2017年8月31日木曜日

「人がどう思ったってかまわない」に関する考察(2) 原因帰属理論

ヒトゴトなのでどうだっていいということは、言える。しかし、ぼくは、たとえば、Aさんがほんとうは強姦してないのに、強姦魔だと「他の人から言われた場合」Aさんは、気にするだろうなと思う。Aさんにとっては、それはどうでもいいことではないと、ぼくは思う。この、自分にとってどうでもいいことだということと、本人にとってどうでもいいことだということは、ちがう。

Aさんが、「強姦してないのに、他の人から強姦したと言われてくるしい」と言ったら、それは確かにくるしいだろうなと思う。「そんなこと、気にするかな??」とは思わない。こういうことを、いちいち、ごっちゃにして言うやつがいる。

もうちょっと、場合分けしたほうがいいよ。場合分けをすすめる。しかし、こういうやつらは、「めんどくせぇ。どれだっておなじだ」と考えることが多い……みたいだ。そりゃ、ぼくの話にはついてこれないだろうぜ。

ちなみに、Aさんに向かって「くるしい」と言うからくるしくなるんだ……という言葉を投げかけるのは、良くないことだと思う。Aさんがくるしいのは、誤解されているからだ。「くるしい」と言ったからではない。

それから、Aさんが「強姦魔だと言われる状態を想像したから」そういうことが現実化したとも、思わない。これは、ぼくが作者だから、神様的な視点で「事実」を決定できる。Aさんは、かつて、一度も「強姦魔だと言われる状態を想像した」ことがない。

だから、思ったから現実化したというのは、この場合はまちがいだ。

「Aさんが強姦魔だと言われる状態を想像したから、いけないんだ」「Aさんが悪いことを考えたから、悪いことが現実化した」という言葉を投げかけるのは、筋違いだと思う。

また、「強姦魔だと言われる状態を作り出したのはAさんだ。Aさんに責任がある」とも思わない。

だいたい、ぼくは作者だから、事実を決定できる。

しかし、実際の世界では、もちろん、ぼくが事実を決定できるわけではない。ぼくだけではなくて、現実の世界では、だれもが相対的な「他者」であり、神様の視点で事実を決定することができない。せいぜい、いろいろと調べ上げて、事実はこうだったのではないかということを(共同幻想として)決定していくことしかできない。

そりゃ、目撃者の証言を聞いたり、物的な証拠とかそういうものを集めて、だれがこうした……あるいは、だれがこうしなかった……ということを決定するしかない。しかし、その決定はかりそめの決定にすぎない。最終的には、裁判で決めるしかない。けど、裁判で決めたあとも、裁判の決定がまちがっているのではないかという可能性は残り続ける。


それから、「そういう悪いことを考えたから、悪いことが現実化した。だから、悪いことは考えなければいい」とAさんにアドバイスする人は、Aさんが事前に「自分が強姦魔だと思われることを想像した」と考えているらしいけど、それは、事実ではない。

これも、作者だから、Aさんは事前にそんなことは考えたことがありませんと決定、設定できるけど、現実世界では事実として決定できない。現実世界では、Aさんが「自分はそんなこと考えたことがない」と言うしかないのである。

その場合、たとえば、「そういう悪いことを考えたから、悪いことが現実化した。だから、悪いことは考えなければいい」とAさんにアドバイスしたBさんは、Aさんが言うことを信じないかもしれない。

Bさんは「思ったことが必ず現実化する」「思わなかったことは必ず現実化しない」と強く思っているからである。そういう信念がある以上、Bさんにとっては、Aさんは強姦魔だと思われることがあると思ったことがある人でなければならない。

作者だから、Aさんは思ったことがないと決定できるけど、現実社会では、「自分はそんなことは思ったことがない」と言うAさんと、「Aさんはそういうことを思ったに違いない」と考えるBさんが、おのおの、自分の考えを言うだけということになる。Bさんのなかでは「Aさんはそういうことを思ったことがある人」なのだから……。たとえ、Aさんが「そういうことは思ったことがない」と主張したとしても。

この「思ったことは必ず現実化する」という考え方は、自分にだけ適応したほうがいい。他の人にまで適応すると、その人に対してまちがった考えを持つことになる。(まちがった決めつけをしてしまう可能性が高くなる。)しかし、「思ったことは必ず現実化する」と主張する人にとっては、それは「だれにでも」成り立つことなのである。「だれにでも」「すべての事柄について」成り立つことなのである。だから、基本的には、他人のことについてまで、事実とは異なる考えを持つ可能性が高くなる。

だから、「思ったことは必ず現実化する」という考え方は、最初から、はためいわくな考え方だと言うことができる。「思ったことは必ず現実化する」というのは、「すべてはこうだ」と決め付ける考え方のひとつだ。(実際に)そうなったのは、そうなることを考えたからだと、まちがった推論をしてしまう。(実際に)そうなった以上、そうなることを考えたのだと、決めつけてしまう。

他に原因があるのに、「考えたから」と原因を決めつけてしまう。「思ったことは必ず現実化する」と考えるひとは、すべての事柄についてそう考えるので、他の人の身の上に起こった事柄に関しても、そう考える。

だから、ジョゼフ・マーフィーも「いまのあなたは、あなたが考えたことをそのままあらわしている」と言うわけで、慈悲の心が最初からない。

いま貧乏だとしたら、貧乏になると考えたからだ。お金持ちになると考えたら、絶対にお金持ちになっている。貧乏になると考えたから、あなたが貧乏になっている。貧乏になったのは、貧乏になると考えた「あなた」が悪い。あなたが貧乏なのは、貧乏になると考えた「あなた」に責任がある。……「思ったことは必ず現実化する」という考え方を持っているひとは、貧乏な人についてこういうふうに考えるようになる。

しかし、実際には、貧乏な家に生まれたから、貧乏だという場合がある。「子供はしかたがないけど、大人はそう考えた責任がある」などと思う人もいるかもしれないけど、これは、これであとで論じる。いや、いま、言っておこう。

まず、子供は、子供であったとしても、人間だ。赤ちゃんも、この場合は、赤ちゃんであっとしても人間だ。「思ったことは必ず現実化する」と言っているのだから、子供でも赤ちゃんでも、関係がない。どうして、成人しているかどうかが、関係あるのか? そんなのは、あとだしだろ。「思ったことは、必ず現実化する」のである。例外はない。

現実の社会では、所有権が認められていて、所有しているものの差がある。親の年収や財産に差がある。ある子供が貧乏なのは、その子供が「自分は貧乏になる」と思ったことがあるからではない。その子供が、すでに貧乏である両親のもとに生まれてきたからである。

生まれつき貧乏な人と、生まれつき貧乏じゃない人の差がある。その差のほうが、「貧乏になる」と思ったかどうかよりも重要な差だ。貧乏な家に生まれた赤ん坊は「将来自分は貧乏になる」と思う前に、貧乏なのだ。そういう生まれつきの差を無視して、「貧乏になると思ったから貧乏になったのだ」と言ってしまうのがジョゼフ・マフィーと彼の信者だ。





2017年8月29日火曜日

ポジティブなことを言わなければならない圧力 仮面ポジダーになる

やっぱりつまんない。
元気になってくれないかな? 俺~~
元気になれ!!元気になれ!!元気になれ!!元気になれ!!

復活しろ~~
ふっかつ~~~かつかつ
ふっかつ~~~かつかつふっかつ~~~かつかつ
おれ~~復活しろ~~ 復活復活

なんか楽しくなって、人付き合いも再開しよう~~
けど、もういいや……みたいな気持ちもあるはある。
まあ、いい人だけつきあえばいいんだけどな。

あとは、なんていうのなか、ポジティブなことを言わなければならない圧力というのを感じる。ポジティブ圧力が強いんだよな。そうすると俺みたいな特殊な過去がある人間だと、やりようがないんだよ。きちがいヘビメタ騒音生活で削られた部分ってそういうポジティブな感情だから。俺だって、あったんだよ。ヘビメタ騒音にやられてズタボロになる前は、普通にあったわけ。というか、むしろ普通の人よりも強かったような気がする。それは、自分の中のやる気だけどね。やっぱり、ものを作るのが楽しかったとかそういう感じなにってくるんだよな。ぼくの場合。

やっぱり、対外向けのマスクをして、マスクド・ポジティブマンになるしかないのか? 仮面ポジダーになるしかないのか?

これ、ほんとう、ものを売ろうとするとそうなるんだよな。たいした技術がない人が「Wordpress講座」「ブログで稼ごう講座」をしてしまう時代だからな。活動内容をよくよく見てみると、たいしたことがないんだよな。けど、彼らには、ぼくにはない能力がある。それは、決まった時間に起きることができるという能力だ。これは、むかしはぼくにもあった能力なんだけど、いまはない。これが!! ものすごく重要な能力なんだよ。

一万円ぐらい取る講演会?セミナーでやっていることって、たいしたことじゃないんだよな。「そんなのは、無料のページにたくさん書いてあることだろ」と思うようなことばかりなんだよな。けど、やっちゃった人が、けっきょく勝つ。そういうところがあるんだよな。



2017年8月28日月曜日

飢餓陣営の佐藤さんは、どう思いますか?

たとえば、AさんとBさんがいたとしよう。Aさんは統合失調症で、自分の中の妄想が現実だと思い込む傾向があるとしよう。そして、Bさんは、変わった性格の上司からパワハラを受けて、うつ病になってしまったとしよう。

で、二人がデイケアで出会ったとしよう。そして、最初AさんがBさんに話しかけたとしよう。そして、Bさんは、特に会話を断る(拒む)理由がなかったので、Aさんの話しかけに応じて、ちょっとした会話をしたとしよう。二日後にAさんとBさんが会った。

Aさんは、「Bさんが自分の絵をけなした」と言っていって、手に持っているガラス製のコップを、Bさんの顔に向かって投げた。コップはBさんの目に当たって、Bさんは右目の視力を失った。……こういうことがあったとしよう。Bさんは、Aさんの絵を見たことがないので、そもそも、酷評することができない。なので、BさんはAさんの絵をけなしたという事実はない。

Bさんは、病院に訴えたが、病院は「患者同士のトラブルには介入しない」という主張を繰り返した。Bさんは弁護士のところに相談しに行ったが、弁護士はAさんが統合失調症患者だとすると、Aさんに責任を負わせるのはむずかしいという見解を示した……とする。

ぼくの意見としては、Aさんが統合失調症患者であったとしても、AさんはAさんがやったことに対して責任を負う必要があると思う。飢餓陣営の佐藤さんは、どう思いますか? 責任能力に関係なく、AさんはAさんのやったことについて責任を負うべき。法律は、Aさんと健常者の区別をするべきではなく、Aさんには健常者とおなじ罪がかされるべきだと思います。ぼくの意見は、そう。

飢餓陣営の佐藤さんはどう思いますか? 佐藤さんは、精神障害者が加害者であった場合に関しては、加害者寄りの判断をしますよね。けど、それでは、被害者のほうがむくわれないのではないかと思います。責任能力に関係なく、外面的な客観的な行為を問題にするべきじゃないですか? 「なされた」ならなされたんですよ。Aさんによってなされたことは、Aさんによって!なされたことなんですよ。

AさんもBさんも、ぼくの架空の話しのなかの登場人物で、実在する人物ではありません。だから、「とする」と書いてあるでしょう。それから、Aさんは話しのなかで統合失調症だけど、統合失調症の人はみんなAさんのような人だということを言ってないということに注目してください。これは、たとえば、Aさんが日本人だという設定でもおなじです。読んだ人が、日本人はみんなAさんのような人だと考えるのは、イ・ラショナルシンキング(非合理的な思考)です。それとおなじように、統合失調症の人はみんなAさんのような人だと考えるのはイ・ラショナルシンキングです。

ちょっと関係がない話になるけど、これが、密室の出来事だとするともっと問題が複雑化する。要するに、AさんとBさんしかいない部屋で起こったことだとすると、そもそも、Bさんが言っていることは事実なのかどうかということが問題になる。もし、Aさんが、苦し紛れに「コップなんて投げてない」と言ったら、どうなるか? さらに、そのあと、「Bさんがコップを投げた」と言ったらどうなるか? Aさんがもし、自分にとって都合が悪いことを言われると、「妄想」がはじまる人だとそういうことがあり得る。密室で目撃者がいない場合、Bさんは、こまった立場に突き落とされる。自分にとって都合が悪いことを言われた途端に、「事実ではない」と言い出す人というのは、いる。本人が思いついたことが「現実」として認知・認識されるのならば、本人は「事実として」こうだったと言い出す。そして、それは、その都度「つくられる」ことだから、全体としての整合性はない場合が多い。しかし、全体としての整合性がないということを、その人(ここではAさん)が認めるということは、ない。そのつど、矛盾したことを「真実」「事実」として語るからだ。時系列的に、矛盾点がちがうので、矛盾点を指摘されるたびに、「違う事実」が出てきてしまうというような傾向がある。だから、基本的に、「整合性のある話し」はできない。

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2017年8月27日日曜日

俺の思いが兄貴の脳みそに直接送信されたら

他の人はどうなんだろうな? もちろん、他の人がどう感じているかとか、他の人がどう暮らしているかというのは、ぼくには関係がない。しったところで、ぼくはその人じゃないのだから、その人が体験していることを、その人が体験しているとおりに体験できるわけじゃない。似たような体験から、だいたいこういうことを感じているんだろうなということを、導き出すしかない。

ぼくにも楽しかった経験はある。水の中に入った経験もある。友達とどこかに行った経験もある。ところで、なんていうのかな? 他人が体験していることを、その人が体験しているように感じたらどうなんだろう。要するに、脳みそが感じていることを、そのまま感じることができたらどうだ? 他の人が脳みそで感じていること……そのままのパルスを、そのまま、受信?できたらどうだ? まあ、他人の脳みそが感じていることを、そのまく受け取ることができるのなら、他人の感覚器を通して、自分が体験しているのと同じなんだろうな。

まあ、送り出すほうにも送り出す機能が必要だな。まあ、そういうのは、SFなんかでは、よくある話しだよな。完全な共感覚。思考まできたらどうだ? 感覚だけじゃなくて思考もくるよな。

たとえば、風を感じているとして、その風は、空気の物理的な運動じゃない……感じている人が「いい風だな」と思えば、いい風だし、「不快な風だな」と思えば不快な風だ。暑いのに熱風とか、へんなにおいがする風とか……寒いのにブリザード。感じるということは、思考だ。物理的な感覚だけが伝わってくるのだと、その人が感じているようには感じない。(その人って感覚を送り出すのほうの他人だけど。)

きちがい兄貴が、俺が信じているように、ヘビメタの音を感じたら……俺の思いがきちがい兄貴の脳みそに直接送信されたら……きちがいヘビメタを一秒だって鳴らすことができなくなるだろうぜ。だから、そうしたら、やつはヘッドホンをしたのだろう。ヘッドホンをすれば、俺が送り出す、不快な感じは、受信しなくて済むからな。

きちがい兄貴よ。どうして、親父の態度で鳴らし続けた。あまりにも長すぎるよ。兄貴の家での態度は、親父の家での態度とおなじで、他の人にはわからない。それこそ、経験から導き出すことができないので「そんなひとはいないのでは?」とか「ほんとうにそんな態度で鳴らしてたのかな?」と思うのだろう。だから、そういう人にしてみれば「家族で話し合えばいい」とか「お兄さんにちゃんと言えばいいのに、お兄さんにちゃんと言わなかったから、鳴らしてたんじゃないか」なんて思ってしまうわけだよ。

これは、まちがっている。知らないだけ。まちがった推論。それから、たとえば、「お兄さんにちゃんと言えばいいのに、お兄さんにちゃんと言わなかったから、鳴らしてたんじゃないか」→「この人(俺)は、そういうことを言えない人なのではないか」なんて思ってしまう人もいるんだよ。迷惑だ。

けど、あの無視の仕方はないぞ。あの無視の仕方はない。それから、どうも本人の言っていることや、当時の態度から考えて、ほんとうに「たいした音で鳴らしてない」つもりみたいなんだけど、それ自体がおかしい。親父よりもずっとおかしい。親父が常に怒り狂っていたのに、「そんなことは、一回もない」と思っているのとおなじだ。

きちがい兄貴よ、きちがい兄貴は、兄貴が一三歳ぐらいになって、「親父を無視する」と言ったときから、家族のことも無視して、家族のことはのことはどうでもいいことになっているみたいだけど……きちがい兄貴が、直接やったことで、弟が迷惑をこうむっているのに、まったく関係がない人のようなつもりでいるというのは、おかしい。

これも、親父の態度なのである。自分が絶対にいうことを聞かずに、押しつけたもので子供が恥をかいても、まったく悪いと思わない。むしろ「なんだ!!そんなの!!」と怒り狂ってしまう。

まず、自分が押しつけたということを認めてないのだけど、自分が押しつけたものが「使えなかった」というのは、親父にとって不愉快な情報なのである。もともと、買ってやりたくないから、怒り狂っている。相手がいうようには、動きたくないのである。

この場合は、ハンダゴテの金を出してやるということだ。新しいハンダゴテを買う金を要求されたということ自体が、親父にとって、パニックになるほど頭にくることなのである。頭に血が上って、爆発しなければならないような状態になることなのである。これが、親父の場合だ。

兄貴の場合は、自分が鳴らしたい音で鳴らしたいわけで、「静かにしろ」といわれたこと自体が、頭にくることなのである。で、きちがい兄貴が、気違い的なけちくささを発揮して……つまり、親父とおなじけちくささを発揮して……五分間だけ〇・一デシベル音をさげてやったとするだろ。それは、兄貴にとってはものすごい譲歩なので、もう、一分だってゆずらなくていい……音をさげなくていいという気持ちになってしまう。

けど、こっちにとっては、その譲歩は「使えないハンダゴテを渡されるような譲歩」なのである。譲歩になってない譲歩で、その五分間も含めて、どでかい音で鳴らしている。だから、「静かにしてくれ」ときちがい兄貴が五分間譲歩したあとに言いにいくわけだよ。うるさいわけだからさ。

そうすると、親父が「このハンダゴテは使えなかった」と兄貴に言われた時のように、兄貴が怒り狂って、自分が鳴らしたい音で鳴らすということにこだわりきって鳴らす。

だから、うるさいままなんだよ。

けど、きちがい兄貴は、親父と「おなじ頭」だから、「せっかく譲歩してやったのになんだ!!」という気持ちになるわけだよ。相手が「こまっている」ということを絶対に認めない。

親父の場合は「せっかくハンダゴテを出してやったのになんだ!」であり、兄貴の場合は「せっかく静かにしてやったのになんだ!」なのである。静かにしてないのに、静かにしてやったと思うことができる。

で、「静かにしたあと」に「静かにしてくれ」と言われると、親父が「親父のハンダゴテは使えなかった」と言われて怒るように怒る。ほんとう、ギャグだから。あんなでかい音で鳴らして「静かにしてやった」と思えるのは、ほんとうにギャグの世界だから。これ、ほんとうに「おやじあたま」で話が通じないんだよな。

兄貴が普段鳴らしている音は、気違い的にどでかい音だ。よその家では一分だって鳴らすことができないようなでかい音だ。そして、きちがい兄貴が静かにした音というのは、よその家では一分だって鳴らすことができないようなでかい音だ。聞き分けることができるほどの差がない。こっちの部屋にいると、音が本当に少しでもさげられたのかどうか認知することができないような差しかない。

きちがい兄貴は気がついてないみたいだけど、きちがい兄貴が「静かにしてやったつもりの音」は、兄貴の友達のカオ君が言ったように「こんなでかい音で鳴らしていて、家族の人は大丈夫なの?」思うようなでかい音だ。そういうでかい音で鳴らしておきながら、「静かにしてやった」つもりでいる。

「それじゃこまる」「そんなんじゃこまる」と言われると、親父のようにふくれて、腹を立てて、きちがいヘビメタ道具にしがみついて、親父のような勢いで、顔を真っ赤にして鳴らし続ける。きちがいヘビメタ道具って、エレキギターな。漆喰壁の六畳間にあんなでかいスピーカーを三つも入れやがって……それ自体がおかしいんだよ。

兄貴は親父のように、頭がおかしい。「自分の気持ち」しかないんだよな。「そのとき!!の自分の気持ちしかない」。やりたかったら、やりたいわけで、一分だろうが一秒だろうが「ほんとうに」ゆずるわけがない。ほんとうにゆずるというのは、我慢しなければならないから……。

ほんとうはヘッドホンをつけたくないのに、我慢してヘッドホンをつけなければならないから……。きちがい兄貴の「譲歩」というのは、そういった意味でまったく我慢してない譲歩なんだよ。「ゆずったつもり」の時も「しずかにしてやったつもり」の時も、ほんとうは、ぜんぜん譲歩してない。我慢してない。

自分が鳴らしたい音で、鳴らしている。自分が満足できる!客観的に言って物理的に言って「どでかい音」で鳴らしている。きちがい兄貴がゆずらないで鳴らしているときも、きちがい兄貴がゆずったつもりで鳴らしているときも、よそのうちでは鳴らせないようなでかい音でヘビメタを鳴らしていた。

で、自分がそうやって、こだわりきって、意地になって、毎日毎日、十年以上、やったことが、ぜんぜんわかってないんだよな。

意地になっやったことは、「(やったって)やってないこと」になっているというのも、親父とおなじでおかしい。一〇年とかそういう単位で毎日やったことが、まったくやってないことになっている。「そんなことをした日は一日もない」と思っている。三六五〇日以上やったのに、一日もやってないと思っている。

それが「そんなんじゃない」の中身だ。けどこれも、「やった」と言われたときに「否定」してしまえば、本人の中では、済んでいることなんだよ。まったく関係がないことになっている。

この態度は、「静かにしてくれ」と言われて「はねのける」時の態度とおなじだから。代入されている項目がちがうだけで、認めたくないことは、絶対の意地で認めないのである。それの繰り返し。一日に何十回でもそうする。

それを、ほんとうに、毎日毎日……一年三六五日中三六五日……やったとしてもやってないことになっている。一〇年経って、連続して三六五〇日やったとしても、一日もやったことになってない。そういう意地で、否定して、やりきる。認めないでやりきる。

その都度、「そんなんじゃない」ことにして、続行する……これが、親父の態度であり、兄貴の態度だ。

うちにいるときは、二人とも催眠術にかかったように、そうする。

そして、そうしたということは、そうしたということを認めなければならないような場面になると、おなじ強度で否定される。

で、本人が、否定したら、もう、「どれだけやってもやってない」ことになっているらしくて、ほんとうに、関係がない人のつもりでいる。ほんとうに本人のなかではやってないつもりになるらしい。「そんなんじゃない」というのは、そういう言葉だ!!

いま住んでいるところで、一日に一分だって、鳴らせないのは、きちがい兄貴が鳴らす音がでかいからだろ。

きちがい兄貴がいま住んでいる「うち」でヘビメタを鳴らせないのは、きちがい兄貴が満足できる音で鳴らすと、いっしょに住んでいる人に迷惑がかかるからだろ。それで、一日中我慢して、鳴らさないで当然なんだよな。どうして、うちでは、一日中、すべての時間、自分が満足できる音で鳴らして当然なんだよ。

しかも、耳が悪くなければ、どれだけ、親父のような性格で強弁したって……「でかい音で鳴らしている」「非常識な音で鳴らしている」ということは、わかることなのに、……ほんとうにまったく、そういうことがわかってない状態で鳴らしているんだよな。

で、その時間がどれだけ長かったか。きちがい兄貴が、こだわって鳴らした音がでかすぎる。きちがい兄貴がこだわって鳴らした時間が長すぎる。きちがい兄貴が、なにもしてないつもりで、鳴らした期間が長すぎる。きちがい兄貴が、そういうことについてまったく気にしてないのは、きちがい兄貴が、「うちでは」親父になっていたから!だ。

兄貴は親父なんだよ。

親父の態度で、鳴らしてた。親父の態度で、でかい音だということを否定していた。親父の態度で、まったく関係がない人のつもりでいた。張本人なのに!! 意地になって絶対にゆずらないでやっていることなのに、本人が「まったく!!!」やってないつもりなんだからな。

やるのは決まっている。それは、絶対に動かさない。一日に一分だって、ちゃんと時間を決めて、鳴らさないで静かにしてやるということがない。絶対に、一分だってゆずらないで毎日毎日、鳴らし切る……なのに! 本人はそうしているあいだ、まったく「でかい音で」鳴らしているつもりがない。

きちがい親父とおなじでまったく意味がない譲歩をしてやれば、「全部完全に譲歩をしてやった」と思う。そして、全部完全に譲歩をしないで……つまり、一〇〇%の時間、自分がやりたいようにやる。

自分がやりたいようにというのは、兄貴にとってみれば、自分が鳴らしたい音で鳴らすということだ。で、きちがい兄貴でなければ……でかい音で鳴らしたいきちがい兄貴ではなければ……きちがい兄貴がこだわって鳴らしている音がでかい音だというのは、一分も聞けば、だれにだってわかることだから。

地球上でただひとり、きちがい兄貴だけが!!!わからない。

きちがい兄貴にとっては、普通の音で小さい音だから、そんなのは関係がないと思っている。「鳴らすな」「静かにしろ」と何回も何回言ってくるやつのほうが、悪いと思っている状態だ。

そんな状態で、静かにするわけがないだろ。兄貴とのやりとりは、親父とのやりとりとおなじなんだよ。何万回言っても、ゴクゴク基本的なことがつたわってない。よその人が聞けば「こんなでかい音で鳴らしていいの」と思ってしまうような、でかい音で鳴らしているのに、鳴らしているあいだ、でかい音で鳴らしていると思ったことが、一秒もないんだよな。

兄貴は一秒もでかい音だと思ったことがない。

それは、言われなかったから、気がつかなかったことではなくて、何万回言われても気がつかなかったことだ。

親父だって自分が物置から出してやったハンダゴテが使えないハンダゴテだと思ったことは一秒もないんだよ。何十回説明されても、絶対に認めない。兄貴は、親父よりもひどいから、何万回、何十万回!? 兄貴が鳴らしている音がでかい音だということを言われても、認めない。

本人が認めなければ、そのままの認知が成り立ち続ける。親父の頭のなかでは、どれだけなにを言われても、エレクトロニクス工作にも使えるハンダゴテのままであるし、兄貴の頭のなかでは、どれだけ非常識なうるさい音だと言われても、たいしてでかい音ではない音(普通の音)なのである。

で、親父は新しいハンダゴテを買ってやらないことに成功するし、兄貴はほんとうは鳴らしてはいけない音をずっと鳴らし切ることに成功する。

それから、兄貴!! うちでだけ、狂うのはやめろ。よそのうちでも、うちで鳴らしていたようなでかい音で鳴らしてみろよ。一分じゃないよ。一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、毎日毎日鳴らしてみろ。どれだけ……どれだけ、注意されるか。どれだけ悪く言われるか……。

他の人が一日に何回も注意してきても「なんだ、人がせっかく静かにしてやっるのに、あとからあとかがたがた言ってきやがって」と言って、おなじ分量ずっと鳴らしてみろ。一日で、人間関係が壊れるよ。

で、きちがい兄貴はよその人の前ではそういうことが、一分だってできないんだよな。

それどころか、他の人には、「そう思われたくない」んだよな。「自分がそういう人間だと思われたくない」という気持ちがある。実は、そういう気持ちが強い。だから、俺がきちがい兄貴がほんとうにやったことをそのまま記述して送ると、「こんな、迷惑なものを送ってきやがって」と思って、よその人の前で「弟が嘘をついている」と言って平気なんだよな。

よその人に対する態度と、俺に対する態度がちがいすぎるということについて、きちがい兄貴は、ほんのちょっとでも気がついているのか?

きちがい兄貴は、「わかげのいたり」などという害がない言葉にして表現しているけど、ちがうね。若気の至りはだれにでもあることだけど、きちがい兄貴のは、だれにでもある若気の至りじゃないのである。

きちがい兄貴が親父の態度で、ヘビメタを鳴らし続けたのは、「うち」が親父の作った「うち」だからだ。きちがい兄貴が親父の態度で否定しているのは、親父という特殊な人間が影響を与えたからだ。

だれにでもある若気の至りではなくて、「うち」「親父」という要素がなければ絶対に成り立たない若気の至り?なのである。若気の至りじゃないけどね。そういうふうに、無害化したいんだろ。「若い時はむちゃをした」「若い時はやんちゃをした」というような毒がぬけた話しにしたいんだろ。そういうことじゃない。兄貴は親父のコピーだ。他の人には、親父のやってきことがわからない。他の人にはうちにいるときの親父の態度はわからない。

特に、子供が一三歳ぐらいまでの態度なんて、ひどいものだよ。頭がおかしいからな。けど、最低でも一三年間毎日毎日やったことが、まったくわかってないんだよな。親父も「そんなんじゃない!!そんなんじゃない」と言っているよ。

兄貴も、ほんとうは、こだわりつくして毎日毎日やったことなのに「そんなんじゃない!!そんなんじゃない」と言っているんだろ。い・ま・だ・に、でかい音だということを認めない。自分がこだわって鳴らした音は、よそでは一分だって、鳴らせないような……どでかい音だということを認めろよ。

何十年、否定しているんだよ。

不誠実だろ。

ほんとうにきちがい親父のように「やったつもりがない」んだよな。こだわりつくして、きちがい兄貴がやりたいからやったことなのに……。親父もおなじなんだよ。きちがい親父が怒りたいから、怒ってた。きちがい親父が怒る理由というのは、きちがい親父の中にしかない。客観的な怒る理由がない。

ほんとうは、客観的な怒る理由がないのに、うちのひとといれば、怒っていた。こんなのは、ほんとうに頭がおかしい親父の頭の中にしか、怒る理由がないんだよ。

兄貴だって、ほんとうは、ヘビメタを鳴らす理由はない。客観的な、鳴らさなければならない理由がない。ヘッドホンではなくて、スピーカーで鳴らさなければならない、客観的な理由がない。業務上どうしても音ができることをやっているわけではない。

兄貴が、静かにするつもりになれば、いくらだって静かにできることだ。親父の場合だって、客観的には、怒る理由がないことで怒っている。他の人は「へんに」思うかもしれないけど、その場面に適応した怒る理由というのがない。

けど、うちにいれば、四六時中、頭がおかしいとしかいいようがない理由で怒っていた。ほんとうに、「了解不能」なのである。よその人は「そんなひとはいない。なんか怒る理由があったんだろう」と思うかもしれないけど、頭がおかしい理由で怒ってた。

これ、八つ当たりなんだよ。ほんとうは、本人にとっても、どうでもいいことで怒っていた。だから、爆発してしまえば、それにはまったくこだわらないのである。関心がなくなる。

で、また、次のわけのわからない、理由で怒る。家族といあわせたら、親父はずっとそうやって、何十回も怒っていたんだよ。で、それがまさしく、親父が十数年間にわたって毎日やってきたことなのに、親父は、そんな日は一日もないと思っている。

(親父が、理由もなのに、やけを起こして怒り狂ってきたことを否定しているのは)きちがい兄貴がこだわってこだわって、十数年間にわたって毎日毎日やってきたことを否定しているのとおなじだ。まあ、親父がオリジナルで兄貴がコピーだから、当然か。親父のなかでは、「そんなんじゃない」ということになっているらしい。

俺はいま、兄貴にわかるように親父の例を出している。親父がオリジナルで兄貴がコピーなのだから、親父の態度は兄貴の態度と同じだということは向きが逆向きにっている。兄貴の態度が親父とおなじなのである。兄貴は自分がされたことはわかっているのに……親父の態度が異常だということはわかっているのに、自分の態度が異常だということは親父のようにわかってないんだよ。

自分の弟に対する態度が異常だということは、親父のようにわかってない。親父はもちろん、親父の(家族に対する)態度が、異常だとは思ってないんだよ。で、兄貴は、親父の(家族に対する態度が異常)だということは、身をもって知っている。

けど、自分の(弟に対する)態度が(親父のように)異常だということは、(親父のように)わかってない。無視している。どれだけ言われてもわからない、ブラックホールになっている。

どれだけ言われても、自分のことを言われているとは思えないんだよ。これは、どれだけ言われても、自分が意地になってやったことについて言われているという感覚がないのとおなじだ。ほんとうは自分が意地になってやったことなのに、ヒトゴトなのである。自分がやったことじゃないような感じしかない。

で、これ、不思議なことなんだけど、発狂してやっているときからそうなんだよ。とめられたら発狂するほど、いやなことで、意地になってやっているのに、やっている、感覚がない。とめられたら、意地になってやるようなことなのに、やっているさいちゅう、やっているつもりが、まったくない。

ほんとうに「やってない」と思っている状態になってしまう。ほんとうは、こだわってこだわってこだわって、相手が言っていることは発狂して否定して、やりきったのに、……ぜーんぜん、自分が関わっている感じがしてないんだよな。自分がやったことだと思ってないところがある。

きちがい兄貴よ!! きちがい兄貴もおなじだ。きちがい兄貴よ!! いい加減、気がつけ!!! 自分が意地になってやってきたことが、なんなのか、気がつけ!!!

いまだに、そんなんじゃないつもりなんだよな。親父が自分が過去十数年にわたってやったことを、まったく気にしてないように、兄貴は、自分がやったことを気にしてない。ほんとうに、兄貴も親父も普通の人とはちがう。

きちがい兄貴は、よそのうちでは一分だって鳴らせないくせに!!!自分がやった音はでかくないと思っているんだからな!! いまだに!!当時、そういうつもりで、ガンガン鳴らしてたんだよ。試験期間中だろうがなんだろうが、ずっとガンガン鳴らした。すべての可能な時間、特別どでかい音……よそのうちでは絶対に鳴らすことができないようなでかい音で鳴らしてきた。


2017年8月4日金曜日

「人は働くべきだ。しかし、病気などで働けない場合はしかたがない」

「働けるのに働かない」のか「働けないから働けない」のかということが問題になることがある。「働けない人はしかたがない。しかし、働けるのに働かない人はゆるせない」と思っている人はすくなくないと思う。
しかし、この、働けるか働けないかというのは、あんまり、きちんとした基準があるわけではない。

就労可否証明書と医師の診断書があれば、いちおうは、働けるかどうかの基準になるのだろう。けど、これも、「働く」ということの範囲が問題になる。うつ病の診断や障害年金の申請書などでも、実は医師の考え方が影響する場合が多い。医師によって、だいぶ判断が異なるのが、精神疾患だ。

実は、働けるかどうかに関しては、「見た感じ」どう思うかが問題になる。通常の会話の範囲で医師の診断書を見せろとかそういうことにはならない。

どういう場合が働けて、どういう場合が働けないのかということに関して、実は、個人的な意見が分かれる。おのおのがおのおのの感覚でいっていることでしかない。「病気ならしかたがない」という場合にしても、病気の範囲が問題になる。病気というのは、狭い意味の病気なのか、なんとか障害、なんとか症といったものまで含むのかに関しては、実はおのおのの感覚の違いがある。

たとえば、A1さんA2さんA3さんがいるとしよう。そして、B1さん、B2さん、B3さんがいるとしよう。B1さんは認知症、B2さんはうつ病、B3さんは社交不安障害、B4さんは回避性パーソナリティ障害、B5さんは睡眠障害だとしよう。

その場合、A1さんは、B1さんとB2さんとB5さんは働けないからしかたがないが、B2さんとB3さんB4さんは働けるのに働かない人だと判断するかもしれない。A2さんは、B1さんは働けないからしかたがないけど、B2さん、B3さんは、B4さん、B5さんは働けるのに働かないからケシカランと思うかもしれない。

A1さんとA2さんは、「人間は働くべきだ」「しかし、働けないのであればしかたがない」とおなじように思っているとする。しかし、目の前に具体的な個人があらわれた場合、判断が異なる場合がある。

誰か具体的な個人がいて、その人が「まるまるで働けない」といった場合、「働けない」ということを信じるかどうかの違いがある。信じない場合は「まるまるさんは働けるのに働けない」と思うわけである。

で、その基準がひとりひとりちがうので、総論では「人間は働くべきだ」「しかし、働けないのであればしかたがない」と思っていたとしても、具体的な個人に関しては、その具体的な個人がおなじことを言っているのにある人は「働けないからしかたがない」と思って、また別のある人は「働けるのに、働けないと言って甘えているだけなのだから、働くべきだ」と思うというような違いがある。

つまり、意見が分かれるのである。総論ではおなじでも。なんとか病に関してどう思っているかで、個人に対する判断がちがってくる。


また、おなじなんとか病気、おなじなんとか障害、おなじなんとか症、おなじなんとか症候群でも、程度の違いがあるから、人の数だけバリエーションがあるといっていい。これは、対象となる人のバリエーションだ。そして、判断する人には、判断する人の価値基準のバリエーションがある。

だから、総論では「人は働くべきだ。しかし、病気などで働けない場合はしかたがない」と言っていても、具体的な個人に関しては、実際には、おなじように判断するとは限らない。

ようするに、その人が思っているだけなのである。「働けるのに働かないからケシカラン」と思うか「働けないのだからしかたがない」と思うかは、その人が、話を聞いて判断しているだけのことだ。



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うつ病は「病」とついてはいるけど、狭い意味での「病気」ではない。「病気」であるからには、原因が特定できなければならない。しかし、うつ病の場合は原因が特定できない。セロトニン仮説とかいろいろあるけど、仮説にすぎない。うつ病とはいっているけど、ほんとうは気分障害の一種だ。つまり、「病」ではなくて、「障害」だ。

しかし、広い意味で「病気」という言葉を使うのであれば、うつ病は病気といって差し支えないという事情がある。

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自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。