2017年10月31日火曜日

やればやったぶんだけ、おぼえたことまで忘れてしまうというような状態

英語の勉強にとニュースを聴いたら、いきなり、人体をきざんだ殺人事件についてのニュースだった。俺は、経済ニュースを聴きたいんだけどな。あとは、政治ニュース。

まあ、いいや。わかる。わかるけどさぁ。

この世ははまったら地獄なんだよ。
俺の場合は気違い兄貴のヘビメタ騒音ではまった。
はまったらもう、抜け出られない。長すぎる。

他の人にはヘビメタ騒音のハンディが見えない。けど、毎日、壊滅的なダメージだった。ちょっとしたダメージとか、努力でじゅうぶん補充が聞くダメージじゃない。そんなもんじゃない。毎日、苦悶苦悶。なんて言うのか、時間がすべて、ヘビメタ騒音に汚染されるから、その汚染されたなかで努力しても、それは、まったくのむだなんだよ。いや、むしろマイナス。これは、マイナスだと考えるからマイナスなんだ」と言えるものじゃない。ほんとう、ヘビメタ騒音生活が過酷すぎる。この過酷さが、ほかのひとにはわからない。鳴っているあいだの時間の持続……。たとえば、汚染を除去する回路自体が汚染されて、だめになっている状態だ。つかれたら深呼吸をしよう」なんて言ったって、ヘビメタ騒音のなかで深呼吸をしても解決しない。ヘビメタ騒音のなかで、勉強しようとしても、勉強できない。これ、ほんとうに、できない。これ、ほんとうにできない。やればやったぶんだけ、おぼえたことまで忘れてしまうというような状態だ。やればやったぶんだけ、理解できていたこともおぼつかなくなるという状態だ。ヘビメタ騒音のなかで勉強をするというのはそういうことだ。いや、さらに、そのおぼえることに、ヘビメタ騒音のいやなイメージがこびりつく。見たくないものになってしまう。きちがいヘビメタ騒音のなかで勉強をするということ相違ことだ。そして、勉強をしないにもかかわらず、「つかれない」ということができない。他のことをして楽しむというとができない。ヘビメタ騒音のなかで『好きな本』を読むことができない。ヘビメタ騒音のなかで好きなゲームをするということができない。ヘッドホンをして音楽を聴けば、気違いヘビメタ騒音を打ち消せるかと言ったら、打ち消せなかった。これがデカイ。でかい。ヘビメタ騒音がどれだけデカイ音で鳴ってたか。ほんとうに、気違い兄貴、……。目の前がデカイデカイ幼稚園で、よその家が離れているからって、俺のことを無視して、気違い的にデカい音で鳴らしやがって。あんなの、でかい音に決まっているだろ。でかい音だから、気違い兄貴にしたって、マンションじゃ一日に一分だって鳴らせないんだろ。うちでは、一日に一分だって、鳴らさないで我慢してくれたことが一日もない。一日だけあるけど、その特殊な一日をぬかして、一日もない。それは、ほんとうに一分も静かにしてくれなかった。毎日、一分も、どれだけ頼んでも、怒鳴り込んでも、苦情を言っても、一日に一分ですら、我慢して静かにしてくれなかった。

「できないできない」と言ってばかりだ。「できないできない」と言い訳ばかりを言う……そういうことを、気違いヘビメタ騒音を一日も経験してないやつに言われるような状態に陥った。これがどういうことだかわかるか、気違い兄貴!! 俺が、いまの時間、九時四八分に、どれだけ、『ヘビメタな鳴らすな!!』『宿題をするから邪魔をするな』『うるさい!デカイ音で鳴らすな!!』とどれだけ、言っても、一分も静かにしてくれなかった。それが、一年三六五日中三六五日続く。それが毎年毎年あたりまえのように続く。そんなんで、いいわけがないだろ。ほんとうに、カオ君に『こんなデカイ音で鳴らして、だいじょうぶなの』と聞かれたときとおなじで、「だいじょうぶだいじょうぶ」なんて、勝手にこたえてまったく気にしてない状態なんだよな。俺にどれだけ言われても、気違い親父のように顔を赤くして怒って、まったく、気にしてない状態なんだよ。気にしてないというよりも、なんて言うのかな……気にすることがそもそもできない。『文句を言われた』ということで、発狂している状態だ。『静かにしろ』と言われたということ自体で、顔を真っ赤にして腹を立てている状態だ。で、本人が発狂したら、その〇・一秒後には、もう、まるで気にならない状態にっているのである。いつも、なん樹海怒鳴り込んでも、毎回毎回そういう態度で、けっきょく鳴らし切る。一日中、すべての時間、鳴らし切る。すべての時間というのは、気違い兄貴が鳴らせるすべての時間と言うことだ。自分の用事でヘビメタ道具の前を離れなければならない時間と自分が寝るためにヘビメタを鳴らせない時間をぬかした、すべての時間、強烈な意地で鳴らしてた。そして、それが毎日ほんとうにあたりまえのことで、一分もゆずらなかった。この一分もゆずらなかったと言うことも、あたりまえのことなのである。だから、毎日毎日、おなじように、頑固にヘビメタを鳴らす。どれだけ言われても『変化』がない。全部やりきる状態だ。で、全部の時間やりきる状態……自分が鳴らしたいでかい音で慣らしきる状態……が、ほんとうに毎日、毎年続いた。どれだけ言っても、殺さなければ、そういう状態がまったく「かわらなかった」。そういう、一五年間だ。なにが『静かにしてやった』だよ。そういうことろまで、親父とおなじだな。それが、相手にとってどういう意味を持っているのか、わからないのか? 気違い兄貴。おまえは、親父にやられて、わからないのか? それがやられた相手にとってどれだけ腹が立つことか、わからないのか??


この朝の光が憂鬱で憂鬱でしかたがない

朝だ朝だ。
ねるぞ~~

寝る。

寝る。

眠たくないけど、眠る。

俺の人生こんなはずじゃなかった。ヘビメタがはじまってから、この朝の光が憂鬱で憂鬱でしかたがない。死にたくなる。どれだけ、つかれた朝を迎えたか。ヘビメタ騒音で、ボロボロだったか。ほとんど眠れないまま次の日の朝を迎えたか。試験だろうがなんとか大会だろうがそうだった。毎日毎日くるしくてくるしくてしかたがない。朝の光は、くるしい光だ。夜の闇もくるしい闇だ。どれだけ、午後四時から午後一一時一〇分までの騒音が、そのあとの時間に影響を与えるか? 午後一一時一一分からの気持ちに影響を与えるか。まあ、午後一一時一一分も鳴ってたときがあるけどな。一三分ぐらいまで食い込むことが、三分の一ぐらいあった。午後一一時一〇分は、少なめに言っている。

ともかく、前の晩のヘビメタ騒音で、朝、死にそうなほど憂鬱だったよ。そして、それをたえて、たえてたえて、暮らしてきた。そして、俺が文句を言われる。遅刻にしてもそうだ。入学試験失敗についてもそうだ。いま、引きこもりだということについてもそうだ。長い間無職だったということについてもそうだ。

ともかく、日曜日も、ずっと鳴らされた。午後一〇時台の音は、午後四時台の音よりも、多少は下がる。けど、横の部屋で聞かされている俺にとっては、その差はさしたる差じゃない。横の部屋で聞かされている俺は、もう、その時点で五時間以上、鳴らされている。音攻撃を受けている。いてもたてもいられない状態で、五時間以上たえている。

ともかく、夜も朝も、強烈にくるしい。

そして、だれにも(直接は)わからないことだということで、くるしい。……俺、学校から帰ってきたあと、お母さんの布団で寝ていたときがあるんだよ。お母さんの部屋だと、眠ることができた。自分の部屋……気違い兄貴の部屋の隣では……どれだけつかれていても眠ることさえできなかった。やはり、おなじ家だとしても、部屋によって、音の伝わり方は、差がある。お母さんの部屋というか、親父とお母さんの寝室?は、兄貴のスピーカーがある位置から、斜め下だったんだよな。あれ、お母さんが病気で、どうしても、そこを使いたいというので、やめたんだよな。ぼろぼろなからだで二階に上がったことをおぼえている。俺の部屋じゃ、兄貴のヘビメタが鳴っている以上眠れない。どれだけつかれていても、眠れない。実は一回だけ眠ってしまったことがあるんだけど、その時のからだのだるさは、風邪で熱が三九度あるときよりもだるかった。しんどかった。あのからだの『いやな感じ』は、言葉では言い表しようがない。風邪でだるいという状態よりも、はるかに異常な状態だ。言葉で言い表しようがないのだけど、言っておくと、もやもやが尋常じゃない。ものすごく、『変な感じ』がする。変な感じというのは、嫌な意味で変な感じだ。

あの時、ずっと布団で寝ればよかったな。一年中。お母さんが眠れなくなってしまうのだけど。お母さんが、二回で眠るというのは無理だった。階段をあがれない。あの時はまだ、ぼくが中学生のときで、お母さんはまだ、ご飯だけは作っていた。がんばって起きて、ご飯を作っていた。だから、そのあいだにぼくが寝床に入って寝てしまう。限界だったんだよな。ヘビメタに一一時一一分あたりまでやられて、そのあと、午前四時、五時まで眠れなかった。この、『もうすぐ明るくなってしまう』という焦りが尋常じゃない。いまでも、時間を調節しようとすると、そうなる。何十年も、時間を調節しようとすると、あの頃とおなじ状態になる。気違い兄貴、おまえ、『この家』で何年間鳴らしてたと思っているんだよ。俺の学生時代、土曜日も日曜日も長い休みも含めて、毎日、ずっと鳴らしてた。家で、あしかけ一五年間毎日、きちがいヘビメタを、夜、鳴らしていた。毎日染みついたものは、でかい。小学六年生から、ずっとやられたことが抜けない。成長期に毎日やられたことが抜けない。この朝の雰囲気は、気違い兄貴のヘビメタにたたられたままの朝の雰囲気だ。この朝の雰囲気のなかで、何回俺が死のうと思ったか。「もうだめだ。死にたい」と思ったか。それをこらえて、学校に行ったり、入学試験に行ったりしてたか? まったく情け容赦なく鳴らしてた。入試本番前日だって一分もゆずらないで、鳴らしてた。それが、気違い兄貴がやったことだ。うまく行くわけがないだろ。これ、やられてない人と、気違い兄貴は『簡単に』考えるけど、一学期だけで死ぬに十分な理由だ。自殺するに値する理由だ。ほんとうに気違い兄貴、あの音のでかさで、毎日、気違い親父の態度で、自分が嫌いな音を鳴らされてみろ。それで、毎日の勉強の邪魔をされてみろ。毎日毎時間、毎分毎秒、勉強の足を引っぱられてみろ。それが積み重なった、しょうもない人生を経験してみろ。ゆるせない。さっき、中学高校と書こうとして、実際には、小学六年生、中学一年生二年生三年生、高校一年生、二年生、三年生、自宅浪人一年生、二年生と書こうとして、自宅浪人一年生、二年生ははずかしいからやめた。けど、だれだってそうなる。しかも、小学六年生、中学一年生二年生三年生、高校一年生、二年生、三年生と、七年間毎日やられて、働けないからだになっている。自宅浪人一年生のとき、気違い兄貴のヘビメタを避けるために、気違い兄貴が帰ってきてから慣らす時間である午後五時から午後一一時一一分までを避けるために、午後四時から午後一一時までアルバイトをしたことがあった。その時は、それでいけると思ったけど、実際にやってみたら、土曜日と日曜日の、仕事に行く前のヘビメタ騒音にやられて、ダメだった。これ、塾でも部活でもそうなんだよ。その時点で、毎日毎日ずっと、何年間も何年間もやられている状態で、『数時間』ヘビメタを浴びない時間を作るために、外にいることを選ぶと、めちゃくちゃなことになる。もう、高校三年生の時点で、働けないからだになってたんだな。実は、気違い兄貴が仕事に行った後、勉強をするつもりだったんだよ。自宅浪人で……。けど、眠ってた。午後三時に起きるようにしなければならなかったんだけど、午後三時に起きられず、アルバイトも、遅刻寸前になってから行くというような状態だった。早い話、つかれ切っていた。ほんとうに不名誉な話し』だよな。けど、これ、ほんとうに、毎日、小学六年生の頃から……ほんとうに毎日、土曜日も日曜日も祝日も、夏休み冬休み春休みも……ほんとうに毎日やられた人じゃないとわからないのだけど、あの至近距離で、あのヘビメタが、ガンガン鳴っている……家にいるとき数時間、十数時間にわたって鳴っている……状態……状態……状態……。もう、ほんとうに泣きそうになる。いまだに泣きそうになる。どれだけくるしかったか。毎日あの状態を経験した人じゃないとわからないけど、くるしい。ものすごくくるしい。しかも、累積堆積するもので、つかれがとれない。死にたい気持ちがずっと持続する。ほんとうに、気違い兄貴のヘビメタ騒音がはじまってからというもの、地獄の日々だった。いまもそうだよ!! 気違い兄貴!!!!! おまえの騒音で毎日くるしい!!! 普通の生活ができなかった。普通の結婚ができなかった。結婚どころか、恋愛もできなかった。これ、『騒音と恋愛なんて関係がない』と考えるやつがいるだろ。そいつは、ヘビメタ騒音を経験したことがないやつなんだけど、関係があるに決まっているだろ。これ、ほんとうにちがうから。……まあ、どれだけ『ちがう』と言っても、つたわらないとは思うけど、ちがう。俺が言っているだけになってしまうんだよな。それは、ハンダゴテ事件とおなじだ。気違い兄貴が言っているだけになってしまう。当の気違い親父は……ハンダゴテ事件の主役である気違い親父は、まったく関係のない人になっているだよな。意地を張ってやっているときから。他の人にはそんなことは絶対にわからない。『そんなヘンな人はいない』とか『おまえ(兄貴)がちゃんと(父親に)説明すれば(父親は)わかるのに、おまえ(兄貴が)ちゃんと説明しなかったからだめなんだ』と言われる。騒音もそうなんだよ。気違い兄貴の家での態度なんて、他の人には絶対にわからない。『そんな人いない』「ちゃんと、兄貴に説明しなかったから悪いんじゃないか」と俺が言われる状態だ。しかも、ほんとうはだれだってああいう状態で、ああいう音を鳴らされ続ければ、(どれだけ気を張っていても)遅刻してしまう状態になるのに、たるんでいるから遅刻しているように思われて、そういう言われる。これ、ほんとうに、おなじ状態でおなじ時間の長さ、おなじ騒音を鳴らされたらだれもが、どれだけまじめな人も、宿題を忘れるようになるんだけど、俺しかそういう状態を経験してないから、他の人にはわからず、『騒音が鳴っているから、宿題ができないなんてない』『あまい』『家でちゃんと話し合って』と言われる。いま俺が「決まった時間に起きることができないから働けない」と言えば、『そんなのはあまえだ』『働けるのに働かないのは、おかしい」と言われる。そういうふうに言うやつは、俺とおなじ状態で、ヘビメタ騒音を経験したことが一度もないやつだ。一日も経験してないやつだ。最低でも一年間、三六五日中三六五日経験してから、言え。


人生全部が台無しにならないわけがない。そういう量だ。

ここは、ほんとうにわりと昼間はうるさい。とくに、風が強い日はキーキー「なにか」が鳴っている。錆びた風見鶏が回転すると出るような金属音なんだけど、風が強い日は、風が吹いているあいだ、キーキーキー鳴ってるんだよな。あとは、幼稚園。あとは、自衛隊の飛行機。自衛隊の飛行機が、うるさいということは滅多にないのだけど、昨日は、ずっと、複数の飛行機がブルブルブル飛んでた。ゴーッというのとブルブルというのと二種類あるけど、なんの演習だか知らないけど、ずっとハエみたいにうるさかった。そうしたら今度は、ピアノで……。子供のわめき声で……。という感じだ。

来年の九月どうしようかと、思って考えていた。ヘビメタ騒音とちがって鳴っている時間は短いので、そのあいだ、図書館なり、店なりに行けばどうにかなる。二時間。それが一番いいんだけど、ヘビメタ騒音で、睡眠回路が根本的にこわれているので、寝る時間になっていると、起きてどこかに行くということがしんどい。で、これ、ぼくが七年間毎日、やったことなんだよな。俺は死にたい。ほんと、どれだけ。どれだけ。



もう、俺は、ヘビメタ騒音で『一生涯騒音許容量』をこえているので、けっこうくるしいんだよな。他の騒音が鳴ってなくても、ヘビメタ騒音でくるしいわけだから。これ、ほんとうに小さいときから十数年毎日、何時間も何時間も聞かされた影響が、消えない。どうやっても消えない。若い脳に刻み込まれた騒音の記憶が消えない。どうしても、生きているあいだじゅう、くるしい。あいつ、「よそ」じゃ一分だってできないようなでかい音で、何時間も何時間もずっと鳴らし続けやがって。なにもしたつもりがない。死んでほしい。いまさら死んでも意味がないんだけど、死んでほしい。ほんとうに、殺したかったな。殺して、自分の人生を切り開いた方がよかった。殺さなければ、やめさせることができなかった。殺さずに、やられている状態で、自分の人生がつかめるはずがない。これ、やられた人間じゃないとわからないのだろうし、他人なのでそもそも、俺の人生にそれほど関心がないのだろうけど、『決まっている』。決まっているんだよ。あんなの毎日やられて、普通に人生を切り開くことができるわけないだろ。このハンディが他の人には、(絶対的な意味でわからないか)俺が、過去のことにこだわっているように、見える。ちがうんだよ。やられればわかるよ。
やられ続けて、その人の人生が台無しにならないなんてことはないんだよ。どれだけしつこくがんばってもがんばっても、ずっと鳴っているのだから、いつかは、(社会人生活ができないという意味で)つむ。このハンディの量、気違い刺激の量、毒の量がわかってないから、ぼくが甘えたことを言っているように、思う人たちが出てくる。けど、その人たちだってほんとうに俺とおなじ分量、同じ時期に、ずっとやられて、平気なわけがない。台無しになる。どれだけ、がんばっても、気にしないようにしても、絶対に台無しになる。これ、ほんとうに、「鳴っているときはうるさいけど、鳴り終わったら眠れるだろ」「どれだけ騒音が鳴ってたって勉強ぐらいはできる。勉強したくなかったから、騒音のせいにしているんだろ」みたいなレベルだからな。ぜんぜん、ちがうのに。七時間毎日鳴らされて、それが一学期間つもったあと、夏休み四〇日間、ずっと、一四時間鳴らされる状態が続いてみろ。これ、一日の中で七時間近く鳴らされるというのは、くるしいんだよ。どーーしても、蒸されない状態になる。発狂的な鬱状態になる。気持ちが冷えて、普通のやる気、普通の楽しいという感情がなくなっていく。何年間も毎日かけて、なくなっていく。どれだけもったって七年間だよ。七年間やられて、やられ終わったから……そのあとは元気だということはない。実際には足かけ一五年間だけど、七年間で考えていい。これ、ほんとうに、『普通の方法』が吹っ飛ぶ。そういうレベルじゃない。そういうレベルの方法がまったく通用しないレベルの打撃を受ける。別の言い方をすれば毒が回る。これ、ほんとう、いいわけをしているみたいだけど……いいわけをしているように思われるけど……同じ体験をして、『いいわけだ』と言えるやつがいるのか? いないだろ。

   *   *   *

そういえば、認定された身体障害者、精神障害者にはやたらと、同情するのに、ヘビメタ騒音障害の俺にはまったく同情しないで、『働かないのはおかしい』という常識をぶつけてきたやつがいたな。そいつだって、俺とおなじ量、俺とおなじ期間、ヘビメタ騒音をぶつけられれば、働けなくなる。こういう、かたよったやつばかりだ。人権問題に語り、人間学とか哲学とかやっていて、それかよ。

なんて、人生だ。

これは、やばい。ヘビメタ騒音の影響がでかすぎ。もう、人間ではたえられない分、やられた。鳴らされた。どうしても、ゆるせん。

どーしてもむりだ。これはやばい。
なんて、人生だ。

2017年10月30日月曜日

どうにかしたいけど、おもしろくない。

おもしろくない。
どうにかしたいけど、おもしろくない。

ほんとうにヘビメタ騒音以降、どんだけ……。どんだけ。
これ、言いようがない。言っても他人にはわからないのだから、しかたがないか。けど、現実。現実そうだった。ヘビメタ騒音でくるしかった。

ヘビメタ、やられているさいちゅうも、やられたあとも、くるしくてしょーーがないやーー。

絶対少数。絶対少数。あ~あ。

ヘビメタ騒音なんてものが、あの強度で、あんなに続かなければ、俺がどれだけ楽に金を稼ぐことができたか。社会に適応することができたか。ヘビメタ騒音がつらすぎる。そして、ヘビメタ騒音の問題なんて俺以外には存在しない(経験してない)のだから、おなじ問題で悩んでいる人なんていない。絶対少数。絶対少数。あ~あ。

ほんとうに、うちの人はやられっぱなしだった。

さっきの話しの続き(貧乏リタイアのほうに書いた)だけど、ほんとうに、何歳で死ぬか、あるいは、何歳で生活保護に突入してもよいかということを考えるべきだな。ぼくはほんとうは、投資で生きたい。ほんとうはね。さらに、自宅でできる仕事で稼ぎたい。自宅でできる仕事で、何千万と稼ぎたい。それをタネにしたい。ほんとうはね~~。根っこのところでけちなところがあるから、なんて言うのかな……最初の金を出せない。さらに根っこのところでとても神経質なので、小さなことが気になる。(まあ、気違い親父に、気違い的な理由でいちゃもんをつけられて、怒り狂われて、幼児期をすごせば、神経質になる。)幼児期以降も、こいつの性格がかわらなかったからな。そういう狂っている親がいない人にとってみれば、なんて言うのかな……気にしすぎなんだけど……これはねーー。特徴を述べておくと、防衛がすべて失敗するという特徴がある。これはどういうことかというと、ルールを守れば救われる(怒らない)ということにならないということだ。これが与える影響はデカイ。ほんとうに神経質なところまで、(妄想的とも言える部分まで、細部の細部まで気違い親父の気持ちを考えて、怒られないように防衛しても)けっきょくは怒られるわけだから、防衛に失敗する。気違い親父の怒り狂いは、その場の状況とは関係がないことなのだけど、その場で怒るからおかしなことになる。『そんな怒り狂いは無視すればいいだろ』ということになるのかもしれないけど、そういうことが言えるようになるまで、一三年ぐらいかかる。ほんとうに、うちの人はやられっぱなしだった。

『通勤して働けない』

まあ、死ぬところを起点にして、こっち側にさかのぼって考えると、たとえば、『通勤して働けない』ということは、たいしたことじゃないなということになる。まあ、『通勤して働けない』ということで、ぼくがどれだけ他人から、悪く言われてきたか。誤解を受けてきたか? こっちの方が重要だよな。気違い兄貴! おまえ、ほんとうに他人がわからないようなかたちで、俺の労働者としての基本能力をうばいやがって。一〇年毎日、騒音拷問をして、うばいやがって。まあ、七年間でおしまいか。あんだけ、気違いヘビメタ騒音を鳴らされたら、だれだって、通勤して働けないからだになる。ぼくしかいないから、それが他の人にわからないだけだ。広域騒音で、なんからの障害が出るとかそういうのだったら、「みんな」がなるわけで、対策がとられる。飛行機の騒音なんて、比べものにならない、持続時間だ。騒音が持続している時間が長すぎるのである。音の大きさだって、ぼくの部屋を中心にして考えれば、飛行機の騒音なんかよりずっとデカイ音で鳴っている。線路の横……すぐ横、真横……よりもデカイ音で鳴っている。これがほんとうにわかってないやつがいるな。

2017年10月29日日曜日

鳴り終わったら、もうだいじょうぶだろう

ほんとう、つまんないな。
つまらない。

おもしろいわけがない。ふざけんな。どーしても納得がいかない。どーーしても納得がいない。なんで俺だけ、気違い兄貴にやられなきゃならないんだ。そういうハンディがあたかもないようなふりをして暮らさなきゃならないんだ。

ハンディがあたかもないようなフリをするのは、容易じゃない。その時点でどれだけ俺にプレしっゃーがかっているか。どれだけ、俺が無理をして他の人の気持ちを考えているか。もう、そういう余裕がないんだよ。そんなの、ヘビメタが鳴っているあいだ一三年間、ずっと毎日、そういうふりをしてきて、つかれた。死にたい。ダイヤと絶交をした頃も、余裕がないんだよ。限界だったんだよ。俺がどれだけ……。ヘビメタ騒音歴一三年頃、ダイヤと絶交した。余裕がないんだよ。たしかに、まるまる荘(アパート)に出て、一日中たたられる状態ではなくなった。けど、もう、そんなフリはできない。どうして、ほんとうに他の人は、『鳴り終わったら、もうだいじょうぶだろう』と考えるのだろうか。ぜんぜんちがう。こういうことだけでも、死にたくなる。ぜんぜんちがう。

2017年10月28日土曜日

世界にはいろいろなことがある

俺もうつかれたよーー
というのはある。

暗い話しはもてない~ね~~
まあ、けど、ドストエフスキーだって殺人の話をしているわけで、暗い話しと言ったら、暗い話しなんだよ。小説のなかでは、どれだけ毒を吐いても、殺人をしてもいいわけだよ。それは、小説だからだ。フィクションだからだ。

いじめの話しは暗い。虐待の話しは暗い。精神異常者が子供を虐待する話しは確かに暗い。けど、けど、書かなきゃならないこともあるんだよ。

この、暗い話し恐怖症みたいなやつらはなんだ。彼らが、毒を吐いている。「暗い話しはするな」というのは毒を吐くことであり、愚痴を言うことなのである。本人が毒を吐いている。ほんとうに、そういうセコイ小言毒と、ヘビメタ騒音問題に関する弁明を一緒にするな。

   *   *   *

しかし、どうするかな?
どうする??

どうするんだ??ぼくは~~

一一時五四分。
きちがいヘビメタが鳴りやんで、四〇分ぐらい経過して、からだが冷えはじめる頃だな。こころが、凍って動けなくなる頃だな。

   *   *   *

ほんとうに、どれだけ。気違い兄貴が、『やりたいようにヘビメタを鳴らす』と決めて、そうした「せい」で、俺がどれだけ。これ、他の人にとってはただの愚痴なんだろうけど俺にとっては、真剣な悩みなんだよ。おかしいだろ。ヘビメタ騒音障害だけ、無視されるというのはおかしい。この障害はもっと市民権を持ったほうがいい。長期間の騒音が、どれだけの障害になるか、他の人はもっと関心を持つべきだ。長期間の騒音が、どれだけの障害になるか、知るべきだ。

ヘビメタ騒音障害じゃなくて長期騒音障害と言った方が、いいか。愚痴にしか聞こえないというのが、おかしい。そもそも、それがおかしい。ほんとう、どんだけ。学習障害なんてレベルじゃないんだよ。ほんとうにどんだけ。騒音には障害者を作り出すエネルギーがある。まるで、ほんとうは兄貴の騒音が原因ではないのに俺が、勝手に文句を言っている(兄貴のことを悪く言っている)と思っているやつらはなんだ? どんだけ、読解力がないんだよ。どれだけ、自分勝手な人間なんだよ。これ、たぶん、兄貴とおなじで、自分がやりたいことは絶対の意地で通したいタイプなんだよな。他の人が反対しても通したいことは通したいタイプなんだよ。そういうタイプが無意識に反感を持つ。自分のことが言われてるような気持ちになるのかもしれない。それは、無意識に『自分がそういうふうにしている』『自分は自分勝手なところがある』という自覚があるからだ。そういう自覚がない人は、特に反感を持たない。

   *   *   *



それにしても、他の人があまり理解できないヘビメタ騒音でどんな目に遭ったか。他の人は常識的な思考をするから、あまり理解できない。気違い兄貴の態度なんて、常識的な思考じゃ理解できるわけがない。だから、程度を誤解する。兄貴がやったことを誤解する。だから、心身に与えるヘビメタ騒音の影響を軽視する。

   *   *   *


あ~人間っていやだな。
あ~人間っていやだな。



生活苦という文字を含むカテゴリ

まあ、ニュースを視ると、いきなり中学生が自殺したというニュースなどが飛び込んでくることもある。たしかに、経済ニュースだけを視たいという気持ちがある。(英語に限る。むかしはあったんだよな。いまはないけど)。

   *   *   *

あ~~あ、暑いときは暑いのに、寒くなると寒くなるねぇ~~
日本、いいとき、ない。
あ~~。
暖房はまだつけないようにしよう。

   *   *   *

ヘビメタ騒音以降
オレ、いいとき、ない。

   *   *   *

まあ、貧乏生活苦だと、ヘビメタ騒音の話しというのは、ちょっとずれているのはわかる。けど、これはここだから。で、まあ、自殺のニュースは聴きたくないという気持ちもわかる。わかるんだが、無理だ。

ヘビメタ騒音はぼくにとって常に自殺級の出来事なんだよ。いまも。

   *   *   *
けど、生活苦、なんだからさ。日常生活の苦しみついて書いてあると思ってもいいんじゃないか。楽しいことが書いてあると思ってみるから、「くそやろう。暗いことを書きやがって」と思うんだよ。

けど、これ、やられてみな。これ、オレ対「暗い話しを嫌う世間の人」という構図になるんだよ。もう、いいよ。飽きた。

無視して、ものすごくでかい音で、可能なすべての時間、ヘビメタを鳴らすというのは、すごいことなんだよ。ものすごく悪いことなんだよ。弟の一生を破壊するような出来事(行為)なんだよ。どうして、それが、わからないか。気違い兄貴にも、世間の人にもわからないのか。

   *   *   *

生活苦という文字を含むカテゴリに自分のブログを登録しておいて、『他のやつらは、暗い話しばかり』と愚痴を言うのは、どうかと思うよ。いや、『他のやつらは、暗い話しばかり』と「毒を吐く」か。
こういう筋違いの文句と、ヘビメタ騒音に対する切実な悩みを一緒にしないでよ。性格が悪いと一緒になっちゃうのかもしれないけど。
投資とかセミリタイアあたりに、登録カテゴリをかえたほうがいいって。明るい話を読みたいなら、リア充系のカテゴリに登録して、リア充系のブログを読めばいい話だろ。こいつはほんとうにわかってないな。まあ、「自慢をしたいだけ」ならわからないではない。

どれだけ冷えて重たい状態になるか

横になっていたんだけど、相当にやばい状態になった。
だるい。これは、やばい。
相当にだるい。なんとかして、力を出さないと……。
相当につかれた状態になっている。
あー、これじゃ無理だよな。これじゃ無理だわ~~。
横になっているしかないか。

ドラクエもくそもない。けど、「あれはない」。あの瞬間はない。あの時間はない。あの気違い兄の態度はない。あのヘビメタ騒音はない。あってはならない。あんなのやられてうまくいくわけがないだろ。何年間やっていると思っているんだよ?

本人が一日でもやられたら、ものすごくひどいことだというのがわかるのに……。そういう度外れなことなのに。気違い親父のまねをして、一切合切認めなかった。やっているときもやっているということを一切合切認めないような態度だ。認めてない。やり終わったら、特に認めない。一切合切認めない。で、やりきるからな。いのち、かかっているんだから。やりきることに、いのちがかかっている。ゆずらずにやりきることに、いのちがかかっている。本人にとっても、どうでもいいことじゃないんだよ。一分だって、一秒だって、ゆずりたくないことなんだよ。一分だって一秒だって、いのちがかかっている。一秒ゆずることは、死んだってできない。一秒ゆずってやったら、そのあとは、一生どれだけ鳴らしてもい……という気持ちになってしまう。どうでもいいことじゃないから、一秒もゆずれなかった。一秒間ゆずることが腹が立って腹が立って腹が立ってしかたがないことで、ゆずらなかった。いのちがかかっている。一秒だろうが、なんて言うのかな、意地になっている。意地がかかっている。親父にやられた「いきどおり」がそのまま生きている。一秒ゆずってやったら、死ぬみたいな態度だ。一秒でもゆずったら、死ぬという態度だ。一秒でもゆずったら、死ぬという切迫感がある。絶対の意地で、一秒もゆずらずに鳴らし続けた。これが事実だ。気違い兄貴は、鳴らしたいと音を鳴らしているから、騒音でダメージを被るということはない。ヘビメタ難聴になったけど、それをのぞけば騒音でダメージをくらうということがない。でかい音で鳴らせば、すっきりして、よく眠れる。気違い兄貴が、聞かなければならないのは……おなじ音のでかさの、兄貴が苦手な音だ。兄貴が嫌いな音が、あの音のでかさで、一日に約七時間続いてみろ。鳴り終わったあと、からだが「やけどをした状態」で眠れない。こころが、ぴりぴり低温やけどする。こころが、どれだけ冷えて重たい状態になるか。ああいうことをやられて……だれもが実際にやられて……それで、たてまえで言っていることを言えるかというと言えないと思う。建前で言っていることというのは、まあ、認知療法、アドラー心理学、スピリチュアリズム、行動主義心理学、常識に基づいたキレイゴトだ。常識がほんとうに、人を傷つける。なんで常識的な人はヘビメタ騒音の効果を過小評価するのか? 俺が最初に言ったことを、聞いてないのか? 無視しているのか? 俺が最初に説明したヘビメタ騒音の持続時間と持続期間と、音のでかさを、無視している。それらを無視すれば、そりゃ、『それでも働かなければだめだ』『それでも遅刻ししたらダメだ』『通勤ができないなんてことはない』『引きこもりなんてだらしない』ということを言える。けど、本人は、一日もヘビメタ騒音を経験してない。おまえ、だれにものを言っているんだよ。

俺がどういう気持ちで生きてきたと思っているんだよ?

2017年10月27日金曜日

目に見える光景

どうするかな。なんかもやーっとしている。
いろいろなことが浮かんでくる。
ぼくの場合ヘビメタ騒音のことが多い。どんなことも、ヘビメタ騒音関係のことだから。どんなシーンもヘビメタ騒音に関係があるシーンだから。どうしてかというと、目に見える光景というのは、その日の光景で、その前日ぼくは、ヘビメタ騒音にやられていたから。そして、残留ヘビメタ騒音がたまってくるしい状態で生きているから。残留ヘビメタ騒音でくるしい状態で生活していれば、そりゃ、生活しているあいだのすべてのシーンが、ヘビメタ騒音でつらいものになる。

どちらにカルマがしょうじているか

起きた~~~
つかれた~~~

はぁーー。どうもつかれる。

騒音で殺される。
騒音のストレスで死ぬ。

内臓をむしばんでいるような気がする。

しかし、どうしたものか。
ヘビメタ騒音で破壊されたあのときのままなんだよな。ぼくの中身は。ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で「ふちいっぱい」だから、すべてがくるしくなる。

もう、だめだ。気違い兄貴が意地になって、すべての時間、他の人が考えられないようなでかい音で、鳴らしていたことにはかわりがないんだよ。毎日毎日。で、その影響は、鳴ってない時間にも及ぶわけで、これも、他の人にはわからないことだけど、ぼくにとっては、きわめて重要な問題だ。生きるか死ぬかの問題だ。そういう切迫感がわからないのだろう。「あのとき」「あのとき」というと俺がまるで気違いみたいだが、だれもが、こだわろうと思わなくても、こだわる状態になる。不可避的に、絶対に、気になる。人間であってあれだけやられて、「あのとき」の雰囲気にこだわらないということはない。ただ、「やられた」人間がぼくだけなので、ぼくが異常に見えるだけだ。そういう、極限状態に追い込むまで、……弟を極限状態に追い込むまで、頑固に、ヘビメタをこだわりつくしのデカイ音で鳴らしていたのに、まるで気にしなかったのが、気違い兄貴だ。で、これも、親父のように『気にしないとなったら』相手がなにを言っても、何万回言っても、気にしない』ということになる。この気にしないというのは、気にしないということも、気にしない……認めない……というニジュウの気にしないで普通の気にしないではない。ようするに、こういうところでも、気違い兄貴に都合がいいように狂っている。普通じゃない。あいつの気にしない態度……気にしないことによって生成される認知は、完全におかしい。だから、親父とおなじで「やったってやってない」ということになる。

まあ、そういう態度で、うちにいるときはすべての時間鳴らしたんだよ。すべての時間と言っても寝ている時間、風呂にはいっている時間、いまでご飯を食べている時間はぬかすけど、それ以外のすべての時間は鳴らしていたということだ。そして、鳴らすなら、よその人が考えられないようなデカイ音で鳴らしていた。一〇〇%時間そうだ。だから、すべての時間、ガンガン鳴らされて、こまる。けど、この困り方や、気違い兄貴の通じなさ、が、他の人にはわからないのである。だから、他の人とのあいだに、毎日毎日、亀裂が入る。これが毎日続いたらどういうことになるか? 七年間毎日、それこそ、休みの日も含めてずっと……連続したらどうなるか? これ、毎日連続、の意味がわかってない人がいる。まあ、こんなものは経験しなければわからないか。からだがちがうんだよ。一〇〇日やられたときのからだは、一日しかやられてない場合のからだとちがう。五二〇〇日やられたら、一日しかやられてない場合のからだとちがう。そして、五二〇〇日以上やられたら、もう、治らない。もう治らない地点に達する。けど、他の人は、五二〇〇日目も、一日目と同じような状態だと思っているんだよな。「そーーおん」という、日常のなかでわりと『軽い問題』になりがちな問題。けど、程度と時間の長さがちがえば、それは、まったくちがった問題になるんだよ。いじめといたって、死にいたいるいじめと軽いいじめの差があるだろ。五二〇〇日毎日続いた場合のつかれが、他の人にはまったくわかってない。だから、一日しかやられてないような場合を考えて『気楽に』助言する。けど、その助言の内容は、五二〇〇日連続で毎日やられたら、できないことなんだよ。けど、助言をする人は一日ぐらいの問題とおなじだと思っているので、気楽に無理なことをいってくる。そして、「『無理だ無理だ』『できないできない』と言ってるからできないのだ」というような、無慈悲な理論を展開する。これ、ほんとうにやられてないから、言えるだけだから。本人が五二〇〇日以上激しい騒音が続く状態で暮らしたことがないから、言えることだ。けど、こういうことを言っても、そういうことを言ってくるやつらは、たとえば、「本人(俺)がひねくれているから、そうなんだ」「本人(俺)がだめをこじらせているから、そういうことを言ってくる(言い返してくる)」と思うわけだよ。これは、わからないではないけど、ほんとうに俺が体験したことが、その人に見えてないだけだ。ぜんぜんちがう。そっちの考えが、認知が、ほんとうにまちがっている。これは、ほんとうはカルマをうんでいる。俺のほうじゃなくて、たとえば、「本人(俺)がひねくれているから、そうなんだ」と思ったほうにカルマがしょうじている。ほんとうに、ちょっとは考えたほうがいいよ。まあ、体験してない以上、無理なんだろうけど。

   *   *   *

『人生ドラクエ化』について考えていた。
やはり、ヘビメタ騒音のことが大きい。デカイ。
それが、全部を破壊する。気違い兄貴は、ラスボスのようなものなのだけど、リアルな世界で、殺してしまうわけにはいかない。これがでかいんだよな。あの時でかかった。いまも、デカイ。

『ただ、わかったようなことを言いたいだけ』の人たち


あ~~。考えることはヘビメタ騒音のことばかりだ。あれがどれだけつらかったか。特に冬は、くるものがある。ほんとうにヘビメタ騒音さえなければ……。もういやだ。あほなやつから誤解をされて、わかったようなことを言われるというのが、わりとこたえるな。

ほんとう、あほだから?勘違いしているだけなんだよな。見えてない部分がある。まあ、そいつの読解力がそういうものだから、しかたがないのだろう。しかし、そういう人たちが多いんだよな。もう、そういうことを含めて、俺はヘビメタ騒音で他の人から誤解されてばかりだ。

わりとまじめで頭がいい人がフツ~~~に誤解をするからな~~。ほんとう、そんなんじゃないのに……。

そういうところでは、観察力、洞察力がない人が多いんだな。ちゃんと読めば書いてあるのに……。まあ、適当に感じだけでものを言ってるだけか。けど、なんて言うのかな、ひどい目に遭った人が、心理学の正論、スピリチュアリズムの正論、常識で、ひどいことを言われることがあるんだよな。あれやっぱり、被曝量がちがうと思うよ。被曝量が……。ぜんぜんちがうことなのに、おんなじことだと思っているんだよな。これも、単細胞。単純。単純だが正しいというのはあるけど、単純だかまちがっているというのもある。まるまるはまるまるだという決めつけが多すぎる。場合分けがわかってない。程度が違えば質的に異なるということもわかってない。『ただ、わかったようなことを言いたいだけ』の人たちなんだよな。だから、認知療法にしても流布しやすいように、短文が語られる。その他の心理学もおなじ。うらないもおなじ。スピリチュアリズムもおなじ。

   *   *   *

にしても、この世はやっぱりおもしろくない。
すべてがおそい。
ダイヤとコンビを組んでいればよかったな。

おもしろくないよ。ヘビメタ騒音がはじまってからすべて、闇の中だ。
あれ、ほんとうにどんだけ。頭が悪い人たちは、兄貴のことは悪く言わないで俺のことを悪く言うんだよな。これ、頭がおかしいんじゃないか。それとも、やはり、兄貴に似た自分勝手な人たちで、人のことを思いやるということができないからそういう感想を持ってしまうんではないかと思うよ。自分勝手なところが(無意識的にあるから)兄貴のほうに、自己投入してしまうんだろうな。

七年間毎日、つもったあとの世界なんて、他の人には絶対にわからないことなんだよな。

2017年10月26日木曜日

そこでいう自己受容ってなんだよ?という話になる。

受け入れることが大切。自己受容がたいせつ。……みんな、ヘビメタ騒音に一五年間「たたられ」ことがない人が言うこと……。
そこでいう自己受容ってなんだよ?という話になる。
もう、こういうキレイゴトは聞き飽きた。
あとは、ヴィクトール・エミール・フランクルあたりをだして、どれだけ絶望的な状態でも、希望を持つことがたいせつ……みたいなことを言う人がいる。希望を持つことはたいせつだと思う。けど、これもやはり、どれだけ絶望的な状態でも、絶望せず強く生きた人がいる……だから、あなたもできるというのはまちがっていると思う。死んじゃったやつのほうが多いのだから。それから、強制収容所というような極限状態を、ヴィクトール・エミール・フランクルは経験しているけど、そういうことを言っている人は経験しているわけではない。それから、ヘビメタ騒音生活のほうが強制収容所の生活よりもゆるい生活だ(簡単な生活だ)と決めつけることができるのかという問題がある。ともかく、そういうことを言うやつは強制収容所の生活も一五年間ヘビメタ騒音生活も経験してない。それだけは言える。感じ方の相対主義というのはある。けど、それだけではないのだ。人間の生物的なからだと、生物的な意味での精神には限界がある。そういう人間の生物的な部分をないがしろにはできないと思う。感じ方の相対主義の場合は、「すべては感じ方次第だ」というところに行き着く。けど、それは、やっぱりまちがっていると思う。生物的な特徴がある。人間といえども生物的な特徴があるのだから、「生物的な基盤」を無視して、感じ方がすべでだというのは、やはり、見てない部分があるように思える。

(注)ヴィクトール・エミール・フランクルの強制収容所暮らしは約四年間。

歩いているとき、頬をすぎる空気

昨日買い物をしたから、さすがに、食料品の在庫はある。

しかし、むなしいな。どこを歩いていてもむなしいわぁ~~。

どこにいてもむなしい。当然、部屋にいても。歩いているとき、頬をすぎる空気が、ヘビメタ騒音のときの、頬をすぎる空気だ。頬に感じる夜の空気が、ヘビメタ騒音の夜の空気だ。ヘビメタ騒音の破綻のなかを歩いている。これ、若いときからずっとこうだからきつい。これ、切れ目なく毎日、毎年そうだ。もう、かわらないんじゃないかと思う。……と思うと死にたくなる。

そりゃ、やられていない人は『過去のことは忘れましょう』『過去のことは気にしないようにしましょう』……で、済むけどさ……。そういうことじゃないんだよな。最初から……。気違い兄貴よ! どうして、しずかにしてくれなかった。「そっち」で静かにするようにしずかにしてくれなかった? そっちのマンションで静かにするように、ずっと、……何時間も何時間も……鳴らさないで!!しずかにしろ!! こういうあたりまえのことが一四年間通らなかった。

これについてどう思っているんだよ? 兄貴は?? おまえが意地になって鳴らすから、こういうことになっているんだぞ。気違い兄貴が、頑固にやったことだ。気違い兄貴が、気違い親父になってやったことだ。

おなじ脳みそだから、やったあともおなじ反応をする。あれだけ頑固に、人の制止を振り切ってやったことなのに、……がめつく血相を変えてやったことなに……絶対にゆずらないでやったことなのに……「やってないやってない」ってなる。まったくしずかにしてくれなかったのに……「しずかにしてやったしずかにしてやった」ってなる。言い出す。頭がおかしいな。やっているさいちゅうは、発狂して、絶対やめようとしない。

それだったら、時間を決めて、ちゃんとしずかにするべきだろ。自分が〇・一デシベルでもさげてやったら、どれだけデカイ音で鳴らしてたって『さげてやったんだから静かにしてやったんだ」と思うほうがおかしい。親父のカネの出し方とおなじなんだよ。

さんざん、我慢させているのに……自分の気持ちを優先して……自分のやり方を優先して……さんざんずっと、何年間も何年間も『我慢させているのに』……我慢させたつもりがまったくない。それは、『言われないから気がつかない』のではなくて、『どれだけ言われても気がつかない』のである。言われれば、その都度怒り狂って……自分のやり方に固着して……つまり、相手の言い分と要求は昂然と無視して……やりきるくせに……やったつもりがまったくしょうじないという気違い的な状態だ。

現在進行形でやっているのに、「やってない」と強情を張って思っている状態なんだぞ。この、きちがい的な状態も、いつも成り立っているきちがい的な状態なのである。そうじゃないときがない。これがどれだけデカイことか、認知療法家はわかってない。

もちろん、認知療法家もどきも、わかってない。ヘビメタ騒音にやられなかった他の人もわかってない。だから、正論として気軽なことを言ってくる。「ソンナンジャナイ」のに。

そりゃ、他人であれば……自分が経験したことでなければ……いまに続くハンディの量がわからないのだから、適当なことが言える。あとは、常識的な佐藤さんみたいに、「この音よりデカイ音で鳴っていた」と言っているのに信じないやつがいるんだよな。

あの居酒屋の一室で鳴っていた音よりもずっとデカイ音で鳴ってたと言っているのに、信じない。あんな音じゃないんだよ!! で、たとえば、居酒屋を出て、居酒屋が入っているビルの舌で話しをたしたとき、居酒屋のなかのスピーカーの音がどれだけ聞こえたかわかっているのか? と言いたくなる。

あんな小さな音じゃないんだよ。音の聞こえ方は、距離がものすごく影響している。目の前が幼稚園の敷地で、他の家が離れていたと言っているだろ。あの居酒屋の音だって、たとえば、一一部屋離れていたら、どうなんだよ? 一号室のスピーカーの音を、一一号室にいる人がどれだけ気にして、文句を言ってくると思っているんだ? そんなの、気にしないだろ。あの小さな部屋……横の幅は畳一畳分しかないような部屋で、隣の部屋とのあいだがうすい板で区切られているようなところですら、一〇部屋分離れたら、ほとんど聞こえなくなるんだよ。

あんな音じゃないんだよ。

俺が「こんな音よりずっとデカイ音で鳴っていた」と言ったら、それを信じろよ。

そんな音で鳴ってたら横の人が注意してるなんて言わないでさ。となりの人が注意してきたことは一度ある。けど、一度だけなんだよ。じゃあ、気になってなかったかというとそうじゃないんだよ。

それから、うちとの関係を険悪なものにしたくないからという理由で我慢しきちゃって、引っ越したかもしれないんだぞ。基本、二階の部屋で鳴っている音は、地上の道路で聞いた場合……(音源から)一二メートルあたりで急激に減衰するように思える。一二メートルから一七メートルあたりで、ものすごく減衰する。

この五メートルの差がでかい。音の大きさは距離の二乗に反比例するのだけど、外壁、内壁、音源との高低差で、だいぶちがう。五メートルの差はでかい。しかし、壁ごとドカドカ鳴っている場合は、六畳間の端から端まで離れても、音量にはたいした違いがないと感じる……のである。壁の後ろに……つまり、壁をへだてて向こう側に強烈な音を出すスピーカーが置いてある場合……その隣の部屋の壁自体が、いわばスピーカの表面としてガンガン鳴っているような状態だと、音がなかなか減衰しないように感じる……のである。

音の大きさは距離の二乗に反比例するというのは事実だけど、どうも、音源の場所と壁の位置で、実際には、だいぶちがう。それから、音の大きさは距離の二乗に反比例するということが、感覚的にわかってない人がいる。言葉で「二乗」ということがわかっていても、どれだけちがうか、感覚的にはわかってない人がいる。距離の二乗というのは、ものすごい差を作る。「二乗」というのがどれほどのちがいをつくるか、あんまりわかってないんじゃないかと思う。彼らの頭のなかでは、距離と音の大きさの関係は「なんとなく、そのまま(一倍で)反比例しているような感じ」なのではないかと思う。

   *   *   *

気違い兄貴の態度が頭にくる
ぼくは限界だ。
ぼくは限界だ。


   *   *   *

いいわけ、ないだろ。あんな音で鳴らし続けやがって。どれだけ文句を言っても、ほんとうにまったくなにもわかってないんだよな。親父のようにまったくなにもわかってない。『親父のように』ってどういう意味だか、兄貴はわかるよね。さんざんやられたわけだから。

ちょーど、おなじことをしているよ。

気違い兄貴の、一五歳からの態度は、親父の態度とまったくおなじ。兄貴が一三歳の時……親父を……そとにのけた、んだよ。追い出したわけじゃないけど、「どかした」。で、その時から、もう、気違い兄貴が親父になった。気違い兄貴が親父の態度なんだよ。

で、兄貴が一三歳の時は、兄貴がフォークギターを鳴らしていたので、問題はなかった。けど、兄貴が一五歳の時から、ヘビメタを鳴らすように鳴って、問題が生じた。兄貴の友達のカオ君が言っただろ。『こんな音で鳴らして大丈夫なの?」って。

大丈夫じゃないんだよ。

常に毎日、毎分毎秒、大丈夫じゃない音で鳴らした。それなのに、気違い兄貴は、気違い親父とおなじで「まったくなにもわかってない」。この『わからない度合い』がすごいんだよな。

あれ、ほんとうに「よそ」では健常者なんだろうけど、「うち」のなかでは、本物の精神異常者。場所限定の精神異常者。自分の都合が悪いことは、どれだけやったって認めない。やったってやったと思ってない。

気違い兄貴は、意地になって、鳴らし続けた。けど、これが、気違い兄貴の態度は『まったく鳴らしてない』という態度なんだよ。こっちに対する気持ちがそういうことを前提にしている気持ちなんだよ。だから、まったく『悪気がない』。まったく悪いことをしたと思ってない。そりゃ、どれだけ鳴らしたって、まったく鳴らしてないのとおなじ気持ちだから。

でかい音で鳴らし続けているのに、静かな音で鳴らし続けているつもりなんだよ。本人は……。どこまでもどこまでも。どれだけ「デカイ音で鳴らすな」「静かにしろ」言われても!!

で、言われたときの態度が親父とおなじなんだよ。顔を真かっにして起こって否定して、やり続ける。やっているんだからやっているのに、起こったあとは、やっているのに、まったくやってないつもりでやり続ける。頭がおかしい。こんなやつにどれだけ言ってもむだなんだよ。

そういう状態なんだよ。それがわかってないから……他の人はそれがわかってないから、『お兄さんにいえばいい』なんて言う。これは、親父が俺や兄貴やお母さんに押しつけてきたこととおなじだ。

「うち」じゃ、絶対に言うことを聞かないのに、本人はそういうことをしているとまったく思ってない。どれだけ言われても思わない。あれだけもめているのに、やっている本人がシランプリだよ。

ほんとうに「やってないつもり」でいるんだよな。

顔を真っ赤にしてこだわりきってやったことは、全部やってないつもりでいる。他の人(家族に)反対されたことは、気違い的な意地でやって、まったくやってないつもりなんだよ。

だから、まったくやってないという認知のまま、他の家族に接するわけだけど、他の家族の気持ちがどれだけ冷えているかわかってない。……あんなことやられていいわけがない。

気違いだから、発狂してやりきったことは、絶対に認めないし、ほんとうにやったつもりがない。いまのは親父の話だけど、兄貴もおなじなんだよ。兄貴がヘビメタ騒音でやったことは、全部親父のまねだから。

『態度』が、全部おなじなんだよな。いまだにおなじだからな。あれほんとうに……気違い兄貴はほんとうに……やったつもりがないままなんだよ。そういうつもりでいる。そういう認識でいる。じゃあ、あのこだわりはなんなんだという話になる。
けど、そういう話し……自分にとって都合が悪い話しは、何万回聞いても、まったく一回も聞いたことがないという認知が成り立つ。言われているそばから、そういう認知が成り立つ。言われているそばから、そういう態度だ。何万回言われても、そういう態度のままだ。本人は一回もいわれたつもりがない……という認識を貫き通す。これも、おなじなんだよ。おなじしくみ。親父とおなじ。

   *   *   *

あんな音で鳴らしていいわけがないだろ。

気違い兄貴!!! ……おまえ、自分が勉強しているときにあの音のでかさで(自分が嫌いな音を)五分間、聞かされたらわかるよ。
そういう、自分が五分間でもやられたら、発狂するような音でずっと鳴らして、なにもしてないと思っている……。気違い野郎!!

気違い兄貴の態度が親父とおなじで、気違いの態度だから、俺が他の人から「お兄さんに直接相談すれば解決したのに、相談しなかったから解決しなかったんだ」と思われる。こんなの、まちがった思い込みなんだけど、そう思うやつはそう思うだろ。こんなのない。どんだけ。



(注)「しずか」と「静か」の不統一はあとで修正する。
(注)元となりの人が引っ越したあと、気違い兄貴が引っ越して、現となりの人が引っ越してきたから、現となりの人はヘビメタ騒音についてまったくなにも知らない。(北側)。兄貴が引っ越す前から、空き家になっていた。

2017年10月25日水曜日

「自分はもっと上に行けた」という話しはつまらない(というのはわかる)

焼き鳥の缶詰二個、グレープゼリー一個、焼きプリン一個、ご飯一杯分を食べて、落ち着いたところだ。

一度起きたあとまた、寝てしまったよ。

ものすごくつかれた。

ほんとう、ヘビメタ騒音が毎日七時間から一四時間続かなければ、そして、その生活が六年以上続かなければ、俺の能力と性格で、もっといろいろなことができたんだけどな。ヘビメタ騒音の影響を小さく見積もるやつがいてこまる。

ほんとう、どれだけ。どれだけの量たたられているか、そいつらには見えない。だから、判断を誤っているのだけど、そいつらにとってはぼくもぼくの人生もどうでもいいことなので、その誤りに気がつくことがない。

けど、事実として、一四年と四ヶ月間(あしかけ一五年間)毎日ヘビメタ騒音を鳴らされたので、「そうじゃない」人生というのがない。

ヘビメタ騒音がまったく鳴ってなかった場合の人生こそが、架空の話になっている。この世では。ヘビメタ騒音がまったく鳴ってなかった場合、ぼくは、「ヘビメタ騒音の影響を小さく見積もるやつら」が到達した地点を遙かに超えた地点に到達できただろう。あたりまえのように到達できただろう。

ま、あ、仮定の話だから、他の人にとっては(全般的に)おもしろくな話しだ。そりゃ、誰か他人が「自分はもっと上に行けた」という(仮定)の話をしていたら、おもしろくないと思うのが人間だからな。「ソンナノハ……」と思う人もいるだろう。「騒音ぐらいで……」「自分だって、まるまるがあった……」。


けど、一年ぐらい生活してみればわかるけど、ヘビメタ騒音生活がつらすぎる。ほんとうに「ソンナンジャナイカラ……」。

ヘビメタ騒音があの音のでかさでずっと毎日鳴っていた……ほんとうに、一年三六五日中三六五日鳴っていたというのは、よくあることではないんだよ。悪い意味で特別なんだよ。特殊な環境で生きてきたんだよ。ぼく以外の人間は、気違い兄貴のヘビメタ騒音を経験してない。だから、そういう場合について書いておかなければならないんだよ。こんなの、実験するわけにはいかないのだから。

エンジャクイズクンゾ、コウコクノココロザシヲシランヤ

午後三時ぐらい起きた。
ご飯を食べずに買い物に行くか、それとも、食べてから買い物に行くかまよっている。

にしても、起きてから考えることはヘビメタ騒音ことばかりだ。兄貴の態度についてばかりだ。これ、他の人には関係がないけど、すさまじいことなんだよな。他の日には関係がないけど「どうしょうもなさ」がすさまじい。ほんとう、いいようがないな。

関係がない人は、関係がないので、わからない。関係がない人からみると、俺が大げさに言っているように思えるかもしれない。あるいは、関係がない人からみると、ヘビメタ騒音の全部の影響というのは、ほんとうに、まったくわからないことなのかもしれない。表面の影響のごく一部を理解できるだけだからな。

そりゃ、「自分ならそんなことをやられても、そんなふうにはならない」と思えることなのかもしれない。けど、ちがうから。

けど、ちがうとしても、その人は、一生経験することがないのだから、「深さ」がわからない。どのみち、表面的なものを見て、個人のあほな感想を言う。あほだと思うけど、しかたがないのかな。あほだと思うけど。しかたがないかーー。

それは、わかるわけがない。「つもった場合」の状態なんてわかるわけがない。副作用なんてわかるはずがない。副作用の強さなんてわかるはずがない。ともかく、キレイゴトや「自分ならどうにかなった」というようなことは、経験してないから思える、軽い見方で、まちがった見方だ。けど、そうなるのはしかたがないよな。その人は経験してないのだから。

そりゃ、言葉として「騒音がずっと鳴ってたんだな」ということはわかるけど、その人が理解しているのはそういうことだけだ。それが生活上、どういう意味を持つかなんてわかってない。

さらに、「毎日、何年も続いた場合」の話しは、想定外。想像の「外」なのだろう。どれだけ、その人の知恵を振り絞って考えても、到底、想像できるものではないのだろう。

それは、しかたがない。

経験してないのだから。

毎日つもった場合の話しなんて、わかるはずがない。そりゃ、そうだ。そりゃ、そうなんだが……。毎日つもった場合の話しが、その人にとって「不愉快な話し」なのだろう。けど、ぼくは、自分のブログに書いているのだから、それは、問題がない。

早い話、不幸なニュースを視たくない人は、不幸なニュースを取り扱っているニュース番組を視なければいいだけの話だ。(中略)

「エンジャクイズクンゾ、コウコクノココロザシヲシランヤ」。

こういうことを書いておくのは価値があることなのである。人類にとって価値があることなのである。小人物が到達できない思考について書いてあるのである。実験することができない出来事について書いてあるのである。




(注)「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
《「史記」陳渉世家から》ツバメやスズメのような小さな鳥には、鷲や鷹ような大きな鳥の志すところは理解できない。小人物には大人物の考えや志がわからない、というたとえ。

(助言)明るいのがいいなら セミリタイア、投資あたりに移ったほうがいいよ。貧乏と名がつくカテゴリーに登録しておいて、貧乏な話し、底辺の話しは嫌だと言っている人がいたら、ちょっとどうかと思うぞ。

愚痴を言うやつは、最低だと言っておきながら、わざわざ、まずいパンをトイレに流してやったという話しをするのはどうかと思うなぁ。それ、口にしか聞こえないんだけど。さらに、そのまずいパンを作ったやつの悪口を言ってたよな。あれって、悪口じゃないの? 芽がはえたジャガイモをディスり、芽がはえたジャガイモを利用して、他人をディスっていたけど、あれも、聞く人にとっては、愚痴だ。それだけではなくて、最初から一貫して、あるカテゴリーに登録してある人たちをディスりまくりで、『それにくらべて自分は、コミニュケーション力があるからすばらしい』と自慢していた。本人が、あるカテゴリーに登録してある人たちの悪口を言いまくっているのに、本人はそれに気がついてないのかね? その人たちにくらべてどれだけ自分がすぐれているかの自慢話をしてたけど、そういう自慢話は、愚痴話ぐらいには嫌われるということがわかってないのかね? ほんとうにコミニュケーション能力がある人がやることだろうか? それとも、ネットの人間には、気を遣わないのかね?

ぼくのは「弁明」「真実の告白」で、うんころさんのはただの悪口だ。しかも、底辺とか仕事ができない人とかコミニュケーション能力がない人とか不幸な人の悪口を言っているだけだ。たたけるところをたたくという、まことに、くだらない行為だと思う。ぼくがたたいているのは、実の兄貴と実の父親だ。たたくだけの理由があるのである。それにくらべて、うんころさんは、ほんとうはたたく必要がないところをたたいている。俺には、実の兄貴と実の父親が「おれ」にやったことについて語る必要性があるのである。人によっては、それが悪口に思えるかもしれないが、それは、その人が、俺の言っていることの真意を理解してないからだ。こんなもの、実の兄と実の父親が「おれ」にやったことにくらべれば、屁でもないよ。そもそも、事実の報告であって『悪口』じゃない。父親と兄が実際にやったことについて、実際にそうしたということを述べているだけだ。じゃあ、翻って、あるカテゴリーに登録している人たちが、うんころさんにやったことがひどいことなのかというと、ひどいとじゃない。いいかげん、コミニュケーション能力がある人なら、気がついたほうがいい。ただの悪口と一緒にするな。げろまずパンとか、使えないジャガイモとか、腹いせの放火とか、うんころさんが毒を吐いているんじゃないか? 貧乏、生活苦というキーワードが入っているカテゴリに登録して、そのカテゴリの他人のブログなどを読んで「不幸なことを言ってんじゃない!(俺は金持ちで、コミニュケーション能力があってしあわせな人間だが、それにくらべておまえらは!)」と毒を吐いている人のほうがよっぽど有害だと思うけどな。(そういう人は)貧乏、生活苦、底辺関係のカテゴリには登録しない方がよいのではないかと思うよ。『俺すげぇーー。おまえら、底辺だな。おまえら不幸だな。おまえらが不幸なのはおまえらが悪い。俺がどんだけすぐれているか。俺がどれだけエリートだったか。俺のコミュケーション能力!最高!!』と言いたいだけなのかもしれないが。

生活費はともかくとして、貯金はたっぷりあるんだろ。生活費だって月に五〇万、六〇万かけようと思えばかけられるわけだから、最初から、場違いなカテゴリーに登録しているのではないかと思う。

金持ちが貧乏(底辺)カテゴリーに登録して、貧乏な話しが多いのは不愉快だから、「(貧乏な話しをするやつらは)早く出て行ってくれたらいいな」なんて言っているとしたら、おかしいと思うのはぼくだけではないはずだ。

「俺は金持ちで、コミュニケーション能力ばっちり」だと自負しているのに、わざわざ貧乏カテゴリに登録して、「コミュニケーション能力がたりないやつばっかり、貧乏人ばっかり」と愚痴(小言)を言うのはおかしいと思うぞ。

まあ、ヘビメタ騒音の話しは、登録したカテゴリーからちょっとズレていることは認める。けど、いろいろな都合があって、ちょっとズレているけどここにいる。




2017年10月24日火曜日

「もう、走れません」か

昨日、お土産として買ってきた、野菜炒めとレバニラ炒めを食べた。これは、昨日から今日にかけて、何回かに分けて食べた。そして、いま最後の分を食べ終わった。おいしゅうございました。

「きんつば」というお菓子を食べた。おいしゅうございました。

これから、ほんとうに、ねぐらに帰ります~~
ひとりだってさみしくないー。むにゃむにゃーー
どんだけさみしい思いをしてきたか~~。むにゃむにゃ~~。

ほんとう、空間にこびりついた『雰囲気』というのがあるんだよな。
他の人はどうだか知らないけど。

なかなかにつろーーございます。
むにゃむにゃ~~


そういえば、「おいしゅうございました」と何回も書いて自殺してしまったマラソンランナーがいたな。「もう、走れません」か。まじめすぎたんだなーー。まるで俺みたいだ。彼はオリンピックで銅メダルをとったから、なにをやったかわかっているけど、俺はヘビメタ騒音で消耗していただけだから、なにをやったか(ほかのひとにはわからない)。
ようするに彼はまじめに努力していたというのが、他の人にもわかるけど、俺はヘビメタ騒音で遅刻して、忘れ物をして、宿題を忘れていたわけだから、どうして、消耗していたのか他の人にはわからない。他の人から見ると不真面目に見える。けど、ほんとうに彼とおなじぐらいに、まじめだったんだよ。わかんないだろうけど。

ぜーーぶのシーンにヘビメタ騒音が関わっている

テレビの金を払った。やはり、三二〇〇円ぐらいした。送料は一六四〇円ぐらい。うーん。このテレビはもってほしい。どのくらいもつかな?

午後八時四八分。これから、紅茶を飲む。そうしたら、一度横になる。あ~つかれた。だめだこの体力じゃ。

それにしても、ヘビメタ騒音でズタボロな一生だったな。ぜーーぶのシーンにヘビメタ騒音が関わっている。関わっているんだよ。気違い兄貴。親父のように無視して鳴らしたから、わかってないだけだろ。鳴らす権利なんてないんだよ。

   *   *   *

まだ、寝てない。
作業する気になれないし、つまんないな。
この空間。

はぁ~~
この空間ですよ。この空間。
この時間ですよ。この時間。
この時空間です。この雰囲気です。

これ、どうにもならないな。

他の人はどういう感じで生きているのだろう。暮らしているのだろう。想像もつかない。気違いヘビメタ騒音以前の記憶というのは、一一歳以前の記憶だということになる。ほんとう、他の人にはまるでわからないんだよな。ヘビメタ騒音の拷問がどんだけのものか。三〇〇〇日つついたらどんなことになるか? 全然わからないんだろうな。普段、たとえばなにもしていないときでも、ヘビメタ騒音以前のからだと、ヘビメタ騒音以降のからだはちがう。みんなは、ヘビメタ騒音以前のからだで生きているわけだろ。ヘビメタ騒音以前のときに感じた、空間、時間のなかを生きているわけだろ。ぜんぜんちがうんだよね。ぜんぜんちがう。

そりゃ、嫌なこともあるけど、ちがう。きちがい親父にたたられてい状態ですら……そういう生活ですら……いいことと悪いことがあったという感じだ。ヘビメタ騒音以降は、悪いことしかない。強烈にくるしい。いつも強烈にくるしい。『昨日の』ヘビメタ騒音の影響が、『今日の』朝、でる。今日の』昼、でる。『今日の』午後、でる。午後四時からは『今日の』ヘビメタ騒音の始まりだ。ぜんぜん、ちがう。これ、ほんとうにちがうんだよ。『切れ目なく』やられた。これ、ちがうんだよ。ぜんぜんちがうんだよ。ぜんぜんちがう世界を生きている。うまくかけないけど、このあいだ言ったように『コア』がある。その『コア』が一般的に言われていることを、激しく激しく、否定する。それは、認識としては正しいのである。これ、まちがった認識をしているのではないのである。これ、認知療法家は『まちがった認知』『ゆがんだ認知』をしていると思うかもしれないけど、ちがう。おまえら、ぜんぜんわかってないな。そりゃ、ちがう世界を生きているのだからちがうか。

ともかく、もう、そんくらいちがう。異常な親にたたられても、なんとか、働くことはできたけど……通勤して普通に働くことができたけど……ヘビメタ騒音に五二〇〇日たたられたら……あるいは、一〇〇〇日以上たたられたら、もうだめだ。ちゃんと働くということが、どーしても、できないことになる。ちゃんと働くというのは、通勤して普通に働くということな。けど、他の人には「そこ」が見えない。見えないんだよ。

建前が成り立たない「エリア」

俺の言っていることはそんなにわかりにくいことかな?
まあ、そりゃ、経験したことがちがうからな。
建前を破壊しようとしているところがあるからな~。
建前の理屈と必要性はわかる。
けど、建前が成り立たない「エリア」があるんだよ。

   *   *   *

正直、つまらないな~~
けど、このあいだよりは調子がいいな~~
今朝、『ツマランジャー』の第五話を考えたのに、忘れた。

俺はヘビメタでめちゃくちゃだったけどな。これ、他の人がどう思うか割らないけど、俺は、親父だけなら、どうにかなった。だから、親父からもたらされた不幸量(精神的虐待)(社会不適応なルールの押しつけ)はニュートラル地点なんだよ。

人間は、怒った人の近くにいるのがいやなんだよ。これは、本能ではないけど、本能に近い反応だ。怒りやすい人だって、「他人」に対してはそうなんだよ。怒りやすい人だって、怒りやすい人は嫌いなわけ。怒りやすい人だって、「怒っている人のそばにはいたくない」わけ。「それがわかっているなら、怒るな」ということになると思う。けど、そこでは終わらない。ぼくの話はそこでは終わらないんだ。

社会不適応なルールの押しつけだけど、これも、かわった親だとある。しかも、「社会不適応なルールの押しつけ」の度合いがひどい。ほんとうに、狂っているとしかいいようがない。子供本人が、だれのせいでもなく、社会不適応な行動をとるときがある。発達障害がある場合、だれのせいでもないけど、社会不適応な行動をとるときがある。

けど、それと、「親」からもたらされた社会不適な行動はちがうんだよ。信じられないかもしれないけど、親が子供に社会不適応な行動を「強制」「強要」していることがある。だから、「親のせいにするのはやめましょう」なんてことになると、ほんとうに親が子供に社会不適応な行動を「強制」「強要」している場合は、その子の立場がなくなる。

こういう子は強迫神経症になりやすい。親が発狂的に、社会不適応な行動を押しつけている場合がある。だから、まず、そういう場合があるということを視野に入れなければならない。

「悪者探しはよしましょう」「犯人捜しはよしましょう」ということになっているとやられている子供の感覚が「空中」に浮いてしまうのである。ようするに、キレイゴトでは済まない現実を実際に押しつけられているにもかかわらず、そういうことはないという現実認識が成り立ってしまう。

それから、親のやっていることは……特に問題行為であればあるほど……親の無意識に対応しているわけで、意識には対応してない。だから、親のほうに「押しつけている」つもりがあるのかどうか、あるいは「押しつけている」認識があるのかどうかというのは、そういう意味では関係がない。

むしろ、実際に押しつけている……頑固に頑固に発狂して押しつけているにもかかわらず、押しつけているつもりがないという状態のほうが問題なのだ。だから、親がかりに押しつけているつもりがないということを言ったとしても、それは、信じてはいけない。「犯人捜しはやめましょう」という方向と「親が不適応行動を押しつけているつもりがない」という方向は、不幸にも一致してしまうのだけど、方向が一致したからといって、「親が不適応行動を押しつけている可能性」を最初から排除してはいけない。

   *   *   *

本当につかれたな~。ヘビメタ騒音さえなければ……。ヘビメタ騒音期間が長すぎる……。毎日の積み重ねはつらい……。騒音による虐待。騒音による拷問。ほんとう、何時間も拷問を打ているような感じだからな。自分の部屋にいること自体が……。

ヘビメタが隣の部屋で鳴っているとき、自分の部屋にいること自体が、激しい拷問を受けているような状態だ。あれ、自分だって、あの音で、なにかちがう音を鳴らされたら、腹を立てるんだよ。『不愉快だ』『頭にくる』という気持ちが生じるんだよ。

けど、自分が『ヘビメタ』を『自分が思ったとおりの音で』鳴らすことは、絶対の正義なんだよ。生まれながらの権利で、だれにもおかされることがない絶対の権利なんだよ。気違い兄貴のなかでは!!

もちろん「うち」の話しだ。気違い兄貴だって、「よそ」に行けば『この音で鳴らすのはやばい』と思って、静かにするわけだから。

その場合、たとえば、気違い兄貴が鳴らしたい音の半分で鳴らすということにこだわるのではなくて、全面的にしずかにしてしまうわけだよ。物理的な音を一〇分の一ぐらいにしないと、人間が感じる音のでかさは二分の一にならない。人間の感覚器にはそういう特徴があるのだけど、そういう特徴をのぞいたとしても、半分の音にするつもりなんて、さらさらないんだよ。

ぼくが『警察を呼んでも、警察官が帰ったら、またおなじ音か気違い兄貴にとっては最大限ゆずってやった音で鳴らすのではないか』と思ったのには、わけがあるわけ。気違い兄貴は、「うち」では、自分が最大限ゆずってやったつもりの音以下にはしない。

で、気違い兄貴が最大限ゆずってやったつもりの音というのが、よそでは、だれもが騒音と認める騒音なのだ。けど、気違い兄貴のなかで『静かにしてやったつもり』になったら、それ以上は絶対に、死んでもゆずらないという特徴があった。

だから、「よそ」と「うち」ではそういうところもちがうわけ。「よそ」では一〇〇%しずかにしている。音量で一〇〇%しずかにしている。ちゃんとヘッドホンをして鳴らすわけだから。スピーカーから、七〇%音で鳴らすということにこだわったりしないわけだから。で、スピーカーから鳴らすことにこだわるというのは、ほんとうはものすごくでかいことなんだよ。騒音の範囲がひろいわけだから。

だから、測量が必要だと言っているのに、きちがい親父が金を出さなかった。それから、もし、法律で八〇デシベル以上を騒音と決めていた場合、七九デシベルで一四時間鳴らすのは問題がないのだな』ということになるとこまることになる。

「よそ」では静かにするということは、兄貴にとっても鳴らさないこと、あるいは、ヘッドホンをつけて鳴らすことなんだよ。「うち」では、静かにするということは、兄貴が『しずかにしたつもりで』きちがい的にでかい音、常識はずれなでかい音で鳴らすことなんだよ。

で、『静かにする』のなかに連続的な程度があるとすると、気違い兄貴は『うち』では、デカイ音で鳴らすことにこだわっているから、(静かにする)程度は、極端に小さなものになる。

けど、これが、親父のカネの出し方とおなじで、相手にとってまったく無意味なことであっても、「やってやったら」本人の主観としてはものすごいことをしてやったという気持ちになる。

これは、ほんとうに頭がおかしいのだけど、そいつがそいつでいる限り、『そういうことが続く』ということになってしまう。人格としてそうなっている。これのどぎつさがわかる人が少ない。

認知療法家の理論なんて「たまたまそうなっている」という理論だから、現象を実は、説明しない。説明できない。現象を説明できないのだから、信じられる(ほんとうの意味で信じられる)わけがないだろ。そういう原理は、よそよそしいものなのである。

どれだけ信じようと思っても、(現実が裏切っているので)信じることができないものなのである。この問題は実はでかい。

ほんとうは信じられないことを強迫的に?信じたことにして、努力すると、それは、強迫神経症を生み出した努力とおなじものになる。どうして、これが、わからないのか?? 「認知療法家の理論なんて「たまたまそうなっている」という理論」……(1)と言ったけど、もうひとつの方便がある。

それは、『おかしな人はいます。おかしな人の影響を受けていいのですか』……(2)という方便だ。ようするに、(1)の場合は、患者の行きすぎた一般化が問題なのである。そして、(2)の場合は、効率を問題にする。『おかしい人はいる』と、いちおうは現象(事実)を認めたことになるけど、一旦、認めたはずの現象(事実)は、そのひと(患者)にとってまったく意味がない現象であるという意味で、無視される。

だから、患者はこの点において「かたすかしをくう」ことになる。これ、わかる人、どれだけいるの? うちのなかで繰り返されたことは、患者にとって意味がないことじゃないんだよ。むしろ、『繰り返されたこと』をちゃんと認めてあげなければ、患者はどこまでも苦しんでしまう。認めてあげるということは、実は、患者の認知がゆがんでいたのではなくて、相手の認知がゆがんでいたということをちゃんと認めてやることだ。

だから、ここで一巡して、原因となった人を探して、原因となった人がほんとうにやったことを説明するということが必要になる。

現象をちゃんと説明できないと、ほんとうの意味で納得がいかない状態がずっと続くことになる。認知療法家が繰り出す理屈は、現象を説明しないので(現象を説明することができないので)「着地しない認知」が、強迫神経症の行為と強迫神経症の観念を生み出す。

ちゃんと、起こったことを説明しなければ、それがずっと消化されずに、(無意識的なレベルであばれるから)目に見えるところで強迫行為がうまれる。……なんでこんな簡単なことが分からないんだ?

認知療法家たちは、フロイトが言ったことを全部一緒くたに流してしまったけど、一部の強迫神経症者にとってはフロイトが言ったことは完全に正しいのである。「全部の強迫神経症者にとって」とは言わない。

2017年10月23日月曜日

ヘビメタ騒音の毒が体にたまったわけではない連中

どうして、劣ったやつらにわかったようなことを言われるようになった? ヘビメタ騒音の影響がわかってないやつらはゆるさない。いや、関係ないか。そんなやつら。しかし、ヘビメタ騒音がはじまってから、ぼくは、背中に火がついている。カチカチ山だ。

ヘビメタ騒音の影響(悪い意味での影響)を軽く考えるやつらがいるんだよな。ずっと能力値も根性?も誤解されてつらい。頭にくる。死にたい。ほんとうに、どんだけ。

おいしいおいしいラーメンですら毎日一年間、一日に一回は食べていると、太って、肝臓に影響が出る。血糖値の調整がむずかしくなる。たった、一年で。一日六時間以上のヘビメタ騒音は、ラーメン一杯の悪影響なんかよりずっと悪影響を与える。毎日、毒を吸わされているようなものだ。毎日、毒をもられているようなものだ。

だから、それが七年も続けば、動けなくなる。

けど、動けなくなったことについて、文句を言われる。俺が文句を言われる。他のやつらに俺が文句を言ったから俺が(お返しに)文句を言われるのではなくて、あっちが先に文句を言ってくる。

だから、応戦しなければならなくなる。実際に動けなくなったけど……最初から動けなかったわけではなくて、ヘビメタ騒音の連続で動けなくなったと言っているだろ。根性の問題じゃないんだよ。

確かに、決まった時間にどうしても起きることができなくなったけど、ヘビメタ騒音の連続で起きることができなくなったと言っているだろ。根性の問題じゃないんだ。心掛けの問題じゃないんだ。

どうして、それがわからない。「まるで、俺が最初から虚弱体質だから悪い」という言い分だ。「まるで、俺の心掛けがなってないからだめなんだ」というという言い分だ。「まるで、俺の根性がないから起きれないのだ」という言い分だ。

そいつらは、ヘビメタ騒音を毎日経験して、ヘビメタ騒音の毒が体にたまったわけではない連中だ。はなから話がちがう。全部がむかつく。

悪い影響が出る食べ物を、好きで、意図的に、食べて、体の具合が悪くなったのとはちがうよ。だから、自己責任じゃない。人を、引きこもりだと思って、ぼろかすに言いやがって。

   *   *   *
風景がどういうものになるかという問題だよね。
つもるんだよ。雪以上につもるんだよ。六ヶ月つもった世界と一五年つもった世界じゃちがうだろ。一五年目の途中で終わったとしても、終わったから、積雪量は〇になるかというと、ならない。終わったのであれば、関係がないと考えるのは、あさはかだ。ばかだ。頭がぬけている。思考のレベルが低い。

   *   *   *

やばい。いま、服を着替えて、玄関をあけてちょっと外に出たのだけど、帰ってきた。精神的につらい。冬のヘビメタ騒音を思い出す。寒いときのヘビメタ騒音の夜を思い出す。くるしい。これ……。これ……。

そんなのはたいしいたことじゃない

頭がふらふらする。これは、相当にまずい。
それにしても、たいへんなことばかりだったな。
ヘビメタ騒音がはじまってからほんとうに地獄。
ヘビメタ騒音の(悪い)影響を過小評価するやつがいて、そういうやつに対して、腹が立つ。ほんとうまったくわかってないな。
やっぱり、ヘビメタ騒音の悪い影響を過小評価するやつって、兄貴に似ている部分があるやつなのではないかと思う。性格の一部が似ているんじゃないか。人が困っているということに対して、鈍感なんじゃないか。自分がちょっとでもやられれば、ぎゃーぎゃー言うくせに、他の人がもっとひどいことをやられていても、「そんなのはたいしいたことじゃない」と思うやつなんじゃないだろうか。

2017年10月22日日曜日

長年かけて何千回もトライした結果

起きた。ヘビメタ騒音問題はデカイ。
これ、ほんとう、鳴っていたとしても、やりようがあったのでは」と思われてしまうのだけど、全部の「やりよう」をつぶされて、なにもできないことになる。実際にはそうなるのだけど、だれも、平日学校から帰ってきたあと……だいたい午後四時から午後一一時一〇分まで、ずっと、ガンガンヘビメタを鳴らされる状態というのがわかってないだけ。土曜は昼間の一二時三〇分あたりから、そして、日曜は朝の一〇時あたりから、ずっと、午後一一時一〇分まで、ガンガンヘビメタを鳴らされる状態というのがわかってないだけ。気違い兄貴の態度ときちがい親父の態度がわかってないだけ。「やりようは」ないんだよ。実際には、ない。すべての、トライできる「方法」をこころみて、失敗している。これ、ほんとうにぼくがなにも、「自分ができる範囲で」トライしなかったというような感じを抱いてしまう人がいるんだよな。どれだけ、鈍感なんだよ。そんなの、トライするに決まっているだろ。こういうのも、ほんとうにいやになる。全部いやだ。こういう、うざい、まちがっている「感想」がいやだな。そんなの、すべての可能性を考えて、トライするに決まっているだろ。長年かけて何千回もトライした結果なんだよ。どういうことかいうと、いろいろ案を思いついて、やってみるのだけど、実際にやってみると、ヘビメタ騒音が鳴っている時間があまりにも長すぎて、だめだということにぶち当たる。ほんとうに、「案」としてはできそうなことでも、実際に、ヘビメタ騒音のなかでやってみると、思いの外できないというとがいっぱいあるんだよ。何百、何千とあるんだよ。その、何百、何千のトライのあとに、「これじゃだめだ」というのができあがる。まあ、他の人は、そもそもぼくに関心がないし、読めば「だめだだめだ」とばかり言っていて、トライしないやつだと思うようなところがある。しかし、これは、誤解だ。状態を知らない他人だからこそできる誤解だ。ようするに、実際にやったことがないから、ほんとうの意味で現実がわからないだけ。トライしないわけがないだろ。全力で、何百回も、何千回もトライして、だめになっている。

ともかく、実際には、「鳴りやまないと」だめなんだよ。鳴っているところで、一〇年間、どれだけ、いろいろな「案」をトライしてもだめだった。ダメなんだよ。これ、ただ単にダメなのではなくて……その案は失敗したということではなくて……ダメージを受けている。無傷のトライなんてない。「やってみて」現実がどうなのかわかってないから、俺がトライしなかったように思っているだけだろ。

   *   *   *

「そと」でできるのかどうか考えたほうがいいよ

冷凍庫を片付けたときに出てきた「冷凍里芋」を食べた。ほんとうなら、里芋の煮っ転がしにしたいのだが、無理。肉がない。

砂糖醤油で食べてみようかなと思って、砂糖醤油で食べた。
まずいはずがない。けど、肉がほしかったか。とりこま。

その他、冷凍トウモロコシ。うまい。けど、ものすごくあまく感じだ。
冷凍室から出てきた、たらこも焼いて食べた。

買い物に行くかどうかまよう。
ドクターペッパーを飲みたい。あとは、セブンの冷凍スパゲッティーが食べたい。実は、マクドナルドにも行きたい。まあ、いまは、腹がいっぱいだから、食べないけど。買っておくだけでもいいんだ。

加齢のせいか病気なのか、からだが重い。
からだが重い。あいかわらず喉がかわく。
からだが重い。

母親が天国に行った後ぼくは、自分で料理を作れなくなってしまった。やる気をなくしたわけ。それで、親父が買ってくるものに頼っていたんだけど、それが失敗だった。あいつは、揚げ物ばかり買ってくる。「揚げ物は買ってくるな」と何回言ったかわからない。けど、親父が食べないので、冷蔵庫の中で腐りそうになる。それで、腐る前にしかたがなく、揚げ物を食べた。そうしたら、また、買ってきちゃうんだよ。腐っても、ほうっておけばよかった。俺は揚げ物なんて、滅多に食べなかったのに、あれでおかしくなった感じがする。「揚げ物は買ってくるな」と何回も何回も言ったんだけど、(ぼけ老人のように)買ってきてしまう。つたわらない。二年前からまた、自炊(料理作り)を再開したけど……。買い物に行けなかったんだよ。体力的に。そういう時期がある。あの時おかしくなったんだよな。自炊というか、ようするに、買い物なんだよね。買い物。買い物が弱点なんだよ。体力がなくて。その体力のなさは、揚げ物の前からなんだけど、自転車も前のやつで使いやすかったし、なんとか行ってたんだよ。けど、母親が天国に行って、料理を作る張り合いがなくなっちゃったんだよな。すこしでも栄養をつけてもらおうと思って、ない体力を振り絞って、腕を振るっていたから。張り合いがなくなった。

ヘビメタ騒音で体力がなくなった。ずーーっと続いているんだよ。気違い兄貴、「俺が体力がなくてこまっている」と聞いても、「そんなんじゃだめだな」みたいな感じなんだよ。気違いだから、どれだけ、ヘビメタ騒音でこまっている」「ヘビメタ騒音で体力がなくなってこまっている」と言われても「親父のように」まるで、わかってないんだよ。「そんなの知らないよ~~へっへーん」って感じだよ。だったら、一日に七時間から一四時間、時間を決めてヘッドホンをして鳴らすようにしろ。一日に七時間から一四時間、鳴らすな。自分は、一日に七時間から一四時間鳴らすという毎日を暮らしていて……毎日実行して、……こっちがどれだけ「こまっているからやめろ」と言っても、一切合切言うことを聞いてくれなかった。なんて言うのかな、親父が無視したように無視している。これ、ほんとう、うちにいる限りおなじなんだよ。まったくなにもつたわらない。一万回、二万回、三万回言っても、なにもつたわらないんだよ。なんて言うのかな? だから、気違い兄貴が原因になっているということを気違い兄貴が絶対の意地で、親父のように!認めない。これ、ハンダゴテ事件なんて、他の人からみれば、どうだっていいことなのだけど、ハンダゴテ事件に似ている事件というのは、毎日、何回も発生していた。親父に関われば必ずそうなった。で、ハンダゴテ事件では、親父がほんとうは、兄貴のことをこまらせたんだけど、親父は、どれだけ言われたってわからない。「そんなのなんだ」と言って腹を立てるだけだからな。そして、自分の行為はかえようとしない。そして、自分の言い分「大丈夫だ。使える」はかえない。かえないで、怒り狂って、押しつける。だから、どれだけ、そういう押しつけで、困っているということを言っても、聞かなかった。兄貴がどれだけ親父の押しつけ」で困っていると言うことを言っても、親父は、一切合切聞かなかった。で、それとおなじ態度で、ヘビメタを鳴らしている。一四時間鳴らしたら、こまるに決まっているんだけど、本人は、ぜんぜん気にしない。どれだけ「こまるからやめろ」と言っても「そんなのなんだ!」怒り狂って認めない。で、本人が爆発してしまうと、本人のなかでは「すんで」しまうらしく、なんて言うのかな?……「言われなかった」「やってない」という状態になってしまう。心理的な状態になってしまう。そういう、「言われなかった」「やってない」という状態で、頑固に鳴らすんだよ。それは、親父が「使えない」ということを認めずに、ハンダゴテを押しつけたんだけど、ハンダゴテを押しつけたというつもりがないのとおなじなんだよ。けど、じゃあ、新しいハンダゴテの金を出すのかというとそれは絶対にないわけ。で、たとえばそういうもめごとがあったということを、あとで言った場合、それが一日後でも、「押しつけてない」「そんなのはやってない」ということになる。じゃあ、新しいハンダゴテの金を出すのかというとそれは絶対にないわけ。で、新しいハンダゴテがない状態を押しつけるわけ。けど、親父本人はまったくそんなつもりがないわけ。で、新しいハンダゴテを狩ってやらなければならないようなことを言われると……つまり、「このハンダゴテは使えない」ということを言われると、発狂してしまう。「使える使える」の絶叫。発狂の絶叫。「ダイジョウブダダイジョウブダ」の絶叫。発狂の絶叫。で、つねに、そうなってたんだよ。親父の態度というのは、すべての事柄においてそういう態度だったんだよ。親父システムは、つねにそうなんだよ。兄貴システムもおなじで、頑固に最大限の音で鳴らすけど、本人は、常につもりがなくて、どれだけ「こまるからやめろ」と言われても、相手を困らせているつもりがないわけ。どれだけ言われても、そういうことがわからない。で、わからないからいいんだろ……という無意識で、わからないまま、気楽に……その点では気楽に鳴らし続ける。絶対の意地で鳴らすのだけど、一日に一四時間鳴らして一分もやめてやらなかったとしても、親父の絶叫後の状態とおなじで、なにも気にしてないんだよ。これ、わかる人いるかな? 気楽というのは、どれだけ迷惑をかけても本人はまったく責任を感じないという意味で気楽なんだよ。鳴らすということに関しては、命がかかっている。気楽じゃない。けど、弟に迷惑をかけたかかけてないかということに関しては、気楽も気楽で、まったく関係がない人のつもりのままなのである。それは、どれだけ、強く、何回も何回も「迷惑だからやめろ」と言われても、「めいわくをかけている」というつもりが親父のように発生しないから、そういう気持ちでいられる。だから、兄貴のせいで失敗しているのに、「ばっかでぃー」みたいな態度を平気でとれる。


俺がここで何百回もしつこく書いているのは、気違い兄貴が、一切合切認めなかったからだ。認めて改善する余地があるときは、一切合切認めなかった。おまえ気違い兄貴、おまえ気違い兄貴、おまえ、気違い兄貴、おまえは、たとえば、いま住んでいるマンションで、嫁さんが「明日大事が用があるからやめてくれ」と言っているのに、一時間、あのでかい音で鳴らすことができるのか? 言われた後一時間鳴らしていて、一時間後に、嫁さんが「ほんとうにこまるから、鳴らさないでくれ」と言ってきたのに、無視して、ガンガン鳴らし続けて平気なのか。「鳴らさないでくれ」と頼んでいる相手に対して、「怒って」ガンガン鳴らして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? そのあと、一時間後におなじ対応をして平気なのか? 気違い兄貴が試験前の冬休み一四日間、一四日、全部こういう反応を返してきたんだからな。一回目から、一三回目まで、全部おなじ反応だ。きちがい親父の二回目の反応が、一回目の反応とまったくおなじだというのとおなじなんだよ。おやじとまったくかわらないことをしたという「認識」はあるのか? 気持ちはあるのか? そういうことを、弟に毎日した、という認識はあるのか? きちがい親父にやられてくやしかったことを、俺にやり返している。しかも、一旦そうなったら、一四年間でも、毎日そうする。どれだけ言ったって、親父とおなじ反応で「否定」して絶対に、受け入れない。意味を理解しない。そして、言われているにもかかわらず、つねに!!「いわれたつもりがない」という異常な状態が成り立っている。こんなの、異常すぎて他の人は理解しない。「そんな人いるのかな?」なんて言われる。俺が言われる。そういうことを言ってきた人は、……やっぱりこれも系をなしているんだけど「ヘビメタ騒音の影響」を軽く見積もる。だから、そういう人にしてみれば、俺がサボっているようにしか見えないのである。ちょうど、「お父さんにちゃんと言えばわかってくれるはずだ」「(兄貴の)説明のしかたが悪かったからお父さんがわからなかっただけだろ」と思った技術科の先生とおなじだ。うちにいるときのきちがい親父の状態を考えると、この技術科の先生のほうの発言のほうがまちがっているのだけど、ほかの「常識的な人」にはそう思えてしまうのだ。「うちにいるときの親父の状態」「うちにいるときの親父の態度」なんて、どれだけ、ちゃんと他の人に説明したって「そんな人いるのかな?」みたいな対応をされるわけだから。こういう思いを、気違い兄貴は俺にさせている。ずっとな。何十年も毎日、そういう思いをさせている。気違い兄貴の騒音で俺はこまっていた。一日目から、直接兄貴に、それを言っている。これ、まるで、俺が「直接お兄さんにちゃんと言わなかったから、お兄さんがわかってないだけなんじゃないか」と思うやつまでいるんだから。ともかく、兄貴は、自分が「うちで」やっていたことを、そのまま、「そと」でできるのかどうか考えたほうがいいよ。兄貴がうちでしてきたことがどれだけ異常なことかわかるから。「よそで」やってみろ。一時間で、結果が出る。いや、一〇分、一分で結果が出る。「そんなでかい音で鳴らしてたの?」と言われるよ。で、兄貴の嫁さんが「やめてくれ」と言った後、兄貴がずっと鳴らしてたら、どういうことになると思っているんだよ。兄貴は、小学六年生の俺にそういう思いをさせてきたんだよ。一日に七時間から一四時間、そういう思いをさせてきたんだよ。気違い兄貴よ、一日でも、自分が休みの日にどういう音で、どういう時間の長さやっていたか、いま住んでいるところでデモンストレーションしてみろよ。





2017年10月21日土曜日

それが、まちがっているんだよ

だからぁ~~問題なのはどうやって、正常な気持ちとやる気を維持するかなんだよ。

ふむふむ。

ちがうんだよな~~全部ちがう。
ヘビメタ騒音がはじまってから、全部ちがう。

全部ちがうんだよ。ヘビメタ騒音がなかった場合の俺や、他人とは、もう、根本からちがってしまった。人間には限界がある。無理。で、まあ、経験してない人は、勝手に『無理と言っているから無理なんだ』とかあほなことを言ってくる。

これは、頭にくる。正直に言って頭にくる。けど、頭にきたところで現実はかわらない。そいつは、ヘビメタ騒音にやられたからだを持ってないわけだし、俺はヘビメタ騒音にやられたからだをすでに持っている。記憶を持っている。「あれはない」と言える状態が反復している。

これ、ちがうんだよね。

ただ単に、「つかれた」とか、ただ単に『憂鬱だ』というのとはちがう。根本がちがう。根本がちがうのだけど、ぼくと彼らが別の個体である以上、絶対につたわらないものがある。ほんとう、人の状態もわからずに、好き勝手なことを言いやがって。人の気も知らずに、あほなことを言いやがって。

まあ、いいや。あれ、ほんとうにちがう。ちがうんだよ。『連続』がちがう。「おまえ、どれだけ」って言いたくなる。気違い兄貴の態度なんて……うちでの気違い兄貴の態度なんて、気違い兄貴とぼく以外の人類は、わからない。

うちでのきちがい親父の態度なんで、きちがい親父とぼく以外の人類はわからない。うちでのきちがい親父の態度がわかっている人間なんて、俺をのぞけば、兄貴だけなんだよ。にっくき気違い兄貴だけ。なんなんだ? この現実は。

ほんとう、ほかの人の常識に、傷つけられたなぁ。ほんとう、建前、正論、ちがう。もし、そういう、建前や正論が成り立つなら、気違い兄貴は、一日目の一〇分目に、『ヘビメタ騒音をあのやり方でやる』ということをやめてなければならないんだよ。

けど、そうじゃなかった。うちにいる一五年間は、こだわりつくして、こだわりの音で、好きな時間、鳴らした。こっちの都合なんて考えないで、親父の態度で!!頑固に鳴らした。『親父の態度』だからな。気違い兄貴!! おまえ、兄貴はきちがい親父の態度で、ヘビメタを鳴らしてた。もちろん、気違い兄貴はそんなことにはまったく気がつかない。それそこ、『親父の態度』で気がつかない。

で、他の人にとっては『親父の態度で気がつかない』なんて言われたって、なんのこっちゃわからないということになる。そうなると、常識的な佐藤さんや非常識なところもあるうんころさんみたいのが、『誤解』をして、見解を述べることになる。けど、その見解は、ハズレだから。

そもそも、うちでの兄貴の態度、うちでの親父の態度が、経験としてわかってないところからくる、しかたがない誤解だ。別に能力的にどうのこうのと言うつもりはないけど、わからないのだからしかたがない。佐藤さんは「養護学校の児童がどんな状態か他の人はわからない」と言ってたけど、それじゃ、佐藤さんは「うちでの親父の状態や、うちでの兄貴の状態」がわかるのかよ? 「そんなひといるのかな?」みたいな感想を持っただろ。それが、まちがっているんだよ。


ヘビメタ騒音の『総量』もほかのひとはわかってない。ヘビメタ騒音の総量が与える、影響のでかさがわかってない。ただ単に、一四年間と数ヶ月、毎日、ヘビメタが鳴ってた……と言っただけでは、問題の深刻さがわからない。まあ、その人たちは『ヘビメタ騒音の総量』を自分のからだで経験したわけではないので、当然、経験したぼくとは、主観がちがう。いまの影響に対しても、無視する傾向があるけど、それはちがう。

それも、ひとつの建前、正論だろ。そういう建前や正論はぼくの経験を「うらぎる」んだよ。どっちが正しいかと言えば、ぼくの経験のほうが正しい。ようするに、『ヘビメタ騒音の総量』『ヘビメタ騒音の総量の影響』を無視するやつらがまちがっている。無視すると言うよりも『軽く考える』やつらがまちがっている。軽く考えるのはしかたがないことだと思う。『ヘビメタ騒音の総量』を経験してないのだから、間違えてもしかたがない。知らないのは、彼らに罪があることではない。


佐藤さんやうんころさんは、人間としてはまともで、すぐれている人たちだ。質がいい人たちなのである。その質がいい人たちですら、『ヘビメタ騒音の総量』を軽く見て、間違いをおかす。それが問題だ。これ、ほんとうに、『総量』がわかってないだけだから。『総量』がわからないのは、ほんとうに毎日自分で経験したわけではないからだ。

そして、気違い兄貴も、ほんとうに毎日自分で経験したわけではない。そこがむかつくんだよな。『親父の態度で鳴らした』。気違い兄貴よ! 気違い兄貴に一番わかりやすいように言うと、そうなる。親父のように『普通にわかる回路』が抜けているから、どれだけ言ってもわからないのだろうけど、こういうふうに言えば少しはわかるか? わからないかもな。少しも……少しもわからないかもしれない。兄貴のヘビメタの態度は、親父のきちがい行為の態度とおなじ。兄貴のヘビメタ騒音を否定する態度は、きちがい親父のきちがい行為を否定する態度とおなじ。

『総量』は経験しなければわからない。同じ時期をいっしょにすごしていた親友ですら、総量はわからないのだから、そりゃ、無理だ。

気違い兄貴よ、おまえの態度で、ぼくは、いろいろなものを失った。あの態度はないぞ。あの態度はない。鳴らしているときのあの態度はない。鳴らし終わったときの、あの態度はない。『やめてくれ』と言われているときのあの態度はない。『やめてくれ』と言われた後のあの態度はない。おまえ、あれ、どれだけおやじなんだよ。

この世は、やっぱり憂鬱だ。これは、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。土曜日の一二時五九分、きちがいヘビメタが鳴ってた。どれだけ言っても、やめてくれなかった。ヘビメタ騒音が現前する……続く……この空間がいやだ。この生命が、憂鬱だ。もう、ほんとうにすべての感覚器がおかしくなる。すべての知覚がおかしくなる。正常じゃなくなる。

どうしても、怒りや憂鬱方向へと向かう。あの地獄の連続ないよ。気違い兄貴のヘビメタ騒音は、ほんとうに憂鬱で、頭にきた。あれはない。気違い兄貴の態度が、きちがい親父の態度なのだから、そりゃ、頭にくる。うらみが積み重なる。むりなんだよ。天使じゃないのだから。

あんな態度で、ずっと、鳴らされ続けて、水に流すなんてことはできない。影響を受けないなんてことはできない。けど、他の人は、『他人として』そういうことを求める。そりゃそうなのだ。人間というのは、「頭にきている他人」や『不愉快そうな他人』が不愉快なのである。それは確かだ。

けど、だからと言って、限界を越えると、それ対する対処ができなくなる。マナーがよくなくなる。これは、七年が限界だろ。七年毎日が限界だ。そのあとは、努力したってヘビメタ騒音の影響を隠すことができない。どうしたって、『不愉快そうな顔』『憂鬱そうな顔』『怒っている顔』になる。

それは、しかたがないことなんだよ。「それは、しかたがないことじゃない」と言う人は、『ヘビメタ騒音の総量』がわかってないだけだ。しょせんは、自分で毎日経験したことがないから、わかってないだけ。限界があるんだよ。限界が。言ってるだろ、人間は天使じゃない。神様でもない。限界がある。『ヘビメタ騒音の総量』がそういう建前(マナー)をこえた。

2017年10月20日金曜日

神がみんなに、分け与えたものだから、自分がとっても問題はない

おはよう~~~
腹がいたい。

コーヒーを飲んでないのに、朝飯を食べると、いたくなるな~~

いたい。

というわけで、食べ物のことは、今は考えられません。とりあえずビオフェルミンを飲んだからいいや。おさまるはず。

しかし、やっぱり、ひまなのに、手がつかない部分があるなぁ。これ、ほんとうにこまっている。ともかく、気違いヘビメタ騒音なしで生きたかった。いま、午後五時二四分。きちがいヘビメタが鳴っている時間。鳴り続けている時間。どれだけ、言っても、殺さないとやめてくれない。ほんとう、殺さないとやめさせることができない。気違い兄貴はぜんぜん悪いと思ってない。『静かにする必要がある』とまったく思ってない。


むかし、家族で泥棒している家族がいたんだけど、家族で泥棒をしている人たちは、泥棒をしてもぜんぜん悪いと思ってなかった。その人たちの理屈というのは、「そもそも、すべてのものは神が人類にもたらしたものだから、自分たちがとってもいい」というものだった。

ようするに、所有権なるもの認めないのである。自分が必要なとき必要なものをとる場合は、一時的に『自分の所有権』を主張することになるけど、自分の手を離れたら、それは、自分には所有権がないものだという考え方なのである。ようするに、自分が持っているリンゴを、他の人が取ったら、その途端に、そのリンゴの所有権は、他の人に移るという考え方だ。

もちろん、こんなのは、日本では認められない。他の国でも認められないだろう。けど、その家族はそう思って生きている。だから、普通の店に入って、いろいろな物をとっても別に問題がないと思っているのだ。けど、とると、店の人が怒って追っかけてくるので、子供を使って、店員の注意を引いているうちに、父親がリンゴを盗んで、走るとかそういうことをするのだ。もちろん、認められない。そんな理屈は認められない。

けど、その人たちにとってみれば、他の人が所有権を主張していることこそがおかしいことなのである。神がみんなに、分け与えたものだから、所有権は、個別の人にあるわけではないという考え方に立てば、勝手に所有権を主張している人こそ、悪い人なのである。

ともかく、そういうふうに、『ズレている』やつはいる。自然のものはみんなのものだ。だから、みんなの一部である自分がとってもいい。……こういう風に考える人間もいる。自然のものは、みんなのものだから、一時的な所有権を主張する以外は、所有権を主張しちゃいけないのである。その人にとってみれば!!

この人が自分のものだと思っているものを、他の人にとられると、途端に、自分の永続的な(持続的な)所有権を主張し出すとなると彼の主張には矛盾があるということになる。その人は、矛盾を抱えているということになる。けど、矛盾を抱えているなんてことは、その人にとっては、まったく問題ではない場合がある。そういうふうに『ズレている』場合は、他人の所有権を踏みにじって(軽くみて)問題を起こす。

けど、自分勝手な人ではなくて、自分が現に持っている場合、一時的な所有権は『自分に』あると思っているものの、他人がそれをとった場合は、他人に所有権が移ると考えている人の考えには、一理ある。一理あるんだよ。もちろん、そういう考えに基づいて、現代社会で行動をしたら、警察に捕まるだろうけどね。

   *   *   *

あとは、国有地に勝手に小屋を建てるやつがいるけど、それは、やっぱりまずいことなんだよ。

で、通報された腹いせに、小屋と林?森?(ともかく、まわりの木)を焼いてしまおうと、五〇〇リットルものガソリンをかけて、山火事を起こそうとするのは、もっとまずいことなんだよ。放火に関しては、グレーゾーンじゃなくて、ブラックゾーンだから。本人は、グレーゾーンじゃなくて、完全なホワイトゾーンだと思っているんだよな。

意図的な放火は、自分の持ち物だとしても、放火罪が成り立つ。通報したやつは、意図的な放火じゃないにしろ、火の不始末などで山火事が起こることを警戒して、通報したのかもしれないぞ。

……特定の所有者がいない……みんなの土地に自分が小屋を建ててもだれにも迷惑をかけないのだからいいだろという理屈なんだろうけど、迷惑がかかる可能性があると判断したやつが通報したんだろ。

別に、通報したやつがひどい人とは言えない。みんなの土地と書いたけど国が所有権を主張している土地だろ。国が所有権を主張している土地なのだから、国民である自分が使っても問題はないと思うのは、勝手だ。

けど、そういう人たちがいることを前提にして法律ができているわけだろ。だから、法律にはしたがったほうがいいんじゃないの。ようするに、国の連中が『退去しろ』と言ってきたとしても、怒るなということだ。

だいたい、通報の腹いせに山火事を起こそうとするなんて、そっちのほうが物騒なんだよ。(ブログで読んで、笑ったよ。これ。)

まあ、俺は、国有地に小屋を建てている人がいたとしても、通報はしないけどな。むしろ、応援したい気持ちがちょっとある。(排水、ゴミ、その他でほんとうに他の人に迷惑をかけないのであればな)(まあ、排水ゴミにかんしては、そんなには、うるさいことを言わない)。

けど、放火はまずい。山火事を起こすつもりで、ガソリンをかけて、自分の小屋とまわりの木を燃やしたというのは、放火罪だから。どれだけ、無罪を主張しても、有罪。それから、山火事にならなかったからよかったけど、山火事になったら森林法違反にもなる。

意図的にというのがまずい。(それから、自分の小屋と言っているけど、そこら辺の木を使って、作ったのであれば、自分の小屋かどうかもあやしい。所有権の話をしたでしょ。)

   *   *   *

そういえば、『言葉をどういうふうに受けとるか』について、おもしろい話を思い出した。これは、オフィスの出来事で、AさんとBさんがいたんだけど、Aさんが、旅行に行ったお土産として、お菓子(饅頭セット)を持ってきたんだよ。

そして、「みなさんでどうぞ」と、テーブルの上にそのお菓子を置いておいた。そうしたら、Bさんが、そのお菓子を全部食べちゃったんだよ。で、法律上の問題はないわけだけど、「Bさんはアスペだ」とか「Bさんは空気読めない」とか言われるようになる。けっこう、数があったらしい。えっと、記憶が確かなら、五行六列で三〇個だ。普通、三〇個も食べるか。小さい饅頭でも。

これも、笑った。Bさんどんだけ、饅頭が好きなんだよ。「みなさんでどうぞ」と言われた場合であって、かつ、「みなさん」のなかに自分が含まれている場合、全部食べてもいいのかという問題だ。普通なら、遠慮して他の人の分を残しておくだろ。

けど、そういうことができない人がいる。できないというか、そういう気持ちが働かない。「自分がみなさんのなかに入っているわけだから、自分が好きなだけ食べていい」と思うわけで、その人のなかでは、常識はずれなことをしたつもりがないんだよ。まあ、こういう人もいる。

   *   *   *

お菓子好きで思い出したけど、他の人が他の人のロッカーのなかに置いたお菓子を、黙って食べてしまう人がバイト先にいた。この場合は、犯罪なんだよ。しかも、他の人が他の人のロッカーの中においたお菓子を探し出して、食べているわけだから犯罪確定。ロッカーは、鍵がかからない。

わざわざ、他人のロッカーの中を探して、お菓子を食べているから、泥棒と言われてもしかたがないな。けど、その人は、たいして悪いことをしたつもりがない。「そんな、ことぐらいで」と思っているわけ。

けっきょく、その人はバイトで、そういう事件を起こしてやめていくわけだけどさ。その人には「お菓子ぐらいいいだろ」「そんな、お菓子ぐらいで、がたがた言って」というような主張があるわけ。

これ、見かけは普通の人で悪いことをするような人には見えなかったんだけど、お菓子が好きだったのか、他人の所有権に鈍感だったのか(軽視していたのか)、泥棒になっちゃった。

これ、会社の人はうったえなかったみたいだけど、うったえられたら前科がつく。たぶん、この人はそういうことをずっとやっていくと思う。悪いと思ってないわけだから。

「そんなの、がたがた、言ってくるほうがおかしい」という理論だな。まあ、こういう人もいる。これが、ロッカーのなかじゃなくて、テーブルの上でも、やっぱり、食べちゃだめなんだけど、そういう人は、そんなことは気にしない。他人の所有権を軽視する人が実在する。

特に、悪いことをやったとは思わないわけで、なにを悪いことだと考えるかにかんしては、人によってズレがある。

だから、法律が必要になる。一巡した。

ところで、たとえば、テーブルの上に饅頭セットが置いてあった場合について考えてみよう。「みなさんで、どうぞ」と置いた人が言った場合は、その饅頭を食べても問題にならない。

けど、「みなさんでどうぞ」という言葉が発せられなかった場合は、その饅頭を食べてしまうのは問題がある。だから、テーブルの上にあった饅頭を食べるという行為だけを考えていたのでは、その行為「自体!」が問題なのかどうかはわからない。

実は、『怒る』とか『憂鬱になる』ということに関してもこういうことは言える。背後の文脈がたいせつ。けど、なかには、意図的に背後の文脈を無視して、テーブルの上に置いてあった饅頭を食べるという行為だけに注目するやつらがいるんだよ。

『怒る』とか『憂鬱になる』というようなことに関しては。けど、『行為』それ自体よりも、背後の文脈がたいせつなんだよ。わかってないな。文脈から離れた、客観的な『行為』それ自体なんてものは、この世に存在してないんだよ。誰かの主観を通して存在している。

そして、主観の持ち主にはかならず、文脈がある。

だから、文脈を無視して『行為』それ自体だけを考えるなんていうのは、愚かなことだ。というよりも、たとえば、文脈を無視した客観的な行為それ自体が存在すると考えるばあい、それは、そういう「抽象的な世界」だということに、ずっと注目してないとダメなんだよ。客観的で中立的な行為それ自体を一度設定して、そのあと、個人の受けとめ方次第だというのは、まちがっている。客観的で中立的な行為それ自体なんて、実在するようで、実在しないのだから。(なぜなら、観察者はかならず、主観を持っているから)。だれもが、客観的で中立的な行為それ自体を認識し得ない。

   *   *   *

一時的とか永続的とか書いたけど、これは、もうちょっと説明しておくとこういうことだ。たとえば、AさんとBさんがいたとしよう。で、Aさんが、国有地に、国有地にはえていた木を使って、小屋を作ったとしたよう。そして、自分で柿をもぎ取ってきて、自分の小屋のテーブルの上に置いておいたとしよう。

そのあと、Aさんが小屋にいないときに、Bさんが、勝手に小屋に入って、テーブルの上にある柿をとって小屋を出たとしよう。Aさんがもし、『自然になっているものはみんなのものだ』という考えを持っていて、自然になっているものを食べたっていいじゃないか思っている場合であって、なおかつ、一時的な所有権は認めるけど、その所有権は永続的ではないと考える場合は、Bさんに文句を言わない。

けど、自分勝手な人で、自分がとったら『永続的な所有権が発生する』と考えているのであれば、Bさんにたいして『俺の柿をとるな』と言う可能性が高い。ひょっとしたら、Bさんのことを泥棒呼ばわりするかもしれない。実際に、Bさんがやったことは窃盗なんだけど、Aさんが一時的な所有権だけを主張するなら、Aさんにとっては、Bさんは泥棒じゃない。Bさんは窃盗してないということになる。

その柿はAさんがとってきたものだけど、所有権は一時的なものにすぎないので、Bさんが手にした途端に、Bさんのものになるからだ。そもそも、自然になっていたものはだれのものでもない、から、自分がとってもいいというのであれば、自然になっていたものである柿をBさんがとってもいいのだ。そうなる。

けど、Bさんに対して怒って『俺の柿をとるな』というのであれば、Aさんは、永続的な所有権が発生したと考えている人なのである。で、国有地と最初に言ったように、別に「だれのものでもない」ものではないのである。そこにはえていた柿の木になっている柿の実は、「だれのものでもない」わけではなくて、すでに、国のものなのだ。国有地なのだから。

けど、Aさんは、国の所有権というのは認めないわけだから、自分がとって食べても問題ではないと思っているわけだし、自分が独占的に土地を使ったとしても問題がないと考えているわけだ。

もし、Aさんが自然になっているものは、だれのものでもないから、俺がもらってもいいと考えるのであれば、Aさんの小屋に置いてあった柿もだれのものでもないから、Bさんがとっても(持っていっても)よいと考えるはずなのだ。

けど、実際にはそういう人は少ないんじゃないかなと思う。(エビデンスはなし)。実際には、みんなのものを自分が所有するのはかまわないけど、その一度自分が所有したものを他人が勝手に持っていったら、(その人の所有権を認めずに)怒る人のほうが多いんじゃないかなと思う。(エビデンスはなし)。

まあ、一時的とか永続的とか書いたのは、こういうこと。こういう意味。



『明日遅刻しない』なんて言えない状態なんだよ

どーーしてもヘビメタ騒音でくるしい。どうしても、ヘビメタ騒音で人生がなかった。どれだけ書き込んでもむだだけど、けど、書き込まざるを得ない。どれだけ言ってもむだだけど、言わざるを得ない。他の人は気楽だ。他の人は「そんなのなくたって、……とは限らない」とか気楽に言う。

けど、ヘビメタ騒音がなければ、行きたい大学に行けたし、たぶん、けっこう年収が高い仕事をしている。していたはずだ。「年収が高い仕事なんてしてないかもよ」と言うけど、ヘビメタ騒音がなければ、七年以上毎日、あの調子で続かなければ、俺は、できた。これ、ほんとうに、どうやって証明していいかわからない。ヘビメタの打撃がでかすぎるんだよ。ほんとうに、学生時代毎日やられた。

そのあと、ヘビメタでだめになってほとんど寝たきりの生活をしていたけど、そのほとんど寝たきりの生活をしていたときも鳴っていた。絶対にやめてくれない。『こまってこまってこまっているときに』絶対にやめてくれないというのがどれだけこたえるか。……もともと『鳴っているから』こまっているんだぞ。毎日鳴っているから、そして、それが何千日も積み重なっているから、こまっているんだぞ。気違い兄貴!!

そのこまっているときに、ピンチなときに、気違い兄貴が『どれだけ言っても』かまわずに鳴らす。鳴らすというのは一瞬じゃなくてずっと続いていることなんだぞ。一時間続いたら、一時間鳴っているわけで、一時間聞かされ続けるわけで、一時間くるしいんだよ。一〇時間続いたら、一〇時間鳴っているわけで、一〇時間聞かれ差続けるわけで、一〇時間くるしいんだよ。

そういうことが毎日続くから、『ハンダゴテ事件』なんてくらべものにならないくらいに、こまった立場に立たされて、こまっているのに、……その問題の……張本人が、「まったく関係がない人として」頑固に全部鳴らし続ける。親父とおなじだから。

あれ、押しつけているのに、……発狂的な意地で、押しつけているのに、押しつけているつもりがまったくないんだよな。じゃあ、やめてくれるのかというと、一秒一秒、こだわりぬいて、一四時間鳴らすというところがある。毎日それの繰り返しだ。一四時間鳴らせたのは、夏休み、冬休み、春休み期間だけだけどな。

だから、この期間に、遅れた勉強……ヘビメタ騒音のせいで……毎日のヘビメタ騒音のせいで!!遅れた勉強を取り戻すといることができなかった。そして、そのなんて言うのかな……こまっている状態がおなじわけだろ。学期期間中とおなじなんだよ。

『まったく知らなかった』なんてしらばっくれているとけど、俺がどれだけ言ったと思っているんだよ。入試の前の冬休み、どれだけ言われても、「わからないまま」一四時間鳴らし続けることができるなら、一四時間鳴らし続けたのが、気違い兄貴だ。「へへーーん」って感じだよ。「俺しんないよ~~」って感じで鳴らし続ける。アッタマクル。それか、本当に静かにさせられる可能性があるときは、怒って鳴らした。

これは、きちがい親父の怒り狂いとおなじだからな。これ、兄貴だって自分が、やられれば、顔を真っ赤にして怒ってたくせに。親父のやり方で、やられたら、だれだってこころをかきむしられて、くるしい思いをするんだよ。

そういう侮辱的なコードが入っている。

それは、気違い兄貴が、そのまま、ヘビメタ騒音のときに『再生』している。これ、ほんとうに頭がおしいレベルで……ものすごく深いレベルで『しらばっくれている』からわからないだけ。ちゃんと、相手にとって屈辱的なコードが入っている。

一部の統合失調症の人みたいに、相手の言い分を無視する。『妄想的な自分の気持ち』がある。妄想的な自分の気持ちに突き動かされて、妄想的な感覚、妄想的な言い分が発達する。

で、頑固に無視してやりきる。もう、やりきることに命がかかっている。押しつけるのだって、押しつけているのだけど、押しつけつもりがない。どこまでもどこまでも自分の勝手な言い分を押しつけるのだけど、押しつけたということを、認めない。認知してない。

だから、「やったってやってない」の世界が登場する。(すぐに、「やったって」の部分がとれて「やってないやってない」と言い出す。現実は無視なのである。発狂的な意地で『現にやっている』のに本人は、『やってないつもり』なのである。あるいは『まったく関係がないつもり』なのである。

相手にしてみれば「そんなのないだろ」「そんなのひどいだろ」と思うようなことなのだけど、本人は頑固にやり切って、認めない。「やったということすら」認めない。認めないとなったら、命がけで認めないのであって、どんなことを言われても、どんなことをされても、認めない。

だから、本人は、やりきることができれば……ゆずらないでやる切ることができれば……まったくやってないことにしてしまう。どれだけの意地でやったか!! ほんとう、アタマニクル。

   *   *   *

これ、いまも雰囲気がおなじなんだよな。

   *   *   *

劣ったやつに「わかったようなことを言われなければならないポジションに落ちていく」。これが頭にくるな。

ヘビメタ騒音がなければ、絶対そんなことになってないんだよ。なかった場合の世界なんて……仮定の話だから、意味がないということになる。しかし、一四年と数ヶ月は長すぎる。七年間だけでも長すぎる。長すぎる。長すぎる。……七年間で……劣ったやつに、わかったようなこといわれるようなポジションに落ちていった。アタマニクル。

『遅刻するな』……そんなのわかっている。
『わかっているなんで遅刻するんだ』……だから、兄貴のヘビメタ騒音で眠れないから、遅刻せざるを得ないと言ってんだろ!』
『そんなのお兄さんにいえばいい』『家族で相談すればいい』『そんなのいいわけだ』……「だから、さんざん言っているといっんだろ』
『なんで、遅刻してそんなにいばっているんだ』……『言わなければ、わからないだろ』『言ったってわかってないみたいだけどな』。

これで、言わないとね……なんで黙っているんだ?って話になる。もう、汚点がついているわけだから。この場合だと「遅刻したという汚点がついている」。毎日鳴らされているから、鳴らされている状態が終わらなければ、『明日遅刻しない』なんて言えない状態なんだよ!!

これが、もう、すべてを物語っている。


2017年10月19日木曜日

ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!

ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!

祖先も守護霊もお母さんも、ぼくを! ヘビメタから守ってくれなかった。

ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!

この時間、ヘビメタが鳴ってた。どれだけ、気違い兄貴の部屋に行って、「やめろ!うっさい!!!やめろーーーーー」と絶叫しても、ずっと、やられた。けっきょく、殺さなければ、ずっと!!!やられた!!

空間が全部ヘビメタ騒音だ!!
人生が全部ヘビメタ騒音だ!!

ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!ヘビメタが鳴ってた!!!

殺せずにいると……いくら怒っても殺せずにいると……その時間全部……やられた。いま雨だけど、雨の日も晴れの日も、曇りの日も、全部ヘビメタが鳴ってた。この雰囲気はヘビメタの雰囲気だ。

殺して終わらせるということができない限り……気違い兄貴がふつーーにやり勝ちして……ふつーーにヘビメタがずーっと連続している状態が続いた。だからくるしかった。鳴っているあいだじゅう、発狂的にくるしい。そうやって七時間、一〇時間、一二時間、一四時間すごすと、眠っていい時間になって、眠れなくなる。死にたくなる。毎日そんなことを繰り返していいわけがないだろ。

この空間はヘビメタ騒音が鳴っている空間だ。ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気がする。祖先も守護霊もお母さんも教師も、ぼくを! ヘビメタから守ってくれなかった。毎日ヘビメタで死にそうだった。いまもそうだ。やっぱりゆるがたい。気違い兄貴、俺の人生を返してくれ。ヘビメタ騒音が何年間も十数年間も毎日鳴っていなかった場合の人生を返してくれ。

返すことができないなら、最初から、ヘビメタを鳴らすな!! やりはするけど、責任は絶対にとらないんだよな。全部、絶対無責任の境地に立ってやりきって、やりきったことは、絶対に「やった」と認めない。「そんなの知らない」「そんなにやってない」「そんなに鳴らしてない」頭がおかしいな。掲示板の荒らしよりずっと頭がおかしい。どーして、そういうウソを、意地になってつけるのか。で、まあ、そういう意地で、鳴らしているときは鳴らしてた。否定するエネルギーがおなじなんだよな。やりたいから、全部の時間鳴らした……それ以外にないんだよ。「うち」ならできたから、すべての時間、どれだけ弟になにを言われても、気にしないで鳴らし続けた……これだけなんだよ。なにもむずかしいことじゃない。俺の発言と兄貴の発言のあいだには、矛盾があるけど、ほんとうは矛盾のあることじゃない。真実はこれだから。鳴らしたいから、一切合切無視して、『鳴らしたい音で』すべての時間鳴らした。これが、真実。「じゃ、一日に何時間、鳴らさないでゆずってくれたのか』と言われたら、黙りこくっちゃう。そういうレベルだ。やっているときも、『しずかにしてあげて』と家族会議のテーブルでお母さんに言われたら、だまりこくっちゃう。だまりこくって、二階にあがって、その瞬間から、夜の一一時一〇分まで、こっちが『明日試験だからしずかにしてくれ』と何回も言いに言っても、ずっと、気違い兄貴が満足できるでかい音で鳴らして、まったく、一分もゆずってくれなかった。これが事実だ。それで「静かにしてやった」「ゆずってやった」なんて言っているんだからな。最初から、最後までそういう態度だ。気違い兄貴がヘビメタ道具を買って、鳴らしたはじめた最初の日から、気違い兄貴が気違い兄貴の都合で「うち」を出て行くまでのあいだ、ずっと毎日、そういう態度で、すべての時間、きちがい的にでかい音で、ゆずらずに、ヘビメタを鳴らした。
俺の頭のなかでは、入試前日なのに、兄貴ががんばって、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間鳴らしたときの、記憶がこびりついている。まわっている。いまも、そのあとを生きているようなんだよ。いまもそういう瞬間かを生きているんだよ。これ、消えない。最初から最後まで、他人は他人だ。その一五年間の経験がない。そういうことを一五年間毎日、すべての時間、やられた経験がない。だから、俺と他人の感覚はズレる。そりゃ、実際に体験した人と、『話しではそういうことがあったんだな』と理解したレベルの人では、相当の感覚のズレがある。言葉として理解できたとしても、感覚のズレがある。その感覚のズレが実は、無職に対する感覚のズレにもつながっている。「睡眠障害」に対する感覚のズレにもつながっている。もう、いいよ。これ、無理なんだから。どれだけ説明したって俺とおなじように感じることはない。感覚することはない。そうすると、その人のなかの『常識』『基準』『価値観』で、考えるから、やっぱり、ズレが出る。俺の体験した事柄に対して、なんて言うのかな、……無茶なことを言う。それは、知らないからこそ言えることだ。それは、自分で体験したことがないから、言える、無茶なことだ。けど、本人は『無茶なことなんて言ってない。俺はちゃんとやっている。そんなのあたりまえだ。あたりまえのことができないのはおかしい』という理屈を持ち出す。そうすると、当然、ぼくとその人のあいだには亀裂が入る。これは、ぼくが!コミュ障だからではない。経験がちがうからだ。経験のちがいが意見の違いになって洗われているだけだ。けど、多勢に無勢だ。一対(全体引く一)みたいなところがある。悩みを共有できないのである。ヘビメタ騒音に対する(それと同等の騒音体験にかんする)共同幻想はできあがらない。個人的な幻想になってしまう。

もう、こういうことで俺が、どれだけ引き裂かれてきたか。うちの『常識』なんて、他のやつらは、百辺聞いたってわからないんだよ!! 他のやつらにすれば、「そんなことは、どうにかなったはずなのに、どうにかしなかったおまえが悪い」と思えるようなことなんだよ。これが、どういう意味を持っているか。人間学なんて言っている人間が、ぜんぜんこういうことについて、無頓着なんだからな。彼は普通の常識しか持ってない。労働と騒音に関して、普通の常識しか持ち合わせていない。だから、彼とのあいだにも、亀裂が入る。『働いてない人間はゆるせない』側の人間なんだから。『そんなのはおかしい』側の人間なんだから。もうちょっと詳しく言うと、『理由もないのに働いてないのはゆるせない』側の人間だ。けど、俺は『ヘビメタ騒音で働けない』と言っただろ。これ、その人にとってみれば『ヘビメタ騒音は働けないということにかんするじゅうぶんな理由じゃない』のである。これがわかってない。詳しく言えば、ヘビメタ騒音を体験したぼくと、ヘビメタ騒音を体験せずに、常識的な労働観にとらわれているその人とのあいだに亀裂が入る。働かない限り、この人の前には(普通の人)として立てないというわけだよ。これは、別にこっち問題じゃない。そいつの問題だ。明らかに。けど、そういうひとが『多数派』なんだよ。一対(全体引く一)なんだよ。それじゃ、生きていけないだろ。ヘビメタ騒音で働けないというのは、ぼくにとって「たしかな」ことなんだよ。この感覚も、わからないと思うけど。どれだけのことが繰り返されてきたと思っているんだ?と、すべてのぼくの記憶を、そいつの頭に、伝えたくなる。すべての俺のヘビメタ騒音にかんする記憶を、そいつの頭に移植したくなる。移植するほどの伝達があればいいね。そうしたら、そいつは、俺に賛成する。ヘビメタ騒音の全部の記憶を伝達されたら、そりゃ、『働けない』ということはわかるだろうから。全部、SFになっちゃうね。ヘビメタ騒音を毎日俺とおなじ分量だけ経験してない、その人の感覚だと、『ヘビメタ騒音は働けないということにかんするじゅうぶんな理由じゃない』のである。この感覚を持っていると、本人は、意識していないのだろうけど、ほんとうは、差別の気持ちがしょうじている。差別と偏見がしょうじている。現代日本においては『働けないという理由もないのに働かない人』は相当に『悪い人間だ』と思われる。これは、ぼくの問題じゃなくて、その人たちの問題だ。これ、ほんとうに、わかる人はどれだけいるんだよ?? 人権人権っていっているやつがこうだ。障害者の人権にはこだわりつくすのに、『働かない人間』に対する差別がひどいな。もちろん、『働けるのに働かない人間』に対する差別で、『働けないから働かない』人間に対する差別じゃないんだよ。けど、目の前の一個人が……その人にとって目の前の一個人が……働けるかどうかは、その人が、話を聞いて判断するわけだよ。『ヘビメタ騒音で働けない』ということは、その人は認めなかったわけだよ。ヘビメタ騒音なんてどれだけやられたって働ける……と、判断したわけだよ。だから、本人としては、『差別しているつもり』なんてないし『下に見たつもりも』ないんだ。どうしようもない理由で働けない人ではなくて、働けるの働かないのだから、『差別じゃない』という理屈が成り立っている。『働けばいいんだから』「サボっているのが悪いわけだから」。そんなのは……という話になる。けど、何度も言っておく。そういうひとだって俺とおなじ分量、俺とおなじ期間、俺とおなじ音のでかさで、毎日毎日ヘビメタ騒音をやられた、絶対に働けなくなる。で、こういう齟齬がいっぱいなんだよ。ヘビメタ騒音やられているさいちゅうから、ヘビメタ騒音がおわったあとも、そういう齟齬でいっぱい。これは、別に、俺のコミニュケーション能力の問題じゃないから。むしろ、相手の『差別感覚』『偏見』の問題だから。

気違い兄貴は、こういう問題を俺に、ずっとずっと、ずっと、押しつけてきた。おまえ、ハンダゴテ事件どころじゃないからな。夢中になってすべての可能な時間、ヘビメタを、自分が満足できるでかい音で鳴らしたから、こうなっている。ほんとうに、夢中になって鳴らして、絶対に一秒もゆずってくれなかった。それでも、気違い兄貴がゆずってやったつもりでいるのは、親父とおなじ問題を抱えているからだ。親父とおなじ感覚だからだ。ゆずらずにやりきって、「ゆずってやった」と思い込むことができる、性格なんだよ。そういう意地悪なところがあるんだよ。で、この意地悪な性格というのは、ちょっとした性格じゃなくて、ホネガラミの性格。人格の根本にある性格なんだよ。だから、わからない。注意されたってかわらない。ずっとそういう感覚でやりきる。「うちでは」な。この「うち」と「そと」の態度がちがう……そもそも、適応される『基準』『価値観』『感覚』がちがうというのも、親父とおなじなんだよ。これも、底の底の底のほうの性格だから、かわらない。ちょっと注意されれば、かわるような性格じゃないんだよ。こういう業の深さも、こういう傾向の強度も、ほかのひとにはまったくわからない。他の人にとっては、想定外』なんだよ。『いないことになっている人』なんだよ。『そんな人はいないと思うような強度』なんだよ。「お兄さんのヘビメタ騒音がうるさいなら、お兄さんにいえばいいだろ」で済んでしまうのだ。何万回、強く言っても、解決しないから問題なんだろ。こういうことでも、「いいあらそい」に発達する。


2017年10月18日水曜日

愚痴を聞かされるのはたまらない、と、愚痴を言うやつ

愚痴を聞かされるのはたまらない、と、愚痴を言うやつっているよね。
愚痴学(未発表)に書いておいたけどさ。

あとは、自慢話をするやつも嫌われるよな。
あとは、状況がわかってないだけなのに、上から目線の説教をするやつも嫌われると思う。
あとは、なにげに集合的な名称を使って、そのグループに属する人をディスっているのに、まったくそのつもりがない人もいる。そういう人は嫌われるということに、気がついてないんだろうな。

けど、ブログに書くのは自由だと思うぞ。その人たちも含めて。

   *   *   *


しかし、いろいろな人がいるよな。ほんとうにいろいろな人がいる。まあ、育ちとか影響を与えると思うけどね。その人の過去の経験は、その人の「いま」の考え方に影響を与えると思う。『過去の影響』なんてないんだ……と言い切る人たちもいるけどね。

(立場が異なる)他の人の意見、(考え方が異なる)他の人の意見を聞くのは、一服の清涼剤でもある。そういう考え方があるのかと、新鮮な気持ちになる。けど、ちがうところがあるんだよね。「そうじゃないんだ」と、言いたくなるところがある。まあ、それも、いいことだよ。議論がないと先に進まないしな。

ちなみにぼくは、法律や警察や裁判(所)は必要なものだと思うぞ。けど、法律や警察や裁判(所)が自分をまもってくるとは限らない。それに、小学六年生で裁判をおこすのはたいへんだからな。気違い的な親にたたられていたら、裁判なんておこせない。

いちおう注意すればそれで済むこともあるけど、注意しても済まないことがある。ただちょっと注意しただけで、殺されてしまう人がいるのが、この世。強い調子ではなくて、弱い調子で、ちょっと注意しただけで、結果的に、その人とその人の家族が全員死んでしまった事件があっただろ。この世はそういうことが起こる世界なんだよ。

だから、注意するときは、そういうこともありうるというとを考えるのは、むだなことじゃないんだよ。たいていの場合は、殺されたりはしないけど、そういう可能性もある。

   *   *   *

そういえば思い出した。ものすごく、こっちが言っていることを誤解する人がいるんだよな。たとえば「ブログに書くのは自由だと思うぞ。その人たちも含めて」と書いたけど、これを「この人は自分がブログに書くことすべてに賛成した」と思う人がいるんだよ。この場合の、この人というのは、「ブログに書くのは自由だと思うぞ。その人たちも含めて」と書いた人で、つまりぼくだ。

「ブログに書くのは自由だと思うぞ。その人たちも含めて」という意見を、へんなふーーーに誤解する。普通、こういうレベルの誤解は起こらないものとして、書いているけど、そういう妄想的な誤解をする人までいる。これは、自分がブログを書いていてわかったことだ。(ここまでは、こういうひともいるんだよなぁという『想像の』話し)

(ここからは、こういう人がいたという話し)

「書くのは自由だ」ということと「自分が書いたこと(各論)に相手が賛成した(同意した)」ということは、まったくちがうことなのに、そういうふうに自分に都合がいいようなカタチで誤解する……人がいた。ほんとうに、こういうレベルの人がいるんだよな。どう考えれば『書くのは自由だ』ということと、『自分が書いたこと(各論のすべて)に、この人は賛成した』ということがおなじことになるのかわからない。その人は、『霊訓』に凝っていて、自称スピリチュアルな人なんだけど、そういう「こっちが思いつかないようなへんな誤解」はやめろと言いたくなった。けど、その人の頭のなかではそうなんだろうなと思うしかない。そういう「誤解回路」みたいなものを搭載している人がいるんだよな。

これは、大きな発見だった。親父や兄貴の他にも、頭がおかしい解釈をする人がいる! これは、大きな発見だった。

ちなみに、霊訓に凝っている人は、「(こっちが)わざと(自分)を罠にかけた」「わざとだました」とか言ってきたんだよ。「その人」とか「自分」とか「相手」とか言っているとわかりにくいから、霊訓に凝っている人は『霊訓君』と呼ぶことにする。霊訓君が勝手に、わけのわからない誤解をして、勝手に、自分がだまされたと感じたんだよ。それなのに、「相手(つまり俺)がわざと、だましたんだ」と言ってきた。

霊訓君は、善悪二元論にこだわっていて、光の存在と闇の存在があらそっている(覇権をかけてあらそっているのがこの世)だと思っていたらしい。

そして、霊訓君は自分は光の存在で、俺が『闇の存在』だと決めつけてきた。こういう、失礼な決めつけはやめてほしいと思った。

で、霊訓君にとっては、企業も、警察も、裁判官もみんな『闇の存在』なのである。お金持ちというお金持ちは、『闇の存在』なのである。そして、霊訓君にとって常識的な人は、みんな『闇の存在』に操られている(洗脳されている)自分の考えがない(浅はかな人たち)なのである。

で、この『闇の存在』の手先が、自分をいじめているという妄想を強く持っていたんだな。だから、自分の意見を批判されたら、批判してきた人は、『闇の存在の手先』として認識するんだよ。霊訓君の頭の中で、『闇の存在の手先』として認識された人は、霊訓君の頭の中では、ずっと『闇の存在の手先』として認識される。

なので、『自分をだました悪い奴』→『闇の存在の手先』という構図が(霊訓君の)頭のなにできあがると、その後はなにを言っても、『自分をだまそうとしている』『自分を罠にはめようとしている』という自動思考が成り立つ。(霊訓君の頭の中に)。

だから、たとえば、「『書くのは自由だ』ということと、『自分が書いたこと(各論のすべて)に、この人は賛成した』ということはちがうことなんだよということを、ちゃんと説明してやってもむだ。『闇の存在の手先』がまた自分をだまそうとしていると思うだけだから。

……で、まあ、普通はこういうレベルの誤解が生じることは考えないのだろうけど、世界は広いので、こういう誤解をする人もほんとうにいる。

「その人の頭のなかではそうなんだろうなと思うしかない」とぼくが書いたけど、それは、こういう意味だ。

「その人の頭のなかではそうなんだろうなと思うしかない」なんてことはない。ちゃんと説明すればわかるはずだと思う人もいるかもしれないと思ってさ。書いておいた。

たしかに、ちゃんと説明すればわかる人もいる。けど、ちゃんと説明してもわからない人もいる。誤解回路を搭載した人には、こっちが言っていることが通じない。こっちが言っている意味では通じない。

最初にしょうじた誤解に対して、説明をすると、その説明に対して誤解がしょうじるというこまった状態になってしまう。だから、その人の頭のなかではそうなんだろうなと思うしかない。

霊訓君が、ぼくのことを「闇の存在の手先」だと思ったことは、不愉快なことだけど、それほど問題にするようなことではない。けど、気違い兄貴が「こんなのは普通の音だ」と思って、きちがい的でかい音でヘビメタを鳴らし続けるのは、ものすごい問題なんだよ。

気違い兄貴は、たぶん、霊訓訓の思考のゆがみ(思考のズレ)がわかる。けど、自分の思考のゆがみ(思考のズレ)はわからないままなんだよ。気違い兄貴は、でかい音で鳴らしたかったから、自分が鳴らしている音がでかい音だとは認めることができなかった。いまもそうだよ。

じゃ、気違い兄貴がいま住んでいるマンションで、当時とおなじ音で一分でも鳴らせるのかというと一分でも鳴らせない。でかい音だと感じているからな。一分間ですら『ここでは!』鳴らし続けることができないほどでかい音だということを知っているから。うちではいいんだよ。最初から『弟の人生は踏みつけるつもり』でいたから。

弟の人生なんかより、いまここで、一秒だってゆずらないで、一秒でも長くヘビメタをでかい音で鳴らすことのほうが、一兆倍も価値があることだったから。(気違い兄貴のなかでは)。

霊訓君の場合は、こちら側の被害がたいしたことではないので、その人の頭のなかではそうなんだろうなと思う」だけで済まされるけど、気違い兄貴のヘビメタ騒音は、こちら側の被害が膨大なので「その人(気違い兄貴)の頭のなかではそうなんだろうなと思う」だけでは、済まされない。だから、俺はさんざん言った。

で、これも、「騒音はおたがいさま」なんて考える人が出てくるわけだけど、そうじゃないんだといこうとは、言っておきたい。音のでかさがちがう。音が持続する時間の長さがちがう。「おたがいさま」の範囲を明らかにこえる。



   *   *   *


むなしいなぁ。俺は激しく誤解されているなぁ。
まあ、いいや。

きちがい親父にやられてから馴れっ子だ。『基準がちがう』ということに関して、無頓着な人がいる。その人たちは、一般的な人だ。たぶん、常識的な人たちなのだろう。けど、その常識的な人たちが『判断し』言ってくることが『正しいか』というと、正しくない場合がある。一般的な狭い範囲のことしか考えてないから、その狭い範囲のなかでは、それが『正しいこと』『正解』になっているだけ。


   *   *   *

あとは、『お互い様(おたがいさま)』という便利な言葉ついて考えてみよう。あとで説明するよ。けど、『お互い様(おたがいさま)』だと思っているのは、その人だけかもしれないぞという、寒い話がある。

(おたがいさま)という思考が成り立つには、最低でも二人以上の人が関わっていることが必要だ。相手がある話しなのである。けど、『お互い様だ』と考えるのは、個人なのである。その人のなかに「(おたがいさま)」という価値基準があるだけなのだ。この個人が思っている「(おたがいさま)」の価値基準は、共同幻想としては弱いものだ。文化がかわれば「お互い様」の価値基準は大きく異なる。お互い様という考え方は、『常識』の拡張部分だ。二人以上が関わる、主にやった・やられたという関係にかんする『常識』なのだ。

AさんとBさんがいて、Aさんは「おたがいさま」だと思っているけど、Bさんは「おたがいさま」だとは思ってない場合がある。「おたがいさま」だと思うことにかんすることの範囲がズレている場合がある。(人によってちがう場合がある)。というか、ズレているものだ。完全に一致しているなんてことはないのである。どうしてなら、完全に一致しているのであれば、警察も裁判も必要ないからだ。すべて「おたがいさま」のヒトコトでかたがつく。だれも、言挙げしない。だれも起訴しない。だれも、上告しない。

2017年10月17日火曜日

なんか、あたたかい気持ちになるものがほしい。

なんか、あたたかい気持ちになるものがほしい。
この世のこの感じはないな。
ほんとうにヘビメタ騒音がはじまって以来、「ひえひえ」だよ。こころがひえひえ。がまんして、しんぼうして立っている。がまんして、しんぼうして、かろうじて歩いている。けど、こころのなかは、ブリザード。気違いヘビメタ騒音の不安で、いっぱいだ。断固、やりきる気違い兄貴に対する怒りでいっぱいだ。だいたいほんとうに「やめよう」と思ったら、やめられるわけだから。一日中やめようと思ったら、一日中やめられるわけだから。

   *   *   *
前略(あとで、あっちの1017あたりと結合)


小学生のときは排気ガスなんてそんなに気にしてなかったけどな。さっき書こうと思ったけど、わざと遠回りをしていると『売り地』などの看板が立った土地が見えるときがある。で、見たんだけど、ヘビメタ騒音がなければ、こういうのを買って、新しく家を建てるようなこともあったんだろうなと思ったら、憂鬱になった。

   *   *   *

もうやっぱり、限界だな。ほんとうに、小学生のときに限界だった。限界を無理矢理こえて、けっきょく、すべてが狂った。体がだめになった。人生がだめになった。これ、ヘビメタ騒音という要素をぬかしてみると、俺がサボっているように見えるのだけどちがう。夏休み、朝の九時一五分から夜の一一時一〇分まで、三〇分をぬかして、あの音のでかさでヘビメタを至近距離でガンガンやられると、ほんとうに、どれだけがんばっても『宿題すら満足にできない』ということになる。他の人から見れば、ほんとうに『サボっているようにしか見えない』。『どうしてやってこなかった』『宿題ぐらい、四〇日もあるんだからちゃんとやってこい』と言いたくなる。けど、ヘビメタ騒音でできなかった。で、このヘビメタ騒音できなかったというのが、つたわらないんだよ。つたわらない場合がある。それから、つたわったとしても、気違い兄貴が頑固に朝から晩までひまさえあれば、すべての時間を使って、ヘビメタを鳴らし切るという状態が「わからなければ」だめなんだよ。気違い兄貴が、我慢して、半分の時間は『鳴らさないで静かにする』ということをしなければダメなんだよ。だめなんだよ。俺が、ヘビメタ騒音が鳴っている中でどれだけがんばってもだめなんだよ。気にしないようにしてどれだけ、勉強しようとしてもだめなんだよ。そういう、病なんだよ。そういう障害なんだよ。他の人はぜんぜんわかってない。そりゃ、わかるはずがない。夏休みの宿題』のことが、人生に拡張されると、『無職』『引きこもり』ということになる。こんなのは、ほんとうに、……ぼくはちがうから。ヘビメタ騒音がなければ、絶対にそんなことに鳴ってない。気違い兄貴が、すぐに、ちゃんとやめてくれれば、絶対そういうことになってない。それから、他人はわからないのだろうけど、おなじ分量、おなじ時間の長さ、おなじ音のでかさで、おなじ態度で、ヘビメタ騒音を『至近距離で』鳴らされたら、だれもが、どれだけがんばっても『宿題すらできない状態』になるし『無職』『引きこもり』になる。これは、断言ができる。けど、やられなかった人にしてみれば「なんだ、そんなの」と思えことなんだよ。けど、実際にやられて、『つもれば』ぜんぜんちがうというのがわかる。話しで聞いて考えたのと(想像したのと)ぜんぜんちがうということがわかる。けど、実験は、絶対にできない。それならということで、俺とおなじ分量、俺とおなじ時間の長さ、俺とおなじ音のでかさで、ヘビメタ騒音を経験させるということはできない。同意があったってできない実験なんだよ。他の人は、ほんとうにわかってない。まあ、実験では、『気違い兄貴の態度』も付け加えたいけど、それは無理だ。けど、態度は音のでかさとおなじように、影響を与える。あの態度はないよ。ほんとうに気違い以外の言葉が見つからない。本人はまったくやってないつもりなんだろうけど、……これ、掲示板の荒らしの態度とおなじなんだよな。荒らしの言い分とおなじなんだよな。荒らしのしつこさとおなじなんだよな。気違い兄貴は、掲示板の荒らしを知らないかもしれない。気違い兄貴にわかりやすいように言えば、兄貴の態度は親父の態度とおなじ。兄貴は親父の態度に腹を立てまくってたけど……関われば精神が破壊されるほど影響を受けていたけど……気違い兄貴の態度は、親父とまったくおなじなんだよ。「やったつもりがない」「ぜんぜんない」というところまで含めて、全部おなじ。やっているときの態度が親父の態度とそっくりおなじ。相手にとって!!どれだけ腹が立つ態度か、わかってるんだろ。自分がやられる立場に立てば、さんざんやられてわかってるんだろ。けど、自分がやる立場になったら、親父とおなじように、主観的にはまったくやってないつもりなんだよな。どれだけ、爆発的にやったって、意地を通してやったって本人が!ゼロだと思っている。「まったくやってない」と思っている。そういう、気違い的な状態が成り立っている。どれだけの意地でやるか。あんな意地でやっておいて、「つもりがない」とかよく言うよ。こんなの、頭がおかしくないと、できない。自分に言い分があるつもりなんだからな。ああいうことを、やっておいて、『自分に(も)言い分があるつもり』でいる。そういうのがおかしい。きちがい親父が、自分がやりたいように、やっていたけど……わけのわからないことで狂って逆上していたけど……あれだけ好きなようにやって……『やってない』『言い分がある』なんて言ったら、どれだけ腹が立つか? 兄貴!!わかるよね。兄貴が「つもりがない」とか「やってない」とか「言い分がある」なんて言っているのは、親父が「つもりがない」とか「やってない」とか「言い分がある」なんて言っているのとおなじだから。気違い兄貴よ、気違い兄貴が、いま親父と話して、親父がかつて、やったことについて「つもりがない」とか「やってない」とか「言い分がある」なんて言い出したら、言ったらどんな気持ちになるんだよ?? 兄貴はぁ!!! 兄貴はどんな気持ちになるんだよ。兄貴がやっていることはそういうこととおなじだ。あんだけ、理不尽な理由で、好きなだけ怒り狂っておいて、『言い分がある』なんて言ったら、どう思うんだよ。『やりたいだけやっておいて、言い分があるとはなんだ!!??」って思わないか? あいた口がふさがらない状態にならないか? 『どの口でそんなことを言っているんだ』と言いたくならないか? 俺はなる。気違い兄貴がやっていることは親父とおなじ。気違い兄貴が言っていることは、親父とおなじ。全部、親父とおなじ。親父のコピー。自分がやられて、くやしくてくやしくて、たまらなかったことを、そのまま」俺にやり返している。やり返す相手がちがうんじゃないか。しかも、よそのうちに行ったら、よい子になって、まったく鳴らさない。鳴らすときは、すべての時間ヘッドホンをして鳴らしている。ならできるんだよ。気違い兄貴は、「できない」と思っていたけど、できるんだよ。「うちでは、一分だって絶対にいやだからしてやらなかったこと」が何百分だってできるんだよ。鳴らしていた時間すべて、鳴らさないで静かにするというとが『普通に』できるんだよ。これ、おまえ、気違い兄貴?? わかってんの?? おまえがどれだけこだわって、しずかにしてやらなかったか?わかってんの? 「そんなつもりじゃなかった」とか、嘘をつくな。一〇〇%、そういうつもりでやりきった。どんなときも、やりきった。弟が入試だろうがなんだろうが、自分が鳴らしたくなったら、一分だってゆずらないで、鳴らし続けた。自分の都合を一〇〇%通した。それで? それで? 『自分にも言い分がある』とか言っている気違い的な状態がどういう状態かわかっているのかよ??

   *   *   *

ほんとうにもう、死ぬしかないか。どこを歩いていても、頭の中が九〇%ぐらい、

鬼になって通したことは、鬼になって認めない

ちょっと横になっていて起きた。


横になっているとき感じることは、ヘビメタ騒音のことばかり。あとは、シャッターの音で頭にきた。ヘビメタでいっぱいいっぱいだから、だめなんだよ。あとは、まるまる荘で横になっていたとき、さみしい気持ちだったんだけど、そのさみしい気持ちとまったくおなじ気持ちを、いま持っているということを考えた。これ、これ、三〇年間もう、こんな感じなんだからな。ほんとうに、ヘビメタ騒音がきつかった。

これ、ほんとう、まるまる荘の夜の雰囲気だ。こういうふうにさみしかった。なにもかわってないな。いや、歳をとったけど……。あのときもう、ヘビメタ騒音で……。

いや、これは、中学二年生のときの雰囲気だ。夜、八時三〇分、気違い的にうるさかったな。死にたかったな。音のなかで死にたかった。鳴っているあいだじゅう死にたかった。鳴っているあいだじゅう殺したいほど腹が立っていた。あれ、ほんとうに、きちがい親父とおなじで、気違い兄貴は「やったつもりがないまま」なんだよな。どれだけの意地でやったか、本人がわかってない。

これ、ほんとう、殺人的な意地でやったことは、ぜんぜんつもりがないこと」なんだよ。ゆずるわけがないだろ。ゆずらないことに命がかかっているんだよ。で、一〇〇%、やりきったから、……一〇〇%やりきることができたから、本人は満足して、『知らないつもり』になっているんだよ。

一分でも、ほんとうに、ゆずらなければならないとなったら、発狂して、こだわって、殺されてもいいからやり切るという意地でやりきる。殺すとか、殺されるとか、自殺とか、おおげさだなと思う人がいるかもしれないけど、ほんとうにそういうレベルの『意地』なんだよ。

で、一番肝心なのは、『やりきっている本人が』ぜんぜんわかってないということだ。本人がほんとうは、殺人的な意地でやっているのに、ぜんぜんそんなつもりがない……気持ちのままなんだよ。どうしてかというと、一〇〇%やっているから。

これが、わかってない。

気違い兄貴がこだわってないようなフリをできるのは、気違い兄貴が気違い的なこだわりでやってのけたから。親父とおなじ意地で頑固にやってのけた。だから、本人はまったくつもりがない状態を獲得している。自分が本当に一時間我慢しなければならないということになったら、『一時間、我慢してやりたくないのに、無理矢理我慢させられた』という記憶が残るのである。

一日に一時間でもやめさせられたら、逆に、自分がこだわっているということがわかる。一日に一時間どころから、一分も、一秒も強制的にやめさせられることがかなったから『こだわらずにやった』「知らないでやった」ということに、なっている。あにきのなかでなっている。ほんとうにほんとうに、頑固なのである。

その『こだわってないつもり』『知らないつもり』も、全部一〇〇%ゆずらずにやりきることに、奉仕している。全体としては、そういうしくみで、やりきる。一〇〇%やりきる。たとえ、一分一秒だろうが、『ほんとうに』譲歩するということは、一〇〇%、ない。発狂的な意地で、絶対にやってやらないことなんだよ。

『やってやらなかった』ということを認めないという場合に発揮される意地も、絶対の意地で、考える前から、はねのけられている。やっているときは、静かにしてやる……ほんとうに、我慢して静かにしてやると言うことは、考える前から、はねのけられている。一〇〇%、はねのけられている。一分、一秒だろうが絶対に、一〇〇%、考えるまでもなく、『やってやらないこと』なのである。『認めてやらないこと』なのである。

で、一〇〇%、『認めてやらないこと』にこだわりきる。だから、『意地になってやっているさいちゅう』も、『まったくやっているつもりがない』状態ができあがる。こだわりつくしてやっているのに、まったくこだわってないと思っている状態ができあがる。

だから、まるで『悪気がない』。どれだけ、言われても『悪気』がしょうじない。しょうじないとなったら、今度は『悪気がないのだから、どれだけやったって、いい』というちょっと上の無意識ができあがる。

だから、『こまるからやめてくれ』『うるさいからやめてくれ』『宿題をやるからやめてくれ』『明日学校でこういうことをやるからやめてくれ』『こういう用意をするからやめてくれ』「明日中間試験で、勉強するからやめてくれ』と言われても、一〇〇%悪気がないまま、一〇〇%やりきることができる。一〇〇%時間、一〇〇%から九九・九%の音のでかさでやりきるから、すべての時間、ドデカイ音で鳴らすことになる。そりゃ、〇・一デシベルゆずったって、『よそじゃ一分だって鳴らせないような』デカイ音なのである。

だからずっと、すべての時間でかい音で鳴っている状態が続く。どれだけなにを言っても、『悪気が生じないまま』ふつーに、入学試験前だろうがやりきる。ぜんぜん悪いと思ってない。俺が『こまる』といっているのに、こまるということを認めない。親父がハンダゴテ事件の時、兄貴がこまるとといっているのに、兄貴がこまるということを発狂して認めなかったのとおなじだ。

そういう態度で認めずに、……「やめろ」と言われたら発狂してやりきる。それでも、まるでつながりがないし、悪気もないのである。そういうやり方だ。毎日そう言うやり方で、可能なすべての時間、ドデカイ音で鳴らす。それでも、本人は『ゆずってやったつもり』だ。


これ、俺がどれだけ言ったって〇・一%、五分間だってゆずらない状態が普通の状態だ。『入試だから静かにしろ』と食い下がって、食い下がって、一日に二〇回三〇回怒鳴り込んでやっと静かにするのが、五分間、〇・一%なのである。〇・一%でも静かにしてやったら、オオイバリだ。『全部の時間静かにしてやった』と思う。思い込む。親父が、使えないハンダゴテを出してやって、オオイバリなのとおなじだ。「やってやったやってやった」ってことになる。親父と兄貴の「やってやった」というのは、相手が困ることを、やってやったということなのだ。けど本人は、『最大限譲歩してやった』『ほんとうはやってやらなくても良いことをやってやった』という気持ちになる。

だから、『静かにしてくれなかった』というと、『静かにしてやった』ときちがい親父のように、言う。兄貴が、あたかもきちがい親父のように言う。おんなじなんだよな。すべておなじ原理が成り立っている。ほんとうは自分の意地を一〇〇%押し通してまったくゆずってないのに、『ほんとうはやってやらなくてもよいことをやってやった』という気持ちになって、こだわってやり続ける。頭がおかしい。

『やっているじゃないか』ということが、どこまでもどこまでも通じない。そうやって、意地になってやったことは、次の日になれば『まったくやってないこと』「そんなの知らなかった』ことになってしまうのである。自分がこだわりつくして一日中ヘビメタを鳴らして、迷惑をかけた……弟の勉強の邪魔をした……弟の試験の邪魔をした……ということが、一〇〇%わからない。

一〇〇%わからなければ、親父とおなじように一〇〇%やってないつもりになる。一〇〇%関係がないつもりになる。親父はほんとうは絶対の意地で、『使えないハンダゴテだ』ということを認めないで、押しつけたんだよ。

けど、押しつけたつもりが、ほんとうにない。

一〇〇%関係がないつもりなんだよ。ぜんぜんまったくやったつもりがないんだよ。そういう状態だ。で、そういう状態で、また、「だったら、新しいハンダゴテを買うから金を出してくれ』と言われたら、一回目とまったくおなじ反応をする。

だから、際限なく続くんだよ。兄貴のヘビメタ騒音もおなじ。けど、問うの兄貴は、そういうものだと思ってない。それは、当の親父がそういうものだと思ってないのとおなじしくみで、思ってない。

だから、一年に三六五日、毎日毎日、全部そういう態度でやりきって……まったくやったつもりがないという不可思議な状態ができあがる。何度も言うけど、そうじゃない状態がない。一日に二四時間、自分にとって不都合なことを言われたら、怒り狂ってはねのけて、はねのけたと言うこと時代を忘れてしまうというモードなんだよ。

だから、本人はまったくやったつもりがないまま、相手の反感を買うことができる。兄貴に言っておくけど、親父はいまでも気がついてないから、いまでも兄貴にうらまれていると思ってないよ。

兄貴もおなじなんだよ。兄貴もおなじやり方で弟の人生を粉砕したのだけど……自分ヘビメタという趣味のため……弟の人生を粉砕したのに、弟のすべての生活を粉砕したのに、弟のすべての可能性を粉砕したのに……ぜんぜん『つもりがないまま』なんだよ。

それは、親父とおなじで「やってないから」そういう認識が請じないと言うことではない。ぎゃくに、一〇〇%自分の意地を通してやったから!!「まったくそういう認識がしょうじないだけ』なのである。

気違い兄貴は、親父が自分にやられたことはわかるんだよ。親父が自分にやったことが、屈辱的なことだというのがわかっているんだよ。

そして、親父が「そんなのまったくやったつもりがない」と言えば、怒るんだよ。

そりゃ、一〇〇%意地を通してやっていたわけだからな。けど、自分がやったことは、……自分がこだわってこだわってやったことは、親父のように無関心で、やったつもりがないままなんだよ。当時のしくみがいまも成り立っているから、『しずかにしてくれなかった』と言われれば『しずかにしてやった』『しずかにしてやった』と事実とは一〇〇%異なることを、繰り返す。繰り返して言う。正反対のことを、嘘をついているつもりがないまま、言う。それは、当時のしくみのままなんだよ。

当時!!そういう状態で、ヘビメタをエレキギターで弾いていたんだよ。ヘビメタをステレオで鳴らしていたんだよ。いまでもまったやったつもりがないのは、親父とおなじしくみがなっているからなんだよ。

気違い兄貴!! おまえぜんぜんわかってないだろ。親父と同一化して、自分の意地を一〇〇%、鬼になって通して、それで、鬼になって通した時期のことは、一〇〇%まったく記憶にないという状態だ。

完全に親父のやり方とおなじ。いまの態度も、完全に親父とおなじ態度。一〇〇%やったことは、一〇〇%否定する。やったのに!!! 

一〇〇%やりきれたことだからこそ「やってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」とおなじ態度で言える。当時とおなじ態度で言える。

当時は、……つまりやれるときは……そういうやり方で、一〇〇%自分の意地を通して一〇〇%自分がやりたいようにやったんだよ。親父とおなじで自分が一〇年一一年一二年一三年、一四年、毎日毎日、気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で……いまでも……否定する。

こんなやつと、話しあいなんてできるわけがないだろ。話しあいで解決するなら、一日目の一〇分目に解決しているんだよ。どうして、それがわからない。『話し合えばいい』なんて、むだなことを俺が言われる。

2017年10月16日月曜日

『書けば現実になる』で無料起業できるよ!

書けば現実になるノートのことだけど、なんて言うの……そういう儲け話がある。これ、情報商材とおなじなんだよな。

けど、もし、その人がほんとうに信じて、気持ちを向上させることができるなら、効果があるんだよ。これは、気持ちの持ち方の問題だから、『書くことで現実になる』『そういう人たちとつきあっている』『自分の波動があがっている』と思えば、うまくいくこともある。

すくなくても、『自分はダメだろう』と思って行動するよりも、いいことが起こる確率が高くなる。これは、実際に『宇宙意識がある』とか『パラレルワールドが実在する』とか『すべては波動の仕業』といったことではないのだけど、外からはそういうことは、区別ができないので、おのおのの信じたいものを信じればいいということになる。

問題なのは……というか、利点は……情報がタダで提供されているということだ。特許や実用新案とも関係がない。タダで提供されている『書けば現実になる』という考え方を使って、ほんとうに、金を儲けることができる。錬金術といっていい。

問題なのは……というか、利点は……信者が多いということだ。これは、潜在的な信者のことだ。『思いたい』のである。『しあわせをつかみたい』人がいっぱい、いっぱい、いる。

だから、こういうネットワーク時代だと、自分のサイトを作って、SNSなどで宣伝することだけで客が集まる。この人たちは『しあわせになりたい』人たちなので、まあ、セミナーに三万円ぐらいは出すだろう。この、セミナーというか、勉強会というか、カウンセリングというか、会って話しましょうということの料金設定は、だいたい七〇〇〇円から三〇〇〇〇円ぐらいが適切だ。

七〇〇〇円では、食事をするだけで儲けにならない場合もあるけど、ともかく、そうやって、人に会っていれば、そのうち『現実化しました~~』という人が出てくる。そうなると、その人のことをタダの広告塔として使える。もちろん、許可は得るわけだけど……。あるいは、仮名とかイニシャルで『こういうことがありました』『まるまるちゃんが彼氏をゲットしました』ということが宣伝として言える。実績になる。

新興宗教、スピリチュアリズム、とおなじで、『情報はタダ』で散らばっている。その情報を、自分で着色して、値段をつけて売ればいいということだから、ものすごく楽な行為だ。けど、やらなければならないことは、いろいろある。もちろん、専用サイト作成、顔出し、SNSやyoutubeなどを利用した宣伝は必須だ。

不幸な中年男性ができることじゃないのである。まず、その人が「しあわせ」じゃなければならない。あるいは、その自分が着色して言っていることを信じてなければならない。これは、言ってみれば、商売としてやっているのではなくて、ほんとうに信じてないとやばい。だから、自分に自分でそういう暗示をかけられる人じゃないとだめだ。

ようは、『商売として信じていることにしよう』というスタンスだと、客もそれがわかって、よってこない可能性がある。まあ、どこまで信じているのかわからないけど、中ぐらいのスタンスの人もいるだろうな。けど、ともかく、役者としては、『ほんとうに信じている自分』を演じることができるぐらいは、陶酔しているといっていい。まあ、中ぐらいのスタンスの人は例外だな。

そこには、批判精神は必要ない。むしろ、邪魔だ。妄想的なことを信じていなければならない。妄想的なマジックワードで、すべての現象を説明するような、人でなければならない。妄想的なマジックワードを使うと、すべての矛盾は、矛盾のある言語で覆い尽くされる。近寄ってくる人は、そういうことを信じたい人なので、簡単に信用する。

ようするに、マジックワードの問題点や矛盾に気がついてしまう人だとダメなのである。いろいろなことを総合的に考えられる人だとダメなのである。一例ですべてを説明するような妄想的な人じゃないとだめなのである。ようするに、さまざまな視点から、物事を考えることができる人だとダメなのである。

というわけで、無料で得ることができるスピリチュアルな考え方を信じることができる人は、簡単にミニ教祖になれる。セミナー主催者になれる。なんとかカウンセラーになれる。いまは、そういうことで、人が集まる。単純で明るい人なら、起業することが可能だろう。

で、活動自体は悪いことじゃない。これ、フィクションなんだけど、科学的には否定も肯定もできないことなので、信じるのは勝手ということになる。たいていは『科学的にも証明されている』とか『心理学的にも証明されている』というような話しを入れる人がいるけど、その場合は、かならずエセ科学であると断言できる。

まあ、実験結果だけは正しいのだけど、解釈がまちがっている場合もエセ科学だ。けど、この科学的に正しいとか心理学的にも正しいというのは、なんて言うのかな『フィクション』の一部として成り立つから、なんて言うのかな?……信じたい人にはとても科学的な話しに思えるのだ。

ともかく、無料起業できるよという話だ。仕入れは無料。自分のファンタージーで話しを着色して、売ればいい。

(こういう話しと、普通にハローワークを通した仕事の話しは、別世界の話しだ。たしかに、こういうやり方なら、過酷な賃金労働の世界から離脱できる。ただ、本人が『明るくないと』だめなんだよな。あとは、ほんとうに『信じていなければならない』。まあ、中ぐらいの人がいると書いたけど、『ほんとうに信じている』人のほうがうまくいくだろう。

   *   *   *


さて俺はどうするか。ぼくの場合、複雑なことを考えることができるので、いろいろと理論的に無理がある展開がある場合は、『無理があるな』と気がつきます。あとは、ぼくが実際に経験してきたことと、一般に流布しているポジティブ系理論とは、ひ・ら・き、があります。その場には理由がないことでむちゃくちゃに怒り狂う父親が「現前」していたので、自分の総力を挙げて、そういう気違い的な現象について考えなければならなかった。『どうして怒っているのか?』『なにを怒っているのか』解明しなければならなかったわけです。あとは、強迫神経症という不可解な現象も、全力で、解決しなければならなかったわけです。
こういう人間はレアなんだなと思います。


自分としては「不幸なひとは」『不幸なことを選んでいるから』『不幸なんだ』という理論を平然と言ってしまうことには、抵抗があります。
たとえば、以下のようなことを言う人がいるとします。

パラレルワールドがあって、そこには、無数の自分がいる。無数の自分というのは、無数の可能性を現実化している自分のことなんだけど、ともかく、無数のパラレルワールドが存在して、そこで無数の自分が、『現実』を経験している。無数のパラレルワールドの中から、自分がほしい……現実化してほしいワールドを選ぶのは自分次第。自分が、しあわせなワールドを選択すれば、しあわせなワールドがやってくる。現実化する。それでは、どうやって現実化させればよいのかというと、『意識』をチューニングすればいい。意識をチューニングすれば、『そのワールド』が引き寄せられる。意識をチューニングするには、まず書き出すことが必要だ。実際に書き出すことによって、意識がチューニングされ、あらゆるパラレルワールドの中から、自分が現実化してほしいワールドが選択される。


自分の頭の中から、抜粋しました。適当に作りました。まあ、似たようなことを言う人はいるでしょう。こういうことを言う人たちは、認知に極端にズレがある親兄弟にたたられたという歴史がない人たちです。だから、こういうことを言うのに、抵抗がない。けど、ぼくはちがう。ぼくは、こういうことを言うのに、抵抗がある。だから、むいてない。

ぼくにはできないけど、いま現在お金がない人の中には、認知がズレた親にたたられてない人がいるはずだ。なので、認知が著しくズレた親にたたられてない人なら、まあ、「仕入れ」は無料で起業できる。




2017年10月15日日曜日

『その音で弟がこまっている』

ヘビメタ騒音で『一般コース』をはずれてから、ろくなことがないんだよな。ヘビメタ騒音なしで普通に大学に行って、大学院に行って、コネを作ってということをやっていたら、ぜんぜんちがっていた人生になっていたんだろうな。

コネを作るどうのこうのだけど、ヘビメタ騒音がなくて、普通の生活と普通の精神状態と普通の履歴があれば、ぼくはそういうのも、作れた。きちがい親父だけなら、ぼくは出世できた。仕事だけではなくて、恋愛とか結婚とかいうことでも、普通に……いや、普通以上にいい思いができただろう。

親父が気違いで、わけのわからない攻撃(精神的虐待)を繰り返していたとしても。うちが貧乏でカネがなかったとしても……。お母さんと親父が離婚をしていて、兄貴は親父に、俺はお母さんに引き取られたら、どれだけ幸せな人生をつかむことができたか。母子家庭でも、特待生奨学金をもらえるほど勉強して、有名大学に入ることができた。

気違い兄貴だって、「うち」だから、ヘビメタを好きなだけデカイ音で鳴らしたわけで、アパートやマンションだったら絶対に、無理なんだよ。

あれ、弟と母親は、自分の騒音でどうなってもかまわないというところがあって、「うち」でなら、どれだけ鳴らしたってそれは、いいことだという決めつけがある。この決めつけが、強烈で無意識的なんだよ。

『親父の頭』とおなじなんだよな。

こういう無意識的な決めつけは、絶対に、どれだけ言われても「なおらない」。

殺さなければ、改変できない。

脳みそのすごく深いところでそうなっている。

「うちでなら」という条件がつくので、他の人には、そういうことをしない。となると、他の人から見れば、『普通の人』に見える。けど、「うちでは」ちがう。ぜんぜんちがう。どれだけの頑固さで、ビタイチモンゆずらずにやるか。

そして、頑固にビタイチモンゆずらずにやったことを、まったくやってないと(意識的には思っている)気違い的な状態を、維持するか。これは、ずっと毎日、維持してそうしていたわけで、これも、とまらない。「うちのひと」に注意されて「とまる」ようなものじゃないのである。

うちで、頑固にやっていることは、絶対にやってないこととおなじなのである。もちろん『鳴らしている』と言うことはわかっているのだけど、それが持つ意味は、絶対に、認めない。

だから、鳴らしているということは認めるけど、『でかい音で鳴らしている』ということは、意地でも認めない。で、鳴らしていると言うことは認めるけど、『その音で弟がこまっている』ということは絶対に認めない。

だから、本人は「つもりがないまま」エレキギターを爆音で弾いて、ヘビメタを爆音で鳴らすことができる。やっているさいちゅう、どれだけ、熱心に、やったって、「やったつもりがないまま」なのである。

『でかい音で鳴らしているつもりがないまま』でかい音で鳴らす。『自分の音で弟がこまっているということがわからないまま』でかい音で鳴らす。気違い的にデカい音で鳴らす。これ、ほんとうに、家の前がデカイ幼稚園のデカイ庭ではなくて、よその家も道や庭で離れていなければ、絶対に、できない音なんだよ。

で、隣の家の中で、気違いヘビメタ騒音がどの程度の音で聞こえるのかわからない。けど、北側の人は、『苦情を出したくて出したくてたまらなかったけど、うちとの関係がまずくなるのは避けたかったので、けっきょく、だまったまま引っ越しちゃったじゃないかな』と思う。

これ、ほんとうに、騒音は、距離でちがうから……。耳元で鳴っているのと、おなじ部屋で鳴っているのと、ひとつ隣の部屋で鳴っているのと、ある程度離れたところで鳴っているのはちがう。幼稚園の園舎は、すぐそこなんだけど、それでも、子供が絶叫している声に、ぼくがたえられる。子供の絶叫はそうとうに、音源としてはデカイ音なのだけど、一〇メートルも離れていれば、だいぶちがう。

ともかく、幼稚園のデカイ庭があって、隣の家もそこそこ離れていたから、気違い兄貴は、『あの音のでかさで』ずっと鳴らすことができたのだと思う。お母さんは、実は「家の問題」を隠したがる傾向がある。うちの問題を「そと」に出したくないという気持ちがあるから、ヘビメタ騒音のことも、「よそ」に積極的に相談に行くということがなかったんだよな。

不思議なことなんだけど、オーさんというところの息子がドラムに凝って、ドラムをガンガン鳴らすから、こまったということで、それまで、一日度しかあったことがないオーさんの母親が、うちの母親に相談しにきたことがある。「どうやって、息子の騒音をとめたか』ということを聞いてきた。

『とめてなかったんだけどね』。その時現役で鳴らしてたんだけどね。午後四時以降にくれば、どんだけでかい音で鳴っているか、わかったのにね……。

お母さんが、言ってみれば『しらばっくれた』反応をしているんだよな。『うちはこまってません』みたいな。お母さんは『こまったこまった』と言って心配していたんだけど、「よそ」がかかわると、『問題がないようなこと』を言いたがるんだよ。

小学六年生のぼくには、父親と母親をさしおいて、となりの人と交渉する、度胸がなかった。となりの人が遠慮であれ『気にしてませんよ』などと言ったら、ぼくはこまる。

警察と近所の人を巻き込んで、気違い兄貴にせまるということをしなければ、気違い兄貴が『うちの人に言われて』ちゃんとしずかにする可能性は、ゼロだった。警察だって、注意はするだろうけど、帰ったあと鳴らし始めたときに、どういうふうに反応するかわからない。

また鳴らし始めたからきてくれ』と言われて、きてくれるだろうか。それが、毎日何回も続いたら、「うちのことはうちで解決してください」と言い出さないか?

これ、当時はほんとうに、『うちのことはうちで解決してください』というノリがあったんだよ。気違い兄貴は、〇・一デシベルでも静かにしてやれば、それで、ものすごく静かにしてやったつもりになる。

あのでかさで鳴らしていて、『問題がない』と思っているわけだから……。〇・一デシベルでもさげてやったら『ものすごく静かにしてやったつもり』になるわけだから……。

当然、問題がある音で鳴らしているとは思わないだろう。ほんとうは、爆音で鳴らしているのだけど……。

気違い兄貴よ! 話の途中だけど、言っておく! おまえ、『最大限ゆずってやった音』で、いま住んでいるところで、鳴らすことができるか? 『問題がない音』であるならば、いま住んでいるところでも、当然鳴らすことができるよな。

けど、ほんとうに、一日に一〇時間鳴らすことができるのか? 最大限ゆずってやったまったく問題がない音で、いま住んでいるマンションで、一日に一〇分でも鳴らすことができるのか? いや、一分ですら、(兄貴の)嫁さんの前で鳴らすことができるのか? できないだろ。

どうしてか? デカイ音だからだ。

知っているんだよ。「よそ」じゃ、一分だって鳴らせないようなデカイ音だって、知っている。自分が最大限「うち」でゆずってやった音が、「よそ」じゃ一分だって鳴らせないような爆音だ……迷惑がかかるような超デカイ音だ……ということを知っている。

けど、「うちでは」どれだけ鳴らしたってかまわないわけで、『文句を言ってくる方が悪い』と思っている。『せっかくひとが鳴らしているのになんだぁ」と親父のように」怒り狂う。「いわれた」ということだけで、怒り狂う。執着して執着して、『デカイ音で』鳴らすことにこだわる。

ヘッドホンじゃなくて、スピーカーで鳴らすことにこだわる。音の質にこだわるからそうなる。音の質にこだわってこだわってこだわっている気違い兄貴が、本当に静かにするわけがないだろ。ヘッドホンだと音の質が悪くなるから絶対にヘッドホンでは聴かないと決めている気違い兄貴が、こだわりの音で鳴らしながら「しずかにする」なんてことはないんだよ。

2017年10月14日土曜日

俺にとって生きがたさとはなにか?

眠った。起きた。午前九時ぐらいかと思ったけど、昼の一二時だった。あ~~、三時間ずれたか。やっぱり、まわっている。起きる時間がまわっている。「あれはない」という気分になった。昨日の夜。いまも、残っている。「あれ、ほんとうにないんだよ」。あれはない。あんなの、いいわけがないだろ。あれを、『まったくつもりがないまま、無視してやった』というのか? そうなんだろうけど、毎日のことだからこまる。毎日だからな。毎日つもると、三年後には、「とりかえし」がつかないことになっているんだよな。そして、そのあとさらに、三年続いて、そのあとさらに、三年続いて、そのあと、さらに三年続いて、そのあとさらに二年続いて……って、どれだけ、「きた」と思っているんだよ。一四年間、全部の時間を使って弟の人生を台無しにしたのに、まったく気がついてないんだよな。そういう「はいりこみ」が親父とおなじなんだよな。気違い兄貴に言っておく! 親父はまったく気がついてないよ。自分がやったこと……自分が毎日やったことにまったく気がついてないよ。自分が、一〇年間、二〇年間、こどもにどういう態度で接してきたか、子供が小さいとき、どれだけ気違い的なことをやったかなんて、まったくわかってない。人間として、根本的におかしい。あれだけ意地になって毎日やったことがわかってないのだから。「やってない」ということになっているのだから。そんなら、『やっているときの意地』はどうなるんだよ? と思う。兄貴よ、兄貴もおなじだ。『やっているときの意地』はどうなるんだよ? まるで、「やってない」ようなことをいいやがって。どれだけの意地でやったか! どれだけゆずらずにやったか、本人がわかってない。本人がわかってなければ、あたかもほんとうにやってない」のとおなじなのである。おなじ気分でいる。なら、言えばやめてくれたのかと言ったら、絶対にないんだよ。なら、「やっているとき」に「やめてくれ」と言ったらやめてくれたのかというと、それは、絶対にない。何千回も、何万回も、何十万回も、何百万回も否定している。トータルではそうなる。何年間おなじ否定を繰り返したか。一日に、何回おなじ否定を繰り返したか。気違い兄貴は、一日中、鳴らしているから、こっちが一時間に一回しか言いに行かないにしろ、何回も言いに行くことになる。試験の前とか、二〇分おき、一〇分おきに言いに行ったのに「ぜったいのいじ」ではねのけて、鳴らすことこだわって、鳴らし続けた。鳴らすとなったら、自分のこだわりの音で鳴らさなければならないので、絶対に、よそでは一分だって鳴らせないようなでかい音で鳴らした。鳴らすとなったら、絶対の意地で、非常識などでかい音で鳴らしてたのである。「ぜったいのいじ」ではねのけてと書いたけど、その態度が、親父のはねのけるときの態度おなじなのである。親父が、否定するときの態度とまったくおなじなのである。気違い兄貴にわかるように、気違い兄貴のエピソードで言うと、気違い兄貴が「このハンダゴテは使えない」と言ったのに、気違い親父が「使える使える」といってはねのけたときとおなじ態度なのである。気違い兄貴は、あの時、親父に腹を立てていたけど、気違い兄貴が腹を立てるような態度で、俺の意見を否定して「はねけのて」いたんだよ。これ、毎日、二四時間そういうモードで暮らしているから、いつ言っても、例外がないのである。これ、ほんとうに他の人はここのところがわかってない。これが積み重なったときの「どうしょうもなさ」がわかってない。「言えばわかる」と思っている。「なんで、言わなかったんだ」なんて言ってくる。常識的な人が言ってくる。だから、俺は俺の説明できる範囲でちゃんと説明しているのに、今度は常識的なひとが、常識にこだわって、俺の説明を受け入れないのである。説明したあとも、半信半疑で「そんな人いるかなぁ」なんて言っている。常識的な人にとっては、ぼくが変なことを言っているように思えるのである。もう、こういう構造、あきたよ!!!

常識的な人にとっては、「そんなの、いくら鳴っているたって、たいしたことじゃないんだろ」というような感じだ。もちろん、わかってくれる人もいる。けど、わかってくれたひとがほんとうにわかっているかというとそうじゃないんだよね。やはり、他人の身の上に起こったことだから、想像でしかものを言えない。それは、そうなんだろうけどさ。けど、認知療法的な言説を使って「こだわる必要がない」なんて言われると頭にくるところがある。全部ほんとうにいやだ。

「こだわる必要がない」なんて言われると頭にくるところがあると書いたけど、この理由はどこか他のところに書いた。ちょっとだけ説明しておくと、意識的にこだわる必要があるから、こだわっていることである場合、『こだわる必要がなくなれば』たしかに、こだわる必要がないのだから、こだわらなくてもよいことになる。しかし、『こだわる必要がある』と意識的に判断してこだわっていることではない場合に関しては、そういうことは成り立たない。認知療法は『無意識』という考え方を認めていない。かならず、すべて意識的にどうにかなる問題なのである。自分の気持ちは全部自分が意識的に制御できると考えている。無意識的な領域には『意識の手』がとどかないなんてことは認めない。意識的な思考、意識的な意思ではどうにもならないことがあるということを認めてないのだ。けど、実際には、『意識の手』がとどかないところがある。『無意識』を設定した方が理解できる現象がある。

この場合の『無意識』は、経済学における『経済人』のような理念モデルだ。『無意識』が実在するわけじゃないのである。まあ、いいや。これ、『騒音サイコパス』のどこかで書いたら、興味がある人は、全部読んで探してみて。


からだが悲鳴をあげていた

強烈な「鬱」がきている。
これ、強烈だな。

からだはだるくない。まあ、もやもやしているけど……。きちがいヘビメタのあの感じがよみがえる。気違い兄貴のやつ、引っ越したら、一日も鳴らしてないのな。気違い兄貴のやつ、引っ越したら、一日一分もならしてないのな。あの音が普通の音だというのであれば、鳴らせばいいだろ。どうして、「よそ」に行くと「いい子」になって鳴らさないんだよ。あれ、ほんとうに、「つもり」がなかったんだろうな。親父とおなじしくみで、頑固にやり切ることができれば……勝ち続けてやることができれば……まったくやってないのとおなじ気持ちになれたんだろうな。もちろん、鳴らしているときは、ガンガン鳴らすわけで、こっちがどれだけになにを言っても、鳴らし続ける。あれで、「やってないつもり」なのか? 「たいして鳴らしてないつもり」なのか? だから、そういうことだから、俺がこまりまくったんだろ。うんころさん(仮名)が「ちがうと思う」なんて言っているからな。他人してみれば、そういうことなのだろう。ほんとうにどれだけの違いがあるか。ヘビメタ騒音を最低でも中学三年間、高校三年間の計六年間、毎日ずっと、午後一一時一〇分までやられたやつでなければ、わからない。ほんとうの「体調」なんてわからない。ほんとうの「朝の状態」なんてわからない。ほんとうの「日頃の状態」なんてわからない。どれだけ、からだが悲鳴をあげていたかなんてわからない。実際、気違い兄貴がやったことで、その人たちがやったことではないので、特にうらみはないけど、「ちがうと思う」というのは「ちがうと思う」な。俺だって、ヘビメタ騒音が中学三年間、高校三年間の計六年間毎日、鳴っていなかったら、貧乏から抜け出して、年収一〇〇〇万以上稼げたよ。ぼくにはそういう才能があったから。

   *   *   *

親父になしを一個あげたら、半分に切って、台所の台の上においておいたみたいなんだよな。半分は食べたのだろう。それは別にいい。けど、ラップもかけないで、切りっぱなしのやつをそのまま、台の上に置くかな? 冷蔵庫に入れるだろ!普通。実は、仏様のところに、のせるためになしを二個買って、一個あげたんだよ。で、ま、あ、結論から言うと、ネズミがまた来た。「だから、そういうえさになるようなものを置いておかないでくれ」と言っているのに、わかってないなぁ。二カ所ふさいで、完璧な防御だと思ったのに、まだ、穴があったのかな? 実は、柿も買ってきて、お母さんの写真のところに置いておいたから、こっちも食べられた。ネズミに! 奮発して果物を買ったのに。こっちは、もちろん、ちゃんと皮がついている柿。

   *   *   *
ヘビメタの「あの感じ」ない。どれだけ言っても、兄貴や、ぼく以外のひとにはわからないのだけど、あれはない。あんなのが何千日も続いて、勉強ができるわけがないんだよ。鳴っている時間、勉強ができるわけがない。あの押しつぶされた、発狂的な気持ちはない。憂鬱と怒りが混じり合ったあの感じはない。毎日、やり過ごすしかなかったけど……殺すわけにはいかないから……やりすごすしかなかったけど……どれだけ、どれだけ怒鳴り込んでも一分だって本当には静かにしてくれないから……やりすごすしかなかったけど……やりすごせなかった。結論から言えば、「やりすごす」ということができなかった。毎日、「超過」が出た。やりすごせない分が残った。それが入学試験までに堆積して、鳴っている最中の「いかんとも言いがたい気持ち」になった。あの状態はない。あれはほんとうにきつい。あれがなかったら、俺は、ほんとうに貧乏から抜け出して、年収一〇〇〇万ぐらい稼げた。だいたい、「引きこもり」日記を書いているからぼくが、……なんて言うのかな?……コミュ障だと思っている人が多いのだけど……そうじゃない。ヘビメタ騒音が鳴っている時期ですら、友達はたくさんいた。人間関係は充実していた。けど、無理があったんだけどな。その無理というのは、ヘビメタ騒音から出てくる。だから、それが積み重なっていく……。これも積み重なっていく。ヘビメタ騒音が一二年一三年……と続いて、ぼくが社会に適応できないからだになって、社会から離脱しようと思ったから「ひきこもり」状態になっているだけで、ほんとうは、ぼくは社会スキルがある。人間関係上のことも、相手が精神異常者でなければ、ヘビメタ騒音歴一二年目あたりまでは、普通にうまく行ってた。

   *   *   *

ほんとうに、さっきも、自分の部屋で立っていて思ったけど、あの感じはない。あの状態でのヘビメタ騒音の連続は……ほんとうに、すべてを破壊した。あんなこと、やられて、いいわけがないだろ。だれも経験してないから、わかってないだけだ。自分の経験から「騒音状態」を想像するしかないから。けど、それは、ほんとうに午後一一時一〇まで毎日、何年間も続いたものなのか?という問題がある。あの音のなかで勉強できるわけがない。気にしないで立っていることはできない。ヘビメタ騒音を浴びたあと、ちゃんと眠れるわけがない。けど、他のは知らないから……「『健康管理』『睡眠管理』もちゃんとできなければならない。『健康管理』『睡眠管理』は自己責任だ」と言ってくる。あんなの、無理に決まっているだろ。うんころさんも常識的な人も、みんな、ほんとうは俺とおなじことを経験してない。「経験したとしても自分は(そんなことにならない)」と思っているのは、経験してないからだ。

   *   *   *

ほんとう、俺だけの話だからな。だれにもわからない。「あの時のあれはない」なんてどれだけ言っても、わからない。けど、この三〇年、三九年はいったいなんなんだよ? あの音のなかで、俺がどれだけ苦しんだか。あれが五〇〇〇日続いたあと、俺がどれだけ、他の人から誤解を受けたか。思い通りに動けなくなったか。常に死にたいほど憂鬱な精神状態で暮らすことになったか。
まあ、こうやって、「どうにもならないこころ」を書けば書くほど、人が離れていくわけだがな。けど、あんなことを毎日普通にやられて、うらみがたまらない人なんていると思う? 自己責任?自業自得? 被害者にもかならず落ち度がある? ジコセキニンジコセキニンジコセキニン。アタマニクル。

   *   *   *
あの状態はない。あの状態はない。どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。どうしても、兄貴のヘビメタ騒音でくるしい。

2017年10月13日金曜日

「失業者」+「浮浪者」の犯罪件数は中学生の犯罪件数の半分以下


平成23年度の話しだから、平成28年度の話しとはちょっとちがう。

一般的に「無職」のイメージがあるのは、「失業者」「利子・配当・家賃など生活者」「年金・雇用保険等生活者」「浮浪者」だと思う。

「利子・配当・家賃など生活者」はいわゆる投資家と大家さんだけど、なにをやっているかわからないぷらぷらした人というイメージあるかもしれない。ネオニート(株・FXなどで生活をしている人?)は「利子・配当・家賃など生活者」に入るんだろうな。「利子・配当・家賃など生活者」はぷらぷらしているイメージがあるけど、177件と犯罪件数が少ない。やはり、金があると犯罪者になりにくいのか。(まあ、母数が少ないと思うけど)。

「利子・配当・家賃など生活者(177件)」「年金・雇用保険等生活者(27389件)」は、いわゆる無職っぽい無職からははずしておくほうがいいかな? 「無職でぷらぷらしている人」が犯罪を犯すというイメージがあるけど、やはり、ほんとうはそうではなかった。浮浪者と中学生をくらべてみろ。


浮浪者3618件、中学生25728件だ。高校生は30403件、主婦は11249件。失業者7211件。
浮浪者は3618件、中学生は25728件だ。どちらが多いか一目瞭然。

さらに、無職のイメージが強い失業者の犯罪件数をたして考えてみよう。失業者7211件と浮浪者3618件をたして、10829件。

これは、中学生25728件の半分以下だ。高校生の約三分の一。

失業者と浮浪者の犯罪件数は10829件、主婦の犯罪件数は11249件で、主婦のほうがわずかに犯罪件数が多い。無職としてのイメージが強い「失業者」と「浮浪者」の犯罪件数を足した犯罪件数のほうが、無職としてイメージが弱い「主婦」よりも少ない。主婦に「犯罪者予備軍」として警戒され、嫌われている?失業者や浮浪者のほうが、実は、主婦よりも犯罪件数が少ない。


もっとも、これは、検挙された数だから、母数を見てないと割合はわからない。しかも、人数じゃないから、これだけでは、無職者全体の何パーセントが犯罪者なのかわからない。有職者全体の何パーセントが犯罪者なのかわからない。

無職の中の分類が案外細かくて、好感が持てる。
PDFなので、注意。

http://www.npa.go.jp/archive/toukei/keiki/h23/pdf/H23_04_5.pdf

http://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/index/seido/shokgyou/21index.htm



この統計では、主婦と学生は無職に分類されているけど、普通は、主婦と学生には「無職のイメージ」はない。無職、学生、主婦は、別の項目として分類されていると思う。

「小人閑居して悪をなす」とか「無職は暇人だから、犯罪を犯しがちだ」とか「働いていたひとが、無職になるとお金にこまって、犯罪を犯す」とか「無職でぷらぷらしているひとが、犯罪を犯しがちだ」とか「無職は、社会とつながってないから犯罪を犯しがちだ」というようなイメージがあるが、実際にはちがう。

会社を辞めて、無職になったタイプの無職は、「失業者」「年金・雇用保険等生活者」「浮浪者」だ。「失業者」はその名の通り、会社を辞めて、無職になっている人だし、「年金・雇用保険等生活者」は主に定年退職して、無職になっている人だし、「浮浪者」もたぶん、もとから無職なのではなくて、むかしは働いていたけど、働くのが嫌になって会社を辞めて、浮浪者になっている人がほとんどだろう。(これは、エビデンスなし)。

「年金・雇用保険等生活者」の犯罪検挙数は27389件とけっこう多い。たぶん、母数が多いからだろう。しかし、高校生の30403件よりも少ない。高校生は、高校一年生、高校二年生、高校三年生のいずれかに属することになる。一方、「年金・雇用保険等生活者」は、だいたいの人が六五歳以上といった感じで、年齢に幅がある。つまり、母数の数が多いのではないかと思う。

ともかく、「高校生」や「中学生」よりも「年金・雇用保険等生活者(中核は定年退職者)」のほうが検挙数が少ないのだから、「社会から切り離された」から、あるいは、「孤独な生活をしている人が多い」から、あるいは、「ひまな生活をしている人が多い」から、犯罪を犯しやすいとは言えない

高校生は、平日は学校に通って人に会うのだから、そういった意味では、孤独な人は少ない。学校にいるあいだ、内気でだれとも話さない学生もいるだろう。しかし、平日は学校に通っているのだから、社会から切り離されているとは言えない。にもかかわらず、「失業者」+「浮浪者」の検挙数よりも、高校生の検挙数のほうが約三倍も多い。


「無職でぷらぷらしているひとが、犯罪を犯しがちだ」とか「無職は、社会とつながってないから犯罪を犯しがちだ」というようなイメージは、実態を反映してない。単なるイメージである。


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重要なのは、無職の中核的なイメージを持つ人たち(「失業者」「浮浪者」)の犯罪件数が、中学生の犯罪件数、高校生の犯罪件数、主婦の犯罪件数よりも、少ないということだ。

「失業者」「年金・雇用保険等生活者(中核は定年退職者)」「浮浪者」は、仕事との関わりで無職と言われることが多い。つまり、「働いていたのに、無職になった人たち」だ。そうすると、労働から離れたから、「犯罪を犯す」というようなイメージができあがる。しかし、いままで見てきたように、突出してたかいということはない。むしろ、「その他の無職」を入れなければ、犯罪件数は少ないと言える。


やはり、無職と言っても、犯罪が仕事になっている人たちが多いな。
あと、学生が案外多い。

2017年10月12日木曜日

等身大アニメドールからちょびっツ・ちぃまで、あと一〇〇年

そういえば、等身大アニメドールだけど、いつになったら動くんだろうな。五〇年先なら、普通に動いて、普通に話せるようになる感じがする。まあ、いまも、総力を挙げれば、そういうものもできるんだろうけど、個人が入手可能な範囲を超えているし、受け答えももうちょっとAIが進まないとだめだろう。(満足がいくものにならないだろう)。一〇〇年したら、ちょびっツ・ちぃのようなパソコンが普通に動いているかもしれないな。もっとも、ああいう感情はない。AIは、感情は持たない。どれだけ時間が経っても、感情は持たない。ただ、感情をあたかも持っているかのような反応をすることは、できるようになるんだろうと思う。

メイドロボはほしいよ。

ドクターペッパー買ってきて。


まあ、ほんとうは、ドクターペッパーをセットで買ってしまった方がいいんだけどな。アマゾン通販で。ただ、たくさん置いてあると飲んじゃいそうなんだよな。一日に一本しか飲まないという決まりを守れるかどうか、自信がない。

そういえばドールの人たち(愛好家)は、やってもらうんじゃなくて、やってあげるのが楽しそうだな。世話をしている感じだからな。まじでペットを飼っているような労力なんだろうな。ぼくは、やってほしい。世話をしてほしい。世話をしてあげるんじゃなくて、世話をしてほしい。俺の代わりに、なにかつくってほしい。俺の代わりになにかを買ってきてほしい。俺の代わりに通販受け取り対応をしてほしい。

方向性が違うな。

   *   *   *

ドクターペッパー 買いに行くから、背中を押して!!
たのむよぉ~~
近くの販売機まで行くのもけっこうたいへんなんだよ。
まず、着替えなきゃならないだろ。

ほんとう、ドール愛好家のエネルギーはどこから出てくるんだろうな。撮影旅行に行く体力や気力がうらやましいっす。

おれ、ほんとう、ヘビメタやられてから、どこに行くのもくるしいんだよ。だれにもわからないのだろうけど。体験としては、だれにもわからないと思うけど、ほんとうにヘビメタ騒音以降、どこに行くのもくるしい。

   *   *   *

ドクターペッパーを買ってきた。近くの自動販売機で買ってきた。住宅地を歩いて、いつも思う。『気違いヘビメタ騒音みたいな音で音を鳴らしているうちがない』『うちだけが、あのデカイ音でヘビメタ騒音が鳴っているうちだった』。どこを見ても、どこを歩いても、兄貴のようにヘビメタを鳴らしている人がいない。どこを見ても、どこを歩いても、兄貴のように音楽を鳴らしている人がいない。幼稚園生が騒いでいるけど、幼稚園生の絶叫どころじゃない。音圧がちがう。音の密度がちがう。音の大きさがちがう。俺の部屋を中心にして考えた場合、幼稚園生の絶叫どころじゃないのである。ヘビメタ騒音。

どこの家も、あんな音で鳴らしてない。気違い兄貴だって「よそのうち」に行ったら、一日に一分も鳴らしてない。気違い兄貴がゆずった音が、どこで鳴らしても、たいしてでかくない音だというのであれば、鳴らせばいいんだよ。

新しい家族がこわくて、ならせない。マンションの隣の部屋のひとがこわくてならせない。けど、うち」なら、どれだけ鳴らしたっていいし、『文句を言ってきたら文句を言ってきた方が悪い』のである。こういう感じ方がある。そういう感じ方がものすごく強い。理性、意識をこえて、そういう感じ方がある。

だから、どれだけ、でかい音で鳴らしても、一日の中でどれだけ長い時間鳴らしても、どれだけ「うるさいからやめろ」と文句を言われても、人生の中でどれだけ長い期間ならしても、自分は絶対に鳴らす権利があるから、絶対に鳴らすという意気込みで、鳴らした。

それで、「つもりがない」「やってない」「知らない」だからな。どれだけ頭がおかしいか。「うちでなら」普通にそういうことになってしまうのである。毎日毎日、兄貴が小さいときからずっと親父が押しつけたことがそういうことだから「うちでは」それであたりまえで、(文句を言う方がおかしい)という感覚が無意識的に成り立っている。

一度、そうなったら、……そういう感覚で、やり始めたら……絶対の意地で全部やりきるのである。どれだけ、普通のうちではやれないことでも、「うちでなら」全部が全部自分が思ったようにやって、……やれてあたりまえなのである。何度も言うけど、『文句を言ってくる方がおかしい』『文句を言ってくるやつがまちがっている』という気持ちしかない。『言われたら』必ずそういう気持ちになって、怒って怒って、怒って怒って、意地になって意地になって、鳴らす。やりきる。

で、兄貴はそうやって鳴らしてた。親父も、そうしていた。親父はヘビメタ騒音じゃない。他のことでそうしていた。他の複数のことでそうしていた。兄貴は、『ヘビメタ騒音でそうすること』を選択して、ヘビメタ騒音を鳴らした。ヘビメタ騒音に関しては、そういう気持ちが成り立っているから、どれだけなにを言われても、なにも反省しない。

「あたりまえ」だから。だから、どれだけなにを言われても、「やったつもり」がしょうじない。けど、気違い的な意地ですべての時間、自分の気持ちがすむカタチで(つまり、自分が満足できるどデカい音で)鳴らす。で、自分が満足できるデカい音で、すべての可能な時間鳴らすことができれば!! ……「そんなのぜんぜんやってない」ということになる。

そういう気持ちになる。

おなじ。

全部自分が思ったとおりに、相手が言っていることを無視して、やりきることができたから、『自分は一切合切関係がないつもり』でいられる。『そんなの知らない』のである。どれだけ言われたって『そんなの知らない』という状態が持続する。ほんとうにウソでなく、『そんなの知らなかった』というような認知が成り立っているのである。こんなもの、認知症よりひどい。

特定の事柄に関しては……絶対にゆずりたくないことに関しては……頑固にやり切って……一〇〇%頑固にゆずらずにやりきって……まったくやってないつもりでいられる。やっているときに、相手に文句を言われても、文句を言われたときだけ、怒って、あとは忘れてしまう。

『つもりがない』『知らなかった』ということになってしまう。『知らなかった』ということを言わなければならないときは、自分がやったことを認めると、自分の立場が危うくなるときなので、おなじしくみで否定する。

やっているときは、もう、ほんとうに頑固に、怒り狂ってやりきる。「

やめろ」と言われたら、怒り狂って、やりきる。

言葉はないけど「やりくるう」。おなじしくみというのは、やっているときとおなじしくみだ。やっているときは、自分がデカイ音で鳴らしているということを認めると、自分の立場が危うくなるので、絶対の意地でそういうことには気がつかないでやりきる。そういうことというのは、実際に自分がよそのうちじゃ一分だって鳴らせないようなどでかい音で鳴らしているということだ。

だから、永遠に認めないままやる切ることができるのである。やり終わったら、『そんなの知らない』『そんなのやってない』とまじで、いいわけができる状態になる。そういう意識になってしまう。

やってるときは、もう、意地になってやるわけで、絶対に、認めない。ゆずるわけがない。やっているのにゆずるなんてことはあり得ないんだよ。一分だって一秒だって。そういうしくみなんだよな。やっているあいだじゅうずっとそういうしくみが成り立つから……毎日毎日、やってないつもりのまま、やられ続けることになる。

どれだけ、言ったって、怒鳴り込んだって、説明したって、気違い兄貴が考えていることはかわらない。気違い兄貴のモードはかわらない。だから、絶対の意地で、やりきる。気違い兄貴にわかりやすいように言うと、『親父モードで』やりきる。『親父とおなじやり方で』やりきる。

気違い兄貴は、親父とおなじなので、自分がそうしているということは、一〇〇%どれだけ、言われたって、気がつかない。気がつかなければ、普通に、(よそじゃ絶対にできないことを)やり続けることができる。

『知らないまま』やり続けることができる。

そういう異常な状態だ。

うちでは、そういう異常な状態が、常に成り立っている。だから、異常な状態こそがノーマルな状態なのである。だから、そんなことは、他の人にはわからないから『お兄さんに言えばいい』などということを俺が言われる羽目になる。『言わないからダメなんだ』みたいな説教を食らう羽目になる。

『言った』と言ってもそういう人は、認めない。

どうしてなら、そういう人は兄貴みたいな人がいないという世界観をもっているからだ。「いる」という世界観は、その人にとって不愉快極まりないものなのである。だから、「いる」と言っている俺に、『不愉快な気持ち』を持つことになる。

そういうことも含めて、俺が世間の人とやりにくい状態を作っているんだよ。兄貴は!! こだわりつくして、やったから。実際に、あの音のでかさで、あの時間の長さ、あの期間の長さ、ああいう態度で、毎日毎日やり尽くしたから、そういうことになる。

   *   *   *


それが一〇年、一一年、一二年、一三年、一四年続けば、働けなくなるのだけど、働けなくなるということを認めない人たちがいる。その人たちからみると、「俺がいいわけをしている」ようにみえる。「ほんとうはできることなのに、できないと甘えたことを言っている」と思われる。けど、その人たちは、俺とおなじ期間の長さ、ヘビメタ騒音を経験したわけではない。これがどういうことだか、わかるか?

*   *   *

あと、一〇〇年経ったら、俺も兄貴も、親父も「俺に説教をした人」も、みんな死んで過去の人になるんだろうな。『ヘビメタ騒音』なにそれ、という時代が来るんだろうな。というか、ヘビメタに関しては、もう、大半の人が「なにそれ」という状態だ。

気違い兄貴があんなものに凝らなければ……ぼくの人生はまったくちがったものになっただろう。あ、れ、ぜんぜんわかってないんだよな。親父のようにまったくわかってない。親父は、自分が子供にしたことはまったくわかってない。気違い的な意地でやったことはまったくやったことになってない。これ、「うちにいるあいだは」ずっとやったことなんだよ。十年以上、毎日普通のこととしてやったことが、ぜんぜんわかってないとか、どんだけ異常なんだよ。

自分が、なんて言うのかな?? ほんとうに発狂的な意地でやり通したことが、まったくやってないことになっているんだよ。どういう態度で子供に接していたか、まったく記憶がないのとおなじ状態なんだよ。あれだけ、わけのわからないことで、ケチをつけて、はちゃめちゃに怒り狂っていたのに、そんなのぜんぜんしたおぼえがないという状態なんだよ。

やっているときからそうなんだよ!!

これ、普通の人にはまったくわからないのだろうけど、そして、親父には普通の人以上にかわらないのだろうけど、ほんとうにね……「なんでそういうことにこだわるんだ?」「なんでそういうことで怒り狂うんだ?」と思うようなことで顔を真っ赤にして怒り狂って、やる。やりきる。それで、やりきったら忘れてしまう。「やってない」ことになってしまう。

「どんだけの意地でやったと思っているんだよ!!」とこっちが発狂したくなる。つ・ね・に! うちではそうだったんだよ。そういう態度で、わけのわからないことで、怒り狂っていた。

これも、『親が理由もなしに怒り狂うはずがない』なんて、常識的でのんきなことを言う人がいるんだよ。というか、俺が『ぼくの父親は理由がないことで怒る』と言ったときに、たいていの大人はそういう反応をした。親戚の人、幼稚園の先生、小学校の先生、全部そう。中学校のときには、もう、言う気をなくしたよ。

これ、ほんとう、教師をやっているやつらは『認めない』な。常識的な家庭で育ってきた人は、認めない。「そんな人はいるわけがない」ということになっているらしい。「そんな親はいない」「(あなたが)小さいから、親が怒っているほんとうの理由がわかってないのではないか」ということを言ってくる。そんなんじゃないのに……。どれだけちがうか……。

   *   *   *
ヘビメタ騒音にやられて、願書を持って電車に乗っている俺が浮かぶ。あ~、本当にくるしかった。どうしてもくるしかった。どれだけ言ったと思っているんだよ?

   *   *   *

ほんとうにむなしいな。
これはやばい。

この雰囲気はやばい。
いまの体調は、昨日の夜にくらべればましだ。

けど、精神的には、不安定な状態になっている。ようは、希望がない。
つまんない。らちあかない。ヘビメタ騒音がはじまった日からずっとくるしい。これ、ヘビメタ騒音の夜の雰囲気だよ。死にたい。むなしい。いや、死にたくはない。けど、むなしい。


注)『ちょびっツ』は、CLAMPによる日本の漫画およびアニメ作品。
注)ちぃは、『ちょびっツ』の登場人物(ロボット、オートマトン)。(登場人物と書いて、人ではないよなと思ったけど、人のような存在はすべて人物と書くことにする)。

2017年10月11日水曜日

わりと落ち着いていてこれだよ

いやーー、これ、いい状態でこれなんだよ。
昨日よりずっと調子がいい。昨日はほんとうに、くるしかった。
それなのに、こんな破綻破滅したあとの状態。「あの時はない」「あの時の気持ちはない」とずっと思っている。入学試験の前日、前々日にヘビメタ騒音が鳴っていたときのあの気持ちはない。

ほんとう、わりと落ち着いていてこれだよ。
いったいどれだけ時間が経ったか。けど、かわらない。やはりくるしい。

松居一代氏と船越英一郎氏の話

他の人のブログを読んでいたら、松居一代氏と船越英一郎氏の話が出てきた。これ、なんだかもめているみたいだけど、どういうことなのか知らなかったから、ちょっと、調べてみた。基本的には、「船越さんがかわいそうだな」と思う。おそろしいな。けど、『つもりがないヘビメタ騒音』のほうがずっと恐ろしいよ。きちがい兄貴よ! よその家で一分もならないのは、やっぱり、『離婚がこわい』とか『よその家だと、悪いところは見せられない』という気持ちがあるんだろ。あんな音で、鳴らしたら、一日で、離婚だよ。それにしても、よそではずっと、一日中我慢できるのに、うちでは、弟が入試だろうがなんだろう一分も我慢しなかった。そして、『つもりがない』んだからな。そして、『静かにしてやった』とまじで思っている。松居一代の恐ろしい復讐よりもずっと、ずっと恐ろしい復讐だよ。兄貴は頭がおかしいんじゃない。親父にやられてすっかり頭がおかしくなっている。「うちでは」どれだけやったっていい……問題ない……『静かにしろ』と言ってくるほうがおかしい……こういう思考法だからな。うちにいる間はずっとそういう思考法で通したんだよな。だから、まるで、悪気がないんだよな。まるで悪いと思ってない。まるで、迷惑行為をしたと思ってない。まるで、弟の人生を破壊したと思ってない。自分が一日でも『他の音で』やられたら、わかるよ。おまえ、どれだけ破壊的なことか!! ほんとーーに、なにも感じてないんだよな。悪いと思ってない。毎日、一秒もゆずらないで、頑固に、弟の勉強時間を破壊して、弟の生活全体を破壊して、それを、一〇年、一四年毎日、土曜も日曜も祝日も繰り返して、それでまったくなにも思ってない。感じてない。これが、兄貴の正体だ。で、親父とおなじなんだよ。兄貴だって親父にやられてわかっているだろ。親父が意地を張ってやったことは、親父はまったくなにも気にしてないというのがわかっているだろ。兄貴と親父はお・な・じ。どこまでもおなじ。やったあとの態度もおなじ。しつこくしつこく、毎日毎日、頑固に願にやりきったことに関する認知がおなじ。「そんなんじゃない」「やってない」「ゆずってやったゆずってやった」だ。こんなの頭がおかしいだろ。親父に一回でもやられたら、どれだけ兄貴が腹を立てていたと思っているんだよ。兄貴は、親父がやったことのまずさがわかっている。兄貴は、親父の態度全体が、どれだけ、腹立たしいものなのか、兄貴はわかっている。けど、毎日毎日、親父の態度で、こだわりつくしてやったことに関してはまったくわかってない。親父とおなじ認知だから。まったく、悪気がないままなんだよ。その、『悪気がないつもりでいる』というのが、こっちにとっては、どれだけ腹立たしいことかわかってるよな。一回やられただけで一日中腹を立てているのに……むしゃくしゃして、どうにもならない気持ちになるのに……。自分が、弟に、きちがい親父と同じやり方で『騒音』をおしつけた場合は、ぜんぜん、気にしない。親父と同じように気にしない。

気違い兄貴が、普通に午後四時から午後一一時一〇分まで、鳴らしていたときの、きちがい親父換算の回数は、一万回。親父と一回ふれあうと、気違い兄貴は、一日中、怒っていたけど、俺は、気違い兄貴のヘビメタで、一万日分の怒りを感じていたね。

そりゃ、そうだろ。ぜーーーったいに、やめないわけだから。

親父とおなじでぜーーーったいに意地を通す。音のピーク一回が、親父の怒り狂い一回とおなじだ。騒音は、気違いが、気違いの意地を通して、怒り狂っているような状態なんだよ。怒りを「こっちに」ぶつけているような状態なんだよ。ハンダゴテで、兄貴が一回こまったとき、兄貴は一日中怒っていたけど、ヘビメタ騒音一分のなかに一〇〇回分の怒る要素」が含まれている。「ヘビメタ騒音、あるいは、ヘビメタ騒音のピークの音を、がんがん、押しつけられた。ハンダゴテの押しつけと、ヘビメタ騒音の押しつけは、おなじだから。

これ、態度とか認識が全部おなじなんだよな。気違い兄貴言っておく。気違い兄貴の態度は、親父との態度とおなじだから、ヘビメタを鳴らしているあいだじゅうずっと、自分の気違い的な感覚を押しつけている。

どれだけ言ったって聞かないからな。聞かないから、わからない。本人は〇回だと思っている。思っているだけだけどな。押しつけたつもりなんてまったくないわけだから。じゃ、ほんとうにゆずってくれるのかというと、それは、ぜーーったいにない状態なんだよ。

一ミクロンだって、一秒だってない状態なんだよ。ほんとうにゆずるのは絶対にいやだから、気違い的な意地でやり続けているわけだから。怒って怒って、自分の意地を通して、ゆずらずにやり続けるわけだから。ゆずるわけがないだろ。

どっちが「怒りたい気持ちか」わかるか? きちがい親父がハンダゴテを押しつけたとき、きちがい親父は怒って押しつけた。怒りたいのは、兄貴のほうだった。使えないハンダゴテを押しつけているのに、「使えない」という説明は、意地になって認めない。絶対の意地で認めない。(認めてしまったら、お金を出さなければならなくなるので、親父には、意地になって認めないだけの理由があった。理由がないわけじゃないのである。

で、普通なら、ヒトコト言えば、わかることが、何百回言っても「わからないこと」になっている。これは、親父側の認知、親父の頭の中の出来事だから、ほんとうに、「かえられない」。本人以外のひとがかえるということが、できない。不可能なのである。

気違い兄貴も、ほんとうはデカイ音だと言うことを知っていたけど、デカイ音だということを認めてしまうと本当に静かにしなければならなくなる。

本当に静かにしてやることは、絶対にいやなことなんだよ。親父がハンダゴテ事件の時ハンダゴテを買ってやることのように、ぜったいにいやなことなんだよ。

だから、現実を無視して、絶対の意地で「わからない」という状態を保つ。そして、怒って、自分意見?自分のやりたいことを押しつける。親父の場合は、「使えるハンダゴテを買ってやらない状態」を押しつける。

兄貴の場合は「ヘビメタの音を普通の範囲でさげない(そのまま、でかい音で鳴らしきる)」という状態を押しつける。どっちも、ゆずらない。ゆずらないのだけど、「ゆずらなかった」「ゆずってやらなかった」「ゆずらずに、自分の意地を通した」という気持ちがない。「ゆずってやったゆずってやった」ということなる。

実際に押しつけているものは、親父の場合は、使えないハンダゴテであり、兄貴の場合は、静かにしてやらない音だ。けど、使えないハンダゴテでも、親父のなかでは、使えるハンダゴテなのである。

だから、「やってやった」「ちゃんとやってやった」「ゆずってやった」「譲歩してハンダゴテを出してやった」「ハンダゴテを出してやったのに、後から後から文句を言ってきてなんだ!!」ということになる。兄貴の場合は、兄貴がゆずってやった音も、カオ君がおどろくようなデカイ音なんだけど、「やってやった」「ちゃんとやってやった」「ゆずってやった」「譲歩して音をさげてやった」「音をさげてやったのに後から後から、文句を言ってきてなんだ!!」ということになる。

ほんとうは、そのゆずってやったつもりの時間も、よそじゃ一分だってやられないような爆音で鳴らしている。爆音で鳴らしながら、そう思うことができる。「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思うことができる。

そして、静かにしてやったあとに「ちゃんと静かにしてくれ」と文句を言われると「静かにしてやったのになんだ!!!」と怒り狂って、ヘビメタを元の音に戻して鳴らし続ける。もっとも、元の音に戻しても、たいしてかわらない。というか、ほとんどまったくかわらない。どっちが「より」デカイ音なのか、判別がつかない。

親父も兄貴も、まったく意味がない譲歩をして、「譲歩してやった」と心底思っている。

だから、「ちゃんとやってくれ」と言われると、怒り狂う。そうやって、自分の考え、自分の行為を押しつける。

これ、他の人にはわからないのだろうけど、ほんとうに、命がかかっている。「認めないこと」に命がかかっている。そういう意地なんだよ。「相談すればいい」「言えばちゃんとわかってくれる」なんてことはないんだよ。これ、普通の人にとっては「ヒトコト言えば、相手にだってわかること」だから、「あなたのお父さんもそうなんじゃないの」と思ってしまうのだけど、そうじゃない。普通の人にとっては「ヒトコト言えば、相手にだってわかること」だから、「あなたのお兄さんもそうなんじゃないの」と思ってしまうのだけど、そうじゃない。

   *   *   *

気違い兄貴よ。気違い兄貴は、親父のようにヘビメタを押しつけて、親父のように否定している。いまも、そのままだ。そういう感覚がずっと続いている。他の人……よその家の人……には一日に一分だってそういうことを押しつけないのに、うちでは、好きな時間、ずっと押しつけてまったくやったつもりがないという状態になっていた。そのまま、一四年と数ヶ月間……ほんとうに押し通した。毎日毎日。そして、そういう感覚が生き残っている……そういう感覚のままだから……いまだに「そんなことしてない」「ゆずってやった」と新しい家族の前で、言っている。嘘ついているつもりはあるのか?? ないのか?? たぶんないんだろうな。そういうレベルで、狂っている。そういうレベルで、親父とおなじだ。心底、そういう性格なんだよ。変えようがないぐらい、そういう人格なんだよ。「うちではな」。何度も言うけど、うちでやったことに関しては、うちの感覚が成り立ちっぱなしだから、反省なんてできない。「そんなのやってない」の一点張りだ。「やったとしても、そんなにでかい音で鳴らしてない」「やったとても、そんなにはやってない」「ゆずってやった」「じゅうぶんにゆずってやった」「できるかぎりゆずってやった」という気持ちでいる。それは、ほんとうにゆずってやったからじゃなくて、すべての時間、自分が思ったとおりの音で鳴らすことが、実際にできたからだ。正反対のことを言っている。気違い兄貴よ。もし、午後四時から午後五時までは、絶対に鳴らせない時間だったら、どう思うんだよ? そういう我慢をしたことがないだろ。一日に一分間、俺が「やめてくれ」と言ったら、強制的に一分間は鳴らせない状態になることがあったか? 弟が言ってきたから、鳴らしているにもかかわらず、一分間はヘッドホンをして鳴らさなければならなかった時間があるか? あるとして、それは、何日あった? 一日もないし、そういう時間は一日の中で一分もない。なぜか? ずっと、鳴らし続けたからだ。鳴らしているあいだじゅうずっと、一分間でも強制的に「やめさせられる」時間なんかなかった。それは、一日に一分も、静かにしてやらなかったということだ。こういう説明をしても、きちがい親父のように、怒って認めないわけだろ。で、うちにいたら、ムスーーっとした顔をして、二階にあがって、よそのうちでは一分だって鳴らせないようなデカい音で、ガンガン鳴らすわけだろ。で、そういうふうにしても、まったく、気にしなかったわけだろ。「さっき、もめたあと、ずっと鳴らして済まん」なんて気持ちには、ならなかったわけだろ。言われたことなんて、親父のように、怒った途端に忘れてしまう。「言われなかったこと」にしてしまう。だから、ぜんぜん気にしないで、頑固にずっと鳴らすことができるんだよ。言われるたびにそうなんだよ。だから、一日に二〇回、三〇回「鳴らすな」「入試だから鳴らすな」「静かにしろ」「静かにしてくれ」と言われても、ずーーっと鳴らし続けて、なにも感じない。その都度、怒って、怒った途端に、言われたことを忘れてしまう。ぜんぜん言われなかったことにしてしまう。そういうやり方なんだよ。だから、本人は本当に「つもりがないまま」鳴らし続けることができる。まったく反省しないし、自分が押しつけているつもりもしょうじない。それは、一日だけではなくて、一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日、続く。だから、五〇〇〇日、そういう意地で鳴らし続けても、「そんなつもりはない」ままなんだよ。「そんなにやってない」つもりのままなんだよ。

   *   *   *

俺が、あの時、佐藤さんに言いたいことがあるとしたら、こういうことを言いたかったんだ。「言いたいことがあるなら言え」と言われたので、当時書いた小説部分を渡した。まあ、フィクションじゃなくてノンフィクションだけど。ぼくは、ヘビメタ騒音にやられていこう、自分の文章が整理できないところがある。メールもそうだ。だから、自分が書いた文章がどこかにいってしまって丸ごとないということが発生してしまう。じつは、当時書いた(小説部分)も、いま手元にない。メールもおなじ。だから、べつに、自分がもりさんに書いたメールを隠したというわけじゃないんだ。なかった。ヘビメタ騒音一五年以降、ぼくの生活レベルはそういうレベルだ。文書管理レベルはそういうレベルだ。もりさんも、佐藤さんから「指導をよろしく」みたいなことを言われたから、あんなたいどになったんじゃないかな。もりさんとしては、「(社会経験のない無職を)指導してやっている」つもりだったんじゃないかな。
佐藤さんは、無職に関しては、おそろしいほど常識的な人で、「ずっと無職である人が目の前に存在すること」にはたえられなかったんじゃないかな。障害者には偏見がないのかもしれないけど、無職には偏見がある。ありあり。ありすぎ。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。