引きこもり自体は、それほど問題ではないというような感じがする。引きこもりの問題というと、「引きこもっていること」が問題なのだと思われてしまうが、実は、引きこもりの問題というのは、「仕事」の問題なのである。世の中にはぼくも含めて、事実上働けない人たちがいる。この事実上働けない人たちは、外側から見ると、「働ける」ように見えるので、外側から見ると「働けるのに、サボって働かない人」に見えるのだ。サボってのところを、たとえば、「甘えたことを言って」と言い換えることもできる。どちらの場合でも、「働ける」ように見えるのに、「働かない」人だと思われていることにはかわりがない。
事実上働けない理由は、人によってさまざまだ。ぼくの場合は、一四年間にわたる毎日のヘビメタ騒音で「難治性の睡眠障害」と「難治性の疲労病(自称)」「外傷後ストスレ障害」になってしまったことが原因だ。人によっては、生まれつき内気で、社交不安障害を抱える人もいるだろう。理由はともかく、本人には「働けない」という強い意識があって、その意識が「引きこもり問題」の根幹にある。だから、基本的には「本人が働けないと思っている障害」なのであって、その具現化した姿が引きこもり問題なのだと言って良い。
働くというのは、この場合、「通勤して」「普通に」働くということなのである。だから、内職をすることではない。日本で、いま内職をするとなると、たぶん、九八%の確率で内職詐欺に引っかかってしまうと思う。一〇%ぐらいは「内職」があるのかもしれないけど、それは、普通の速度で作業することを前提とした場合、たぶん、時給六〇円から良くて一〇〇円ぐらいになる仕事?だと思う。あるいは、犯罪の片棒を担がされてしまう場合もある。犯罪と言っても、著作権法違反ぐらいの、申告する人がいなければ、犯罪にもならないようなものなのだけど。
逆に考えれば、普通の速度で作業して、時給七〇〇円から一〇〇〇円ぐらいもらえる仕事が、あれば、解決してしまうのである。作業所に集める形で、「仕事」を供給しているのだから、引きこもりの人にたいして、そういう仕事を供給してもいいんじゃないかなと思う。まあ、無理だろうけど。
いま、この記事を書いているのは、
引きこもり当事者が明かす“ブラック支援”の実態
引きこもりの現象学」で書いた分類をもちいると、かりに時給七〇〇円ぐらいになる仕事(内職)を供給したとしても、第一グループの「引きこもり」の問題は解決できない。しかし、第二グループ、第三グループ、第四グループはかなり改善できるはずだ。
●支援の力学
支援するのだから、支援して「就職してもらわないと」困るわけだけど、引きこもり当事者はなにも就職のためにそこに行っているわけではないというようなズレがあるのだろう。就職はゴールではないと言うことにしておいた方がいいんじゃないかな。だから、ネット作業所を作った方がいいよという話になる。要するに、うちで働くようにすればいい。うちで働くのであれば、「引きこもっている」わけで、問題は解決しないのではないかと思う人もいるかもしれないが、「働いている」ということと「収入がある」ということが、引きこもり当事者に与える影響というのものは、ものすごいものがあると思う。けっきょく、「仕事場の人間関係」や「職場の雰囲気」が問題である場合も多いからね。
あとは、そりゃ、引きこもり支援(サービス)を提供する方としては、「社会に出て」働いてもらわなければしかたがないわけだから、「働け圧力」をかけるわけなんだけど、「働け圧力」そのものが問題なんだという問題がある。引きこもり当事者が、引きこもって避けているのは、この「働け圧力」に他ならないのだから。「働け圧力」を避けるために引きこもっているのに、引きこもり支援(サービス)で「働け圧力」をかけられたら、そりゃ、へこむだろう。引きこもり支援施設からも、引きこもらなければならなくなる。まあ、引きこもり支援というのが、引きこもることを支援することを意味しているのであれば、もちろん、言葉通りの働きをしているとは思うのだが。引きこもり支援というのは、当事者が引きこもりをやめて「外に出る」支援をするということだから、逆の力を加えていることになる。
やはり、ひとりで作業して、お金を稼いで、その金で、遊びに行くというのが、健全な方向なのである。ひとりで作業してと書いたけど、これは、別に、グループで作業しても良いとは思う。しかし、基本的に在宅作業、ひとり作業のほうが、「引きこもり支援」にはむいていると思う。もちろん、「引きこもり離脱支援」ね。遊びに行くと書いたけど、別に遊びに行かなくても良いわけで、たとえば、通信制の大学に通うとか、趣味のサークルに出て行くとかそういうことでいいのではないかと思う。「ひきこもりの問題を解決するような施設」に行くよりも、他の目的のところに言った方が良いと思う。引きこもりを解決するというような目的の場所よりも、自分にとって興味がある場所に行ったほうが良いと思う。お料理教室でも、囲碁教室でもなんでも。パチンコなどの賭博施設よりも、なるべくなら、文化系サークルみたいな場所の方が良いんじゃないかなと思う。
「働け」圧力をかけずに、居場所として機能する「施設」があっても良いのだけど、「引きこもり対策」とは別の目的を持った場所のほうが、より良いのではないかと思うのである。別の目的で集まっている集団のなかにいた方が、リラックスできるのではないか。あるいは、引きこもり対策として、その施設に通うというのは、目的の部分が空白になっているのとおなじ状態なのではないかと思う。もちろん、引きこもり施設に通うと、生活できるほどの「給料」をもらえるというのであれば、問題はない。そこで得た金をもとにして、他のところに行けば良いのだから。
ともかく、引きこもり当事者というのは「なおそうとする圧力」には敏感で、そりが合わない。あわないのだから、しかたがない。最初の主題に戻るけど、引きこもりの問題というのは、「稼げるかどうか」「働けるかどうか」という問題なのだ。生活するぐらいの金が入るかどうかの問題だ。生活できるような金が入らないから、不安になっておびえている。生活できるような金を稼ぐには、嫌で嫌でしかたがない?仕事場に行かなければならないのだ。だから、引きこもるという人たちが、多数を占める。かどうかわからないけど、数多くいると思う。ぼくの分類で第一グループの人は、かりにお金があったとしても、引きこもり状態になってしまうという問題を抱えているかもしれない。しかし、第四グループ、第三グループ、第二グループの大半が、「事実上働けない」という問題を抱えており、それゆえに「生活できるような金を稼げない」というような問題を抱えていると思う。引きこもりの問題というのは「事実上働けない」「生活できるような金を稼げない」というのが問題の核心であって、引きこもりであるという「態(状態)」は問題の核心ではない。
学生や十代の引きこもりが抱えている問題というのは、このままでは「事実上働けない」「生活できるような金を稼げない」という問題でしょ。自分は普通の職場で、働けないというような意識があるから、不安になるわけで、普通の職場で働けなくても、「生活できるような金を稼ぐことができる」のであれば、「将来に対する不安」の大半はなくなってしまう。