ミニマリストというのがはやっているらしい。いわゆる、持たない生活を目指そうというやつだ。しかし、こんなのは、ぼくはもう、何十年も実行していた。世間が、ミニマリストに注目しだした頃?ぼくは、ミニマリストをやめた。母親の死がきっかけだ。それまでは、外食なんて、何年もしてなかったんだけど、外食ぐらいしようかな思った。お母さんが、これまた欲のないひとで、病気がちで、外食なんて、数えるほどしかないんじゃないかな。ともかく、若い頃もほとんど外食してないし、年取ってからは、病気で、外に出られないような状態だったから、当然外食なんてしてない。もっと、いろいろなものを食べてからあの世に行っても良かったんじゃないかと、葬式を済ませた後一ヶ月ぐらい経って思い始めたのだ。一応は情報として知っているけど、食べたことがないものは、食べておこうかな。と思った。あるいは、一応食べたことはあるけど、うまいといわれている店で食べたことはないものを食べておこうかななどと、思った。生きているうちに……。というわけで、いまは、外食をするようにしている。けど、長年培った金銭感覚は、あまり変わらないんだな……これが。
ヘビメタ騒音で就職できなかったので、我慢我慢の生活を強いられた。その前も、我慢我慢の生活なのである。親父が金を持っていたとしても、必要なときにはいつもないわけだからさ。あとは、ヘビメタ騒音対策のために、ステレオを買ってしまったのは、失敗だったなと思う。けっきょく、自分の部屋で、ステレオをけっこうでかい音で鳴らしても、ダメだった。きちがいヘビメタのほうがでかいので、なんて言うかな、二つのでかい音が、ドカスカ鳴っている状態で、たとえ自分が好きな曲をかけても、それをちゃんと聞ける状態じゃなかった。きちがい兄貴が隣の部屋で鳴らしている音のほうが、自分の部屋で鳴らしている音より、自分の部屋で、でかく聞こえるのである。で、曲のなかで、音が鳴ってない瞬間というのがある。その瞬間に、きちがいヘビメタの間隔の短い音が、でかい音で何個も入ってしまうような状態で、全然落ち着けない。もう、本当に、蜂の巣をたたいたような騒ぎで、あんなの、本当に、「よその家」じゃ、一日に一分だって鳴らせない音だ。あんな音で鳴らしたら、一日目に「いい加減にしろ」と言われて、その後は絶対に、鳴らせない状態になる。それが普通の家だ。けど、「うち」では、鳴らせるすべての時間鳴らしてあたりまえだということになってしまった。それも、一ヶ月に一日は、そういう日があるというのではなくて、毎日……全部毎日。常識が逆なんだよね。「よそでは一日に一分も鳴らせない」……それであたりまえ。うちでは、一日に一三時間だろうが一四時間だろうが鳴らせる時間は全部(一〇〇%)鳴らせてあたりまえ……こういう風になってしまった。お母さんは、「静かにしてあげて」とは言っていたけど、お母さんに、兄貴を押さえつける力はない。で、親父は、一切合切関わらないで、逃げまくっていた。自分がそれまできちがい兄貴にやってきたことがわかっているわけではないのだけど……文句を言えなくなってしまったのだ。で、そうなったら、もう、絶対に注意しない方向でエンジンがかかって、発狂的な意地で「注意しない」ということになる。これも、本当に言いがたい。
ミニマムなんて目指さなかったのに限界ミニマムを常に!実行していた俺。
一歩踏み出せば昨日と違う自分になれる!
ともかく、ヘビメタ騒音のことを記述しておかなければ死ぬに死ねないからね。これ、本当に言いがたいんだよな。言いがたい兄貴。言いがたい親父。言いがたい家族。「言いがたい家族」が俺の一生のテーマになってしまった。なお、「静かにしろ」「ヘビメタ騒音のことをいつかばらしてやる」と言ったときに、きちがい兄貴は、「勝手にしろ」と言って、二階に上がって、それから数時間にわたって、ヘビメタを鳴らし続けたのだ。なので、俺は、「ことわっている」。あれは、ぼくが二〇歳の時だ。下の部屋(居間で)きちがい兄貴が、少年マガジンを読んでいたときに言った。読んでいたときと言うか、読み終わって二階に行こうとしていたときだけどな。下に兄貴がいるのは、そんなに長い時間じゃないんだよ。で、これ、俺が二〇歳の時の話しだからね。中学のときの話しじゃない。中学一年生のときから数えて、何年経っているんだよ。その間、どれだけ毎日鳴らしてんだよ???