2018年3月15日木曜日

僕の常識とは土台が違う

気違い家族に毎日たたられたことがない人が言うことを僕は、まったく信用できない。家族というのが問題なんだよ。家族というのが……。毎日おなじうちで、いっしょにすごしている人間であるということが、強烈に重要だ。

学校でいじめられても、学校でいじめられるだけなら、生活を一緒にしている家族にいじめられることとは違った意味を持つだろう。毎日、いっしょに暮らしているものが気違いだった場合……どういうことになるか? ここで言う気違いというのは、感覚がずれているということである。

感覚がずれているというのは、たとえば、大きな音で鳴らしているのに、大きな音だということを絶対に認めないというようなことだ。そして、さらに、認めないということを認めないということだ。この認めないということを認めないというのは、強烈だ。

常にやっているのに、やってると思ってない。心底!やっていると思ってない。けど、こだわりつくしてやる。絶対にやることが決まっていることで、絶対にやりきるのだけど、本人は、やっているさいちゅうも含めて(あたかも)やってないのとおなじ感覚しかもてない。どれだやっても、やってないのとおなじ「つもり」でいる。がめつく頑固にやっているのに、あたかも、やってない場合とおなじ認識でいる。やっているのに、やってない場合とおなじ認識しかしょうじない。

万力をぎちぎちに締め付けるような、真っ赤を顔してやっていることが同時に「やってないこと」なのである。こういうタイプの気違いおなじ家の中にふたりいる。これがどういうことか、そういう状態を経験した人以外、わからない。こだわりつくしてやっているのに、やってないと思っている……。

そんなことはあるはずがないのだけど、ある。気違い的な意地で絶対にゆずらないでやっていることが、同時にやってないことである……そんなことがあり得るはずがない。あり得るはずがないことなのだけど、あり得る。毎日、頑固にそうする気違いがいる。気違いは本当に「やったつもりがない」ままなのである。

で、これは、親父がやり始めたことで、手本は親父なのである。なにを言いたいかというと、うちでは気違い兄貴が、そういうことをやり始める一五年も前から、親父が普通にそういうことをしていたと言うことだ。「あたりまえ」なのである。「うちではあたりまえ」。「うちではあたりまえ」なんだけど、血相をかえて、気違い的な意地でやっているほうは「やってない」と思うことができる。

これが、うちではあたりまえに成り立っていたことだ。二四時間中二四時間、常にそういうことが成り立っている。

そりゃ、人格に根ざしたものだから、親父回路は親父回路で不変なんだよ。だから、親父は親父のやりかたでしか(世界)を認知しない。そりゃそうだろう。親父回路を搭載しているのに、親父回路ではない回路で世界を認知するなんてことはない。二四時間中二四時間、親父の頭の中には親父回路があるのだから、親父回路が世界を認知しするやり方でしか世界を認知でない。気違い兄貴もおなじだ。

で、よその人は、全員……ほぼ全員……そうではない家族といっしょにすごしてきたのである。どれだけの違いか。どれだけ、違うか。そりゃ、わからないよな。わかるわけがない。世の中の常識や、ある人が正論として語ることは……僕の常識とは土台が違うものなのである。

他の人にはもっともらしそうに聞こえることが、僕にはもっともらしいことに聞こえない。そりゃ、そうだろう。土台が違うのだから。

   *   *   *

感覚を切ったらそうなんだよ。場面場面がつながってないというのもある。親父も兄貴も、本人がやりたいことは、どれだけ他人がなにを言おうと、やりたいかたちに細部までこだわって、頑固にやる。けど、不都合なことは認めなくないんだよ。不都合なことは認めたくないという無意識があまりにも強くて、場面場面が、連続してない。つながってない。

不都合なことことを言われて、自分が怒ったら、もう、「言われなかった」ということになってしまう。不都合なことの内容は、それぐらいに、認めたくないことなのである。

逆上してはねのけたら、もう、そのシーンはなかったことになってしまうんだよ。相手が「やめてくれ」言ってきたという事実がなくなってしまう。現実認知から抜け落ちてしまう。そうなると、何万回言われても「知らなかった」ということになってしまう。本人は「うそ」をついているつもりがないのだけど、「言われなかった」「知らなかった」という「うそ」をつくことになる。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。