2015年11月19日木曜日

やりたくないことリストについて考えることについて考えてみた

よくある、やりたいことリスト、やりたくないことリストについて考えてみた。
病気などで寿命が宣言される。たとえば、あと二年しか生きられないとしたら、あなたはなにをやるか? おカネの制限をなくす。なんらかの幸運に恵まれて?おカネは、好きなだけ持っているとする。おカネは持っているのだけど、寿命があと二年だったら、なにをするか?

おカネはあるが、寿命が少ない……こういう状態になった時、なにをやって、なにをやらないか? 自分の場合はどうだろうか? 寿命が二年と、一〇年では違うよな。けど、寿命は、あと五〇年とか、そのくらいでは、かなりの高確率で……天国に行ってしまう。寿命、あと五〇年と、寿命あと二年では、だいぶ違うよな。けど、きちがいヘビメタの「雰囲気」が消えない。これは、薬でも消えない。基本的に、ヘビメタ騒音でさまざまな問題が生じている。人生上ものすごくでかい問題が生じている。その、「人生上ものすごくでかい問題」というのは、俺にとって、問題だということだ。他人は、知らない。他人が、「ヘビメタ騒音問題」をどういうふうに考えるのかは、知らない。無視していいだろう。けど、どうなんだろう、無視していれば……そんなことは、考えることすらないのに。ヘビメタ騒音問題について他人がどう考えるのか、気にしてしまうところがある。それは、問題だ。どのみち、きちがいヘビメタ騒音にさらされ続けてたのは、僕なんだから。


ヘビメタ騒音がなかった人たちが、あげる、やりたいことリスト、やりたくないことリストを見ると、なんとも言えない感じがするんだよな。特に、やりたいことリストは、なんとも言えない感じがする。「俺もそうだよ」という感じと「俺がやったとしても楽しくないだろう」という気持ちが、混在する。たとえば、旅行だ。東欧やギリシャには行ってみたいと思っている。

しかし、じゃ、おカネの制限がなくなったとして、行くかというと、わからない。それほど、やりたいことではないのかもしれない。おカネの制限を抜かすというのは重要な事で、おカネの制限を抜かさなければ、「やりたいことリスト」について考えるということも、まるで意味がない事になってしまう。それは、実際には、おカネの制限がいかに大きいかということを意味している。……もし、おカネが使っても使っても使い切れないほどあったら、なにをするかということだから。

だから、実際には、おカネの制限があるので、やりたいことリストの上位にあるものをやらずにすごしているのではないだろうか。やりたくないこと……たとえば、通勤するというのがあるかもしれない。普通に毎日働く……これが、やりたくないことリストの上位にある人は多いのではないか。

しかし、おカネの問題で、やめることができない。だから、架空の話として、やりたくないことリストを考えるのは、意味があるのである。しかし、それは、やはり、架空の話だ。「もし、だったら」の話だ。実際には、寿命の方の宣言をされても、おカネが無尽蔵に出てくるわけではないので、相変わらず、「カネのしばり」が有効だということだ。だから、寿命を宣言された後も、たいして変わらない日常をすごすのではないだろうか。「カネのしばり」はあるから。

まあ、こういうのは、架空の話にしろ、「脱日常」という機会を与えている。だから、ワークショップとか生きがいセミナーでは、良い練習問題になるのだ。しかし、実際には、カネの制限はなくならない。そして、セミナーに出るにしろ、カネが必要だという現実も変わらない。なので、一服の清涼剤として機能するわけだけど、やはり、変わらない日常をすごすことになる。まあ、良い映画を見た時のような気分を味わえるというわけだ。

まあ、いいや。そういう制限はあるということだ。もしもの話で、なおかつ「カネの制限をなくした場合」どうなのかということ……。俺の場合はどうなんだろうな。ともかく、ヘビメタ騒音がでかいんだよ。これ、きちがい兄貴は……やり切ったきちがい兄貴は、まるでつもりがないんだけど、それは、自分がやりたいようにやってたから、どれだけ言われてもつもりがないままでいられたということを意味しているだけだから……。どれだけ言われたって、やっているそばから、やっているつもりではないという気持ちなのだから。やっているさいちゅう、やってないつもりでいる。で、本人はそれに気がつかない……どれだけ言ってもやめない。

だから、前にも書いたけど、旅行に行くにしろ、現在の僕の体力、体調、精神、を考えると、やったところで楽しいわけではないのだ。ここらへんが、他の人と違うんだろうな。ハッピーになれない。きちがいヘビメタが鳴っているさいちゅうの人間関係……鳴っているさいちゅうの……一五年間の人間関係……ヘビメタ騒音が鳴り終わった後の……人間関係……を考えてみても、つらいことばかりなのである。ヘビメタ騒音が鳴り終わった時、僕は二五歳になっているのだけど、一一歳から、二五歳までのあいだ……が。あいだが……。あいだが……。つらすぎる。ヘビメタ騒音歴一六年目以降……これ、どういうことだと思っているんだよ? きちがい兄貴。一日目から、やめることはできたぞ。






わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。