2017年9月7日木曜日

「いま現在こまっている人」をまちがった理論でせめない

だいたい、イチローは、『自分のこの夢は実現する』と思っていたかもしれないが、『すべての人の思いが、実現化する』と思っていないかもしれない。

彼が本当のところどう考えているのか、俺は知らない。

けど、イチローの場合、『すべての人の思いが、実現化する』とは考えてない可能性のほうが高い。野球の選手になると言っていた友達が、野球の選手にならずに、あるいは、なれずに、自分の前を去って行くということがあったはずだから。

『自分が野球選手になる』と考えることと『すべての思いが実現化する』と考えるのはまったく違ったことだ。これ、ほんとうに自分のいまの思いが実現化するということでいいんじゃないかなと思う。しかし、『思いは実現化する』というのは、実は、そういうことを言っているのではない。

かならず、一般化が起こる。『思い』というのは、『思い』の全体集合だ。だから、『思いではないもの』は含まれない。

なので、「思いは実現化する」と「すべての思いが実現化する」は意味的にはおなじだ。「思い」はだれの「思い」でも、「思い」なので、「すべての人の思いが実現化する」と言っているのと同じ意味になる。「思いは実現化する」と「すべての人の思いが実現化する」意味的に等価なのだ。

たとえおなじように「思いが実現化する」と言ってもその言葉にこめられた意味がまったく違う。

「自分のこの思いが実現化する」という言葉と「すべての人のすべての思いが実現化する」という言葉は違う。

つまり、ただ単に「思いが現実化する」言った場合、省略しなければ「自分のこの思いが現実化する」ということを意味している場合と省略しなければ「すべての人のすべての思いが実現化する」ということを意味している場合がある。

おなじ言葉でふたつのまったくちがったことを言える場合、そこらへんはあいまいにしておいて、理論をつなげることができる。おなじ言葉が使われているにもかかわらず、厳密なことを言えば、そのおなじ言葉が持っている意味がちがうのだけど、普通はそのことに気がつかない。おなじ言葉が使われているので、おなじ言葉が持つ意味内容がちがうということに注意がむかない。

スピリチュアリズム世界の人たちの言説?意見?理論?は、「すべての人のすべての思いが実現化する」という言説?意見?理論?なのだ。だから、イチローの思いが現実化したにしろ、最初から言っていることがちがう。

ほんとうに、「自分がなになになる」と思ってがんばっている人のことは、応援する。それは、まちがいじゃない。是非ともなってほしい。けど、「すべての人のすべての思いが実現化する」という理論を持ち出して、「いま現在こまっている人」をまちがった理論でせめないでほしい。

ぼくが言いたいのはここだ。「いま現在こまっている人は、こまっている状態を想像したから悪いんだ」「こまったこまったと言うから、こまっているんだ(こまった状態になるんだ)」と、言う人たちがいる。

この人たちは、たいていの場合、その人がこまっている原因について、まちがった考え方を持っている。少数ではあるけど「こまったこまったと言うからこまった(気分になっている)ひと」がいるかもしれない。その場合は、原因が当たっている。なので、この場合は!「こまったこまったと言うから、こまっているんだ(こまった状態になるんだ)」という理由付けは正しい。

しかし、それは、ごく少数だ。他の原因でこまっている人のほうが多い。これは、自己暗示で、すべてを語ろうとする人たちがおちいる誤謬だ。他の人の状態について、まちがった理論を使って、まちがった説明をする。けど、その人にとっては、正しい理論なのである。まちがった理論で説明されると、実際に、不愉快に思う人がいるということは、精神世界の人ならわかるよね。

『自分のこの思いは現実化する』で、いいんじゃないかな。世界のしくみとかそういうことは、考えなくて良いんじゃないかなと思う。

けど、世界のしくみをいちおう説明したあとに、だから、『あなたの思いは実現化する』と説明するのが、暗黙のルールみたいなものだから、やっぱり、副産物として『すべての思いが実現化する』という考え方が出てくる。自分のだけについて語るならいいけど、いま苦しんでいる人について語るとなると、だいぶ問題がある。

ある病気になって苦しんでいる人がいるとしよう。その人に向かって「その病気になることを想像したから、その病気になったんだ」とか「その病気が治るところを想像しないから、その病気が治らないんだ」とか「その病気が進行するところを思い浮かべたから、その病気が進行してしまったんだ(より悪くなってしまったんだ)」とか言うのは、問題がある。そうじゃない場合が多いからだ。

だいたい、その患者さんは「治るところを思い浮かべている」かもしれない。というか、思い浮かべるだけなら、何万回だって思い浮かべたかもしれないのである。けど、実際に治ってないなら、それは、思い浮かべなかったということになる。「思いはすべて実現化する」と考えているひとにとっては、そういうことになる。

なぜなら、「思い浮かべたなら、治っているはず」だからだ。「治っていないなら、それは、思い浮かべなかったからだ」ということになる。そういう自動思考が働く。まあ、これ関しては「うまく思い浮かべることができなかった」というような言い方になる場合がある。ようするに『思い浮かべる』ときの『思い浮かべ方』が悪かったから、治らないという理屈だ。

けど、これは、アトダシしだ。

「思ったら」思い方に関係なく、治るはずなのである。思ったことは、すべて現実化するわけだから。なので、やはり、思ったにもかかわらず、その病気が治ってない人は、思ってない人だということになる。

そういう決めつけが患者さんのほうじゃなくて、精神世界の人の頭の中に、発生してしまう。けど、それは、『思い浮かべた』という患者さんの証言とは矛盾する。

そうすると、『うまく思うことができない人はダメだ』というような選別理論が発生してしまう。

そういう選別理論にとりつかれた精神世界の人は「うまく思い浮かべることができる人はドンドン良くなって、うまく思い浮かべることができない人は、ドンドン悪くなる」などと言ってしまう。


そして、「うまく思い浮かべるには、どうしたらいいか」ということが、その人のキャッシュポイントになる。「自分のセミナーで説明するからセミナーにくればいい」とかそういうことになる。そのセミナーがまた、高額セミナーだったりする。

まあ、普通の経済活動の範囲に入るセミナーなら問題がないだろう。高額セミナーは、まあ、避けた方がよいのではないかと思うけど、高額セミナーに行く人の自由だ。けど、高額セミナーに出席する金がない人に、借金をすすめるところは、あんまりいい感じはしない。ぼくは、そういうところはよしたほうがよいと思うけど、借金をしてでも、高額セミナーに出席したい人の自由を束縛することはできない。成功する可能性は、ゼロにちかいけど、ゼロではない。

けど、ひとつだけ注意しておいた方がいいことがある。最初は、なんと言っていたかに注意しておいた方がいい。最初に『思いは実現化する』ということを言っていたのであれば、『思い方』『思い浮かべた』についてセミナーを開く人は避けたほうがいい。

『思いは実現化する』というのは、いままでみてきたように『すべての思いは現実化する』あるいは『思はすべて現実化する』ということと意味的に等価なので、『思い方」『思い浮かべ方』に関係なく、実現化される。……ということになる。

なので、最初の主張と、『思い浮かべ方』について語ったあとの主張はちがうということになる。思い浮かべたことは、いいことも、悪いことも、現実化するのである。もちろん、『思い方』『思い浮かべ方』に関係なく現実化する。

へたくそな思い浮かべ方だと現実化しないけど、うまい思い浮かべ方だと現実化するなんてことはない。思ったことは、いいことも、わるいことも、へたくそな思い浮かべ方でも、うまい思い浮かべ方でも、かならず、現実化する……これが、その人の最初の主張だから、『思い方』『思い浮かべ方』を持ち出したあとの主張とは、主張自体が異なるということに注意してほしい。


   *   *   *

ほんとう、なんでぼくがこんな受けないことを言わなければならないのか?
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。