2018年2月19日月曜日

バーチャルな人生とリアルな世界の関係

ふりかけでごはん終了。



http://giraffyk1.hatenablog.com/entry/life-as-online-gaming



↑これを読んでどう感じる?







俺のやりたかったことが、小室直樹みたいなひととケンケンガクガクの学問的な議論であるわけだから、やはり、普通の人とはいろいろとちがってくる。あとは、あっちに書いているけどヘビメタ騒音の問題がでかすぎる。







ぼくにとっては、バーチャルリアリティーのゲームですら、めんどうくさいものでしかない。



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底辺労働者になってしまうと、『バーチャルリアリティーにどっぷりとつかることができなくなってしまうのではないか』ということだ。バーチャルリアリティーにどっぷりとつかれるのは、ニートや学生といった生活費を稼がなくていい底辺予備軍?の人に限られるのではないかということ。あとは、退職者とか、その他暇な人。



これは、わりと有名な引用文だから、引用しておこうと思う。バーチャル世界にどっぷりつかっている人の考え方を良く表した文章だと思う。ファイナルファンタジー11 カズヤ氏の「FFオンラインは遊びじゃない」という発言らしい。



引用開始



133 名前:カズヤ ◆1Np/JJBAYQ [] 投稿日:2009/06/25(木) 21:28:40id:k6xdjhx8Q

マジレスするとHNMLS(*ゲーム内プレイヤーチームの意味)なんてのは遊びじゃないんだよ

仕事と同じやる気ない奴はイランし仕事だから平均12時間はインしてもらわないと駄目だ

あんたらはネタのつもりかもしれんが俺らは本気

突き詰めると命かけてんだよ

その辺はリアルと同じ会社員7年やってればそれなりのこだわりができるだろ

それと同じ俺らは7年考えぶっ通しでやってんだ

外野がごちゃごちゃ抜かすなよ


---引用終了



問題なのは、月一五万稼ぐには、現実にコミットしなければならないということだ。それも、けっこう長い時間、現実にコミットしなければならない。一日に八時間働いても、手取りで月に一二万ぐらいにしかならないひとがいっぱいいる。



その人たちにとっては、バーチャルコンソールにはいる時間がない。一日の中で、八時間働くとして、実際には、通勤時間が含まれるので、一〇時間ぐらいは拘束されることになる。そうなると、バーチャルな世界に「ひたっている」時間がなくなる。



これは、たとえば、一日に二時間働けば、だいたい月に一五万ぐらい稼げるという状態ではない。一日に二時間ぐらい働けば、残りの時間は、バーチャルコンソールに引きこもっていられるだろう。



バーチャルコンソールに引きこもっていられる時間が一日に八時間以上あるなら、バーチャルのほうがメインで、リアルのほうがサブということになる。



バーチャルのほうが生活の主体で、リアルのほうは、バーチャルな生活を支えるための些細なおまけということになる。我慢できるおまけだ。リアル世界のなかでたいして動かなくてもよいのであれば、バーチャル主体の生活ができる。



けど、それは、リアル世界で、楽に、稼げる場合に限る。リアル世界で、消耗しないと、バーチャル世界にひたっている時間が制限されるという状態だと、そもそも、バーチャルか、リアルかなどという問題自体が成立しないということになる。リアルしか選択肢がない状態だ。



バーチャルコンソールを維持するにも、実は、現実世界の電気の供給などが必要になる。それは、リアル世界の社会インフラだから、リアル世界あってのバーチャル世界だということになる。



なので、バーチャル世界にどっぷりつかれる状態が成り立つには、リアル世界がそこそこ発達していなければならないのだ。そして、リアル世界を維持するのに、リアル世界では、それほど『労力を必要としない』ということになってなければならない。



バーチャルコンソールだって、お手製のものは少なくて『製品』として供給されるわけだよ。もちろん、部品を組み立ててお手製のものを作る人もいるだろう。けど、部品はお手製のものではなくて、どこかの会社作った製品だ。LSIを手で作れる人間なんていない。LSIを作る装置が必要だ。そして、そういう装置は、たいていは、個人所有のものではない。



要するに、電力や、バーチャルコンソールを構成する製品をリアル世界から、供給されているということになる。リアル世界がなければ、当然バーチャル世界もないということになる。リアル世界における供給のコストが、じゅうぶんに低くなければ、そもそも、バーチャル世界にいりびたることができない。



バーチャル世界に引きこもっていられる状態を作るには、じゅうぶんにコストがさがってないとだめなのである。バーチャル世界に引きこもりたい人は、ニートや学生、定年退職者のように、働かなくても生活できる状態でなければならない。もちろん、一日に三、四時間働けばよいという人も、いりびたることができる。しかし、八時間働かなければならない場合は、「いりびたる」のは無理だ。いずれにせよ、バーチャル世界に引きこもりたくても、リアルの世界で長時間働くことを強要されている人は、バーチャル世界に引きこもることができない。


たとえば、バーチャル世界に人生を投入したい人がいるとする。その人がバーチャル世界に人生を投入するには、その人のバーチャル世界を支える金が必要だということになる。金の供給を受けて、リアル世界で働く必要がないなら、あるいは、働く時間がじゅうぶんに短いなら、バーチャル世界に人生を投入することができる。



これは、可能であるということだ。けど、そういう状態を維持するために、多くの人間が八時間ぐらいは働かなければならないというのであれば、みんながバーチャル世界にひたれる状態にはならない。リアル世界を維持するのに、労力とお金がかかるならば、バーチャル世界にひたれる人は、一部の人間だということになる。



一部の人間の割合は、リアル世界を維持するのにかかる労力とお金に依存する。この場合の労力というのは、人類の総労力だ。人類の総労力は人類全部の労働時間と人類全部の労働行為を掛け合わせたものだとする。要するに、人類の総労力が低くなれば、一部のひとの割合は、増す。



逆に言えば、リアル世界を維持する総労力がじゅうぶんに低くならなければ、バーチャルにどっぷりつかれる人の割合が増えない。どっぷりつかれる人と書いたけど、これは、バーチャル世界にどっぷりつかろうと思えばつかれる人という意味だ。そもそも、バーチャル世界にどっぷりつかろうと思わない人は、この集合のなかに入ってない。カウントされてない。

   *   *   *



バーチャルな世界に「沈没」する生き方が新しい生き方になるかどうかというと、一部の人の場合は、そうなる。けど、それは、一部の人に限られる。どうしてかというと、いままで説明してきたように、バーチャルな世界は、リアルな世界が供給しているものだからだ。そして、リアルな世界を維持するためには、それ相応の『労力』が必要になるからだ。

コストがじゅうぶんに下がってきたので、バーチャルな世界に「沈没」できる人も、いる。たとえば、そんなに労働しなくても生活が成り立つ人だ。こういう人たちは、ふんだんな時間をバーチャル世界で費やすことができる。ネットワークとバーチャルコンソールだけを考えれば、相当に安く、バーチャル世界にどっぷりとつかれることができる時代になった。



けど、それは、そんなに労働しなくても、生活が成り立つ人の場合だ。まあ、感じで言ってしまうと、バーチャルな世界にひたれる(可能性)をもった人は、だいたい七%~一〇%だと思う。これから、ネットワークのコストとバーチャルコンソールをそろえるコストがさがれば、その割合は増えるだろうけど、一般的にはならない。



これは、バーチャルコンソールをただ単に使う人の割合じゃなくて、リアルとバーチャルが逆転する人の割合だ。彼らにとっては、リアルこそが、バーチャルなのである。リアルこそが、関係がない話しなのである。リアルの人間関係希薄だけど、バーチャルの人間関係は濃密でなければならないのである。リアルの人間関係もバーチャルの人間関係もどうでもいい」という人はむしろ少数派なのだろう。多数派は、リアルな人間関係はどうでもいいけど、バーチャルな人間関係はどうでもいいわけじゃなという人たちなのだろう。



ここで、話しが一巡する。引用文のような考えをもつ人は、リアル世界で、希望を見いだすことができないのである。だから、バーチャルなほうで希望を見いだすしかないということになる。だから、リアル世界なんかどうでもよく、バーチャル世界が重要だということになる。



バーチャルな世界で、人間関係が強く求められているということは、……こういう話をしているあいだ……忘れてはならないことだ。バーチャルな世界を求めている人は、けっして、人間関係自体を否定しているわけではないということだ。他人と関わりたいのである。彼らにとって、人間関係は大切なことなのである。なので、バーチャルであれ、リアルであれ、人間関係なんてどうでもいいと思っている人たちとは、人種がちがう。バーチャルな世界であれ、濃密な人間関係を求めてる。

ようするに、カプセル型コンソールにとじこもって、一日中バーチャルな世界で行動している人は、世界から隔絶された人にみえるけど、実際には、普通の人とおなじような感覚の持ち主だということだ。(新しい世代?にしても)人間関係そのものを否定しているのではなくて、リアルな人間関係がいやなだけなのである。(ようするに、古い世代?とおなじように濃厚な人間関係を求めている)





   *   *   *

引用開始~--

ともかく、日本の若者はデジタルと共に育ち、情報を親の世代より簡単に確実に取り込んでいるため、気づいている。親は、ひどく頭が悪いか、時代のせいで根本的に間違っていると。この先の自分の人生は、少しの喜びと多くの苦痛で満たされている事を。もう少し聡い早熟な若者は、その少しの喜びすら、労働で失った自己の回復でしか無いことに気づいている。

引用終了~~



要するに、若者(デジタル世代?)は、この世(リアル世界での)労働に意味がないということを悟っているけど、親世代はこれがわかってないということをいっているのだろうと思う。で、これは、世代の問題にするべきではない。労働観の問題は、たしかに、世代の問題であるように思えるかもしれないけど、世代の問題じゃない。



これは、どちらかというと、根性主義と脱・根性主義の問題なのだ。ただし、根性主義(古い世代)VS 脱・根性主義(新しい世代)というような対立構造が頭の中にあると、あたかも、古い世代と新しい世代の対立であるかのように見えるのだ。ただ、見えているだけだ。

たとえば、カズヤ氏の発言を考えればよくわかる。



引用開始

マジレスするとHNMLS(*ゲーム内プレイヤーチームの意味)なんてのは遊びじゃないんだよ

仕事と同じやる気ない奴はイランし仕事だから平均12時間はインしてもらわないと駄目だ

あんたらはネタのつもりかもしれんが俺らは本気

突き詰めると命かけてんだよ

引用終了



「平均一二時間以上インしないやつは、いらない。そういうやつはまじめじゃない。真剣じゃないやつはくるな」というような主張だ。これは、古い世代の根性主義とおなじだ。「会社にきて、一二時間以上働かないやつはだめだ。そういうやつは、まじめじゃない。一二時間以上働くつもりがないなら、くるな」と古い世代?の会社員が言ったらどう思うか? 会社とゲームの違いはあるけど、言っていることはおなじなのである。「一二時間以上がんばれないやつは、いらない。くるな」こういうことを言っているだけなのだから。「一二時間以上がんばれないやつは、真剣じゃない。真剣じゃないやつはだめだ」……こういうことを言っているわけだから。



だから、悪いけど、カズヤ氏は、親世代の根性主義者とおなじだ。大切なことだからもう一度言ってしまうけど、会社とゲームの違いはあるけど、言っていることがおなじだ。根性主義なのである。根性主義は古いものでも新しいものでもない。(昭和世代?親世代?が根性主義で、平成世代?若者世代?が脱根性主義だというような見方に立ってしまうと、あたかも世代間の対立のようにも思えるけど、それは、世代の問題じゃない。古いか新しいかの問題じゃない。根性主義かどうかの問題だ)。



じゃあ、どうして、カズヤ氏(のような若い人が)ゲームの世界だけで、根性主義を(他者に向かって)主張するかということを考えなければならない。それは、現実に絶望しているからである。ここで、また一巡する。



自分が熱中しているものがあるとする。その熱中しているものは、会社の仕事でもいいし、学校の部活でもいい。自分が熱中しているものに、他人が熱中してないのは、あんまりいい気分じゃないと感じる場合がある。チームでやることに関しては、こういう感情が発生しやすい。自分が熱中して、これこれこういうことをやりたいと思っているのに、サボるやつがいる。サボっているやつはゆるせん……サボるやつがいると(これこれこういうことが達成できなくなってしまうではないか)こういう気持ちなのである。だから、会社でなんかのプロジェクトがある場合も、野球部が甲子園を目指す場合でも、熱中している人とそんなには熱中してない人の「温度差」がトラブルを引き起こすことがある。

熱中している人にとっては、「手を抜いて、ふざけているやつら」は我慢がならない存在なのである。それほど熱中してない人にとってみれば、「やることはやっているのだからいいだろ」という気持ちがある。しかし、熱中している人は、そういう言い分を聞いたら「そんなんじゃ勝てない。そんなんじゃ目標を達成できない」と怒ってしまう。

バーチャルゲームに関して、そういうことが起こると、『新しい』感じがするけど、実は、リアル世界で昔っから繰り返されていることだ。ただ単に夢中になっている人夢中になれない人の気持ちの差でしかない。新しいものくそもない。古いか新しいかの問題じゃない。


そして、職場でだって、そういうことが繰り返されているわけだ。平成生まれの人?が、昭和生まれの上司に対して、不満を抱くことがある。若い人から?すれば、根性主義の上司が言うことが、いちいち、しゃくにさわるのである。どうしてかというと、自分は、上司ほど熱中してないからだ。仕事に熱中してない。だから、そこには、部活やゲームとおなじで、温度差がある。仕事に対する『期待』がちがうのである。仕事に夢中になれないのには理由があるのだけど、ゲームに夢中になれない人だって、その人なりの理由がある。





(ゲーム内の)チームでこれこれを攻略するということと(会社内の)チームで利潤を追求するということは、大差がない。質的にはおなじだ。やりたい人と、やりたくない人の気持ちの差が行動の差になって現れるのはしかたがないことだ。


日本の労働市場と日本のインフラが関わった問題なのだ。日本だけではなく、













わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。