2017年9月22日金曜日

言葉(言霊)よりも体験が重要  『元気だ元気だ』と言えば、元気になる について

たとえば、騒音で体がしんどい人がいたとするだろ。

で、騒音が毎日毎日、午後一一時一〇分まで、続いたとするだろ。で、その人が、「しんどいしんどい」と言ったとするだろ。けど、その人は、ポジティブ思考にこっていて「『しんどいしんどい』と言うから『しんどく』感じるんだ。『元気だ元気だ』と言えば、元気になる」と思ったとするだろ。

けど、ほんとうはしんどかったとするだろ。言葉で「元気だ元気だ」と言っているのに、体感的にはしんどくてつらい。そういう状態が、毎日、一五年間続いたとするだろ。

一五年間、気違い的な、けたたましい騒音が鳴っているから、一五年間毎日、「元気だ元気だ」と言っているにもかかわらず「しんどかった」とするだろ。

その場合、やはり、しんどいんじゃないかと思う。言ったって、しんどい状態を一五年間毎日続けて、人間がたえられると思う?

まあ、一六年目に、あまりにもしんどいので「しんどいしんどい」と言ったする。いや、自分のブログに書いたとする。一年間、毎日書いたとする。そうしたら、一七年目に「しんどいしんどいと言うからしんどく感じるんだ。元気だ元気だと言えば、元気になる」というコメントをもらったとする。

コメントを書いた人にしてみれば、このブログの運営者(書いている人)は、一年間も「しんどいしんどい」と言い続けているネガティブな人なんだよ。けど、その人(運営者)は、一五年間も「元気だ元気だ」と言い続けた人なんだよ。こういうことが発生した場合、あなたは、どう思う?

ぼくが、「たてまえ」とか「体感」とか「現実」と言っているのはこういうことなんだ。どれだけ、「元気だ元気だ」と言ってみても、やはり、体感的にしんどかったら、しんどい。

「元気だ元気だ」と言うことで、しんどい現実がかわらない……こういうとき、どうする?

コメント主は「こいつは、『しんどいしんどい』とネガティブなことばかり書きやがって」と思っているわけだよ。けど、ブログ主は実は一五年間もコメント主が言っていることを『実践』した人だったわけだ。

「元気だ元気だ」と言っても、しんどいままだった現実はどうなる? 一五年間の体験はどうなる? 一五年間の体感はどうなる。身体感覚は、「元気だ元気だと言えば、元気になる」という命題を裏切り続けている。逆に言えば「元気だ元気だと言えば、元気になる」という理論は、その人の身体感覚(体感)を裏切り続けている。

だから??なに???

だから、ブログ主はコメント主の意見に合わせて一七年目から、「元気だ元気だ」と言い続けるべきなのかどうかだ? コメント主は一年間しか見てないから「ブログ主はしんどいしんどいとネガティブなことばかり言っているからしんどいままなんだ」と思っているかもしれない。いや、そう確信するだろう。けど、それは、事実ではない。

こういう問題があるんだよ。

まあ、「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う人は、「元気だ元気だ」と言って実際に元気になった人が多い。ジョセフ・マーフィーも中村天風も「元気だ元気だ」と言って、あるいはそれに類似した言葉を言って、病気が治ったことがある人なんだよ。だから、彼らにとっては「元気だ元気だと言えば、病気が治る」ということは真実なんだよ。言葉ではなくて、イメージ療法でもいいわけだけど、ともかく、「思い」によって病気が治ったということを経験している。

だから??なに???

だから、体験が重要なんじゃないかなと思う。違う体験をした場合、違う結論に至るんじゃないかなと思う。こういうことに関しては、特に!!!!そういうことが成り立つんじゃないかな。

本人の体感が「元気だ元気だと言えば、元気になる」という理論を裏切っているのか、裏切ってないなのか、それが重要だ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。