2018年9月26日水曜日

だれの現実認知がゆがんでいるのか?

相手の言っていることをちゃんと理解して、反論しているわけではないのである。しかし、相手が「自分に文句を言ってきた」という不快感だけはある状態なのである。だから、「そんなんじゃない」と絶叫して否定したり、無視して押し黙っている状態でテーブルを離れれば、それで、なにもなかったことになってしまうのである。だから、どれだけ言われても、「そんなの知らなかった」と言える状態なのだ。で、「そんなの知らなかった」というのも、相手が言っていることの否定であるわけで、構造が似ている。「そんなの知らなかった」も、よく理解しないまま、ともかく、条件反射のように否定しているだけなのである。これは、「現実」を無視して、ともかく、条件反射のように否定している状態で、相手が言っていることをちゃんと一度は受けとめて、そのあとに否定するという態度ではない。いちおう、文章としては相手の言っていることを理解した!のだろうけど、それは、現実の自分の行為とは一切合切関係がないことなのである。そして、なんとなく!自分に文句を言ってきたというレベルでしか理解しない。理解は「なんとなく」なのである。もちろん、「文字列」「言葉」の意味は「不快になった」という意味で、理解しているのである。しかし、自分に結びつけて理解しているわけではないので、ただ単に、言葉として否定して終わりなのである。「やった」と言われたら「やってない」と否定したら、本人のなかではそれで済んでしまった状態になっている。だから、そのあと、その行為をやっても、まったく問題を感じないのである。言われてないのとおなじ状態で、やり続けることができる。その当の行為を「やった」と言われて、「やってない」と否定した直後にその行為を「頑固に意地になって」やったとしても、本人のなかでは「やってない」のとおなじなのである。これ、本当に、説明しにくいけど、本当に現在進行形で「やったってやってない」が成り立っている状態なのだ。だから、どれだけ言ったって、やめないし、「問題だ」と思わない状態が成り立つ。どれだけ、「家族に」言われても、「そんなのは知らない」状態でやり続けることができる。言われなかったんじゃなくて、気にすることが一切合切できなかっただけなのだ。怒った!ということは、言葉の意味だけは理解しているはずなのである。しかし、その「理解」というのが「ただなんとなく」「不愉快なことを言われた」というような「理解」でとどまってしまうのである。普通の人が理解できるような言葉を使うと、自分には関係がないことで文句を言われたという状態になってしまうのである。本当は、本人の行為に対する文句だから、本人は関係があるのだけど、本人の関係(本人の関与)を認めるということができない。本人の関係(本人の関与)を認めるとなると、「対処してやらなければならなくなる」のである。それは、可能性としても絶対に、避けなければならないことなのである。どうしてかというと、現実を無視して、自分がやりたいことをやりたいからだ。「ちゃんと言われた」という現実を無視してしまうのである。また、「やった」あるいは「やっている」という現実を無視してしまう。だから、言葉自体は理解できるけど、それは、ちゃんと、「やった」ということを認めて、理解しているわけではないのである。親父と兄貴は、常にそういう状態なんだよ。自分にとって、不都合なことを言われたら、常にそういう反応を返す状態なんだよ。だから、いついかなるときに言っても、(本人にとって不都合なことであれば)条件反射のように否定して、それで、終わってしまう。本人のなかでは、それで済んでしまう。その場合、単に無視した場合でも、否定した言葉を絶叫した場合でも、おなじなのである。単に無視した場合も、否定した言葉を絶叫した場合でも、本人が「怒ったら」それで、本人のなかではすんでしまう。「そんなんじゃない」つもりになれる。それでまた、こういうしくみが成り立っているということが、「ヨソの人」にはわからない。「うちなかで」だけ、そういうことが、何千回も何万回も繰り返されたとしても、実際にそういう場面を見てないヨソの人には、実感としてわからない。事実そういうことがあるということが実感としてわからない。事実そういう人がいるということが、実感としてわからない。「うち」のメンバーなのかで「やられた人」がヨソの人に説明すれば、ヨソの人は「そんなこと、あるのかしら」と思って信じない場合が多い。説明しても、半信半疑のままだ。で、本人……そういうことをやっている本人じたいが「ヨソの人」よりも本人の行為について理解してないというところがある。だから、何万回言っても、そのまま続く。別に、「罪悪感」なんてうまれない。家族のひとりが「やめてくれ」「やめてくれ」と毎回絶叫していることをやり続けても、なんと思わない状態が発生する。



「やられた人」というのはその都度ちがう。親父が妻、長男、次男に対してやった場合は、妻、長男、次男が「やられた人」になる。兄貴が、俺にやった場合は、俺がやられたひとになる。兄貴は、親父にはやられた人間だけど、俺に対しては「やった」人間だ。親父とおなじやり方で、のちに本人が否定するようなことを、頑固にやり切る。後に本人が否定するようなことと書いたけど、やりきるときとおなじ頑固さで否定する。だから、「現場を見てない第三者」にとっては、どっちが本当のことを言っているのか、わからないということになる。そして、「やったこと」がもしそれが本当なら異常なことなのだから、「そんなのはないんじゃないか」と思うようなところがある。異常なことを異常なやり方でやるんだよ。そして、一番、異常なのは「本人にそのつもりがない」ということだ。あれだけ、頑固にやったことなのに、「つもりがない」とか、本当に頭がおかしい。これ、本当に言いがたいんだよ。認知症じゃないのに、つもりがない。「やった」という記憶が、本人はないことになっている。本人の言っていることを信じるとそういうことになる。これ、最初から、否定されていることで、やったってやってないことなんだよ。で、起きているときにやっていることなんだよ。夢遊病者じゃない。また、酒を飲んで記憶がないという状態でもないんだよ。そのとき、否定しているのは、現実と、自分の関与なんだよ。これが、吹っ飛んでいる。現実認知と自分の関与に関する認識が吹っ飛んでいる。だから、過去のことになってしまえば「やってないない」「やってないない」と言い張ることができる。何回も言うけど、「やってないない」「やってないない」と言い張る態度が、「やりたいとき」のやりきる態度とおなじなのである。現実認知が吹っ飛んでいる。相手にとっての意味合いが吹っ飛んでいる。そんなのは、端から認めないから、どれだけ言われても、「言われた」ということにすらならない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。