2018年7月1日日曜日

潜在意識は主語を理解している

とある脳科学者によると、潜在意識は主語を理解できないということになっている。けど、これはおかしい。まあ、この『潜在意識』というのがなにを指しているかを定義しないで話をすすめるとこういうことになるのだけど、潜在意識は主語を理解できないということはない。

むしろ、正確に理解しているのが潜在意識なのである。顕在意識が理解できないことを正確に理解しているのが潜在意識なのである。主語が理解できないわけがない。対象も主語も理解している。

言い換えれば目的語も主語も理解している。

それこそ瞬間的に間違いなく理解しているのである。

だから、顕在意識が知らなかったことを知っているということになる。あるいは、本当の気持ちを知っているということになる。顕在意識は、あれを言ったらまずいだろうというようなことを考えてしまう。だから、失礼なことは言えない。

たとえば、催眠状態にして、好き、嫌いをこたえさせることにする。問いかける方は、名前をいって、こたえる方は、瞬間的に、『好き』とか『嫌い』ということをこたえるようにしておく。あるいは、好きなら右に腕を動かすジェスチャー、嫌いなら(好きでないなら)左に腕を動かすジェスチャーをするようにしておく。そうすると、普段は、好きだと思っている○○さんのことが、実は嫌いで、普段は、嫌いだと思っている○○さんのことが実は好きだということが、わかることがある。

まあ、普段の思と一致している方が多いけど。これは、潜在意識が、正確に主語を理解していなければできないことだ。

また、映画館で『コーラ』という文字を瞬間的に見せるというような実験があっただろう。ぼくは、あの実験自体が非常にあやしいと思うし、実験結果も、いつも仮説を支持するとはとても思えない。しかし、彼らがよく例に出しているその実験を考えてみると、やはり、潜在意識は、対象を正確に理解しているということがわかる。

実験の結果が正しいなら、正確に対象を理解しているということがわかる。それは、顕在意識が気づかない『コーラ』という文字を見せられると、コーラを飲みたくなって、コーラを買ってしまうということだから、対象を理解しているということになる。スプライトやファンタやおーいお茶じゃなくて、コーラという文字を見せられたから、コーラを買いたくなるということだから、対象を正確に理解しているということになる。*1


もちろん、これは、そういうサブリミナル効果があるということを前提とした話しだ。そういうサブリミナル効果がないということであれば、その前提はくずれる。しかし、彼らは、常に、そういうサブリミナル効果があるといこうとを前提にして話しているのだから、潜在意識は対象を理解できると考えるべきなのである。

主語が理解できないのではなく、主語が省略されているときは、自分が主語であるような感じがする場合があるということなら、あり得る。

しかし、それは、主語がない場合に限られる。これは、顕在意識の場合でもあり得ることだ。「ねぇ、ちょっと! そこの人」と突然言われた場合、言った人が視野に入っていなければ、言われた人は、『自分のことかな』と思うだろう。人間は、常に自分中心で、自分の知覚や思考に頼っているので、主語が省略された場合は、自分が言われた気分がするということは、あり得る。*2

しかし、それは、潜在意識が主語を理解できないということではない。自分以外のことは、ちゃんとわかる。要するに、顕在意識にしろ潜在意識にしろ、自分のことを、他人とおなじように考えているというわけではないという性格が影響しているだけだ。これは、分量の問題だ。名前を知らない七〇億人のことを、自分のことのように考えているわけではないのだ。思考のリソースは、平等に分配されているわけではない。それから、うまれてこのかた、自分以外の他者になったことがないのだから、どうしても、『自分』が主体になる。その場合、主語を省略されたら、自分のことなのかもしれないと思うのは、自然なことだ。

それから、潜在意識がどれだけ強烈ですばらしいかということが語られるとき、起きているあいだに解けなかった数学の問題が解けるようになったというようなことがあげられることがある。

つまり、寝ている間に、潜在意識が働いて、問題を解いてくれたということが言われる。もし、主語が理解できなかったら、数学の問題の意味すらわからないということにならないか? 潜在意識は主語を理解できないということが正しいなら、潜在意識はどうやって、数学の問題の意味を理解するというのだ? Xは三〇である。という結論を出したとする。主語はXだ。Yじゃない。ちゃんと、主語を理解しているからそういうことが可能になる。数学の文章問題を考えるとき、かならず、主語と目的語は正確に理解している。

また、この普段、わからないことが突然わかる体験については、顕在意識が優位である場合もあり得るのであって、潜在意識だけの専売特許ではない。

そもそも、「顕在意識が理解できないこと」を理解しているのが潜在意識なのではないか? 顕在意識が見逃したことを、ちゃんと見逃さずに記憶しているのが潜在意識なのではないか?

そういう場合の潜在意識は、ちゃんと主語を理解していると考えるのが妥当だ。それは、各段階の主語を理解しているということだ。ストーリーがある話しなら、ちゃんと、ストーリーに沿って正確に主語と述語、あるいは主語と目的語を理解しているということになる。

そもそも理解できないストーリーについて潜在意識が的確なこたえを出すということは、ありえない。おのおの段階の主語がわかっているから、ストーリーの全体を理解することができるのだ。

彼らは潜在意識のすばらしさを語るとき、ちゃんと、潜在意識は主語を理解しているということを『意図せずに』語っている。なので、彼らが思うような潜在意識は、ちゃんと主語を理解していると言うことができる。

*1
(この場合、主語は私であり、コーラは目的語だ。コーラという文字を提示されただけなので、主語は不明な場合に分類できる。『自分』に提示されれば、『自分』に提示されたと思うだろう。これは、顕在意識か潜在意識かの問題じゃない。たとえば、歌手のAが、コンサートのとき、観客に向かって「コーラを飲みましょう」と言ったら、おのおのの観客は、Aは『自分』に言ったと思うだろう。Aが、自分にコーラを飲んで欲しいと思っていると思うだろう。Aが「私は今度、アルバムCDを出すんですけど、アルバムCDを買ってくださいね」と言ったら、Aは自分に言ったと思うだろう。たいていの観客は「Aは自分にアルバムCDを買って欲しいと思っている」と思うだろう。観客の中にBがいて、Bは「私は今度、アルバムCDを出す」というAの発言を聞いたとき、「B(Bにとっての私)が今度、アルバムCDを出す」というように誤解したりしないだろう。顕在意識だけではなく、潜在意識も、ちゃんと主語を間違えずに認識して、誤解しない。おのおのの段階で、主語を正しく認識していなかったら、ストーリーがある話しについてちゃんと考えることはできない)

*2
呼びかけられた場合について話したが、自分の身に置き換えて考えてみるということを人間はよくしている。けど、これも、誤解しているのではなくて、ちゃんと、仮定の話として処理している。たとえば、ブロガーのAが読者のBに刺されたとする。その場合、自分の場合はそんなことはないだろうとか、自分の場合もあぶないかもしれないと思ったりするだろう。その場合、ちゃんと、「自分」とAを区別して考えているから、仮定の話ができるのだ。「自分なら」「自分の場合は」と考えがちな人は、別に、自分である主語(わたし)と他者である主語(他者にとってのわたし)を区別できないということではない。仮定の話ができるということは、ちゃんと、区別しているということを、むしろ明示しているのである。人間はどうしても、「自分なら」と自分に引き寄せて考える傾向がある。そういう傾向は、主語を理解できないということではないということに注目するべきだ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。