2018年2月15日木曜日

主観の問題だから、狂っている人は、ごく普通にそう感じることができる

自分の日記だから書いちゃうけど、つまんない~~

つまんない~~~



これ、どうにかしないとな。



まあ、「おもしろい」「おもしろい」と言えば、おもしろくなるかと言うとならない。これはもう実験済み。



なにか、方法があるはずなんだけどなぁ。



「つまらない。けど、そこそこ書きたいことが書けた」

「つまらない。けど、そのうち楽しくなるかもしれない」

「つまらない。けど、楽しい瞬間があるかもしれない」

「つまらない。けど、おもしろかったときはある」(ヘビメタ騒音前だけどな。ヘビメタ騒音がはじまってからひたすら、つらい日々だった。ほんとうに、ダイヤ君がいなかったら、死んでたな。自殺してた。気違い兄貴の頑固さが、他の人にはわからない。ついでに言っておくと、ほんとうにつらいんだよ。他の人にはわからないだろうけど、ほんとうにつらいんだよ。つらすぎる。



ああいうやり方で絶交するべきではなかったな。けど、限界だった。ダイヤに言われるのは、こたえた。限界だった。一一年も毎日ヘビメタ騒音が続いてしまうからいけないんだ。実際には、もっと長く続いたのだけど、ダイヤと絶交しなければならなくなったのは、ヘビメタ騒音歴一一年目あたりだ。ヘビメタ騒音歴一二年かもしれないけど。なんか、涙が出てくるな。



ほんとーーーに頑固で、絶対にゆずってくれない。親父以上に頑固なんだよ。自分が本当にゆずることなんて、中間期末試験注だろうが、入試シーズンだろうが、一分も考えてないよ。最初から、絶対に、一分だろうがならさないで我慢するのはいやだからやらないと決めていた。

最初から、絶対に、一分だろうがヘッドホンして我慢するのはいやだからやってやらないと決めていた。「それだっていいだろ」という考え方なのだ。

「よくない」から「よくない」と何万回も言ったのに、まったく、つたわらない。親父のようにつたわらない。親父以上につたわらない。『自分が親父みたいだったなんて信じられない』とか(兄貴の嫁さんの前で)兄貴が言っているんだよ。

よく言うよ。親父そのものだよ。親父をこえる頑固さだよ。最初から、自分が損をするかたちで、ほんとうに我慢してやることなんて絶対に、考えてない。「そんなのは、絶対に一分だってやってやらない」と心に決めていた。

だから、実際に一分だって静かにしてくれなかった。

けど、気違い兄貴は、感覚器をずらして、自分が鳴らしたい音で鳴らして「いい」ということにしてしまったんだ。「どれだけやったって、やってない」ということにしてしまったんだ。「どれだけデカイ音で鳴らしたって、デカイ音で鳴らしてない」ということにしてしまったんだ。

親父とおなじ方法でしてしまったんだ。

そして、親父とおなじ方法で無視して、親父とおなじ方法で、『言われたら』怒って否定した。

で、否定したら、もう本人のなかではすんでいること……終わっていることだから『まったく言われなかったのとおなじ状態』になってしまう。

だから、「言われなかった」という気持ちで、いまは本人だって一分間も鳴らせないようなデカイデカイ音でずっと鳴らしてた。

「うちでなら」それでゆるされるのである。

「うちでなら」そういうデカイデカイ音で鳴らしたって、鳴らしてない(のとおなじ)なのである。気違い兄貴の主観としては、普通の音で鳴らしているということになってしまう。

常に鳴らしているときは、そういう感覚で鳴らすから、実際にはデカイデカイ音で鳴らしていても、普通の音で鳴らしていると錯覚してしまう。妄想してしまう。その感覚は、現実を常に裏切っているのである。


で、ぼくがちょっとだけ言いたいのは、道徳観を問題にしないのであれば!……善悪を問題にしないのであれば!……兄貴や親父のように、やりたいことをやるというのが、理想的な姿として語られることがあるということだ。

『人に迷惑をかけてもよい』ということにはなってない。けど、たとえば、気違い兄貴は、どれだけ言われたって、『弟に迷惑をかけている』と思ってなかったのである。

それは、異常なのだけど、感覚器をずらした場合は、感覚器をずらしたわけだから、本人には異常じゃないと感じられるということだ。感覚器をずらしているという感覚はないのだから、普通のことをしているとしか思わないのである。

要するに、九〇デシベルぐらいのものすごくでかい音で音を鳴らしても、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしていると本人が思っているのであれば、本人にとっては、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしているのとおなじわけだから、何時間鳴らしても問題はないと感じることができるのである。


「午後一一時一一分にはやめるのだから、三〇デシベルぐらいの音で鳴らすなら、一日に一三時間、一日一四時間鳴らしたってよい」のである。三〇デシベルぐらいの音で『がたがた言ってくる方がおかしい』と、本人は思うわけである。


実際は九〇デシベル!で鳴らしていても、本人がそう思えば、本人のなかではそうなのだ。だから、絶対に反省しない。

それから、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしているのだから、それ以上静かにしてやるかどうかは、自分の自由だということになる。


相手の言うことを聞いて、ヘッドホンをしたり、鳴らさないで静かにしてやる必要はないということになる。もし、ほんとうに三〇デシベルの音で鳴らしていると(信じているのであれば)、三〇デシベルの音で一日に一四時間鳴らすことは、道徳的に問題がないことなのである。


「静かにしてくれ」「やめてくれ」と文句を言ってくる相手がいるとするならば、それは、そう言ってきたやつが悪いと思って、鳴らし続けることは、道徳的にやってもいいことだと感じることができる。


だから、道徳を問題にするにしろ感覚器がずれているのであれば……あるいはおなじことだけど、無意識的に感覚器をずらすことができるのであれば、実際にはどれだけデカイ音で、一日に一三時間、鳴らしたとしても、問題はないと感じることができるのである。


で、それは、けっきょくは、※主観の問題だから※、狂っている人は、ごく普通にそう感じることができるのである。その場合、普通の意味で、道徳性が問題になるかというとならない。本人は、道徳心があるつもりでも、感覚をずらすことができるのであれば、本人が意識しないまま(やってないとおもっているまま)やることができるのである。

   *   *   *

道徳観を問題にしないのであれば!……善悪を問題にしないのであれば!ということは、ものすごく重要だ。人が言うことを気にしないで、自分が思ったとおりのことをやる……ということが理想として語られることがある。『人に迷惑をかけないのであれば』ということだけど……。しかし、『人に迷惑をかけているのか、かけていないのか』の認識が究極的には本人の主観に依存している限り……そういう条件付けは意味をなさない。これは、もちろん、究極的には意味をなさないと言うことだ。ふつうは、意味をなす。けど、兄貴や親父みたいに主観としては…「迷惑をかけていると思わない人」が存在する以上、『人に迷惑をかけないのであれば』という条件は、その人たちにとってまったく意味がない。無効化されていることだ。


   *   *   *

やっぱり、この世は、鳴っているこの世だ。
くるしい。
この雰囲気。この体調。だるい。くるしい。やっぱり、睡眠が関係しているような感じがする。おなじなんだよな。あのくるしかった日々とおなじなんだよな。ほーんとうに、くるしかった。あれはない。

いま、幼稚園の子供たちが、ぎゃぎゃーぎゃーーと奇声を発しているけど、ヘビメタ騒音なんて、そんなものじゃない。近距離の、兄貴のヘビメタ騒音はそんなものじゃないのだ。あんな音のなかで、勉強なんてとてもできない。どれだけ勉強が好きでも勉強ができない。「勉強ができない」とか「うるさくて勉強ができない」というと、状況に関係なく……つまり、事実と関係なく「いいわけだ」「勉強したくないからそんなことを言っている」と言い出すやつがいるけど、それはちがう。だいたい、そいつは、ヘビメタ騒音のなかで勉強したことがない。ヘビメタ騒音のなかで好きな作業をしたことがない。ゲスノカングリだと思う。本当に、好きなことを、ヘビメタ騒音のなかで……ヘビメタ騒音にさらされて……やったことがないから、わかってないだけだ。経験がないからわからないことはある。別に、そいつのIQが低いといっているわけではない。ただ、「いいわけだ」「勉強したくないからそんなことを言っている」と言うのは、そいつの頭が悪いことを暗示している。頭じゃなければ、「性格」が悪いことを暗示している。ゲスなんだよ。性格が「ゲスな。

おまえ、本当に、あの騒音のなかで勉強ができるのかよ? 毎日、続けて、週間として勉強ができるのかよ? 何千日もあの音が積み重なったら、からだの不快感が並大抵じゃないんだよ。過労死寸前の体の状態になってしまう。常に毎日、寝不足だからな。あの体の状態で、あの音が鳴っている中で、勉強なんてできるわけがないだろ。勉強どころか、好きでやりたいことも、できなくなる。好きなことでも、あの『発狂的な騒音』のなかでやると、きらいなものになってしまうからな。そのものに、ヘビメタ騒音がくっつく。時間というものがある。行為は常に現前して、ヘビメタ騒音も現前している。そうなると、行為そのものが汚染されてしまう。ヘビメタ騒音に汚染されてしまう。好きだったことがきらいなこと、いやなこと、思い浮かべたくないことになってしまう。



認知療法の説明のなかでは、
で、認知療法家が鬱病患者に対して
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。