。本当に、どれだけぼくが……。ぼくが……。ぼくがヘビメタ騒音で不安になって……つかれた生活をしてきたか。医者が言ったように、「寝ているあいだも、休んでない」のだろう。つかれはてているんだよな。言いようがない。他の人には言いようがない。あれが続いたら、どれだけ健康な人でも、疲れ果てたからだになると思う。不安と疲労でめちゃくちゃになると思う。

ヘビメタ騒音中の怒りや、ヘビメタ騒音をあたりまえのように鳴らしているきちがい兄貴の態度に対する怒りで、いっぱいになってしまう。だれだって! だれだって!! あの態度ないよ!!! 本当に、きちがい兄貴のあの態度はない。あれは、親父のコピーで、親父の態度を知っている人にしかわからない。本当に、意地になって、一日中、絶対にゆずらないでやっていることなのに、本人は、「ゆずってやった」「全部ゆずってやった」と思っている状態なんだからな。

じゃあ、ゆずってくれるのかというと、それはもう、一秒だろうが、顔を真っ赤にして怒り狂って「ない」んだよ。そりゃ、もう絶対にない。一秒でもゆずったら、死ぬみたいな感じでゆずらない。どれだけの意地がかかっているか。自分が鳴らしたい音で鳴らすということに、どれだけの意地がかかっているか。これ、本当に命がけで、一秒でも「本当に」ゆずってしまったら「死ぬ」みたいなさわぎなんだよ。

言われたら!! やめてくれと言われたら!! 一秒でも「本当に」ゆずったら、死んでしまうと言うような引きつりと意地でゆずらない。本当にはゆずらないけど、自分がゆずってやりたい分だけゆずってやるというのがある。

で、これがふざけた話しで、全然ゆずってない状態なのだ。「どこがぁ!!!!」と絶叫したくなる。で、「そんなんじゃゆずったことにならない」「うるさくてこまる」ということを言っても、全然通じないんだよ。

その時の通じなさが、また、狂っている親父とおなじなんだよ。自分にとって不都合なことを言われたら、顔を真っ赤にして怒り狂って、……なんて言うのかな?……ひきつって、顔を真っ赤にして、きちがい的な意地でやってしまう。これ、本当に、その場でやめさせようとしたら、殺すしかないんだよ。これ、本当なのに、他の人は、わからない。そういう状態だというのがわからない。あとは、本人にはわからないらしくて、本人は、そんなことはまったくなかったつもりになってしまう。

自分が殺されずに、自分の意地を通すことができたなら……しがみついて、相手の言い分を退けて、自分の意地を通すことができたなら……やってないことになってしまう。そんなの、知らない」という気持ちになってしまう。本当に、「言われた」という記憶がない状態になってしまう。いつも、言われたら……自分に不都合なことを言われたら……その瞬間にそういう状態になってしまうので、何万回、何十万回、何百万回言っても、いわれたことになってないのだ。

当然、言われたのにもかかわらず、自分が押し通して「やりきった」ということになってない。「ソンナノシラナイ」状態で、やりまくって、本人はまったくやらなかったのとおなじ気持ち、認識になってしまうのである。だから、こまる!! 本当に困る。だから!! 悪気がないまま……あっちは悪気がないまま、こっちがこまることを、やり続けることができるので……なんて言うのかな?……特にうらまれている感じを持つことができない。

これ、相手がやめろ「やめろ」と毎日怒鳴り込んでくることをやり続けて、それで、「なにもしたつもりがない」とかおかしいんだよな。どれだけ、もめたと思っているんだよ。兄貴のやりがち。一万回、一〇万回、一〇〇万回、一〇〇〇万回、兄貴のやりがち。毎日、おなじことが続く。

ひっくりかえせない。
ひっくりかえすとしたら、殺さなければならない。

そういう状態を突きつけて、それで、全然悪気がないまま、どれだけ言われても、一日中、頑固にでかい音で鳴らし続ける。兄貴には、「こだわりの音」があって、「こだわりの音」で鳴らすことに、命がけでこだわっているので、たとえ、静かにするとしても、「こだわりの音」の範囲内で静かにするということになってしまうのである。で、それが、兄貴にとって唯一の!!「静かにする」なんだよ。「静かにする」となったら、そういう範囲内でしか静かにしない。もちろん、兄貴が「静かにしてやったつもり」になっているだけで、けたたましい音で鳴っている。そりゃ、こだわりの!!でかい音だから!!!

どれだけ、物理的にでかい音で鳴らしていても、「兄貴が、こんなのはたいした音じゃないと思ったら」……たいした音じゃないんだよ。だから、兄貴の友達が「こんな音で鳴らして大丈夫なの? 家でこんな音で鳴らしたこと、ないよ」と言われても、「大丈夫、大丈夫」と答えて、本当に、そういう音で鳴らし続けるのである。「家族のひととか大丈夫なの」「弟さん、大丈夫なの」と質問した、兄貴の友達の感覚が正しい。

兄貴の友達が、※「うち」で鳴らすにはでかすぎる音だと感じた音で鳴らしてたって、兄貴にしてみれば、「ゆずってやった音」なのである※。「静かにしてやった音」なのである。物理的にどれだけでかい音でも、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の範囲内でゆずってやったら、それはもう、※ものすごくゆずってやった音※だから、その音に文句をつけてくるのは、けしからんことなのである。

だから、きちがい兄貴の基準で静かにしてやった……としても、まったく意味がない。本当に、きちがい兄貴が「静かにしてやった」と思ったら、どれだけ物理的でかい音で鳴らしてたって「静かにしてやった」ということになってしまうのである。こういうことの繰り返し。一日に一四時間鳴らせるときは、一四時間鳴らし切って、「静かにしてやった」と思っている。「ゆずってやった」と思っている。本当は静かになってないから「静かにしくれ!!」と言われたら「ゆずってやったのに、なんだ!!」と親父とおなじ態度で、怒ってしまう!!
「せっかく静かにしてやったのに、後から後から文句を言ってきやがって!!!!」と本気で思う。実は、物理的にどでかい音で鳴らしているから、……本当には静かにしてやってないから……相手が、「静かにしてくれ」と言ってきたとは、思わない。自分が被害を受けたつもりしかない。自分が、まったく鳴らしてないのに、「静かにしてくれ」と文句を言われたというような気持ちにしかならない。「せっかく静かにしてやったのに!!」「なんだぁ!!!」「なんだ!!なんだ!!」と怒り狂う。本当に静かにしてやろうという気持なんて、みじんもない。逆に、「文句を言ってきたから、俺の気分が悪くなった。俺の気分が悪くなったから、(このあとは)どれだけ鳴らしても文句を言ってくるな!!」という気持ちにしかならない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。