2018年2月25日日曜日

可能性すら、絶対にない

今日は実は、歩きながらいろいろなことを考えていた。ヘビメタ騒音で重い気持ちではあるけど、それでも、いつもよりは、気楽で気持ちが良かった。空は、白く、灰色の雲がいっぱいだったけど、不思議と気持ちよかった。白い一面をおおう雲と、灰色の雲のストライプのようなグラデーションがここちよかった。



もちろん、人や車にぶつからないように、前を確認するときもあったけど、基本、空のほうを見て歩いた。まあ、上を向いて歩いてきたわけだ。すき焼きは食べなかったけど。(『上を向いて歩こう』という曲のアメリカのタイトルが『スキヤキソング』)。


入試のこととか思い出しちゃうんだよな。気違いヘビメタがはじまってからというもの、ずっと、くるしい気持ちで暮らしてきた。不安で不安でしかたがないのである。腹が立って腹が立ってしかたがないのである。憂鬱で憂鬱でしかたがないのである。

すべてにおいて、ヘビメタが足を引っぱるという感じある。頭の中で、実際に足を引っぱっている。思い浮かべることがすべて、ヘビメタ騒音でだめなのである。だめになるのである。だめになってしまうのである。やる前から、だめになってしまうのである。思い浮かべることが、不愉快で意味がないものになってしまうのである。どうやっても、どうあがいても、破綻するしかないものになってしまうのである。


気違い兄貴が、一日目から、よそのうちで静かにするように、静かにしてくれたら……。気違い兄貴が一日目から、普通にヘッドホンをして静かにしてくれたら……。どうしても、そういう考えが浮かぶ。気違い兄貴は、気違いなので、自分がやったことがわかってない。こだわってこだわってこだわって、デカイ音で鳴らしたのに、『まったくデカイ音で鳴らしたつもりがない』という認知・認識なのだ。あ・れ・だ・け・こだわって……。こだわってこだわって!!!

一日に一分もゆずってくれなかったのが違い兄貴だ。試験の時だって、一分間、ヘッドホンをしてしずかにてくれなかったのが気違い兄貴だ。気違い兄貴の『態度全般』は、他の人には絶対にわからない。けど、気違い兄貴には、わかるかもしれない。

気違い兄貴の『態度全般』というのは、気違い親父の態度全般とおなじだから。

気違い兄貴よ! 気違い兄貴は親父とまったおなじ態度で、ヘビメタ騒音を鳴らし続けて、静かにしてくれなかった。『言われれば』怒る。自分が鳴らしているときに、『やめてくれ』と言われたら、顔を真っ赤にして『絶対に静かにしてやらないぞモード』になる。自分が思いっきりデカイ音で鳴らしたいのに、それができなくなる……なんてことは、考えただけで、発狂してしまうようなことなのである。

可能性を考えただけで、めちゃくちゃに不機嫌になって、怒る。一分だって、絶対にやってやらない……と心に強く決めていることなのである。可能性すら、絶対にない状態なのである。そういうふうに、意地になって鳴らしているのに、意地になって鳴らした時間は、すべて、『鳴らしてないのとおなじ』時間なのだ。

だから、本人はまったくつもりがないという状態が常に成り立っている。どれだけ言ったって、何回ぶつかったって、親父とおなじように、そういう態度がなおらない。毎日、常に、そういう態度で鳴らす。毎日、言われたとき!!の態度がおなじなんだよ。

まあ、たまには、『静かにしてやろう』という気持ちになるときがあるのだけど、それは、気違い兄貴のなかで静かにするということであって、親父のハンダゴテとおなじで、まったく役に立たない譲歩なのだ。

で、まったく役に立たない譲歩しかしないのに、まったく役に立たない譲歩だということを、どれだけ何万回言っても、理解しない。「それじゃだめなんだ」「それじゃ、静かにしたことになってないんだ」とうことを言えば、怒る。そして、絶対の意地で鳴らし続ける。

だから、機嫌がいいときも含めて、本当には、一秒だってゆずってない。気違い兄貴が最大限譲歩したときの音のでかさは、普通の人が聞いたら『こんな大きな音で鳴らしてだいじょうぶなの?』と疑問に思うほどでかい音なんだよ。九〇デシベルは、爆音だ。九一デシベルも爆音だ。気違い兄貴の譲歩というのは、九一デシベルを九〇デシベルにしただけだから、爆音であることにはかわりがない。

しかも、五分ぐらいで九一デシベルに戻している。一日に、一四時間九〇デシベルで鳴らしていたら、でかい音で一四時間鳴らしたということになるんだよ。実際には、気違い兄貴は、一四時間鳴らせるなら、五分間九〇デシベルで、一三時間五五分九一デシベルで鳴らす。だから、一四時間中、一四時間ずっと、気違い兄貴が死す蛾にしてやったつもりの音でならすと言うことは、試験前、試験期間中だろうがない。けど、一デシベル五分間でも静かにしてやったなら、『一日中静かにしてやった』ということになってしまう。

だから、安心して、静かにしてやったつもりで、九一デシベルというデカイ音で鳴らすことができる。気違い兄貴にしてみれば、一日に一四時間鳴らすにしろ、五分間でも、静かにしてやったら、静かにしてやったということになってしまうのである。で、文章がへんなふうになるから、『静かにしてやったら』と書いたけど、本当は静かにしてない。

他のうちでは絶対にあり得ない、爆音で聞いている。あり得ないんだよ。ほかのうちでは、絶対にあり得ないでかい音なんだよ。実際気違い兄貴だって、『うちから出たら』……『よそのうちに行ったら』……『よその人といっしょに住みだしたら』……爆音で鳴らしてないのである。本当に頭にくる。うちでだけ』なのだ。うちでだけ、狂ったように鳴らしてた。で、本人は、ぜんぜん悪いと思ってない。

『うちでなら、鳴らしていい』……『うちでなら、(爆音で鳴らしても)気にしなくてもいい』という気持ちがものすごく強い。あまりにも強すぎて、まったく意識できないほど強い。

気違い兄貴にとって、うちで、ものすごくでかい音で、ヘビメタを聞くことは空気をすったりはいたりするようなことなのだ。そのくらいあたりまえだ。爆音で鳴らしているということは、普段空気を意識しないように、意識しない。ずっと、爆音で鳴らしているのに、爆音で鳴らしているということを意識しない。

よそのうちでは、一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているということを、うちにいる限りは絶対に意識しない。どれだけ言われたって、親父とおなじように跳ね返しておしまいだ。本当に、跳ね返す。本人が怒って跳ね返したら、本人が意地になってやっていることは、ぜんぜん、やってないのとおなじなんだよ。

これが、親父のしくみであり、兄貴のしくみだ。

自分がやりたいことをやり通すときの親父のしくみであり、兄貴のしくみだ。

けど、本人は『空』なのである。

やったってやってないと思っている限りどれだけやっても、からっぽなのである。本人の意識はやってないのとおじなのである。空白でからっぽ。……「やってない」のである。気違い的な意地でやったことは、全部やってないことになっている。気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で認めない。気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で『やったということ(自体)』を認めない。認めないんだよ。

一五年間にわたって、何万回何十万回言われたって、認めないんだよ。一五年間にわたって、何万回何十万回「やったって」認めないんだよ。認めないとなったら、意地でも認めない。で、やりきる。「やってんじゃない!!」……。こちら側は、そういふうに感じて怒る。けど、その怒りをどれだけぶつけても、やりきるし、「やりきっているということ」を、認めない。

   *   *   *
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。