2017年9月6日水曜日

「思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある」

わりと重要なことを言っているのに、あんまり評価されないな。
ほんとうは思ってないけど、儲かりそうなことをいえばいいわけか。


もし、ヘビメタ騒音が一〇年以上続かなければ、俺も、スピリチュアリズムみたいなことは言えた。親父だけなら言えるんだよ。けど、兄貴のヘビメタ騒音がずっと続くと言えなくなる。スピリチュアリズムや認知療法的な建前は、ぼくを苦しめた。「そうじゃないから」くるしいんだ。「そうじゃないから」こまっているんだというのがあった。

基本的に、個人の不幸の量というのは、差がある。これは、感じ方の問題ではなくて、「神様的な視点に立った場合そうだ」ということだ。もちろん、神様的な視点に立つことは、完全にはできないので、そういうことを想像していった場合、そういうことが言えるのではないかということだ。神様的な視点に立つということは、神様にならなければできない。『神様』ではなくて『神様的』と書いてあるわけだが、おなじだ。

主観のなかで、神様的な視点に立った場合の話をしているだけだ。これは、ぼくだけではなくて、他の人もそうだ。神様ではないのだから、ほんとうに主観を離れて、神様的な視点に立ってものを言うということはできない。

思いはすべて現実化すると言った方が、思いは現実化することもあるし、現実化しないこともあるというよりも、うける。どうしてかというと、そういうふうに言ってほしい人が大勢いるからだ。理論的な必然ではなくて、ただ単に「思いはすべて現実化する」と言ってほしいだけなのだ。

よく、イチローの話が出る。

「イチローは小さいころ、野球選手になると言った。まわりの大人は信じてくれなかった。けど、彼自身(イチロー)は信じていたので、野球選手になれた。だから、思いは現実化する。だから、あなたの思いも現実化する」
というようなことを言う。

「思うこと」が先で、結果があとだというのは、わかる。想起しなければはじまらない。しかし、小さいころ、「野球選手になる」と言ったのに、けっきょくは、野球選手になれなかったひともいる。一例を出して、「すべてそうだ」と言ってしまうところに理論的な誤謬がある。

イチロー→なれた
思いは現実化する→正しい
なので、
あなたの思いも現実化する→正しい

という理論の展開は、一例を一般化しているだけだ。
一例を出して、一般化するという方法で、まったく逆のことを言う場合について考えてみよう。


Bさんは小さいときに「野球選手になる」と言った。(事実)
Bさんは、野球選手になれなかった。(事実)
だから、思いは現実化しない。(一例を一般化)(すべてこうだ)
だから、あなたの思いも現実化しない。(一般化したあと、一例にもどる)(すべてこうだから、あなたの場合もこうだ)


理論の誤謬がわかるだろう。そして、そういう理論の展開に抵抗を感じるのではないだろうか。「Bさんはなれなかったかもしれないけど、俺はなる」とか思ったりしないだろうか。理論の展開のしかたはおなじだけど「なれた」ほうはここちよくて、「なれなかった」ほうはここちがわるいのではないかと思う。これは、たぶん、「あなたの思いも現実化する」と言ってほしいからだろう。ここちがよい場合は、理論の誤謬なんて気にしない。

「思いは現実化する」と言っているけど、「思いはすべて現実化する」と言っていることとイコールなので、「思いは現実化する」のところでいきなり、普遍的な原理について言及していることになる。「思いは現実化する」というのは「例外のない普遍的な原理」なのである。

だから、「あなたも」と次の言葉を加えることができる。

思いが現実化するかどうかは、ちょっと考えてみればわかる。

「思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある」が正しい。
しかし、そんなことを言ったら、身も蓋もない。自分は絶対に成功すると思いたい人が、「あなたは絶対に成功する」と言ってほしくてそういう本を買うのだから、『思いは現実化する』というタイトルの本の方が『思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある』というタイトルの本よりも売れる。

しかし、ここでいちおう考えてみる必要があることについてちょっと言っておこう。イチローはそういう本を買って読んだのだろうかということだ。イチローは「自分は絶対に野球選手になる」と思って、ひたすら、野球の練習をしたのではないだろうか。イチローのような人は、確信しているので、むだがない。そんな本を読む必要がないのである。

そういう本を読む人は、確信がたりない人なのである。そういう本を読む人は、だれかに「絶対に成功する」と言ってほしい人なのである。繰り返しになるけど、それは、「絶対に成功する」という確信がどこかで欠けているからだ。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。