2018年9月25日火曜日

オウム返しに正反対のことを怒鳴るのである

つまんないなぁ~~



これから、寝るよ~~







今日はなんか、図書館に行ってた頃の雰囲気だな。こういう雰囲気の日曜日、図書館に行ってたよ。あの頃は、まだ、友達とつきあってたな。けど、その時ですら、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃなんだよ。僕のこころは。みんなわかってない。わかるわけがないか。実際にやられなければ、どれだけ、たたるかわかるわけがない。言われるのと経験するのはちがうからね。そりゃ『騒音がうるさかったんだな。それでつらかったんだな』ということはわかるかもしれないけど、ぼくが経験したのはそういうことではない。理解できることではない。実際にやられてみれば、どれだけの「しばり」になるかわかるよ。本当にゼンブガゼンブ、だめになる。これは、行きすぎた一般化なんだけど、ゼンブガゼンブと言っていいほど、だめになる。すべてにたたる。だから、かならずしも、イ・ラショナル・シンキングとは言えない。それは、生活全部に影響を及ぼすので、『ゼンブガゼンブ、ヘビメタ騒音でだめになる』というのは、真実なんだよ。わからないとは思うけど……。そして、気違い兄貴の態度が、気違い親父の態度とおなじだというのが、最大の問題だ。これは、他の人には……ヨソの人には、まったくわからないことだ。『親父の態度』事態がわからないからな。けど、気違い兄貴は、親父にやられて親父の態度がどういうものかわかっているんだよ。ただ、親父の場合、自分が気違い的な意地でやったことは、全部、やってないこととして認識するという気違い的な認識方法がある。この認識方法が兄貴にも成り立っているので、気違い兄貴が、顔を真っ赤にして、気違い的な意地でやり通したことは、本人にとっては「やってないこと」になっている。「そんなんじゃない」と認識している状態が、ずっと成り立つ。成り立っている。いまも、そうだ。やっていた当時もそうだ。やっていた当時、現在進行形で、「やったってやってない」という認識が成り立っているのだ。こんなのは、ない。そういう人が、閉鎖病棟に収容されていないということはないと考える人にとっては、俺が嘘を言っていることになる。けど、ちがうんだよね。まさしく「やってないこと」なのだけど、それは、相手に「やった」と言われたときだけそう思うことなのである。あとの時間は、「やったとかやってないとか、そういうことは、一切合切関係がない」という認知が成り立っている。だから、「やったのはやった」のだけど、「やったってやってないのとおなじ」なのである。はじめから、その通りに受け取ってない。兄貴の場合は、『本当はデカイ音で鳴らしている』のだけど、『デカイ音で鳴らしている』とは認知してないのである。親父の場合は、理由がないことで怒っているのだけど、理由がないことで怒っているとは認知してないのである。で、あとは、「認めたら、自分にとって不利なことをしなければならない」という無意識側の認知があるんだよ。だから、「自分にとって不利になることは、どんなことがあっても、認めない。認めないということも認めないというかたちで認めない。だから、いつも「そんなことはない」という認知が成り立っているのである。「デカイ音で鳴らしている」ということを認めてしまったら、音を落とさなければならないのである。そして、音を落とすのは死んだっていやなので、絶対に、「デカイ音で鳴らしている」ということを認めない。これが、意識的なレベルで起こっている場合はよいのだけど、無意識的なレベルで起こっている場合は、全体の認知がゆがむということになる。デカイ音で慣らしているあいだじゅう、本人は、本当に「デカイ音で鳴らしているつもりがない」状態なのである。意識的には!! けど、よそのうちではデカイ音で鳴らさないのだから、デカイ音だということは、わかっているのである。聴力が弱いから、デカイ音だということがわからないということではない。要するに、無意識的にはでかい音だということがわかっている。兄貴にはわかっている。

やりたいときは、やっているということを「即座に否定する」ということになる。気違い親父の「なんだって反対表現」とおなじだ。オウム返しに正反対のことを怒鳴るのである。本人は「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」「なんだ!なんだ!」と怒り狂えば、それですんじゃっているのである。これ、本当にこまる。否定して怒鳴れば、それで、本人のなかでは終わっている。もちろん、やり通すし、これからも、おなじようにやるのだ。「やっている」ということを認めて「やらないようにする」ということは、ない。死んでもない。こういうルールが成り立っている「うち」の状態なんて、「よそ」のひとは、本当にわからない。だから、「よそ」の常識でものを言う。けど、それ(よその常識)は、「うち」では成り立たない。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。