2018年7月18日水曜日

「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考え方のネガティブな側面


「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考えにとらわれている人たちがいる。そういう人たちの心はたぶん、暗い。「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのは、一般傾向としては、肯定できる。しかし、それはあくまでも、一般的な傾向があるということにすぎない。それから、「暗いのは悪い。明るいのはよい」と言っている人たちは、「受け手」として発言しているという問題がある。

まず、「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのが、単なる一般的な傾向にすぎないということについて語っておこう。人間はさまざまな事情を抱えている。人それぞれに違った環境のなかで生きている。

家族が精神病質的な意地でデカイデカイ音で騒音を鳴らし続けて、なおかつ、デカイデカイ音で騒音を鳴らしたということ自体を認めないというような場合だってあるのだ。毒親のもとに生まれて、虐待され続けて生きている子供だっている。虐待され続けている人が、『明るく』振る舞うのは無理だ。

その子供が、『明るく』振る舞うようにしても、それは、つくられた明るさで、本来の明るさじゃない。「「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人たちが「もとめている」のは、そういう人工的な切羽詰まった教条主義的な明るさではない。本来の明るさ、ほんとうの明るさなのだ。つらい状態にいる人が、むりやりつくる『明るさ』ではない。

だから、虐待されている子供が明るく振る舞ったとしても、「暗いのは悪い。明るいのはよい」と日頃から思っている人が、『あの子は明るくていい』と思うかどうかは疑問だ。『なんかひきつっている』『無理をしている』『わざとらしい』と思うかもしれない。

「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわっている人が求めているのは、「自分の心も明るくなるような!」明るさなのだ。天然の明るさなのだ。強烈につらい思いをした人が、「暗いのは悪い。明るいのはよい」という『教義』にしたがって、つくった明るさではない。

「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわっている人は、実は、人を見てない。個々人が抱えている問題、個々人の環境というものをまったく無視してしまっている。「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわるひとは、一種の全体主義で、個々人の事情というものを無視している。

「暗いやつは悪い人だ」「明るいやつはいい人だ」という価値観だけで、『全体的に』……人を見ているのである。だから、暗い人の事情を一切合切考慮しない。

「そりゃ、そんな状態で暮らしているのであれば、暗い顔にもなるよな」というような気持ちがそもそもない。そういう『例外』を認めていない。個々人の事情を考えてやるという『思いやりがない』。『どれだけ、虐待されている子供だって明るく振る舞える』……『どんな状態でも、明るく振る舞える人は明るく振る舞えるのだから、明るく振る舞え』……というような、ネガティブな気持ちを抱えているのである。

ほんとうによい人は、実は『暗い顔をしている人』のことも考えてやることができる人なのである。「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考えにこだわって人を判断するということ自体が基本的に言って、ネガティブなことなのだ。

そこには、特殊な環境にいるものに対する思いやりが最初からない。「一括判断」なのである。「暗いやつと明るいやつがいる。暗いやつはだめだ」……こういう基準だけで物事を見ている。こういう基準で人を判断している。

そして、一度判断したら、「その人」が、明るい顔をしないかぎり、受け入れてやらないのである。受け入れてやらないということだけで、済めばよいけど、「その人」が明るい顔をしないということについて、文句を言い出す。

「明るい顔をしたらどうなんだ」「暗い顔をするな」「明るいのと暗いのと、どっちがよくて、どっちが悪いのか区別がつかないのか? そんなこともわからないのか?」と文句を言い出す。そうやって人を責める。これが、『明るい』ことなのかね。こういうことを言うのが、ポジティブ? なことなのかね。

こういうことを言うのは、実は、愚痴とおなじであり、不満の表明なのである。だから、暗い行為だ。その人たちのスケール(価値判断基準)にしたがって言うなら、ネガティブ行為なのである。『だめ出し』が明るい行為であるはずがないだろ。明るい行為というのは、人の気持ちを明るくするんだろ。

『だめ出し』をして、言われた人が、明るい気持ちになるか?

「自分はおまえが暗い顔をしているから不愉快な気持ちになった。おまえは俺の気持ちを考えて明るく振る舞うべきだ」ということを言っているだけではないか。これは、ネガティブな感情の表現じゃないの? 愚痴じゃないの?

●なにごともに『感謝感謝』との関係

ところで、「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人は、同時に、なにごともに『感謝感謝』などという人たちなのである。こういう、精神世界の人が傾倒する考え方は一種の系をなしている。スローガンの組み合わせがだいたいおなじなのである。「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人であって、なおかつ「なにごともに『感謝感謝』」ということにこだわる人でなるならば、暗い人にも感謝しなければならない。

感謝したくないというのであれば、感謝しなくてもいいけど、もし、「なにごともに『感謝感謝』」と普段から言っているのであれば、暗い顔をした人にも感謝しなければならない。

暗い顔をした人が、暗い顔をしているにもかかわらず『生きている』ということに感謝しなければならない。

けど、表面的に信仰しているだけの人は、暗い顔をした人に感謝せず、攻撃する。『そんなんじゃだめだろ』とだめ出しをする。『明るいのはいいけど、暗いのだめだ』という考えに支配されている人は「なにごとにも『感謝感謝』」というような考えにも支配されやすい。これは、系をなしている。

しかし、その都度『自分の感情』が出ているだけなので、両方とも同時に成立させようとはしていない。その都度、自分の都合で、「暗いのはだめだ。明るいのはいい」「なにごとにも『感謝感謝』」と言っているだけだ。

なによりも、自分の感情が優先しているのである。

相手がどうして暗い顔をしているのかということは、一切合切関係がないのである。「どんなにつらい思いをしていたとしても、明るい顔をするべきだ」と人には要求するのである。

しかし、本人は、実は、つらい思いをしたときは、暗い顔をしている。本人が、そのとき、本人の顔を見ることができないから、本人は気がつかないだけ。

実は、最初に述べたように『受け手』として、『明るいのはいい。暗いのはだめだ』と言っているという傾向がある。『送り手』ではなくて、『受け手』なのだ。

他人に対する要求であり、自分に対する要求じゃない。もちろん、最初は『いい話を聞いた』と思って『自分に対して要求する』のであろうけど、そのうちに、全体主義、教条主義におちいって、ただ単に、『他人に対して要求する』ということになる。

「どんなにつらい思いをしても、自分は明るく振る舞おう」と思って明るく振る舞っている人は、いい。自分に要求しているのであればそれでいい。けど、「どんなにつらい思いをしても、他人は明るく振る舞うべきだ」というのは、他人にとって迷惑な考えなのである。それがわからないんだよな。全体思考だから。一般的な傾向だけを考えているから。

そして、こういう人は、実は一般的なことを言っているにすぎないということを忘れている。一般的なことというのは、一般的な傾向について言っているだけだということだ。『暗いのより明るい方が好ましい』というような一般的な傾向について言っているだけだ。

それぞれが抱えている特殊な事情は、この段階では、考慮されていない。

これは、全体的な判断で、個々人に対応した判断じゃない。けど、個々人の上に適応されるのである。『どんな人も』『どんな事情を抱えていても』……『暗いのより明るい方が好ましい』ということになってしまう。これが、実は問題なんだということを、ここでは述べているわけだ。

個々人の事情がある。個々人が抱えているどうしようもない環境がある。そういう、事情や環境を度外視にして、「こいつはだめだ。あいつはだめだ」と決めつけてしまうのが、一般的な「暗いのはだめ」思考の欠点だ。

だいたい「明るい顔をしたらどうなんだ!」「暗い顔をするな!」「明るいのと暗いのと、どっちがよくて、どっちが悪いのか区別がつかないのか? そんなこともわからないのか?」と本人が言っているとき、本人はどういう顔をしているんだろうね? 明るい顔をしてこんなことを言うのか? それならそれで、問題がある。


●「暗いのは悪い。明るいのはよい」という言葉の三つの側面

「暗いのは悪い。明るいのはよい」というようなスローガンは一般的な傾向にすぎないのに、すべての他者に適応されてしまうので、このような問題がしょうじる。

「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのは、実は、三つの側面を持っている。ひとつは一般論としての側面なのだけど、これは、「他人が暗いのはよくない。他人が明るいのはよい」……ということの言い替えなのである。自分が「受け手」であるわけ。

他者が自分に対して暗い対応をするのよくない。他者が自分に対して明るい対応をするのはいいということを言っているにすぎない。

もうひとつは、自分の行動の指針としての側面だ。「暗いのは悪い。明るいのはよい」ので、自分は暗い気分のときでも(他人に対しては)明るく振る舞おうというような行動の指針を意味している。この場合は「暗い顔をしているのはよくないので、明るい顔をしよう」というような自分の行動に関する指針なのである。

もうひとつは、他者の行動の指針としての側面だ。他人は自分に対して明るく振る舞うべきだ」という他者の行動指針だ。しかし、これが、一般論の中に隠れているのである。だから、めんどうな話になる。一般論は、一般論としては肯定されがちだ。

一つの言葉の中に、三つの違った意味がこめられているのである。側面と言ったけど、実際には、おなじ言葉なのだけど違った意味を持っている。

(1)一般論
(2)自分に対する行動指針
(3)他人に対する行動指針


たとえば、AさんとBさんがいるとしよう。AさんがBさんに対して「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということは正しいか間違っているかと訊いたとしよう。Bさんは「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということは正しいと答えたとしよう。その場合、Aさんの前では、Bさんは『常に例外なく』明るく振る舞わなければならなくなる。どうしてなら、Bさんが「暗いのは悪い。明るいのはよい」(という一般論)に賛成してしまったからである。Bさんが暗い顔をしたときは、Aさんは「『暗いのは悪い。明るいのはよい』ということにBさんは賛成したではないか。明るく振る舞え。明るくしろ」と言うことができるのである。Aさんが明るい顔をしているかどうかは別にして、Bさんには、Aさんがいるところではいつも明るくしなければならないという縛りがしょうじてしまうのである。これは、(人間は)行動の一貫性を保とうとするからで、おかしなことではない。これは、Aさんが(1)一般論と(3)他人に対する行動指針を同様のものとしてあつかったから、しょうじたことだ。(1)一般論と(3)他人に対する行動指針はちがったものなのだけど、おなじ言葉なので、おなじようにあつかうことができる。また、一般論の適応の範囲は『人間すべて』といったものであるから、人間であるBさんは、自動的に適応されている。実際、Bさんも、人間として、暗い人に対応されるより明るい人に対応された方が気持ちがいいというようなことを(受け手)として経験したことがあるとする。この場合、「暗いのは悪い。明るいのはよい」という一般論には、コウシガタイ魅力がある。自分の経験則をあてはめて考えてみても、「暗いのは悪い。明るいのはよい」という一般論には、反論しにくい。しかし、暗い人に対応されるより明るい人に対応された方が気持ちがいいという経験に関して言っておくと、この場合、Bさんは『受け手』だ。『送り手』ではない。


で、ぶっちゃけた話しなにを言いたいかというと、表面的な明るさよりも、『思いやり』のほうが大事だよということを言いたい。明るい顔をして他人を追い詰めるような思いやりがないことをしてはいけないし、暗い顔をしていても、他人に対する思いやりがあればよいのではないかと思う。


まとめ
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのは一般傾向としてはわかるはなしだ。
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考えに基づいて、本人が明るく振る舞うのはいい。
・しかし、「明るく振る舞え」と他人に要求するのはいいことではない。
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」という一般的な考え方は、自分中心で、自分が受け手である場合の話しだ。本人が送り手である場合のことを考えてない。そういった意味では、『エゴ』のひとつにすぎない。他人が、自分に対して明るく接してくれることを望んでいるのである。他人が自分に対して明るく接してくれることを望むこと自体は悪くない。そういう意味では、「だれだってそう思う」のであろう。しかし、『エゴ』だ。
・「なにごとにも『感謝感謝』」と言うのであれば、暗い人にも感謝して、暗い対応にも感謝するべきだろう。
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」という全体的な基準にとらわれないで、個々人のことを考えてやったほうがいい。
・「なにごとにも『感謝感謝』」というような考え方は、ほんとうは他者に対する愛から出ているのだけど、いままで見てきたように『自己愛』にひっくり返ってしまう地点がある。
・「だれだってそう思う」ことに関しては、一般傾向としてはさからいがたい。しかし、それがいつも正しいというわけではない。



2018年7月17日火曜日

やっぱりくるしい。

俺の気持ちというのはいったいなんなんだろう?
はぁ~~

これ、なんなんだ~~
ヘビメタ騒音時代とかわらない。
やっぱりくるしい。


   *   *   *

ぼくももちろんそうだけど「ひとごとはひとごと」なんだよね。
「ひとごと」ならなんとだって言える。
「ひとごと」ならね~~~

   *   *   *

仕事なんてどうだっていいや。問題なのは、あの時のあの感情だ。ヘビメタを鳴らされていたときのあの感情だ。

2018年7月15日日曜日

無料セール 騒音サイコパス 6:

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騒音サイコパス 6:



兄のヘビメタ騒音で人生がない

人生とはなにか?

精神病質者が兄だった場合。その兄がヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らし続けた場合、人間はどうなるか?



騒音障害というものがあると思う。

普通の人は、騒音は鳴りやめばそれでおしまいだと思うみたいだけど、それはちがう。長時間の騒音は、一日のすべてをぶちこわす。長期間の騒音は、人生のすべてをぶちこわす。



「やったってやってない」と思う人の心理学。



障害と障害の認知

主観と客観



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親父にやられたことを、弟に押しつけている

昨日の夜というか、今日の午前中、めちゃくちゃに暑かった。昨日は、午後五時ぐらいから、なんとも言えない感じで、いたたまれない気持ちになった。騒音と人生の無意味。ともかく、くるしい。



いまは、とりあえず、いつものモードになっている。



毛布を干した。今日は、曇りだから、ぴかーーんと晴れているわけじゃない。そのうち、ぴかーーんと晴れたらもう一度干す。そのあと、冬まで特別パックに入れて保存しておこう。



しかし、ほんとう、ゴミが出るなぁ。やっぱりジュース関連のゴミが多いなぁ。ジュースを減らすべきだ。ジュースを飲む機会を減らすべきだ。なるべく飲まないようにしないと……。けど、ジュースと食べ物以外、楽しみがないからなぁ。『あれを飲みたい』『あれ食べたい』という気持ちが残っている。それ以外の『なになにしたい』という気持ちは壊れている。ヘビメタ騒音で壊れている。



ほんとう、他の人たちは、ヘビメタ騒音が鳴りやんだら、鳴りやんだのだから、(いまは)関係がないと思うらしいんだよな。そんなことじゃないのに。やっぱり、自分がたたられないとそこらへんのことはわからないのか?? 人間というのはそういうものか?? まあ、たしかに、わからないかもしれない。



けど、違うんだよ。ヘビメタ騒音が五〇〇〇日以上、ほんとうに休日も祭日もなく、毎日午後一一時一一分まで続いたということが大きすぎる。成長期に続いたということが大きすぎる。学生時代に続いたということが大きすぎる。



日本なんて、ほんとうに、なんて言うのか、『新卒カード』をうまく使えなかったら、おちていくだけなのである。もっとも、睡眠回路と生活体力(持久的な体力)がなくなって、底辺の職業もまったくつとまらなくなってしまったけど。週に一日だろうが、一日に二時間だろうが、時間を決められたら、もうだめなんだよ。死ぬしかない状態に追い込まれる。それが、ヘビメタ騒音なんだよ。



俺が、ヘビメタ騒音に負けずに、どれだけ長い間学校に通っていたと思うんだよ。一一歳から一八歳まで、地獄の日々だ。この日々、ヘビメタ騒音で、どんな過酷な残業をこなしているサラリーマンより、過酷な状態になってしまったのである。これ、やってみればわかる。気違い兄貴は、親父とおなじで、自分が押し通してやったことは、まったくやってないと思っているんだよな。気違い兄貴のヘビメタ友達であるカオ君に、『こんな音で鳴らしたことはない』『こんな音で鳴らしたら、家族の人がかわいそう』と言われているのに、『だいじょうぶ、だいじょうぶ』って親父みたいに、気軽に言いやがって。カオ君がうちに遊びに来るまで、『静かにしろ』と俺に怒鳴られていると思っているんだよ。



毎日、ヘビメタ騒音のことでもめてたのにまったくわかってないのな。親父が、ハンダゴテのことで、前日!もめたと言うことがぜんぜんわかってないのとおなじなんだよ。言われるたびに、怒って、忘れる。怒ってはねのけた途端に、忘れる。そういう気違い回路を、生まれながらに搭載していて、ごく自然にそういうことをしやがるのである。「うちでは!」。うちではそうしていいという回路も搭載している。



だから、はねのけ回路があって、その上に「うちではそうしていい」という回路があるのである。はねのけ回路が信号を出したあと、「うち」か「よそ」かを判断して、うちでは、頑固にはねのけるということになる。



けど、「うち」か「よそ」かを判断するのは、無意識的な判断で、意識的な判断じゃない。本人にはそういう判断をしている「つもり」がない。まあ、そういう壊れた脳みそでも、全体の状況を判断して、自分が「うち」にいるのか「よそ」の他の場所にいるかということは、わかるんだよ。



それこそ、瞬間的な認知として、連続的な認知としてわかる。そりゃ、自分の部屋にいるときは、自分が買ったステレオセットがあるわけで、自分の部屋だと認知できる。で、「つもりがない」ということが、強力な影響を及ぼしている。「つもりがない」からどれだけやったっていい……という、これまた、気違い的ないいわけがあるのだ。これは、「うちではそうしていい」回路の上にあるのか下にあるのかわからないけど、ともかく、隣接している。



ともかく、まったく悪いと思わないで騒音を出し切ることができる。自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らすことができる。鳴らすなら、絶対に自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らすわけで、静かに鳴らすなんてことは、できない。死んでもできない。絶対にやらない。



死んでもやらない。



だから、そうしているのに……つねにそうしているのに、本人は『特に』デカイ音で鳴らしているつもりがないのである。現在進行形でない。『デカイ音で鳴らすな』『静かにしろ』と言われたら、親父のように発狂して、親父のようにはねのけて、おしまいだ。



そこで、ゆずるなんてことはないんだよ。ほんとうにゆずるなんてことは絶対にない。兄貴よ! 親父がほんとうにゆずってくれたことなんて一度もないだろ。一分もないだろ。親父がほんとうにゆずってくれたことなんて、生涯のなかで一度もないだろ。



それとおなじなんだよ。兄貴は親父の態度でヘビメタを鳴らして、兄貴は親父の態度でヘビメタを鳴らしたということを否定している。あれだけ、嫌いな親父とおなじことをしている。親父にやられたことを、弟に押しつけている。おなじやり方で、おなじ態度で、ずっとずっとずっと、押しつけている。押しつけているつもりがないというのも、親父とおなじだ。まったくおなじ。

2018年7月14日土曜日

親父の代から、繰り返されてきたんだよ

かなりだるい。これはやばい。



うーん。眠れない。







ついにまた、夏になったか?



あーあ。俺は何回こんなことを繰り返せばいいんだ?



他の人にはないヘビメタ騒音なんてハンディのせいで、どうにもならない。あの娘たちと、仲良くしておけばよかったな。ヘビメタ騒音でそれどころじゃなかったけど。いまの時間、ずっと鳴ってた。どれだけ「やめろ」と絶叫しても、頑固に鳴らしてた。殺さなければやめさせることができない。殺されなければ絶対に一秒だってゆずらないという意志を持ってならしてた。だから、鳴らしているのに、気違いだから、鳴らしたと思ってない。ぜんぜん関係ない人のつもりでいる。張本人が、まったく無関係な人間のつもりでいる。そういうことが、親父の代から、繰り返されてきたんだよ。うちでは日常茶飯事というか、そうでないときがない状態だ。そういうモードじゃないときがない。うちにいるときは、常にそういう状態だ。ともかく、くるしい。他の人にはわからない。他の人にはまったくないハンディで、他の人にはまったくわからないハンディだ。



ほんとうに、一日のなかで、ヘビメタ騒音が一二時間積み上がった場合の疲労感とか絶対に他の人にはわからない。ヘビメタ騒音に一二時間さらされたので、夜、眠れなくなるということが、他の人には絶対にわからない。体験したことがないから、わからない。そりゃ、文字を読めれば、『一二時間鳴ってたんだな』というのはわかるけど、実際に、一時間、二時間、三時間と続いたときの体の状態、精神の状態というのはわからない。九時間、一〇時間一一時間、一二時間と続いたときの体の状態、精神の状態はわからない。あの態度でやり続けるわけだからな。気違い兄貴に言っておくと……気違い兄貴にもわかるようにいっておくと、兄貴のヘビメタに対する態度は、親父のハンダゴテに対す態度とおなじなんだよ。まったくおなじ。これは、もう書いたからここでは繰り返さないけど……ほんとうにおなじ。態度と感覚、認知がおなじなんだよな。そして、気違い的な意地でやりきるけど、気違い的な意地で『やったということを否定する』というのも、そっくりだ。自分のなかで『だいじょうぶだ』と思えば、どれだけ相手が『だいじょうぶじゃない』と言っても、『だいじょうぶなつもりのまま』なのである。何年間だってずっとそのままだよ。「だいじょうぶだ」と思ったまま、だいじょうぶじゃないことを気違い的な意地でやりきる。やめさせようとしたら、殺さなければならない。殺さなければ絶対にやめてくれない。話しあいで解決するわけがないだろ。気違いなんだから。気違いが気違いの態度で、気違いの感覚で絶対の意地で鳴らすわけだから。そして、鳴らしたということ自体を絶対の意地で否定するわけだから。で、否定したら、もうそれでおしまいで、新しい音を鳴らし続ける。新しく、気違い的な意地で気違い的にでかい音を鳴らし始める。現在進行形で!やっていることを無視する。「やってない」ことになっている。そういうレベルの話しだぞ。そういう態度だぞ! こんなの、うちのなかにいる人しか信じない。「そんなことはないんじゃないか」と思ってしまう。「騒音なんて、やめてと言えばいいだろ」「そんなの話し合えばいいのに、どうして話し合わないんだ」などと言われてしまう。気違い兄貴だって、親父とのあいだにあったことで、他人に「そんなの話し合えばいいのに、どうして話し合わないんだ」と言われて、傷ついたことがあるだろ。それだよ!それ!! まったく!それ!! おなじ!!! 全部毎日、おなじなんだよ。全部毎日、兄貴が親父の態度でヘビメタをデカイデカイ音で鳴らし続ける。本人は、シランプリだ。ほんとうに『そんなにデカイ音で鳴らしてない』と思っている状態だ。そういう気違い的なことを常にやり続けて、自分は正常だと思っている。押しつけているのに、ぜんぜんわかってない。気違い親父が兄貴にハンダゴテを押しつけておいて、ぜんぜんわかってないのとおなじなんだよ。こんなの、他の人とうまくいくはずがない。どれだけ心配してくれた人とだって、一〇年も一一年も一二年も問題が解決しないなら、決別しなければならなくなる。これも、まったく知らないやつにしてみれば、「どうして、友人関係と騒音が関係がある? なんでも騒音のせいにするな」と言いたくなるようなことなのだけど、一〇〇%ヘビメタ騒音でそうなっている。ヘビメタ騒音が原因でそうなっている。もし、一日目に気違いヘビメタ騒音が鳴りやめば……気違い兄貴が納得してヘッドホンをしてくれれば、そんなことになってない。そもそもが、そんなことになってない。毎日毎日追い込まれていくんだよ。

2018年7月12日木曜日

ヘビメタ騒音が終わったあともくるしいよ。大切なものを全部失ったよ

風呂に入った。シャワーにしようかと思ったけど、今日はなんか風呂のほうが楽だから……楽だと感じたから風呂に入った。



いー湯だった。夏は風呂に入るのが楽だ。冬はくるしい。



はて、どうしたものだろうか?



俺の人生……俺の人生、俺の人生。

ほーんと、ヘビメタ騒音がはじまってから、くるしくてくるしくてくるしくてくるしくて、ずっとくるしい。ヘビメタ騒音が終わったあともくるしいよ。大切なものを全部失ったよ。

   *   *   *
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騒音サイコパス 6:

兄のヘビメタ騒音で人生がない
人生とはなにか?
精神病質者が兄だった場合。その兄がヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らし続けた場合、人間はどうなるか?

騒音障害というものがあると思う。
普通の人は、騒音は鳴りやめばそれでおしまいだと思うみたいだけど、それはちがう。長時間の騒音は、一日のすべてをぶちこわす。長期間の騒音は、人生のすべてをぶちこわす。

「やったってやってない」と思う人の心理学。

障害と障害の認知
主観と客観

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一〇年間以上毎日続いたら、違う。

俺はヘビメタにやられてズタボロなんだけど、健康寿命とか健康余命というのは気になるなぁ。たしかに、ベットの上で生きていても……。ほんとうにヘビメタで俺の「普通の生活期間」が減った。

まあ、いまはなんとか、好きなときに外に出れるようになったけど、これ、ほんとうに柳荘時代なんて、ぼろくそだからなぁ。人と会わないときは、寝たきり状態だったし……。起きて外に行くというのが、ものごくたいへんだった。気違いヘビメタが鳴り始めてから一一年目あたりにそういう状態になった。俺はもともと、健康で体力も人並みだったんだよ。この体力というのは、生活体力だ。持続力のほう。普通に学校に通えた。けど、その俺が、ヘビメタ騒音に六時間四五分間から一三時間四五分間、毎日さらされるようになってから、とにもかくにも、起きて動くこと自体がくるしいという状態になった。これ、ほんとう、どれだけ俺ががんばって動いていたか! これ、一日に六時間四五分から一三時間四五分間続くヘビメタ騒音にさらされたことがない人にはわからない。「騒音なんて、鳴り終われば、関係がない」と思っているやつばかりだからな。これ、一〇年間以上毎日続いたら、違う。

2018年7月9日月曜日

潜在意識は主語を理解できないというのはおかしい……主語が二人称の場合

潜在意識は主語を理解できないというのはおかしい、ということについて、もうちょっと書いておこうと思う。

結論からいうと、主語を理解できないのはむしろ顕在意識である。そして、『主語を理解できない』という言い方は、かなり誤解をまねく言い方なのではないかと思う。

すでに、主語がない場合について書いた。これは、命令形や単なる呼びかけだと、主語がない場合が多い。これから書くのは、主語がしっかりある場合だ。主語がしっかりあるのに、主語が指し示す実際の対象があいまいな場合がある。

それが、二人称を使った場合だ。

「あなた」「おまえ」「きさま」「あんた」というような二人称は、主語の実際の対象を取り違えやすいのである。しかし、主語の実際の対象を取り違えているのは、顕在意識のほうなのである。潜在意識のほうは、すべてをお見通しで、誤解が生まれやすい『フレーム(枠組み)』まで、認識している。

たとえば、だれかのブログを読んでいるとしよう。そのブログはコメント欄を開放しているとしよう。そして、コメント欄には「おまえはバカだ」というようなコメントが載せられているとしよう。その場合、『おまえはバカだ』と書き込んだ人(A)がおまえという主語で指し示しているのは、ブログ主(B)だ。読んでいる人(C)ではない。

しかし、読んでいる人はまるで、自分に言われたような感じがするかもしれない。その感じが要するに、『主語を誤解する』ということなのだろう。

しかし、これは、『おまえ』『あなた』とだれかに言われたときの経験がものを言っていると考えてよい。単なる呼びかけや、命令形の場合とおなじだ。実生活のなかで、「あなた」という言葉の対象が、実際に自分自身のことを指していたということを経験しているのだ。

だから、「あなた」という言葉と、「自分」とのあいだに「関連(連関)」ができあがる。実生活のなかで、何十回、何百回、何千回、何万回と学習したことなので、完全に記憶してしまう。

圧倒的に、主語と主語の指し示す対象が一致している場合のほうが多い。

ブログでコメント欄の二人称を見る(読む)というのは、もうすでに、そういう「回路」が形成されたあとなのである。

「あなた」という主語と「自分」が一致してないという経験のほうがレアな経験なのだ。だから、経験として多い方が、まず(瞬間的に)呼び出されるので、「あなた」という主語と「自分」が一致してない場合、「あなた」という主語を読んだ人は、確かに誤解するかもしれない。しかし、この場合でも、誤解しているのは、顕在意識なのである。「自分のことなのかな」と誤解するのはいま活動中の顕在意識のほうなのである。

そして、常に勘違い(誤解)が発生するかどうかも疑わしい。つまり、常に誤解するとは限らない。さきのブログの話しで言えば、「おまえはバカだ」という文字を読んで、「ほんとうにブログ主はバカだ」と思うかもしれない。そういう場合だってあるのである。だから、この誤解?が常に発生しているかどうかわからない。

誤解が生じるのは、文字が書いてあって、その文字を自分ひとりで読んでいるようなときが多いのである。呼びかけ系を抜かせば、ほとんどがこのケースなのではないか? 認識の枠組み(フレーム)がぼやけているときに起こりやすいことなのである。

たとえば、正義の味方系の番組ををみているとする。悪い怪人が悪いことをさんざんしたとしよう。そして、正義の味方が『おまえはゆるさない』と言ったとする。この場合、たいていの人は『おまえ』が自分自身のことを指しているとは誤解しない。間違った認知がうまれにくいのである。

どうしてかというと、テレビの中に、怪人と正義の味方がうつっているからだ。そして、「あなた」は、怪人がさんざん悪いことをしてきたということを知っているからだ。これは、視覚としてはっきりとわかることなのである。つまり、ビジュアルがはっきりしている。両者(言葉を発する方と言葉の対象)がうつっているいるので、「おまえ」が怪人のことを指しているということはわかりやすいことなのである。テレビモニターという面のなかに、ちゃんと対象がうつっているということが、重要だ。

ここでもうひとつ重要なことがある。それは、『感情移入』ということだ。たとえば、怪人のほうに『感情移入』していた場合は、正義の味方が「おまえはゆるさん」と言ったときに、自分のことを言われたような気分になるかもしれない。

さらに、たとえば、ブログを読んでいるとき、ブログ主のほうに感情移入していれば、コメント欄の「おまえ」が自分のことのように感じられるかもしれない。場合によっては、一瞬「おまえ」という言葉が自分のことを指しているというような感覚におそわれかもしれない。

しかし、それも、現在進行形で感情移入しているのは顕在意識なので、誤解しているのも、顕在意識だということになる。なので、「潜在意識は主語を理解できない」というのは、間違っている。

2018年7月8日日曜日

『あまい』『甘えている』……「言えばわかる」「相談すればいい」……ふざけるな。

なにもしないで生きるというのも、つまらないんだよな。

よき仲間に囲まれて、自分の才能を発揮できる仕事をするのがよいのだろうけど、ヘビメタ騒音にやられた俺にはそんなのはない。



これから、買い物に行こうと思う。

閉塞した雰囲気をぶちこわすのは買い物しかない。



それにしても、喉がかわく。腹も、まだちょっとおかしい。



なんかもう、全面的にいやになってきた。

これで、ぼくが、たとえば、旅行に行けば解放された気分になって救われる人間ならよいのだけど、そんなことにはならない。ヘビメタ騒音の地平をさまよっている。ヘビメタ騒音にやられたときの『感覚』が持続している。ヘビメタ騒音にやられたときの『雰囲気』が持続している。からだがだるい。常に、ヘビメタ騒音でからだがだるい。常に、ヘビメタ騒音でからだがだるいのに、弱音を言わず、愚痴を言わず、がんばってきたのが俺だ。それがなんだ。そんなもの一〇数年、繰り返したって、得るものはなにもない。というか、そんなものを一〇数年間も毎日繰り返してしまったから、いまだにからだがだるくて、いまだに睡眠回路が壊れているままなのである。……そもそもが、無理な生活なんだよ。ヘビメタが平日六時間四五分鳴っている生活なんて、そもそもが無理だ。こんなのは、朝の七時に起きて、朝の八時に会社に到着して、朝の八時から午前五時まで働いているような状態だ。午前五時から、午前七時まで2時間しか眠れないまま、毎日、必死になって働いているような状態だ。こんなのは無理。こんなのを、七年間毎日やっていいわけがない。しかも、日曜日は休めるかというと、日曜日も朝の九時から気違いヘビメタがはじまって、夜の一一時一一分まで鳴っている状態だから、平日よりもくるしいということになる。ヘビメタ騒音を……あのレベルのヘビメタ騒音を六時間四五分以上からだに浴びると、眠れなくなる。普通の人は、午後一一時一一分からは鳴ってないのだから、眠れるだろうと考えるかもしれない。それが、眠れない。これも、ぼくが、だらしないからいけないんだと考えるやつが多いのである。これ、こういう世界! こういう世界で生きてきていいわけがない。自分が好きなことをして、午前五時まで起きているのと違うよ。「なめんな」と言うが、俺にそういうことを言うほうが、「なめてる」。『あまい』と言うが、俺にそういうことを言うほうが、『あまい』。『甘えている』と言うが、俺にそういうことを言うほうが『甘えている』。おまえらの尺度で、ヘビメタ騒音生活を考えるな。ふさげるな!! おまえらの常識は、「うち」では成り立ってないんだよ。「言えばわかる」「相談すればいい」……ふざけるな。

2018年7月6日金曜日

全部そういうふうに、繰り返されてきた こんな人生でいいわけがない

やっぱり、ヘビメタ騒音でだるい。ヘビメタ騒音で憂鬱だ。ヘビメタ騒音で死にたい気分だ。これ、言ってしまうと、あれだけど、ぼくは相当に気違い兄貴のことをゆるしている。これがわかってない人間が多い。殺してないということがどれだけすごいことかわかってない人が多い。気違い兄貴がやったことの『総量』が、わかってない。もし、自分がやられたら、それはわかるのだけど、やられてないからわからない。それは、俺の事情を知っている人でもおなじだ。他人ならわからない。別の個体ならわからない。こういうことを書けば書くほど嫌われるわけだけど、長いこと、我慢しすぎた。もう、戻れない。もう、治らない。ヘビメタ騒音がはじまってから一年が限界だったんだなぁ。気違い兄貴のやつは、親父とおなじように自分が血相を変えて、命がけで、毎日常にやってたことがわかってない。わかってない」だけで、やってないわけではないのだけど、気違い兄貴の主観としては、わかってないのとやってないのはおなじなんだよ。だから、まったく悪いと思ってない。やったとも思ってない。けど、最初から、そういうやり方だった。やっているさいちゅうも、そういう感覚が成り立っていて、現在進行形で無視できた。現在進行形で、現在やっていることがわからないという状態だった。そして、現在進行形で「やってないこと」になっていた。だから、ほんとうに、本人は「やってない」つもりのままなのである。じゃあ、やめてくれるのか? ヘッドホンをしてくれるのかというと、それは、もう、親父が怒り狂うように、やめてくれない。一秒だろうがヘッドホンをするのはいやだから、ヘッドホンをしない。ヘッドホンをしないけど、『悪気はない』のである。だから、まったく悪気なく、やり続けることができる。そのままデカイ音で鳴らし続けることができる。そのままでかい音で鳴らしているのに、『でかい音で鳴らしてない』という気持ちが成り立っている。言われたときだけ、発狂して、反対のことを言うんだよ。正反対のことを言う。やったなら、「やってない」。やってないなら「やった」。ゆずってないなら、「ゆずってやった」。全部、反対のことを絶叫するわけだよ。そうしたら、本人のなかでは、きれいさっぱり、なくなっている。まず、相手に言われたと言うことがなくなっている。次に、自分が相手の言い分を無視してやったということがなくなっている。次に、自分が相手の言い分を無視してやり続けているということがなくなってしまう。だから、どれだけ言われても、言われたときだけ、正反対のことを叫んで怒って、それでおしまいなのである。そういう反応しか返ってない。で、そういう反応をしておけば、あとで「ゆずってやった」「鳴らしてない」と言うことができるのである。本人は、ほんとうにそういうつもりなんだよ。相手が、それで困った、なんてことは、死んでも認めない。いかなる段階でも認めない。親父とおなじように「なんだ!!そんなのぉ!!」という気持ちになって、怒ったら、それで、自分の関係が切れてしまう。だから、『話し合って解決する』なんてことはできないのだけど、他の人は『自分だったら、話し合って解決することができる』と考えてしまう。『そんなのは、ちゃんと言わないからだめなんだ。俺だったら、ちゃんと言って静かにしてもらう』と思ってしまう。そういう人から見れば、『エイリさんがちゃんと言わなかったから悪いんだ』ということになってしまうのである。全部そういうふうに、繰り返されてきた。で、俺の「からだ」を使ってない人は、一日のヘビメタ騒音がどれだけの影響を与えるかわかってない。一日中鳴っているということが、次の日、鳴ってない時間にどれだけの影響を与えるかわかってない。そういう毎日が一年、二年、……一一年、一二年続いてしまったら、どれだけの『損害』が生まれるかわからない。どれだけの『障害』が生じてしまうかわからない。だから、これもまた、『愚痴を言ってサボっている』『いいわけをしてサボっている』なんて思うわけだよ。

ポジティブな言葉を言わなきゃだめじゃないか

マルチビタミン剤を飲んだ。気休めだけどいいや。「きく~~きく~~きく~~きく~~きく~~」。こういうのは、自分限定だから「きく~~きく~~きく~~きく~~」と言っていい。他の人に「ポジティブな言葉を言わなきゃだめじゃないか」とか「ネガティブなことばかり言っているから、ネガティブなことが起こるんだぁ」と言ってはいけないと思う。「ポジティブな言葉を言わなきゃだめじゃないか」なんて、ポジティブだと思う? こんなの、ていよく人を責めているだで、ネガティブな行為だ。「ネガティブなことばかり言っているから、ネガティブなことが起こるんだぁ」というのも、そう言って愚痴?を言っている人を責めているわけだから、あんまりいいとは言えない。「ネガティブなことばかり言っているから、ネガティブなことが起こるんだぁ」というのは、『ネガティブな言葉を聞かされて、俺は怒っているんだぞ』というようなネガティブな感情の表出ではないだろうか? まあ、言いたくなる気持ちもわかるけどさぁ~~ ポジティブな言葉を言おうというのは、自分の範囲で自分に向かって実行すればいいわけで、他人に向けてあれこれ言わなくてもいいと思う。(とりあえず、さっきは愚痴と書いたけど、頭がおかしい家族にやられて、死にたいほど悩んでいるのかもしれないぞ。もちろん、そうだとしても関係はない。けど、それを愚痴と片付けてよいものかどうか?)(まあ、自分によゆうがないのだろうと思う。)「ポジティブポジティブポジティブ~~~~」と言っている人は、そうやって自分をふくらませなければ、すぐにしぼんでしまう人なんだよ。

2018年7月5日木曜日

親父のように怒ってはねのけて、『当のその行為』をする

青木雄二氏の言っていることはあっている。
けど、それ以前に、ぼくにはヘビメタ騒音の問題がある。これがでかすぎる。どうにもならない。ヘビメタ騒音で、こういう現実を押しつけられたのであり、『中学高校と勉強しなかったのだから、自己責任』と言われると、正直言って腹が立つ。

ヘビメタ騒音漬けの生活をしてみろ。気違いが横で鳴らしている生活を経験してみろ。

相手が気違いだから、認知と感覚がずれている。「やったってやってない」がそのまま成り立っている。殺さなければ、どれだけ言ったってやめさせられない状態が成り立っている。しかも、本人は本当に「やってないつもり」でいる。やっているさいちゅうもやってないつもりでいる。『家族で話せばいい』と言っている人は、そういう兄貴みたいな人間がいるというとすら、想定してない。。想定外。最初から、想定外。

俺がいると言ったあとも、『そんな人いるのかな?』と疑問に思っているレベルだ。疑問に思っているというか、俺が『そういう人間がいる』と言ったあとも、実際には、そういう人間がいるということすら認めてないのであ~~~る。だから、そういう人たちとは溝ができる。

そして、多勢に無勢、一対圧倒的多数なのだ。言ったって言ってない状態になってしまう。「あいつがひとりでへんなことを言っている」と思われてしまう。「ともかく、(騒音なんてどうでもいいから)やって」と言われてしまう。このギャップ! 気違い的な家族がない人にはこのギャップがわからない。

それから気違い兄貴は特殊なので、……要するに、「それじゃ、俺がお兄さんに言ってやる』と言ってくれた人……。俺が、どうせ無駄だからということでことわってしまったのだけど……それは、俺のほうの失敗なのだけど、どのみち、兄貴はやめないけど、言ってもらうことはしてもらえばよかったと思っている。

どういう音で鳴っているかの証人が増えるからな。

気違い兄貴が『外部の人』に注意されても、その人が帰ってしまえば、『静かにしてやったつもり』でものすごくでかい音で聞く。ものすごくでかい音で鳴らす。これは、はっきりとわかる。気違い兄貴は、「よそ」じゃ絶対に鳴らせないようなでかい音で鳴らしていても、「うち」でなら、『たいしてデカイ音で鳴らしてない』と思うような頭がおかしい人間だ。完全に、信じ込むことができる人間だ。だから、意味がないのであ~~~~る。

兄貴の友達に『こんなで買い音で鳴らして大丈夫なの』と言われて、『だいじょうぶ、だいじょうぶ』とこたえたやつだ。あれだけでかい音で鳴らしていて、ほんとうに、「普通の音で鳴らしているつもり」なのだ。フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりなのだ。

気違い兄貴なかでは、ごく自然に脳内変換される。

そして、親父のように!!そのことについては考えない。

そりゃ、何万回言われたって『知らなかった』状態が成立してしまう。何万回言われても『そんなの知らなかった』と思っている。こっちが死にものぐるいで「やめてくれ」と絶叫して頼んでいるのに、こっちの状態がまったくわからない人間なのだ。

これ、親父とまったくおなじなんだよな。兄貴が親父にちょっとしたことで、そういうことをやられれば、兄貴だって怒っていたのに、自分がやるだんになったら、何万回やっても、親父のようにまったく気にしない。まったく気にならない。どれだけ言われても、言われたときだけ、親父のように怒ってはねのけて、『当のその行為』をする。

どれだけやったって親父とおなじように「やってない」と本気で思っている。本人のなかでは「やってない」のとまったくおなじなのである。気違い兄貴の頭のなかでは、こだわりつくして、絶対の意地でやったことが、まったくやってないことになっているのである。だから、こまるんだよ!! いつもそうやってやられた。これが俺の人生の中身だ。こんな人生でいいわけがないだろ。

気違い兄貴は、ほんとうに「やっているつもり」がないんだよ。つもりだけ、ない。兄貴の外側は……兄貴のボディーそのものは、気違いエレキギターをかき鳴らして、夢中になって、でかいでかいステレオで、でかいでかい音を出してヘビメタを聞いている。

これは、仮定の話だけど、ぼくが気違い兄貴の爆音ヘビメタ道具を壊したとしよう。そうしたら、どうなるかと言うと、……「壊したのだから(悪いことをしたのだから)これからどれだけ、ヘビメタを鳴らして文句を言うな」……と言って鬼のようにアルバイトをして、ヘビメタ道具を修復して、一分もゆずらずに鳴らす……と思う。

口実を与えてしまう。
鳴らしていい口実を与えてしまう。

けど、よく考えてみると、鳴らしていい口実を与えたあとの? ヘビメタ騒音の騒音量(時間×音のでかさ)は、口実を与える前のヘビメタ騒音の騒音量(時間×音のでかさ)とおなじだと思う。普段から、フルの音のでかさで、フルの時間鳴らしていた。それ以上、鳴らす時間が増える(長くなる)ということはないのだ。だから、口実を与えたとしても、壊せばよかったかなと思う。『壊されたから、相手は文句を言う資格がない。だから、どれだけやったっていい』と意地になっているような状態で、最初から鳴らしている。最後まで鳴らし続けた。



2018年7月4日水曜日

寝ても起きてもけっこうつらい。

寝ても起きてもけっこうつらい。

『ヘビメタで、俺がどんだけ』って言いたくなる。

『ヘビメタで、俺がどんだけ』『ヘビメタで、俺がどんだけ』『ヘビメタで、俺がどんだけ』。

神はない。けっきょく、俺が兄貴を殺さなかったから、俺がむなしく死ぬことになる。しかも、日本は日本労働教徒の国だから、働かないとボロカスに言われる。気違いヘビメタに一五年間もやられたのは俺だけだから、他の人はヘビメタ騒音のことがほんとうにはわかってない。他の人から見たヘビメタ騒音と、俺が体験したヘビメタ騒音は違う。他の人は、「たとえ、騒音が鳴っていても……」と言う。あるいは「騒音が過去のことなら関係がない」と言う。しかし、どっちも間違っている。大きく!!!!!大きく!!!!!間違っている。ヘビメタ騒音で、通勤通学ができないからだになったということが、ものすごくでかい。ものすごく、でかい。いまは、金銭的には、インターネットで金が稼げるようになたっから無職問題は、(俺のなかでは)解決した。けど、ある一定の時間に起きられないとことから生じる問題は、解決してない。しかも、インターネットの発達を待つまで、時間がかかりすぎた。インターネットが発達すれば、即、インターネットで金が稼げというわけでもなかった。時間がかかっている。

ともかく、だるい。体調が悪い。

あと、「せい」だけど、これはちょっと言っておきたいことがある。あっ、その前に、俺がヘビメタ騒音の長さと、ヘビメタ騒音のでかさについて言及したのに、それを信じないやつというのは、ゆるせない。どういう理屈で俺の発言を信じないのか、ぼくは想像するしかないけど、こういう人たちは、間違っている。


2018年7月3日火曜日

どんな方法も無駄だった

仮に悩むのをやめたとしても、このからだじゃ、つまらない。楽しくない。楽しくなる方法は、無茶だ。これ、みんな、……。楽しくなる方法なんて、みんな、ヘビメタ騒音にやられてない人が書いている方法だ。根本から違うんだよな。長すぎる。ヘビメタ騒音期間が長すぎる。一日の中で長すぎる。どんな方法も無駄だった。気違い兄貴がやめなければ意味がかなった。一日中ヘッドホンをしなければ意味がなかった。気違い兄貴は、気違い親父の意地で、鳴らしまくる。殺さなければやめさせることができない。殺すか、自分が死ぬか?そういう選択を迫られる。ヘビメタが鳴っている時間は、常に、そういう選択が迫られる。ヘビメタが鳴っている日は、常に、そういう選択が迫られる。あんなの、気違いだからやっただけだからね。どれだけ言ったってやっていることすら認めない。そういうやり方でやりまくる。




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2018年7月2日月曜日

無料セール中 騒音サイコパス 4

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騒音サイコパス 4

ほーーんと、人間ってなにかな??

ヘビメタ騒音をやられると、言いがたいポジションに落ちていく。あの態度で、あの感覚でやられると……言いがたいポジションに落ちていく。



「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」

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体調としてそうなっている


しかし、楽しくない。タイに行けば楽しいとか、風俗に行けば楽しいとかそういうのが一切合切ない。なので、つらい。やっぱり、ヘビメタ騒音でくるしい。生きててつらい。あんなのない。気違い兄貴は全力で俺の勉強の邪魔をしたのに、まったく勉強の邪魔をしたつもりがないんだよな。うちで勉強ができないということもこまったけど、勉強ができないということだけではなくて、ほんとうに、体力がなくなってこまった。起きているとき、普通の人だと病気で寝ているような状態なのである。これが、一番こまった。で、これが、ヘビメタ騒音が鳴っているときと同じような強度でずっと続いている。体調としてそうなっている。ともかく、くるしいわ。



2018年7月1日日曜日

潜在意識は主語を理解している

とある脳科学者によると、潜在意識は主語を理解できないということになっている。けど、これはおかしい。まあ、この『潜在意識』というのがなにを指しているかを定義しないで話をすすめるとこういうことになるのだけど、潜在意識は主語を理解できないということはない。

むしろ、正確に理解しているのが潜在意識なのである。顕在意識が理解できないことを正確に理解しているのが潜在意識なのである。主語が理解できないわけがない。対象も主語も理解している。

言い換えれば目的語も主語も理解している。

それこそ瞬間的に間違いなく理解しているのである。

だから、顕在意識が知らなかったことを知っているということになる。あるいは、本当の気持ちを知っているということになる。顕在意識は、あれを言ったらまずいだろうというようなことを考えてしまう。だから、失礼なことは言えない。

たとえば、催眠状態にして、好き、嫌いをこたえさせることにする。問いかける方は、名前をいって、こたえる方は、瞬間的に、『好き』とか『嫌い』ということをこたえるようにしておく。あるいは、好きなら右に腕を動かすジェスチャー、嫌いなら(好きでないなら)左に腕を動かすジェスチャーをするようにしておく。そうすると、普段は、好きだと思っている○○さんのことが、実は嫌いで、普段は、嫌いだと思っている○○さんのことが実は好きだということが、わかることがある。

まあ、普段の思と一致している方が多いけど。これは、潜在意識が、正確に主語を理解していなければできないことだ。

また、映画館で『コーラ』という文字を瞬間的に見せるというような実験があっただろう。ぼくは、あの実験自体が非常にあやしいと思うし、実験結果も、いつも仮説を支持するとはとても思えない。しかし、彼らがよく例に出しているその実験を考えてみると、やはり、潜在意識は、対象を正確に理解しているということがわかる。

実験の結果が正しいなら、正確に対象を理解しているということがわかる。それは、顕在意識が気づかない『コーラ』という文字を見せられると、コーラを飲みたくなって、コーラを買ってしまうということだから、対象を理解しているということになる。スプライトやファンタやおーいお茶じゃなくて、コーラという文字を見せられたから、コーラを買いたくなるということだから、対象を正確に理解しているということになる。*1


もちろん、これは、そういうサブリミナル効果があるということを前提とした話しだ。そういうサブリミナル効果がないということであれば、その前提はくずれる。しかし、彼らは、常に、そういうサブリミナル効果があるといこうとを前提にして話しているのだから、潜在意識は対象を理解できると考えるべきなのである。

主語が理解できないのではなく、主語が省略されているときは、自分が主語であるような感じがする場合があるということなら、あり得る。

しかし、それは、主語がない場合に限られる。これは、顕在意識の場合でもあり得ることだ。「ねぇ、ちょっと! そこの人」と突然言われた場合、言った人が視野に入っていなければ、言われた人は、『自分のことかな』と思うだろう。人間は、常に自分中心で、自分の知覚や思考に頼っているので、主語が省略された場合は、自分が言われた気分がするということは、あり得る。*2

しかし、それは、潜在意識が主語を理解できないということではない。自分以外のことは、ちゃんとわかる。要するに、顕在意識にしろ潜在意識にしろ、自分のことを、他人とおなじように考えているというわけではないという性格が影響しているだけだ。これは、分量の問題だ。名前を知らない七〇億人のことを、自分のことのように考えているわけではないのだ。思考のリソースは、平等に分配されているわけではない。それから、うまれてこのかた、自分以外の他者になったことがないのだから、どうしても、『自分』が主体になる。その場合、主語を省略されたら、自分のことなのかもしれないと思うのは、自然なことだ。

それから、潜在意識がどれだけ強烈ですばらしいかということが語られるとき、起きているあいだに解けなかった数学の問題が解けるようになったというようなことがあげられることがある。

つまり、寝ている間に、潜在意識が働いて、問題を解いてくれたということが言われる。もし、主語が理解できなかったら、数学の問題の意味すらわからないということにならないか? 潜在意識は主語を理解できないということが正しいなら、潜在意識はどうやって、数学の問題の意味を理解するというのだ? Xは三〇である。という結論を出したとする。主語はXだ。Yじゃない。ちゃんと、主語を理解しているからそういうことが可能になる。数学の文章問題を考えるとき、かならず、主語と目的語は正確に理解している。

また、この普段、わからないことが突然わかる体験については、顕在意識が優位である場合もあり得るのであって、潜在意識だけの専売特許ではない。

そもそも、「顕在意識が理解できないこと」を理解しているのが潜在意識なのではないか? 顕在意識が見逃したことを、ちゃんと見逃さずに記憶しているのが潜在意識なのではないか?

そういう場合の潜在意識は、ちゃんと主語を理解していると考えるのが妥当だ。それは、各段階の主語を理解しているということだ。ストーリーがある話しなら、ちゃんと、ストーリーに沿って正確に主語と述語、あるいは主語と目的語を理解しているということになる。

そもそも理解できないストーリーについて潜在意識が的確なこたえを出すということは、ありえない。おのおの段階の主語がわかっているから、ストーリーの全体を理解することができるのだ。

彼らは潜在意識のすばらしさを語るとき、ちゃんと、潜在意識は主語を理解しているということを『意図せずに』語っている。なので、彼らが思うような潜在意識は、ちゃんと主語を理解していると言うことができる。

*1
(この場合、主語は私であり、コーラは目的語だ。コーラという文字を提示されただけなので、主語は不明な場合に分類できる。『自分』に提示されれば、『自分』に提示されたと思うだろう。これは、顕在意識か潜在意識かの問題じゃない。たとえば、歌手のAが、コンサートのとき、観客に向かって「コーラを飲みましょう」と言ったら、おのおのの観客は、Aは『自分』に言ったと思うだろう。Aが、自分にコーラを飲んで欲しいと思っていると思うだろう。Aが「私は今度、アルバムCDを出すんですけど、アルバムCDを買ってくださいね」と言ったら、Aは自分に言ったと思うだろう。たいていの観客は「Aは自分にアルバムCDを買って欲しいと思っている」と思うだろう。観客の中にBがいて、Bは「私は今度、アルバムCDを出す」というAの発言を聞いたとき、「B(Bにとっての私)が今度、アルバムCDを出す」というように誤解したりしないだろう。顕在意識だけではなく、潜在意識も、ちゃんと主語を間違えずに認識して、誤解しない。おのおのの段階で、主語を正しく認識していなかったら、ストーリーがある話しについてちゃんと考えることはできない)

*2
呼びかけられた場合について話したが、自分の身に置き換えて考えてみるということを人間はよくしている。けど、これも、誤解しているのではなくて、ちゃんと、仮定の話として処理している。たとえば、ブロガーのAが読者のBに刺されたとする。その場合、自分の場合はそんなことはないだろうとか、自分の場合もあぶないかもしれないと思ったりするだろう。その場合、ちゃんと、「自分」とAを区別して考えているから、仮定の話ができるのだ。「自分なら」「自分の場合は」と考えがちな人は、別に、自分である主語(わたし)と他者である主語(他者にとってのわたし)を区別できないということではない。仮定の話ができるということは、ちゃんと、区別しているということを、むしろ明示しているのである。人間はどうしても、「自分なら」と自分に引き寄せて考える傾向がある。そういう傾向は、主語を理解できないということではないということに注目するべきだ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。