2018年1月18日木曜日

お金の量と感謝の量……「お金は、感謝の量だ」という考え方は正しいか?

「お金は、感謝の量だ」という考え方がある。それ自体は否定しない。しかし、そういうことが成り立たない場合もある。「お金は感謝の量だ」ということについて考えてみよう。

これは、誰かがなにかをやってくれたことに関して、お礼としてお金を払うという考えかだ。だから、お金をたくさんもらっている人は、それだけ、他の人から感謝されているということになる。「お金をたくさん持っている人は、他人から感謝された量が多いので、お金をたくさん持っているのだ」ということになる。

逆に「お金を持ってない人は、他人から感謝されることをせず、他人から感謝されることをしないが故に、お金がないのだ」ということになる。しかし、それは間違っている。行為の量に対してどれだけのお金をもらえるのかというのは、残念ながら、市場で決まる。

なので、行為の量に対して、お金の量が決まっているのかというと、決まってない。おなじ行為でも、一円だったり一万円だったりする。市場で決まるから。一行為に付き一円などと決まっているわけではないので、感謝の量の尺度にはならない。おなじ行為でも、時代によって、値段がちがう。

人件費の安い外国に工場が逃げていけば、当然、国内の労働者は、外国の労働者と賃金において競争しなければならなくなる。そして、人件費の安い国の労働者には、賃金の上では絶対に勝てない。
(『無職の現象学』を参照してください)

それから、市場経済社会だと、最初から、規模のメリットがある。規模がでかいほうが、なにをやるにしても有利だという点がある。それは、金そのものについても言える。莫大な金が集まっているところ……豊富な資金があるところは、それだけで、ものすごく有利な立場にたてる。これは、感謝の量とは関係がない。規模のメリットと労働市場における賃金の決まり方は、「感謝の量」とはまったく関係がない。

なので、「お金は、感謝の量だ」ということが成立しない場合がある。(ほんとうは、規制なども、値段にものすごく影響を与えるので、規制も関係がある。規制は感謝の量とは関係がない。規制で守られているところの料金は、総じて高くなる。なので、感謝の量に関係なく、高いお金を払うということになる)。

「お金は、感謝の量だ」ということが成立するには、対等な個人が、双方の条件を出し合って、契約した場合である。対等な個人と書いたけど、サービスの提供側とサービスの受け取り側には最初から情報の格差がある。だから、ほんとうは対等とは言えない。

まあ、サービスの供給者が多数存在して、市場において競争しているのであれば、そしてまた、その競争にかんする情報がすべて開示されているのであれば、まあまあ、対等だと言える。なので、「お金は、感謝の量だ」と言う場合、それが成り立つ場合は、対等な個人が同意した場合にのみ限られることだと言うことができる。そういうのは、案外少ない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。