2018年4月25日水曜日

脳は、『つらい状態だ』ということを知っている

麻婆豆腐を作った。「つまらないつまらない」と言いつつも「つくる」というのがたいせつなんだよぉーー。それを! 「たのしいたのしい」と言いながら作らないといけない、というようなことを考えていたら、たのしくないだろ。作れなくなっちゃうだろ。



どうしてかというと「たのしいたのしい」と言いながら作らなければならないというルールがあると、そのルールに縛られてしまうからだ。やらなければならないことがひとつ増えてしまう。『べきの暴君にやられるな』と言いながらも、『やらなければならないこと』がひとつ増えてしまう。もちろん、基本的によゆうがある人は違う。普通の生活が成り立っている人は違う。「たのしいたのしい」と言いながら、作れば楽しくなるのかもしれない。



けど、これもちょっと疑問があるんだよな。ほんとうに『つらい状態』で「たのしいたのしい」と言えば、『脳が錯覚して』楽しくなるかというと、楽しくならないと思う。脳は、『つらい状態だ』ということを知っている。これは、無意識的な部分でも意識的な部分でも知っているし、潜在意識的な部分でも健在意識的な部分でも知っている。



そもそも、『脳』が楽しくないと思っているから、楽しくないと思っているのだ。実は楽しくないと思っているということを、脳が『無意識的な部分で』あるいは『潜在意識的な部分で』知っているのであれば、錯覚させることなんてできるだろうか。脳としては、つらいということを知っている。なので、元気付けをするために、「たのしいたのしい」と言わなければならないと思っている。そして、言う。そういう過程がある。



「たのしいたのしい」と言わなければならないと思っているのは、脳だ。



「たのしいたのしい」と言わなければならないと、強烈につらい状態で思っているのであれば、やはり、『やらなければならないことが』ひとつ増えてつらくなる。どうしたって、脳は、つらい現実と、楽しいイメージとの乖離を知っているので、むなしくなる。



つらい現実と、「たのしいたのしい」という言葉によってイメージされる空想世界の差を、脳が知らないというわけはない。脳がつらいと感じているのだから。



「つらい」と「つまらない」は違う。



だから、つらい現実というものを出してしまった時点で、一対一の対応は崩れる。しかし、「楽しい」と「つまらない」あるいは「楽しい」と「楽しくない」という一対一の対応を考えた場合でも、やはり、楽しくない現実というのを脳は知っていると言えるのではないか。脳は、脳が楽しくないと感じていることを、深いところで知っていると考えた方が自然なのではないか。結果として、浅いところで「実は楽しいのだ」と考えても、楽しくならない場合がある。



「たのしいたのしい」と言えば、どんな場合でも楽しくなるというわけではないのだ。むしろ、「たのしいたのしい」と言っても楽しくならない場合のほうが多いと思う。もっとも、これは、私がそう思っているにすぎない。「たのしいたのしい」と言えばいつでも楽しくなると思っている人もいるかもしれない。



じゃ、その人と私の差はなにかというと、ヘビメタ騒音だと思う。

   *   *   *

いまの時間も、いつも毎日ヘビメタが鳴ってた。つらい。どれだけ言ってもヘッドホンを一分もしてくれなかった。それで、「ゆずってやった」と思っている気違い野郎。あれ、入り込んじゃったら、絶対の意地でやる親父とおなじなんだよな。殺さなければやめさせることができない。そういう意地で鳴らしているのに、本人は「デカイ音で鳴らしてない」と思っている。デカイ音で鳴らすことにこだわりきって鳴らしていたのに……。本人がまるでわかってない。いったん、わからないことになったら、本人が思ったとおりに鳴らしたいあいだずっと、その魔法が成り立つ。一五年間毎日魔法にかかったまま鳴らす。絶対にゆずらない。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。