2018年3月15日木曜日

適切な反応を返さない人は幼稚なのではない

会社に新しい人が入ってきた場合、まあ、いろいろ話しかけるよなぁ。そして、話しかけたにもかかわらず、相手が返事をしなかったり、「ああ」とか「うう」とかわけのわからない短い言葉を発しただけだと、あんまりいい気持ちがしないというのも事実だ。話しかけても無視したり、あんまり意味のない返事しかしかない人には何種類かのタイプがある。

で、まあ、常識側の人は「せっかく、話しかけてやったのに、無視しやがって」とか「俺のことがきらいなのかな? それじゃ、わざわざ話しかけなくてもいいや」と思ったりもする。だから、返事をしなかった人に対してあんまりいい感じを持たないし、それ以降「話しかけよう」と思う気持ちがなくなる。これは、自然なことだと思う。

だから、別に悪くはない。

悪くはないけど、返事をしなかった人を「幼稚」とか「子供」とディするのはよくない。ディするというのはまあ、悪口を言うということだ。常識側の人も、その人に対してあんまりいい思いをもたないわけだから、悪口を言いたくなる気持ちもわからないではないけど、「人見知りというのは、社会人になったら言い訳にはなりませんよ」などとは言うべきではない。まず、本人が「自分は人見知りなので、(ちゃんと答えることができなくても)しかたがない」と言ったわけではないのに、「自分は人見知りなので、しかたがない」と思っていると思うのは、いかがなものかと思う。

幼稚とか子供とか、人見知りとかいったものではなくて、ほんとうに障害である可能性があるからだ。あるいは、障害ではなくても、ひどい状態を経験したために、人間に関して負の学習をしてしまった場合もある。負の学習に関しては、だれもが陥るところなので、常識側の人もいつそうなるかわからないところがある。

かりに、適切な答えを返すということを適切な答えを返す能力と仮定してみた場合、幼稚、子供、人見知りというのは、言ってみれば、最初からできないということを想定しているわけで、できていたことができなくなるといった場合を想定してない。普通に、「適切な答えを返すことができた人」が、ある日、できなくなるという場合がある。だから、この場合は、一旦はちゃんと発達してできていたわけだから「幼稚」「子供」「人見知り」というわけではない。

発達障害ではないけど、認知症というものについて考えてみよう。たとえば、六〇歳で認知症になった人は、五九歳までは「適切な答えを返すことができた」のである。だから、認知症になったあと「適切な答えを返すことができなかった」からといって、「幼稚」「子供」「人見知り」と決めつけるのは、間違いだと思う。認知症の場合は、「幼稚」「子供」「人見知り」ではないのであれば、なんらかの障害の場合は、どうだろうか?

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・場面緘黙症タイプ(内側は非常に発達していて、高度な思考にたえられるので、幼稚とか子供というわけではない。こういう人は、わかってない」わけではなくて、わかりすぎているのである。気がつかないわけではなくて、いろいろと気づいていることがありすぎて、緊張をうんでしまうのである。

なので、思考は高度に発達していて、なおかつ、空気が読めないというわけではない。読めるのだけど、気にしすぎてだめになるタイプだ。言ってみれば、他の人より、過剰にいろいろなものを読み取ってしまうので、緊張してあたふたして、うまく、答えを返せないという状態になってしまう。場面緘黙症タイプを「幼稚」「子供」などとディするほうが間違っている。場面緘黙症タイプを「幼稚」「子供」などと悪く言うほうが、それこそ、「人のことが考えられない幼稚な性格」なのではないかと思う。

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発達障害タイプ(相手に関心がないタイプ。相手が言っていることの本当の意味を読み取る能力は低い。言っていることを文字通りに理解してしまうために、「円滑なコミニュケーションをしましょう」という相手の意図がわからない場合がある。いずれにせよ、障害だとしたら「幼稚」「子供」など決めつけるのは、失礼だと思う。障害者を「幼稚」「子供」などとディするほうが、幼稚で子供だと思うなぁ。)

偏屈タイプ(コミニュケーションに関する特殊な考えをもっているので、主義として相手とのコミュニケーションをしないようにしているタイプ。これはけっこうめずらしい。けど、そういうタイプの人もいる。孤独を愛するタイプなので、ほっておこう。)

負の学習タイプ(場面緘黙症にかなり近い状態。親に問題がある人が多い。場面緘黙症をちょっと弱くした感じ。場面緘黙症にはいたらないけど、健常者と場面緘黙症者の中間あたりの存在。言語的には、じゅうぶんに発達していて、高度な思考にたえられるので、幼稚とか子供というわけではない。問題のある親とのコミュニケーションにつかれてしまったタイプ。あるいは、いやなことがたくさんありすぎて、コミュニケーションに前向きになれないタイプ。補足。こういうタイプはつらいことや不愉快なことを何回も何回も繰り返し経験してきたのではないか。普通の人よりも厳しい環境下で育ったと言えるのではないか。普通の人よりも、親に甘えることができなかった人が多いのではないかと思う。エビデンスはない。)

人見知りに関しては、テーマが大きすぎる。「幼稚」「子供」と「人見知り」では軸がちがいすぎる。人見知りはわりと壮大なテーマだよ。


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場面緘黙症タイプはほんとうにいろいろなことを気にしすぎておかしくなっているタイプだから、幼稚とはほど遠い。

ところで、話しかけたのに、無視して?反応を返さないというのは、「子供」だろうか? 「子供」は他人の働きかけに対して、反応を返している。たとえば、幼稚園の幼児は、先生の働きかけに対して反応を返しているし、他の園児の働きかけに対して反応を返している。

むしろ、ぎゃーっとわめいたり、泣いたり、飛び跳ねたりして、反応が過剰だ。子供は別に反応を返さないわけではないのである。なので、「反応を返さないので子供だ」と思う思考回路には、問題がある。

赤ん坊ですら、母親の働きかけにいろいろな反応を返している。赤ん坊、幼児、子供は、他者の働きかけに対していろいろな反応を返すのが、普通だ。

それでは、人見知りということについて考えてみると、人見知りである子供は、すでに人見知りなのである。だから、「反応を返さない」というのは、一般的な子供の特徴ではなくて、すでに人見知りである子供の特徴だということになる。

人見知りにも、いろいろなタイプがあると思う。人見知りというのは、たぶん、

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まあ、俺にしても、何回か話しかけたのに、無視されたり、「えっ」と思うような素っ気ない返事をされたりした場合、それ以上話しかけるのはやめようと思う。

けど、別に、「幼稚だ」「子供だ」と悪口を言う気にはなれない。その人が悪い人でなければ、折に触れて、なるべくコミュニケーションの輪に入れるように気を遣う。で、「幼稚だ」「子供だ」と言っている人は、「そういう気を遣わせるな(特別な配慮をしなければならないような気分にさせるな)」ということを言っているわけだろ。他人が自分に「気を遣うこと」を要求するなということを言っているわけだろ。

それは、ある意味正しい。

しかし、ほんとうにその「反応を返さない人が」そういうことを「要求」しているかどうかはわからない。「気を遣うことを要求」していた場合、そういうことを要求するのは、甘えだ(幼稚だ)と言いたいのだと思うけど、相手が「要求」してないのに、要求していると仮定して話をすすめるのは問題がある。実際には、「幼稚だ」「子供だ」と思っている人の頭のなかでは、それは、仮定されていることではなくて、断定されていることだ。だから、「甘えるな」という結論にいたるわけだから。

俺の考えでは、返事を返さなかった人は、別にそこまで要求してないと思う。ようするに、気を遣う場合は、気を遣いたい人が勝手にやっていることだ。だから、別に甘えでもなんでもない。実際に、その人が「もっと、僕に気を遣って話しかけてくださいよ」と要求してくるなら「甘え」だと思うけど、「話しかけてくるな」という態度なのだから、要求してないと考えるのが妥当だろう。

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それから、そういう人(「幼稚だ」「子供だ」と言う人)に限って、人のために生きる、人のために働くなんてことを言うんだよ。利他主義的なことを言うわけ。けど、実際の場面では、弱っている人?に気を遣うわけではなく、むしろ、「甘えんな」「ふざけんな」と敵意をむけてしまうのである。

  

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。