2017年12月11日月曜日

ネガティブ・エンガチョは利己心から出ていること(1)

今日は風呂に入るぞ。
あ、そういえば、行ってきた。
ちゃんと、ご飯を買ってきた。おかずを買ってきた。
パンも買ってきた。菓子パン。なぜか、菓子パン。菓子パンは体に良くないのはわかるけど、なぜか、食べたくなったから、買った。白菜の漬け物は、体に良さそうなんだけど、「国産」と書いてあるだけで、産地は特定できないので、福島周辺である可能性がある。「国産」があやしいんだよな。

「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとがいる。これは、そのひとが、そのように自分の過去を考えるというのであればまったく問題はない。けど、統一原理として、だれでもそれが成り立つと言うのであれば問題だ。そして、こういうひとたちは「すべては、まるまるだ」というような言い方が好きなので、たぶん、自分だけではなくて、他のひとにも同様に成り立っていると思っていると、思う。そうすると、これは、傲慢なわけで、「勝手に決めつけるな」と言いたくなる。このひとたちは、「やりがち」の世界を作ろうとしている。たぶん、そのひとは、感覚がずれている親にひどいことをされ続けたというような過去がないのだろう。あるいは、感覚がずれているひとにひどい濃さをされ続けたというような過去がないのだろう。ヒトゴトであればなんとだって言える。これ、かってにこの世をひどいことがない世界にしてしまっている。だから、やられたやつのことは、まったく考えてない。世の中は広いので、ほんとうはやられてないのに、妄想のなかでやられたから、現実世界でやられたと考えるひとがいる。そのひとが勝手に復讐を考えて、復讐的な行為をするという場合もある。そういう場合と、ほんとうにやられた場合はちがう。こういうひと……「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとは、実際にひどいことをされ続けた場合と実際にはひどいことをされてない場合を、まったく区別してない。「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとにとっては、どっちも同じようなものなのである。さらに、こういうひとたちは、たとえどれだけひどいことをされたにしろ、ひと?をうらんでいるひとを嫌うのである。これは、ネガティブ・エンガチョの世界だ。なんらかのことでひとをうらんでいるひとを嫌うというのは、わからないではない。それは、自分にはまったく関係がないことだからだ。自分にはまったく関係がないのに、相手の負の感情をみせられるというのは、気持ちがいいものではない……ということになっている。で、こは、これ自体が実は「負の感情」なのである。ネガティブ・エンガチョの感情なのである。だから、こういうひとは、実は、負の感情を見せられたということに関して、負の感情(ネガティブな感情)がある。そういうひとが「支配している世界」を考えてみよう。そういうひとが支配している世界は、一見、高次元のひとたちによって構成されている天国のような世界なのだけど……ほんとうは、地獄だ。キレイゴト地獄なのだ。やられたひとは、恨みの感情を持ってはいけないのである。そもそも、そういうことを言うならば、やられるというとがない世界じゃなければならないのだ。ひどいことをされるということがない世界、……そういうことを思いつくひとがいないからそういうことが実行されない世界でなければならない。ひとがいやがることを、むちゃくちゃに追求して、やるひと間がいる。そのひとは、そのひとの世界観にしたがってそういうひどいことをするわけで、そのひとの世界観のなかでは、ひどいことではないのだ。「そんなのは、たしいたことじゃない」ということになっている。あるいは、特殊な考えに基づいて「自分はそうしていい」と考えているかもしれない。他のひとがそうするのは良くないことだけじ、自分がするのはいいことだと考えているのかもしれない。あるいは、自分にはそうする権利があるからそうしていいと思っているのかもしれない。いずれにせよ、そういうひとがこの世にいる限りは、実は、キレイゴトを言うひとたちは、キレイゴト地獄を作り出すことになる。もちろん、そのひとたちがそういうことを言っているだけということになるけどね。なんの拘束力もないわけだから。だいたい、そういうことを言うひとが拘束力を持っているのであれば、そもそも、悪はなされないのである。だから、そういうひとたちが拘束力を持っているのであれば、そういうことがない世界をまず、つくらなければならない。しかし、もちろん拘束力なんてものはないから、他のひとは勝手に、ひどいことをする。その場合、ひどいことをされたひとは、ひどいことをされたと言ってはいけないということになる。
ネガティブ・エンガチョに関しては、自分の身を守りたいというのはわかるけどさ。そこまで、防衛的になっているのであれば、もちろん、他のひとの防衛心も認めなければならないということになる。実際にされたことについては、やはり、そのひとにとっては意味があることなのである。無意味化できないことなのである。もちろん、他人事であれば、無意味化できる。「言ってはいけない」と無慈悲にいうことができる。それは、防衛心から出てくることで、「高次元人」だからというわけではない。ようするに、こういうひとたちはそうではない世界に存在しながら、他人事にかんしてはそうであることを求めているだけなのだ。どうして求めるかというと、それは、自分が不愉快な思いをしたくないからである。だから、そういった意味でも、本人が考えているほど、「高次元人」ではなくて、この世の普通のひとなのだ。ほんとうは自分が不愉快な思いをしたくないという気持ちから、キレイゴトを言っているだけで、それこそ、ネガティブだ。ただ、キレイゴトで頭がいっぱいだから、自分がどれだけ、不幸なひとに無慈悲なことを言っているのか、気がつかないだけだ。


そういうひとたちというような言葉を使ったのでわかりにくいところがあると思う。「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとをAさん。本人が親に虐待されたので、子供を虐待している現在親であるひとをBさん。親に虐待されている子供をCさんということにする。そうすると、親にどれだけ虐待されても、Cさんは、「親に虐待された」と言ってはいけないということになる。それは、不幸なことでネガティブなことだから、言ってはいけないのである。また、虐待されたと言うことに関して負の感情を持ってはいけないのである。恨みの感情を持ってはいけないのである。なぜなら、恨みの感情を持つということ自体が悪いことだからである。なので、Aさんは、Cさんに、恨みの感情を持つな、虐待されたというなというようなことを求める。それは、Aさんが、他人の不満の表出を過度に気にしているから!である。他人が怒っているところを見ると、不愉快な気持ちになるからである。不幸な話を聞くと、自分も不幸な気分になるからである。だから、Cさんが事実について報告することすら、不愉快なことだと感じる。こういうこころの狭さが実はある。なお、Aさんは、Bさんのことは特にせめない。せめるというのは、攻撃になるからだ。Aさんはだれのことも攻撃したくないのである。また、「他人のやっかいな話し」に首をつっこむということはしたくないのであろう。それは、わかる。けど、これは、自分がやっかいなことに巻き込まれたくないという利己的なこころから発していることだということは、自覚しておこう。そういう自覚がまったくない。まあ、いいや。ともかく、Aさんは、Bさんのことは、せめない。Bさんが生きているにしろ、悪く言わない。これは、もちろん、Cさんの話を聞いただけでは、Cさんが話していることがほんとうに事実なのかどうかわからないということにも、原因がある。一応、話しとして聞くだけなら、中立的な立場を保たなければならないと思うのが人間だから、これは、いたしたがないことだ。しかし、Cさんの話が事実であるということがはっきりしている場合でも、Aさんは、Bさんをせめない。Aさんは、Cさんしかせめない。悪いことをしたひとではなくて、悪いことをされたひとのほうをせめる。説教をする。「恨みの気持ちをもつな」というようなことを言う。AさんはBさんのようなひとには、近づかないし、Bさんのようなひとがいるということを、キレイゴトの話しをするときは、認めてない。Aさんにとっては、Bさんはいてもいなくてもいいひとであり、同時にいてはならないひとなのである。だから、Bさんのような存在は、存在として無視する。自分が本来住むべき高次元の世界には、そんなひとはいないのである。けど、自分が住んでいるこの世にはそんなひと(Bさんのようなひと)はいる。いるけど、すでにこの世が理想世界(高次元の世界)だと無前提に思っているところがあるので、Bさんのような存在は、進んで無視するのである。やはり、いたっていなくたっておなじなのである。自分がBさんのようなひとに、ひどいことを、ずーーーっとされたことがないからだ。家族のなかにそういう人間がいるということを経験したことがない人間なので、すでに大人になっている自分は、じゅうぶんにそういう人間を避けられると思っているのだ。実際、たぶん、力関係がはっきりしている組織なかで、そういう人間に「やられたこと」がないのだと思う。だから、お花畑で平気なのだ。これは、やられたことがないから、……(Aさんは)そういうひと(Bさんのようなひとに)力関係がはっきりしている組織の中で長期間にわたって虐待されたことがないので、実際に恨みの感情がない状態なのである。これは、やられたことがないから、ないというだけのことであって、Aさんが人間的にすぐれているから、やられても恨みの感情がわかないということではない。Aさんは、実は、Cさんを道徳的にせめるという悪いことをしている。Aさんのような立場のひとは、……道徳観があるひとなら……ほんとうは(事実であるということがはっきりしたなら)Bさんのことを道徳的にせめるべきだ。せめるなら、Bさんであるはずだ。けど、Bさんのようなひとのことは、こわくて?せめられない。道徳的にせめられない。Bさんではなくて、Cさんを道徳的にせめる。「復讐心を持った」「うらみの感情を持った」ということ(自体)をせめる。これは、おかしい。
けど、Aさんは、うすっぺらな利己心からそうする。自分が不愉快な思いをしたくないという利己心から、Cさんの発言を封印しようとする。

   *   *   *

自分が不愉快な気持ちになりたくないから、自分に関係がない不幸話は聞きたくないということを認めたほうがいいんじゃないかな。ようするに、自分の気持ちが(傷つく)のがいやだから、不幸な話しをする人を、批判!するのである。ゆるしてない人を批判する。そういう自己保存的な気持ちをもうちょっと認めてあげたほうがいいよ。「真実だから言っているのではなくて、自分が不愉快な思いをしたくないから言っているだけだ」ということに気がついたほうがいい。

自分に関係がないくらい話しをされて、暗い気持ちになるというのがいやだというような気持ちはわかる。ぼくだってそういう行動をするときがある。けど、悲しんでいる人や(自分にはまったく関係がない誰かを)うらんでいる人には、それぞれ、その人(たち)の文脈があるんだなということは、理解している。自分には関係がない話しだけど理解している。実際にこの世で起こったことなら、この世で起こったことなので、そりゃ、人間としてはそう感じることもあるでしょう……そういう状態になってしまうこともあるということを理解している。気持ちを封印するのが、真実だとは思えない。やりがちの世界になってしまうのだよ。

だいたい、ゆるさない人を揶揄する人たちは……自分のそういう行動がほんとうはネガティブなことだということに気がついてない。それは、たぶん、他人の経験(妄想ではなく実際に経験した経験)に対する畏怖のこころがないのだろう。ようするに、なにもわかってないのである。ほんとうは、集合的な名詞を使うことによって、そこに含まれている人たちを、傷つけている。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。