2018年9月15日土曜日

出来事が中立的に生起しているだけだということ……についてもうちょっと真剣に考えたほうがいい

スピリチュアリズムの人は、新しいおもちゃを手に入れた幼児のようだ。そして、それを他の人に投げつけたりする。

有機水銀が入っている排水をがぶ飲みしたあとにものを言えとは言わない。そりゃ、飲まれてしまったらこまるしね。ぼくは、すすめませんよ。飲まないでくださいね。これ以降は、『かり』の話しだ。

もし、自分が気がつかずに、有機水銀を摂取してしまったら、どうなのかということをちょっとは考えたほうがいい。出来事は中立的に生起している。「くるしい」とか「つらい」といったことは、その中立的な出来事に「くるしい」とか「つらい」といった意味合いを与えているにすぎない。……などと言っていられるだろうか?

意味合いを与えているのは自分だ。だから、「くるしくなる」「つらくなる」。そんなのは、本来、中立的な出来事に「くるしい」「つらい」といった意味合いを与えた自分のせいだ。……などと言っていられるだろうか?

たとえば、あなたが誰かにナイフで刺されたとしよう。
その場合、「ナイフで刺されたという中立的な出来事が生じたにすぎない。『いたい』というような意味を与えるのは自分だ。だから、『いたい』という現実は自分が作り出した現実すぎない」……などと言っていられるのだろうか?

さらに、そうやって、いたがっている?……あるいは、『いたい』と感じているあなたに、「それは、自分が作り出した現実だから、他の人の『せい』にするべきではない」などと言う人が出てきたら、どう思うんだよ?

「すべては自分が作り出している現実だ。自己責任自己責任」……刺されているあなたにそういうことを言う人が出てきたらあなたはどう思うのか? 

そういう人がスピリチュアルな人だと思うのか? 彼の言っていることは正しいと思うのか?

認知療法家だと、「反応すべきことは反応べきだ」と言う。この場合、反応すべきことというのは、たとえば、ナイフで刺してきたやつをなぐることや、助けを求めたり、救急車を呼ぶということだろう。認知療法家だと、とっさの反応を認めている。

適切な期間、怒って反応するというのは認められている。適切な期間、悲しむのも認められている。しかし、適切な期間をこえて怒るのは不合理なことだとされている。適切な期間をこえて悲しむのは不合理なことだとされている。

それは、どうしてかというと、効率が悪いからだ。「適切な期間」悲しむのは、効率が良いのでよいことであり、「適切な期間」をこえて悲しむのは効率が悪い良くないことなのである。

しかし、この場合も、たとえば、有機水銀を摂取してしまったあと、有機水銀を摂取してしまったということからしょうじる、いろいろなことを『気にしている』場合は、認知療法家のいうような「適切な期間」というような条件は成立しない。一度、摂取してしまったらずっと続くからだ。「適切な期間」なんてことは言ってられない状態になる。

出来事が中立的に生起しているだけだということ。そして、中立的に生起していることに意味合いを与えるのは自分だということ。それらに関しては、スピリチュアル系の人が言うことと、認知療法家が言うことは似ている。「すべては受けとめ方の問題だ」と彼らは言う。しかし、「すべては受けとめ方の問題だ」というのは、間違っている。どういうふうに間違っているのかということについては、すでに書いた。『騒音サイコパス』のどこかに書いた。

   *   *   *

たとえ、知らずに有機水銀を摂取してしまったにしろ、自分の身に実際に起こったことは、すべて、自分自身が『選択』したことだ……なんてことはない。知らずに摂取したのであれば、その人の『選択』ではない。

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だいたい、『すべては自己責任』ということは、他人における他人の責任を追及している。『あの人がああなったのは、あの人の責任』『あの人がああいう思いをしているのは、あの人の責任』と責任の所在について言及しているということになる。

もちろん、そういう人は、主観的には『自分の身に起こったことはすべて自分の責任だ』と常日頃から考えて生きているのだとは思うけど、実際は、普通に『他人の責任を追及して』怒ることがあると思う。

自分が不当なあつかいを受けたと感じたら、不当なあつかいをした人間に対して怒りをぶつけると思う。あるいは、抗議すると思う。自分が不当なあつかいを受けたと感じているのに、『すべては自己責任だから、相手が自分を不当にあつかうのも、自分の責任だ』なんて考えないと思う。本当に毎回毎回、『すべては自己責任だ』などと考えているのだろうか? 本当に『すべては自己責任だ』と考えているなら、怒る必要も、悲しむ必要もないのだが……。その人はもう、広い意味で言って『この世の人ではない』と思う。

まあ、他人がなにをしたにしろ、『不当だ』と感じるのは本人であり、本人の感じ方次第であると言うのであれば、そういうことを言う人は現実生活のなかでどんな目に遭っても不当だとは感じずに、中立的なことが発生したと思うだけだろう。

『すべては自己責任』というのは、普通は『他人に対して』投げかける言葉だ。自分のなかで、本当に『すべては自己責任』だと思っているのであれば、自分に向かってそう言っていればよいのである。人知れず、言葉に出すのでもなく、『すべては自己責任』ととっさに思って、自己責任だと思っている人間がするような態度で、自己責任だと思っている人間がするようなことをすればいいだけだ。わざわざ、他人に向かって言う必要なんて、それこそない。

いずれにせよ『すべては自己責任』と他人に向かって投げかけるということは、他人に対して他人の責任を問うている。つまり、他人に対して他人の責任を追及している。『他人の責任を追及する』ということをまったくしてないということではないのである。

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不当、云々について言っておこう。たとえば、通販で三万円のおせち料理を買ったとしよう。そうしたら、重箱の中にちくわが二本入ったものがきたとする。その場合、『ホームページの写真とはちがうじゃないか』などとは思わずに、『そういう店を選んだのは、自分なのだから自己責任だ。他人の責任を追及するのはやめよう』と思うのが『すべては自己責任』と日頃から言っている人の思うことだ。

けど、日頃から「すべては自己責任」などと言っている人も、いざ写真とはちがうものが送られてきたら『写真とはちがうじゃないか』と思って、「写真通りのちゃんとしたものを送ってくれ」と抗議の電話をするのではないかと思う。まあ、「返金してくれ」でもいいけど。意図的にやった人たちが、ちゃんとしたおせち料理を用意しているとは思えないからな。

(ホームページと書いたけど、本当はウエブサイトだ。日本ではなぜかウエブサイトのことをホームページと呼ぶことになっているので、そう書いた)。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。