2018年5月17日木曜日

『人生つまらない』

『人生つまらない』で検索すると僕の環境では一番に出てくるサイトがあるんだけど、読んでいると、『ヘビメタ騒音』のことが気になってしかたがない。すべてが違うんだよな。こういう人たちが言っていることと、僕が経験したことは。「そういうレベルの話しじゃない」と言いたくなる。ぜんぜん、ほんとうに他の人と違うんだよな。こんなの、ない。

ヘビメタ騒音、長すぎた。他の普通の人はぜんぜん違う「つまらなさ」を経験している。「それではどうにもならん」という話しなんだよな。ほんとうに限界超えて、限界超えて、限界、超えすぎた。ぜんぜん違うよ。「あの日々がどういう日々だと思っているんだよ?」と言いたくなる。ぜんぜん違う。

あれ、ほんとうにすべての話がちがってきてしまう。どうしてもつらい。気違いヘビメタにやられた時間が終わらない。どうしても終わらない。長すぎた。あんなの、ない。気違い兄貴が、気違い親父とおなじように、夢中になってやりやがって……。夢中になってやったことは、どれだけやったって全部やってないことなんだからな。あいつらの頭のなかでは……。それなのに、「本人がやりたい」以外の理由がない。血相、かえてやっているのに、どうしてやったということを認めないんだろうな。全部おなじしくみなんだよな。そりゃ、他の人は信じない。ほんとうに俺が全部、誤解を受ける。ぜんぜん違うしくみが成り立っているわけだから、普通の人は『違和感』を感じる。けど、事実そうなんだよ。

こんなのほんとうに、気違い兄貴が気違い兄貴ではなくて、『うるさいからやめてくれ』と言ったら、やめてくれたら良かったんだよ。けど、そんなことはないわけ。気違い兄貴にしたって、よその家じゃ一分だって鳴らせない音でずっと鳴らし続けた。鳴らし続けたんだよ。気違い兄貴は気違いだから、「そんなつもりはない」と言っているけど。これ、全部親父とおなじなんだよな。本人は嘘をついているつもりがない。どれだけの意地で鳴らしたか!!! どれだけの意地で鳴らしたか本人がまったくわかってない。鳴らしている最中から、それは無視する。無視したら、鳴らしてないのとおなじなのである。親父流に言うと「やってない」のとおなじだ。どれだけ言ったって話がまったく通じない。通じない以上は、「あたりまえのこと」として頑固にやり続ける。だからこまる。

   *   *   *
気違いヘビメタが一日で終わった場合の人生を考えて、わくわくしながら、眠るかな。ほんとうに、ヘビメタにやられて、一日中、どの時間も「悲惨」だ。これ、言いようがないんだよな。たぶん、気違いヘビメタ騒音が一〇年間毎日続かなかった人にはまったくわからないことだと思う。一日のうち、六時間四〇分続くと、もうだめだ。他の時間も気違いヘビメタ騒音のことで、こころが重たくなる。ものすごく憂鬱になる。ものすごく腹が立った状態になる。それらは、どれだけキレイゴトを言っても、「鳴らされる限り」続く。で、これも、そういうことが実際に「ジブンノミニ」しょうじた人じゃないと、わからないと思う。だから、一般論を言ってくる。けど、その一般論は、僕が鳴らされている間だ繰り返してきたことで、効果がなかったことだ。効果がないと言うよりも逆効果がある方法なのである。どうして、逆効果がしょうじるかというと、気違いヘビメタが鳴っているからだ。これもわからないかとは思うけど、そうなんだよ。ともかく、気違いヘビメタが鳴って、ボロボロだ。これは、いいわけでもなんでもなくて事実だ。これも、実際に「変わった人」にやられた人じゃないとわからないと思う。変わった人が、家族で、毎日「おなじ家」に住んでいた人じゃないとわからないと思う。家族だと避けようがない。特に、俺の場合、小学六年生のころからはじまった。毎日そうだ。騒音を避けて「引っ越すこと」なんてできるわけがないだろ。昔のことは、こだわらなくたっていいと言ったって、実際にそういう時間をすごしたということが決定的に問題なんだよ。これに関しても「いつでもやりなおすことができる」などと言う人がいる。そういう人のほうが通りが良いと思う。別にその人が「いつでもやりなおすことができる」と考えることを否定しない。また、「いつでもやりなおすことができる」という考え方がある人たちにとっては正解であるということを否定しない。しかし、自分の場合はどうかというと、小学六年生の時からヘビメタ騒音にたたられた身としては、なんて言うのかな? そういうことがどれだけ俺を苦しめたと思っているんだ? と言い返してやりたくなるようなことなのである。これも、わかる人はいないかもしれない。僕がこういうことを書いているということ自体、どういう意味があるのかわかってない人たちが多いだろう。こういうことを、書くということは、僕にとっての「いつでもやりなおすことができる」バージョンなんだよ。だいたい、どれだけがんばっても、ヘビメタ騒音八年目以降は、どこかに週三回でも決まった時間に行くということができなくなった。で、これは、どれだけ努力してもそうなんだよ。だから、そうなったと言うことを認めない限りは、やり直すことなんてできない。だってそうだろ。無理なのだから。無理なことをやっても破綻するだけなのだから。破綻が積み重なるだけなのだから。そして、気違いヘビメタ騒音を一四年と四ヶ月鳴らされ続けたことがない人は、決まった時間に起きることができないという僕の悩みを理解しない。「そんなの、やろうと思えばできることなのに、エイリさんがやらないだけだ」などと思うわけだから。「からだをならしていけばいい」……からだをならせないから問題なんだろ。これ、気違いヘビメタ騒音を一〇年以上毎日浴びないで!僕が言っていることじゃないんだよ。「決まった時間に通うことができない」というのは、気違いヘビメタが鳴っている中で、それでも、七年間、通い続けたから、しょうじたことなんだよ。それを、七年間、気違い気違いヘビメタ騒音にたたられているにもかかわらず、とりあえず毎日学校に通ったことがない人にわかるわけがない。もう、はじめから条件が違う。「そんなの、やろうと思えばできることなのに、エイリさんがやらないだけだ」はヘビメタ騒音が鳴ってなかった。俺が経験したことを経験してない。一日も経験してない。俺とおなじ経験をしてないから、言えることなんだよ。けど、それも、経験してない人には、ほんとうのことかどうかわからない。それから、うちのことは、あまりにも特殊すぎて、普通の人の理解を超えるところがある。だから、半分しか信じてない状態で、そういうことを言う。「ほんとうだとしても(仮定)、できるはずだ」「鳴っていたとしても、からだを徐々にならしていくことはできるはずだ」……。おまえ、俺がどういう経験をしたと思っているんだ? いずれにせよ、他の人にはわからないかもしれないけど、「からだをならして通う」ことには、まったく希望がない。「通う側」には、一切合切のしあわせも、成果もない。「通う側」への努力はまさに、破滅の道なのである。「通えるように努力して死ね」と言っているようなものなのである。常識的な人にはまったくわからないだろうけど、ヘビメタ騒音の一五年間はそういう時間なのである。そのあとの、一〇年、二〇年だってそういう時間なのである。「通う側」には絶望しかない。ほんとうだとしても(仮定)、できるはずだ」「鳴っていたとしても、からだを徐々にならしていくことはできるはずだ」……こんな言葉がどれだけ俺を苦しめてきたかわからない。気違いヘビメタにたたられたことがない人はそういうことを平気で言うし、それが俺にとってどういう言葉なのか理解できないだろうと思う。けど、これはほんとうに、「通えるように努力して死ね」と言われてるようなものなのだ。せめて、一〇年間でもいいから、毎日、ヘビメタ騒音相当の騒音を浴びてからものを言ってくれ。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。