2018年2月10日土曜日

『記憶にすぎない』というわけではない

過去の経験があるから、『過去は関係がない』なんてことについて、議論できる。人間というのは、幼児期に母国語の骨格をおぼえる。人間は、適切な時期に、母国語の言語シャワーを浴びないと、母国語さえ話せるようになれない。

狼に育てられた子供は、最後まで、ちゃんとした言葉を話すことができない。もちろん、『過去』というような抽象的な言葉を用いて議論するなんてことはできない。

過去、幼児期において、適切な言語シャワーを浴びたから、母国語で、抽象的な言葉を用いて、抽象的なことに関する議論ができるようになる。

これは、とりもなおさず、『過去が影響している』からだ。現在の言語能力に、過去の経験が影響しているからだ。

過去の影響がなければ、言語を適切に操ることすらできないのである。「いまここ」という考えにこだわる人は、実は、効率主義者なのだ。だから、効率が良いか悪いかが、物事の価値判断の基準になる。「いまここにフォーカスして、できることをやるほうが良い」というのは、そのほうが効率がいいからだ。

過去のことにこだわるよりも、できることが増えるのだから、今もっているものでできることにフォーカスした方がよいと考えているだけだ。それは、それで、一理ある。

しかし、それですべてを説明することはできないし、「過去は現在に影響を与えない」ということもできない。「トラウマなんかない。トラウマなんて存在しない」と言うことは、できない。

しかし、「いまここ」にこだわる人は、『過去は現在に影響を与えない』などと言ってしまう。『過去は記憶の中にしかない』などと言ってしまう。

言語能力を培ったというのは……そしてまた、いま現在!母国語を自由に操れるというのは、過去の学習の結果なのである。そして、現前している言語能力は、いわば身体機能として言葉を使って考えるということを可能にしている。

個々の過去の経験だけが、記憶として頭の中に貯蔵されているだけならば、能力としての言語機能は発達しない。つまり『記憶にすぎない』というわけではないのだ。すべての過去の記憶をたしたものが、現在の言語能力を作り出すかというとそうではないのだ。

記憶というのは、記憶にしかすぎないという言い方もできるけど……それは、記憶の記憶性だけにこだわった言い方で……実際には、実際の経験を通して、記憶以上のものを獲得している。そのひとつが、言語能力に他ならない。

現在の言語能力は、けっして、過去と関係なしにぽっとできあがったものではないのである。過去のすべての記憶プラスアルファなのである。おなじことを別の言葉で言うと「記憶の全体ではなくて、能力がプラスされている」ということになる。すべての記憶をたしても、現在の言語能力にはならない。記憶だけにこだわるから、過去は記憶にしかすぎないという言い方になるのだけど、過去の経験と過去の学習には、記憶そのもの以上のものがあるのだ。

最初の話しにもどるけど、母国語ですら、適切な時期に適切な量の言語シャワーを浴びないと身につけることはできない。言語能力がなければ、「(自分は)日本語を話すことができない」ということを適切に言うことはできない。これは、重要な問題だ。



   *   *   *

にしても、ヘビメタ騒音できつい。気違い兄貴は、「あ・れ」を無視してやったのか。あれを鳴らしていたとき、「ゆずってやったつもり」だったのか? 頭にくるな。入試一ヶ月前の午後八時の騒音が、どんだけこたえたか? そのあとずっと続くわけだけどな。どれだけ俺が兄貴の部屋に怒鳴り込んだと思っているんだよ。あんなにデカイ音で鳴らし続けて、本当にゆずってやったつもりだったのか? 静かにしてやったつもりだったのか? 本当に、頭がおかしい。それなら、静かにしてやったつもりの音で、いま住んでいるところで鳴らしてみろ。一〇分で、苦情がくるから。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。