2018年1月3日水曜日

それは、経験してないからわからないだけ

そういえば、昨日は外に出た。さむーーーい。さみぃーーーーー。寒かった。猛烈に寒かった。「やっぱり、冬だな」と思った。いままでは、マフラーをしていくと、歩いているあいだにあったかく感じたものだ。(マフラーでダウンコート内の熱が逃げないようになっている)。けど、昨日は、歩いても歩いても、寒いだけ。



けっきょく、食料品しか買ってない。



いやー、ヘビメタ騒音のことで、さみしかったよ。

ひとりで外出すると、自分の人生についていろいろ考えちゃうんだよな。ほんとうに、ヘビメタ騒音にやられていたときとおなじだから。これ、絶対他の人は、わからないと思うけど。気違い兄貴! どんだけ、俺が、あ・に・き・の・へ・び・た・そ・う・お・んのことで、くるしい、こころもとない状態で歩いているかわかるか? どういう気分で暮らしていたか?わかるか?? わからないと思う。



気違い兄貴にほんのちょっとでも「ひとのこころ」があって、鬼にならなければ、そういうことがわかって、エレキギターを毎日すべての可能な時間、あの音のでかさで弾き続けるなんてことはないんだよ。普通に、中間テストのとき、「静かにしてくれ」と言えば、それが通じる状態なんだよ。普通の人なら。「ひとのこころ」があるなら。親父のようにガン無視で、どれだけなにを言っても通じない。



通じないのが!!気違い兄貴だ。



ほんとうに……うちの連中はほんとうに、通じないとなったら、どれだけなにを言っても、まったく通じない。ほんとうにちょっとでもいいから、ひとのこころがあれば、絶対に通じることが、一切合切通じない。これ、いあわせたひと」じゃないわからないんだよ。「うちのなかのこと」はわからない。親父や兄貴の「うちのなかのたいど」というのは、普通の家で暮らしてきた人には、こ・ん・ぽ・ん、からわからない。これも、また、これで、「わかる要素」がないんだよな。



だから、「いえばいい」「いえば、わかってくれる」「ちゃんとやってくれる」みたいな気持ちでいる。



で、そういう判断は、俺のヘビメタ騒音問題全体に対する気持ちに影響を与える。だから、親父や兄貴の「うちのなかのたいど」が根本的にわからない人にとっては、「言わないのが悪い」とか「ほんとうにそんなひとがいるのかなぁ」みたいなことでしかない。



けど、それは、ヘビメタ騒音問題全体を誤解している。間違った認識に基づいて間違った判断をしている。気違い兄貴よ。兄貴の一五年間にわたる態度は態度は、ほんとうに、ハンダゴテ事件の時の親父の態度とおなじなんだよ。本人にとって都合が悪いことは、どれだけ普通なら「ひとこと」いえばわかることでも、命がけで!認めない。認めないということも認めない。言われたら腹を立てて、「はねのけて」それでおしまいだ。「はねのけた」(相手の言い分を聞かずに自分の行為を続行した)ということが、根本的にわかってない。



「そんなのなんだぁ!!」と怒り狂って、はねのけたら、その瞬間に、わすれているんだよ。わすれちゃう。自分が「はねのけた」ということさえわすれてしまう。瞬間的にわすれてしまう。一秒後には「そんなことはない」という認知になっている。一秒後には「相手が言ってきた」ということをわすれてしまう。



「言ってきた」ということになってないのである。



一秒後と言うよりも、「怒った瞬間に」忘れている。自分は鳴らしたいわけだから、「鳴らさないでくれ」というのは、自分にとって不都合なことなんだよ。不都合なことを言われたら、瞬間的に発狂して、瞬間的に、「相手が言ってきた」ということをわすれてしまう。



だから、トータルで何万回、何十万回言われても、「そんなの言われなかった」という認識になってしまう。兄貴の認識は「つねに」そうだよ。鳴らしているさいちゅうも、鳴らしている期間中も、鳴らしている期間を過ぎたあとも。鳴らしている期間ってあしかけ一五年間だからね。鳴らしているさいちゅうって、たとえば、いまは冬休み期間中なんだけど、冬休み期間中なら、朝の九時一五分から……遅くても午前一〇時から、午後一一時一一分までの、最低一二時間三一分だ。



これ、鳴らしてない時間は兄貴が昼飯を食べる時間(一〇分)と夜飯を食べる時間(二〇分)と風呂に入る時間(一〇分)だけだ。四〇分を抜かしてずっと、ガンガン、強烈にデカイ音で鳴らしている。気違い兄貴は気違いなので、デカイ音で鳴らしているという認知がないんだよな。じゃ、うちで鳴らしていた音のでかさで、いま住んでいるマンションで鳴らしてみろ。





ほんとうに普通の音だというのであれば、兄貴がいま住んでいるマンションでも、一日に一〇時間以上鳴らしてあたりまえだろ。実際には、いまは、兄貴は一分も鳴らせない!!



よそじゃ、ずっとヘッドホンをして鳴らしているのである。ならば、そういうことが「うちでも」できたはずなのに、できないんだよ。「うちで鳴らすなら!自分が思ったとおとりの音で鳴らしていい」「それでまったく問題がない!!」と思っていたわけで、スピーカーから鳴らすことにこだわって、こだわって、こだわって、こだわって、絶対の意地で、どれだけなにを言われても、スピーカから鳴らしてたんだよ。スピーカーで鳴らさないと「感じが出ない」というような自分勝手なな理由で、こだわってこだわってこだわって、弟の人生を破壊してしても、まったく気にしないで鳴らし続けた。



毎日毎日おなじ。



親父が気違い的な迷惑行為をして、「やめてくれ」と言われたら怒っていたけど、それとおなじなんだよ。そういう行為をやるときの「こだわりかた」もおなじなんだよ。兄貴と親父はまったくおなじ。で、そうやって、「ことにこだわって、こだわって、こだわって、こだわって、絶対の意地で、どれだけなにを言われてもやったこと」はぜんぜんやったことじゃないのである。「やった」ということを認めるだんになると、「やってない!やってない!やってない!やってない!やってない!」とこだわりつくして、言う。否定する。だから、気違い的な迷惑行為をやるときの態度と、「やった」ということを否定するときの態度がまったくおなじなんだよ。これは、親父もそうだけど兄貴もそうだ。



で、両方とも、しらばっくれて、まったくそんなことはしなかったと思っているのである。まったくそんなことはなかった」という認知なのである。こういうことを、「悪気なく」できる。こんなの、最悪の悪気があってもできないことなのに、悪気なく、毎日、平然とやる。やり通す。だから「やっている」のに、本人は「やってない」つもりなのである。あたりまえのようにやるけど、本人は、「やったつもりがないまま」なのである。



じゃあ、言えばやめてくれるのかというと、めちゃくちゃに怒って、こだわってこだわってこだわって、絶対にやめてくれない。途中で「おれる」なんてことはないんだよ!! 絶対の意地でやる。だから、やったのに本人は、「やってないやってない」「なんだなんだ!!」だよ。そうやって、発狂してはねのけてしまえば、それですんじゃうわけ。それは、やっているときにやめろと言われて、興奮して、はねのけてしまえば、まったく気にしないのとおなじなんだよ。興奮してはねのけてしまえば、どれだけ言われたって、言われた感じがしない。言われたという認識がなくなる。自分にとって不都合なことは、どれだげ何万回明確に、直接言われても、「まったく言われなかった」こととおなじことなのである。





これ、本人が一番わかってない。



次にわかってないのは、まったく関係がない第三者だ。うちにいるときの兄貴や親父の態度を見たことがない人は、「そんなひといるのかな?」など気楽な?感想をもらす。気楽な?感想を漏らした人は、半信半疑で半分は信じていないので、その人のなかでも、「そんなことはなかったんじゃないかな」というような感情が支配的なのである。あとは、俺のことに関心がないか、「兄貴が爆音で鳴らしていた」とか「親父が迷惑行為をした」ということに、関心がない人は、要する、どうでもいいことして、半分、疑ったままにしておく。で、「ともかく、働いてないのはケシカラン」「そんな、何年間も職歴がないなんておかしい」と思うわけだよ。ほんとうに、頭にくる。頭にくるので不愉快に思ったということが顔に出るのだろう。そうすると、そいつは「そんなことを言われたぐらいで怒って」というようなことを思うわけだよ。


気違い兄貴よ!おまえの行為を普通の人は信じないからだめだ。それは、気違い兄貴が、ちゃんと説明したのに、他の人が「兄貴の説明のしかたが悪かったから、お父さんがわからなかったんだ」と判断したときとおなじだ。ハンダゴテ事件の時「ちゃんと言えばつたわるのに、ちゃんと言わなかったから悪いんだ」と判断した人がいたけど、それとおなじだ。それから、「このハンダゴテが使えないのがわからないなんておかしい」いう考えがあるんだよ。そりゃ、見たら!!だれだってわかることだからな。「こんなの!!つかえないぞぉ!!」(そんなこともおまえはわからないのか)と思われるわけだよ。親父がバカだから、兄貴がそういうこともわからないバカだと思われる。気違い兄貴よ!! おまえは、親父の態度で!ヘビメタを鳴らして、親父の態度で!ヘビメタを音で鳴らしたということを否定して、毎日、俺にそういう思いをさせている。親父の判断や親父の態度が、普通の人にはわからないように、普通の人には、兄貴の判断や兄貴の態度がわからない。まるで「言わなかったから悪いんだ」というようなことを言ってくるやつがいる。言わなくても、そういうことを思うやつがいる。そういうやつらは、悪い人ではない。けど、こっちが、責められるような立場で接することになると、俺にとって悪いひとになるんだよ。責められるような立場というのは、何十年も働いてないとかそういう立場だ。けど、そういう人たちだって、俺とおなじようにヘビメタ騒音を一一歳から二五歳まで毎日やられれば、俺とおなじ状態になって働けなくなる。それは、経験してないからわからないだけ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。