2018年3月21日水曜日

無職の側のコミニュケーション能力の問題じゃない 日本労働教徒の偏見の問題

前投稿の続き
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これも、言っておくけど……ぼくの場合、コミニュケーション障害というわけではない。それは、ヘビメタ騒音にさらされていた中学高校の六年間ですら、友達がたくさんいたということで証明できる。

けど、このヘビメタ騒音にさらされていた期間の長さというのは重要だ。右肩下がりに、すべてのことがさがっていく。コミニュケーション能力?も一〇年過ぎた頃から、なんとも言えないかたちで……言ってみればヘビメタ騒音に汚染されたかたちで、さがっていく。おもしろくないのである。人といてもおもしろくない。相手の期待にうまく添うことができなくなる。期待というのは、行動の期待だ。テンションが低くて、腰が重く、憂鬱で、相手がさそってきても、対応ができなくなる。


で、無職、引きこもりということになったとしたよう。そうすると、無職や引きこもりに対して偏見を持っている人とのあいだに溝ができる。

日本人のほとんどが無職に偏見がある人たちなのだから、日本人のほとんどと、うまくいかなくなるのである。もちろん、ヘビメタ騒音のことを話すと「そんなんじゃむりだ」とすぐに理解してくれる人たちもいるけど、ヘビメタ騒音のことを話したあとも、「働けるはず」なのだから「働くべきだ」という考えにこだわる人たちがいる。

その人たちのなかではぼくは「働けない人」ではないのだ。「働けるのに働かない人」なのだ。何回も言っているだろ。「ヘビメタ騒音で通勤できなくなった」と。

本当にめんどうだな。

破綻を感じるよ。

そいつらのほうが多数派なんだからな。どれだけヘビメタ騒音が、たたっているか。たたってきたか。

こういう精神論のところでも、ものすごく立場が悪くなる。

とりあえず、日本労働教徒と言っておくけど、日本労働教徒にとって「働いていない人」はすでに罪人なのである。無職は犯罪者予備軍どころか、犯罪者なのである。自分のことを犯罪者だと思っているやつらと、うまくいくはずがないだろ。

コミニュケーション能力の問題じゃないのである。まあ、(当時)嘘をつけばよかったわけだけどさ。正直に無職だと言ったら、偏見にさらされる。「働いていない人はけしからん」「働いてない人は悪い人だ」「働いてない人は犯罪者だ」というのは偏見だろ。わからないかな? 


たとえば、日本人をうらんでいる人たちがいるとする。その人たちのグループに日本人が「日本人です」と自己紹介をして入っていくのはものすごくむずかしいことではないか?

たとえその日本人が、コミュニケーション障害者じゃないとしても、そのグループのすべての人が日本人に対して、偏見がある人たちなのであれば、日本人としてその人たちとつきあうのは、めんどうなことになるだろ。

口を開けば、日本人の悪口を言う人たちと仲良くやる必要性があるのかどうかは別にして、そういうグループに、「自分は日本人である」と自己紹介して入っていった場合、いろいろなコミニュケーション上のトラブルがしょうじることが予想できる。

反日本・民族差別主義者の中に、日本人が入っていったら、その日本人に特にコミニュケーション上の問題がなくても、その日本人は、うまくグループの人とコミュケーションできないと思う。

それは、その日本人の問題ではなくて、反日本・民族差別主義者の偏見の問題だろ。ようするに、友好的なコミュケーションができなくなるのは、その日本人のコミュニケーション能力の問題ではなくて、反日本・民族差別主義者の偏見の問題だろ。

これは、日本労働教徒のなかに、「自分は無職である」と自己紹介して入っていく場合とおなじなんだよ。だから、その人!のコミニュケーション能力の問題ではなくて、まわりの人の偏見が問題なのだと言える。

 

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ヘビメタ騒音でどうしてもくるしい。
どうしてもくるしい。この人生はなんだ? ヘビメタ騒音でどうしてもくるしい。いま、くるしい。むかしくるしかったけど、いまはくるしくないことじゃなくて、いま、くるしい。どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。俺の人生を返してくれ。気違い兄貴!

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話を元に戻していっておくと、働いているか働いていないのかは、その人が良い人かどうかとは関係がない。この簡単なことですら、日本労働教徒は目が曇ってわからなくなっている。働いている人の中にも、悪い人はいるし、働いていない人の中にも良い人はいるのである。人格とは関係がない。働いているかどうか、無職かどうかは人格の善し悪しとは関係がない。しかし、日本労働教徒は働いている人は善い人で、働いていない人は悪い人だと決めつけている。そういう偏見がある。しかし、この偏見はあまりにもあたりまえだから、偏見だということに気がつかない。これは、「働いている人は善い人で、働いていない人は悪い人だ」という共同幻想が成り立っているということを意味している。けど、その共同幻想はいろいろなところで問題がある。





わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。