2018年9月19日水曜日

『被害者意識ばっかり』という言い方

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そう言えば、スピリチュアルな人たちは、常日頃から『引き寄せ引き寄せ』『すべては自己責任すべては自己責任』とえらそうにブログに書いている。もし、こういう事件が起こった場合、『そういう人を引き寄せてしまったからだめなんだ』と言うのだろうか。そういう人というのは、この話で言えば『犯人』だ。ベッドの上にいる人を、一〇人ぐらい刺した犯人だ。刺された一〇人は、「そういう人を引き寄せた』から悪いのだろうか。

また、『すべては自己責任』ということを考えた場合、どういうことが言えるだろうか? 『すべては自己責任』と考える人は、刺された人の自己責任だと考えるのだろう。実際そういうふうに言っている。『すべては』自己責任なのだから。

そういう施設を選んだ人が、悪いのである。そういう施設を選んだ人の責任なのである。また、こういうふうに言う人は『人のせいにしてもしかたがない』などということも言う。

少なくてもぼくは、刺されて傷を負ったということに関しては、刺した人の行為が原因なのだから、刺した人のせいだと思う。しかし、『すべては自己責任』ということを言う人は刺された人に『人のせいにするな』と言うのである。

他人の行為に原因がある場合は、『人のせいにする』というような言い方は、不自然ではないか? 

他人の行為に原因がないのに、その他人のせいだと言う場合は、たしかに、『人のせいにするな』と言うことは問題がないと思う。しかし、相手の行為に原因がある場合は、「すべて」とひとくくりにして良いのだろうか?

『人のせいにする』というのは、そもそも、ちがった原因を設定している人のみに言われるべき言葉なのだと思う。原因があっている場合は、『人のせいにする』というのは、間違った言い方だと思う。

あとは、『被害者意識ばっかり』という言い方か。自分がなにもしてないのに、刺された場合、被害者であるのは間違いがないので、被害者意識を持って当然だと思うけどな。

これも、まるで、本当は、被害者意識だけを持つべきではないのに(もかかわらず)加害者意識を持たず、被害者意識だけを持っているので、「けしからん」という抗議の気持ちがこめられた言葉なのである。加害者意識というのは、実は、過去の文脈を問題にしているのである。ようするに、被害者側が、加害者側に過去において、不適切なことをしたというような意味がこめられているのである。

それであれば……被害者になった人が、加害者に対してなにがしかの悪いことを、過去において、しているのであれば……被害者意識だけを持つのは、不適切なことだと思う。

しかし、『被害者意識ばっかり』と思う人が勝手に頭の中で、でっち上げたことなので、でっち上げた事実?に基づいて、人のことを判断しているということになる。

しかも、『被害者意識ばっかり』という言葉を使った場合、あきらかに、その人のことを批判しているのである。その人というのは、ここで言えば、刺された人のことだ。

だから、この場合は、実際に過去において、被害者が加害者になんらかのことをしたのかどうか? 過去の時点において、実は、被害者が加害者に被害を加えたという事実があるのかなのかということが問題になる。

話しはそれるが、ちゃんと、過去の事実は、判断に影響を与えている。こういう場合においても、『過去のことは過去のことだから、どうでもいい』とか『過去のことは過去のことだからこだわる必要はない。こだわる必要がないことにこだわっているのはおかしい。非合理的だ』ということにはならないのである。

「被害者意識ばかり」とか「すべては自己責任(なのだから、他人を批判するべきではない)」ということを言う人たちも、ちゃんと、他人を批判している。問題なのは、それが、架空の事実に基づいた批判である場合だ。「被害者意識ばかり」と言う場合は、実際に、被害者のほうが、加害者のほうになんらかのことをしている場合に限られる。

事実、好ましくないことを、過去において加害者に対してしているのであれば、被害者意識ばかり」をもつのは正しくない態度と言える。しかし、過去において加害者に対して好ましくない行為をしていないのであれば、間違った架空の事実を設定して、被害者を批判しているのとおなじことになる。それは、良くない行為だ。

なので、過去においてどのようなことがあったかということを問題にせずに「被害者意識ばかり」と「被害者」をせめるのは良くないことなのである。よく知りもしないくせに、「被害者意識ばかり」というような言葉の攻撃を加える人は、自分がしていることがわかってない。これでは、まるで、掲示板の荒らしではないか。

ここまで、被害者が過去において加害者に対してなんらかの悪いことをしている場合について考えてきたけど、過去において、被害者が加害者になんらかの警告をしたかどうかということも問題になるだろう。警告を怠ったのであれば、被害者にも悪いところがあり、責任の所在は加害者だけに限られるわけではないということだ。この場合は、たしかに「被害者意識ばかり」をもつのは問題があることかもしれない。しかし、無限に責任を押しつけるのは良くない。予見できることに対して、普通に警告をしたのであれば、(被害者のほうに)問題はないと考えるべきなのである。予見できないことについて、被害者が……被害者になるひとが……警告をするというのは無理なのである。なので、そういうことに関しては、予見ができることなのか、できないことなのかということが重要になる。また、予見ができることに関して警告しないのであれば、問題はたしかにあると思うが、警告したにもかかわらず、加害者側が考えをかえなかったということに関しては、無限の責任を負うと考えるのはまずいことなのではないかと思う。ここらへんも、「無限の責任を負う」と考える人たちがいるんだよな。たぶん、冒頭の「すべては自己責任」などと考える人は、「(被害者は)無限の責任を負う」と考えているのだろう。これは、どういうことかというと、過去の時点において加害者の考えをかえることができなかったのだから、(被害者にも)責任があると考えているということだ。「すべては自己責任」と考える人はおそらく、そう考えるのであろう。けど、これは、不適切だ。個人に対してそこまで責任をかぶせるのは良くない。「すべては自己責任」という人は自分に対してその言葉を言っている場合は、まったく問題はない。しかし、多くの場合、他人に対してその言葉を使っている。他人の人生上の出来事に対しても、その言葉を使っている。他人というのは、この場合「すべては自己責任」と言っている人以外のひとのことだ。「すべては自己責任」などと普段から言っている人は、やはり、他人のぶんまで、他人に対して責任を追及している。こういう人が「批判はするべきではない」「人のことを批判するのは良くない」ということを言うのは、問題がある。けど、「すべては自己責任」という言葉を言う人は「批判はするべきではない」「人のことを批判するのは良くない」と言っている場合が多い。「すべては自己責任」と「批判はするべきではない」はわりと、セットになって表れる言葉だ。批判、しているじゃないか。「すべては自己責任」と「批判はするべきではない」というルールをセットにしてもっている人は、部分的に自己撞着に陥っていると言える。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。