2018年7月31日火曜日

財布の中に五〇〇〇円もあると考えるか? それとも、財布の中に五〇〇〇円しかないと考えるか?

給料日まであと一〇日あるとする。財布のなかには五〇〇〇円しかないとする。そして、銀行口座にも金が入ってないとする。電気代、水道代、ガス代は考えないとする。家のなかに食べ物は残ってないとする。要するに、あと一〇日間、五〇〇〇円で、生きていかなければならないとする。

その場合、財布の中に五〇〇〇円もあると考えるか? それとも、財布の中に五〇〇〇円しかないと考えるか? が重要になる。

もし、五〇〇〇円もあると考えると、「うひぉ~~、五〇〇〇円ある。よし、今日は外食しよう。えーっと、あれとこれとあれを頼んで、合計三〇〇〇円か。三〇〇〇円ならどうにかなるな」と一日で三〇〇〇円を使ってしまう。次の日は「よし、二〇〇〇円残っている。五〇〇円のラーメンを食べに行こう」と思って、一食で五〇〇円使ってしまう。「一五〇〇円残っているから、だいじょうぶだ。次も六〇〇円の生姜焼き定食を食べよう」と思って、六〇〇円の生姜焼き定食を食べてしまう。「おっ、九〇〇円ある。よし、九〇〇円で、ケーキを買って帰ろう」と思ってケーキを買ってしまう。これで、お金がなくなってしまう。まだ、二日目だ。八日残っている。二日目には〇円になっている。

その後のその人の行動と結果。

三日目に「人に借りればいいや」と思って、友達のところに金を借りに行った。けど、そうやって借りた借金がすでにあるので、友達は、「金を返してくれたら、金を貸してやる」と言って金を貸してくれなかった。三日目は腹をすかしてすごした。四日目、五日目、六日目となにも食べずに横になってすごしたので、だんだん体が衰弱した。七日目、八日目は『腹がへったが、俺はだいじょうぶ』『動けないけど、なんとかなる』とポジティブに考えて、寝ながらすごした。実は、もう、動く元気がなくなっていた。そして、九日目あたりに意識を失った。あとで発見されたときは、もう死んでいた。



……こういうことだってある。



一方、「財布の中に五〇〇〇円しかない」と考えた人は、「一〇日で五〇〇〇円ということは、一日に五〇〇円しか使えないな」と考える。「一日に五〇〇円しか使えないということは、一食一二〇円にして一日に四食、食べて、残りの二〇円はとっておこう」と考えて業務用ストアに行く。そして、いろいろな安い食材を買って、帰ってくる。一食一二〇円の食事でも腹がいっぱい。じゅうぶんな栄養がとれる。そして、飢えずに、一〇日目をむかえる。



……こういうことだってある。



「……しかない」と考えるか「……もある」と考えるかは、単純な話しではないのである。よく、コップに水が半分残っているとき、「半分しかない」と考えるのはネガティブな考え方でよくないが、「半分も残っている」と考えるのは、ポジティブな考え方でよいということが言われる。半分も残っていると考える人は、ポジティブだからよく、半分しか残ってないと考える人はネガティブだから悪いということが言われる。「……もある」と考えるポジティブな人は「元気なよい人」で、「……しかない」と考えるネガティブな人は、「暗くて悪い人だ」というようなイメージでとらえられてしまう。こういう、ステレオタイプ!



躁鬱病(双極性障害)の人は、躁状態のときは、ポジティブなのである。躁鬱病患者の躁状態の時の行動を考えれば、「ポジティブである」あるいは、「ポジティブに考える」ということが、それほどよいことではないということがわかる。あるいは、ポジティブであるということは、いつもいつもよい結果をもたらすとは限らないということがわかる。





ポジティブなのは、かならずよい結果をもたらす、というイメージを植えつけようとするのは、やめたほうがいい。ネガティブなのは、かならず悪い結果をもたらすというイメージを植えつけようとするのはやめたほうがいい。猫も杓子も『そういうこと』ばかり言って、そういうステレオタイプを押しつけてくる。『ポジティブはいい』『ネガティブは悪い』というようなステレオタイプを生産しようとするのはやめたほうがいい。『ポジティブなら、かならずよい結果が待っている』『ネガティブならかならず悪い結果が待っている』というステレオタイプを生産しようとするのはやめたほうがいい。



もうちょっと、いろいろな側面について考えたほうがいいよ。

2018年7月30日月曜日

健康余命か?? そんなのわからない

きゅうに、「なんかをしなければならない」という気持ちになって、落ち着かない。健康余命か?? そんなのわからない。

ぼく以外のだれにもわからないことなのだけど、ヘビメタ騒音がきつすぎる。で、ヘビメタ騒音のことを書けば書くほど、他の人と距離ができるような感じがする。

けど、じゃあ、どうする?
けど、じゃあ、どうする?

特殊なんだよな。これ、どうしたって、うらみと失望がしょうじるだろう。疲労と憂鬱がしょうじるだろう。どうしたって睡眠障害とトラウマがしょうじるだろう。しょうじるんだよ。あんな態度で、ずっと、中学と高校と、それ以降やられれば。小学六年生のときからだけど、中学三年間と高校三年間がずっとヘビメタ騒音漬けだったというのがでかすぎる。

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やっぱり、ぼくの人生はヘビメタ騒音でつらい。あの音が、つらい。ずっと鳴ってた。ずっとずっと鳴ってた。

2018年7月29日日曜日

『マーフィーの法則』はあるあるジョーク集 勘違いは現実化する

ジョセフマーフィー本人は「マーフィーの法則」というような言葉は使ってない。アーサー・ブロック(Arthur Bloch) が書いた『マーフィーの法則』("The Complete Murphy's Law")のマーフィーというのはエドワード・アロイシャス・マーフィー・ジュニア(en:Edward A. Murphy, Jr.、少佐)という、ジョセフ・マーフィーとはまったく関係がない人の名前が関係している。


アーサー・ブロック(Arthur Bloch)が書いた"The Complete Murphy's Law"(のちに『マーフィーの法則』というタイトルで出版)にはしゃれた「あるある話」が書いてある。アーサー・ブロック(Arthur Bloch)が書いた『マーフィーの法則』は、一種の『あるあるジョーク集』のようなものなのだ。



たとえば、以下のようなものだ。



「失敗する余地があるなら、失敗する」


「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」


「洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。」


「いくつかの方法があって、1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ」(人というのは、「間違えるやつ」「問題を起こす可能性のあるやつ」のことを指している)。



日本では1993年に、遠藤諭訳の『マーフィーの法則』が出版された。この本のタイトルが『マーフィーの法則』というそのものずばりのタイトルであるために、「思考は現実化する」というようなことを「マーフィーの法則」と言うのかな?と誤解する人たちが続出した。


ジョセフ・マーフィーの『思考は現実化する』というような考え方は、『あなたはこうして成功する―マーフィーの成功法則 』(1968年)大島 淳一  (著)や『マーフィー100の成功法則 (1971年)』というような本で紹介されていた。著者の大島淳一という人は、実は渡部昇一だ。この頃は、「マーフィーの法則」という言葉は使われてなかった。あくまでも「成功法則」というような言葉が使われていた。


「マーフィーの法則」という言葉が1991年あたりからはやったので、1968年以降「成功法則」として紹介されていたジョセフ・マーフィーの「思考は現実化する」系の話しが「マーフィーの法則」として認知されだしたのだ。これは、勘違いだ。




2016年に、引き寄せブームにあやかって、漫画版の『マーフィーの法則』が出版された。本のタイトルが『まんが版 人生に奇跡が起こる マーフィーの法則』なので、『マーフィーの法則』という言葉がそのまま使われている。勘違いが、まさに、現実化したのである。


勘違いも、繰り返していれば、勘違いではなくなる……というエイリの法則が成り立っているのだろう。



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もっとも、アーサー・ブロックはジョセフ・マーフィーの『パロディー』として『マーフィーの法則 』"Murphy's Law"という言葉を使ったのではないかということも言われている。もしこれがほんとうなら、最初から勘違いが誘発されるように設計されていたということになるのだろう。


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まんが版 人生に奇跡が起こる マーフィーの法則: 欲望が100%かなう驚異の方法 (単行本)2016/8/24

Joseph Murphy’s無限の力研究会、 みき, 水島


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あなたはこうして成功する―マーフィーの成功法則 (1968年)

あなたはこうして成功する―マーフィーの成功法則 (1968年)1968



大島 淳一

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人類史上最大の発見―潜在意識の偉大なる力

人類史上最大の発見―潜在意識の偉大なる力2007/5



ジョセフ・マーフィー

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マーフィー 眠りながら巨富を得る―あなたをどんどん豊かにする「お金と心の法則」 (知的生きかた文庫)1999/3/1



ジョセフ マーフィー、 Murphy,Joseph


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まんが版 人生に奇跡が起こる マーフィーの法則: 欲望が100%かなう驚異の方法 (単行本)2016/8/24

Joseph Murphy’s無限の力研究会、 みき, 水島



単行本



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The Complete Murphy's Law (英語) マスマーケット – 1991/7/2



Arthur Bloch (著)


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21世紀版 マーフィーの法則

21世紀版 マーフィーの法則2007/7/12

アーサー・ブロック

2018年7月28日土曜日

行きすぎた一般化じゃない

北海道の長ネギを切っておいたので、簡易味噌汁に入れて飲んだ。

うまい~~

ひさびさのちゃんとしたネギが入った、ネギ味噌汁。うまい。調子に乗って三杯ぐらい飲んじゃったよ。



どうするかな?



さっき、ヘビメタ騒音のことで書きたいことがあったんだけど、思いのほうが強すぎて、キーボードをたたく手が止まった。思いのほうが強すぎるときは、書けない。書かないと終わらないんだよな~~。

こまったなぁ。まあ、書いても終わらない部分はあるんだけどな。あまりにも、感情がたかぶると書けない。ともかく、ぼくが感じているヘビメタ騒音問題の総量と他の人がぼくの話を感じて感じるヘビメタ騒音問題の総量が違いすぎるんだよな。ぼくが感じているヘビメタ騒音問題の総量は、経験から割り出している。長い長い期間……一四年と六ヶ月の経験から出てきているものだ。けど、他の人がぼくの話を感じて感じるヘビメタ騒音問題の総量は、推し量るしかない。想像、推量……ただちょっと考えるだけ。わかるはずがない。

ヘビメタ騒音が一四年で終わったあともきつかったよ。どれだけのことをうしなかった。けど、ヘビメタ騒音のことを知らない他人は、いろいろな能力をうしなったぼくの姿しか知らない。そいつが持っているいろいろな常識を押しつけてくる。たいていの人が、日本労働教徒だからね

そりゃ、いろいろな対立が生じる。生じてあたりまえ。俺だって、学生時代ずっとヘビメタにやられて、睡眠力と体力と学力を失わなければ、なんとか、彼らの要求にこたえることはできた。常識にあわせることはできた。

けど、それが、一四年と六ヶ月……実際には学生時代の七年間で失った。ほんとうに小学六年生のときから高校三年生までで、睡眠力と体力と学力を失った。働けないからだになった。

どれだけ、どれだけ、がんばっても、がんばっても働けないからだになった。けど、それが、他の人にはわからない。ぼくのような状態は、わかりにくいんだよね。睡眠に関しては完全に障害者、体力に関しては体力ぎりけんになってしまった。どうやっても、長期間通勤するということができないからだになった。

長期間って、三ヶ月以上。実際には一ヶ月も無理だな。一ヶ月のうち七日ぐらいは、睡眠時間〇時間で出社することになる。

ともかく、いわゆるフリーランがとまらない。そして、それを調節しようとして薬を飲んだりすると、めちゃくちゃになる。めっちゃくちゃになる。そして、めちゃくちゃになったあともずれたフリーランの状態がとまらないのである。

体力に関して言っておくと、なんて言うのかな? 自分でもいやだけど、つかれがとれない。つかれがたまっていく。きちがいヘビメタ騒音が鳴っていたとき、俺が何日、何十日、何千日、睡眠時間二時間、三時間で暮らしていたと思うんだ? 俺がどれだけ、眠れない夜を過ごしたと思っているんだ? 俺が何千日、一番眠たいときに、起こされて、死にたい気分で、学校に通っていたと思うんだ? 

気違い兄貴! 兄貴は、全部、俺がここに書いていることを、実際にやった。

気違い兄貴よ! 兄貴は、親父が「そんなことやってない」「やってやった」「ゆずってやった」「そんなことは知らなかった」と言ったら、どう思うんだよ?

兄貴は親父のことが嫌いだよな。それは、親父が兄貴が親父を憎むようなことを発狂的な意地で、毎日毎日、頑固にやり続けたからだ。きちがい的な理由で常に怒り狂っていたからだ。俺たちが小さきと、親父は、わけがわからない、頭がおかしいとしか言いようがない理由で「常に」怒り狂っていた。親父がうちにいたら、怒り狂っていない時間がないという状態だった。気違い親父接触した時間!すべて!……気違い親父がなんらかの理由をつけて、怒り狂っていた。

そのほかにも、ハンダゴテ事件のようにこちらがわから、親父に働きかけなければならないことがあった。この、こちら側が、親父に働きかけなければならないことに関しては、すべてが、ハンダゴテ事件のような展開になるのである。これは、自動的にそうなる。そういう反応しか、ない。

かならず、そうなる。
そうならないときがない。
毎日、いつでもそうだったんだよ。

これは、認知療法家が言うような「行きすぎた一般化」ではない。認知療法家が間違っている。これは、もう確かなことなんだよ。認知療法家は、そういうときは「おかしな人はいます。しかし、おかしな人に振り回されていいのですか」ということを問題にする。けど、ここでは、その問題はちょっと、横においておこう。

問題なのは、行きすぎた一般化じゃないということだ。こっちのほうが重要だ。知らない人のために説明したけど、そういう状態だった、親父が「そんなことやってない」と言ったら、兄貴はどう思うんだ? ということだ。

兄貴が、ヘビメタ騒音に関してまるで「そんなことはしてない」ということを兄貴の嫁さんに言っているけど、頭がおかしい。やっているときは、……意地になってやっているときは、……そういうやり方で、自分の言い分を押し通し、頑固に鳴らしていたんだよ。親父並みの頑固さ、親父並みの頭のおかしさで鳴らしてた。

だから、本人はわかってないんだよ。だから、本人は「ゆずってやったつもり」でいるんだよ。しくみがおなじなんだよ。しくみが全部おなじ。いまは、嘘をついているつもりがないまま、「やってない」とか「ゆずってやった」ということを言っているけど、やっているときは、そういう気分で、やりきってた。「やってない」つもりでやりきってた。「ゆずってやった」つもりで、まったくゆずらないですべての時間、気違い的にデカい音で鳴らしてた。これが事実だ。

親父のように、こっちがいうことを無視して、頑固にすべての時間鳴らしていたから、「ゆずってやった」「うるさくしてない」「うるさいから静かにしろと言われたことなんてない」と思っているんだよ。逆だ!!逆!! 全部逆!!! 全部やりきることができたから、ゆずってやったつもりでいる。

一日目から最後の日まで、全部おなじだからな。一日だけ例外がある。けど、その一日以外は、ほんーーーとーーに、全部おなじ。毎日おなじ。一日だけ静かにしてやった時に、静かにしてやることに「こりて」そのあと入試だろうがなんだろうが一日だって静かにしなかった。静かにしないというのは、ほんとうに一日に一分も静かにしない状態だ。入試前だろうが、自分が(兄貴が)一三時間鳴らせるなら、きっちり、一三時間、どでかい音で鳴らして、絶対に一分もゆずってくれなかった。それなのに、「ゆずってやった」と恩着せがましく思っている。兄貴はそういう人間だ。そういうところが、親父とおなじなんだよ。

他の人は「そういう人間がいる」ということさえ、認めない。これは、認めない人と認める人がいるんだけど、割合は五分五分だ。



   *   *   *



あとは、モニター関係の問題がある。絆創膏、HDMI切り替え機、カッター、買えば解決しそうな問題がある。HDMI切り替え機は、むだなHDMI切り替え機を三個も買ってしまったよ。三個買ったのに、問題が解決しなかった。けど、今回買うつもりのやつで問題が解決するかもしれない。



   *   *   *

雨が降っている。雨が降っているときもヘビメタ騒音が鳴ってたよ。

   *   *   *
朝の六時六分。気違いヘビメタ騒音の朝だ。これ、ヘビメタ騒音の朝、そのままだよな。あの時のヘビメタ騒音の朝が強烈にきつかった。ほんとうに毎日死にたいほどきつかった。毎日、死にたい思いで学校に通っていた。いつもひきつっていた。「昨日」のヘビメタ騒音で、いつも、パニックだった。強烈にくるしかった。帰ればまた鳴っている。


これから寝るよ。これから眠るわけだけど、ほんとうに、これ、朝のヘビメタ騒音の雰囲気だ。

2018年7月27日金曜日

「人をバカにするのもいい加減にしろ」と絶叫したくなるような譲歩なんだよ!!!

親友に「いいかげん、どうにかならない??」って訊かれたとき、俺がどういう気分になったと思っているんだ?

長すぎる。気違い兄貴、おまえ、あたりまえのようにならしてたけど、あたりまえじゃない。毎日が、異常だ。毎分毎秒、異常だ。毎時間、毎分毎秒、異常な音で鳴らしてた。

「うちだから」やっただけだろ。

よそじゃ一分だって弾けないだろ。よそじゃ一分だって鳴らせないようなデカイ音だろ。そういうデカイ音で鳴らしてたんだよ。そういう異常な音で、ずっと鳴らしてたんだよ。入試だろうがなんだろうが、絶対の意地で、すべての時間、自分が鳴らしたい音で鳴らしてたんだよ。そういうデカイ音で鳴らしても、問題がないという気持ちのまま、こだわりつくして鳴らしてたんだよ。



全部の時間!! 例外なく!



すべての時間、例外なく!! 気違い兄貴が普通に!!!



鳴らしてた!!!



鳴らしてないときがない。全部の時間、気違い的にデカい音で鳴らしてあたりまえ。それが、うちの状態だった。毎日毎日、何年間も何年間もずっとずっと、そういう状態だった。そんなんで、いいわけがないだろ!! 



親父とおなじで、まったくわかってないだけなんだよ。



ハンダゴテ事件の時、兄貴が学校で恥をかいたということを、親父が絶対の意地で認めなかっただろ。俺が「鳴らさないでくれ」「これこれこういう理由でこまるからやめてくれ」と兄貴に言いに行ったとき、兄貴の態度は、親父の態度とまったくおなじだった。



怒ってはねのけて、一切合切なにもかも認めない。デカイ音で鳴らしていると言うことも認めないし、俺が兄貴の音で困っているということを認めない。俺が兄貴のヘビメタ騒音のせいで、学校で恥をかいて困っているということを、親父のように命がけで認めない。発狂して認めない。



認めなかったということもまったくわかってない状態だから、なにもしてないつもりのままなんだよ。兄貴はハンダゴテ事件の日、ずっと腹を立てていたけど、親父と接触して、話をしてたのは二〇分間だ。



気違い兄貴が二〇分間で、ヘビメタをやめてくれたときがあるか?



気違い親父が怒鳴って、兄貴が怒鳴って、絶叫していたけど、親父と兄貴の怒鳴り声をたした音の、何十倍、何百倍の音で、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間と普通に鳴らしていた。



一秒もゆずってくれなかった。一秒でもゆずってくれたら、特筆すべき日なのである。休みの日なんて、朝の一〇時から夜の一一時一一分までずっと鳴らしてた。



それであたりまえだ。普通だ。普通の日なのである。



入試の前の冬休みだって。一三時間ぐらいずっと鳴らしてた。それであたりまえだ。まったく悪いことをしたと思ってないんだよね。「静かにしろ」と言われたら、怒っていた。怒ってはねのけて、それでおしまいだ。親父とおなじように、「なんだぁ!!そんなの!!」という気持ちになるだけなのである。自分にとって不都合なことを言われたら、「なんだ!!そんなの!!」と怒ってはねのけてしまえば、それでおしまいなのである。

一切合切記憶に残らない。

そのあと、当の行為を続けてやったとしても、まったくやってないつもりなのである。当の行為をやり続けているときは「やめてくれと言われなかった」という認知が成り立っている。だから、どれだけ文句を言われても親父のようにまったく関係がないつもりで、ヘビメタ騒音をデカイデカイ音で「おしつける」ことができる。押しつけているあいだじゅう、まったく押しつけているつもりがないのである。これも親父とおなじ。



これ、ほんとう、「なんだ!!そんなのぉ!!」と怒ってはねのけたらまったく、関係ないひとになってしまうんだよな。そして、関係ない人として「おしつける」。けど、押しつけたつもりなんかはないんだよ。ちなみに、「これこれこういう理由でこまるからやめてくれ」と言われたといいう記憶もない状態だ。「そんなことはなかった」という気持ちになっている。それは、一日に何十回いわれてもおなじなんだよ。一日中、何回も何回もヘビメタ騒音のことで、もめていても、おなじなんだよ。「一回も言われたつもりがない」まま、鳴らし続ける。

それであたりまえだ。

自分が本当に一〇分間でも、我慢させられたとなったら、ものすごい剣幕で怒る。「そんなのはゆるせない」という気持ちになって一一分目から、ガンガンガンガンガン、気違い的にデカい音で鳴らしまくる。そうやって、一日に一三時間四〇分鳴らしたとしても、鳴らしたたつもりがないままなんだよ。その日、かりに三〇回もめていたとしても、一回ももめたという認知がいないんだよ。

何回もめても親父とおなじで、永遠に一回目が繰り返される。一回目が終わったら、カウントが〇(ゼロ)にもどる。だから、二回目言われるときは、二回目ではなくて、はじめて言われたという気持ちになる。三〇回目もおなじだ。だから、どれだけ何回言っても、「そんなことは言われなかった」という認知のままだ。そのくらい、ずれている。



これ、ほんとうに、わかる人、いるのか? こういう人間といっしょにすごしたことがある人しかわからないのではないか? 



「入試だからやめてくれ」と言われれば「なんだ、そんなのぉ」という気持ちになって、一分間ですらゆずらずに鳴らしてた。ゼンブガゼンブ、兄貴にとっては「なんだ、そんなのぉ」と思うような理由なのである。これは、親父になにを言っても、通じないのとおなじだ。

兄貴よ! 親父にどんな理由を言っても、ぜんぜんわかってくれなかっだろ。あれとおなじ態度で、ヘビメタを鳴らし続けた。



兄貴が、親父とおなじで、当の本人(問題行為をしつこくやる人間だから)やったということがわかってないだけなのである。ほんとうはこだわりつくして、ゆずらずにやったのに、「やってない」「ゆずってやった」と思っている。



親父だってそうなんだよ。



親父のそういう態度で、兄貴は、腹を立ててきたんじゃないのか。親父の態度で一四年間毎日気違いヘビメタをすべての時間、異常なデカイ音で鳴らして、絶対にゆずってくれなかった。それが、兄貴だ!! 兄貴は親父のようにまったくわかってない。自分がやったことがまったくわかってない。



正反対のことを言う。やったことは、「やってない」。ほんとうはゆずってないのに、「ゆずってやった」。親父と、とことん、おなじ。全部おなじ。



親父の最大限の譲歩は、家にあるハンダゴテを出してやるということだったんだけど、兄貴の最大の譲歩は、兄貴がゆずりたいぶんだけゆずるということだった。「それでいいだろ」ということなのだ。



いいわけがないだろ。「親父のハンダゴテ」以上に意味がない譲歩なんだよ。親父のハンダゴテ以上に迷惑な譲歩なんだよ。親父のハンダゴテ以上に、腹が立つ譲歩なんだよ。腹が立ってしかたがない、屈辱的な譲歩なんだよ。「そんな譲歩があるか!! 人をバカにするのもいい加減にしろ」と絶叫したくなるような譲歩なんだよ!!!



兄貴は、「こんくらいゆずってやればだいじょうぶだな」と思って、ゆずってやった音が、もとの音とおなじぐらいにデカイ音だということを認めなかった。それから、もとの音が異常にデカイ音だということも認めてない。最初からそういう状態だ。できあがっている。親父とおなじなんだよ!!!



何度も言うけど、ヘビメタが大好きな!カオ君がおどろくような音で鳴らしていたわけで、兄貴はデカイ音で鳴らしていた。それなのに、デカイ音で鳴らしているということ自体を認めなかった。鳴らしているあいだ認めなかった。鳴らしている期間のあいだずっと十数年にわたって、認めなかった。



普段、鳴らしている音は、「大丈夫な音」なのである。「こんなの普通の音」なのである。気違い兄貴がゆずった音というのは、その音とほとんどまったくかわらない音だ。俺の部屋で聞き分けることができないぐらいに微妙な変化しかない。



そういうデカイ音で鳴らして、「ゆずってやった」「ゆずってやった」と思っている。「ゆずってやったから、もうだいじょうぶだ」と試験前の冬休みだというのに、そういうデカイ音で、一日に一三時間三〇分ぐらい鳴らす。いいわけがないだろ。あの二週間、俺がどういう気持ちで「すごした」と思っているんだ? あの二週間、俺がどういう気持ちで「いきていた」と思っているんだ? しかも、鳴っていたのはその二週間だけではなくて、三年と四ヶ月以上、毎日鳴っているんだぞ。

   *   *   *

兄貴よ! ぼくがどういう気持ちで生きていると思っているんだよ。気違い兄貴の譲歩は親父の譲歩とおなじ。やられたら、やられただけ、こまる譲歩だ。腹が立って腹が立ってしかたがない譲歩だ。そういうことをして、「ほんとうに譲歩してやった」と思っているのが兄貴だ! 親父とまったくかわらない。自分が親父にされたことを考えてみる。親父が譲歩してくれたか? 親父の譲歩は、やってもらうと助かる譲歩だったか? 親父の譲歩なんてやってもらっただけ、くるしくなって、死にたくなるような譲歩なんだよ。トラブルしか生み出さない譲歩なんだよ。兄貴の譲歩もそうだ。兄貴の譲歩で、トラブルがいっぱいしょうじた。

気違い兄貴よ! 気違い兄貴のヘビメタ騒音で俺がどれだけ恥をかいたか。はずかしい思いをしてきた。兄貴のヘビメタ騒音は親父のハンダゴテとおなじなんだよ。親父のハンダゴテ事件は二日で終了したけど、兄貴のヘビメタ騒音事件は、五〇〇〇日たっても終了したなかった。これが、すべてだ。これがすべてを物語っている。どういう態度で鳴らし続けたと思っているんだ。そして、それをどういう態度で(いま)否定していると思っているんだ。親父とおなじなんだよ!! 兄貴はとことん!親父とおなじ。親父とおなじだから自分がやったことがまったくわかってない。〇(ゼロ)だと思っている。一〇〇%こだわりつくして、毎日やったことが、「ゼロ(やってないこと)」であるはずがないだろ。そういう感じ方自体がおかしい。そういう認知自体がおかしい。やっているときは、そういう感じ方、そういう認知で、やり通したたんだよ。それで俺がどういう、どういう目に遭って、どういう恥をかいてきたと思っているんだ??

2018年7月25日水曜日

「熱中症になってしまう」というネガティブな思いが命を救う 「自分はだいじょうぶだ」というポジティブな思いが命をうばう

熱中症で死ぬ人はみんな「自分は熱中症で死ぬだろう」と思って、死んだのだろうか。過去において「自分は熱中症で死ぬ」と言ったから、言ったことが現実化して死んだのだろうか?

それとも、「熱中症で死ぬことなんてない」と思っていたのだろうか。思ったことが現実化すると考えるのであれば、「自分は熱中症で死ぬ」と思ったから、それが現実化したということになる。すべてにおいてそうだ。

けど、実際には、「自分は熱中症で死なない」「自分が熱中症になるわけがない」と思っていたのではないだろうか。

もし、「熱中症で死ぬ」と思ったのであれば、対策をうつはずだ。たとえば、六月の時点で、「八月になったら自分は熱中症で死ぬだろう」ということがわかっているのであれば、六月の時点で壊れていたエアコンをなおすとか、エアコンをつけるということをしているはずだ。「こんなに暑くなるとは思わなかったから」そういう対策をしなかったのだ。

「もし、このまま暑さが続けば、熱中症になってしまう」という言葉について考えてみよう。この文には「熱中症になってしまう」という文が含まれている。主語はもちろん、「わたし」だ。このままの暑さが続けば(仮定)、私は熱中症になってしまうだろうということだ。



もし、そのように言ったなら、それが現実化してしまうと考えるのがほんとうの言霊主義者だ。もし、ちょっとでもそう思ったら、それが現実化してしまうと考えるのが「思いは現実化する」主義者だ。

「思いは現実化する」ということをほんとうに信じている人は、「私は熱中症になって死んでしまう」ということはこわくて考えられない。思うことができない。思ってしまったら、パニックになってしまう。不安で死んでしまうかもしれない。暑さで死んでしまうのではなくて、「思ってしまった」ということで、死んでしまうかもしれない。

実際に「思いが現実化する」のであれば、「このままの暑さが続けば、熱中症になってしまう」ということだって、考えることができない。ということは、熱中症になってしまうことを避けるために、エアコンのスイッチ入れようということも考えられないということになってしまう。

「熱中症になってしまうから、エアコンのスイッチを入れよう」とか「熱中症になってしまうから、水を飲もう」ということさえ、考えることができなくなってしまうのだ。「熱中症になってしまう」という文が含まれているから!

思ってしまったら、かならず「熱中症になってしまう」のである。だから、「熱中症になってしまう場合」を思い浮かべて回避するというとができない。もし、こういうことになったらまずい、ということを考えて、対策をうつということができなくなってしまう。

「もし」のあと、「なにかネガティブなことが起こる」ことを考えてしまったら、ネガティブなことが一〇〇%現実化してしまうのである。

だから、対策が考えられない。

「自分はだいじょうぶ」と思うしかない。「もし、暑さが続いても、自分はだいじょうぶだ」「もし、この暑さが続いても、さらに暑くなっても、自分は熱中症にならない」と思うしかない。

そうやって、意地を張って、対策をとらなかった人が、熱中症になってしまう場合があると思う。もちろん、対策をしたのに、熱中症になってしまう場合もある。あるいは、対策が間に合わない場合もある。あるいは、エアコンに限って言えば、金銭的にエアコンをつけられない人だっている。だから、なんらかの対策を実行せずに、熱中症になってしまった人をせめるつもりはまったくない。問題なのは、言霊思考にとらわれて、なんらかの対策をうつことが可能だったのに、対策をうたずに、死ぬことがあるということだ。言霊思考、あるいは、「思いは現実化する」ということにこだわっているから、ほんとうは回避策があるのに、回避策を検討せず、熱中症になってしまう人がいるということだ。

また、おなじ室温、おなじ湿度、おなじ体重、ほぼ同じ表面積、ほぼ同じ健康状態なら「自分は絶対にだいじょうぶだ」と思って我慢した人のほうが、「このままでは熱中症になってしまうから、これこれこういうことをしよう」と思った人よりも熱中症になりやすいということは、確実に言える。

熱中症の話しばかりしていてもしかたがないので、酔っ払い運転について考えてみよう。「酔っぱらったまま、車を運転すると、事故を起こしてしまうかもしれない。だから、車を運転するのはやめよう」と考える人のほうが「酔っぱらったまま車を運転したって、俺はだいじょうぶ。事故なんて起こさない」と考えて運転してしまう人よりも、事故を起こしやすくないと考えることはできないか?

「だいじょうぶ!だいじょうぶ!!」を連発しているから、対策をたてずに酔っ払い運転をしてしまうのだ。

「もし、酔っぱらったまま車を運転すると事故を起こしてしまうかもしれない」とネガティブなことを考えることができないから、酔っぱらったまま運転をして事故を起こしてしまうのである。

ネガティブなことを考えないから、ネガティブな現実を引き寄せてしまう。ネガティブなことを考えて、回避策を考えないから、ネガティブなことを引き寄せてしまう。これが、現実だ。

   *   *   *

手短に言って、なくなった方をせめるつもりはまったくありません。だいたい、熱中症でなくなった方が、ほんとうに「自分はだいじょうぶだ」と思っていたかどうかわかりませんからね。予想外のことが起こってしまうということがあります。「思いもしなかったことが起こる」ということについても、ほんとうは考える必要がある。

   *   *   *


2018年7月24日火曜日

「あいからはじまるローマ字入力」がhttpsに対応(常時SSL化)

よい子のローマ字練習サイト「あいからはじまるローマ字入力」はいままで、SSL化していなかったので、Chromeブラウザーでアクセスすると、警告が表示されるようになっていました。

https://airo-ma.com/

しかし、このたび、やっと常時SSL化しました。反映されるのに二日ぐらいかかるかと思います。

httpsに対応しました~~~
金欠なので、対応できなかった。



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もう、一四年間、ローマ字教育、キーボード入力教育に無料で貢献してきたから、そろそろ、有料化しようかな。もう、いいだろう。
けど、いろいろとめんどうなので腰があがらない。
さっき、httpsに対応した。いちおう、手続きはしたということで、ほんとうに反映されるかどうかわからない。

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俺がSSL化に踏み切れない状態で放置したので、日本のユーザが逃げてしまった。Chromeを使っている人が七割ぐらいいる。警告が表示されると不安になるよなぁ。めんどうくさいことしないでよ。
ともかく、なんか対応するのがめんどうでめんどうでしかたがない。これは、ヘビメタ騒音ですり切れたからこうなっている。ほんとうに、ヘビメタ騒音がなかった場合の俺の人生を考えると……(ここでは省略)。ともかく、きつい。いまもヘビメタ騒音が鳴っていた時間帯だけど、……ほんとう、窓の外がこういう具合に暗いときは、ヘビメタ騒音がけたたましく鳴っていた。窓の外がこういう具合に暗いときは、どうしても、ヘビメタ騒音のことを思い出してしまう。ヘビメタ騒音の雰囲気が!!する。ヘビメタ騒音が鳴っている感じがする。どれだけ言っても、静かにしてくれなかった。

そのうち、書くつもりだけど、生活体力ぎり健(ぎりぎり健常者)がいる。俺とおなじ期間の長さ、俺とおなじ時間の長さ、兄貴の態度で、兄貴が鳴らしていた音のでかさで、ヘビメタ騒音を聞かされ続けたら、だれもが、生活体力ぎり健になる。睡眠障害もあるけど、睡眠障害とぎり健問題はちょっと違うんだよな。睡眠障害は睡眠障害で別。睡眠ぎり健とかいいたくなるけど、別。生活体力ぎり健は、他の人の五倍ぐらいつかれやすい。

あと、「ヘビメタ騒音が鳴っている感じがする」というと、俺が異常な感じがするけど、だれだって!!!毎日毎日、俺とおなじ期間の長さ、ヘビメタ騒音にたたられ続ければ、そういう感じがするようになる。けど、他人は、俺とおなじ期間の長さ、ヘビメタ騒音にたたられ続けたわけではないので、実際のところがわからない。どういう時間の長さ、鳴らされたかわからない。どういう態度で鳴らされたかわからない。態度は、重要だ。騒音を出している人の「態度」は、騒音感情(全体)にものすごく影響を与える。他の人がまったくわからないことを、ぼくが経験してしまった。こういうところでも、世間の人と相容れない感情を持たざるを得ない。

意地というのがあって、ほんとうにすさまじい意地でヘビメタを鳴らしている。あれは、気違い親父状態で鳴らしているわけで、一切合切の言葉が通じない。他の人がぼくの話を聞いて「ヘビメタ騒音でつらい思いをしたんだな」と思う場合のヘビメタ騒音量(他人が思うヘビメタ騒音量)と、ぼくが実際に体験したヘビメタ騒音量がちがう。もう、まるでちがう。これが、わかってない。わかったって、しかたがないのだけど、わかってないといろいろともめることになるのである。わかってないと思うけど、俺が(なにもわかってない世間の人)ともめることになる。




2018年7月23日月曜日

一〇人中九人がいい人でも

ハイスコアガール自体はおもしろいのだけど、ハイスコアガールを見てたら、腹がたつことを思い出した。ほんと、人間ってやだよな。



メーリングリストでもヤフオクでもかならず、頭がおかしい悪い人がまぎれこんでいるんだよな。一〇人中九人がいい人でも、ひとりの頭がおかしいやつとの関わりで、なんて言うのかな、ものすごくいやな気分を味わう。



気違いヘビメタ騒音で、弱い部分ができているとそれがもとになって、不愉快な思いをするというとが多すぎた。人生の中で多すぎた。



ほんとう、人間っていやだな。いい人のほうが多いと思うけど、悪いやつがまぎれこんでいるんだよ。で、そいつがいい人の一〇倍の活動をしてしまうわけ。一回でも、トラブルがあると、なんて言うのかな(ヘビメタ騒音に一四年間やられたあとは)すべてがいやになる。


ヘビメタ騒音という理由があるにしろ、また、ぼくがヘビメタ騒音について概要を説明するにしろ、日本労働教徒は、無職を迫害しようとする。迫害と言うよりも、説教攻撃なのだけどな……。いずれにせよ、「自分はなになにだ」と自己紹介できない立場というのは、どのような理由があるにしろ、よくないことだ。そして、だれにでもわかる障害ではなく、ヘビメタ騒音障害という、わかりにくい障害だ。

属性云々は関係がないと言うけど、属性が関係あると思う。属性というのは、政治家とかどこどこの会社員とかそういうことだ。

まあ、ちょっとだけ言っておくと日本労働教徒は別に悪い人たちばかりではない。けど、無職に関しては説教をしなければ気が済まなくなるようなところはあるけど。だから、日本労働教徒は性格が悪いと言うつもりはない。なんて言うのかな? 一〇人中一人悪い人間がまぎれこんでいるといった場合の悪い人間というのは、妄想にしたがって迷惑行為をするような気違い兄貴のような人間なのである。ヤフオクでもなんでも、ヘンな人というのはいるのだけど、その人たちの主張はおかしい。頭がおかしいレベルでゆがんでいる。現実に関する認知がゆがんでいるんだよな。自分勝手にゆがんでいる。だれだって、ゆがんではいるのだけど、ゆがみ方が異常だから、ゆがみ方が異常だという意味で特異ではあるんだよ。で、まあ、言いたいことは、その性格が悪い人と日本労働教徒は別だということだ。けど、他の人にはわかりにくい理由で、職歴なし無職をしていると、あたかも、日本労働教徒が悪い人にみえてくるのである。

わかるかな? その日本労働教徒だって、一一歳から俺とおなじようにヘビメタ騒音にさらされたら、通勤ができないからだになり、無職にならざるを得ないのに、そういう「出来事」がなかったために、そうではない状態でいる。けど、そうなのだということは、経験がない人(そういう出来事がなかった人)にはわからない。そりゃ、未知のことで、自分のからだで経験したことじゃないからな。前の日のヘビメタ騒音がどれだけの影響を与えるかなんてわからない。それが、四〇〇〇日、五〇〇〇日積み重なった場合のからだの状態なんてわからない。

まあ、今回まるで整理しないで、思いのままを書いたけど、実際にヘビメタ騒音をおつけられて、不可避的に無職歴がつもっている無職になってみろということだ。日本労働教徒は、経験してないからわかってないだけだ。自分だっておなじ音のでかさでおなじ期間の長さ、おなじ時間の長さやられたら、働けなくなる。一八歳の時点で働けなくなる。

無職者……特に正社員歴がない無職者にとっては、日本労働教徒が、あたかも悪い人のような存在になってしまうのである。この問題は、ほんとうはけっこうでかい。

「肩書き」は属性の一部だ。肩書き以外の属性もある。属性はものすごく重要だ。「属性なんて関係がない」なんてのんきに言っている人は、なにもわかってない。のんきに言っている人だって、無職差別は平気でおこなっている。

あと、当然、無職者のなかにも悪い人はいる。実は、無職者(フロウシャと失業者)の犯罪件数は、主婦の犯罪件数よりも少ないんだけどな。けど、無職者のなかにも悪い人はいる。これは、障害者のなかにも悪い人はいるというのとおなじだ。迫害される方?差別される方?は、無垢な存在で悪い人はいないということを言っているわけじゃないのである。けど、なぜか、そういうふうに聞こえてしまうときがあるんだよな。ぼくが無職援護をしているとき、ぼくが無職者のなかには悪い人はいないと主張しているわけではないのだけど、そういうふうぼくが言っていると誤解する人まで出てくるんだよな。

まあ、今回まとまりがないけど、気違いヘビメタ騒音にやられ続けた!ということで、不愉快な関係が生じてしまうことがあるということをまず言いたい。あわせて、他の人にはわかりにくい理由で無職歴がつもっている人は、……無職だということを伝えてしまえば、他の人間とのあいだにトラブルが生じる可能性がある。このトラブルは無職者側に生じるトラブルだ。日本労働教徒(普通の人は)説教をしても、トラブルが生じたとは感じないだろう。けど、トラブルは生じている。たぶん、トラブルが生じたということすら、わからないと思う。

本人のなかでは「鳴らしていい普通の音」なのである


それにしても、ヘビメタ騒音でつらかったな。いまも、ヘビメタ騒音が鳴っている時間帯だ。気違い兄貴が静かにしてくれることはなかったので、どれだけ、言っても、そのままデカイ音で鳴らされた。

鳴らされているあいだじゅう、ずっと、発狂状態で死にたいほどつらかった。強制的に発狂状態になる。切羽詰まった状態になる。騒音で、切羽詰まった状態になって、勉強とか趣味の作業をするということができなかった。

鳴っているあいだじゅう、午後一一時一一分までできなかったし、そのあとも、できなかった。騒音を長いあいだ浴びていると……聞かされ続けると……へんなつかれ方で勉強できなくなる。

つかれというのが、普通のつかれではなく、ヘビメタ騒音特有のつかれなのだ。長時間、あのでかさのヘビメタを聞かされ続けたあとは、鳴り終わったあと……眠れない状態になる。からだがへんなふうにつかれて、だるくなる。長時間ヘビメタ騒音特有!のだるさとつかれがある。

ヘビメタ騒音を鳴らされたあとの数時間は、眠ることもできないし勉強することもできない数時間で、ほんとうに無意味な数時間なのである。

けど、この数時間の体の状態は、他の人にはわからない。ヘビメタを六時間から一四時間聞かされた場合のからだのつかれは、他の人にはわからない。あの音のでかさで、あの態度で鳴らされた場合のつかれとだるさは、他の人にはわからない。

この、だるさとつかれがわからないから、俺がサボっているようにみえる。外からは、俺がサボっているようにみえる。外からは、俺があまえているようにみえる。「朝、起きることがどうしてもできない」と俺が言えば、他の人は「そんなのは、あまい」と思うわけだ。自分はヘビメタ騒音にやられているわけではないのに、ヘビメタ騒音にやられている俺を批判する。あたかも、俺がヘビメタ騒音にやられてない場合のからだだと思っているのだ。

そういう毎日がひたすら積み重なる人生なんだよな。ヘビメタ騒音が鳴っているさいちゅうもつらいけど、ヘビメタ騒音が、午後一一時一一分に鳴り終わったあとも、強烈につらい。

ある意味、鳴っているときよりも、つらい。あの疲労はない。あの、だるさはない。あの、不安はない。このままじゃ、人生がだめになってしまう」という不安……。

「明日の朝、起きることができない」という不安のでかさが並みじゃない。そういう不安を抜きにしても、だるさが並みじゃないのである。

気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度とおなじなので、もちろん、気違い兄貴の態度に対して、怒りを感じているわけで、怒りもある。だから、だるさ、疲労、不安、怒りがごっちゃになって、動けない状態で横になっていた。横たわっていた。

この数時間は回復の数時間じゃない。

気違い兄貴に言っておく。気違い兄貴は、気違い親父の態度で、一発でわかることを無視して、でかい音で、鳴らしていた。融通が利かない状態で鳴らしていた。数分の例外もないのである。ほんとうに、融通が利かない。「どんなときでも」絶対に言うことを聞かないでやりきる。

こっちが切羽詰まってこまっているということを俄然無視する。気違い兄貴は、親父にそういうことをされ続けて、そのたびに怒ってきたのに、自分は、弟に対して、まったくおなじことを、まったくおなじやり方でしやがる。

「融通の利かなさ」が並みじゃないんだよな。

がめちゃって……。

兄貴はわかると思うけど、親父の態度は、全部腹が立つ態度だ。ああいうやり方でやられたら、精神がこなごなになってしまうような態度だ。そういう態度で、気違い兄貴が、毎日こだわりつくして、ヘビメタを鳴らした。毎日、ヘビメタ事件が起こっている。

毎日、ヘビメタ事件が数十回起こっている。気違い親父とハンダゴテ事件でもめた時間は、一日に一〇分ぐらいだ。どれだけ言ったって、ききゃーーーしないけどな。親父はどんなことをいわれても、理解すると言うことがないのである。それは、最初から答えが決まっているから、どんなに明らかなことでも、認めないのである。

言われた後も、そのままなのである。

最初の状態にとどまる。

親父は、新しいハンダゴテを買ってやりたくないわけだから、自分が物置から持ってきてやったハンダゴテは、なんと言われようが……使えるに決まっているのである。たとえ、二日目に「先生も使えないと言った」ということを兄貴が言っても、絶対に認めない。どれだけなにを言われても、「使える」ということを激しく主張する。それは、現実を無視して、気違い親父の夢を語っている状態だから、そのままなのである。夢と書いたけど、願望でもいい。

ともかく、現実を無視した願望が、どれだけ言われても、なくならない。現実を無視して、「使えるハンダゴテのまま」なのである。金を出したくない以上、どれだけ相手が「先生にも使えないと言われた」と言っても、現実を無視して、「使えるハンダゴテ」のままなのである。

兄貴もおなじなんだよ。現実を無視して、自分の願望を現実化している。もし、ほんとうにデカイ音で鳴らしていると言うことを認めてしまったら、デカイ音で鳴らすことができなくなってしまうのである。だから、デカイ音で鳴らしていると言うことは、親父とおなじやり方で無視して、認めない。気違い兄貴のなかでは、「普通の音」のままなのである。どれだけ「デカイ音だ」と言われても、本人のなかでは「鳴らしていい普通の音」なのである。デカイ音だというとを認めてしまったら、音を小さくしなければならない。それは、親父とおなじように死んでもいやなことなのだ。死んでもいやなことが「さきに」あって、現実の認知をゆがめている。どれだけデカイ音で鳴らしても、どれだけ相手にそれを指摘されても、「デカイ音で鳴らしたいかぎりは」デカイ音だと言うことは死んでも認めないのである。認めたら、ほんとうの「普通の音」にしなければならない。そんなのは、死んだっていやなのである。だから、デカイ音で鳴らしたいという願望がある以上、絶対の意地で、そのデカイ音を普通の音だと思い込むのである。絶対に、デカイ音で鳴らしているということを認めない。デカイ音で鳴らしたいという無意識的な要求がある以上、デカイ音で鳴らしているということは絶対に認めないのである。現実を無視して、「小さな音だ」「普通の音だ」と感じてしまうのである。「こんくらいならどれだけ長い時間鳴らしてもかまわない」と感じてしまうのである。実際には、よその家じゃ一分だって鳴らせないようなデカイ音なのだけど、「うちでは」普通の音だということになってしまう。だから、どれだけ言っても、現実を無視して、鳴らし続ける。その音で鳴らし続ける。相手が言っていることは、一切合切認めないということになる。認めないということも認めないということになる。いつも、「そんなんつもりじゃない」ということになっている。これも、親父とおなじだ。

2018年7月22日日曜日

楽な仕事は自分で作らないとない

楽な仕事は自分で作らないとないんだよ。

で、自分で作るのが、楽じゃないんだよ。


もちろん、上の方に行けば楽な仕事はある。下に行けば行くほど、厳しい仕事になる。報われない仕事になる。わりと上層部?の新入社員が過労死で死んでしまったりするけれども、それは、「うえ」じゃないんだよ。楽ができる上まで行けば、労働行為と収入の差が極限まであがる。だいたい、上の人は仕事をしてない。仕事という意味では仕事をしてない。労働なんてしてない。それでいて、下の方の人の数千倍稼いでしまう。金が集まってくる。こういうのは、悪いしくみだ。けど、しかたがない。

けど、「しかたがない」と言ってないで、国際的な取り組みをしてかえていくべきだ。これは、市場の失敗なのだから、失敗をなんとか修正して小さくしていく方向で努力しなければならない。けど、新自由主義者は、失敗を拡大していく方向で努力している。彼らは「上の人」だから、それでいい。けど、残りの人は、いまよりももっともっと割が合わないことを押しつけられる。制度上「上の人」は、責任をとらない。原発事故の結果を見れば明らかでしょ。
新自由主義者をだれが支持しているかと言えば、「民衆」なのだけど、これはおかしい。まあ、日本は支持政党なしになるしかないような状態だからなぁ。
ともかく、新自由主義者が提唱しているような経済政策を続けると、二極分化が激しくなって、さまざまな問題を生み出す。二極分化しないようにしなければならない。

2018年7月20日金曜日

「暗いのは悪い。明るいのはよい」と考える人のなかにも(他人の状態に)鈍感な人と敏感な人がいる

「「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人たちが「もとめている」のは、そういう人工的な切羽詰まった教条主義的な明るさではない……と前投稿で書いてしまったけど、案外、そうではないのかもしれないと思った。「「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人たちが「もとめている」のは、表面的な明るさかもしれない。また、「「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人たちは、相手の本当の気持ちには鈍感なのかもしれない。ようするに、その人……が、つらい気持ちを隠して明るく振る舞っているのか、あるいは、ほんとうに明るい気持ちで明るく振る舞っているのかということについて区別がつかないのではないか。ひとのそういう事情について鈍感な人なのではないかと思う。
けど、まあ、「「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人たちのなかにも、ほんとうの相手の気持ちを考えることができる人と、考えることができない人がいるのかもしれない。

「「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人たちが「もとめている」のが表面的な明るさなのか、それともほんとうの明るさなのかは、一概には言えないと思う。敏感な人もいるし鈍感な人もいるだろう。しかし、どのみち、前投稿で主張した内容はかわらない。

   *   *   *

2018年7月18日水曜日

「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考え方のネガティブな側面


「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考えにとらわれている人たちがいる。そういう人たちの心はたぶん、暗い。「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのは、一般傾向としては、肯定できる。しかし、それはあくまでも、一般的な傾向があるということにすぎない。それから、「暗いのは悪い。明るいのはよい」と言っている人たちは、「受け手」として発言しているという問題がある。

まず、「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのが、単なる一般的な傾向にすぎないということについて語っておこう。人間はさまざまな事情を抱えている。人それぞれに違った環境のなかで生きている。

家族が精神病質的な意地でデカイデカイ音で騒音を鳴らし続けて、なおかつ、デカイデカイ音で騒音を鳴らしたということ自体を認めないというような場合だってあるのだ。毒親のもとに生まれて、虐待され続けて生きている子供だっている。虐待され続けている人が、『明るく』振る舞うのは無理だ。

その子供が、『明るく』振る舞うようにしても、それは、つくられた明るさで、本来の明るさじゃない。「「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人たちが「もとめている」のは、そういう人工的な切羽詰まった教条主義的な明るさではない。本来の明るさ、ほんとうの明るさなのだ。つらい状態にいる人が、むりやりつくる『明るさ』ではない。

だから、虐待されている子供が明るく振る舞ったとしても、「暗いのは悪い。明るいのはよい」と日頃から思っている人が、『あの子は明るくていい』と思うかどうかは疑問だ。『なんかひきつっている』『無理をしている』『わざとらしい』と思うかもしれない。

「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわっている人が求めているのは、「自分の心も明るくなるような!」明るさなのだ。天然の明るさなのだ。強烈につらい思いをした人が、「暗いのは悪い。明るいのはよい」という『教義』にしたがって、つくった明るさではない。

「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわっている人は、実は、人を見てない。個々人が抱えている問題、個々人の環境というものをまったく無視してしまっている。「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわるひとは、一種の全体主義で、個々人の事情というものを無視している。

「暗いやつは悪い人だ」「明るいやつはいい人だ」という価値観だけで、『全体的に』……人を見ているのである。だから、暗い人の事情を一切合切考慮しない。

「そりゃ、そんな状態で暮らしているのであれば、暗い顔にもなるよな」というような気持ちがそもそもない。そういう『例外』を認めていない。個々人の事情を考えてやるという『思いやりがない』。『どれだけ、虐待されている子供だって明るく振る舞える』……『どんな状態でも、明るく振る舞える人は明るく振る舞えるのだから、明るく振る舞え』……というような、ネガティブな気持ちを抱えているのである。

ほんとうによい人は、実は『暗い顔をしている人』のことも考えてやることができる人なのである。「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考えにこだわって人を判断するということ自体が基本的に言って、ネガティブなことなのだ。

そこには、特殊な環境にいるものに対する思いやりが最初からない。「一括判断」なのである。「暗いやつと明るいやつがいる。暗いやつはだめだ」……こういう基準だけで物事を見ている。こういう基準で人を判断している。

そして、一度判断したら、「その人」が、明るい顔をしないかぎり、受け入れてやらないのである。受け入れてやらないということだけで、済めばよいけど、「その人」が明るい顔をしないということについて、文句を言い出す。

「明るい顔をしたらどうなんだ」「暗い顔をするな」「明るいのと暗いのと、どっちがよくて、どっちが悪いのか区別がつかないのか? そんなこともわからないのか?」と文句を言い出す。そうやって人を責める。これが、『明るい』ことなのかね。こういうことを言うのが、ポジティブ? なことなのかね。

こういうことを言うのは、実は、愚痴とおなじであり、不満の表明なのである。だから、暗い行為だ。その人たちのスケール(価値判断基準)にしたがって言うなら、ネガティブ行為なのである。『だめ出し』が明るい行為であるはずがないだろ。明るい行為というのは、人の気持ちを明るくするんだろ。

『だめ出し』をして、言われた人が、明るい気持ちになるか?

「自分はおまえが暗い顔をしているから不愉快な気持ちになった。おまえは俺の気持ちを考えて明るく振る舞うべきだ」ということを言っているだけではないか。これは、ネガティブな感情の表現じゃないの? 愚痴じゃないの?

●なにごともに『感謝感謝』との関係

ところで、「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人は、同時に、なにごともに『感謝感謝』などという人たちなのである。こういう、精神世界の人が傾倒する考え方は一種の系をなしている。スローガンの組み合わせがだいたいおなじなのである。

「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということにこだわる人であって、なおかつ「なにごともに『感謝感謝』」ということにこだわる人でなるならば、暗い人にも感謝しなければならない。

感謝したくないというのであれば、感謝しなくてもいいけど、もし、「なにごともに『感謝感謝』」と普段から言っているのであれば、暗い顔をした人にも感謝しなければならない。

暗い顔をした人が、暗い顔をしているにもかかわらず『生きている』ということに感謝しなければならない。

けど、表面的に信仰しているだけの人は、暗い顔をした人に感謝せず、攻撃する。『そんなんじゃだめだろ』とだめ出しをする。『明るいのはいいけど、暗いのだめだ』という考えに支配されている人は「なにごとにも『感謝感謝』」というような考えにも支配されやすい。これは、系をなしている。

しかし、その都度『自分の感情』が出ているだけなので、両方とも同時に成立させようとはしていない。その都度、自分の都合で、「暗いのはだめだ。明るいのはいい」「なにごとにも『感謝感謝』」と言っているだけだ。

なによりも、自分の感情が優先しているのである。

相手がどうして暗い顔をしているのかということは、一切合切関係がないのである。「どんなにつらい思いをしていたとしても、明るい顔をするべきだ」と人には要求するのである。

しかし、本人は、実は、つらい思いをしたときは、暗い顔をしている。本人が、そのとき、本人の顔を見ることができないから、本人は気がつかないだけ。

実は、最初に述べたように『受け手』として、『明るいのはいい。暗いのはだめだ』と言っているという傾向がある。『送り手』ではなくて、『受け手』なのだ。

他人に対する要求であり、自分に対する要求じゃない。もちろん、最初は『いい話を聞いた』と思って『自分に対して要求する』のであろうけど、そのうちに、全体主義、教条主義におちいって、ただ単に、『他人に対して要求する』ということになる。

「どんなにつらい思いをしても、自分は明るく振る舞おう」と思って明るく振る舞っている人は、いい。自分に要求しているのであればそれでいい。

けど、「どんなにつらい思いをしても、他人は明るく振る舞うべきだ」というのは、他人にとって迷惑な考えなのである。それがわからないんだよな。全体思考だから。一般的な傾向だけを考えているから。

そして、こういう人は、実は一般的なことを言っているにすぎないということを忘れている。一般的なことというのは、一般的な傾向について言っているだけだということだ。『暗いのより明るい方が好ましい』というような一般的な傾向について言っているだけだ。

それぞれが抱えている特殊な事情は、この段階では、考慮されていない。

これは、全体的な判断で、個々人に対応した判断じゃない。しかし、個々人の上に適応されるのである。『どんな人も』『どんな事情を抱えていても』……『暗いのより明るい方が好ましい』ということになってしまう。これが、実は問題なんだということを、ここでは述べているわけだ。

個々人の事情がある。個々人が抱えているどうしようもない環境がある。そういう、事情や環境を度外視にして、「こいつはだめだ。あいつはだめだ」と決めつけてしまうのが、一般的な「暗いのはだめ」思考の欠点だ。

だいたい「明るい顔をしたらどうなんだ!」「暗い顔をするな!」「明るいのと暗いのと、どっちがよくて、どっちが悪いのか区別がつかないのか? そんなこともわからないのか?」と本人が言っているとき、本人はどういう顔をしているんだろうね? 明るい顔をしてこんなことを言うのか? それならそれで、問題がある。


●「暗いのは悪い。明るいのはよい」という言葉の三つの側面

「暗いのは悪い。明るいのはよい」というようなスローガンは一般的な傾向にすぎないのに、すべての他者に適応されてしまうので、このような問題がしょうじる。

「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのは、実は、三つの側面を持っている。

ひとつは一般論としての側面なのだけど、これは、「他人が暗いのはよくない。他人が明るいのはよい」……ということの言い替えなのである。自分が「受け手」であるわけ。

他者が自分に対して暗い対応をするのよくない。他者が自分に対して明るい対応をするのはいいということを言っているにすぎない。

もうひとつは、自分の行動の指針としての側面だ。「暗いのは悪い。明るいのはよい」ので、自分は暗い気分のときでも(他人に対しては)明るく振る舞おうというような行動の指針を意味している。この場合は「暗い顔をしているのはよくないので、明るい顔をしよう」というような自分の行動に関する指針なのである。

もうひとつは、他者の行動の指針としての側面だ。他人は自分に対して明るく振る舞うべきだ」という他者の行動指針だ。しかし、これが、一般論の中に隠れているのである。だから、めんどうな話になる。一般論は、一般論としては肯定されがちだ。

一つの言葉の中に、三つの違った意味がこめられているのである。側面と言ったけど、実際には、おなじ言葉なのだけど違った意味を持っている。

(1)一般論
(2)自分に対する行動指針
(3)他人に対する行動指針


たとえば、AさんとBさんがいるとしよう。AさんがBさんに対して「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということは正しいか間違っているかと訊いたとしよう。Bさんは「暗いのは悪い。明るいのはよい」ということは正しいと答えたとしよう。その場合、Aさんの前では、Bさんは『常に例外なく』明るく振る舞わなければならなくなる。

どうしてなら、Bさんが「暗いのは悪い。明るいのはよい」(という一般論)に賛成してしまったからである。Bさんが暗い顔をしたときは、Aさんは「『暗いのは悪い。明るいのはよい』ということにBさんは賛成したではないか。明るく振る舞え。明るくしろ」と言うことができるのである。

Aさんが明るい顔をしているかどうかは別にして、Bさんには、Aさんがいるところではいつも明るくしなければならないという縛りがしょうじてしまうのである。これは、Aさんが(1)一般論と(3)他人に対する行動指針を同様のものとしてあつかったから、しょうじたことだ。

(1)一般論と(3)他人に対する行動指針はちがったものなのだけど、おなじ言葉なので、おなじようにあつかうことができる。

また、一般論の適応の範囲は『人間すべて』といったものであるから、人間であるBさんは、自動的に適応範囲ないの存在だということになる。

実際、Bさんも、人間として、暗い人に対応されるより明るい人に対応された方が気持ちがいいというようなことを(受け手)として経験したことがあったとする。この場合、「暗いのは悪い。明るいのはよい」という一般論には、コウシガタイ魅力がある。自分の経験則をあてはめて考えてみても、「暗いのは悪い。明るいのはよい」という一般論が正しいと思えるのだから当然だ。

しかし、暗い人に対応されるより明るい人に対応された方が気持ちがいいという経験に関して言っておくと、この場合、Bさんは『受け手』だ。『送り手』ではない。


で、ぶっちゃけた話しなにを言いたいかというと、表面的な明るさよりも、『思いやり』のほうが大事だよということを言いたい。明るい顔をして他人を追い詰めるような思いやりがないことをしてはいけないし、暗い顔をしていても、他人に対する思いやりがあればよいのではないかと思う。


まとめ
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」というのは一般傾向としてはわかるはなしだ。
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」という考えに基づいて、本人が明るく振る舞うのはいい。
・しかし、「明るく振る舞え」と他人に要求するのはいいことではない。
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」という一般的な考え方は、自分中心で、自分が受け手である場合の話しだ。本人が送り手である場合のことを考えてない。そういった意味では、『エゴ』のひとつにすぎない。他人が、自分に対して明るく接してくれることを望んでいるのである。他人が自分に対して明るく接してくれることを望むこと自体は悪くない。そういう意味では、「だれだってそう思う」のであろう。しかし、『エゴ』だ。
・「なにごとにも『感謝感謝』」と言うのであれば、暗い人にも感謝して、暗い対応にも感謝するべきだろう。
・「暗いのは悪い。明るいのはよい」という全体的な基準にとらわれないで、個々人のことを考えてやったほうがいい。
・「なにごとにも『感謝感謝』」というような考え方は、ほんとうは他者に対する愛から出ているのだけど、いままで見てきたように『自己愛』にひっくり返ってしまう地点がある。
・「だれだってそう思う」ことに関しては、一般傾向としてはさからいがたい。しかし、それがいつも正しいというわけではない。



2018年7月17日火曜日

やっぱりくるしい。

俺の気持ちというのはいったいなんなんだろう?
はぁ~~

これ、なんなんだ~~
ヘビメタ騒音時代とかわらない。
やっぱりくるしい。


   *   *   *

ぼくももちろんそうだけど「ひとごとはひとごと」なんだよね。
「ひとごと」ならなんとだって言える。
「ひとごと」ならね~~~

   *   *   *

仕事なんてどうだっていいや。問題なのは、あの時のあの感情だ。ヘビメタを鳴らされていたときのあの感情だ。

2018年7月15日日曜日

無料セール 騒音サイコパス 6:

無料セール



騒音サイコパス 6:



兄のヘビメタ騒音で人生がない

人生とはなにか?

精神病質者が兄だった場合。その兄がヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らし続けた場合、人間はどうなるか?



騒音障害というものがあると思う。

普通の人は、騒音は鳴りやめばそれでおしまいだと思うみたいだけど、それはちがう。長時間の騒音は、一日のすべてをぶちこわす。長期間の騒音は、人生のすべてをぶちこわす。



「やったってやってない」と思う人の心理学。



障害と障害の認知

主観と客観



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親父にやられたことを、弟に押しつけている

昨日の夜というか、今日の午前中、めちゃくちゃに暑かった。昨日は、午後五時ぐらいから、なんとも言えない感じで、いたたまれない気持ちになった。騒音と人生の無意味。ともかく、くるしい。



いまは、とりあえず、いつものモードになっている。



毛布を干した。今日は、曇りだから、ぴかーーんと晴れているわけじゃない。そのうち、ぴかーーんと晴れたらもう一度干す。そのあと、冬まで特別パックに入れて保存しておこう。



しかし、ほんとう、ゴミが出るなぁ。やっぱりジュース関連のゴミが多いなぁ。ジュースを減らすべきだ。ジュースを飲む機会を減らすべきだ。なるべく飲まないようにしないと……。けど、ジュースと食べ物以外、楽しみがないからなぁ。『あれを飲みたい』『あれ食べたい』という気持ちが残っている。それ以外の『なになにしたい』という気持ちは壊れている。ヘビメタ騒音で壊れている。



ほんとう、他の人たちは、ヘビメタ騒音が鳴りやんだら、鳴りやんだのだから、(いまは)関係がないと思うらしいんだよな。そんなことじゃないのに。やっぱり、自分がたたられないとそこらへんのことはわからないのか?? 人間というのはそういうものか?? まあ、たしかに、わからないかもしれない。



けど、違うんだよ。ヘビメタ騒音が五〇〇〇日以上、ほんとうに休日も祭日もなく、毎日午後一一時一一分まで続いたということが大きすぎる。成長期に続いたということが大きすぎる。学生時代に続いたということが大きすぎる。



日本なんて、ほんとうに、なんて言うのか、『新卒カード』をうまく使えなかったら、おちていくだけなのである。もっとも、睡眠回路と生活体力(持久的な体力)がなくなって、底辺の職業もまったくつとまらなくなってしまったけど。週に一日だろうが、一日に二時間だろうが、時間を決められたら、もうだめなんだよ。死ぬしかない状態に追い込まれる。それが、ヘビメタ騒音なんだよ。



俺が、ヘビメタ騒音に負けずに、どれだけ長い間学校に通っていたと思うんだよ。一一歳から一八歳まで、地獄の日々だ。この日々、ヘビメタ騒音で、どんな過酷な残業をこなしているサラリーマンより、過酷な状態になってしまったのである。これ、やってみればわかる。気違い兄貴は、親父とおなじで、自分が押し通してやったことは、まったくやってないと思っているんだよな。気違い兄貴のヘビメタ友達であるカオ君に、『こんな音で鳴らしたことはない』『こんな音で鳴らしたら、家族の人がかわいそう』と言われているのに、『だいじょうぶ、だいじょうぶ』って親父みたいに、気軽に言いやがって。カオ君がうちに遊びに来るまで、『静かにしろ』と俺に怒鳴られていると思っているんだよ。



毎日、ヘビメタ騒音のことでもめてたのにまったくわかってないのな。親父が、ハンダゴテのことで、前日!もめたと言うことがぜんぜんわかってないのとおなじなんだよ。言われるたびに、怒って、忘れる。怒ってはねのけた途端に、忘れる。そういう気違い回路を、生まれながらに搭載していて、ごく自然にそういうことをしやがるのである。「うちでは!」。うちではそうしていいという回路も搭載している。



だから、はねのけ回路があって、その上に「うちではそうしていい」という回路があるのである。はねのけ回路が信号を出したあと、「うち」か「よそ」かを判断して、うちでは、頑固にはねのけるということになる。



けど、「うち」か「よそ」かを判断するのは、無意識的な判断で、意識的な判断じゃない。本人にはそういう判断をしている「つもり」がない。まあ、そういう壊れた脳みそでも、全体の状況を判断して、自分が「うち」にいるのか「よそ」の他の場所にいるかということは、わかるんだよ。



それこそ、瞬間的な認知として、連続的な認知としてわかる。そりゃ、自分の部屋にいるときは、自分が買ったステレオセットがあるわけで、自分の部屋だと認知できる。で、「つもりがない」ということが、強力な影響を及ぼしている。「つもりがない」からどれだけやったっていい……という、これまた、気違い的ないいわけがあるのだ。これは、「うちではそうしていい」回路の上にあるのか下にあるのかわからないけど、ともかく、隣接している。



ともかく、まったく悪いと思わないで騒音を出し切ることができる。自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らすことができる。鳴らすなら、絶対に自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らすわけで、静かに鳴らすなんてことは、できない。死んでもできない。絶対にやらない。



死んでもやらない。



だから、そうしているのに……つねにそうしているのに、本人は『特に』デカイ音で鳴らしているつもりがないのである。現在進行形でない。『デカイ音で鳴らすな』『静かにしろ』と言われたら、親父のように発狂して、親父のようにはねのけて、おしまいだ。



そこで、ゆずるなんてことはないんだよ。ほんとうにゆずるなんてことは絶対にない。兄貴よ! 親父がほんとうにゆずってくれたことなんて一度もないだろ。一分もないだろ。親父がほんとうにゆずってくれたことなんて、生涯のなかで一度もないだろ。



それとおなじなんだよ。兄貴は親父の態度でヘビメタを鳴らして、兄貴は親父の態度でヘビメタを鳴らしたということを否定している。あれだけ、嫌いな親父とおなじことをしている。親父にやられたことを、弟に押しつけている。おなじやり方で、おなじ態度で、ずっとずっとずっと、押しつけている。押しつけているつもりがないというのも、親父とおなじだ。まったくおなじ。

2018年7月14日土曜日

親父の代から、繰り返されてきたんだよ

かなりだるい。これはやばい。



うーん。眠れない。







ついにまた、夏になったか?



あーあ。俺は何回こんなことを繰り返せばいいんだ?



他の人にはないヘビメタ騒音なんてハンディのせいで、どうにもならない。あの娘たちと、仲良くしておけばよかったな。ヘビメタ騒音でそれどころじゃなかったけど。いまの時間、ずっと鳴ってた。どれだけ「やめろ」と絶叫しても、頑固に鳴らしてた。殺さなければやめさせることができない。殺されなければ絶対に一秒だってゆずらないという意志を持ってならしてた。だから、鳴らしているのに、気違いだから、鳴らしたと思ってない。ぜんぜん関係ない人のつもりでいる。張本人が、まったく無関係な人間のつもりでいる。そういうことが、親父の代から、繰り返されてきたんだよ。うちでは日常茶飯事というか、そうでないときがない状態だ。そういうモードじゃないときがない。うちにいるときは、常にそういう状態だ。ともかく、くるしい。他の人にはわからない。他の人にはまったくないハンディで、他の人にはまったくわからないハンディだ。



ほんとうに、一日のなかで、ヘビメタ騒音が一二時間積み上がった場合の疲労感とか絶対に他の人にはわからない。ヘビメタ騒音に一二時間さらされたので、夜、眠れなくなるということが、他の人には絶対にわからない。体験したことがないから、わからない。そりゃ、文字を読めれば、『一二時間鳴ってたんだな』というのはわかるけど、実際に、一時間、二時間、三時間と続いたときの体の状態、精神の状態というのはわからない。九時間、一〇時間一一時間、一二時間と続いたときの体の状態、精神の状態はわからない。あの態度でやり続けるわけだからな。気違い兄貴に言っておくと……気違い兄貴にもわかるようにいっておくと、兄貴のヘビメタに対する態度は、親父のハンダゴテに対す態度とおなじなんだよ。まったくおなじ。これは、もう書いたからここでは繰り返さないけど……ほんとうにおなじ。態度と感覚、認知がおなじなんだよな。そして、気違い的な意地でやりきるけど、気違い的な意地で『やったということを否定する』というのも、そっくりだ。自分のなかで『だいじょうぶだ』と思えば、どれだけ相手が『だいじょうぶじゃない』と言っても、『だいじょうぶなつもりのまま』なのである。何年間だってずっとそのままだよ。「だいじょうぶだ」と思ったまま、だいじょうぶじゃないことを気違い的な意地でやりきる。やめさせようとしたら、殺さなければならない。殺さなければ絶対にやめてくれない。話しあいで解決するわけがないだろ。気違いなんだから。気違いが気違いの態度で、気違いの感覚で絶対の意地で鳴らすわけだから。そして、鳴らしたということ自体を絶対の意地で否定するわけだから。で、否定したら、もうそれでおしまいで、新しい音を鳴らし続ける。新しく、気違い的な意地で気違い的にでかい音を鳴らし始める。現在進行形で!やっていることを無視する。「やってない」ことになっている。そういうレベルの話しだぞ。そういう態度だぞ! こんなの、うちのなかにいる人しか信じない。「そんなことはないんじゃないか」と思ってしまう。「騒音なんて、やめてと言えばいいだろ」「そんなの話し合えばいいのに、どうして話し合わないんだ」などと言われてしまう。気違い兄貴だって、親父とのあいだにあったことで、他人に「そんなの話し合えばいいのに、どうして話し合わないんだ」と言われて、傷ついたことがあるだろ。それだよ!それ!! まったく!それ!! おなじ!!! 全部毎日、おなじなんだよ。全部毎日、兄貴が親父の態度でヘビメタをデカイデカイ音で鳴らし続ける。本人は、シランプリだ。ほんとうに『そんなにデカイ音で鳴らしてない』と思っている状態だ。そういう気違い的なことを常にやり続けて、自分は正常だと思っている。押しつけているのに、ぜんぜんわかってない。気違い親父が兄貴にハンダゴテを押しつけておいて、ぜんぜんわかってないのとおなじなんだよ。こんなの、他の人とうまくいくはずがない。どれだけ心配してくれた人とだって、一〇年も一一年も一二年も問題が解決しないなら、決別しなければならなくなる。これも、まったく知らないやつにしてみれば、「どうして、友人関係と騒音が関係がある? なんでも騒音のせいにするな」と言いたくなるようなことなのだけど、一〇〇%ヘビメタ騒音でそうなっている。ヘビメタ騒音が原因でそうなっている。もし、一日目に気違いヘビメタ騒音が鳴りやめば……気違い兄貴が納得してヘッドホンをしてくれれば、そんなことになってない。そもそもが、そんなことになってない。毎日毎日追い込まれていくんだよ。

2018年7月12日木曜日

ヘビメタ騒音が終わったあともくるしいよ。大切なものを全部失ったよ

風呂に入った。シャワーにしようかと思ったけど、今日はなんか風呂のほうが楽だから……楽だと感じたから風呂に入った。



いー湯だった。夏は風呂に入るのが楽だ。冬はくるしい。



はて、どうしたものだろうか?



俺の人生……俺の人生、俺の人生。

ほーんと、ヘビメタ騒音がはじまってから、くるしくてくるしくてくるしくてくるしくて、ずっとくるしい。ヘビメタ騒音が終わったあともくるしいよ。大切なものを全部失ったよ。

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騒音サイコパス 6:

兄のヘビメタ騒音で人生がない
人生とはなにか?
精神病質者が兄だった場合。その兄がヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らし続けた場合、人間はどうなるか?

騒音障害というものがあると思う。
普通の人は、騒音は鳴りやめばそれでおしまいだと思うみたいだけど、それはちがう。長時間の騒音は、一日のすべてをぶちこわす。長期間の騒音は、人生のすべてをぶちこわす。

「やったってやってない」と思う人の心理学。

障害と障害の認知
主観と客観

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一〇年間以上毎日続いたら、違う。

俺はヘビメタにやられてズタボロなんだけど、健康寿命とか健康余命というのは気になるなぁ。たしかに、ベットの上で生きていても……。ほんとうにヘビメタで俺の「普通の生活期間」が減った。

まあ、いまはなんとか、好きなときに外に出れるようになったけど、これ、ほんとうに柳荘時代なんて、ぼろくそだからなぁ。人と会わないときは、寝たきり状態だったし……。起きて外に行くというのが、ものごくたいへんだった。気違いヘビメタが鳴り始めてから一一年目あたりにそういう状態になった。俺はもともと、健康で体力も人並みだったんだよ。この体力というのは、生活体力だ。持続力のほう。普通に学校に通えた。けど、その俺が、ヘビメタ騒音に六時間四五分間から一三時間四五分間、毎日さらされるようになってから、とにもかくにも、起きて動くこと自体がくるしいという状態になった。これ、ほんとう、どれだけ俺ががんばって動いていたか! これ、一日に六時間四五分から一三時間四五分間続くヘビメタ騒音にさらされたことがない人にはわからない。「騒音なんて、鳴り終われば、関係がない」と思っているやつばかりだからな。これ、一〇年間以上毎日続いたら、違う。

2018年7月9日月曜日

潜在意識は主語を理解できないというのはおかしい……主語が二人称の場合

潜在意識は主語を理解できないというのはおかしい、ということについて、もうちょっと書いておこうと思う。

結論からいうと、主語を理解できないのはむしろ顕在意識である。そして、『主語を理解できない』という言い方は、かなり誤解をまねく言い方なのではないかと思う。

すでに、主語がない場合について書いた。これは、命令形や単なる呼びかけだと、主語がない場合が多い。これから書くのは、主語がしっかりある場合だ。主語がしっかりあるのに、主語が指し示す実際の対象があいまいな場合がある。

それが、二人称を使った場合だ。

「あなた」「おまえ」「きさま」「あんた」というような二人称は、主語の実際の対象を取り違えやすいのである。しかし、主語の実際の対象を取り違えているのは、顕在意識のほうなのである。潜在意識のほうは、すべてをお見通しで、誤解が生まれやすい『フレーム(枠組み)』まで、認識している。

たとえば、だれかのブログを読んでいるとしよう。そのブログはコメント欄を開放しているとしよう。そして、コメント欄には「おまえはバカだ」というようなコメントが載せられているとしよう。その場合、『おまえはバカだ』と書き込んだ人(A)がおまえという主語で指し示しているのは、ブログ主(B)だ。読んでいる人(C)ではない。

しかし、読んでいる人はまるで、自分に言われたような感じがするかもしれない。その感じが要するに、『主語を誤解する』ということなのだろう。

しかし、これは、『おまえ』『あなた』とだれかに言われたときの経験がものを言っていると考えてよい。単なる呼びかけや、命令形の場合とおなじだ。実生活のなかで、「あなた」という言葉の対象が、実際に自分自身のことを指していたということを経験しているのだ。

だから、「あなた」という言葉と、「自分」とのあいだに「関連(連関)」ができあがる。実生活のなかで、何十回、何百回、何千回、何万回と学習したことなので、完全に記憶してしまう。

圧倒的に、主語と主語の指し示す対象が一致している場合のほうが多い。

ブログでコメント欄の二人称を見る(読む)というのは、もうすでに、そういう「回路」が形成されたあとなのである。

「あなた」という主語と「自分」が一致してないという経験のほうがレアな経験なのだ。だから、経験として多い方が、まず(瞬間的に)呼び出されるので、「あなた」という主語と「自分」が一致してない場合、「あなた」という主語を読んだ人は、確かに誤解するかもしれない。しかし、この場合でも、誤解しているのは、顕在意識なのである。「自分のことなのかな」と誤解するのはいま活動中の顕在意識のほうなのである。

そして、常に勘違い(誤解)が発生するかどうかも疑わしい。つまり、常に誤解するとは限らない。さきのブログの話しで言えば、「おまえはバカだ」という文字を読んで、「ほんとうにブログ主はバカだ」と思うかもしれない。そういう場合だってあるのである。だから、この誤解?が常に発生しているかどうかわからない。

誤解が生じるのは、文字が書いてあって、その文字を自分ひとりで読んでいるようなときが多いのである。呼びかけ系を抜かせば、ほとんどがこのケースなのではないか? 認識の枠組み(フレーム)がぼやけているときに起こりやすいことなのである。

たとえば、正義の味方系の番組ををみているとする。悪い怪人が悪いことをさんざんしたとしよう。そして、正義の味方が『おまえはゆるさない』と言ったとする。この場合、たいていの人は『おまえ』が自分自身のことを指しているとは誤解しない。間違った認知がうまれにくいのである。

どうしてかというと、テレビの中に、怪人と正義の味方がうつっているからだ。そして、「あなた」は、怪人がさんざん悪いことをしてきたということを知っているからだ。これは、視覚としてはっきりとわかることなのである。つまり、ビジュアルがはっきりしている。両者(言葉を発する方と言葉の対象)がうつっているいるので、「おまえ」が怪人のことを指しているということはわかりやすいことなのである。テレビモニターという面のなかに、ちゃんと対象がうつっているということが、重要だ。

ここでもうひとつ重要なことがある。それは、『感情移入』ということだ。たとえば、怪人のほうに『感情移入』していた場合は、正義の味方が「おまえはゆるさん」と言ったときに、自分のことを言われたような気分になるかもしれない。

さらに、たとえば、ブログを読んでいるとき、ブログ主のほうに感情移入していれば、コメント欄の「おまえ」が自分のことのように感じられるかもしれない。場合によっては、一瞬「おまえ」という言葉が自分のことを指しているというような感覚におそわれかもしれない。

しかし、それも、現在進行形で感情移入しているのは顕在意識なので、誤解しているのも、顕在意識だということになる。なので、「潜在意識は主語を理解できない」というのは、間違っている。

2018年7月8日日曜日

『あまい』『甘えている』……「言えばわかる」「相談すればいい」……ふざけるな。

なにもしないで生きるというのも、つまらないんだよな。

よき仲間に囲まれて、自分の才能を発揮できる仕事をするのがよいのだろうけど、ヘビメタ騒音にやられた俺にはそんなのはない。



これから、買い物に行こうと思う。

閉塞した雰囲気をぶちこわすのは買い物しかない。



それにしても、喉がかわく。腹も、まだちょっとおかしい。



なんかもう、全面的にいやになってきた。

これで、ぼくが、たとえば、旅行に行けば解放された気分になって救われる人間ならよいのだけど、そんなことにはならない。ヘビメタ騒音の地平をさまよっている。ヘビメタ騒音にやられたときの『感覚』が持続している。ヘビメタ騒音にやられたときの『雰囲気』が持続している。からだがだるい。常に、ヘビメタ騒音でからだがだるい。常に、ヘビメタ騒音でからだがだるいのに、弱音を言わず、愚痴を言わず、がんばってきたのが俺だ。それがなんだ。そんなもの一〇数年、繰り返したって、得るものはなにもない。というか、そんなものを一〇数年間も毎日繰り返してしまったから、いまだにからだがだるくて、いまだに睡眠回路が壊れているままなのである。……そもそもが、無理な生活なんだよ。ヘビメタが平日六時間四五分鳴っている生活なんて、そもそもが無理だ。こんなのは、朝の七時に起きて、朝の八時に会社に到着して、朝の八時から午前五時まで働いているような状態だ。午前五時から、午前七時まで2時間しか眠れないまま、毎日、必死になって働いているような状態だ。こんなのは無理。こんなのを、七年間毎日やっていいわけがない。しかも、日曜日は休めるかというと、日曜日も朝の九時から気違いヘビメタがはじまって、夜の一一時一一分まで鳴っている状態だから、平日よりもくるしいということになる。ヘビメタ騒音を……あのレベルのヘビメタ騒音を六時間四五分以上からだに浴びると、眠れなくなる。普通の人は、午後一一時一一分からは鳴ってないのだから、眠れるだろうと考えるかもしれない。それが、眠れない。これも、ぼくが、だらしないからいけないんだと考えるやつが多いのである。これ、こういう世界! こういう世界で生きてきていいわけがない。自分が好きなことをして、午前五時まで起きているのと違うよ。「なめんな」と言うが、俺にそういうことを言うほうが、「なめてる」。『あまい』と言うが、俺にそういうことを言うほうが、『あまい』。『甘えている』と言うが、俺にそういうことを言うほうが『甘えている』。おまえらの尺度で、ヘビメタ騒音生活を考えるな。ふさげるな!! おまえらの常識は、「うち」では成り立ってないんだよ。「言えばわかる」「相談すればいい」……ふざけるな。

2018年7月6日金曜日

全部そういうふうに、繰り返されてきた こんな人生でいいわけがない

やっぱり、ヘビメタ騒音でだるい。ヘビメタ騒音で憂鬱だ。ヘビメタ騒音で死にたい気分だ。これ、言ってしまうと、あれだけど、ぼくは相当に気違い兄貴のことをゆるしている。これがわかってない人間が多い。殺してないということがどれだけすごいことかわかってない人が多い。気違い兄貴がやったことの『総量』が、わかってない。もし、自分がやられたら、それはわかるのだけど、やられてないからわからない。それは、俺の事情を知っている人でもおなじだ。他人ならわからない。別の個体ならわからない。こういうことを書けば書くほど嫌われるわけだけど、長いこと、我慢しすぎた。もう、戻れない。もう、治らない。ヘビメタ騒音がはじまってから一年が限界だったんだなぁ。気違い兄貴のやつは、親父とおなじように自分が血相を変えて、命がけで、毎日常にやってたことがわかってない。わかってない」だけで、やってないわけではないのだけど、気違い兄貴の主観としては、わかってないのとやってないのはおなじなんだよ。だから、まったく悪いと思ってない。やったとも思ってない。けど、最初から、そういうやり方だった。やっているさいちゅうも、そういう感覚が成り立っていて、現在進行形で無視できた。現在進行形で、現在やっていることがわからないという状態だった。そして、現在進行形で「やってないこと」になっていた。だから、ほんとうに、本人は「やってない」つもりのままなのである。じゃあ、やめてくれるのか? ヘッドホンをしてくれるのかというと、それは、もう、親父が怒り狂うように、やめてくれない。一秒だろうがヘッドホンをするのはいやだから、ヘッドホンをしない。ヘッドホンをしないけど、『悪気はない』のである。だから、まったく悪気なく、やり続けることができる。そのままデカイ音で鳴らし続けることができる。そのままでかい音で鳴らしているのに、『でかい音で鳴らしてない』という気持ちが成り立っている。言われたときだけ、発狂して、反対のことを言うんだよ。正反対のことを言う。やったなら、「やってない」。やってないなら「やった」。ゆずってないなら、「ゆずってやった」。全部、反対のことを絶叫するわけだよ。そうしたら、本人のなかでは、きれいさっぱり、なくなっている。まず、相手に言われたと言うことがなくなっている。次に、自分が相手の言い分を無視してやったということがなくなっている。次に、自分が相手の言い分を無視してやり続けているということがなくなってしまう。だから、どれだけ言われても、言われたときだけ、正反対のことを叫んで怒って、それでおしまいなのである。そういう反応しか返ってない。で、そういう反応をしておけば、あとで「ゆずってやった」「鳴らしてない」と言うことができるのである。本人は、ほんとうにそういうつもりなんだよ。相手が、それで困った、なんてことは、死んでも認めない。いかなる段階でも認めない。親父とおなじように「なんだ!!そんなのぉ!!」という気持ちになって、怒ったら、それで、自分の関係が切れてしまう。だから、『話し合って解決する』なんてことはできないのだけど、他の人は『自分だったら、話し合って解決することができる』と考えてしまう。『そんなのは、ちゃんと言わないからだめなんだ。俺だったら、ちゃんと言って静かにしてもらう』と思ってしまう。そういう人から見れば、『エイリさんがちゃんと言わなかったから悪いんだ』ということになってしまうのである。全部そういうふうに、繰り返されてきた。で、俺の「からだ」を使ってない人は、一日のヘビメタ騒音がどれだけの影響を与えるかわかってない。一日中鳴っているということが、次の日、鳴ってない時間にどれだけの影響を与えるかわかってない。そういう毎日が一年、二年、……一一年、一二年続いてしまったら、どれだけの『損害』が生まれるかわからない。どれだけの『障害』が生じてしまうかわからない。だから、これもまた、『愚痴を言ってサボっている』『いいわけをしてサボっている』なんて思うわけだよ。

ポジティブな言葉を言わなきゃだめじゃないか

マルチビタミン剤を飲んだ。気休めだけどいいや。「きく~~きく~~きく~~きく~~きく~~」。こういうのは、自分限定だから「きく~~きく~~きく~~きく~~」と言っていい。他の人に「ポジティブな言葉を言わなきゃだめじゃないか」とか「ネガティブなことばかり言っているから、ネガティブなことが起こるんだぁ」と言ってはいけないと思う。「ポジティブな言葉を言わなきゃだめじゃないか」なんて、ポジティブだと思う? こんなの、ていよく人を責めているだで、ネガティブな行為だ。「ネガティブなことばかり言っているから、ネガティブなことが起こるんだぁ」というのも、そう言って愚痴?を言っている人を責めているわけだから、あんまりいいとは言えない。「ネガティブなことばかり言っているから、ネガティブなことが起こるんだぁ」というのは、『ネガティブな言葉を聞かされて、俺は怒っているんだぞ』というようなネガティブな感情の表出ではないだろうか? まあ、言いたくなる気持ちもわかるけどさぁ~~ ポジティブな言葉を言おうというのは、自分の範囲で自分に向かって実行すればいいわけで、他人に向けてあれこれ言わなくてもいいと思う。(とりあえず、さっきは愚痴と書いたけど、頭がおかしい家族にやられて、死にたいほど悩んでいるのかもしれないぞ。もちろん、そうだとしても関係はない。けど、それを愚痴と片付けてよいものかどうか?)(まあ、自分によゆうがないのだろうと思う。)「ポジティブポジティブポジティブ~~~~」と言っている人は、そうやって自分をふくらませなければ、すぐにしぼんでしまう人なんだよ。

2018年7月5日木曜日

親父のように怒ってはねのけて、『当のその行為』をする

青木雄二氏の言っていることはあっている。
けど、それ以前に、ぼくにはヘビメタ騒音の問題がある。これがでかすぎる。どうにもならない。ヘビメタ騒音で、こういう現実を押しつけられたのであり、『中学高校と勉強しなかったのだから、自己責任』と言われると、正直言って腹が立つ。

ヘビメタ騒音漬けの生活をしてみろ。気違いが横で鳴らしている生活を経験してみろ。

相手が気違いだから、認知と感覚がずれている。「やったってやってない」がそのまま成り立っている。殺さなければ、どれだけ言ったってやめさせられない状態が成り立っている。しかも、本人は本当に「やってないつもり」でいる。やっているさいちゅうもやってないつもりでいる。『家族で話せばいい』と言っている人は、そういう兄貴みたいな人間がいるというとすら、想定してない。。想定外。最初から、想定外。

俺がいると言ったあとも、『そんな人いるのかな?』と疑問に思っているレベルだ。疑問に思っているというか、俺が『そういう人間がいる』と言ったあとも、実際には、そういう人間がいるということすら認めてないのであ~~~る。だから、そういう人たちとは溝ができる。

そして、多勢に無勢、一対圧倒的多数なのだ。言ったって言ってない状態になってしまう。「あいつがひとりでへんなことを言っている」と思われてしまう。「ともかく、(騒音なんてどうでもいいから)やって」と言われてしまう。このギャップ! 気違い的な家族がない人にはこのギャップがわからない。

それから気違い兄貴は特殊なので、……要するに、「それじゃ、俺がお兄さんに言ってやる』と言ってくれた人……。俺が、どうせ無駄だからということでことわってしまったのだけど……それは、俺のほうの失敗なのだけど、どのみち、兄貴はやめないけど、言ってもらうことはしてもらえばよかったと思っている。

どういう音で鳴っているかの証人が増えるからな。

気違い兄貴が『外部の人』に注意されても、その人が帰ってしまえば、『静かにしてやったつもり』でものすごくでかい音で聞く。ものすごくでかい音で鳴らす。これは、はっきりとわかる。気違い兄貴は、「よそ」じゃ絶対に鳴らせないようなでかい音で鳴らしていても、「うち」でなら、『たいしてデカイ音で鳴らしてない』と思うような頭がおかしい人間だ。完全に、信じ込むことができる人間だ。だから、意味がないのであ~~~~る。

兄貴の友達に『こんなで買い音で鳴らして大丈夫なの』と言われて、『だいじょうぶ、だいじょうぶ』とこたえたやつだ。あれだけでかい音で鳴らしていて、ほんとうに、「普通の音で鳴らしているつもり」なのだ。フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりなのだ。

気違い兄貴なかでは、ごく自然に脳内変換される。

そして、親父のように!!そのことについては考えない。

そりゃ、何万回言われたって『知らなかった』状態が成立してしまう。何万回言われても『そんなの知らなかった』と思っている。こっちが死にものぐるいで「やめてくれ」と絶叫して頼んでいるのに、こっちの状態がまったくわからない人間なのだ。

これ、親父とまったくおなじなんだよな。兄貴が親父にちょっとしたことで、そういうことをやられれば、兄貴だって怒っていたのに、自分がやるだんになったら、何万回やっても、親父のようにまったく気にしない。まったく気にならない。どれだけ言われても、言われたときだけ、親父のように怒ってはねのけて、『当のその行為』をする。

どれだけやったって親父とおなじように「やってない」と本気で思っている。本人のなかでは「やってない」のとまったくおなじなのである。気違い兄貴の頭のなかでは、こだわりつくして、絶対の意地でやったことが、まったくやってないことになっているのである。だから、こまるんだよ!! いつもそうやってやられた。これが俺の人生の中身だ。こんな人生でいいわけがないだろ。

気違い兄貴は、ほんとうに「やっているつもり」がないんだよ。つもりだけ、ない。兄貴の外側は……兄貴のボディーそのものは、気違いエレキギターをかき鳴らして、夢中になって、でかいでかいステレオで、でかいでかい音を出してヘビメタを聞いている。

これは、仮定の話だけど、ぼくが気違い兄貴の爆音ヘビメタ道具を壊したとしよう。そうしたら、どうなるかと言うと、……「壊したのだから(悪いことをしたのだから)これからどれだけ、ヘビメタを鳴らして文句を言うな」……と言って鬼のようにアルバイトをして、ヘビメタ道具を修復して、一分もゆずらずに鳴らす……と思う。

口実を与えてしまう。
鳴らしていい口実を与えてしまう。

けど、よく考えてみると、鳴らしていい口実を与えたあとの? ヘビメタ騒音の騒音量(時間×音のでかさ)は、口実を与える前のヘビメタ騒音の騒音量(時間×音のでかさ)とおなじだと思う。普段から、フルの音のでかさで、フルの時間鳴らしていた。それ以上、鳴らす時間が増える(長くなる)ということはないのだ。だから、口実を与えたとしても、壊せばよかったかなと思う。『壊されたから、相手は文句を言う資格がない。だから、どれだけやったっていい』と意地になっているような状態で、最初から鳴らしている。最後まで鳴らし続けた。



2018年7月4日水曜日

寝ても起きてもけっこうつらい。

寝ても起きてもけっこうつらい。

『ヘビメタで、俺がどんだけ』って言いたくなる。

『ヘビメタで、俺がどんだけ』『ヘビメタで、俺がどんだけ』『ヘビメタで、俺がどんだけ』。

神はない。けっきょく、俺が兄貴を殺さなかったから、俺がむなしく死ぬことになる。しかも、日本は日本労働教徒の国だから、働かないとボロカスに言われる。気違いヘビメタに一五年間もやられたのは俺だけだから、他の人はヘビメタ騒音のことがほんとうにはわかってない。他の人から見たヘビメタ騒音と、俺が体験したヘビメタ騒音は違う。他の人は、「たとえ、騒音が鳴っていても……」と言う。あるいは「騒音が過去のことなら関係がない」と言う。しかし、どっちも間違っている。大きく!!!!!大きく!!!!!間違っている。ヘビメタ騒音で、通勤通学ができないからだになったということが、ものすごくでかい。ものすごく、でかい。いまは、金銭的には、インターネットで金が稼げるようになたっから無職問題は、(俺のなかでは)解決した。けど、ある一定の時間に起きられないとことから生じる問題は、解決してない。しかも、インターネットの発達を待つまで、時間がかかりすぎた。インターネットが発達すれば、即、インターネットで金が稼げというわけでもなかった。時間がかかっている。

ともかく、だるい。体調が悪い。

あと、「せい」だけど、これはちょっと言っておきたいことがある。あっ、その前に、俺がヘビメタ騒音の長さと、ヘビメタ騒音のでかさについて言及したのに、それを信じないやつというのは、ゆるせない。どういう理屈で俺の発言を信じないのか、ぼくは想像するしかないけど、こういう人たちは、間違っている。


2018年7月3日火曜日

どんな方法も無駄だった

仮に悩むのをやめたとしても、このからだじゃ、つまらない。楽しくない。楽しくなる方法は、無茶だ。これ、みんな、……。楽しくなる方法なんて、みんな、ヘビメタ騒音にやられてない人が書いている方法だ。根本から違うんだよな。長すぎる。ヘビメタ騒音期間が長すぎる。一日の中で長すぎる。どんな方法も無駄だった。気違い兄貴がやめなければ意味がかなった。一日中ヘッドホンをしなければ意味がなかった。気違い兄貴は、気違い親父の意地で、鳴らしまくる。殺さなければやめさせることができない。殺すか、自分が死ぬか?そういう選択を迫られる。ヘビメタが鳴っている時間は、常に、そういう選択が迫られる。ヘビメタが鳴っている日は、常に、そういう選択が迫られる。あんなの、気違いだからやっただけだからね。どれだけ言ったってやっていることすら認めない。そういうやり方でやりまくる。




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2018年7月2日月曜日

無料セール中 騒音サイコパス 4

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騒音サイコパス 4

ほーーんと、人間ってなにかな??

ヘビメタ騒音をやられると、言いがたいポジションに落ちていく。あの態度で、あの感覚でやられると……言いがたいポジションに落ちていく。



「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」

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体調としてそうなっている


しかし、楽しくない。タイに行けば楽しいとか、風俗に行けば楽しいとかそういうのが一切合切ない。なので、つらい。やっぱり、ヘビメタ騒音でくるしい。生きててつらい。あんなのない。気違い兄貴は全力で俺の勉強の邪魔をしたのに、まったく勉強の邪魔をしたつもりがないんだよな。うちで勉強ができないということもこまったけど、勉強ができないということだけではなくて、ほんとうに、体力がなくなってこまった。起きているとき、普通の人だと病気で寝ているような状態なのである。これが、一番こまった。で、これが、ヘビメタ騒音が鳴っているときと同じような強度でずっと続いている。体調としてそうなっている。ともかく、くるしいわ。



2018年7月1日日曜日

潜在意識は主語を理解している

とある脳科学者によると、潜在意識は主語を理解できないということになっている。けど、これはおかしい。まあ、この『潜在意識』というのがなにを指しているかを定義しないで話をすすめるとこういうことになるのだけど、潜在意識は主語を理解できないということはない。

むしろ、正確に理解しているのが潜在意識なのである。顕在意識が理解できないことを正確に理解しているのが潜在意識なのである。主語が理解できないわけがない。対象も主語も理解している。

言い換えれば目的語も主語も理解している。

それこそ瞬間的に間違いなく理解しているのである。

だから、顕在意識が知らなかったことを知っているということになる。あるいは、本当の気持ちを知っているということになる。顕在意識は、あれを言ったらまずいだろうというようなことを考えてしまう。だから、失礼なことは言えない。

たとえば、催眠状態にして、好き、嫌いをこたえさせることにする。問いかける方は、名前をいって、こたえる方は、瞬間的に、『好き』とか『嫌い』ということをこたえるようにしておく。あるいは、好きなら右に腕を動かすジェスチャー、嫌いなら(好きでないなら)左に腕を動かすジェスチャーをするようにしておく。そうすると、普段は、好きだと思っている○○さんのことが、実は嫌いで、普段は、嫌いだと思っている○○さんのことが実は好きだということが、わかることがある。

まあ、普段の思と一致している方が多いけど。これは、潜在意識が、正確に主語を理解していなければできないことだ。

また、映画館で『コーラ』という文字を瞬間的に見せるというような実験があっただろう。ぼくは、あの実験自体が非常にあやしいと思うし、実験結果も、いつも仮説を支持するとはとても思えない。しかし、彼らがよく例に出しているその実験を考えてみると、やはり、潜在意識は、対象を正確に理解しているということがわかる。

実験の結果が正しいなら、正確に対象を理解しているということがわかる。それは、顕在意識が気づかない『コーラ』という文字を見せられると、コーラを飲みたくなって、コーラを買ってしまうということだから、対象を理解しているということになる。スプライトやファンタやおーいお茶じゃなくて、コーラという文字を見せられたから、コーラを買いたくなるということだから、対象を正確に理解しているということになる。*1


もちろん、これは、そういうサブリミナル効果があるということを前提とした話しだ。そういうサブリミナル効果がないということであれば、その前提はくずれる。しかし、彼らは、常に、そういうサブリミナル効果があるといこうとを前提にして話しているのだから、潜在意識は対象を理解できると考えるべきなのである。

主語が理解できないのではなく、主語が省略されているときは、自分が主語であるような感じがする場合があるということなら、あり得る。

しかし、それは、主語がない場合に限られる。これは、顕在意識の場合でもあり得ることだ。「ねぇ、ちょっと! そこの人」と突然言われた場合、言った人が視野に入っていなければ、言われた人は、『自分のことかな』と思うだろう。人間は、常に自分中心で、自分の知覚や思考に頼っているので、主語が省略された場合は、自分が言われた気分がするということは、あり得る。*2

しかし、それは、潜在意識が主語を理解できないということではない。自分以外のことは、ちゃんとわかる。要するに、顕在意識にしろ潜在意識にしろ、自分のことを、他人とおなじように考えているというわけではないという性格が影響しているだけだ。これは、分量の問題だ。名前を知らない七〇億人のことを、自分のことのように考えているわけではないのだ。思考のリソースは、平等に分配されているわけではない。それから、うまれてこのかた、自分以外の他者になったことがないのだから、どうしても、『自分』が主体になる。その場合、主語を省略されたら、自分のことなのかもしれないと思うのは、自然なことだ。

それから、潜在意識がどれだけ強烈ですばらしいかということが語られるとき、起きているあいだに解けなかった数学の問題が解けるようになったというようなことがあげられることがある。

つまり、寝ている間に、潜在意識が働いて、問題を解いてくれたということが言われる。もし、主語が理解できなかったら、数学の問題の意味すらわからないということにならないか? 潜在意識は主語を理解できないということが正しいなら、潜在意識はどうやって、数学の問題の意味を理解するというのだ? Xは三〇である。という結論を出したとする。主語はXだ。Yじゃない。ちゃんと、主語を理解しているからそういうことが可能になる。数学の文章問題を考えるとき、かならず、主語と目的語は正確に理解している。

また、この普段、わからないことが突然わかる体験については、顕在意識が優位である場合もあり得るのであって、潜在意識だけの専売特許ではない。

そもそも、「顕在意識が理解できないこと」を理解しているのが潜在意識なのではないか? 顕在意識が見逃したことを、ちゃんと見逃さずに記憶しているのが潜在意識なのではないか?

そういう場合の潜在意識は、ちゃんと主語を理解していると考えるのが妥当だ。それは、各段階の主語を理解しているということだ。ストーリーがある話しなら、ちゃんと、ストーリーに沿って正確に主語と述語、あるいは主語と目的語を理解しているということになる。

そもそも理解できないストーリーについて潜在意識が的確なこたえを出すということは、ありえない。おのおの段階の主語がわかっているから、ストーリーの全体を理解することができるのだ。

彼らは潜在意識のすばらしさを語るとき、ちゃんと、潜在意識は主語を理解しているということを『意図せずに』語っている。なので、彼らが思うような潜在意識は、ちゃんと主語を理解していると言うことができる。

*1
(この場合、主語は私であり、コーラは目的語だ。コーラという文字を提示されただけなので、主語は不明な場合に分類できる。『自分』に提示されれば、『自分』に提示されたと思うだろう。これは、顕在意識か潜在意識かの問題じゃない。たとえば、歌手のAが、コンサートのとき、観客に向かって「コーラを飲みましょう」と言ったら、おのおのの観客は、Aは『自分』に言ったと思うだろう。Aが、自分にコーラを飲んで欲しいと思っていると思うだろう。Aが「私は今度、アルバムCDを出すんですけど、アルバムCDを買ってくださいね」と言ったら、Aは自分に言ったと思うだろう。たいていの観客は「Aは自分にアルバムCDを買って欲しいと思っている」と思うだろう。観客の中にBがいて、Bは「私は今度、アルバムCDを出す」というAの発言を聞いたとき、「B(Bにとっての私)が今度、アルバムCDを出す」というように誤解したりしないだろう。顕在意識だけではなく、潜在意識も、ちゃんと主語を間違えずに認識して、誤解しない。おのおのの段階で、主語を正しく認識していなかったら、ストーリーがある話しについてちゃんと考えることはできない)

*2
呼びかけられた場合について話したが、自分の身に置き換えて考えてみるということを人間はよくしている。けど、これも、誤解しているのではなくて、ちゃんと、仮定の話として処理している。たとえば、ブロガーのAが読者のBに刺されたとする。その場合、自分の場合はそんなことはないだろうとか、自分の場合もあぶないかもしれないと思ったりするだろう。その場合、ちゃんと、「自分」とAを区別して考えているから、仮定の話ができるのだ。「自分なら」「自分の場合は」と考えがちな人は、別に、自分である主語(わたし)と他者である主語(他者にとってのわたし)を区別できないということではない。仮定の話ができるということは、ちゃんと、区別しているということを、むしろ明示しているのである。人間はどうしても、「自分なら」と自分に引き寄せて考える傾向がある。そういう傾向は、主語を理解できないということではないということに注目するべきだ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。