2018年5月28日月曜日

家の前がデカイ幼稚園で横の家が離れていたから、できたこと

ほんとうにヘビメタ騒音でどうしてもつらい。ヘビメタ騒音でつらい。兄貴のヘビメタ騒音でつらい。兄貴よ! 兄貴は、親父が太鼓をあの音で慣らしてたらどう思うんだよ。学校から帰ってきたら、親父がいて、横の部屋で太鼓をドンドンドンドン鳴らしている。

強烈にうるさい音で鳴らしているのに、「こんなのたいした音じゃない」と言ってでかい音だということをさえ認めない。勉強しようとしても、横でドンドンドンドン太鼓を鳴らしているので集中することができない。どれだけ、「やめてくれ」「勉強するからやめてくれ」とこっちが言っても、「なんだ!そんなのぉ」と言ってやめてくれない。

一日に何十回も、怒鳴り込んでいるのに、一回一回、怒ってやめてくれない。けど、その親父が、「そんなつもりなかった」「そんなの知らなかった」と言ったらどう思うんだよ?

一日や二日の出来事じゃないぞ。一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日の出来事だ。家の前がデカイ幼稚園で横の家が離れていたから、できたことなんだよ。マンションやアパート、公団に住んでいたら、絶対に兄貴ですら、できない音なんだよ。

それが証拠に、よそのうちに行ってから、兄貴は、一分も、「うちで鳴らしていた音」で鳴らしてない。よその人は、兄貴や親父の性格がわかってない。「うちでの態度」がわかってない。だから、気違い兄貴にどれだけ言っても聞かないのに、「おまえが、ちゃんと言わないからだめなんだろ」みたいなことを言われる。ハンダゴテの日がずっと続いているようなもんなんだよ。

五〇〇〇日、六〇〇〇日、七〇〇〇日。ほんとうに、あのヘビメタ騒音のなかで勉強できない。みんな、わかってないけど、実際にあの音でやられたら、ヘビメタが好きな人以外絶対に、一〇分しか勉強きでない。

これは、一日で一〇分じゃなくて、五〇〇〇日で一〇分だ。最初の日の最初の一〇分間、貼り付けメタ気持ちで「集中しよう集中しよう」と思って、集中して一〇分間だけは、続くかもしれない。けど、そういう張り詰めた気持ちが、いつまでも続くわけがない。全速力で走っているようなものだからな。短距離競走の圧力なんだよ。集中力なんだよ。持久走じゃない。持久走だって、毎日、ガンガン鳴らされて、睡眠時間が二、三時間という状態でずっと続けていたら、数千日後には、再起不能になってしまうだろう。

兄貴はほんとうに、親父がへんな宗教に凝って、笛太鼓をあの音のでかさで鳴らしているところを考えたほうがいいよ。親父の態度は、兄貴の態度だから。なにを言ったってつうじない。つうじないということもつうじない。

ヒトコト言えば絶対にわかることが、一〇年も二〇年も三〇年も一切合切、わからない。すっとぼけたことばかり言う。やっているとき!は、絶対の意地でやって、どれだけこっちがわめこうが、絶対にやりきる。

けど、相手が反対したということがわからない。反対された途端に怒ってはねのけて「なんだそんなの」と親父のように怒ってしまえば、それで、自分はなにもいわれなかったというステータスに戻ってしまう。これは、親父もおなじなんだよ。こんなの、何十万回繰り返したって、一回も言われたことがないというステータスにとどまり続けるのだから、何十万回言っても、意味がない。一回も言われてない状態が、気違い兄貴のなかで成り立ち続ける。親父もおなじだ。兄貴の場合は、怒って無視するというのがあるんだよ。むすーーっとした顔で、無視する。「なんだそんなの!!」と絶叫しないバージョンだけど、「なんだそんなの!!」と絶叫するバージョンと中身はおなじだ。

相手が「やめろ」と言ってきたのに、自分が押し通してやりきったということがわかってない。ほんとうは、やりきったのに、やりきったという気持ちがわかない。ほんとうは相手が必死になって反対したのに、それを押し切ってやったのに、相手が必死になって反対したということも、自分がそのあと押し切ってすべてやりきったということも、わかってない状態のままなんだよ。

「そんなんじゃない」つもりのままだ。ゼロたすゼロはゼロなんだよ。どれだけやっても迷惑をかけたと思ってない。どれだけやっても自分の意地を通して、相手の言い分を聞いてやらなかったということがわからない。

自分としては「聞いてやったつもり」なのである。頭おかしいから、そういうふざけた態度をとれる。夢中になってそういうことをして、夢中になって、そういうことをしたということを無視する。

無視ししているあいだは、どれだけやったってやってないことになっている。気違いの頭のなかでは、やってないこと、なのである。

じゃあ、こだわらずにやめてくれるのかと言ったら、絶対にそれはない。※気違い的な意地※で、※こだわってこだわってこだわって※やりきる。

こっちがそれでどれだけ、他の人から悪く言われても、まったく気にしない。「おまえがやっていることで、人から悪く言われるからやめろ」ということを言われても「そんなの関係がない」つもりでいる。

これは、親父が兄貴が自分が渡したハンダゴテで恥をかいたということを絶対に認めないということとおなじだ。親父が「使える使える」と言い切って、(兄貴に)持たせたものなのに、自分が強制的に持たせたということが親父にはわかってない。それは、普通の人なら認識していて当然なのだけど、親父は言われてもわからない。兄貴も、おなじだ。

自分の騒音で「宿題ができない」というようなとは、どれだけ言われても、親父のように!!!認めない。で、兄貴は、自分が親父のように認めなかったということが、いまだにわかってない。現在進行形で認めないときも、あたりまえだけど、認めなかったということも、認めない状態でやりきって認めない。

どれだけ強制的に押しつけても、一切合切自分の関与を認めない。親父も兄貴も強制的に押しつけるのに、……発狂して意地になって押しつけるのに……発狂して意地になって押しつけたということがまったくわからない。そして、発狂して意地になって押しつけたことで、相手が困ったということがわからない。相手がどれだけ、そのことについて話しても、ただ単に「怒るだけ」でおしまいだ。

「なんだそんなの!!」と怒ってしまえば、それですんでしまうのである。本人のなかでは、はねのけたら、はねのけた瞬間に、ほんとうに関係がない存在になっている。比喩的に言うと、ほんとうにやってない人であるような気持ちになってしまうのである。やっているから、相手が文句を言ってくるのに、「なんだ!そんなの」と怒ってはねのけたら、一切合切関係がない存在になってしまう。「これは、やってないからそんなの知らない」と言う場合とおなじ感覚だ。

普通の人が、やってないことについて文句を言われたら、「やってないのになんだ」と怒って、無視するだろ。それとおなじなんだよ。けど、やってる。たとえば、自分がエレキギターを鳴らしてないのに、「エレキギターがうるさいから静かにしてくれ」と言われたとする。「俺は鳴らしてないぞ」「だから、そんなのは知らない」と思うだろ。それでも、「おまえが鳴らしている」と相手が言ったら、相手の頭がおかしいと思うだろ。「鳴らしてないだろ!! いちゃもんをつけるな!! いい加減にしろ!!」と思うだろ。……それとおなじなのである。違うのは、気違い的にでかい音でエレキギターを鳴らしているということだ。デカイ音でエレキギターを鳴らしているのに、エレキギターを鳴らしてない人とおなじ感情が生まれる。これは半分ぐらいだけど。そういう態度があるんだよ。人を馬鹿にしているだろ。そういう態度なんだよ。自分がやめることは、一切合切考えてない。自分がいちゃもんをつけられたような気持ちしかない。無視して、頑固に「やり続ける」。やり続けるからやっているのだけど、それがわからない。そういうことを無視する。やってないのとおなじつもりなのである。そういうふうに狂っている部分がある。そういう感じ方がある。これは、親父も兄貴もおなじ。
自分が意地になってやっていることなのに、「やめてくれ」と言われたら、怒って(相手の言っていることを)はねのけて、やり続けようとするところがある。最初から最後まで、自分がやっていることは認めない。現在進行形でやっていることを絶対の意地で認めない。認めたら、(相手の言い分を聞いてやめなければならないこと)に関してはそういう圧力が働く。たぶん、無意識的な圧力なのだろう。ともかく、自分が悪いとか、自分が「相手に」迷惑をかけていることをやっている(やった)とういうことは、一切合切、認めない。認めないし、認めないということも、認識しない。ほんとうに自分がやってない場合とおなじような意識でやり続ける。当然、相手の言い分なんて認めない。なんてたって、デカイ音で鳴らしているという部分を認めないのだから、デカイ音で鳴らされて「迷惑をしている」という相手の高度な言い分を認めるわけがない。実際にデカイ音で鳴らしているというのは、言ってみれば基礎部分だ。
(1)デカイ音で鳴らしている(基礎部分)
(2)そのデカイ音で相手が困っている(基礎部分の上に立つ高度な部分)というような二段階の「認識」を考えるとする。そうすると、気違い兄貴は(1)の部分も(親父のように)無視しているのである。無視しているということは、「やったってやってない」と思っているということだ。意識的には「やってない」と思っているのとおなじ状態だ。こんなのは、他の人にはわからない。他のうちではあり得ないことだからだ。この基本的な部分や無視してやりきって、しかも(実際にやっている、あるいは、実際にやった当の本人が)怒るなんてことは、うち以外のうちではあり得ない。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。