2016年9月1日木曜日

自我は感知してない。自我の記憶には残らない。

本当に、音の質が違うんだよ。音のでかさが違う。隣の人がバイオリンを弾いたり、ピアノを弾いたり、三味線を弾いたりしているけど、違うんだよね。確かに聞こえる。けど、それとは違う!! ヘビメタ騒音は別次元のうるささなんだよね。実際に、兄貴の鳴らしていた音は、ピアノよりも、ずっとずっとずっと、でかい音だ。

「なにも、あんなでかい音で鳴らすことないだろ」と誰もが思うような音で、鳴らしている。そして、それに、こだわりつくした。そういうでかい音で鳴らさないと感じが出ないらしく、普通の音で鳴らすということがなかった。

これは、一分もない。鳴らすなら!「本人が静かにしてやったと思う時間も含めて」……でかい音で鳴らさなければならないという気持ちになっていた。

で、その気持ちは、何十年間も変わることがないのである。実際には、一五年間しか鳴らさなかったけど、その一五年間、絶対の意地で、その『音のでかさ』にこだわって鳴らした。『自分が鳴らしたい音』……にこだわりつくして鳴らした。だから、兄貴が鳴らしているのに、『普通の音』で鳴らすということがないのである。ピアノやバイオリンぐらいの音で鳴らすということが、絶対にない。

意地でも、自分が満足できる音で鳴らしていた。その兄貴が満足できる音というのが、「ありえない」ぐらいにでかい音なのである。普通の人からすれば「ありえない」ぐらいにでかい音なのである。ヘビメタが好きな人が聞いても、「こんな音で鳴らして平気なの?」と思ってしまうようなでかい音なのである。物理的にでかい音なのである。

これを、俺が、これだけ書いているのに、まるで無視するやつらがいるんだよな。そういうやつらは、まるで、ヘビメタが『普通の音』だったのに、俺がこだわっているから悪いんだみたいなことを言ってくる。これが、まさしく、きちがい兄貴の言い分なのである。

自分は、絶対にゆずらない。きちがい兄貴は、こういう感覚で、『どでかい音』だということを認めずに、静かにしないのである。もう、これは、決まっていて、絶対にゆずらない。自分が満足できない音まで、物理的な音をさげるということは、絶対にない。

これは、もう、鳴らし始めたときに決めているわけで、それが、最後の最後まで、成り立っている。

だから、あとは、どうやって、自分が本当は、『どでかい音』で鳴らしているということを無視するか、相手が言ってくることを(弟が言ってくることを)無視するかということになる。無視のしかたは、うちの親父と同じなのである。無視しているつもりがないまま、実力行使で、押し切るということだ。

で、押し切っても……何千回、何万回、何億回、押し切っても、自己催眠をかけているから、押し切ったことになってないのである。これが、親父や兄貴の、きたないーーいところで、この自己催眠が完璧なんだよね。

絶対に、破られることがない。どれだけなにを言われても、その自己催眠は、完璧で、本当は矛盾があることを、押し通す。しかも、本人は、矛盾があることを押し通したつもりがない……完璧にない。だから、相手にしてみれば、こういう態度は、頭にくるものなのだけど、本人は、もちろん、相手をそういう態度で、いらだたせているつもりはない。

で、そのまったく関知しない態度が、また頭にくるんだよな。そういうことになっている。で、こういうことが、サイコパス頭の中で一度成立したら、絶対に、ひっくり返らない。もともと、本当に静かにするのは絶対に嫌だから、そういう自己催眠をかけているわけで、もとの目的は、(しらんぷりのまま)押し通すのである。

で、うちの兄貴は、その自己催眠が、完璧なんだよな。だから、まったく「つもり」がない。どれだけ言われても、……言われたときは、腹を立てて頑固に鳴らすけど……まったく気がつかない状態なんだよな。

全部、毎日、毎時間、毎分、毎秒、そういう状態なのだから、どれだけ言っても、きちがい親父のように、「はねのけるだけ」なのである。で、「はねのけるだけ」なので、鳴らし切っているのだけど、本人は、「ゆずってやった」と思っている状態なのである。要するに、「問題はない」と思っているわけで、自分が鳴らしていることが問題だ、自分が鳴らしている音が問題だとは、つゆとも思わないのである。だから、まったく悪いことをしたと思わない。

本当は、本人が一日でも、別の音で!やられれば、腹が立って腹が立ってしかたがないことなのに、自分がヘビメタでやっているぶんには、どれだけやたっって、相手の迷惑には鳴らないのである。それは、相手がどれだけ言ってきても、相手の迷惑にはならないと思っている状態がずーーっと続くと言うことなのである。

だから、静かにしない。静かにしないようにがんばっている。静かにしないように、一切合切を無視して、鳴らし切る。だから、それは、自分の行為なのだけど、自分の行為ではないのである。だから、「そんなつもりじゃなかった」ということになる。この「そんなつもりじゃなかった」という気持ちになるまでには、一六年以上の歳月が必要なのである。一六年目に、「うちで」鳴らす、気持ちがなくなった。「うちで」鳴らす必要がなくなった。

だから、それまでの一五年間のことは、自分(うちの兄貴)にとってまったく「知らないこと」なのである。「そんなつもりじゃなかった」ことになってしまうのである。まだ、「うちで」鳴らさなければばならないうちは、絶対に、「そんなつもりじゃなかった」などと言って認めることがないのである。「そんなつもりじゃなかった」と言ってしまったら、次の日から、あるいは、その時点以降、自分が思ったとおりの音で鳴らせなくなってしまう。

で、自分が思ったとおりの音で鳴らせなくなるというのが、たとえ、一日に一時間であろうが、一日に一分であろうが、ぜーーーーーーったいに嫌だから、そういう状態を成立させているのである。で、自己催眠と同じことなんだけど、そういう状態を成立させていることに関しては、まったく、関知しないのである。自我とは切り離された無意識的な部分で成立させているので、どれだけ言われたって(不機嫌になって怒るだけで)(顔を真っ赤にして怒るだけで)認めないのである。自我は感知してない。自我の記憶には残らない。

もし、認めてしまったら、自分が普通に静かにしなければならなくなる。それは、命にかえても絶対に嫌なのである。だから、全部毎日、そうやって、親父的なやり方で、やり通してなにも感じない。どうして、なにも感じないかというと、自分が鳴らしたい音で鳴らしているからだ。

だから、兄貴が譲ったと言っても、全然譲ってない状態が成立する。全然譲らないで、鳴らしているのだけど、本人はゆずってやったと思っている状態なのである。きちがい兄貴にそういう構造が成り立っている以上、きちがい兄貴と話しても、無駄なのだ。

けど、それが他人にはわからない。だから、俺がヘビメタ騒音について他人に相談すると、他人は「お兄さんと話し合えばいい」というようなことを言う。いまですら、ヘビメタ騒音のことを相談すると、そういうふうに言われる。これが屈辱なんだよな。まあ、他人としてはあたりまえの反応なので、怒りはしないけど、なんていうのかな、距離を感じる。壁を感じる。相手のなかでは、「お兄さんは普通の人間」なのである。俺が、ヘビメタ騒音の長さと、でかさについて説明しているのに……。普通の人間じゃないから無理なんだということが、根本的にわかってない。

まあ、「おまえだって人にアドバイスをされて、怒ってじゃないか」と思うかもしれないけど、それはちょっと、しくみが違うんだよ。相手……問題の相手がサイコパスかどうかということで違ってくる。問題の相手が、サイコパスではないのに、いまの大学をやめるべきなのか、続けるべきなのか、というのとはぜんぜん違う。友だちができないので今の大学をやめたいというのとは、ぜんぜん違う。友達候補が全員サイコパスだから、サイコパス的なことにこだわって不退転の決意で自分をいじめてくるというの場合は、同じだけどさ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。