2016年4月18日月曜日

人はなぜ働かなければならないのか? について

人はなぜ働かなければならないのか?という問題をたてているのに、そのほかの条件の方が、働いているか働いていないかよりも、上位の条件として認められているのである。にもかかわらず、その上位の条件について、あまり考えない。つまり、上位の条件があまりにも、常識的なので、条件として無視されてしまうのである。

上位の条件というのは、年齢、性別、結婚しているかどうか(未婚か既婚か)である。働いているかいないかという条件よりも、これらの条件の方が「上」なのである。なので、人は、なぜ働かなければならないのか? という問題をたてたにもかかわらず、そこで語られるのは、「人」ではなくて、ある条件を満たした人が働かないのはおかしいという差別意識だけなのである。

常識は、相対化しておかなければならないだろ! これが、わからない人が多い。

現代の日本……この時代の日本……の「なかでの」話なんだよ。

彼らが語っているのは、現代の日本では、という条件が成り立っている。にもかかわらず、「人」という、時代性、地域性を無視した主語を使う。問題をたてるときに、「人は」という主語を使う。

しかし、ここで、語られているのは、「人」ではなくて、ある条件を満たした人は、なぜ働かなければならないのか? ということなのである。

だから、厳密に考えれば、「問題がズレている」。彼らが問題にしているのは、ある条件を満たした人が働かなければならないのは、なぜか?なのである。しかも、そういう条件に関しては、まるで、言及されてないのである。事前に、削除しているからだ。条件が成り立っているとは思ってないからだ。

彼らは、「人」と言うとき、本当に、「人」だと思っているのである。「条件なしで人」だと思っている。彼らが考えているのは、たとえば、年齢は一五歳から六五歳までの人間に限られるのである。人は、なぜ働かなければならないのか? という問題をたてているにもかかわらず、八〇歳の人間や五歳の人間は、事前に、考えのなかから削除されているのである。

男か女かについては、次の「未婚か既婚か」と関係がある。彼らが働かなければならないと考えているのは、年齢は、一五歳から六五歳までの人間であって、なおかつ男性である人間と、年齢は、一五歳から六五歳までの人間であって、なおかつ未婚である女性だけなのである。それ以外は「人」ではないのである。事前に、削除されている。考えのなかから、削除されている。

彼らのなかには「年齢は、一五歳から六五歳までの人間であって、なおかつ男性である人間と、年齢は、一五歳から六五歳までの人間であって、なおかつ未婚である女性」は働くべきだという考えがあって、その上で「なぜ、働かなければならないのか?」ということを考えているのである。

「人」ではないのである。ある条件を満たした人だけに言及されていることなのである。しかし、ならば、なぜ、彼らは、ある条件を満たした人は、除外するということを、最初にことわらないのであろうか? 彼らが除外した人は、人ではないのだろうか? もちろん、そんなことはない。彼らが、その人たちは、働かなくても良いと考えているから、事前に除外しているのである。特に意識することなく、除外してしまう。

それでは、彼らが特に意識することなく除外してしまう理由はなんなのであろうか? それは、彼らのなかに、ある一定の基準と理由が成り立っているからだ。……しかし、それは、その人の価値観でしかない。だから、本当は、明確な理由がない。ただなんとなく、そう思っているということだけなのだ。

なぜ、専業主婦は働かなくても良いか? それは、わからないのである。最初にそう決め付けたから、「なぜ人は働かなければならないのか」という問題から除外されているだけなのである。専業主婦が働かなくても良い理由は、「家事をやっている」「子育てをやっている」というようなことだろう。専業主婦であっても、子供がいるとは限らないのだけど、とりあえず、なぜだか、これもまた、子供がいることになっている。

「家事」や「子供の世話」……子供の世話も家事のなかに含まれているのかもしれないが……とりあえず、わけて書くと……「家事」や「子供の世話」は、いわゆるシャドーワークであって、お金をもらってやることではない。また、これこれの行為をする代わりにお金をもらうというような契約をするわけでもない。だから、働いても、働いていないと見なされるのだ。

本当は、人はなぜ働かなければならないのか?という問題をたてたときに、そこで言う「働く」というのはどういうことなのか?決めておかなければならない。

たいていの場合、人はなぜ働かなければならないのか?という問題を立てたときの、「働く」というのは、外で働いて、お金をもらうということなのである。だから、「人」の範囲だけではなくて、「働く」ということの範囲も、事前に決められているということになる。

「人はなぜ働かなければならないのか?」というわりと普遍的な問題をたてたにもかかわらず、色々な条件がつく。「人はなぜ働かなければならないのか?という問題をたてたときに、想定されている「働く」ということは、「これこれの行為をする代わりにお金をもらうというような契約をして、これこれの行為をすること」だ。

それ以外の行為は、たとえそれが、他者にとって有益な行為であったとしても、労働にはならない。ボランティアで食料を配るというような行為は、「働く」ということには含まれない。契約をして、お金をもらって、食料を配るというようなこと行為をする場合は、「働く」ということになる。

また、狩猟と採集時代のように、自分の食べるものを、取ってきて食べるということをした場合も、働いたことにはならない。さらにまた、畑を耕して種や苗を植えて、自分が食べるものを育てるというような行為をした場合でも、働いたことにはならない。それは、専業主婦が「うち」で働くのと同様に、労働行為とは見なされない。働いたことにはならない。

どれだけ、一生懸命、作物を育てても働いたことにはならない。「なぜ人は働かなければならないのか」という問題をたてたときに想定される「働く」ということは、「外で働く」ということであって、それはつまり、「これこれの行為をする代わりにお金をもらうというような契約をして、これこれの行為をすること」を意味するからだ。

自分が食べる作物をどれだけ育てても、働いたことにはならない。だから、「働かざる者食べるべからず」という言葉はこの点で、おかしい。成り立たない。自分が食べる作物を、他の人に与えたとしても、働いたことにはならない。お金を取らなければ、働いたことにならない。わかるだろうか?



わからない人は、「無職の現象学」を読んで欲しい!!!

無料で読んだ人~~おたのみもうす。
もしよろしければ、こういうことに関係する感想コメントを書いてください。

飢餓陣営の人たちに言っておきたい。あのとき、ぼくが言いたかったことの、ひとつは、こういうことです。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。