2018年7月9日月曜日

潜在意識は主語を理解できないというのはおかしい……主語が二人称の場合

潜在意識は主語を理解できないというのはおかしい、ということについて、もうちょっと書いておこうと思う。

結論からいうと、主語を理解できないのはむしろ顕在意識である。そして、『主語を理解できない』という言い方は、かなり誤解をまねく言い方なのではないかと思う。

すでに、主語がない場合について書いた。これは、命令形や単なる呼びかけだと、主語がない場合が多い。これから書くのは、主語がしっかりある場合だ。主語がしっかりあるのに、主語が指し示す実際の対象があいまいな場合がある。

それが、二人称を使った場合だ。

「あなた」「おまえ」「きさま」「あんた」というような二人称は、主語の実際の対象を取り違えやすいのである。しかし、主語の実際の対象を取り違えているのは、顕在意識のほうなのである。潜在意識のほうは、すべてをお見通しで、誤解が生まれやすい『フレーム(枠組み)』まで、認識している。

たとえば、だれかのブログを読んでいるとしよう。そのブログはコメント欄を開放しているとしよう。そして、コメント欄には「おまえはバカだ」というようなコメントが載せられているとしよう。その場合、『おまえはバカだ』と書き込んだ人(A)がおまえという主語で指し示しているのは、ブログ主(B)だ。読んでいる人(C)ではない。

しかし、読んでいる人はまるで、自分に言われたような感じがするかもしれない。その感じが要するに、『主語を誤解する』ということなのだろう。

しかし、これは、『おまえ』『あなた』とだれかに言われたときの経験がものを言っていると考えてよい。単なる呼びかけや、命令形の場合とおなじだ。実生活のなかで、「あなた」という言葉の対象が、実際に自分自身のことを指していたということを経験しているのだ。

だから、「あなた」という言葉と、「自分」とのあいだに「関連(連関)」ができあがる。実生活のなかで、何十回、何百回、何千回、何万回と学習したことなので、完全に記憶してしまう。

圧倒的に、主語と主語の指し示す対象が一致している場合のほうが多い。

ブログでコメント欄の二人称を見る(読む)というのは、もうすでに、そういう「回路」が形成されたあとなのである。

「あなた」という主語と「自分」が一致してないという経験のほうがレアな経験なのだ。だから、経験として多い方が、まず(瞬間的に)呼び出されるので、「あなた」という主語と「自分」が一致してない場合、「あなた」という主語を読んだ人は、確かに誤解するかもしれない。しかし、この場合でも、誤解しているのは、顕在意識なのである。「自分のことなのかな」と誤解するのはいま活動中の顕在意識のほうなのである。

そして、常に勘違い(誤解)が発生するかどうかも疑わしい。つまり、常に誤解するとは限らない。さきのブログの話しで言えば、「おまえはバカだ」という文字を読んで、「ほんとうにブログ主はバカだ」と思うかもしれない。そういう場合だってあるのである。だから、この誤解?が常に発生しているかどうかわからない。

誤解が生じるのは、文字が書いてあって、その文字を自分ひとりで読んでいるようなときが多いのである。呼びかけ系を抜かせば、ほとんどがこのケースなのではないか? 認識の枠組み(フレーム)がぼやけているときに起こりやすいことなのである。

たとえば、正義の味方系の番組ををみているとする。悪い怪人が悪いことをさんざんしたとしよう。そして、正義の味方が『おまえはゆるさない』と言ったとする。この場合、たいていの人は『おまえ』が自分自身のことを指しているとは誤解しない。間違った認知がうまれにくいのである。

どうしてかというと、テレビの中に、怪人と正義の味方がうつっているからだ。そして、「あなた」は、怪人がさんざん悪いことをしてきたということを知っているからだ。これは、視覚としてはっきりとわかることなのである。つまり、ビジュアルがはっきりしている。両者(言葉を発する方と言葉の対象)がうつっているいるので、「おまえ」が怪人のことを指しているということはわかりやすいことなのである。テレビモニターという面のなかに、ちゃんと対象がうつっているということが、重要だ。

ここでもうひとつ重要なことがある。それは、『感情移入』ということだ。たとえば、怪人のほうに『感情移入』していた場合は、正義の味方が「おまえはゆるさん」と言ったときに、自分のことを言われたような気分になるかもしれない。

さらに、たとえば、ブログを読んでいるとき、ブログ主のほうに感情移入していれば、コメント欄の「おまえ」が自分のことのように感じられるかもしれない。場合によっては、一瞬「おまえ」という言葉が自分のことを指しているというような感覚におそわれかもしれない。

しかし、それも、現在進行形で感情移入しているのは顕在意識なので、誤解しているのも、顕在意識だということになる。なので、「潜在意識は主語を理解できない」というのは、間違っている。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。