2017年5月31日水曜日

引き寄せ思考は行き過ぎた自己責任論 引き寄せ思考はポップな人間全体主義

引き寄せ全体主義に関する考察

引き寄せ思考は、一種のプチ宗教になっている。これは、スピリチュアリズムの一部だ。基本的にはスピリチュアリズムの考えを用いて、現象を説明している。これは、カジュアルな宗教なので、特に問題はないのだけど、ひどく落ち込んでいる人をさらに落ち込ませる力がある。引き寄せ思考を信じている人たちは、「人は」とか「人間は」という話しをする。主語は人間なのである。この場合、例外はない。条件とか例外は考えないのである。どうしてそういうことになるかというと、「普遍的な真理」について語っているつもりになっているからだ。だれにでも成り立つ普遍的な真理」について語っているつもりになってしまう。なので、こういう場合は成り立たないとか、こういう条件が成り立たない場合は、引き寄せ思考も成り立たないということにはならない。
条件とか例外を考えておかなければ、けっきょくは、人を責めることになるということがわかってない。引き寄せ思考は行き過ぎた自己責任論なのである。つねに「あなたが不幸なのは、あなたが不幸であることを楽しんでいるからだ」「あなたが不幸なのは、あなたの責任だ」というような決めつけがある。人間は、人間によって、環境が違う。その環境の違いを全部無視して、勝手な自己責任論を投げつけるのが、引き寄せ思考の害悪だ。人間というものを主語にする場合は、条件とか例外について考えておかなければならないのである。しかし、無慈悲に「人間」を主語にする。そして、「人間はみんなそう」と言い出す。これは本当に無慈悲な考え方で、ぜんぜんスピリチュアルじゃない。
本人が引き寄せ思考を楽しんでいる場合はよい。本人が主語で本人の関わる限りにおいてこういうことが成り立ったということをいうのはよい。しかし、「人間」を主語にするべきではない。人間を主語にした途端に、例外的な人を追い詰める傲慢な思考になってしまう。


2017年5月30日火曜日

ヘビメタ騒音が一〇分で鳴りやんでくれたら


最近になって、普通の騒音でも腹が立つようになった。

いまも、幼稚園の子供がきーーっと奇声をあげているけど、気にならない。本当にそういうよくある騒音とは、ちがうから。至近距離の爆音ヘビメタ騒音はちがう。いまだに、「自分がでかい音で鳴らしていた」ということを認めない、きちがい兄貴の頑固な態度がゆるせない。頭にくる。

そういう頑固さで!!!鳴らしているときは!!なにがなんだろうが!!!全部の時間!!!スピーカーからヘビメタを鳴らしていたんだよ!!!

エレキギターも絶対に、ヘッドホンをつけないで、エレキギター用のアンプ付きスピーカーで鳴らしていたんだよ。きちがい兄貴が、さげるわけがないだろう。

これ、本当、親父とおなじ態度なんだよな。すべてが、親父とおなじ。親父とおなじ考え方。親父とおなじ認識。親父とおなじ態度。親父とおなじ反応。全部おなじ!! 最初に、一〇〇%の時間、全部自分が思ったとおりの音で鳴らすと決めているから、自動機械がそうするように、毎日毎日、毎分毎秒、そうする。例外がない。頭がおかしいレベルで頑固にそうする。

カオ君という兄貴の友達に「こんな大きな音で大丈夫なの」と聞かれても、「大丈夫」と答えるだけで、大きな音で鳴らしていると言うことすら認めない状態なのに、「うちのひと」に言われて認めるわけがないだろ!! そういうやり方なんだよ。いつもいつも。全部毎日。やれる限りすべての時間そういう態度で鳴らしてた。

(子供の奇声が気になるという人がいたんだけど、ヘビメタ騒音はそんなレベルじゃないと言いたくなったのは、確か(なことだ)。けど、なんて言うのかな、その人の気持ちは、いたいほどわかる。一〇〇%同意する。一〇〇%同情する。その人が書いていた他のことに関しても、一〇〇%同意する。「よく頑張っているよな」と思った。「そんなことがあったのに、そのこと自体には愚痴を言わずよく、がんばっているよな」とずっと思っていた。いまも、そう思っている。だから、集合住宅において子どもの奇声やドタバタが気になると言っている人には、激しく同情する。その人が経験したいろいろなことについて激しく同情する。だいたい、アルバイト先の出来事についてだって、その人が言っていることが正しいと思う。)

2017年5月26日金曜日

まあ、考え方を変えないとダメなんだな

風呂、入った。
風呂、出た。


どうすっかな。

いま現在、頭がそれなりにはっきりしているゴールデンタイムなんだけど、作業をする気がしな~~~い。やっぱり、ぼくは作業が嫌いなんだなぁ~~

この、この頭がもやもやしてない時間というのが短い。短すぎる。一日に二時間ぐらいしかないんだよね。しかも、不愉快な記憶というのがちょっとずつ「まいあがってきて」けっこう、くるしい。

先のことを考えるとくるしい。やはり、女がらみなんだよな。さみしいというのは……。置き去りにしちゃったからな。あとは、なんて言うの? 金。金と、女はリンクしているわけよ。で、金と仕事はリンクしているわけよ。だから、女と仕事もリンクしているわけよ。仕事と名誉はリンクしているわけよ。当然、仕事と社会的な地位もリンクしているわけよ。だから、全部がリンクしてつながっている。

で、まあ、考え方を変えないとダメなんだな。つきあうことは可能だったんだよ。いっぱいチャンスがあった。けど、ぴったりの子というのは、二人しかいなかった。

「おまん、自分の状態を外から見てみろ」と言いたくなる人の気持ちはわかる。いいや、わからない。俺がどういう気持で暮らしてきたと思っているんだ? と言いたくなる。生まれのカードというのはな……。やっぱり、ヘビメタ騒音がでかすぎる。あれの連続がでかすぎる。

いつも、ヘビメタ騒音のことで腹を立てている。いつも、きちがい兄貴の態度に腹を立てている。本当、一四年間、毎日は長すぎる。本当、一〇年目で死亡だ。けど、あいつは、一〇年目でもたりなかったんだよな。一年目とおなじ態度で、うちにいれば、かならず、爆音でヘビメタを鳴らしていた。どれだけ言っても、一日目とおなじ態度で、ヘビメタを鳴らしていた。

あんなの本当、「親父」じゃなければ、ヒトコト言えばわかることなんだよ。兄貴が親父とおなじ脳みそを持ってなければ、ヒトコト言えばわかることなんだよ。兄貴が親父と化していた。完全に発想が同じ。完全に認知、認識がおなじ。完全に行為がおなじ。完全に気持ちが同じ。自分の行いに関する態度がおなじなんだよな。きちがい兄貴と親父で、自分の行いに関する態度がおなじ。他の人には、まったくわからないことだ。

で、本人が……本人たちが、わからないことだ。兄貴は、親父がしたことについてはわかっているのだけど、自分(兄貴)が弟にしたことはわかってない。親父のようにわかってないのだ。これ、「病気」だから、一度わからないとなったら、何十年でも、わからないままなんだよ。どこかでわかるというのがない。病気って、比喩的な意味で使ったんだけど、本当に脳みその病気なのかもしれない。頭がおかしい。絶対の意地で繰り返し繰り返し、毎日やったことなのに、本人は「やったつもりがない」とかおかしすぎるだろ。で、全部が全部、そういう態度なんだよ。そういう毎日なんだよ。かわんねぇ。本当に頭にくる。

   *     *     *

たしかに一二〇年経ったら、どうでもいいことになってしまうのだろう。
けど、俺の「いま現在」を考えるとどうでもいいことじゃない。
きちがい兄貴はけっきょく、親父のように、生きているあいだは、「そうした」「たしかに、自分が意思を持ってそうした」ということを認めないんだろうな。

やっているそばから、そういう態度なんだよ。鳴らしているのに!!! でかい音で鳴らしているのに。本人だって引っ越したら鳴らせないようなでかい音で鳴らしているのに!! 鳴らしている最中も、(あたかも)鳴らしてないのとおなじ気持ちでいる。

俺が「やめくれ」「静かにしてくれ」と兄貴に怒鳴ったあと……つまり、ちゃんと聞こえるように兄貴の部屋まで行って怒鳴ったあと……三〇分の休憩を入れずに考えて一〇時間鳴らしていたとしても、ぜんぜん鳴らさなかったのとおなじ気持でいる。ぜんぜん鳴らしたつもりがないとおなじ状態、おなじ認識なんだよ。

「そんなのは知らない」なのである。自分はやってないから、自分は関係がないというつもりなのである。俺が一日に何十回怒鳴り込んでも、「言われたつもりがない」ままなのである。

けど、言われたら!!! もう、腹を立てて、エレキギターにしがみつく。絶対の意地で鳴らす。親父がやめてくれと言われたことを、必死にやる状態とおなじなんだよな。

で、全部(自分がやりたいように)やれたら……それで、ぜんぜん知らないことになってしまう。自分がぜんぜん関わってないことで、ぜんぜんやらなかったことになってしまう。

鳴り終わったあと、「明日はやめてくれ」と言っても、「いま鳴ってないんだからいいだろ」という返事をする。一秒前まで鳴らしていたとしても、その日一四時間鳴らしていたとしても……当然でかい音で鳴らしていたとしても……本人がやめたら、もう、それで、関係がないことになってしまう。

で、それが鳴らし終わったときの態度だけど、鳴らしている最中に言われても、おなじなんだよ。「いま鳴ってないんだからいいだろ」と言わないだけで……黙りこくって、頑固に鳴らすだけで、心の中はおなじなんだよ。

認識、認知、思考法がおなじなんだよ。感じ方がまったくおなじ。どれだけ言われても、自分に関係があるような感じがしない。もう、鳴らすことは決まっているので、なにも感じない。

家族会議の席で「明日入学試験だからやめてくれ」と言われても、黙りこくって、首を縦に振らず、むすーーっとし顔をして、二階に行って、よそじゃ一分だって鳴らせないようなでかい音で、六時間でも一〇時間でも一二時間でも一三時間でも、ともかく、その日、自分が鳴らせる時間はすべて使って鳴らす。

けど、別に、弟の入学試験の邪魔をしたというつもりがしょうじない。しょうじなければどれだけやったって、やったことにならない。

で、入学試験の前ですらそういう態度で一分もゆずらないで鳴らしたやつが、普段の日にどれだけ「静かにしろ」と言われても、ゆずるわけがないだろ。これ、きちがい兄貴は「静かにしてやった」とか「そんなに鳴らしてない」とか、きちがい的ないいわけを、兄貴の新しい家族の前で繰り返している。

あの音がでかい音じゃないというのであれば、いま住んでいるところで鳴らしてみろ!! 新しい家族の前でやってみろ!! 一日に一〇分でいいから鳴らしてみろ。

どうして、新しい家族の前では、一〇分だってできないことを、……弟の前では……昔の家族の前では、ずっとずっとやりきるんだよ? そして、どれだけやっても、やったとおもわないんだよ? おかしいだろ!!

で、ぜんぜん、おかしいと思ってないんだよな。兄貴は「ぜんぜん、おかしい」と思ってない。で、一〇時間鳴らせるなら、こだわてっこだわって、一切合切ゆずらないで一〇時間鳴らすということを毎日毎日やったのに、きちがい兄貴の態度というのは「まったくそんなことは一日もしたことがない」という態度なんだよ。そういう認識、そういう態度なんだよ。

頭がおかしい。絶対の意地でやったことは、絶対の意地で認めない。で、そういう態度自体を、親父のように、まったくおかしいと思ってない。どれだけ言われても、おかしいと思えないのである。

で、うちにいるときは普通の人のつもりで、普通に鳴らす。本人は、「普通の音で鳴らしているつもり」であるらしい。で、「普通の音じゃないんだ」ということを、ぜんぜん認めない。特別にでかい音だからな。

いまも、でかい音だということを認めてないような発言を繰り返しているけど、うちにいるときは、もっと認めないんだよ。頑固にやり切ってそういう基本的なことを認めない。耳が普通の状態であれば、耳の病気にかかってなければ絶対にでかい音だということがわかるはずなのに、本人がやりたいうちは、どれだけ言われても、認めない。いま住んでいるところでも、昔やったことに関しては、昔の感覚がそのまま残っている。

うちに住んでいるあいだ、でかい音で鳴らしたということを認めてない。これが、きちがい親父ときちがい兄貴のやり方だ。

で、「認めないでやりきったことは」「一年中、絶対にゆずらないで毎日やろうが」やってないと思っているんだよ。そういう毎日なんだよ。

本人だって、いま住んでいるところで、当時とおなじ音で鳴らせない。一分だって鳴らせない。それは、その音が迷惑なでかい音だということを認識しているからだ。どうして、うちとよそで、そんなに態度がちがうんだよ。

どうして、うちでやったことは、全部、なにがなんだろうが、いいこと(問題がないこと)なんだよ?? おかしいだろ!!! 

2017年5月25日木曜日

だれにでも簡単にできる仕事は、本当にだれにでも簡単にできるのかどうかという問題

だめ人間うんぬんに関してもう少し書いておこう。だれにでも簡単にできる仕事は、本当にだれにでも簡単にできるのかどうかということだ。結論から言うと、だれにでも簡単にできる仕事を続けることは、だれにでもできることじゃないのだ。

どうしてそういうことになるか?
単位とする時間の長さがちがうのでそういうことになる。

たとえば、さし身の上にタンポポを載せる仕事をするとしよう。その場合、これ自体は、ベルトコンベアのスピードがものすごく速くなければ!!だれにでもできることだ。まさに、だれにでもできる簡単な仕事ということになるだろう。

しかし、さし身の上にタンポポを載せる仕事を一日に一五時間続けるとなるとどうだろうか? かなりの人が脱落するのではないだろうか。さらに、一日に一五時間続けるということを、毎日毎日、土日も休まず、一〇年間続けることを考えた場合どうだろうか? こういうことに適応できる人は少ないだろう。

そもそも、一定の時間に通勤して、その場所にいるということが必要になる。ぼくは、一〇年以上毎日続いたヘビメタ騒音で、一定の時間にその場所にいるという能力をなくした。そして、一〇年以上毎日、平均七時間ぐらいはどでかいヘビメタ騒音を聞かされる状態というのを経験した人が少ないので、だれもがそういう状態になるということを証明できないでいる。

なので、「一〇年以上毎日、七時間から一三時間五〇分でかいヘビメタ騒音を聞かされると、一定の時間に起きる能力がなくなる」ということを言うと、「そんなことはない」「そんなのは言い訳だ」と言われるというとてつもなくくるしい経験を何度かしている。

そういうふうに言う人は、「一〇年以上毎日、平均七時間ぐらいはどでかいヘビメタ騒音を聞かされる」ということを経験してない。こんなものは、毒ガスをすってない人が、毒ガスなんてすったって後遺症なんて残るはずがないと的外れなことを言っているのとおなじだと思う。

で、まあ、ヘビメタ騒音のことは横に置くとして、言いたいことは、一定の時間にその場所にいるという必要があり、それは、間違いなく、能力のひとつだということだ。能力不足という言葉があまりにもひどい響きを持つ言葉なので、この言葉を使うと傷つく人が出てくるかもしれない。

なので、不適応というような言葉をなるべく使おうと思う。ぼくは、とてつもなくでかいヘビメタ騒音の繰り返しで、普通に眠って普通に起きるという「能力」をうしなった。

だから、そういうことができないという意味で、「それをする能力がない」と言ってもいい状態だ。これはまあ、事故に遭って、歩くことができなくなったというようなこととおなじだ。後天的なことなのである。で、そういう障害は努力論や根性論ではどうにもならない部分がある。しかし、そういう障害を持つ人の人数が少ないと、多くの人から理解を得るということはむずかしいことになる。

だれにでもできるという仕事であったとしても、実は、その仕事を「続けて」やるには、さまざまな能力が必要なのである。一〇分間、そういう仕事ができれば、一六時間そういう仕事ができると仮定してしまうのはおかしな話しだ。

また、毎日、休みなく、一〇年間なり二〇年間なり、三〇年間続けるということは、一〇分間の作業テスト(能力テスト?)でははかることができないことなのだ。

なので、一〇分間なら、だれにでもできる仕事は、だれにでもできる仕事ではないという可能性があるということがいえる。


2017年5月24日水曜日

けっきょく、この世は、ヘビメタ騒音に汚染されたこの世だ


なんかだるい。今日にくらべれば、いままではけっこう元気だったんだな。なんか、暗闇鬱モードになっている。ほんとうーーに、つらかったな~~。

この人生はなんだ。
けっきょく、この世は、ヘビメタ騒音に汚染されたこの世だ。本当に長かった。毎日毎日がつらかった。つらすぎた。あんなのはよくない。どれだけがんばってもマイナス。がんばった分だけ、ヘビメタ騒音でより多くの疲れがたまってしまう。つかれが浄化されることがないんだよな。ヘビメタ騒音が鳴っている限り。

というわけで、がんばっても浄化されないつかれがたまるだけで、どこかで限界が来るのがわかってた。本当に、情け容赦なく、こっちがどれだけ言っても、こっちがどれだけピンチでも、こっちがどれだけくるしくても、まったく関係なしにずっと鳴らし続けた。

一三時間三〇分鳴らせるなら、一三時間三〇分鳴らし続けて、ぜーーったいに、一分ですらゆずってくれなかった。それが、きちがい兄貴がこだわってこだわって、毎日毎日やったことだ。もちろん、六時間四〇分しか鳴らせない日もある。そういう日も、六時間四〇分鳴らして、一〇分ですら、ゆずってくれなかった。そういう毎日だ。毎日おなじ。全部おなじ。

しつこくしつこく鳴らしやがって。あれだけこだわりつくして鳴らして、あれだけ頑固に鳴らして、鳴らしてないつもりだったのかよ?? 本当にきちがい兄貴はきちがい親父だな。そっくり! やっていることがおなじ。頭の構造がおなじ。感じ方がおなじ。自分に不都合なことを言われたときの反応しかたが一〇〇%おなじ。真っ赤な顔をして目を三角にしてやりきる。で、「まったくやってないつもり」だったのか。あれだけこだわって頑固にやって、まったくやってないつもりなのか? まったく関係がないつもりなのか? こういう、きちがいだから、困るんだろ。

2017年5月23日火曜日

できた。できた。 表紙ができたよ~~~

できた。できた。
表紙ができたよ~~~


ちなみに
騒音サイコパス 2
アゴラ対談出版

は現在無料なので、ダウロードしたいかたはどうぞ~~

   *     *     *
にしても、なにをしているときも、「俺がどれだけ……」と感じてしまう。俺がどれだけヘビメタ騒音にやられたと思っているんだ? 俺がどれだけ、兄貴のヘビメタ騒音でこまっていると思っているんだ? ヘビメタ騒音のハンディがでかすぎる。なにもかもが全部めちゃくちゃだった。部活でもアルバイト先の職場でも、めんどうなことになる。ヘビメタ騒音でめんどうなことになる。どれだけ言っても、兄貴はやめてくれなかった。一分もやめてくれなかった。こころのこりだ。

2017年5月22日月曜日

逆に、ゆずられた?ぶんだけ、押し付けられてこまるという状態になる

風呂入った~~~

心配なのは、生活保護をもらわなければならないほど追い詰められることである。生活保護はなるべくならもらいたくない。けど、しかたがない場合は、しかたがないので、申請はする。申請してももらえなかった場合、ものすごくこまる。まあ、その場合は死ぬしかないか。

けど、きちがいヘビメタ騒音からはじまった一連のことでぼくは、こまりまくっている。この、働けない系で俺がどれだけ不愉快な思いをしたか。で、張本人のきちがい兄貴がまったく関係がないつもりでいるというのが、やはり、ゆるせない。

で、やっている最中、足かけ一五年間、毎日そういう「ノリ」だったんだよな。ようするに、毎日「やってないつもりで」「まったく関係がないつもりで」鳴らしていた。で、鳴らすというのも、半分はゆずるとかそういうことではなくて、一〇〇%、全部やっている。こだわりつくして、すべての時間を「がめて」やったのに、本人は一〇〇%ゆずってやったつもりだったり、本人は一〇〇%静かにしていたつもりなのである。

だから、まったく関係がないとしか思えないのである。で、このしくみについては、親父のハンダゴテ事件と酷似していて、兄貴張本人版のハンダゴテ事件とおなじだ。で、騒音を「好きなように」「何年間も毎日」鳴らしたあとの態度というのが、やはり、親父の態度とおなじなんだよね。本人はまったく関係がないつもりでいる。本人はまったくやってないつもりでいる。本人はまったく気にしてない。気にしてないというのは、なんて言うのかな? 気にすることがそもそもできないという状態なのである。そういう認知なのである。

で、そういう認知で、頑固に一〇〇%の時間、きちがい的な意地で、自分が思ったとおりの大きな音で鳴らしている。で、言われたら……怒るだけ。怒って無視してやり続ける。だから、やっているのに、本人は、まったくやったつもりがないんだよね。そもそも! これ!! 自分が本当にやりたいことだと、そういうふうになってしまう。自分が本当に、どれだけ小さい量も、ゆずってやりたくないことだと、そういうことになってしまう。

で、いつもそうしているのに、いつも、そうしているつもりがない。「つもりだけがない」状態なのである。で、意地を張ってこだわってこだわってこだわってこだわって、怒って怒って、やりまくる。だからぁ!!!!!!!!やってるだろ!!!!! と言いたいのだけど、本人はまったくわからないままなのである。本人は、何万回言われても、わからないままなんだよ。

で、やるはやるんだよ。そりゃ、自分のこだわりポイントがあって、そのこだわりポイントは絶対になにを言われてもやりきるというこだわりポイントだから、絶対にやる。兄貴の場合、こだわりポイントは、音のでかさと、音の時間だ。両方とも、絶対にゆずらない。本人がゆずったつもりの場合も、親父のハンダゴテとおなじで、相手にとってまったく意味がないゆずりかたになる。

逆に、ゆずられた?ぶんだけ、押し付けられてこまるという状態になる。で、そういう状態なんだ!こまるんだ!!ということは、これまた、何万回言っても、通じない。言えば言うほど、意固地になって、通じない。言えば言うほど、執着して、執着して、執着してやる。

もっとも、言わなくても、執着して執着して、執着して、執着してやるんだけどね。本当に、こだわりつくして全部やりきれば、本人はまったく関係がないことで、まったくやってないことだと思ってしまうのだ。これ、こまる!! どんだけの意地でやりきるか。こだわりポイントなんだよ。これ、しらばっくれて、まるでこだわってないような印象を与えることを、「よそのひと」には言うんだけど、こだわりまくって絶対にゆずらない。

しらばっくれてやりきったことでこっちは、言いようがない被害を受けている。それは、親父が「役に立たないハンダゴテだということを認めずに、役に立たないハンダゴテを押し付けた」ということからしょうじる不愉快な出来事の比ではない。きちがい兄貴よ。きちがい兄貴のヘビメタを押し付けられて、俺は毎日が、ハンダゴテの日だ。本人がわかってないだけじゃないか。

しかも、わからないというのは、やりたいことから逆算できることなのである。態度なのである。やりたいから、認めずにやりきる。やりたいから、わからないということにしておくということだ。このやりたいから、わからないということにしておくということが、自我にのってないのが問題なんだよ。自我にのっていれば、自分が意地悪をことをしているというのがわかって、自分の音で相手(弟)がこまっているということがわかるのだから。自我にのってないから、認めずにやりきったことは、ぜんぜん関係がないことなのである。自分がやったって、自分がやったことじゃないのである。



2017年5月21日日曜日

どうしても終わらない

暑すぎ。なんだよ。こんなふうに急に暑くなると困るんだって……。あ~~あ。それにしてもあの時のまんまだな。どうするのよ。あの時から何十年もかわってない。ずっとつらいままだ。どうしても、つらい。

あーーあ。あの時のまんまだ。どうしてもつらい。どうしても。

起きてなんとか飯を食って、なんとか風呂に入って、なんとか洗濯をしているけど、つらい。気分がつらい。二〇歳のときのまんまなんだよな。ヘビメタ騒音にたたられていた二〇歳のときのままだ。どうしてもくるしい。どうしても終わらない。

2017年5月20日土曜日

「ダメ人間」カテゴリに登録している人が「ダメ人間」と言われて怒るわけ 考察1

そもそも、ダメ人間という言葉が嫌いなので、あんまり書きたくないのだけどいちおう、書いておくか。最初に断ったとおり、ぼくは、ダメ人間という言葉が嫌いだし、他の人を「ダメ人間」と言う気持ちにはなれない。

ブログ村のカテゴリーにはダメ人間というカテゴリーがある。で、当然登録している人たちもたくさんいる。で、登録している人たちは、たぶん、「ダメ人間」という言葉によいイメージを持っていると思う。ここらへんは、本人じゃないからわからないのだけど、悪いイメージしか持ってないなら、登録しないんじゃないかと思う。

「ダメ人間」という言葉に対するイメージは人それぞれだ。たぶん、ダメ人間カテゴリーに登録している人たちは、「愛すべきダメ人間」「愛嬌のあるダメ人間」というようなダメ人間をイメージしているのではないだろうか。いっぽう、「ダメ人間」という言葉に対して、「愛すべきダメ人間」「愛嬌があるダメ人間」というようなイメージを、持ってない人たちもいる。

愛すべきダメ人間の場合は、ダメと言われる要素を持っているのだけど、他のところでよい部分がたくさんあるから、ダメな部分が対照的な魅力としてうつるのではないだろうか。

いっぽう、普通の人が持っているダメ人間に対するイメージは、「ガチのダメ人間」「真性ダメ人間」のイメージなのではないだろうか。これは言ってみれば、「悪いダメ人間」で、よいイメージが入ってない。

だから、登録している人は「ダメ人間」という言葉によいイメージを持っていて、ダメ人間カテゴリーに登録されたブログを読む人はダメ人間という言葉に対してよいイメージを持ってない場合があるのではないだろうか。

そのような場合、ダメ人間によいイメージを持って、ダメ人間カテゴリに登録した人に対して、ダメ人間に対してよくないイメージを持っている人が「本当にダメ人間ですね」というようなコメントをすると、ダメ人間によいイメージを持ってダメ人間カテゴリに登録した人が、傷つき怒るのではないのではないかと思う。


「本当にダメだな」「本当にだめ人間だな」と愛情がない状態で言われた場合、自分が腹を立てるかどうかを考えてから、だめ人間を標榜したほうがいいんじゃないかと思う。



2017年5月19日金曜日

昔、攻撃的なコメントを入れたやつに、言っておきたいことがある

昔、攻撃的なコメントを入れたやつに、言っておきたいことがある。
それは、俺はそいつのことを能力不足だと言ったわけじゃないということだ。もし、俺がそいつのこと(そついにとって自分自身のこと)を能力不足だと言ったと思っているのならば、それは、誤解だ。むしろ、能力不足だと思っているのは、本人! これ、本当に迷惑だな!

本人が、「できないできない」「自分は、おそい」と書いていたのだ。俺がそのように書いたわけじゃない。本人が書いたこと。

能力不足というのは、作業に対して能力不足ということだから、一万人に一人しか適応できない作業ならば、九九九九人は能力不足ということになってしまう。

で、俺が言いたかったのは、一般論!!!!! そいつがどうのこうのという話しじゃない。職場で要求されること(作業)に対応できないとひきこもりがちになるという一般論だ。

だから、楽な職場を作ろうということになる。もし、引きこもり対策をするならば……という話しだ。

2017年5月18日木曜日

ネガティブ日記VSポジティブ日記 グチ日記VSできたこと日記

ネガティブ日記VSポジティブ日記
グチ日記VSできたこと日記

さてさて、どっちがよいのでしょうか? 普通に考えれば、ポジティブ日記、できたこと日記のほうがいいですよね~~~ 普通にかんがえればぁ!!! けど、本当にポジティブ日記やできたこと日記をつけて、事実をごまかす方がよいのであろうか? あるいは、自分の本当の気持ちを書かないということの方がよいのであろうか?

不満や不安を感じてしまったら、それを書いたほうがよいのではないだろうか。とりあえず、生きていてそういう風な感情を持ったということを記述しておくということは、それほど悪いことではない。たとえ、ネガティブだったとしてもね! だって、実際にほかでもない「自分」が感じてしまったことなのだから。

この「自分」というのを、「あなた」などと書くと、より説得力が増す。

書く人と読む人によって違いがあるのではないかということについて考えてみよう。
ネガティブ日記をネガティブ日記と知って読んでいる場合は、なにかしら意味を感じているから読んでいるのだと思う。これ、まあ、なにがネガティブでなにがポジティブなのか、人によって意見が分かれることもあるだろうと思う。たとえば、岸田秀の本で母親との確執について書いた文章があるのだけど、ぼくは、それを読んでいるとき、「これは……興味深い」と思った。「なにかが得られた」と思った。自分の不愉快な体験の本質的な意味がわかったのである。「こういうことだったんだな」と氷解した。
確執について書いてあるのだから、本全体はネガティブには違いがないのだけど、しかし、「なにかが得られた」ということはポジティブなことだと考えることもできる。
というわけで、実は、なにがネガティブでなにがポジティブなのかは人によってちがうという、ことをいちおう確認しておこう。で、確認した上で、いちおうポジティブ日記と考えられる日記とネガティブ日記と考えられる日記を読んでいる人について考えてみよう。

●「同類相憐れむ」なのか「他人の不幸は蜜の味」なのか?
●ポジティブな日記を読むとポジティブな気分になれるのは本当のことか?
●おなじ出来事に対するポジティブな記述とネガティブな記述
●ポジティブな文章は書く人にとってよいことなのか、読む人にとってよいことなのか?
●同じ悩みを持っている人は、やはり、同じ悩みを持っている人の文章を読むのではないか?
●けっきょく、ネガティブ日記とポジティブ日記の両方をつければよいのではないか
●他人の「できたこと日記」を読むのは楽しいことだろうか(ポジティブになれることだろうか)(たとえば、母親がつけるこどもの「できたこと日記」。母親と子供には意味があるけど、他人が読んで楽しいだろうか)


↑ということについて書こうと思ったけど、めんどうなのでやめる。

今回いいたいことは、ネガティブな文章にも価値があるということだ。

あとは、派生問題として、「おもしろい文章」とはなにか?ということをちょっとだけ考えた。結論からというと、人によっておもしろいと感じる文章がちがうということだ。




よく言われていることは、ネガティブな日記を読んでいる人は、高みの見物で楽しみたいのではないかと

(知ってで、漢字変換でとまどった……氏ってとか死ってとか、出てくる。これおかしいよな。思考が途切れると、書けないタイプなんだよ。やはり、漢字変換の問題はでかい。どうやって、しのげばよいのだろうか。)

2017年5月17日水曜日

なんかいろいろと空回りする。カラマワリ。

さっきもやったけど、俺はいったいなにをやりたいんだ?


なんかいろいろと空回りする。カラマワリ。

サイダー、買ってこようかな。
しかし、……。人工甘味料のほうを買うか。

なんか、ハムも食いたい。ハムもいろいろと評判が悪いけど、便利だからね~~

俺はなにをしたいんだ? 俺はどうなるとしあわせなんだ?

細かい、不愉快な記憶が襲ってくる。寝ている合間に襲ってくる。机を前にして座っているとき、襲ってくる。道を歩いているときも、襲ってくる。不愉快な記憶がいっぱいあるんだよな。まあ、もとはひとつなんだけど。本当、ヘビメタ騒音から派生して、いろいろなことがしょうじた。

そして、いま、ここにいるわけだろ。

きちがい兄貴の態度が問題で、なんて言うのかな? 「あれ、あのとき、鳴らしてないつもりだったのか」と思うと、発狂的に腹が立つ。で、そういう態度だったんだよな。俺が、どれだけ、真剣にやめてくれと言っていたと思っているんだ。本当、きちがい兄貴の態度は、ハンダゴテにおける親父の態度おなじ。まったくおなじ。コピーしているんじゃないかと思えるほどおなじ。あれでぇ!!あれでぇ!!ぜんぜん、つもりがなかったのかよ。あれで、静かにしてやったつもりだったのかよ?

おまえ、きちがい兄貴、本当にまったくわかってないな。親父のようにわかってないな。きっと親父のようにわからないまま、死んでいくんだろうな。それだと、やりがちだ。ゆるせない。これ、いま午後九時二一分だけど、午後九時二一分に、どれだけ「やめてくれ」「静かにしてくれ」「宿題をするから静かにしてくれ」と怒鳴り込んでも一分だって静かにしてくれなかった。

三六五日中三六五日、午後九時二一分は、かならず!!!!ヘビメタがどでかい音で鳴っていて、どれだけ言っても、やめてくれなかった。静かにしてくれなかった。これが事実。それ以外の事実がないんだからしかたがないだろ。

あれだけ毎日、でかい音で鳴らすことにこだわって、さんざん「勉強するからやめろ」と言われているのに、まったく勉強の邪魔をしたつもりがないんだよな。つもりがなければ、どれだけ熱心にやっても、まったくやってないことになっている……らしい。そういう、親父みたいなやり方で、こだわりつくして、こだわりつくして、こだわりつくして、こだわりつくして、毎日毎日、おなじ時間にやりやがって。どでかい音でエレキギターとヘビメタを鳴らし続けやがって!!

これ、「わからない」っていうのがおかしいんだよな。おかしい。どう考えてもおかしい。「親父流のわからなさ」なんだよ。こんなの、何万回説明したって、わからないままだ。で、そのわからない時間、ずっと、わからないままヘビメタを鳴らし切るのである。わからない時間ずっと静かにしてくれるというのであれば問題はないけど、そうではなくて、一〇〇%の時間、やりきるわけだから問題がある。

「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」

自分が絶対の意地で押し付けたもので、自分の子供が恥をかいて帰ってきているわけだから、普通なら、「それはすまなかった」のヒトコトがあるはずなんだよ。たとえ、そういわなくても、「それはまずかったな」と思う部分があるはずなんだよ。

親父の場合は、自分が押し付けたもので、子供がみんなから笑われたという話を聞いたら、「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」と怒り狂う。怒り狂うという反応しかない。本人が腹を立ててしまう。「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」のあと、なにが続くのかわからない。「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!自分はもっとひどい目に遭った!! そんなのたいしたことじゃない!!! なんだなんだなんだ!!!」なのかもしれない。それは、わからない。

けど、「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」という気持ちがあるんだよ。「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」と顔を真っ赤にして怒る。これは、どう考えたって親父が怒るところじゃないんだよ。けど、そうなる。兄貴が、恥をかいたということで怒りたいわけだから。けど、兄貴が怒ることは認めないで、自分が怒ってしまう。「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」「なんだぁ!!そんなのぉ!!!!!!」と発狂する。

で、これも、本人が発狂してしまえば、それで「すんでいる」わけで、なにも残らない。自分が押し付けたもので子供が恥をかいたということがわからない。

あれだけ、「これじゃ使えないからだめだ」と子供が言って、あれだけ「大丈夫だ大丈夫だ」と言って、強制的に持たせたものが、やっぱり使えないということが明らかになった。

けど、きちがい親父の視点だと、その時点でも、「使えない」ということは明らかになってないんだよ。認めたくないから。認めたら、新しいハンダゴテを買う金を出してやらなければならなくなる。そんなおそろしいことは、相手がなにを言っても、認めるわけにはいかないのである。

だから、まだ中学生のきちがい兄貴が「これじゃだめだった」「先生が、こんなのじゃ使えないぞぉ」と親父に言っているのに、親父は一回目とおなじように「大丈夫だ!大丈夫だ!!」と真っ赤な顔をして怒って言うだけなんだよ。

その技術科の教師がハンダゴテをみんなに見えるように高くあげて、「こんなんじゃだめたぞぉ」と言ったので、みんなからわられたという話をしているのに、その時点でも、「大丈夫だ!大丈夫だ!!」とさけんで「大丈夫じゃない」ということを認めない。

教師をやっている人なんて、そういう親がいるというのがわからないから「おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪かったから、親父さんがわからなかったんだろ」などと言われてしまうのだ。ここでも、きちがい親父の状態がわかってない普通の人に「ちゃんと説明すればわかるはずだ」と言われてしまう。言われたのは兄貴だけど、親父はいつもこの調子だったから、俺も、そういうことを言われて困ったことが何回もある。常識的な人の判断というのは、「困った親」にやられている人を傷つける。うちの常識と、世間の常識がちがいすぎる。親父のように話が通じないというわけではないけど、こっちはこっちで、やっぱり、話が通じないところがあるんだよ。あまりにもひどいと常識的な第三者とも、うまくいかなくなる。常識的な人と「困った親にやられた人」の認知が異なる。

きちがい兄貴よ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音の態度は、きちがい親父のハンダゴテの態度とおなじだから。どれだけ言われても、関係があると言うことがわからない。自分が押し付けているもので相手が困っていると言うことが、わからない。どれだけ言われても、わからない。わからないということを、逆手にとって?ガンガンやる。そして、やりきることができれば、「やった」ということを認めないようにする。これも、認めないようにしようと思って……意識的に思って認めないのではなくて、……ごく自然に認めないのである。これがせめて、本人が意識していることなら、やり方が緩和するんだけどな。逆上して否定しているのに、否定したということが、まず、本人にとってわからないことなのだよ。やってないことなんだよ。これも、都合が悪くなれば「やってないやってない」と逆上することになる。

これはやったことは知っているけど、わざと「嘘をついて」否定するというのとはちがうんだよ。せめてそういうところまで、認知が発達していれば? 認知がゆがんでなければ……こんなことにはならないんだけどな。逆上してやりきったこと……は、やってないことなのである。そして、逆上して押し付けたことは、押し付けたつもりがないことなのである。押し付けられたら、押し付けられた方は押し付けられたわけで、押し付けられたというステータスのままなんだよ。

せめてそういうことが、わざとやっている意地悪なら……やっていることがわかっている意地悪なら、救いようがあるんだよ。けど、わざとじゃなくて、全部ふつーにそうする。要するに、「本当にやったつもりがない」状態なのである。だから困る。で、本人がやりたいことに関しては、すべてそういうことが成り立っているのだから、やられたほうはたまらない。何十回だって、何百回だって、何千回だって、何万回だって、何十万回だってそうなる。全部おなじ。無限ループ。無限階層構造。

2017年5月16日火曜日

騒音サイコパス16と17を片付けたので、やっと、秀丸エディタの使い方を書ける

16と17を片付けたので、やっと、秀丸エディタの使い方を書ける。これね~~。というか、電書の書き方なんだけどね。自分でマークアップ記号を決めて自分でマークアップして、それをあとでHTMLに変換すればいいのさーと考えに基づいて書くと楽だよ~~~って話しだぁ!!!!
なんてたって、自分決めた記号だから、楽でしょ。たとえば、ルビは■揚げ玉■あげだま■で済んじゃうんだよ。ルビの記号として■を使うと決めておけば、普通のエディターだろうがブロガーの入力画面だろうが、ちゃんと(あとで)修飾することができるのだ。置換はマクロに登録しておけば、ショートカットキー一発で全部置換してくれる。各種便利なマークダウン記号を使ってマークアップするにしてもその記号は相手が指定したものを憶えなければならないという問題がある。けど、自分でルビは■にしておこうと思ったら忘れない。まあ、強調のための太字、圏点、ルビだけでいいんじゃないかな。自分流のマークアップ記号を決めて、一度文章を書いて、あとで置換することにしておけば、憶える必要がないので楽。
そのための、本を書くつもりだ。

2017年5月14日日曜日

俺はむだなことをしているのか?



いちおう出した。
けど、どうなんだ?
俺はむだなことをしているのか?

本当に毎日鳴らしてた。
どれだけ言ってもやめてくれなかった。

こっちがどれだけ困っていても、きちがい的な意地で鳴らし続けた。
そして、いまは、きちがい的な意地で否定している。

けど、当時から、そうだったんだよな。でかい音で鳴らしている最中から、でかい音で鳴らしているつもりがないという状態だったのだ。

いっくらなんでも、あのでかい音で鳴らしているのだから、でかい音で鳴らしているということがわかっていると思っていた。けど、親父の脳みそとおなじで、どれだけ言われてもまったくわかってなかったんだな。

事実一四年積み重なってしまったら、それは、大きな大きな影響を及ぼすことになる。あれを!あれを!!まったくもりなく、やってなんて……本当にふざけている。で、いま住んでいるマンションでまったく鳴らしてないというのがまた、腹が立つ。

けっきょく、「うちでだけ」やりやがった。

しかも、本当は、でかい音だということを知っているんじゃないか。普通のマンションじゃ近所迷惑で鳴らせないのだから。普通のマンションに住んでいるのであれば、一日中ヘッドホンをして我慢できるのだから、「うちでだけ」我慢できないというのは、おかしい。

で、そういうことに、本人はまったく無頓着なんだよな。

「うちでやったこと」は、まだ、正しいと思っている。普通のことだと思っている。本当は、気概的な意地で、こだわってごたわって、すべての時間鳴らしていたので、たいして鳴らしてないと思っている。

本当は、こだわってこだわって、ものすごくでかい音で鳴らしたのに……いま住んでいるマンションでは一分だって鳴らせないようなでかい音で鳴らしていたのに……うちにいるときは……「こんなのはたいした音じゃない」と思っていたのだ。

だから、どれだけ、どでかい音で鳴らしても、「どでかい音で鳴らしている」という認知自体がしょうじない。きちがい兄貴にしてみれば「こんなのは普通の音」「こんなのはフォークギターぐらいの音」なのだ。フォークギターなんて一〇〇本二〇〇本……一〇〇〇本同時に鳴らしたってあんなうるさい音にはならない。

そういうでかい音で鳴らしているのに、鳴らしているあいだじゅう、本人は、「でかい音で鳴らしている」というつもりがないのである。認識がないのである。だから、「どれだけ鳴らしてもいい」という考え方が根底にあって、絶対に、ゆずらない。

で、きちがい親父のように、実は……ゆずらなかったということも、認めていない状態なのだ。いまだに。本人は、ゆずってやったつもりなのだ。そういうところが、頭にきてしかたがない。きちがい親父は、ハンダゴテ事件の時、兄貴がクラスのみんなにわらわれて困ったという話を聞いたとき「なんだぁ!!!!そんなのぉ!!!」と怒り狂っているんだよ。

自分が持たせたハンダゴテで自分の子供がわらいものになっているのに、そういう感情しかわき上がらない。

で、兄貴もそういうところがある。兄貴が押し付けた騒音で困っているのに、どれだけ俺が困っているという話をしても、……普通なら一発でわかる話をしても……「なんだぁそんなのぉ」と怒っておしまいなんだよ。

関係性がわかってない。

自分がどうしてその話をされているのかわかってない。理解するとやめなければならないような話というのは、どれだけ、言われても、それそのものの意味は認識されない。認識される前に、おっぱらっている。不愉快ななにかなのだ。不愉快ななにかは、理解する前に、吹っ飛ばして、追い払う。追い払ってしまえば、何万回言われたとしても、一回もいわれたことがないということになってしまう。だから、「静かにさせられる」コード?意味があるものに関しては、何万回言われても、言われたことになってない。それが、兄貴にとっての「知らなかった」の本当の内容だ。

ヘビメタ騒音を鳴らしているときに、「静かにしてくれ」と言われても、「自分が鳴らしているから相手が言ってくる」という関係性がまったく理解できない状態で、ずーーっとずっと、鳴らしてた。でかい音で。最大限のでかい音で鳴らしてた。でかい音で鳴らしているから、「静かにしてくれ」と言ってくる……という関係性がまったくわかってない。



2017年5月13日土曜日

不都合なことを言われたら、否定して荒れるという選択肢しかない

あれ、本当に「やめろ」「鳴らすな」「いいかげんにしろ」「やめろ」「うるさい」「鳴らすな」と言われた後、何時間鳴らしても※まったく鳴らしたつもりがなかった※んだな。

親父が切れちゃうのとおなじで兄貴も切れちゃうんだよな。

自分が怒ったら、相手にそれを押し付けても、押し付けたつもりがない状態になる。「押し付けた」ということがほんとーーーにわからない状態になってしまう。これは、関係性の否定だ。

きちがい親父が兄貴に使えないハンダゴテを押し付けたとき、たしかに、「押し付けた・押し付けられたという関係性」が生じている。きちがい親父が「大丈夫だ大丈夫だ」と言って押し付けたのだから、親父はこのことに関係がある。関わりがある。けど、怒って押し付けた瞬間に、「そんなんじゃない」ことになってしまう。

切れちゃっている。関係が切れちゃってる。

「なにも押し付けなかったつもり」なんだよな。

そして、たとえば、「大丈夫だ」という意見を押し付けたつもりもない。ハンダゴテを押し付け、「大丈夫だ」という意見を押し付けているのだけど、押し付けたつもりがまったくない。

で、「大丈夫だ」というのは、合理的な判断ではなくて、もし、大丈夫でないことを認めてしまったら、自分が金を払わなければならなくなるという恐怖から出てくる判断なのだ。

だから、この恐怖が続く限り……可能性としても!恐怖が続く限り……認めてやるわけにはいかないのである。「ともかく、なんだろうが、大丈夫!」なのである。「大丈夫でない」ということは、死んでも認めることができない。

そういう意地で、「大丈夫だ大丈夫だ」と言い張る。何度も言うけど、そういうふうに言い張っているのは、ただ単に、認めてしまったら、金を払わなければならなくなるからで、相手が言っていることを理解して、理解した上で大丈夫だといっているわけではない。

兄貴も「大丈夫大丈夫」と言ったことがある。それは、兄貴の友達に「こんなでかい音で鳴らして、家族の人、大丈夫なの?」と聞かれたときに、「大丈夫、大丈夫」と答えている。

で、本人はまったく気にしない。本当に、まーーーったく気にしない。この時点でも、きちがい兄貴が鳴らしている音が、「でかい音なのだ」ということに兄貴は気がついてない。

うちの人に言われたら、無視するというのはわかるけど、よその人に言われても、重要なこととは受けとめないで、言われたって言われなくたっておなじこととして、まったく気にしないで「流してしまう」のである。言われたつもりさえしない。カオ君……兄貴の友達まで、「うるさい音」「大きな音」と言っているのだから、普通なら「大きな音で鳴らしている」「うるさい音で鳴らしている」ということに気がつきそうなもなのだが、絶対に気がつかない。気がつかなければ、どれだけでかい音で鳴らしてたって、でかい音で鳴らしていることに鳴らないのである。本人の中では!! それが、一年続けば、一年続くわけで、最終的に一〇年間続けば、一〇年間続くわけなのである。で、その一〇年間は、毎日、大きな音で鳴らしているのに、本人のなかでは!!ぜんぜんそのつもりがない一〇年間なのである。

よその人に「大きな音」と言われても「大きな音なのかな?」と疑問に思ったりしない。よその人に「大きな音」と言われても「大きな音」だとは認めない。これが、兄貴のやり方だ。兄貴のなかで、これがあたりまえなので、大きな音で鳴らすことはなんら問題があることではないのである。

で、そう決めたら、もう、そうなんだよ。

無意識的に決めたら、どれだけ、起きているときに、「大きな音だ」と言われても、本人はまったく「こたえない」。大きな音で鳴らしているという認識すら、ぜんぜんしょうじない。で、そのまま、鳴らし切る。だから、大きな音で一日中鳴らしているのに、本人は、「大きな音で一日中鳴らした」ということはないと思っている状態だ。そういうところで、突き抜けている。ぬけている。素通り。どれだけ、こっちが「大きな音」と言っても、一四年と数ヶ月間、ずっと毎日、「大きな音だ」ということを認めずに、やりきるのである。だから、一四年と数ヶ月間、毎日「大きな音」で鳴らしてたにもかかわらず、本人は……本人には、まったくそういう「つもりがない」のである。

そういうヘンなことが、普通にあるのが「うち」。きちがい親父にやられてから、きちがい兄貴はずっとそうだ。だから、毎日やっていることなのに……こだわりきってこだわりきって毎日毎日、絶対の意地でゆずらずにやっていることなのに……ぜんぜんやったつもりがないというきちがい的な状態ですごしていた。うちでは、それが普通。それが普通の毎日。それが普通の状態。

きちがい親父のハンダゴテとおなじで、「うるさいからやめろ」と言われた時点で関係性が切れてしまっている。どれだけ言われたって「やったってやってないこと」なのである。「やったってやってないことだから、一切合切関係がないこと」なのである。「うるさくしているとしてもうるさくしてない」のである。「大きな音であるとしても、大きな音じゃない」のである。

自分がでかい音で鳴らしているということに気がつくのは、兄貴にとってとてつもなく不都合なことなのである。

で、不都合なことは、どれだけ何回言われても、認めない。

その認めないというのは、親父とおなじで、自分が関わっている感じすらしないのである。自分が頑固に押し付けたこと、押し付けていることなんだけど、……その場面さえすぎてしまえば……言われなかったことになってしまう。「そんなんじゃないこと」なのである。

もし自分が認めてしまったら、自分が「いやなこと」をしなければならないときは、どれだけ明らかなことでも認めるわけにはいかないのだ。なんて言うのかな、兄貴も親父も、言われる前から決まっているんだよ。

で、どれだけ言われても、それがかわることがない。相手がどれだけ、強く、何万回言っても、最初の気持というか、最初の徹底がわかることがない。

親父にしてみれば、新しいハンダゴテを買うために金を払うのがいやだという気持ちがある。そして、兄貴は、なんだろうが自分が思った通りの音で鳴らしたいから、本当に音を下げるのはいやだという気持ちがある。この気持ちが、表面には出てこないのである。理解してやらない本当の理由は、これだ。絶対に認めない本当の理由はこれだ。けど、「自分はやってやりたくないから、相手が言っていることを認めるのはよそう」というように、意識的に思っていることではないのだ。

けど、最初から、決まっている。要するに、認めてはならないことが、最初から決まっているから、どれだけなにを言われても認めないで怒るだけなのである。

で、これ、二〇万回繰り返したって、三〇万回繰り返したって、おなじなんだよ。もとの部分が、消失しない限り、ずっと続く。親父にしてみれば、金を出したくないという気持が消失しない限り、どれだけ「このハンダゴテは使えない」という証拠を出されても、「大丈夫だ大丈夫だ」と繰り返すだけで、「使えない」「だめなんだ」ということを、認めない。

これ、判断はなされてないのだけど、命はかかっているんだよ。

命がけで、認めない。逆上して認めない。
相手がハンダゴテをなにに使うのか、そして、自分が押し付けたハンダゴテがどういう用途のハンダゴテなのかということを冷静に考えて、それで判断して、「大丈夫だ」と言っているわけじゃないのである。最初から、親父のなかでは「大丈夫」に決まっているのである。大丈夫でなければ、金を払わなければならない……金を払う可能性が生じてしまう。だから、考えるまでもなく、最初から、相手がなにを言おうと、相手が何万回言おうが「大丈夫だ」ということになっている。で、怒り狂う。これ、本当は、相手が怒りたいところなのだけど、否定する本人が怒っちゃうんだよな。怒り狂ってはねのけて、認めない。ちょっとでも時間が経つと、こんどは、「認めなかった」ということを認めないということになる。おなじしくみが成り立っているから、代入される項目がちがうだけで、反応はおなじ。出てくる結果もおなじ。金を出したくないときは「大丈夫だ」と言って、自分がそういうことを実際にしたということを認めたくないときは、「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」と言うんだよ。言うというよりも、絶叫!!! 逆上して、絶叫する。発狂して、怒鳴り散らす。「やってやった!!やってやった!!!そんなんじゃない!!!そんなんじゃない!!!なんだぁ!なんだぁ」と顔を真っ赤にして、怒り狂う。で、その時も否定しているのだけど、今時ちょっと時間が経つと、そうやって「否定していた」ということを否定する。代入される項目がちがうだけで、やっていることはおなじなんだよ。

不都合なことを言われたら、否定して荒れるという選択肢しかない。兄貴もおなじなんだよ。自分が思いっきり鳴らしたい……自分が満足できるでかい音で鳴らしたいという気持ちがあると、それに反することは、一切合切認めない。ちょっと時間が経てば、認めずにやりきったということも、認めない。認めないまま、その行為をやり続ける。「やってんじゃないか!!!」というのが通じない。本人は、「そんなんもりじゃないまま」「頑固に」「やり続ける」。終わりがない。本人がやりたい以上、終わりがない。うちでは、自分が思ったとおりの音でガンガン鳴らしたいという気持ちがあったんだよ。で、そういう気持ちがある以上、うちでは、なにがなんだろうが、どんなことを言われようが、こだわりきって鳴らした。これが事実だ。きちがい兄貴が「ゆずってやった」とか「そんなに鳴らしてない」と言っているのは、真っ赤な嘘。きちがい親父の「やったってやってない」とおなじ。で、親父も兄貴も「やったって」の部分がとれてしまう。だから、本当は意地になってやったこと!! 頑固にこだわりきってゆずらずにやったこと……なんだけど、「やってない!!やってない!!」と言う。言い出す。言い出したら、おなじなんだよ。代入される項目がちがうだけで、パターンはおなじ。で、自分が発狂して、否定したら、本人だけは!!!それで、済んじゃってるんだよな。ぜーーぜん、関係ないことになっている。自分が関係したという感じがまったくしない。本当にまったく関係がないことになってしまう。で、それもパターンとして繰り返すわけで、その場で、殺さなければ、やめさせることができない。





2017年5月12日金曜日

もう、何十回何百回考えたか。

今日の第三期に入った。

どうするかな。さっき、きゅうにさみしくなったよ。

二食目は冷凍スパゲッティーだった。マーマースパゲッティーのやつなんだけど、けっきょく、冷凍スパゲッティーはセブンイレブンのものが一番うまいということがわかってしまった。

いま、これからどうするか迷うね。さっき、整理術や早期リタイアの本を調べていたときは、なんかそれほど、気にしてなかったんだけど、けっこうさみしい。

そういえばさっき、ドクターペッパーを買いに行ってきた。例のごとく自動販売機。ヘビメタ騒音に汚染されてない道路を使うとなると、あそこの自動販売機に行くしかない。あっちは小学生五年生まではよく使っていた道なんだけど、小学六年生以降あんまり通らない道だから、ヘビメタ騒音の汚染が浸透してない。けど、全体的に破滅破綻の人生だったな……というのがあって、小さいころの思い出がつまった道路は、あんまり歩きたくない。本当、「まるまる君どうしているかな?」とかそういうことばかり考える。「あの時はまだヘビメタ騒音がはじまってなかったんだよな」とか考える。もう、何十回何百回考えたか。




2017年5月8日月曜日

兄貴がいやでいやでしかたがない我慢をしなければ、我慢したことにならない

まじ、つまんない。孤独だ。しかし、人付き合いを再開しても、この孤独が消えない。もう、俺は本当にやばいな。よく生きているよな。

ヘビメタ騒音にやられてから、人付き合いがものすごくしんどいものになった。重い腰があがらない。ヘビメタ騒音でくるしいといろいろと誤解を受ける。さらに、ヘビメタ騒音で引きもこり無職になったあとは、なんて言うのかな……ほんとうに、気分があがらない。

ヘビメタ騒音が七年間毎日つもると、「普通のつきあい」ができなくなる。きちがい兄貴よ! おれ、ほんとう、きちがいヘビメタの影響で誤解されてばかりだから。空元気を出してなんとか動いているときも、空元気すら出ない状態でなんとかしんどい体を動かして他の人とつきあっているときも、基本的に誤解される。

それに、ヘビメタ騒音のことを知っている人だって、ぼくがつまらなそうな顔をしていれば、あんまりいい気分はしないんだよ。けど、ヘビメタ騒音で、あるいは、ヘビメタ騒音毒で「楽しそうな反応」を返せない状態になっている。

もちろん、そういう状態でも、つきあってくれる人は何人かいた。けど、やはり、ぼくがくるしい! これ、言ってしまうと身も蓋もないけど、事情を知っている優しい人ですら、つきあうのがくるしくなる。

ヘビメタ騒音病というのは、そういう病だ。

やられ続ければ、だれもがそういう状態になると思う。けど、他の人はそういう状態を経験してない。きちがい兄貴だって、よその家じゃ、一日に一分だって、あの音で……あの音のでかさで鳴らしてない。

うちでは、こだわりつくして、一分だって、一秒だってゆずらないで、自分が満足できる音のでかさで鳴らし続けたけどな。

鳴らしているけど、悪いと思ってない状態なんだよな。ハンダゴテ事件の時の親父とおなじなんだよな。まったく無意味な譲歩を押し付けて「やってやった」と思ってる。

それから、自分がやっていることで、相手が困っているということは、どれだけ明らかなことであったとしても、どれだけ相手がはっきりと言ったとしても、認めない。

「なんだ!!!そんなの!!!」という気持ちになって、はねのけておしまいなのである。「なんだ!!!そんなの!!!」と怒ったら、そこで切れて、なかったことになっているんだよな。

ともかく、自分がやりたいことは、無理矢理に押し通す。しかも、やっているのに、押し通したつもりがまったくない。本人は、「相手の言い分を聞いて」「やってやったつもり」なのである。つもりだけで、まったく意味がない譲歩?を押し付けて、譲歩したつもりになっている。

けど、相手の問題は、それじゃ、かわらない。だから、「それじゃこまる」ということを相手が言うわけだけど、死にものぐるいで、はねのけて認めない。で、認めないということも、認めないのである。

「相手がやめてくれと言ったけど、それを認めずに自分の意地を通したということ自体」を認めない。で、やりきる。やりきろうとする。で、なにもしたつもりがない。だから、「やめてくれ」と言うと、何万回も繰り返していることなのに、一回目とおなじ反応が返ってくる。そういうきちがいだ。

ほんとうにヘビメタ騒音でみじめなのである。残留ヘビメタ騒音でだるいのである。感情が、きちがいヘビメタ以前の状態に戻らない。きちがいヘビメタを十数年間にわたって毎日鳴らされる前の状態……普通の健康な状態に復帰しない。

きちがい兄貴の脳みそがきちがい親父のそれとおなじなら、きちがい兄貴が理解するということは永遠にない。ないのだから、書くのはむだだということになるのだろうか。なりそうなんだけど……。これ、きちがい兄貴に印刷して送るつもりだから。

過去、そういったものを送ってきたし、音声メッセージも送ってきた。けど、いまだに「静かにしてやった」「ゆずってやった」「そんなにやってない」ときちがい親父のように言い訳しているのだから、無理なんだろうなという感じがする。

で、やっているときは、そういうモードでやってたんだよ。

一日に一四時間鳴らせるなら、一四時間、そういうモードでやって、一分だって、自分が我慢しなければならないカタチではゆずらなかった。だから、ほんとうに、すべての譲歩が親父の譲歩とおなじなんだよ。相手にとってまったく意味がない譲歩を思いついて、それにこだわりきる。

自分が本当に!我慢しなければならないような譲歩は絶対にしない。一分だろうがしない。自分が本当に我慢するのは、いやだからだ。この、いやというのが、死んだっていやだというレベルのいや、なのである。だから、きちがい兄貴は一分だろうが本当に我慢するのは死んだっていやだというつもりで生きていた。生活していた。毎日、そういうモードで生活していた。

だから、さんざん言われてやっと腰を動かした?としても、まったく問題がかわらない。事態がかわらない。きちがい兄貴の騒音に一日中苦しめられる……という問題がかわらない。これは、一分だってかわらないわけで、きちがい兄貴が、動かしたくない腰をやっと動かして「やってやった」にしろなにもかわらないという現実が続く。

これ、他の人もやられてみればわかるけど、自分が嫌いな音が!どでかい音で!!一日中!頑固に鳴っている状態というのは、耐えられない。きちがい兄貴がゆずったつもりの音のでかさで、あるいは、きちがい兄貴が普通の音で鳴らしているつもりで鳴らしている音のでかさで、自分の嫌いな音が……どれだけこっちが「やめろ」と言っても、鳴り続けている状態というのは耐えられない。

そして、きちがい兄貴に言っておくけど、きちがい兄貴の態度というのは、親父の態度とまったくおなじだ。自分が親父にやられて、くやしかったことを、俺にやり返しているとしか思えない。やり方がまったくおなじなんだよ。

ということは、きちがい兄貴が親父に対して持っていた感情を、そのまま、俺が、きちがい兄貴に対して持っているということだ。きちがい兄貴は親父とまったくおなじなので「まったくつもりがないまま」なんだよ。

きちがい的な意地でやったことが、「そんなつもりじゃないこと」になっている。

で、これは、なんて言うのかな、進行形でそうなっているから!!! 鳴らしているときも鳴らしてないつもりだ。鳴らしているそばから、鳴らしてないつもりになっている。毎日、毎分毎秒、かならず、そういうやり方で、鳴らしきる。これ、やっている本人は、ぜんぜんつもりがないままなんだよ。その「ぜんぜんつもりがないまま」というのも、「やりかた」の中に含まれていて、けっきょく、本人は、本当にまったくやったつもりがないまま、頑固に自分の意地を通すことができる。自分の意地を通すというのは、一〇〇%の時間、一〇〇%自分が思ったとおりにやるということだ。

きちがい兄貴が、鳴らさないで我慢しなければ、我慢したことにならない。きちがい兄貴がいやでいやでしかたがない我慢をしなければ、我慢したことにならない。一分だって本当に我慢するのは、いやだから、一分だって絶対に我慢してやらなかったというのが、きちがい兄貴がやっていたことだ。きちがい兄貴が絶対にいやだと思うような「かたち」で我慢しなければまったく意味がないのである。で、絶対にいやだと思うような「かたち」では、一日に一秒だって我慢しなかった。だから、一日に一秒も我慢しないで鳴らしている。


2017年5月7日日曜日

頭にモヤがかかってくるしい

どれだけ言ってもしかたがないのだけど、頭にモヤがかかってくるしい。
いつも、つかれている。これ、どうにもならないんだよな。きちがい兄貴がやったことについては、腹を立てている。きちがい兄貴の態度にも腹を立てている。つねに腹を立てている。腹を立てるのはよくないことなのだけど、それでも、とまらない。頭にくる。どうしてもゆるせない。

で、この日常の感覚が、本当にやられていたときの日常の感覚なんだよな。だるくてだるくてしかたがない……。どれだけ寝てもつかれがとれない……。しんどい……。どうにかなりたいわけだけど、やっぱり、頭がモヤモヤしてしんどい。だから、動くとなると無理矢理動くことになる。で、それがまた、つかれをうむ。


2017年5月5日金曜日

今回見た夢は、かなりよかった

午前四時ぐらいに、ドクターペッパーを買いに自動販売機まで行って、買って帰ってきた。で、飲んで、「つかれたな」と思っていた。そのあと、紅茶を飲み出して、何杯も飲んでた。で、眠りたくなったので、横になって眠った。

今回見た夢は、かなりよかった。小便に起きるたびに話しがリセットされてしまうのだけど、続きが見たかった。特に、第一部の続きが見たかった。第一部の夢は、男女二〇人、三〇人ぐらいが、でかいプールのような風呂に入っていているのだけど、たまたま横に来た女の人がものすごく話があう人で、「ほんとうにそうだ」と頷きながら話しを聞いているという夢だ。風呂と言っても、みんな水着を着ている。横に来た女の人は白いワンピース型の水着を着ていた。で、その人が言っていることが、全部正しい。「ほんとうにその通りだ」「それは言える!」と言いながら、話を聴いていた。あれだけ、話があう人は、めずらしい。「ほんとうにそうだよね」と相づちをうちながら聞いていた。ともかく、意見があう。

で、二部は、宇宙船が不時着してしまう話しだ。男女二〇人、三〇人ぐらいが乗っている宇宙船にぼくも乗っている。で、これ、まあ、宇宙船で高速移動しているのだけど、なかは、共同スペース付きアパートみたいな感じなんだよ。といっても、スタートレックみたいな感じの宇宙船なんだけど。で、どこかの星に不時着してしまう。燃料不足なのか、どこかが故障したのかわからないけど、たぶん、「こしょう」なんだろうなと思う。いま、こしょうを、胡椒、呼称と変換したので、話が途切れた。故障したのあとに、こしょうと書いたら、故障と変換してくれよ。

で、その星は廃墟になっている星で、……(ほしも)うまく変換できなかった。困るなぁ。その星が廃墟のようになっていて、先住民というか、星の人がいるのかいないのかわからない。で、地下のようなところに食料となんか使えそうなものがあるんだけど、地下のようなところを探索していたら、他の人が出てくる。出てくるのだけど、最初から、こっちを敵として認識しているようで、ジュウのようなもので撃ってくる。で、まあ、「あらそうつもりはない」「宇宙船が故障した」「食べ物があったらわけてほしい」「なかったらしかたがない」「燃料があったら、わけてほしい」「なかったらしかたがない」「宇宙船をなおして出て行くから、協力してくれ」というようなことを言っているのだけど、なんと言っても、言葉が通じない。物陰に隠れて、撃ってくるので、応戦したくないのだけど、うえに書いたようなことを言いながら、身を守るために、なるべく、相手が傷つかないように、しかたがなく応戦しなければならなくなった。まあ、なんて言うのかな。応戦と言っても、威嚇射撃みたいな感じだ。で、実は、先住民(星の人)のほかに、やはり、宇宙船の不調で不時着した、別のグループがいて、そのグループのリーダーみたいな人とも、食料と燃料を巡ってあらそいが生じる。あらそいが生じるのだけど、あらそいを通じて友情のようなものも生じてしまうという、すごくいい話だ。

   *     *     *

俺の人生はというと、言葉が通じない宇宙人よりも話が通じない家族にやられて悲惨なものだったよという……。これ、ほんとうに、どれだけ言っても、普通ならヒトコト言えばわかることがまったく通じてなかったんだなと思う。それは、相手の頭の問題なのである。けど、騒音が続いてしまったら、俺の問題になってしまうというところがある。

2017年5月4日木曜日

どうしてもくるしい。どうしても終わらない

暑すぎ。なんだよ。こんなふうに急に暑くなると困るんだって……。あ~~あ。それにしてもあの時のまんまだな。どうするのよ。あの時から何十年もかわってない。ずっとつらいままだ。どうしても、つらい。

あーーあ。あの時のまんまだ。どうしてもつらい。どうしても。

起きてなんとか飯を食って、なんとか風呂に入って、なんとか洗濯をしているけど、つらい。気分がつらい。二十歳のときのまんまなんだよな。ヘビメタ騒音にたたられていた二十歳のときのままだ。どうしてもくるしい。どうしても終わらない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。