2018年9月22日土曜日

本当に人間ってなんなんだろうな?

あーしかし、本当に人間ってなんなんだろうな?

俺の騒音生活は苦しかったよ~~



人間の能力の差なんて本当に小さなものなのに、現実の社会ではものすごく、その小さな差が大きな差になって現れてしまうんだよな。というか、みんながみんな、その小さな差にこだわりつくして、大きな差だと感じてしまう。しかも、得意不得意なんて、分野によってちがうのに、その分野が絶対的な大きさで現れてしまうんだよな。目の前に現れる。そうすると、『格付け』がはじまる。これが悲惨なのは、自分以外の他人に対する格付けが、だれの頭のなかにもあるということだ。自分は「ぬき」なんだよ。自分を入れると、いろいろと問題がある。自分を入れた場合、自分を自分でバカにするというようなことがはじまる。こんなのはない。本当は、たいしたことじゃないのに、あたかも、重要なことだと思ってしまう。最重要案件になって、目の前をふさぐ。


   *   *   *

優雅な散歩に行ってくるかなぁ。
とぼとぼ、ひとりで歩くわけだけど、わりと、いいんだよなぁ。
あーー、ヘビメタ騒音がなければなぁ!!

散歩中も、ヘビメタ騒音のことで頭がいっぱいだ。というよりも、感覚として生きている。感覚として生きている。ヘビメタ騒音でつらくてつらくてたまらなかったときの感覚が生きている。『地続き』。これ、わからないだろうな。ちがうんだよ。たんなる、過去の記憶じゃないんだよ。ときどき思い出すような過去の記憶じゃない。たとえば、息を吸っているときは息を吸っているときの感覚があるだろ。あれとおなじだ。息を止めれば、一〇年前に息を止めたときとおなじ感覚があるはずだ。イップンカン息を止めようとした場合、最後のほうはだいぶくるしくなるだろ。俺は、イップンカンはたぶん無理だけど。その、くるしい状態というのは、たとえば、一〇年前にトライしたときも、おなじだろ。そういうことなんだよ。(まあ、イップンカン息を止めることにトライして死なないようにしてください。ぼくは責任、もちません)。

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気違い兄貴の態度で、ヘビメタ騒音を鳴らされ続けたら、だれもが、俺とおなじ状態になると思う。鳴らされたことがないから、認知療法家みたいなことを言ってられるだけだ。

これは、水俣病でもおなじなんだよ。

絶対的な差がある。絶対的な差というのは、『それでこまっている』か『それでこまっていないか』という差だ。こまっているのは、水俣病で言えば、水俣病患者だ。水俣病患者に「つらいと言うから、つらいんだ」というような言葉を投げかける人は、こまってない。こまっているか、こまっていないかが絶対的な差になる。

そして、たとえば、『つらいと言うから、つらいんだ』というような言葉が正しいか正しくないかは、関係がないのである。……こまってない人には関係がない。関係がないので、正しいか正しくないのかは、切実な問題にならない。

しかし、こまっているほうは、切実な問題になる。水俣病の場合、有機水銀が問題なので、『つらいと言うから』つらいと感じるというわけではない。

また、『つらくない』『つらくない』と言うことによって、つらくない状態になるかというと、ならない。それは、脳細胞から有機水銀が離れて体外に放出されるのであれば、つらくなくなるかもしれないけど、『つらくない』『つらくない』と言っただけでは、つらくない状態にはならない。

しかし、『つらくない』『つらくない』と言ったことによって、言った後、ちょっとあいだは『ちょっとは楽になった』と感じることはあるかもしれない。けど、長い目で見れば、その効果は、ないに等しい。

やはり、有機水銀の問題をどうにかしないと、楽にならない。だから、『つらくない』『つらくない』と言うことでは、根本的な問題解決にはならない。ちょっとだけ、『つらくなくなったような感じがする』と感じることがあるもしれないけど、それは、有機水銀の効果にくらべて小さい効果だ。

ここらへんが、ガンとはちがうのである。ガンは、時間の問題できれいになくなる(治る)場合がある。『治る治る』と言わなくても、治る場合がある。けど、ガンであることがわかってから、『治る治る』と言って、実際にガンが治った場合は、『治る治る』と言った「から」治ったのだと考える人が出てきても不思議ではない。ガンの場合は、わりと、可逆的な変化なのだ。

いっぽう、有機水銀のほうは、かなり不可逆的な変化で、『治る』『治る』と言っても治らない。しかし、一般には、ガンのほうが重い病気として認知されているので、ガンですら治るのだから、他のどんな病気だって治ると、思われてもしかたがないようなところがある。

これは、間違った推論なのだけど、そういうことを言う人は、そういうことを気にしないだろう。指摘されても、たぶん、納得しないと思う。「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」というのは、科学的な問題ではなくて、宗教的な信仰の問題だからだ。

話を元に戻そう。実際に水俣病で苦しんでいる人にとっては「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」ということが、正しいか正しくないのかは、重要な問題だ。

しかし、水俣病にかかってない人にとっては、「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」ということが、正しいかどうかは、関係がない。現実とは関係なく、その言葉が成り立ち続ける。特に、自分のことではなくて、他人のことであるならば、なおさら、そうなる。

現実を無視して!!「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」ということを信念として言いまくるということができる。現実を無視して、だれにでもその言葉を本気で投げかけることができる状態を維持できる。そりゃ、本人はいたくもかゆくもないのだから。

水俣病になっている人にとっては、「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」のか、治らないのかは、重要なことだ。常に、苦しみから解放される『解』を求めているのである。「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」という解が正しい解なのか、間違った解なのかは重要な問題だ。そして、残念なことに、「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」という解は間違った解だ。

しかし、水俣病でくるしんでいる人は、ワラをもつかむ状態なのだ。溺れている状態なのだ。だから、「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」という「ワラ」をつかんでしまう。しかし、それは、くるしんでいる人を救ってくれない。間違った解だからだ。水俣病に限らず、わりと、不可逆的変化が関係している場合は、『治る』『治る』と言っても、治らない場合が多い。

だいたい、「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」と言っている人は、この世に病院が存在する意味がわかってない。「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」のであれば、病院なんて必要がないだろう。「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」のだから。

「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」と言っている人にしたって、盲腸のような激しい痛みを感じれば、病院に行くのではないだろうか。「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」のだから、「『治る』『治る』」と言い続けて、病院に行かないのだろうか。

「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」と言っている人は、虫歯になったと感じても、歯医者に行かないのだろうか。「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」のだから、「『治る』『治る』」と言うことで虫歯を治してしまうことができるのではないか。もっとも、ぼくは、そういうことにこだわって、歯医者に行かないようにするということを推奨したりはしない。だから、普段「『治る』『治る』と※言えば※どんな病気だって治る」と他人に言っている人が、歯医者に行ってもいいと思う。





わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。