2018年7月15日日曜日

親父にやられたことを、弟に押しつけている

昨日の夜というか、今日の午前中、めちゃくちゃに暑かった。昨日は、午後五時ぐらいから、なんとも言えない感じで、いたたまれない気持ちになった。騒音と人生の無意味。ともかく、くるしい。



いまは、とりあえず、いつものモードになっている。



毛布を干した。今日は、曇りだから、ぴかーーんと晴れているわけじゃない。そのうち、ぴかーーんと晴れたらもう一度干す。そのあと、冬まで特別パックに入れて保存しておこう。



しかし、ほんとう、ゴミが出るなぁ。やっぱりジュース関連のゴミが多いなぁ。ジュースを減らすべきだ。ジュースを飲む機会を減らすべきだ。なるべく飲まないようにしないと……。けど、ジュースと食べ物以外、楽しみがないからなぁ。『あれを飲みたい』『あれ食べたい』という気持ちが残っている。それ以外の『なになにしたい』という気持ちは壊れている。ヘビメタ騒音で壊れている。



ほんとう、他の人たちは、ヘビメタ騒音が鳴りやんだら、鳴りやんだのだから、(いまは)関係がないと思うらしいんだよな。そんなことじゃないのに。やっぱり、自分がたたられないとそこらへんのことはわからないのか?? 人間というのはそういうものか?? まあ、たしかに、わからないかもしれない。



けど、違うんだよ。ヘビメタ騒音が五〇〇〇日以上、ほんとうに休日も祭日もなく、毎日午後一一時一一分まで続いたということが大きすぎる。成長期に続いたということが大きすぎる。学生時代に続いたということが大きすぎる。



日本なんて、ほんとうに、なんて言うのか、『新卒カード』をうまく使えなかったら、おちていくだけなのである。もっとも、睡眠回路と生活体力(持久的な体力)がなくなって、底辺の職業もまったくつとまらなくなってしまったけど。週に一日だろうが、一日に二時間だろうが、時間を決められたら、もうだめなんだよ。死ぬしかない状態に追い込まれる。それが、ヘビメタ騒音なんだよ。



俺が、ヘビメタ騒音に負けずに、どれだけ長い間学校に通っていたと思うんだよ。一一歳から一八歳まで、地獄の日々だ。この日々、ヘビメタ騒音で、どんな過酷な残業をこなしているサラリーマンより、過酷な状態になってしまったのである。これ、やってみればわかる。気違い兄貴は、親父とおなじで、自分が押し通してやったことは、まったくやってないと思っているんだよな。気違い兄貴のヘビメタ友達であるカオ君に、『こんな音で鳴らしたことはない』『こんな音で鳴らしたら、家族の人がかわいそう』と言われているのに、『だいじょうぶ、だいじょうぶ』って親父みたいに、気軽に言いやがって。カオ君がうちに遊びに来るまで、『静かにしろ』と俺に怒鳴られていると思っているんだよ。



毎日、ヘビメタ騒音のことでもめてたのにまったくわかってないのな。親父が、ハンダゴテのことで、前日!もめたと言うことがぜんぜんわかってないのとおなじなんだよ。言われるたびに、怒って、忘れる。怒ってはねのけた途端に、忘れる。そういう気違い回路を、生まれながらに搭載していて、ごく自然にそういうことをしやがるのである。「うちでは!」。うちではそうしていいという回路も搭載している。



だから、はねのけ回路があって、その上に「うちではそうしていい」という回路があるのである。はねのけ回路が信号を出したあと、「うち」か「よそ」かを判断して、うちでは、頑固にはねのけるということになる。



けど、「うち」か「よそ」かを判断するのは、無意識的な判断で、意識的な判断じゃない。本人にはそういう判断をしている「つもり」がない。まあ、そういう壊れた脳みそでも、全体の状況を判断して、自分が「うち」にいるのか「よそ」の他の場所にいるかということは、わかるんだよ。



それこそ、瞬間的な認知として、連続的な認知としてわかる。そりゃ、自分の部屋にいるときは、自分が買ったステレオセットがあるわけで、自分の部屋だと認知できる。で、「つもりがない」ということが、強力な影響を及ぼしている。「つもりがない」からどれだけやったっていい……という、これまた、気違い的ないいわけがあるのだ。これは、「うちではそうしていい」回路の上にあるのか下にあるのかわからないけど、ともかく、隣接している。



ともかく、まったく悪いと思わないで騒音を出し切ることができる。自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らすことができる。鳴らすなら、絶対に自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らすわけで、静かに鳴らすなんてことは、できない。死んでもできない。絶対にやらない。



死んでもやらない。



だから、そうしているのに……つねにそうしているのに、本人は『特に』デカイ音で鳴らしているつもりがないのである。現在進行形でない。『デカイ音で鳴らすな』『静かにしろ』と言われたら、親父のように発狂して、親父のようにはねのけて、おしまいだ。



そこで、ゆずるなんてことはないんだよ。ほんとうにゆずるなんてことは絶対にない。兄貴よ! 親父がほんとうにゆずってくれたことなんて一度もないだろ。一分もないだろ。親父がほんとうにゆずってくれたことなんて、生涯のなかで一度もないだろ。



それとおなじなんだよ。兄貴は親父の態度でヘビメタを鳴らして、兄貴は親父の態度でヘビメタを鳴らしたということを否定している。あれだけ、嫌いな親父とおなじことをしている。親父にやられたことを、弟に押しつけている。おなじやり方で、おなじ態度で、ずっとずっとずっと、押しつけている。押しつけているつもりがないというのも、親父とおなじだ。まったくおなじ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。