2017年12月13日水曜日

ネガティブ・エンガチョ2(ヒトゴトなのでやりがちの世界になってもいい)

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別のたとえを出そう。通り魔殺人をした人をDさん。殺された人をEさん。Eさんの父親をFさん。Eさんの母親をGさんとしよう。こういうばあい、殺されてしまったので、Eさんはこの世では、うらみをもつことができない。死んでしまっているわけだから。で、父親のFさんや母親のGさんは、Dさんをうらむだろう。Dさんの行為に不満を持つだろう。「どうしてそんなことをしたんだ」「どうしてうちの娘が殺さなければならないんだ」と思うだろう。そういうときも、実はAさんのような立場の人は、FさんやGさんが負の感情を持ったということをせめる。恨みの感情を持ったということを、せめる。それから、「この世には悪い人はいない」「みんないい人(である)」ということを言う。「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」のだから、FさんやGさんも、過去の解釈を変えれば、恨みの感情や悲しみの感情から解放されるのである。さらに、出来事はすべて中立的であるということを言う。出来事は中立的なのだ。いいとかわるいということは、解釈を与える人がきめているにすぎないなということを言う。で、この場合も、実は、ひどい目に遭ったFさんやGさんを負の感情を持ってるということで、忌み嫌う。ネガティブエンガチョなのだ。FさんやGさんが恨みの感情を表現することや、悲しみの感情を表現することは、良くないことなのである。さっき、「この世には悪い人はいない」「みんないい人(である)」ということを言ったばかりなのに。さっき、「出来事は中立的だ」と言ったばかりなのに。(ネガティブな発言をすることは、悪いことなのだ。出来事は中立的なんだろ。中立的な出来事をネガティブな出来事だと受け取っている人は、その中立的な出来事をネガティブに受け取るから、「ネガティブな出来事になる」のだろ。解釈を与えてしまっているではないか。ネガティブだと判断しているのは、他でもないAさんなのだ。ぼくは別にAさんが、自分のことについて語るならいいと思う。自分がひどいことをされたとする。そして、それをゆるしたとする。それはそれでいい。AさんがAさんの分だけ、ゆるすのはいい。他のひとの分までゆるそうとするな。他のひとに「ゆるし」を半ば、強要するな。すすめるな。ゆるさない人を悪く言うな。そういうことをされたら、人間なら普通に恨みの感情が生まれるということがある。それは、他のひとのことだから、自分が勝手にゆるしてしまうわけにはいかないのである。
Aさんは、こういう場合も、加害者であるDさんのことは悪く言わない。かならず、被害者や被害者周辺の人を悪く言う。Aさんは、被害者のEさんは、Dさんを引き寄せたのだ」などと言い出す。殺されたほうが、「引き寄せた」ので悪いのである。殺されてもしかたがないのである。なんでなら、Eさんが死を引き寄せたからである。あとは、でっち上げで、「Eさんは、将来自分が通り魔に殺されることを考えたから、殺されたのだ」などと言い出す。引き寄せ引き寄せの大合唱だ。いじめられて死んだ人は、いじめを引き寄せた。だからだめなんだと、いじめたほうのことはまるで問題にしないで、いじめられたほうをせめる。そうなると、どういうことになるかというと、「やったものがやりがちの世の中」になる。そりゃ、Aさんが所属している高次元世界では、そういうことは起こらないのかもしれないけど、この世ではそういうことが起こる。だから、高次元世界の基準をこの世に持ち込んではいけないのである。かってに高次元世界の基準を持ち込んで、悲しんでいる人を罵倒する。悪く言う。Aさんによれば「こだわらないようにするのがよい」のである。だから、娘を殺されたFさんもGさんも、過去の不幸な出来事にこだわらないようすれば良いのであるということを言う。たしかに、どれだけFさんとGさんがどれだけ悲しんでも、Eさんはこの世に帰ってこない。けど、FさんとGさんが、「すべての出来事は中立的だ。娘が殺されたのは悪いことではない。解釈の問題だから、良いことだと解釈することもできる。娘を殺した人は悪い人ではない。なぜなら、悪い人はこの世にはいないからだ」とニコニコ話し合うようになればいいとは、思えない。すべての出来事が中立的であるとしても、受け取る側には受け取る側の文脈がある。なんの罪もない娘を殺された両親が、娘を殺されたという出来事を中立的な出来事としてとらえるというのは、無理があるとは思わないか? 私は無理があると思う。どうしてなら、繰り返しになるけど、文脈があるからだ。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。