2018年6月26日火曜日

どうして人間はMMORPGをするのだろう

MMOはやったことがないのだけど、ガンバトル(人殺し)など非日常を楽しめるのでおもしろいというような感覚はわからないではない。だいたい、殺されても痛くもないしな。

しかし、ガンゲイル(ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンラインのこと、以降単にガンゲイル)のレンの身体能力はどこから来るのだろう? これは、アバターが持っている性能なのか? それとも、リアル・レン(小比類巻香蓮)が持っているポテンシャルな身体能力の高さが反映されたものなのか?

どっちだかわからない。これは、想像能力の高さなのかもしれない。想像のなかで早く走れる人が、ゲームのなかで早く走れる人なのかもしれない。

『ワールド・トリガー』だと、トリオン量と想像力がものをいっている感じだけどな。実際には、非力でも、トリオン体になれば、強者になれるわけだし。リアルの戦闘能力は、トリオン体になったときの戦闘能力とは関係がない。ジョギングで体を鍛えても、トリオン体になったときの戦闘能力にはまったく影響がない。『ソードアート・オンライン』のキリトの場合は、反射神経がいいというようなリアルのポテンショナルな身体能力が反映されていたな。



ガンゲイルのレンの場合、アバターは相当に影響を与えている感じがする。じゃあ、アバターの能力?がすべてなのかというとそうではない。訓練をすることで、アバターの能力を上げることができるからだ。

また、リアルの世界でロープを使う技術の高さが、そのまま、ゲームのなかでロープを使う技術の高さに反映されている。なので、アバターが体格や基本性能を規定してしまうのだけど、頭の中で考えることに関しては身体能力として反映されるみたいなのである。

で、まあ、アバターと実際の人間が持っている身体能力がどの程度ゲーム内の身体能力に反映されるかという問題については、これでおしまい。

あとは、ガンゲイルゲーム内で武器を売る人は、運営者側の人間なのか、それとも、参加者なのだろうかということが気になった。セカンドライフというゲームがあるんだけど、そのなかのリンデンという通貨は、ドルに両替することができるのだ。だから、ドルを円にかえれば、当然、リンデンは円にもかえられるということになる。

そこで、リンデンを儲けようとする人たちが出てくる。自分で洋服を作って売れば、お金になる。あるいは、人が作った洋服を安く手に入れて? 高く売ればお金になる。セカンドライフは、ガンバトルの世界ではないから、武器がどうなのかは知らない。

けど、ゲーム内でいろいろな物を作って売るというのは、その人(販売者)にとってリアルの商売となんらかわらない側面を持っている。だから、ガンゲイルの場合はどうなんだろうな? と考えた。まあ、話の筋とはまったく関係がない話しだ。ちなみに、ガンゲイルはアニメのなかのゲームだけど、セカンド・ライフはリアル世界のゲーム(仮想世界)だ。


それから、「開放感」ということについて考えてみた。これは、どうして人間はMMORPGをするのだろうということと関係があるのではないかと思う。ガンゲイルのエンディングソング『Toseethefuture』でも「窮屈なリアル 息がつまる 逃げられない毎日 居場所を探す交差点」どうのこうのーと歌っているしね。


ぼくは、ゲームのなかで刀による斬り合いをするつもりもないしガンバトルをするつもりもないしモンスター狩りをするつもりもない。「なんかめんどうくさいな」と考えてしまうのだ。だから、開放感はない。弱いモンスターを倒して経験値を上げるとかめんどくさすぎるだろ。そういうことをめんどうくさい」と感じている以上、ぼくにとっては、モンスター狩りは楽しい行為ではなくて、仕事とおなじだ。悪い意味で、仕事とおなじだと言っている。

それこそ「窮屈なリアル 息がつまる 逃げられない毎日」ということになってしまう。「作業感が半端ない」とか言いながらゲームをやっている人もいるかもしれないけど、どうかと思う。作業感を感じるなら、それは、窮屈なリアルの仕事とおなじだ。さらに、チームプレーとなると、『仕事感』が高まるのではないか。実際、「ぬけられない」ので、くるしいと感じている人もいるかもしれない。


だから、その行為をどう感じているかが問題だということになる。仕事も、ゲーム内の遊びも行為自体だけを考えてはいけないのだ。そのひとにとっての意味合いを考えなければならない。たとえば、大技を出すためのキーコンビネーションを練習しているとしよう。

その場合、それは、楽しいことなのか、つまらないことなのかということが重要だ。その人にとってつまらないことなのであれば、仕事とおなじだ。逆に、リアルの仕事が楽しいことであるならば、ゲームとおなじだと言うことができる。

『努力』に関してもこの考えが応用できると思う。つまらないこと・やりたくないことをがんばってやる場合が『努力』なのであり、おもしろいこと・やりたいことを好きでやっている場合は遊び(ゲーム)なのではないかと思う。外からは努力しているように見えるけど、本人にとってみれば、夢中で遊び(ゲーム)をしているときとおなじだと思う。


ところで、ぼくはヘビメタ騒音にやられて、くるしいリアル毎日を送っている。くるしいんだよ。ゲームによる息抜きもない。理由は、いま述べたとおりだ。この元気のなさ、やる気のなさも、気違いヘビメタ騒音一五年連続が影響している。

モチベーションとかそういうことに、夜一一時一一分まで鳴っていたヘビメタ騒音が影響している。

で、これは、たぶんこの世でぼくひとりのだけの問題だから、他の人と問題を共有するわけにはいかない。

騒音問題を抱えている人はいるけど、気違い兄貴によるあしかけ一五年間続いた騒音問題を抱えているのは、ぼくだけなのではないかと思う。

「気違い兄貴による」というところは、重要だ。『家族』というのが重要だ。それから、ぼくの場合、ぼくが一一歳の時にヘビメタ騒音がはじまったので、ぼくだけ引っ越して逃げるということが(一〇年間)できなかった。

その一〇年間で、もう、不可逆的な作用を受けている。リターン可能ポイントをすぎてしまった。もとのからだには戻れないのである。これも、やられてない人たちが、「そんなのは忘れてしまえばいい」「過去のことは過去のことだから、現在(の状態)には関係がない」などと言うわけだけど、それは、間違っている。



どういうふうに間違っているかは、『騒音サイコパス』で書いた。



けど、今回言いたいことはそういうことではない。外に出るとき、仮想世界にログインしたと考えることはできないのだろうかということだ!

リアルのぼくは常に気が重いのである。気違いヘビメタ騒音の後遺症で苦しんでいるのである。実の兄が強烈にこだわって毎日やった行為によって、さまざまな障害が(ぼくの身の上に)生じてしまった。

そして、他の人にはそれがわからない。また、話したところで、実際の障害と、(ヘビメタ騒音の話しをぼくから聞いて)相手が思い描く障害が違うのである。もう、これは、どうにもならない。この差は、どうにもならない。だから、ぼくは不可避的に誤解される。だいたい、五割ぐらいの人から不可避的に誤解される。

それは、いわれのない差別とおなじ効果を持つ!

気違いヘビメタ騒音の問題、『ただ単にうるさいという騒音の問題』ではない。よく事情を知らない人から、俺が誤解されるという問題まで含んでいる。睡眠障害だって、気違いヘビメタ騒音があんなに長く、あんなにでかい音で続かなければ、生じなかった問題なんだよ。(ぼくの側で生じなかった問題だ)。

原因が気違い兄貴の行為にあるにしろ……長期間にわたる行為にあるにしろ……長期間にわたる毎日の行為にあるにしろ……ぼくが睡眠障害を抱えているということは、ぼくの障害になってしまう。

それこそ、自分のからだを脱ぐわけにはいかないし、『逃げられない毎日』になってしまうのだ。基本、睡眠障害から逃げられない毎日だ。これも、「そんなのは気合いで治る」と言うようなやつからすれば、俺がサボっているようにしか見えないのである。俺は、そういう低脳なやつから、不可避的に誤解される。そういうからだになってしまった。

そういう低脳なやつは、気違いヘビメタ騒音を一日も経験しないで、気違いヘビメタ騒音のあとのつかれを一日も経験しないで、そういう、バカなことを平気で言う低脳なやつだ。

けど、そういう低脳なやつの『意見』『意見のもとになる気持ち』というのは、ヘビメタ騒音を俺とおなじ分だけ経験してない人には、まともな意見にうつるかもしれない。

あるいは、別の言い方をすれば、そういう『意見』そういう『意見のもとになる気持ち』がだれの心のなかにも、多少はあるのではないかと、うたがっている。

特に低脳じゃないにしろ、ヘビメタ騒音をぼくとおなじように経験してない人はそう感じる可能性がある。可能性は否定できない。そういう人たちは、ぼくにとって潜在的な敵になってしまうので、ぼくはこの世では生きにくいのである。「ぼくにとって潜在的な敵になってしまう」というような感じ方が(おかしいのではないか)と思う人もいるかもしれないけど、頑固にやる気違い兄貴(家族)とずっといっしょに暮らしていれば、わかるよ。

それは、気違い兄貴の「気違い性」を理解してない人にはそれがどういう影響を与えるか、それこそまったくわからないのだろう。

ほんとうにもう、全部が違う。違うんだよ。ほんとうに他の人にはわからないかと思うけど、違う。ぜんぜん違う。あの毎日の連続はない。あの毎日の結果押しつけられた障害にかんしても、他の人は誤解している。そんなんじゃない。違う。


ともかく、俺は旅行に行くのでさえ、気違いヘビメタ騒音でくるしい状態だ。道中、くるしくてくるしくてしかたがないのである。見える道は、気違いヘビメタ騒音で苦しんだこの世とおなじ世界にある道だ。空は、気違いヘビメタ騒音で苦しんだこの世とおなじ世界にある空だ。もう、ともかく、感覚的にくるしい。ぼくの側の……この世の認知システムはぼくが死なないかぎり消滅しないのではないかと思う。別の言葉で言うと、生きているかぎりヘビメタ騒音でくるしいのではないかと思う。



で、話しをもとに戻すと、だからこそ、現実の世界で人に会う場合は、仮想世界で人に会っているのとおなじだと考えれば、多少は気が楽になるような気がする。ヘビメタ騒音でつらい『リアル』は、ゲームの世界には持ち込まない……ようにするに、ヘビメタ騒音でつらい『リアル』はうちの中にいるときだけにして、外に出るときは、仮想ゲーム世界に入るのとおなじだという考えに立って、陽気な人?を演じることもできるかもしれない。陽気と言うよりも、普通の人を演じることもできるかもしれない。

ヘビメタ騒音にやられる前から、ぼくは温厚で思慮深かったけど、陽気な部分もあった。普通にいろいろなことを楽しむことができた。けど、六年間ヘビメタ騒音と通学生活が続いた時点で、もう、息切れして、だめになった。ちなみに、親友との決裂も、それが原因だ。

けっきょく、ヘビメタ騒音が続きすぎてぼくが普通の人ではなくなったことが原因だ。「ぼくのことはいいから、先に行ってくれ」という気持ちだった。そりゃ、俺に付き合って、落ちていく必要はないのだから。けど、ぼくは一一年目には、親友にどれだけ言われても、普通には生活できないからだになっていた。そういうことだ。


これ、ほんとうどれだけ!! どれだけ!! 俺がどういう気持ちで試験会場に行く道を歩いていたと思っているのだ? 気違い兄貴!! 気違い兄貴は親父とおなじだから、自分がやっていることで相手が苦しんでいるということを命にかけて、命に替えても、認めない。認めなければ、実際にそうじゃないといこうとになってしまう。だから、平気でやり続ける。どれだけ、文句を言われても平気でやり続ける。


   *   *   *

結論としては、外に出るときは、仮想世界にダイブするのとおなじだと思えば、多少は気が楽になるかもしれない。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。