2018年8月9日木曜日

どんな場合でも不平不満を言うべきではないということに考えてみた(1)

そりゃ、ひとにはなるべく不平不満を言わないほうがいい。それは、わかる。しかし、『どんな場合でも』というような条件はつかない。『言わないほうがいい』というような努力目標と、『どんな場合でも言わないほうがいい』というような努力目標は、根本がちがう。

また、人に対して『普遍的真理として』……『どんなときでも不平不満を言うべきではない』ということを押しつけている人は、自分がなにをしているかわかってない。その人が押しつけていることは、不平不満を言うことよりも、ひどいことだ。

これ、ほんとうにつらい思いをしたことがないからわかってないだけだ。

ずっと、何十年も続くつらい思いを経験したことがないからわからない。

しかも、そのつらいことというのが他者によってもたらされるものであるというケースを経験したことがないから、そういうことが言える。はっきり言えば、『どんな場合でも』不平不満を言うなというのは、ひどい命令(あるいは押しつけ)なのである。

ほんとうに、特殊な人の特殊な状態がわかってないんだよな。誰か不平不満を言えば、不平不満を聞かされた人が傷つくので言ってはいけないということなのだろう。『どんな場合でも』というような条件がつかず、一般論として言っているのであれば、肯定できる。

しかし、例外があるということは先に認めていなければならない。例外がある話しであるのならば、納得できる。しかし、例外なく、どんな場合でも、どんなにひどいことをされても、言うべきではないということには、納得できない。

「その人」という言葉で書くといろいろと混乱が生じるので、とりあえず、Aさん、Bさん、Cさんがいるとしよう。AさんがBさんの家族で、Bさんに対して何十年も毎日ひどいことをしたとする。Bさんは毎日死にたい気持ちで生きていたとしよう。

その場合、BさんはAさんに対して不平不満を言うことは、ゆるされる。Bさんは、Aさんの行為で死にそうになっているので、Bさんに不平不満を言い、その行為をやめるようにせまることができる。できるというのは、やってもいいことだという意味だ。けど、そういう行為でさえも、『どんな場合でも、不平不満を言うべきではない』という普遍的なルールには抵触することになってしまうのである。次に、BさんがCさんに対して、「自分はAさんの行為で死にたい」と言ったとしよう。

その場合、たしかに、Cさんにとってはよくないことだけど、それが絶対にゆるされないことかというと、そうではない。Bさんが、Aさんの行為というCさんにはまったく関係がないことについて不満を漏らすことは、よいことではないかもしれないが、Aさんの行為とはちがって、許容範囲内の行為だと思う。

また、Cさんは「自分に対して不平不満を言わないでくれ」とBさんに言う権利もある。だから、BさんもCさんも『不平不満』を言ってもいいということになる。不平不満を言うということは、たいして悪いことではない。もし、それが、殺人級の悪いことなら、人は毎日、殺人級の悪いことをしあっているということになってしまう。

日常生活のなかで、多少の不平不満を「きかされること」は、許容範囲なのである。もちろん、不平不満はなるべく人に言わないほうがいい。しかし、日常生活のなかでは許容範囲内の行為だ。

もし、Cさんにとって、Bさんの言っていることが、タダの不平不満なら、Cさんは「俺に、そんなことを言ってくるな!」とどなりちらすことだってできる。Cさんには「俺に不平不満を言うな!」と不平不満(と思われる可能性がある言葉)を言う権利がある。

どうしてなら、日常生活のなかで、不平不満を言うことは、ある程度許容されているからである。それは、Cさんにも保証されていることだからだ。

『悪さの度合い』ということを考えてみよう。たとえば、AさんがBさんに毎日やっている悪いことを一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇だとする。そうすると、BさんがAさんに『不平不満』を言うことは一ぐらいの悪さなのである。また、Bさんが(その問題に関係がない)Cさんに、Aさんとのことで不平不満を言うことは、一〇ぐらいの悪さだ。一〇と一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇をくらべてみれば、一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇のほうがでかいと言える。

しかし、その場合でもCさんには『俺に不平不満を言うな!』という不平不満を絶叫する権利があるので、それを行使すればよいということになる。誰か他の人(Dさん)が、このCさんの行為を『不平不満を言う』行為だとみなす場合がある。DさんにとってはCさんは『不平不満を言った』ということになるだろう。だからこの場合、Dさんの視点からすればCさんは『どんな場合でも』不平不満を言ってはならないというルール(普遍的な原理原則)をやぶっていることになる。

ところで、AさんBさんCさんのなかで一番悪いのはAさんなのである。

しかし、DさんはAさんの悪さに関してはまるでなにも言わない。ただ単に、『どんな場合でも不平不満を言うことは悪いことだ』ということを言っているだけなのである。実は、Dさんは自分が『どんな場合でも』不平不満を聞かされたくないという願望を持っていたとする。その場合、不平不満を聞かされるということは、Dさんにとっては相当に悪の度合いが高いことなのである。

けど、人殺しと不平不満を言うこととどっちが悪の度合いが高いことかと言えば、普通は、人殺しのほうが悪いことだろうということになる。あるいは、毎日、人をいじめて、その人を自殺に追い込むことは、不平不満を言うことよりも、普通に言って、悪の度合いが高いことなのであるとぼくは思う。

Dさんのなかでは、不平不満を言うことは、人を殺すことや、人を自殺に追い込むことよりも、悪いことなのかもしれない。どうしてなら、『どんな場合でも』不平不満を言うことは悪いことだと言っているからである。

Aさんにいじめられて、Bさんが自殺を考えているような状態でも『不平不満を言うべきではない』のである……Dさんにとっては。どうしてなら、例外なくどんな場合でも不平不満は言うべきではないとDさんは考えているからだ。

Dさんは、例外なく、普遍的に絶対に正しいこととして『不平不満を言うべきではない』と言っているのである。

『どんな場合でも、不平不満を言うべきではない』という視点から見れば、Bさんが悪いということになってしまうのである。Aさんはこの場合、悪い度合いは〇(ゼロ)であり、Bさんは言ったぶんだけ悪いということになってしまう……Dさんのなかでは。『どんな場合でも、不平不満を言うべきではない』のだから不平不満を言ったBさんは、するべきではないことをした悪い人だということになる……Dさんのなかでは。

普遍的真理はいつでも、全体に求められるものであって、全体に対し適応されるものであるから、例外がない。例外があるということを認めているわけではないのだ。そうなると、傷つく人がでてくる。

実際には、他者がやることが原因で自殺を考えているような人にとっては、「どんな場合でも、不平不満を言うべきではない」というルール(普遍的な原理原則)それ自体がその人自身を傷つけるものなのである。そりゃ、「じゃあ、自分を自殺に追い込むようなことをしている人間はどうなんだ?」という疑問がわくからだ。

「不平不満を言うことがそんなに悪いことであるなら、人を自殺に追い込むようなことを毎日頑固にやり切るということは、悪いことではないのか」と考えるからである。

Dさんは不平不満を言うということ全体が、人を自殺に追い込むことよりも悪いことだと思っているのだろうか? そんなことは思ってないだろう。

けど、『どんな場合でも』という言葉を使った場合、不用意にそういうことを主張しているということになってしまうのである。『どんな場合でも』というのは、そのくらいの威力がある言葉なのだ。不用意に使うべきではない。例外があるということを先に認めておくべきだ。


不平不満を言うこと……を抽象的に考えると、まわりが見えなくなってしまうのである。たとえば、実際に、AさんがBさんにやっていることが見えなくなってしまう。Bさんはどんなことをされていても、不平不満を言うべきではないのである。

どうしてなら、『不平不満を言うこと』というのは、すべての条件から切り離された、『不平不満を言うこと』だからである。背後の文脈は関係がないのである。まったく関係がない。ただ単に、Bさんが不平不満を言ったということだけが問題になる。

Bさんの不平不満の内容……つまり、実際に、AさんがBさんに対してしてきたことは、『不平不満を言うこと』自体!とは関係がないことなのである。

不平不満を言うか言わないかは、言うか、言わないかの二値であらわすことができる。たとえば、不平不満を言うのが、一(イチ)だとする。不平不満を言わないが〇(ゼロ)だとする。そうすると、かならず、〇(ゼロ)か一(イチ)で表現できるものなのである。

Bさんが不平不満を言った場合は、不平不満を言ったというフラグが立つ。一になる。その場合、不平不満を言うことが悪いことだと考えている人にとっては、Bさんは悪いことをした悪い人だということになってしまう。二値だから。背後のBさんの事情は関係がないから。

実際にAさんがBさんにしたことは斟酌されずに、Bさんが不平不満を言ったというとだけが、問題になってしまうのである。どんな理由があっても、Bさんが不平不満を言った途端に、「Bさんは悪いことをした」というレッテルが貼られるのである。悪いことをしたというフラグが立つ。

繰り返して言うが、Aさんがやったことは、斟酌されない。たとえ、それが、不平不満を言うということよりも、悪いことであった場合も、それは、〇(ゼロ)なのである。フラグが立たない。

それだと、ほんとうにひどいことは、見すごして、ただ単に、「不平不満を言うか」「不平不満を言わないか」ということだけを価値判断基準にして人を批判しているということになってしまうのである。

この批判は、受けとめる人によっては、逆に「不平不満だ」と認知されるだろう。どうしてなら、『Bさんは不平不満を言うべきではない』ということ自体が、それを言った人の不平不満の表明になってしまうからだ。

たしかに、DさんはBさんの行為について不平不満を言っている。「Bさんはやるべきでないことをやったので、自分は不快に思っている」という不平不満を言っているのとおなじだということになる。そういうふうにDさんの判断を受け取る人も出てくるだろう。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。