2016年5月3日火曜日

強迫神経症などという「不可解で非合理的な」症状が発生してしまう理由

本当に気分が「地に落ちている」。どうにもならない。あがらない。どうやって、あげようとしても、あがらない。つまらない。落ち込んでいる。つまらない。これーーー。これなんだよな。きちがいヘビメタ騒音が一〇〇日以上続いたときから、いつも、こんな気分だ。死にたい。普通の人の普通のレベルにあがらない。ヘビメタ騒音前の普通のレベルにあがらない。普通の人の落ち込んでいるときのレベルにまで、あがらない。普通の人が、なにかいやなことに遭遇して、落ち込んでいるときの気分のほうが、俺の普通の気分よりも、高い。いまの俺の気分よりも、普通の人がひどく落ち込んでいる気分のほうが高い。ひどく落ち込んでいるときの気分……がノーマルな気分になってしまったんだよな。どーにもならない。どーにもできない。
これ、ヘビメタ騒音の朝と同じだ。ヘビメタ騒音で眠れなかったときの、ひどい朝と同じだ。これで、どこかに行く用事があったら、死ぬ、という気分だ。行くか、死ぬかみたいな気分になってしまう。朝の気分が同じなんだよな。最近、昔の本を集めている。昔のアイドル雑誌とかパソコン雑誌を集めている。それを見て、つくづく思う。「俺には青春がなかった。人としての人生がなかった。全部、きちがいヘビメタ騒音にくわれてしまった」と。

これ、同じなんだよな。どれだけこころを鼓舞しても同じなんだよな。あのときずっと、こころを鼓舞して、無理矢理がんばっていた。けど、何十日も、何百日も、何千日も続いて、はてた。どうにもできない。生きているけど、ぬけがらだ。

正常な感情がないんだよな。生きていて行動しているとき、正常な感情がない。疲れ果てた死にたい気分しかない。ひどく落ち込んでいるときの精神状態しかない。

他の人にとってはどうでもいいことだけど、俺にとっては非常に重大なことだ。で、昨日も勉強ができなかったというなさけなさや、ふがいなさがある。なんとも言えない気分だ。

本当に、きちがい兄貴が、俺の邪魔をするつもりで一〇〇%の時間、ヘビメタを鳴らしたというのであれば、まだ、ゆるせる。あいつは、どれだけ言っても、何万回言っても、俺の邪魔をしているつもりが生じない。そういう、きちがい的なやり方なんだよな。で、そういうきちがい的なやり方で、自分の意地を一〇〇%通して、一〇〇%時間、なんだろうが鳴らしている……事実鳴らしているということを、認めない。一〇〇%認めない。そういう毎日なんだよな。こっちがどれだけ、つかれるか。こっちがどれだけ、そういう態度で傷つくか。こっちがどれだけ、兄貴のそういう態度で、事態が変わらないことに、ふがいなさを感じるか。他の人にとってみれば、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」ということだ。きちがいでなければ、それで済んだ。きちがいでなければ、少なくても、言われた後は、邪魔をするつもりでならすことになるだろう。邪魔をしているということを、認めなければならないだろう。けど、それが、何万回繰り返しても、まったくないのだ。数千日、何万時間ない。何十万時間か? 鳴らしたあとも、含めれば何万時間ではなくて、何十万時間か? そういうしくみなんだよな。困る。困るけど、あいつはまるで困らずに、まるで気にしないで、静かにしてやったつもりで、一〇〇%時間、九九・九%の音のでかさか、一〇〇%の音のでかさで鳴らし続ける。なので、困る。で、「困るからやめろ」「勉強するからやめろ」「明日まるまるがあるからやめろ」「明日の用意をするからやめろ」「宿題をするからやめろ」とどれだけ言っても、怒鳴り込んでも、……一日に一〇回二〇回怒鳴り込んでも、……毎日毎日怒鳴り込んでも……ぜーーーーーぇぇーーーったいにやめてくれないんだよな。で、本人は、やめてやったつもりで、ゆずってやったつもりで、邪魔をしてないつもりで、きちがい的にデカい音で鳴らし続ける。そうなると、俺の人間関係がめちゃくちゃになるわけだけど、めちゃくちゃになったあと、「ヘビメタ騒音が……」と言っても、ダメなんだよ。そういうところでは、理想論が成り立たない。まったくというほど理想論が成り立たない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音が鳴っているという日常が続いて、はてる。ごり押しで、そういう状態が続いて……「いいわけのまま」になってしまう。俺はいいわけではなくて真実を言っているのだけど、相手にとっては、もうすでに、俺が腹の立つ相手になっているのだから、そういう気持ちになる。

全部が全部、毎年毎年、そういう状態だ。きちがい兄貴のせいで毎年毎年、毎日毎日、連続的に、絶えることなく、そういう状態だ。……だから!!!つかれる!!!! まったく関係がないつもりなんだろうけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音と、きちがい兄貴の態度で、つかれているんだよ。きちがい兄貴は、絶対にゆずらないで一〇〇%、頑固に全部やり切るけど……自分が満足できる、よそでは五分も鳴らせないようなどデカイ音で、一〇〇%の時間鳴らし切るけど……つもりがないんだよな。「つもり」だけは、絶対に「わかない」のである。どれだけ何回言われても、自分が関わっている感じがしない。それとは別に、鳴らしているという感じで、まったく、くっついてない。鳴らしている自分は、関係がない自分なのである。その割には、言われたときは、頑固に、認めないんだけどな。で、こういう態度が親父と同じなんだよな。親父とまったく同じ。親父がきちがい行為をやるときと、まったく同じ。親父が、こっちがやって欲しくない迷惑行為をやるときか、まったく同じ。くりそつ。そっくり。生き写し。きちがいが乗り移っているとしか思えない。きちがい親父型きちがいそのままの状態なんだよな。きちがい親父型のきちがいと同じ思考、おなじ感じ方なんだよな。きちがい親父がその気になって、「こっちがやめてくれ」ということを、「やってやるやってやる」と言ってやるときとまったく同じ。「迷惑だからやめてくれ」と本当に、喉がかれるような声で、何回も何回も怒鳴っても、けっきょく、「やってやるやってやる」と言ってやってしまうんだよな。「迷惑だからやめてくれ」と発狂して怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って怒鳴って、怒鳴っても、やってしまう。これ、俺が怒鳴っているところだけ聞いたら、俺がきちがいみたいに思われるけど、違うんだよな。ああいうときの親父の「無視」と言ったらない。他の人は信じない。で、きちがい親父も、わかってないんだよな。わかってなさが、異常なのである。で、きちがい兄貴は、きちがい親父のこういう態度については、他の人よりわかっているんだよ。さんざんやられたからな。本当に、催眠術にかかっているように、脂汗をかいて、顔を真っ赤にして「やってやるやってやる」ってことになって、こっちがどれだけ「やめろ!!!」と怒鳴り続けても、やってしまう。で、自分としては、「やってやったから、えらい」としか感じてないんだよ。相手が「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」と怒鳴りまくっていることをやって、「やってやった」「やってやった」ということになる。「やってやったからえらい」「だからほめて」ということを言うんだよ。そういう気持ちしかない。「どんなものだ」。「なおしてやった」「手伝ってやった」……こういう気持ちしかない。頭がおかしい。相手が、「やめろ!!!!!」「迷惑だからやめろ!!!!!」と何十回も絶叫したことは、記憶にないんだよ。何十秒も経ってないのだけど、記憶にない状態なんだよな。で、「やめてくれ」「やらなくていい」「迷惑だからやるな!!」「さわるな」「(おまえは)やらなくていいからひっこんでろ!!!」と絶叫したくなることしか、しないんだよ。これが……。こっちがやって欲しいことは、これまた、やってくれない。てこでも動かないという状態になってやってくれない。で、いまのこの「やってやる」と言ってやったことや、こっちがどれだけ頼んでも「やってやらないこと」というのは、実に、小さなことなわけ。日常茶飯事の小さなことなわけ。重要なことじゃないわけ。「なら、いいんじゃねぇ」と他人は言うかもしれない。けど、これが、ハカイダーなんだよ。これが、精神のハカイダーなんだよ。その気になれば、絶対にやめられる小さなことを、絶対にやめない……その気になれば絶対にやることができる小さな小さなことを、絶対にやってやらない……こういうことが、響く。なんか、考えがあって、「できない」「やらない」「やってやらない」というようなことではなくて、きちがいスイッチが、勝手に入って「すでにそうなっている状態」なんだよ。で、こっちがどれだけ言っても、

これ、どうでもないことに思われるかもしれないけど、こういう「融通が利かない状態」「融通の利かなさ」は、相手の強迫神経症の原因になる。こういう、わけのわからない「融通の利かなさ」がたとえ、「小さなこと」に発揮されているにしろ、実は、ものすごくデカイ問題を含んでいるわけで、看過することはできない。けど、普通の考えだと、「やったってやらなくたっていいような」小さな問題なのだから、「やったってやらなくたって気にするな」ということになる。けど、そこで投入されている「感情の総量」は、発狂して殺人をするときの「感情の総量」と同等なのである。小さなことなんだけど、「感情の総量」は莫大なのである。人生の大問題、人生を変えてしまうような行為をするときと同じなのである。怒り狂って、人を殺した場合、それは、大問題だろ。「小さな問題だから気にするな」とは言えないだろ。心的エネルギーとしては常にそういうものが供給されている。心的な世界では、それは、絶対にゆずれない「大問題」なのである。小さな問題なのに、そこに投入される精神的なエネルギーが莫大だというフバランスさ……これも、別の次元で精神病を発生させるぐらいに重要な問題なのである。たとえ、きちがい親父側が(聞かずに)意地を通したにしろ、「小さな問題だからいい」ということにはならない。あとは、「他人は、自分が思ったとおりに動かないのだから、(親父がそういうふうに動いたとしても)しかたがない」といったような理屈は成立しない。やられた、時点で、そういうのは成立しない。そういうのを成立させると、逆に精神病になってしまうのである。わかる? ここのところ? そうやって、わかったようなことを考えると、逆に、強迫神経症になってしまうのである。このきれい事と、実際にやられたという事実。きちがいと一緒に住んでいる……こっちがつねにやられているという動かしがたい事実……こういうものが、無意識的なレベルで、人を苦しめるから、強迫神経症などという「不可解で非合理的な」症状が発生してしまうのだ。わかる? ここのところ?? これ、心理学を勉強した人でも、「こころの専門家」でもわかってないやつ多いと思う。「そんなの、おまえが勝手にいっているだけだろ」と感じてしまう人は、まったく才能がないと言っていい。けど、認知療法家としては、イイ線行っていると思うよ。あれは、こういうとを無視して成り立っている療法だから。

これ、よっぽど才能がある人しかわからないと思う。岸田秀や小浜逸郎にはわかるけど某精神科医にはわからないと思う。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。