2016年5月1日日曜日

近代の学校は近代の行動様式を押し付けるためにある

近代の学校は近代の行動様式を押し付けるためにある

「高齢引きこもり」というサイトを運営されている二条さんの
「学校はなんのためにあるのか。」という記事に対する感想として、書いたものです。

http://www.futoko.info/zzblogd/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%80%82/


学校はただ単に、知識を教える場所ではなくて、行動様式を身につけさせる場所なんですね。まあ、価値観で染め上げるわけですよ。で、それは、近代学校制度の宿命みたいなもので、最初から、そうだったわけです。近代の学校というのは、近代の行動様式を(おしつける)ためのものなのです。

近代の行動様式というのは、主に軍隊と工場に適応したものだから、適応できない人が一定数出てくる。「人間」というのは、わりと無理をしないと、近代の行動様式に適応できない。普通の人でもわりと無理をしているところがある。だから、近代的な学校のなかで、「個性」とか言うのは、滑稽なんですけどね。一応、没個性的な個性は常に求められるわけです。それは、イデア、理想として求められているわけで、本当に求められているわけではないのですよね。

軍隊と工場において、個性を発揮されてしまったら、困るわけだから。常にそういう軋轢はある。寺子屋なんかでは、わりと個別指導でこどもの理解度に合ったものをその都度与えていくわけです。一斉授業じゃないので、寺子屋のなかにいるこどもが「同じこと」を学んでいるわけではありません。だいたい、年齢が違うからね。

で、まあ年長のこどもが小さなこどものめんどうをみるようなところもある。カリキュラムが決まっているわけではないので、「親の手伝いがあるので帰ります」というようなことにも、柔軟に対応できる。カリキュラムがあるようなでかい寺子屋もあるにはあるけど、それは、かなり特殊な寺子屋で一般的な寺子屋じゃないんだね。いずれにせよカリキュラムを決めて、同じ内容を同じ速度で勉強するというのは、近代的な学校の特徴のひとつだ。非人間的なところがあるので、わりと無理をしている。

近代の行動様式というのは、軍隊、工場、その他の職場での行動様式ということになります。寺子屋の行動様式と、近代学校制度のなかの学校における行動様式というのは、違ってあたりまえなのです。だから、寺子屋の行動様式になじんでいたものは、近代の学校にはなじめなかったという例もあります。寺子屋に限らず、武士の行動様式と、近代的な軍隊の行動様式は違います。

で、この近代の行動様式に一斉に切り替えたわけですが、そこにはいろいろな齟齬がありました。いまですら、近代の行動様式になじめないものが、いるわけですからね。まあ、ぼくも近代の行動様式になじめなかったタイプなんですけどね。

学校教育というのは、近代の行動様式を身につけるさせる場所なので、近代の行動様式になじまない人は、あんまりうまくいかないようにできてます。まあ、大学あたりで解放されるんですけどね。(一度は)。バイトをしなければ。ぼくの感じでいってしまうと、親が凸型の神経症者の場合、こどもは近代の行動様式を身につけにくくなると思います。家での行動様式と、学校で求められる行動様式が違うから。おや自体の行動様式が、めちゃくちゃだからね。こういうのは、見えないハンディになる可能性がある。

親が凸型の神経症者で、本人が凹型の神経症者になっている場合と発達障害者とでは、違うと思う。まあ、もっとも、親が凸型の発達障害者の場合、こどもが凹型の神経症者になる可能性がある。発達障害的な傾向を持っていなくても、(世間からみれば)発達障害的な傾向があると判断されるようになると思います。発達障害というコンセプトがはやっているから、ちょっとでも不適応行動があると発達障害と判断されがちなのだけど、神経症と発達障害は違うんだよね。



参考文献

試験の社会史―近代日本の試験・教育・社会 単行本 – 1983/10



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。