2018年5月16日水曜日

『つらい思い』の差

たまったものを出して、ゴミ袋に入れたあと、本体プラスチックの部分をブラシでごしごし洗った。

あとは、置きっぱなしにしておいた鍋などを所定の場所に移動。

もう、この時点でけっこうつかれているな。(ほんとうにヘビメタでくるしい。これ、ヘビメタのことは特殊な家族がかかわっているので、他の人にはわからない。どうしても、他の人は誤解するところがある。たいした問題じゃないのではないか、あるいは、注意すればすむことなのではないかと思ったりする。そんなことじゃないから、こまっている。ずっと。)

さっきちょっと腹が痛くなった。

ドクターペッパーを飲んだあとなので、ドクターペッパーも飲まない場合をためしてみなければならなくなった。

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つかれた。買い物に行くかどうか迷う。



さっき、麻婆豆腐を作ったので、まだ麻婆豆腐がある。

一杯分は食べた。二食目は麻婆豆腐だったわけだけど、やはり、二食目のあとは別に腹が痛くならないな。それはいいことなんだけど、たいしたことをしてないわりにつかれる。もう、つかれた。



他の人はどうなんだろうな? ヘビメタ騒音にやられなかった場合のからだがないので、どうなのかわからないよ。ともかく、現在の俺は、現状疲れている。



今日は作業してないし自分の文章も書いてないのに、つかれているんだよな。このつかれはなんだ?



ヘビメタ騒音のつかれなんだけど、つかれすぎている。どうしてヘビメタ騒音の疲れだとわかるかというと、地続きでおなじだからだ。おなじなんだよ。どこまでも……。おなじなんだよ。どこまでも……。あの時のつかれとおなじなんだよ。

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他の人はヘビメタ騒音に一五年間やられてないからだですごしいるんだろ。ずるいな。それで、『だれだってつらいときはある』なんてことを言っているのか?? ほんとうに冗談じゃないな。そりゃ、あるだろう。けど、違うんだよ。ヘビメタ騒音にやられてないときの俺だって、つかれはあった。つらいこともあった。けど、それは、ヘビメタ騒音がぴったり張り付いてはがれない一五年間のつかれとは違うし、つらさとも違う。ぜんぜん違うつかれで、ぜんぜん違うつらさだ。ほんとうに不平等。けど、言っている人は、自分が言っていることが正しいと思っているのだろう。「だれだってつかれはある」と言っている時、自分が経験したつかれと俺が経験した疲れがおなじだと思っているのだろう。けど、違う。

前々から思っていることだけど、なんて言うのかな?たまたま運が良かった人は、『つらい思い』をしたあと成果を得ている。どこまでもやられっぱなしなんてことはない。ちゃんと、つらい思いをしたあと成果を得ている。つらい思いをしたしたではなくて、ちゃんと、そのあと成果を得ている。それは、つらい思いをしただけで死んじゃった人や、つらい思いをしただけで、まるで成果がない人は違う。つらい思いをして、ズタボロになって回復できない状態になってしまった人は違う。すべてが違う。

おなじように『つらい思い』と言っても、人によって思い浮かべる『つらい思い』が違う。おなじように『つらい思い』と言っても、人によって経験した『つらい思い』が違う。だから、『つらい思い』というおなじ言葉を使っているにもかかわらず、そこで表されている内容がちがう。おなじ言葉を使っているにもかかわらず、意味している内容がちがう。だから、話があわないのではないかと思う。

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たとえば、『リンゴ』という言葉を使ったとき、それぞれが思い浮かべる『リンゴ』は違う。しかし、『リンゴ』という言葉の場合、それぞれが持つ『差』はそんなには問題にならない。問題になる場合だって、色や種類を限定していけば両者のあいだには同じようなリンゴ増がなり立つと思う。そのリンゴ増は違っていたとしても、だいたいおなじようなリンゴ増であれば、問題が生じることがない。しかし、『つらい思い』というような言葉だと、それぞれが違うことについて話しているという場合があるのではないかと思う。おなじ言葉(表現)を使っているのだけど、表しいる内容がちがうので、それにまつわる話がまとまらない。
まず、リンゴというのは、実際にある。これがまた、なにがリンゴなのかということになると、けっこうむずかしい話になるんだよ。そして、背景がなければリンゴというものが「切り出されて」見えることがないという問題が生じる。これは、現象学の問題だ。けど、今回はそういう話しではなくて、リンゴのばあいは、具体的なオブジェクトとして客観的に存在するのだけど、『つらい思い』というのは、具体的なオブジェクトとして客観的に存在するわけではないという問題だ。『つらい思い』という言葉の内容がそれぞれ違うのだから、『つらい思い』をしても耐えてがんばるほうがいいのか、それとも、『つらい思い』をしているのであれば耐えずに逃げたほうがよいのかということに関しては、まるで違ったことについて話しているという可能性がある。

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どーーしても、ヘビメタで人生ないわ。朝の七時……。この雰囲気。この雰囲気。死ねる。俺はどれだけ何回、こういう朝を繰り返したんだ? 気違い兄貴、気違い秋のヘビメタで毎朝つらかったよ。死にたいほどつらかったよ。気違い兄貴のヘビメタで、朝の五時ぐらいまで眠れなかった。毎日だ。そして、朝の七時三〇分ぐらいという、一番眠りが深いときにむりやり起こされた。すべてがつらかった。どれだけあせったか。どれだけからだが動かなかったか。それを、むりやり動かしたか。俺は、気違い兄貴のせいで、一週間前まで校名すら知らなかった男子校に通うことになったんだ。その時だって、その時だって、一分もゆずってくれなかったからな。気違い兄貴は、気違い親父モードでうるさくしたから、うるさくしているあいだの記憶がまったくないみたいだけど、気違い的な意地でうるさくしてたんだよ。そういうときは、自分が満足できる気違い的にデカい音で鳴らして、絶対にゆずってくれなかった。ほんとうに地獄だ。あれで『鳴らしてない』『たいして鳴らしてない』と思っているんだろ。それが、親父とおなじなんだよ。自分が一〇〇%思った通りの音で、一〇〇%の時間、やりたいようにやれたから「やったつもりがない」だけ。そういう構造なんだよ。一日に一時間でもヘッドホンをして我慢しなければならなかったということがあれば、一時間我慢させられたという記憶が残る。すべての時間自分が好きなようにならせたから『鳴らした記憶がない』だけだ。『ゆずってやらなかった』記憶がないだけだ。頭がおかしいからそういうことが、できる。頭がおかしいから、そういうことをしても、平気でいられる。頭がおかしいからそういうことをしてもなにも関係がないつもりでいられる。親父と一〇〇%おなじだから! どんだけの意地で鳴らしたか? フォークギターぐらいの音まで、落とすわけがないだろ。そんなの、一日一秒だってないよ。そんなことをしてくれたことは一日だってない。試験の前の日だって、試験期間中だって、自分がやりたければ自分がやりたい時間は絶対に、自分が満足できるデカイ音で鳴らして、一秒もゆずってくれなかった。一秒も、ヘッドホンをしなかった。一秒も鳴らさないで我慢しなかった。一秒も、フォークギターの音まで落としてくれなかった。

それで『静かにしてやった』『ゆずってやった』と思っているのが気違い兄貴なんだよ。これは、親父が『やってやった』と言うのとおなじだ。親父が『譲歩してやった』と言うのとおなじだ。親父にとって最大限の譲歩が、使えないハンダゴテを持ってきて渡すと言うことなので亜。使えない』というとは死んでも認めない。気違い兄貴の譲歩は、まったく意味が内情本なんだよ。気違い兄貴が、最大限譲歩したつもりで鳴らしていた音はヘビメタが好きなカオ君が聞いてもでかすぎる音なんだよ。親父が、『このハンダゴテは使えない』ということを言われても『だいじょうぶ』『だいじょうぶ』と言って認めなかったのとおなじように、『気違い兄貴もデカイ音で鳴らしたら、弟さんがかわいそうだよ』と言われても『だいじょうぶ』『だいじょうぶ』と言って(デカイ音だということを)認めなかったんだよ。『だいじょうぶ』という言葉を使って認めなかったんだよな。『うるさいから静かにしてくれ』『うるさくて勉強ができかないから静かにしてくれ』と言われても、自分が鳴らしている音が『デカイ音だ』と言うことを認めない。気違い兄貴にとっては、うちで鳴らしても『だいじょうぶ』な音なのだ。弟である俺がそれまでに何万回も文句を言っているのに、気違い兄貴にとっては何万回言われても『だいじょうぶな音』なのだ。『だいじょうぶじゃない音だ』ということは絶対に認めない。それは、親父にとって、親父のハンダゴテはどれだけ何回『だいじょうぶじゃない』と言われても『だいじょうぶなハンダゴテである』のとおなじだ。回数は関係がない。事実は関係がない。どっちも、言われた回数とか、事実は関係がないんだよ。気違い兄貴なら気違い兄貴の内的な理由で、『でかくない音』ということになっている。現実を無視して、『でかくない音だ』と決めつけている。親父も、現実を無視して『だいじょうぶなハンダゴテだ』と決めつけている。一度、内面的な理由で、現実を無視して決めつけたら、何万回言われても、本人のなかの認識がかわらないのだ。しかも、『認識がかわらなかった』という認識もしょうじない。『何回も何回も、相手が文句を言ってきた」という記憶もない状態なのである。『そんなの知らなかった』『そんなの、言われなかった』という状態を維持する。それは、何万回も言われて……言われるたびに何万回も怒って喧嘩したとしてもそうなんだよ。まるで悪気がないまま続ける。せめて、言い合いになったということがわかればいいが、そんなのはわかるはずがない。そういうレベルでずれているんだぞ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。