2018年4月11日水曜日

感情、死んだよ

つまらないということについて雄弁に語りたい。しかし、つまらないということについて雄弁に語るということができない。つまらないからだ。


つまらないという感情はどこからくるのだろう。つまらない以上はおもしろくないということだ。楽しくないということだ。いろいろなタイプの「つまらなさ」があるけど、別に方が決まっているわけじゃないんだよな。

俺はどうしてつまらないのか? それは、ヘビメタ騒音で俺の感情が死んだからだ。

なんか事情を知っているかわいい女の子を抱きしめて、横になりたい。これは、やっぱり、ヘビメタ騒音で感情が死んでいるので、そんなに楽しいことではないけど、ひとりで横になっているのよりはいい。

感情、死んだよ

ほんとう、感情、死んだよ。気違いヘビメタの中で、気違いヘビメタの引きつりのなかで、感情が死んだ。あの、状態はない。あのあせりはない。あの、いたたまれない感情はない。

   *   *   *

なんとかしたいんだけど、どうにもなんないな。
物価が三分の一になったらどうにかなるか?
物価が三分の一の国に引っ越せばどうにかなるか?

いやいや、どうにもなりゃしない~~
どうにもなりゃしないんだぁよ~~
そんなことじゃ~~


けど、くるしい。けど、くるしい。

   *   *   *

ヘビメタ騒音の量があまりにもでかすぎて、一般論からはずれた。最初から、一般論は、気違い兄貴の態度や気違い兄貴の意地について考慮してない。一般論のなかでは、そういうことは、あり得ないことなのである。だから、あり得ないことがあったという特殊な状態で暮らしてきた僕としては、到底受け入れられない。
それでも、一般論はありふれたものだから、僕もトライしたことがある。何年灌木が毎日がんばってきたと思っているんだよ? 何年間毎日、僕が「一般論に従って」がんばってきたと思っているんだよ。こんなの、夜の一二時まで働いて、二時間かけて家に帰って、午前四時には起きて、二時間かけて午前六時には会社に到着して仕事を始めるというようなサイクルで暮らしているようなものなのだぞ。もちろん、日曜祝日も出勤して、一日の休みもない状態だ。気違い兄貴が、日曜祝日は一日中静かにして、俺を休ませてくれたかというと、そうじゃない。気違い兄貴は、意地になって、一日中、スピーカーで、けたたましい音でヘビメタを鳴らした。一階の玄関で話ができないほどデカイ音でヘビメタを鳴らしていた。二階で鳴らしているのに、一階の玄関で話ができないような音で鳴らすのがノーマルな状態だ。気違い兄貴はこういうデカイ音で鳴らしておいて、デカイ音で鳴らしたという気持ちがしょうじない。認知・認識がしょうじない。気違い兄貴にしてみれば、「そんなにでかくない音」で鳴らしたつもりなのである。「普通の音」で鳴らしているつもりなのである。どうしてそうなるかというと、デカイ音で鳴らしたいからだ。デカイ音で鳴らしたいから、デカイ音で鳴らして、「普通の音で鳴らしている」と思い込んでいたのだ。普通の音ではなくて、デカイ音で鳴らしているということをちょっとでも認識してしまったら、「静かにしてやらなければならない」からな。普通に静かにしてやらなければならないからな。普通の基準で静かにしてやらなければならないからな。気違い兄貴の基準で静かにしてやるのは、いいけど、普通の基準で静かにしてやるのは、一秒だろうが死んだっていやなんだよ。だから、「うち」では、ほんとうに一秒も静かにしなかった。普通の基準で、一秒だって静かにしなかった。それが、気違い兄貴だ。それが気違い兄貴のやったことだ。

「ちゃんと言えば、ちゃんと静かにしてくれるはずだ」と思っているやつが間違っているのである。けど、そういうやつは、間違っているといるということを認めない。「へんだなぁ」と思っておしまいだ。「ちゃんと言っても静かにしてくれない」ということをこっちが言えば「へんだなぁ」と思って、「俺が言っているようなでかい音で鳴っている」ということに関しては、判断保留のである。半分は「静かにしてくれるはずなのに、ちゃんと言わないからダメなのだ」という判断が成り立っている。これが間違いだということがわかってない。「うち」のことを「普通の判断基準」で判断するな! うちのことを普通の判断基準で判断すると、まるで俺が、バカに見えるのだ。エイリが悪いと思えるのだ。こんな世界ない。一般的なやつは、そう思って俺に敵対することになる。

気違い兄貴は、ここまで考えて、「気違い的な意地で鳴らした」わけではないけど、そういう効果がある。一般的な思考に縛られている人にとってみれば、俺がへんなことを言うヘンな人なのである。そういう「差」が常にある。気違い兄貴は、ハンダゴテのことでそういう「差」を味わったわけだけど、気違い兄貴はヘビメタ騒音のことで、そういう「差」を俺に味あわせている。親父とおなじようにまったくシランプリなのだ。自分が気違い的な意地でやったことに関しては、まったくシランプリだよ。そういうところも、おかしい。おかしいけど、事実だ。どれだけ言ったって、つたわらないのである。このどれだけ言ってもつたわらない」ということですら、どれだけ人が「ちゃんと」理解できるというのだ? ソンナノハおかしい」と思ってはねのけてしまうのではないか。鳴っていたのは、架空の話し……お兄さんになにを言ってもつたわらないのも架空の話し……全部、エイリさんがちゃんと言わないから、伝わらないのだ……と考えてしまう。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。