2017年9月22日金曜日

言葉(言霊)よりも体験が重要  『元気だ元気だ』と言えば、元気になる について

たとえば、騒音で体がしんどい人がいたとするだろ。

で、騒音が毎日毎日、午後一一時一〇分まで、続いたとするだろ。で、その人が、「しんどいしんどい」と言ったとするだろ。けど、その人は、ポジティブ思考にこっていて「『しんどいしんどい』と言うから『しんどく』感じるんだ。『元気だ元気だ』と言えば、元気になる」と思ったとするだろ。

けど、ほんとうはしんどかったとするだろ。言葉で「元気だ元気だ」と言っているのに、体感的にはしんどくてつらい。そういう状態が、毎日、一五年間続いたとするだろ。

一五年間、気違い的な、けたたましい騒音が鳴っているから、一五年間毎日、「元気だ元気だ」と言っているにもかかわらず「しんどかった」とするだろ。

その場合、やはり、しんどいんじゃないかと思う。言ったって、しんどい状態を一五年間毎日続けて、人間がたえられると思う?

まあ、一六年目に、あまりにもしんどいので「しんどいしんどい」と言ったする。いや、自分のブログに書いたとする。一年間、毎日書いたとする。そうしたら、一七年目に「しんどいしんどいと言うからしんどく感じるんだ。元気だ元気だと言えば、元気になる」というコメントをもらったとする。

コメントを書いた人にしてみれば、このブログの運営者(書いている人)は、一年間も「しんどいしんどい」と言い続けているネガティブな人なんだよ。けど、その人(運営者)は、一五年間も「元気だ元気だ」と言い続けた人なんだよ。こういうことが発生した場合、あなたは、どう思う?

ぼくが、「たてまえ」とか「体感」とか「現実」と言っているのはこういうことなんだ。どれだけ、「元気だ元気だ」と言ってみても、やはり、体感的にしんどかったら、しんどい。

「元気だ元気だ」と言うことで、しんどい現実がかわらない……こういうとき、どうする?

コメント主は「こいつは、『しんどいしんどい』とネガティブなことばかり書きやがって」と思っているわけだよ。けど、ブログ主は実は一五年間もコメント主が言っていることを『実践』した人だったわけだ。

「元気だ元気だ」と言っても、しんどいままだった現実はどうなる? 一五年間の体験はどうなる? 一五年間の体感はどうなる。身体感覚は、「元気だ元気だと言えば、元気になる」という命題を裏切り続けている。逆に言えば「元気だ元気だと言えば、元気になる」という理論は、その人の身体感覚(体感)を裏切り続けている。

だから??なに???

だから、ブログ主はコメント主の意見に合わせて一七年目から、「元気だ元気だ」と言い続けるべきなのかどうかだ? コメント主は一年間しか見てないから「ブログ主はしんどいしんどいとネガティブなことばかり言っているからしんどいままなんだ」と思っているかもしれない。いや、そう確信するだろう。けど、それは、事実ではない。

こういう問題があるんだよ。

まあ、「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う人は、「元気だ元気だ」と言って実際に元気になった人が多い。ジョセフ・マーフィーも中村天風も「元気だ元気だ」と言って、あるいはそれに類似した言葉を言って、病気が治ったことがある人なんだよ。だから、彼らにとっては「元気だ元気だと言えば、病気が治る」ということは真実なんだよ。言葉ではなくて、イメージ療法でもいいわけだけど、ともかく、「思い」によって病気が治ったということを経験している。

だから??なに???

だから、体験が重要なんじゃないかなと思う。違う体験をした場合、違う結論に至るんじゃないかなと思う。こういうことに関しては、特に!!!!そういうことが成り立つんじゃないかな。

本人の体感が「元気だ元気だと言えば、元気になる」という理論を裏切っているのか、裏切ってないなのか、それが重要だ。

2017年9月19日火曜日

無職歴が長いと無職歴が、ひとづきあいの足かせになる

起きてシャワーを浴びた。
ご飯は食べてない。
あとで食べる。

あ~~。

眠れないかと思ったけど、眠れた。よかった。
けど、起きてもヘビメタ騒音以降の時間があるだけだ。
ほんとうに出会いや、つきあいの維持でどれだけヘビメタ騒音が……毎日午後一一時一〇分まで鳴るヘビメタ騒音が足かせになったか。どれだけ、気違い兄貴が俺の「つきあい」を邪魔しているか。

長い間無職を続けていると、「長い間無職だ」ということ自体がつきあいのさまたげになる。ほんとう、あっちがぼくにアプローチをしてきてくれたとしても、ぼやかしてある経歴が明らかになるのがいやだから、「つきあわない」みたいなことが、何回あったか。そりゃ、つきあえば、いろいろ出てくるだろ。「どういうひとなのか」「なにをしてきた人なのか」「どういうひとなのか」ということが!!! そして、ぼくにはそれがないのである。ヘビメタ騒音でズタボロになったそれしかない。つきあいというのは、なにも女性とのつきあいに限ったことじゃない。男でもおなじだ。男の場合、学生なら学生、学生以外なら、「どういう仕事をしているか」ということを言いたがる。というか、言うだろ。で、「仕事の話しがいやだから」適当に話をあわせて、自分は仕事の話をしないようにしたいわけだけど、相手が仕事のことを言ったら、いちおう、自分も仕事のことを言わなければならないような雰囲気がある。あっちだけ、自分の仕事について語って、こっちがうなずくだけだと、不自然なんだよ。相手が仕事の話し……自分の経歴のようなものを話したら……うなずくだけではだめで、こっちもそれに対応したような自分の経歴を話さなければならないような状態になる。で、ここで、経歴を話さないで、まあ、話しをかえると、相手は、なんかはぐらされたような感じがするみたいなんだよ。なかには、「自分の仕事の話しを聞いて、自分をこバカにしたから、話を打ち切ったんだ」と思うやつまで出てくる。別に仕事をバカにしたりしてないのだけど、(自分が仕事の話をしたのに)相手が仕事の話しをしてこないとなると、なんか、バカにされたと思う人たちがいるんだよ。「せっかく、自己開示したのに、なんだ」というような感想を持つ人たちが、一定数いる。自分が自己開示した分は、相手も自己開示してくれると思っているのだ。普通、そうなんだろう。けど、自分が自己開示をしたけど、相手は自己開示をしてくれなかった。「(こいつは)職業についてかくした」「(こいつは)話しをそらした」「(こいつは)話を打ち切った」と思うと、当然、「おもしろくない」。この、第一印象の「おもしろくない」「なんだこいつ」という気持ちが、続くらしい。だいたい、そのあとも、仕事の話しはしないわけだから。仕事の話しというか「経歴」だね。で、馬鹿にされたと思いがちな人は、仕事に関係した相手が食いつくような経歴を持っている。普通は、関心を示さなければならないのだけど、俺は自分の無職に話しが及ぶのがいやだから、話を打ち切った。けど、その態度が、まるで自分を馬鹿にしているような態度だと感じたんだろう。それは、ちょっといきさつがあるんだけど、詳しくは話せない。その仕事の話しの前にちょっといきさつがある。これは、ちょっと言えない。男の場合、英会話学校に行っても、なんかの集まりに行っても、どこに行っても、仕事の話しというのは、まとわりつく。出てくる。それをしないというのは、不自然なことなんだよ。ときどき俺は、人間として(男の人にも)興味を持たれるんだけど……簡単に言うと「無職」がたたる。これ、ヘビメタ騒音がなくて、俺が普通に働いていたら、いいつきあいになったと思うんだよ。けど、そういう場合でもあんまりうまくいかない。無職の経歴が長すぎると、どうやって答えていいのかわからないことには、なるべく触れないような態度になる。で、その態度が、要するに、「仕事社会?」の日本では、へんなふーーに思われる。肩書きとか経歴は、相手との関係を決めるのに重要な役割しているのである。で、普通は、自分が自己開示した分は、相手も自己開示してくれないと、不満を感じる……みたいだ。だから、ぼくの態度は不自然なんだよ。その人たちからみると……。じゃ、働けばいいじゃないか」と思うかもしれないけど、ヘビメタ騒音「で」できない。ヘビメタ騒音障害でどうしても働くことができない。この働くというのは、普通に働くということだ。ヘビメタ騒音障害ですべての道を断たれた。高級な仕事も低級な仕事も、中ぐらいの仕事も、全部、できない。で、「ヘビメタ騒音障害」と言ったけど、当然「そんなものは認めない」というスタンスの人もいる。こいつらは、自分が!!!毎日毎日、一一歳から二五歳まで、かならず、どでかい音で夜の一一時一〇分まで、ヘビメタ騒音にさらされるという経験をしてない。だから、ヘビメタ騒音障害が、どれだけの障害かわかってない。で、こういう人たちにヘビメタ騒音障害がどれだけの障害か説明しても、わかってくれない場合が、多い。これ、わかってくれる人はわかってくれるのだけど、わかってくれない人は、徹底的にわからない。そもそも、ひとづきあいのはじめにそういうことを説明しなければならないということ自体が、不幸なことなんだよ。むなしいことなんだよ。「どうして、俺がこんなことをしなきゃいけないんだ」と思うようなことなんだよ。

一一歳から二五歳までと書いたけど、うしろの四年間は、それほどでもない。けど、ぼくは最初の七年間ですべてを失っている。普通に働ける体力なんてない。普通に通勤できる体力なんて、ない。ほんとうにヘビメタ騒音が、どれだけ「やめろ」と怒鳴り込んでも、ずっと夜の一一時一〇分まで、続く毎日が、どういう毎日だと思っているんだよ。無理なんだよ。全部無理。これも、体験してない人が「無理だと言うから無理なんだ」とか言う。おなじことを経験してないのだから、不公平だ。

2017年9月18日月曜日

レッサーパンダ帽男殺人事件5 ●近代国家と仇討ちの権利 強者と弱者の理論

現代の被害者には仇討ちの権利や決闘する権利がない。刑事事件なら警察が調べて検察が訴えるということになる。だから、容疑者(個人)と検察(国家)という対立構造ができあがる。これが、案外、被害者遺族を、いらだたせているのではないだろうか。

人権派は、国家を目の敵にして個人を守ろうとする。しかし、その個人というのは、この場合容疑者だから、罪が確定する前の加害者である場合が多い。この事件の場合、知的障害者が加害者であるような事件だから、佐藤さんみたいなひとが知的障害者側に立とうとする。中立だと言っているけど、私には加害者側に立っているように見える。

たぶん、加害者は自閉症者ではない。加害者は反社会的な性格の知的障害者だと思う。障害者というのは、言ってみれば、弱者の立場に立つ。障害者は守られなければならないのである。

しかし、この加害者とこの被害者の場合は、道路の上で立ち向かう以上、加害者が強者で、被害者が弱者だ。加害者は身長一八〇センチぐらいの大男で、包丁という武器を持っている。

一方、被害者の方は、身長はわからないけど、アニメ声?のわかい女性だ。こんなもの、どうみたって、力の差が明らかだろう。道路の上では、加害者が「強者」、被害者が「弱者」。法定では、いちおう被告が弱者で、検察側(国家)が強者なのだろう。検察は被害者にかわって、加害者(容疑者)を訴えることになっている。

しかし、検察は被害者ではない。加害者には、弁護士(弁護団)と人権保護団体が味方につく。さらに、知的障害者の犯罪ともなれば、知的障害者に特別な思い入れがある人も加害者側につく。この事件の被害者はすでになくなっているので、加害者が殺した時点で、復讐の権利・イーブンなことをする権利は永遠に剥奪されてしまったわけだ。仇討ちの権利があるのであれば、被害者遺族は、仇討ちをする権利があるということになる。

しかし、近代国家は、被害者遺族から、仇討ちの権利を剥奪してしまった。なので、こういう社会に住んでいるということが、被害者遺族にとっては、もどかしい感じがするのではないかだろうか。

路上 加害者・強者 被害者・弱者
法廷 加害者・守られた強者 国(検察)・強者 被害者・無視された弱者
障害者かどうか 加害者(障害者なので弱者) 被害者(健常者なので強者)


路上と法廷で加害者は強者だ。法廷では加害者の人権は守られる。そういう配慮がなされる。一方、被害者の遺族は、裁判を見守るということしかできない。

ともかく、路上で加害者のほうが強者なのだからどうにもならない。強者なんだけど、障害者という「弱者」属性を持っていた。だからこそ、被害者のほうの人権は、無視されるような状態になる。これは、おかしい。

「刑期を長くしても反省するとは限らない(だから、刑期を長くする必要はない)」などと言う人まで出てきてしまうしまつだ。この人は路上強者の人権しか考えてない。路上弱者の人権はどうなるのか??

「弱者」属性を持っている人の人権ばかりが尊重されて、「弱者」属性を持っている人に殺された人の人権は無視されている。また、反省してないのだから、再犯する可能性は高いので、その点でも将来の『路上弱者』の人権が無視されていると言える。


(社会的な罪と道徳的な罪の続き)佐藤さんは罪を償って早く出てきてほしいのだろうけど、被害者の遺族は早く出てきてほしくないだろう。被害者も生きていたら、早く出てきてほしいなどとは思わないだろう。

2017年9月17日日曜日

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2017年9月16日土曜日

レッサーパンダ帽男殺人事件4 情状酌量の余地ありの方向性

この加害者がまったく関係がない人を刺して殺したということがまず重要だ。それまで、あったことがない人を殺しているのである。これは、けっこう重要な事だ。たとえば、加害者は職場で前歯をおられるほどのいじめを受けていたのだけど、自分をいじめた職場の人を殺したというのであれば、情状酌量の余地はある。

文脈が大切。いじめに耐えかねて、殺したというのであれば、そこには、殺しに至るまでの理解可能な文脈がある。このいじめがもっと凄惨なものであれば、情状酌量の余地は、ひろがる。

しかし、自分になにもしなかったものを殺している。被害者側の拒否は、むしろ当然で、加害者に対して、被害者がひどいことをしたというわけではない。

たとえば、加害者と被害者が一緒に住んでいて、被害者が加害者を長年に渡っていじめていたというわけではない。そういう文脈がない。復讐の相手を間違っている。好みの女性だから自分のものにしようとした……しかし、拒絶されて頭にきたので殺したという感じだ。

刑期を長くしたって反省はしない可能性があると言っても、刑期を短くしても中位にしても反省はしないわけだから、刑期を短くする必要はない。復讐という文脈がないので、情状酌量の余地はない。

ひどいことをされたので、ひどいことをやり返したという場合、なんて言うのかな?やられたことと、やり返したことがイコールであることが望ましい。突出してはいけない。

この場合は、振り返ったときの表情が気に食わなかった(バカにされたようで頭にきた)ということだから、被害者が先に加害者にやったことが、少なすぎる。勝手に人がおどろくような格好をして外に出て、おどろかれたから「拒絶された」と思って殺したわけだから、これは、情状酌量の余地がない。

むしろ、加害者は職場の人間や加害者の父親をなぐったり蹴ったりするべきだったのである。そういう場合は情状酌量の余地がある


まず、加害者は相当にストレスをため込んだ状態になっていた。これは、自閉症の症状とは切り離して考えるべきだ。そして、かりに自分がいじめられて、ストレスを感じていたにしろ、いじめた相手にやり返すべきなのだ。職場を追われて、家に帰れない状態で、相当にストレスを感じていたと思う。家には問題のある父親がいる。その場合、やはり、やり返すなら、自分にストレスを与えた相手にやり返すべきだ。

まったく関係がない(か弱い)女性に怒りを向けてどうする? それは、自閉症とは関係がない。アニメ声じゃなければ、加害者がまじめに聞いて?犯行にはいたらなかったのではないかというのは、佐藤さんが勝手に考えたことで、加害者がそう言ったわけじゃない。アニメ声じゃなければ、加害者が刺さなかったかもしれないというのはまったくの空想だ。声の質に関係がなく、たまりきったストレスを女性にぶつけた可能性が高い。どこかで爆発するようなストレスを抱えていたというのが、重要なのではないか。それは、何度も言うけど、自閉症そのものとは関係がない。小さなことで怒って殺すというのは、ストレスをため込んだ人間の特徴であって、自閉症の特徴じゃない。

注解
加害者は「就職先では前歯を全部折られるほどひどいいじめを受ける」。

佐藤さんの偏見から、自閉症者を守る。




2017年9月12日火曜日

ヘビメタ騒音で、他のやつから下に見られて、苦しかったよ

いままで、文章を書いていた。

かなり、きてる。
限界。

本当にヘビメタ騒音でくるしい人生になっちゃったな。ヘビメタが始まってから、いいことなんてひとつもないよ。

人付き合いも気違いヘビメタ騒音でじょじょに減っていった。睡眠時間の問題があるので、人付き合いにも支障が出る。

ともかく、疲れた。

あんだけ、意地になってやって、やってないつもりなんだろうな。どれだけの意地でやり通したか? ほんとうに、精神異常と言っていい意地だ。しかも、やってないことになっているんだろ。これも、精神異常だ。ともかく、あいつはやり通した。午後四時から午後五時までは、鳴らさないで静かにしてやるとか、ヘッドホンをして静かにしてやるということがまったくなかった。それで、ゆずってやったつもりなんだろ。どこまで、気違いなんだよ。どこまで、親父とおなじなんだよ。ヘビメタ騒音「※で※」、他のやつから下に見られて、苦しかったよ。

レッサーパンダ帽男殺人事件について 自閉症というよりも、反社会性パーソナリティ障害かつ知的障害者であった可能性のほうが高い

●自閉症というよりも、反社会性パーソナリティ障害かつ知的障害者であった可能性のほうが高い


レッサーパンダ帽男殺人事件には興味がない。『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』も読んでない。あとで読むから、これは、レビューを読んだときに感じたこと。ようするに覚え書き。



加害者の場合、自閉症というよりも、反社会性パーソナリティ障害かつ知的障害者であった可能性のほうが高い。前科のことも含めて考えると、そうなる。

自閉症だからではなく、反社会性パーソナリティ障害だから、わりと簡単に犯罪行為をするのではないか。反社会性パーソナリティ障害場合、犯罪行為はそれほどたいした行為ではない。

言い切れないけど、「怒るということ」と犯罪までの距離が短いのではないかと思う。佐藤さんは加害者のことを自閉症と決めつけているけど、前科と自閉症であるということの関係性についてはどう考えているのだろうか。

たとえば、ドアの開け閉めに夢中になっている自閉症者がいるとする。この、他者から見るとまったく無意味な行為に夢中になる(繰り返しずっとやっている)ということは、自閉症の特徴の一つだ。

セックスがしたいからレイプとか、お金が欲しいから略奪というのは、わりと目的がはっきりしている。他人から見て、無意味な行為ではない。他人から見ると、なんでそんな行為に夢中になっているのかわからないような行為に夢中になるというのが自閉症の特徴の一つだ。

そして、その行為をやめさせようとすると、たしかに怒るわけだけど、怒るから殺人をするというわけではない。「怒るということ」と「殺人」までの距離は、たぶん健常者とおなじだ。自閉症者だから、「怒るということ」と殺人までの距離が短いということはない。


あとは、どちらが先に行為をしかけているかという順番について考えてみよう。たとえば、ドアの開け閉めに夢中になっている自閉症者(Aさん)をドアから引き離して、ドアの開け閉めという行為をやめさせようとすると、Aさんは怒るだろう。この場合は、夢中になっていることを他者によって中断させらそうになるから怒るわけだ。他者の自分に対する、具体的で強制的な行為がきっかけで怒るわけで、具体的で強制的な行為を先にするのは他者だ。

当人からみると、自分がなにかをやられたあとに怒るわけだ。そして、怒ったあとなにをしたいかというと、元の行為をしたいわけで、怒って元の行為に復帰しようとするのである。当人からみれば、他者による行為の中断(他者による具体的な強制的な行為)→怒りという受動的な順序だ。一方、加害者は他人の表情を読み取り、怒り、能動的に攻撃をしかけているのであって、順序がちがう。

おどろいたような表情をするというのも、行為といえば行為だ。しかし、相手の身体を拘束しようとするというような、相手の身体に力強く触れるような行為ではない。行為の強度と質がちがう。加害者がほんとうに自閉症なら、むしろ、他人の表情には鈍感だったはずだ。被害者が先に加害者の身体に触れ、加害者のなんらかの行為を中断させようとしたわけではない。

佐藤さんが(加害者は)自閉症と決めつけているところがある。本のタイトルは『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』だ。これだと、自閉症者というのは、ちょっと拒否されただけで殺人までするおそろしい人だというイメージさえ与えかねない。怒りと殺人までの距離が短いというのは、自閉症の特徴ではない。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E5%B8%BD%E7%94%B7%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

レッサーパンダ帽男殺人事件
レッサーパンダ帽男殺人事件(レッサーパンダぼうおとこさつじんじけん)とは2001年4月に東京都台東区浅草で発生した殺人事件。
「浅草レッサーパンダ事件」とも呼ばれる。

2017年9月11日月曜日

どうして、線路の横のボロい宿を借りなければならなかったか

金曜の夜から通信障害で、まだ、通信障害が続いている。じゃ、どうして、投稿できるかというと、ほんのちょっとの時間、つながるから。だから、ダウンロードというのはできない。アマゾンビデオも見れない。

いまさっき、ドクターペッパーを買いに行こうと思ったんだけど、雨が降っているからやめた。あと、今日から「幼稚園が運動会の練習」を始めたので、太鼓の音でうるさい。これ、ほんとう、でかい幼稚園のすぐ横が、どれだけうるさいかわかってないな。みんな、あんまりわかってない。

それから、幼稚園が休みの日などに修復工事をけっこうこまめにやっているので、がががががががと音がすることが多い。運動会の練習は、そーーとうにうるさいよ。

こっちは、ちょっと音量が足りないのだけど、スピーカーから英語の音声を聞いている。防音イヤーマフをつけて、音声を聞いている。スピーカーが直径八センチぐらいしかないスピーカーで、音を打ち消せるわけではない。

で、まあ、運動会の練習のときは相当にうるさいけど、勉強が出来ないというわけではない。ぼくは、線路の横で勉強したことがあるけど、線路の横でも勉強が出来ないということはない。けど、ヘビメタ騒音……至近距離のヘビメタ騒音の場合は、ほんとうに、どれだけ集中して頑張ろうとしても、勉強ができない。

どーーやってもできない。

「いっくら、ヘビメタ騒音がでかい音で鳴ってたと言ったって、たいした音で鳴ってないんだろ」みたいなことを言ったひとがいたけど、そのひとは誤解している。

線路の横と言ったけど、線路は一本じゃない。四本だ。複線が二つ。複々線だ。しかも、駅のアナウンスだって、うるさい。複々線なので、けっこう短い間隔で電車がくる。それでも、ヘビメタ騒音でなければ、勉強はできた。

どうして、線路の横のボロい宿を借りなければならなかったかというと、きちがい兄貴が、正月だというのに、朝から夜の一一時一〇分までヘビメタを鳴らしてたからだ。だから、おれが、正月のあいだ、ボロい宿に行かなければならない。

「正月は静かにしろ」と一一月から言っていたのに、どれだけ言っても、静かにしてくれなかった。結果として、一日に一分も静かにしてくれなかった。で、これ、きちがい兄貴は自分のヘビメタがうるさいから、弟が宿を借りなければならなくなった」ということを知らないんだよ。

一二月のあいださんざん、何回も何回も言われているのに、※気がつかない※。そういうレベルなんだよ。気違い親父とおなじなんだよ。これ!! 「これだって、正月だって静かにしてくれなかった」「一二月もさんざん言った」と言っても、なんて言うのかな?……本人はシランプリで知らないままなんだよ。

嫁さんの前で、「これは、ほんとうなの?」と聞かれたら「そんなのまったく知らなかった」と答える。それじゃまるで、知っていたら、正月のあいだ鳴らさないで静かにしてくれたみたいな感じじゃないか。そんなのは、一切合切ないんだよ。で、「気がつなかった」というのが、気違い兄貴の態度をそのままあらわしている。

ヘビメタ騒音で勉強ができなかったというと、いかにも俺が勉強をしたくないから、いいわけをしているように聞こえるけど、そうじゃない。で、そういうことを言わなければならないということが、もう、俺に恥をかかせることなんだよ。

で、他の人はヘビメタ騒音がどれだけ、うるさいかわかってない。だから、「どんだけ騒音が鳴ってたって勉強できる」とか「騒音がうるさいから勉強ができないなんていうのはいいわけだ」というようことを言う。

けど、それは、兄貴のヘビメタ騒音を経験してないからだろ。一〇〇人中一〇〇人が、兄貴のヘビメタ騒音の中で勉強することができないと断言できる。「どんだけ騒音が鳴ってたって勉強できる」とか「騒音がうるさいから勉強ができないなんていうのはいいわけだ」というようことを言うひとは、自分が経験してないから知らないだけ。わかってないだけ。

気違い兄貴がやったことでどうして俺が不名誉な思いをしなければならないのか。それ、一〇年二〇年三〇年、四〇年ずっと毎日そうだ。やられているときもそうだったけど、いまもそうだ。きちがい兄貴が俺に押しつけてきたことのひとつだ。

「ヘビメタ騒音で勉強ができなかった」とかいいわけに聞こえて、みっともないことも書くことにしている。どうしてかというと、実際に僕が生きている間、感じたことだからだ。実際に感じたことは、書いておく。みっともないから、書かないようにしようということはない。

それと、ヘビメタ騒音なかで、勉強することが可能かどうかというと、可能ではない。「ヘビメタ騒音がどれだけ鳴ってたって勉強ぐらいできる」と言うひとは、経験がないからわかってないだけ。それに、一〇分間できたってしかたがないんだよ。毎日、一〇年間、できなければ、意味がない。

ともかく、自分が意地になってやったことを、「知らない」と言っている時点で頭がおかしい。性格があまりにも不誠実だ。本当にどれだけ言われても、正月だろうが……正月三が日の間だろうが、絶対に、静かにしてくれなかったのに……「そんなの知らなかった」とか、気違い野郎。そういう態度でいつも鳴らしていたから、こっちは苦しいんだよ。いまだに苦しいんだよ。

どうしてかって? 駅に行くと、気違いヘビメタの記憶がそのままよみがえってしまうからだ。いま、午後一〇時二〇分だけど、午後一〇時二〇分の、「ヘビメタ騒音の雰囲気」がそのまま成立しているからだ。

もう、脳みそをとりかえないとだめなレベルだ。

それだけ、長い時間ヘビメタ騒音を押しつけた。気違い親父がハンダゴテを押しつけたとき、気違い兄貴は二日間の間、怒り狂っていたけど、毎日三六五日、そういう状態だ。ヘビメタを押しつけられて、苦しかったよ。午後一〇時二〇分は、鳴っている時間だけど、鳴っていない時間も苦しい。腹が立つ。気違い親父と接触した後、腹が立っただろ。押しつけられた後「これじゃだめだ」という気持ちになって、腹が立っただろ。不愉快な思いをしただろ。不愉快な状態ですごす時間が長かっただろ。

気違い兄貴は、ヘビメタ騒音だけではなく、気違い兄貴の態度で、俺を不愉快な思いにさせている。気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度そのものだからな。

自分が弟にそういう態度でずっと、気違いヘビメタ騒音を押しつけてきたということについて、ちょっとは自覚しろ。態度が同じなんだよ。兄貴と親父で態度がまったく同じなんだよ。

兄貴は、親父の態度に腹を立てて腹を立てて生きてきたよな。ちょっとでも接触したら、一日中腹が立つようなことをされたよな。気違い兄貴が普段、ヘビメタ騒音で押しつけていることはそういうことだ。気違い兄貴の態度は、親父の態度そのものだ。自分が親父の態度にどれだけ腹を立ててきたか、考えれば、すこしは、俺が気違い兄貴の態度に腹を立てているということがわかるよ。

これ、立場が違うから、まったくわかってないんだよね。親父だって、自分の態度がまずかったなんて思ってないよ。自分の態度がどれだけ、相手を悪い意味で興奮させるか、いらだたせるか、感情をかきむしってズタボロにするか、腹立たしい状態にさせるかなんて、まったく気にしてないよ。そんなの、「やった」なんて、思ってない。

いつもそういう態度で、気違い的なもめごとを起こしていたけど、本人は、まったくそういうつもりがないんだよ。これも、どれだけ言われたって、まったく通じない。全部毎日そういう状態だ。


2017年9月10日日曜日

精神異常者相手のもめごとは、健常者同士のもめごととは、質的にちがう

腹が痛い。
ひとりだとむなしい。

このあいだのラーメンが効いているのか?
やっぱり、お札のばい菌がもやしにうつったのだろうか?

ひとりごとを言って自分を鼓舞しているよ。

きちがいヘビメタにやられていたころの、あの坂を思い出す。学校に行くときにどうしても通らなければならない坂。ほんとうに、うちに帰るとヘビメタ騒音が鳴っているから……。あの気持ちはない。あれで、崩壊している。あの時のあの気持ちはない。死にたい。ヘビメタ騒音で死にしたい。ヘビメタ騒音が鳴っていたから、死にたい。他のことじゃない。ヘビメタ騒音が鳴っていたから、死にたい。しつこくしつこくヘビメタ騒音が鳴っていたから、暗い気持ちになる。死にたい気持ちになる。あの切れた、気持ち、ない。

みんな、きちがいが家にいて、頑固にヘビメタ騒音を一一時一一分まで鳴らしている生活を経験してない。毎日、つもったら、どういうことになるか、身をもって経験してない。兄貴だって経験してない。おまえ、兄貴、他の騒音で経験してみろ。きちがい兄貴が俺に押し付けてきたヘビメタ騒音を、他の騒音で、おなじ時間の長さ、経験してみろ。おなじ期間の長さ、経験してみろ。どういうことか、わかる。きちがい兄貴が、無視して、やってないつもりで、頑固に押し付けてきたヘビメタ騒音がどれだけ人生に負の影響を与えてるか、身をもって経験しろ。

ほんとう、他の人にはまったくないことだから、俺が、しつこく変なことを言っているようにしか聞こえない。俺が、こだわらなくてもいいことに、こだわっているようにしか聞こえない。他のやつの耳にはそういうふうにしか聞こえない。

ほんとう、どれだけ。どれだけ!!

ほんとうにきちがい兄貴は、親父とおなじで、まったくやってないつもりなんだよな。けど、発狂的な意地でこだわってこだわって、こだわって、こだわって、やって、絶対にゆずってくれない。ゆずってないのに、「ゆずってやった」と思っている気違い。頭がおかしい。

みんな、家族のひとりが、頭がおかしいやつだとどういう目に遭うかわかってない。しかも、家でだけておかしくなる、グレーなやつ。健常者、白。精神異常者、黒。精神病質者、グレー。時間限定、地域限定の気違い。他の人の前では、健常者で、家に帰ると精神異常者になる、精神病質者。いいかげんにしろ。気違い兄貴が家でやったことは、きちがい親父が、家でやったこととおなじ。で、親父がきちがい行為を意地になっているときの、態度なんて、健常者に囲まれて育った人には、想像もできない態度だ。もう、はなっから、わからない。そりゃ、健常者同士だって、もめごとはしょうじる。けど、精神異常者が相手のもめごとは、健常者同士のもめごととは、質的にちがう。

2017年9月7日木曜日

「いま現在こまっている人」をまちがった理論でせめない

だいたい、イチローは、『自分のこの夢は実現する』と思っていたかもしれないが、『すべての人の思いが、実現化する』と思っていないかもしれない。

彼が本当のところどう考えているのか、俺は知らない。

けど、イチローの場合、『すべての人の思いが、実現化する』とは考えてない可能性のほうが高い。野球の選手になると言っていた友達が、野球の選手にならずに、あるいは、なれずに、自分の前を去って行くということがあったはずだから。

『自分が野球選手になる』と考えることと『すべての思いが実現化する』と考えるのはまったく違ったことだ。これ、ほんとうに自分のいまの思いが実現化するということでいいんじゃないかなと思う。しかし、『思いは実現化する』というのは、実は、そういうことを言っているのではない。

かならず、一般化が起こる。『思い』というのは、『思い』の全体集合だ。だから、『思いではないもの』は含まれない。

なので、「思いは実現化する」と「すべての思いが実現化する」は意味的にはおなじだ。「思い」はだれの「思い」でも、「思い」なので、「すべての人の思いが実現化する」と言っているのと同じ意味になる。「思いは実現化する」と「すべての人の思いが実現化する」意味的に等価なのだ。

たとえおなじように「思いが実現化する」と言ってもその言葉にこめられた意味がまったく違う。

「自分のこの思いが実現化する」という言葉と「すべての人のすべての思いが実現化する」という言葉は違う。

つまり、ただ単に「思いが現実化する」言った場合、省略しなければ「自分のこの思いが現実化する」ということを意味している場合と省略しなければ「すべての人のすべての思いが実現化する」ということを意味している場合がある。

おなじ言葉でふたつのまったくちがったことを言える場合、そこらへんはあいまいにしておいて、理論をつなげることができる。おなじ言葉が使われているにもかかわらず、厳密なことを言えば、そのおなじ言葉が持っている意味がちがうのだけど、普通はそのことに気がつかない。おなじ言葉が使われているので、おなじ言葉が持つ意味内容がちがうということに注意がむかない。

スピリチュアリズム世界の人たちの言説?意見?理論?は、「すべての人のすべての思いが実現化する」という言説?意見?理論?なのだ。だから、イチローの思いが現実化したにしろ、最初から言っていることがちがう。

ほんとうに、「自分がなになになる」と思ってがんばっている人のことは、応援する。それは、まちがいじゃない。是非ともなってほしい。けど、「すべての人のすべての思いが実現化する」という理論を持ち出して、「いま現在こまっている人」をまちがった理論でせめないでほしい。

ぼくが言いたいのはここだ。「いま現在こまっている人は、こまっている状態を想像したから悪いんだ」「こまったこまったと言うから、こまっているんだ(こまった状態になるんだ)」と、言う人たちがいる。

この人たちは、たいていの場合、その人がこまっている原因について、まちがった考え方を持っている。少数ではあるけど「こまったこまったと言うからこまった(気分になっている)ひと」がいるかもしれない。その場合は、原因が当たっている。なので、この場合は!「こまったこまったと言うから、こまっているんだ(こまった状態になるんだ)」という理由付けは正しい。

しかし、それは、ごく少数だ。他の原因でこまっている人のほうが多い。これは、自己暗示で、すべてを語ろうとする人たちがおちいる誤謬だ。他の人の状態について、まちがった理論を使って、まちがった説明をする。けど、その人にとっては、正しい理論なのである。まちがった理論で説明されると、実際に、不愉快に思う人がいるということは、精神世界の人ならわかるよね。

『自分のこの思いは現実化する』で、いいんじゃないかな。世界のしくみとかそういうことは、考えなくて良いんじゃないかなと思う。

けど、世界のしくみをいちおう説明したあとに、だから、『あなたの思いは実現化する』と説明するのが、暗黙のルールみたいなものだから、やっぱり、副産物として『すべての思いが実現化する』という考え方が出てくる。自分のだけについて語るならいいけど、いま苦しんでいる人について語るとなると、だいぶ問題がある。

ある病気になって苦しんでいる人がいるとしよう。その人に向かって「その病気になることを想像したから、その病気になったんだ」とか「その病気が治るところを想像しないから、その病気が治らないんだ」とか「その病気が進行するところを思い浮かべたから、その病気が進行してしまったんだ(より悪くなってしまったんだ)」とか言うのは、問題がある。そうじゃない場合が多いからだ。

だいたい、その患者さんは「治るところを思い浮かべている」かもしれない。というか、思い浮かべるだけなら、何万回だって思い浮かべたかもしれないのである。けど、実際に治ってないなら、それは、思い浮かべなかったということになる。「思いはすべて実現化する」と考えているひとにとっては、そういうことになる。

なぜなら、「思い浮かべたなら、治っているはず」だからだ。「治っていないなら、それは、思い浮かべなかったからだ」ということになる。そういう自動思考が働く。まあ、これ関しては「うまく思い浮かべることができなかった」というような言い方になる場合がある。ようするに『思い浮かべる』ときの『思い浮かべ方』が悪かったから、治らないという理屈だ。

けど、これは、アトダシしだ。

「思ったら」思い方に関係なく、治るはずなのである。思ったことは、すべて現実化するわけだから。なので、やはり、思ったにもかかわらず、その病気が治ってない人は、思ってない人だということになる。

そういう決めつけが患者さんのほうじゃなくて、精神世界の人の頭の中に、発生してしまう。けど、それは、『思い浮かべた』という患者さんの証言とは矛盾する。

そうすると、『うまく思うことができない人はダメだ』というような選別理論が発生してしまう。

そういう選別理論にとりつかれた精神世界の人は「うまく思い浮かべることができる人はドンドン良くなって、うまく思い浮かべることができない人は、ドンドン悪くなる」などと言ってしまう。


そして、「うまく思い浮かべるには、どうしたらいいか」ということが、その人のキャッシュポイントになる。「自分のセミナーで説明するからセミナーにくればいい」とかそういうことになる。そのセミナーがまた、高額セミナーだったりする。

まあ、普通の経済活動の範囲に入るセミナーなら問題がないだろう。高額セミナーは、まあ、避けた方がよいのではないかと思うけど、高額セミナーに行く人の自由だ。けど、高額セミナーに出席する金がない人に、借金をすすめるところは、あんまりいい感じはしない。ぼくは、そういうところはよしたほうがよいと思うけど、借金をしてでも、高額セミナーに出席したい人の自由を束縛することはできない。成功する可能性は、ゼロにちかいけど、ゼロではない。

けど、ひとつだけ注意しておいた方がいいことがある。最初は、なんと言っていたかに注意しておいた方がいい。最初に『思いは実現化する』ということを言っていたのであれば、『思い方』『思い浮かべた』についてセミナーを開く人は避けたほうがいい。

『思いは実現化する』というのは、いままでみてきたように『すべての思いは現実化する』あるいは『思はすべて現実化する』ということと意味的に等価なので、『思い方」『思い浮かべ方』に関係なく、実現化される。……ということになる。

なので、最初の主張と、『思い浮かべ方』について語ったあとの主張はちがうということになる。思い浮かべたことは、いいことも、悪いことも、現実化するのである。もちろん、『思い方』『思い浮かべ方』に関係なく現実化する。

へたくそな思い浮かべ方だと現実化しないけど、うまい思い浮かべ方だと現実化するなんてことはない。思ったことは、いいことも、わるいことも、へたくそな思い浮かべ方でも、うまい思い浮かべ方でも、かならず、現実化する……これが、その人の最初の主張だから、『思い方』『思い浮かべ方』を持ち出したあとの主張とは、主張自体が異なるということに注意してほしい。


   *   *   *

ほんとう、なんでぼくがこんな受けないことを言わなければならないのか?

2017年9月6日水曜日

「思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある」

わりと重要なことを言っているのに、あんまり評価されないな。
ほんとうは思ってないけど、儲かりそうなことをいえばいいわけか。


もし、ヘビメタ騒音が一〇年以上続かなければ、俺も、スピリチュアリズムみたいなことは言えた。親父だけなら言えるんだよ。けど、兄貴のヘビメタ騒音がずっと続くと言えなくなる。スピリチュアリズムや認知療法的な建前は、ぼくを苦しめた。「そうじゃないから」くるしいんだ。「そうじゃないから」こまっているんだというのがあった。

基本的に、個人の不幸の量というのは、差がある。これは、感じ方の問題ではなくて、「神様的な視点に立った場合そうだ」ということだ。もちろん、神様的な視点に立つことは、完全にはできないので、そういうことを想像していった場合、そういうことが言えるのではないかということだ。神様的な視点に立つということは、神様にならなければできない。『神様』ではなくて『神様的』と書いてあるわけだが、おなじだ。

主観のなかで、神様的な視点に立った場合の話をしているだけだ。これは、ぼくだけではなくて、他の人もそうだ。神様ではないのだから、ほんとうに主観を離れて、神様的な視点に立ってものを言うということはできない。

思いはすべて現実化すると言った方が、思いは現実化することもあるし、現実化しないこともあるというよりも、うける。どうしてかというと、そういうふうに言ってほしい人が大勢いるからだ。理論的な必然ではなくて、ただ単に「思いはすべて現実化する」と言ってほしいだけなのだ。

よく、イチローの話が出る。

「イチローは小さいころ、野球選手になると言った。まわりの大人は信じてくれなかった。けど、彼自身(イチロー)は信じていたので、野球選手になれた。だから、思いは現実化する。だから、あなたの思いも現実化する」
というようなことを言う。

「思うこと」が先で、結果があとだというのは、わかる。想起しなければはじまらない。しかし、小さいころ、「野球選手になる」と言ったのに、けっきょくは、野球選手になれなかったひともいる。一例を出して、「すべてそうだ」と言ってしまうところに理論的な誤謬がある。

イチロー→なれた
思いは現実化する→正しい
なので、
あなたの思いも現実化する→正しい

という理論の展開は、一例を一般化しているだけだ。
一例を出して、一般化するという方法で、まったく逆のことを言う場合について考えてみよう。


Bさんは小さいときに「野球選手になる」と言った。(事実)
Bさんは、野球選手になれなかった。(事実)
だから、思いは現実化しない。(一例を一般化)(すべてこうだ)
だから、あなたの思いも現実化しない。(一般化したあと、一例にもどる)(すべてこうだから、あなたの場合もこうだ)


理論の誤謬がわかるだろう。そして、そういう理論の展開に抵抗を感じるのではないだろうか。「Bさんはなれなかったかもしれないけど、俺はなる」とか思ったりしないだろうか。理論の展開のしかたはおなじだけど「なれた」ほうはここちよくて、「なれなかった」ほうはここちがわるいのではないかと思う。これは、たぶん、「あなたの思いも現実化する」と言ってほしいからだろう。ここちがよい場合は、理論の誤謬なんて気にしない。

「思いは現実化する」と言っているけど、「思いはすべて現実化する」と言っていることとイコールなので、「思いは現実化する」のところでいきなり、普遍的な原理について言及していることになる。「思いは現実化する」というのは「例外のない普遍的な原理」なのである。

だから、「あなたも」と次の言葉を加えることができる。

思いが現実化するかどうかは、ちょっと考えてみればわかる。

「思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある」が正しい。
しかし、そんなことを言ったら、身も蓋もない。自分は絶対に成功すると思いたい人が、「あなたは絶対に成功する」と言ってほしくてそういう本を買うのだから、『思いは現実化する』というタイトルの本の方が『思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある』というタイトルの本よりも売れる。

しかし、ここでいちおう考えてみる必要があることについてちょっと言っておこう。イチローはそういう本を買って読んだのだろうかということだ。イチローは「自分は絶対に野球選手になる」と思って、ひたすら、野球の練習をしたのではないだろうか。イチローのような人は、確信しているので、むだがない。そんな本を読む必要がないのである。

そういう本を読む人は、確信がたりない人なのである。そういう本を読む人は、だれかに「絶対に成功する」と言ってほしい人なのである。繰り返しになるけど、それは、「絶対に成功する」という確信がどこかで欠けているからだ。


2017年9月1日金曜日

飢餓陣営の佐藤さんへ 社会的な罪と道徳的な罪 (加害者が精神異常者である場合)

それと、佐藤さんは「早く罪を償って出てきてほしい」みたいなことをぽろっと言ってたけど、これも、加害者寄りの感覚だと思う。社会的な罪と道徳的な罪みはちがう。「罪を償う」と言ってもそれは、社会的な罪を償っただけで、道徳的な罪は償っていない。

これは、「社会」が復讐の権利を個人から、うばってしまったことから生まれてる問題だ。社会が、対処しているだけなのである。社会は、社会的な罪を問うことしかできない。社会は、加害者に道徳的な罪を問うことはできない。社会が問うのは社会的な罪だけだ。

加害者が精神異常者である場合、自分がやったことがわかってないという部分があると思う。自分がやったことについて、ちゃんとした認識がないのに、道徳的な罪を償うことができるのだろうかという問題がある。自分がやったことについてちゃんとした認識がないのだから、当然、反省することもできない。

「早く罪を償って出てきてほしい」と言ったって、そこで、償われているのは社会的な罪であって、被害者が関係している道徳的な罪ではない。「罪を償う」と言っても社会が課した罰を受けるだけだから、社会との関係はあるけど、被害者との関係はない。社会的な罪を償えば、罪を償ったことになるという感覚は、被害者にしてみれば、おもしろくないものだろうと思う。

また、佐藤さんは言ってないけど「社会的な罪を償えば、それで良い」という意見は、被害者にしてみれば、おもしろくない意見だろうと思う。

そんなことをちょっと感じました!!!!

なお、社会的な罪というのは、社会的な意味での罪ということです。道徳的な罪というのは、道徳的な意味での罪ということです。




   *   *   *

あと、認定心理士のあの原稿に関しては、ほんとうに最初に書いたことが、すべてで、しつこくせがまれた?あとに書いたことは、投げやりになって、書いたことだから自分でも、あんまり当たってないと思います。あの原稿に関しては、ほんとうに、最初の感想以外のことは感じてなかった。けっこうしつこく「言いたいことがあるなら言え」と言われたので、不愉快な気持ちになって、あんまり自分も思ってないことを書いた。「なにか言いたいことがあるんだろ」とおっしゃっていましたが、「言いたいことは」うまく文章にすることができなかったけど、あった。そのなにか言いたいことというのは「ヘビメタ騒音のこと」「親父のこと」「兄貴のこと」「無職の現象学」に書いたこと、「引きこもりの現象学」に書いたこと、であって、認定心理士のあの原稿についてではないんです。ほんとうにあの原稿に関しては、正直言ってしまうと、どうでもよかった。話に出てくる人のことも、その認定心理士のこともどうでもよかった。ぼくが言いたいことというのは、主に「無職の現象学」に書いたことと「引きこもりの現象学」に書いたことだから、そっちほうをよろしければ読んでください。

   *   *   *
今回の話しとは関係がないことですけど、
市場経済社会における労働について考えるならカール・ポランニーの『大転換』『経済の文明史』は、必読書だと思う。労働と書いたけどこの場合の労働というのは「働くということ」と同義です。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。