2018年3月13日火曜日

子供に愛情持っている親もいるし、子供に愛情持ってない親もいる

これは、きつい。やっぱり、この現実はかわらないのか?

いま、幼稚園児がぎゃーぎゃーさわいでうるさいけど、こんなものじゃないのだ。もう、ほんとうに破壊的な騒音だった。ぜんぜん違う。普通の生活騒音とぜんぜん違う。どうしてもつらい。鳴らされているあいだじゅう、どうしてもつらい。無視して勉強するということが、どうしてもできなかった。破壊的な音だから。

気違い兄貴よ! おまえ、カオ君が一分で理解したことを、何十年も絶対に認めないで理解してないわけだからな。気違い兄貴の音は、気違い兄貴が最大限ゆずってやったつもりの時間も含めて、強烈にデカイ。物理的に強烈にデカイ。だから、気違い兄貴にしたって、いま住んでいるところでは、ヘッドホンをして鳴らしているんだろ。

どうして弟の人生なら破壊してもいいんだよ。

一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、一四年間にわたって、毎日、破壊的な音で鳴らしていた。どれだけ言っても、親父のタイトでしりぞけて、頑固に鳴らしていた。兄貴が鳴らしたい音に執着して鳴らしていた。だから、デカイ音で鳴らしてないわけじゃないんだよ。

『静かにしてくれ』と言われた後も、デカイデカイ音で鳴らしていた。

それが兄貴のスタンダードだ。
毎日やったことだ。

毎日、毎時間毎分毎秒、頑固にやったことだ。本当にゆずるなんていうのは、絶対にあり得ないことなのである。一秒間ほんとうにゆずってやらなければならないとなったら「うちでは」もう、発狂するほど腹が立つんだよ。

一秒間、ヘッドホンをしてゆずってやらなければならないということを押しつけられて、一秒間ヘッドホンをしたら、一秒間発狂するほど腹を立てて「もう、こんなのやってられるか!!!」という気持ちになるんだよ。

だから、絶対に、一秒だってゆずらずに鳴らした。

ほんとうには絶対にゆずらない。
親父とおなじだからな。

本人が、発狂して「しりぞけたら」もう、一切合切関係がなくなってしまう。感覚的に一切合切関係がない存在になってしまう。発狂して相手の言い分をしりぞけたら、もう、ほんとうに「やったってやってない」の境地に入ってしまうのである。

ほんとうは、言われた後、意地になってやっているのに……発狂的意地で、ゆずらずにやっているのに……まったくやってないという気持ちになってしまう。また、「ぜんぜん言われなかったから知らない」という気持ちになってしまう。

「やるな」と言われたあと、一二時間やったら、一二時間やったんだ。「デカイ音で鳴らすな」と言われたあと、一二時間、デカイ音で鳴らしたら、一二時間デカイ音で鳴らしたということになる。事実そうしたわけだから。

けど、執着してやりきった兄貴のほうは、ぜんぜんやってないつもりなのである。『鳴らしてないつもり』なのである。デカイ音で鳴らしてないと思っている一二時間なのである。

こういうのが、ほんとうに『常識的な人』にはわからない。

だから、俺が悪く言われる。

「そんなの、言わないからダメなんだ』『問題解決能力がないんじゃないの』と。『そんなことってあるのかな』『そんな人っているのかな』と思われる。気違い兄貴の態度があまりにも変だから、そういうふうに思われる。

気違い兄貴だって親父にさんざんやられたのに、俺には、親父の態度でさんざんやって、気がつかないんだからな。本人が気がつかなければ、固執して頑固に一四年間、毎日やったことで、一日もやったことじゃないんだ。

『そんなの知らない』『そんなんじゃない』『静かにしてやった』と平気で嘘をつける。鳴らしているときから、そういう態度だ。現在進行形で鳴らしているときの態度がそういう態度だ。これ、ほんとう普通の常識的な家で生まれ育った人には、根本からわからないんだろうな。

だから、『話し合えばいい』『言えばわかってくれる』と間違った前提に立って間違ったことを言う。けど、『人間はこうだ』『家族はこうだ』『親はこうだ』という考えをもっている人は、これまた、絶対に例外があるということを認めない。認めようとしない。これは、ちょっと話がずれるけど、言っておこう。

たとえば、「子供を愛してない親なんていない」「子供に愛着感じない親なんていない」ということを言う人たちがいる。けど、その人たちはぜんぜんわかってない。たとえば、うちの父親は、親として愛情がない。父親としての愛情がない。

けど、「子供に愛着感じない親なんていない」という人たちは、それを否定する。父親自身が、本人が一歳の時に、母親も父親もこの世にいなかったので、親から愛情を受けたことがないのだ。

で、うちの父親にとって、『家』というのは、虐待された『家』でしかない。ロールモデルが完全にない。欠如している。そりゃ、親が(理由もなく)虐待してきたら、親というのは、虐待してくるものだと思うだろ。理由もなくというのは、ほんとうに理由もなくなんだよ。

その場面に応じた理由はない。

父親が、ようするに、その親代わりの人たちにとって、いらない子供だったんだよ。だから、愛情はない。逆に食い物がないのに、食い物を与えなければならないということで、(その『家』の親が)(赤ん坊の父親を)うらんでいる。

怒りの対象になる。

駆け落ちして縁が切れた(親戚)のこどもなんて、金のないその『家』にとっては、邪魔な存在しでしかないんだよ。だから、愛情はない。こういうことを言うと『そんなのは親じゃない』とか言い出す人がいる。

けど、それは、言ってはいけないことだ。生物的な親、社会的な親の話をしているのだから、生物的な親、社会的な親であれば、親なんだよ。

「愛情がないのは親じゃない」とか言い出す。そういうことを言ったら、話しの根底がめちゃくちゃになるだろ。俺が言いたいのは、「すべての親が子供に愛情持っている」という幻想はよくないということだ。

例外がいる。
例外を認めないのはよくない。

子供に愛情持っている親もいるし、子供に愛情持ってない親もいるのだ。これが現実なのに、「子供に愛情持ってない親はいない」という間違った幻想を持ち込んで、『例外』を追い詰める。『例外』が言っていることを認めない。これは、よくないことなんだよ。『例外』というのは、『例外的な人』という意味ね。

「すべての親は子供に愛情を持っている」という仮説に立つと、説明ができない事象があるんだよ。だから、そういう事象を認めずに、間違った理論で、例外的な人をまるこめこもうとするのは、よくないことだ。

「実は、親は愛情があったのに、子供がそれに気がつかなかっただけだ」とか「実は、親は愛情があったのに、ちょっとしたボタンの掛け違いで、それを表現できなかっただけだ」とか「子供ほうの気持ちが、親の行動になってあらわれたのだ」というような説明をする。はっきり言って、そういうケースもあるだろう。最初からそういうケースがあると言うことは認めている。けど、そうじゃないケースもあるのだ。だから、そうじゃないケースである人は、そういう「説明」を聞いたときに、違和感をおぼえる。そして、自我・意識側がそういう解釈をしようとすると、真実を知っている無意識側があばれだすということになってしまう。そうなると、自我は安定せず不安な気持ちになる。あるいは、さまざまな身体症状がしょうじる。だから、例外的な人の場合は、そうだったという残念な現実を認めなければならない。まあ、認めなくても、いいけどさ。そういう場合は、やはり、神経症的な症状に苦しむことになると思う。(むかしの言い方で心身症を含む)。

「ほんとうは、愛情があったのに、不器用な父親がその愛情をあらわすことができず、子供がある事件をきっかけに父親は自分を愛していないと誤解した」……そういうケースもあるだろうけど、そうじゃない場合もあるんだよ。だから、すべての場合、お涙ちょうだいケースだということはない。あたっている場合もあるけど、あたってない場合もある。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。