2018年3月29日木曜日

俺は定年退職したけど終身名誉サラリーマンで無職じゃない 無職か有職かは身分じゃない

ユー! 俺が、お母さんの食事を作ってやらなかったらどういうことになってたと思ってるんだよ。俺が、気違いヘビメタにやられたからだを引きずって、ごはんを作ってあげてたから、どうにかなった。

まあ、親父のことは考えてなかったけど、こっちに帰ってきてからずっとめしは自分でつくっている。病気でほぼ寝たきりの母親のために、ずっと俺がめしを作ってきたんだよ。ほんとうにまるでわかってないな。

ぼくの場合は、ヘビメタ騒音で働けなくなっただけだから、介護無職ではないけど、介護無職の人だっている。介護のような、シャドーワークを無視するというのはよくない。

外で働いて報酬としてお金をもらうということだけが、働くということではないということに注目しなければならない。

作りおきをしておいたので、料理をする時間は自由だった。だるいときも、なんとか力を振り絞って、そこそこのものは作っておいた。

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●無職はなにもしてないので、無価値か? という問題について。


あとは、ローマ字入力練習サイトを作って、ずっと、良い子のみんなにローマ字入力を、教えているのだ。あのサイトは、一時間、二時間以上ねばる子が、一日に二〇人ぐらいはいるんだよ。一四年間だったら、どれだけの子供が、あのサイトを利用してローマ字入力(パソコンの文字入力)を習得したかわからない。



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●社会に貢献してない無職はゴミくず同然と言っていいのかという問題。


ところで、

「社会に貢献しないとゴミくず同然」というようなことを平然と言う人たちがいる。しかし、それはおかしい。そんなことを言ったら、人間はゴミ同然の存在として生まれてきて、ゴミくず同然の存在として死ぬということになってしまう。どうせ、定年退職すれば自分だって、無職になるわけだから、あんまり無職を悪く言うもんじゃない。



自分は働いてきたからいいのだという人がいるけど、働いている状態か働いていない状態かは、過去のことではなくて、現在の状態について言うべきことだ。だから、むかしは働いていたとしても、いま働いていなければ、働いていないということになる。そして、働いていなければ、通常は、「無職である」と言っていい。(無職ではない場合もあるんだけどね)。



俺は四〇年間働いたから、終身名誉サラリーマン(終身名誉正社員)で無職じゃないとか思っている人がいそうだけど、それは間違っている。無職かどうかは、身分じゃないんだよ。

これ、身分制度と勘違いしている人がいるんだよな。だから、無職は「えたひにん」で、自分は「武農工商」のうち「商」だから人間として上だというような勘違いをしてしまう。サラリーマンをなんか、身分のようにとらえている人がいる。
サラリーマン(正社員)は身分じゃない。正規雇用されている時期が終われば、正規社員ではなくなる。終われば、正規社員じゃないただの人なんだよ。働いていなければ、無職なんだよ。



無職を「ゴミくず同然」と馬鹿にしている人は、最後には自分の言葉が自分に返ってくるんだよ。だから、そういうことはおよしなさい。それから、外で働いてない人は社会に貢献してないと考えるのはおかしい。存在しているだけで社会に貢献している。価値があるとか価値がないというのは、人それぞれが決めることだ。





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●うんこ製造器という言い方をするのであれば、人間はみんなうんこ製造器


あとは、「働いてない人はうんこ製造器」という言い方があるが、人間は「うんこ製造器」に他ならないのである。言ってみれば、働くうんこ製造器と働かないうんこ製造器がある(いる)ということになる。

だいたい、「無職はうんこ製造器」「働いてないやつはうんこ製造器」とか言う人に限って、「人間は助け合い」とか「困ったときは、おたがいさま」とか「社会は助け合いでできている」などと言う。自分が矛盾したことを言っているということに気がつかないのかね。



何度も言うけど、うんこ製造器であるかどうか問題にするのであれば、存在している人間はすべてうんこ製造器なのである。人間だけではなくて、犬や猫もそうだ。動物はうんこ製造器ということになってしまう。よく考えてものを発言したほうがいいと思う。



こういう発言の裏には、無職蔑視があって、その無職蔑視はなんか身分制度のような感覚に裏付けされているのである。(実際に、自分が無職であっても、無職ではないと感じている人が多い)。働いているとき、「無職はうんこ製造器」と言っていた人が、働けなくなったら、自分のことについてどう感じるかが問題だ。

「自分は働けるから価値のある人間だ」と根底のところで思っているのであれば、自己無価値感にとらわれるだろう。働いているか、働いていないかに関係なく、価値があるという考え方のほうが、より有効に人生を生きられるとは思わないか?

しつこくなるけど、無意識的なレベルで「働いている自分には価値があるが、働いていない自分には価値がない」と思っていると、働いているときはいいけど、なんらかの理由で働けなくなったときは、悲惨だぞ。まあ、自分は終身名誉サラリーマンだから、よいのだいう逃げ道もあるけどな。けど、それは意識レベルの話しで、無意識レベルで「働いてない人には価値がない」と思っているとなると、やはり、問題がある。




わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。